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朴マリア解放:パンタナール路程

Updated: Feb 26

始めに:真の父母様の偉大さの一つは、天の父母様の悲しい事情を明らかにし、そのご心情を知り、そのご心情を解放されたことではないでしょうか。これこそが、1999年5月14日に、パンタナールのナビレケで「天宙解放式」を挙行された所以です。しかし、その前に「地獄の門の開闢(1998.5.15)」、そして「サタンの自然屈服(1999.3.21)」もパンタナールで行われました。この偉業は、計り知れない意味を持っています。


人類歴史の中で、誰が、いかなる宗教者が、地獄の極悪人たちを赦し解放しようとしたでしょうか。人類を奪いすべての悲しみの元凶であるルシファーまでも真の愛で解放しようと考えた人はいたでしょうか?真の父母様のみです。真のお父様は、「神様は最後には一部の人が天国に、他の人は地獄に行き死ぬということは望まれないのです。殺人魔も聖人たちも同じ場所に立たせ、祝福する水平時代が来るのです」と言われました。


このような真の愛に満ちた時代を始めるために、真の父母様は人類歴史上の最大の罪人たちをも赦す役事をパンタナールで行われました。その路程は父母様以外には誰にも分からない路程ですが、お父様のボートのキャプテンだったピーター・パウロさんの証をとおして、それを垣間見ることができるかもしれません。

OHS 2024年2月24日


参考のみ言葉:

「李相軒氏を神様が特別に使者として送ってくださり、小柄な女性を通して……。監獄のようなところに行って出会ったのが誰かというと、朴マリアと李起鵬、李康石の三人です。息子が父母を殺したのです。また、朴マリア夫婦は、父母を殺したようなものです。この地上に来られた真の父母を殺す悪事を働いたのです」(293-240, 1998.6.1)
「私はこのパンタナールを忘れることができません。ここは、霊界の相軒氏を通じて、朴マリヤ家庭に対する神様の願いを受けて深刻になった場所です。どうして神様がそのようになったのかというのです。悔しくて恨めしいのです。そのようなことを考えれば、はらわたが煮えくり返って骨がしみ出てこなければなりません」(環太平洋摂理 296-43, 1998.10.11)

ピーター・パウロ・アルベス・ピニェイロさんの証


(編集者ノート:以下の証は2023年9月23日、アスンシオン・パラグアイでピーター・パウロさんが語った証を非公式に記録したものです。2023年12月にピーター・パウロさんにポルトガル語で確認してもらいました。)


初めてお父様のために水に潜った時


パンタナールでお父様と一緒に釣りをしていたとき、魚が掛かった釣り糸が川底に引っかかることがよくありました。 そんな時は、水の中に潜って、川底から釣り糸をほどき、船まで運んでいきました。 深さは3~4メートルくらいの所が多かったですが、約7メートルくらいになる時もありました。


私はレバレンド・ムーンのためにだけ川に飛び込んだわけではありません。 レバレンド・ムーンに出会う前は、私は観光客向けにこれをやっていました。 魚や針が底に引っかかると、ラインが切れてしまうことがよくあります。もう逃がしてしまった魚を、私が水底から回収してくると観光客は喜んだのです。


魚が川底で絡まったとき、お父様は私に「水の中に潜ってきなさい」とは決して言われませんでした。 お父様は、誰かが水に飛び込んで魚を解放することが可能であることさえご存じなかったと思います。


ある日、私たちはサロブラ川でいつものように6メートルのアルミボートで釣りをしていました。 船の幅はわずか1メートルほどです。 お父様はいつも船の前方に座って漁をされ、私は船の後部に座ってモーターを操縦し、お父様の背筋を見ながら静かに魚が来るのを待っていました。 突然、お父様の体が動き始め、魚を巻き上げているのが見えました。しかし、魚が掛かった釣り糸が底に引っかかってしまいました。 お父様はロッドを数回しならせましたが、釣り糸は川底から離れようとしませんでした。 それから私はお父様が失望して肩と頭を落とされているのを見ました。


お父様ががっかりされているのを見て、「私は飛び込んで魚を獲ってきましょうか?」と聞きました。お父様はとても驚かれましたが、親指を上に向けて同意されました。水に飛び込む前に、私はお父様に水中からどうやってコミュニケーションをとることができるかを説明しました。 「短い間隔で2回釣り糸を引いた時は、釣り糸を緩めて下さい。 長い間隔で2回釣り糸を引く場合は、釣り糸を巻き取ってください」


私はシャツを脱いで水に飛び込みました。 この時期のサロブラ川は水中にミネラルが多く含まれているため黒く、水が重く感じられました。 魚を見つける唯一の方法は、片手で釣り糸を辿っていくことでした。


釣り糸に触れると、水の上のお父様を感じることができるようでした。 その時、釣り糸のかすかな動きで、お父様の魚を捕まえようとする危機感と必死の気持ちを感じました。


お父様が使われていた釣り糸は二股になっていて、二つの釣り針が付いていました。 1 つに魚がかかり、もう 1 つは川底の木に引っかかっていました。 底には太陽の光はほとんど届いていませんでしたが、スポットライトを浴びて必死に逃げようとする魚の姿が見えたので不思議でした。 パクーでした。 釣り針を木から外すには、パクーが落ち着く必要がありました。 どういうわけか、私はその時、魚に触れれば魚はもがくのをやめるだろうと知っていました。 パクーを手で触ってみると、魚は本当に落ち着きました。 そうして、もう片方の釣り針は問題なく外すことができました。


それから私はお父様に釣り糸を引き上げるように合図しました。 魚は水面に向かって上がり、網に入りました。 私はパクーとともに浮上しましたが、お父様を驚かせたかったので、水にしばらく潜ったままでいました。 そして、ボートの後ろに向かって隠れて泳ぎました。 パクーが無事に捕獲された後も私が水から上がってこないことをお父様が心配しておられる時、私は水から飛び上がってお父様を驚かせました。 それはお父様を笑顔にするためにしたのです。


私がボートに上がった後、お父様は私が魚を捕まえるのを手伝ったので、その魚の半分はお父様のもので、半分は私のものだと言われました。 その後さらに2回、お父様は私に同じことを繰り返されました。


私がお父様のために初めて川に潜ったとき不思議だったことの一つは、水の中に深く潜ると、どういうわけか自分が上に上がっていくように感じられたことです。 しかし、二回目からは違いました。 飛び込むたびに、さらに深く暗闇に落ちていくような気分でした。


数年後、私はこのプロセスが地獄の門を開く一部分であることを理解するようになりました。 地獄の門は単一の門ではありません。 それは多くの層で構成されていました。 天国と地獄がつながるためには、天国の門と地獄の門が開かれなければなりませんでした。 お父様が地獄の門をある程度の深さまで開いた時点で、私はヒトラーのような人々のビジョンを体験し始めました。 お父様の釣りという行為は、物質的な領域と霊的な領域を結び付けていました。 お父様は犯罪者たちに食べ物を与えて地獄から誘い出し、釣りという行為を通じてパンタナールで歴史的犯罪者たちを救っていました。


釣りをしながら、お父様の背中を見続けるうちに、私はとてもお父様に敏感になりました。 お父様の帽子のかすかな動きにも注視するようになりました。 魚が川底に絡まっても、お父様は私に潜るようにとは決して言いませんでした。しかし、私はお父様の帽子と顔の小さな動きを見て、お父様が何を望んでいるのかを感じました。ダイビングをしていくうちに、私はますます霊的に敏感になっていきました。 お父様の釣り糸を手に持って潜ったとき、糸のわずかな動きから文先生の気持ちを感じました。



お父様のナビレケでの日常


その後、私はお父様に同行して、ナビレケ周辺のより大きくて深い川で釣りをするようになりました。


お父様の日課は、他の人々が従うには非常に大変なものでした。 お父様は4時頃に起きられ、メンバーとしばらく本を読まれた後、6時頃から釣りに出かけられました。 条件をされている期間は、午前2時半から釣りを始めることもありました。


普通は、ナビレケから出発して、いくつもの釣り場に立ち寄りながら、上流へ向かいました。時にはプエルト・レダを通り過ぎた場所まで行くのですが、そこまでは約100km移動しました。暗くなったら、止まらずに3、4時間かけてナビレケに戻りました。お父様はお母様と電話で話すために午後8時ごろに戻ってくることもありましたが、通常は午後10時ごろに家に戻られました。


暗くなると光がないので川を進むのは非常に困難です。光は月と星からだけです。川が分かれたり曲がったりして、とても見えにくいのです。 夜間、船長は簡単に間違いを犯し、浅瀬や川岸に乗り上げてしまう可能性があります。


このような時、お父様は私を「ゴースト(幽霊)」を呼ばれました。どういうわけか私が暗闇の中でも目が見え、毎晩ボートを運転し、無事に家に帰ることができたからです。 実際、私も他の人たちと同じように、暗闇では目がよく見えませんでした。 しかし、私は星からの光が水面にわずかに反射することで、水と陸を区別する方法を知っていました。 少しでも油断すると家から何時間も離れたところで事故を起こす可能性があるため、長時間運転の中で集中力を切らさないようにする必要がありました。


サロブラでは3人乗りの小さなボートを使いましたが、ナビレケでは28フィートのグッドゴーというボートに4~8人ほどが乗りました。川もさらに危険でした。 水の中にはピラニアやジャッカレ(ワニに似た動物)がいて、蚊の数も増えました。 暑さも増しました。


サロブラに比べてナビレケは全てにおいてレベルが高い場所でした。


お父様と信者たちが早朝に訓読会を行っていたとき、私は普段は出席しませんでした。 ボートを掃除をして釣りの準備をするために港にいる必要がありました。


ある日、お父様が訓読会の最中に私を呼ばれて出席するように言われました。 私は韓国語さえ理解できなかったので、この会合には参加したくありませんでした。 そこでは床に座る必要がありましたが、それは私にとって難しいことでした。釣りのためにボートの準備も必要でしたが、私はしぶしぶお父様の指示に従い、壁に背を付けて座り参加しました。 何を話しているか分からないので、寝てしまいました。


翌日、お父様がまた訓読会に参加するために私を呼ばれました。 訳も分からずまた参加しました。 お父様は私に毎朝出席することを望んでいると分かりましたが、翌日は出席しませんでした。 お父様はまた私を呼ばれて、「なぜ出席しないのか?」と尋ねられました。 私が理由を話したところ、お父様はこう言われました。「たとえ寝てしまってもこの集会には出席しなくてはいけない」そう言われたので、訳も分からずに参加していました。


何年も経ってから、原理、教会の歴史、韓国語について何も知らなかった私が、なぜこれらの集会に参加する必要があったのかを理解するようになりました。 その集会に座っていると、「パク・マリア」と「リー・サンハン」という言葉が何度も聞こえてきました。お父様が、当時ナビレケでされていたことは、これらの名前に関係しているということを後で私に知らせたかったのだと、今では理解しています。


朴マリア


パク・マリアを赦し解放する条件はサロブラで始まりました。数年間かかりましたが、この条件の最後の日に何が起こったかを話したいと思います。


当時、私たちはナビレケから釣りをしていて、川にはピラニアやジャッカレがたくさんいました。 ピラニアが釣り糸のそばを通過し、レーザーのような鋭い歯で釣り糸を切ってしまうことがよくありました。


その時、3日の間、私たちはピラニアがたくさんいる同じエリアで釣りをしていました。写真撮影を担当したユンさんは、川に食べ物を落とし、水面でそれを食べるピラニアの様子を撮影して動画を作成していました。


この3日間の空気はとても重く感じられました。その3日目に、お父様の釣り竿にかかった魚が川底に引っかかってしまいました。この時、私はどうやってピラニアを避けて川底の魚をいつものように獲ることができるかを考えました。私はピラニアに何度か噛まれたことがあり、ピラニアがいつ襲ってくるか知っています。別の場所から静かに水に入り、魚が川底に絡まっている場所に近づく必要がありました。


水に入る前に、お父様は私に、「命の危険を感じたら水に入らなくてもいいよ」と言われました。これは始めてのことでした。しかし、私は行くことにしました。 私は周りの人たちから幾度もお父様はメシアだと言われていました。そういう偉大な人の近くで死んでもいいのかな、と思ったのです。また、私がこの水に飛び込むことは、お父様にとって大きなリスクであることもわかっていました。もし私が死んだら、地元の人々はレバレンド・ムーンが魚を獲るためだけに人を水に潜らせて死なせたと、噂になってしまうはずだからです。


私はゆっくりと水に入り、ピラニアを引き寄せないように注意しながら現場に近づきました。 いつもはシャツを脱いでダイビングするのですが、今回は肌が水にさらされていない方がピラナの匂いがしないだろうと思い、シャツは着たままでした。


魚がいる場所まで水面を泳いでから、絡みの正確な位置を見つけるために2回潜りました。3回目、水に潜る前に、できるだけたくさん息を吸い、水面下に入りました。 ちょうど私の頭が水に入ったとき、私は霊的な世界に入り、ビジョンを見始めました。


私が霊的なビジョンの中に飛び込んだとき、私が感じた最大の恐怖は、私とお父様を繋ぐ釣り糸がピラニアによって切断されることでした。 もしピラニアが通り過ぎて釣り糸を切ったら、私はお父様との繋がりを失ってしまいます。暗闇に進みながら、釣り糸が光るのが見えました。


ビジョンの中で、まるでイグルーのような形をした家が見えました。しかし、この家には壁の外側と内側に鋭い針が無数にありました。その中に人がいるのが見えました。その人は、針のせいで壁に寄りかかることができず、家の中央でうずくまっていました。 それは女性でした。 彼女はとても悲しそうで、私は彼女の恥ずかしさを感じました。髪が顔を覆っていたので、彼女の顔ははっきりと見えませんでした。


そして現実に戻り、家が見えた場所に一匹のパクーを見つけました。いつものように魚を手で触ると、魚はおとなしくなりました。そして私は川の底にあった木から釣り糸をほどきました。この場所の近くには木がなかったので、どこからこの木が来たのか不思議でした。


私はボートに戻る準備ができていたので、長い間隔で二度釣り糸を引いて、お父様に糸を引き上げるよう合図しました。 しかしその瞬間、私はあることを思いついて、もう一度短い間隔で釣り糸を二度引いて、お父様に待つ合図をしました。 私の考えは、この機会にこの場所から木を撤去し、お父様がこの場所で釣りをされたときに魚が二度と引っかからないようにすることでした。


そこで私は木を持ち上げるための良い足場を川底に見つけました。木を川底から持ち上げて自由に動かせることを確認したとき、私は再びお父様に最終的に釣り糸を引き上げるように合図しました。


お父様がゆっくりと釣り糸を引く間、私は片手に釣り糸を持ち、もう片方の手で木を持ちました。 通常、お父様は魚を水から引き上げるのに他の人に網を使わせるのですが、今回は自らが網を使ってパクーを水から引き上げて船に入れられました。


それから私はゆっくりと木を水面に近づけました。 お父様はその木を見て、「ああ、グッド、グッド」と言われました。私たちはその木を船に持ち込み、その後ホテル・アメリカーノで燃やしました。 当時、私はこの魚とこの木の意味が分かりませんでしたが、後になって、この魚がお父様にとって非常に重要な人物であるパク・マリアを表していたことを知ることになりました。


通常、私は釣った魚のサイズを測定して、地元の法律に従って保管できるかどうかを確認します。その時に釣り上げたパクーを測ろうと手にとった時、あまりの醜さに驚きました。 普段キープするような魚ではありませんでした。 口の周りに寄生虫がいて明らかに病気がある魚だったので、食べるのには適していませんでした。 しかし、お父様はその魚をキープされたかったのです。


28フィートのグッドゴーでは、真のお父様はいつも後ろのエンジンカバーの上に座っておられました。 エンジンカバーのすぐ前の床に水槽があり、魚を生かしておくことができました。私はパクーを水槽に入れて船を片付けて帰る準備をしました。


釣り場から離れると、何か全く違う場所に出るのを感じました。 ユンさんは「これ、あなたも感じる!?ワオ!」と言いました。 それまで、私たちは重たい霊的な雰囲気を感じていましたが、ボートを運転していると、その重たい世界から抜け出し、ボートが飛んでいるように感じました。そして、ボートに大きな旗がはためいているように感じて、なにかに勝利したような気持ちになりました。


川は頻繁に曲がるので、ボートを運転しながら周囲を見回す必要がありました。後ろにいるお父様の方を少し見たとき、お父様は前に向かって座っておられ、ある女性がお辞儀(キョンべ)をしているのが見えました。 船を運転するために再び前を向かなければなりませんでしたが、もう一度振り返ると、お父様が彼女を抱きしめているのが見えました。


私たちは北からフエルテ・オリンポに向かって進んでいたのですが、ホテル・アメリカーノを過ぎたとき、お父様が突然、「ストップ、ストップ」と言われました。 私が速度を落とすと、お父様は私にホテル アメリカーノに向かって前を向くように言われました。


それからお父様は私に、先ほど捕まえたパクーをリリースするように指示されました。 私は「お父様、アンカーする必要がありますか?」と尋ねました。 しかしお父様はノーと言われました。 そこでエンジンを切って水槽を開けました。 網を入れてパク―を捕まえようとしたのですが、不思議なことに、そのパクーはとても活発でした。 さらに奇妙だったのは、パクの見た目が全く違っていたことでした。パクーを水槽に入れる前は明らかに病気をもっていて、寄生虫までついていました。 しかし、その時水槽から出てきたのは美しい魚でした。


私はそれが以前のパク―だとは信じることができず、水槽の中にまだもう一匹パクーがいるのではないかと思いました。 驚いて水槽を覗く私を見て、お父様は微笑まれました。私は水槽の注水口を塞ぎ、小さなバケツで水を抜いて水槽をある程度まで空にし、病気の魚を見つけようとしました。しかし、やはり別のパク―は水槽の中にはいませんでした。


私はそのきれいなパクーにキスをしてから水の中に放しました。 通常、魚を放すとすぐに船から逃げてしまうのですが、今回はパクーが何回か船の近くを泳ぎ、イルカのように水上に姿を現してから消えていきました。お父様はパクーに向かって手を振っておられました。


これらすべては1998年の出来事ですが、これは3年間の厳しい条件の後に起こりました。


霊的な導き


私は幼い頃から、やがていつか真のお父様に出会うと言われてきました。 私が5歳のとき、私の父は私を池に連れて行き、釣り竿を握らせました。 彼は私に夕食のために魚を捕まえるように言い、トラクターで仕事に行きました。


私が一人座って釣りをしていると、肩に袋を掛けた貧しい男が藪の中から出てくるのが見えました。 彼は「あなたと話さなくてはいけない」と言いました。それから彼は袋から本を取り出して開き、東洋風の服を着て帽子をかぶった男性の白黒写真を見せてくれました。そして、 「この人がくる」と言いました。


この貧しい男は私に写真を見せた後、再び藪の中に入って行きました。その直後に父が現れ、私はトラクターに乗り込みました。 私はトラクターの高いところから先ほどの男を見つけようとしましたが、もういませんでした。 藪が短くて隠れる場所がなかったので不思議でした。


何年もの後、真のお父様の御聖婚の時のお写真を見て、私が5歳の時に見た白黒写真が真のお父様の写真であることがようやく分かりました。


私はお父様とパンタナール聖地を守ると約束して以来、常にその約束を果たそうと努力してきました。 しかし、試される時期もありました。 2008年と2010年、私は限界に達し、何もする力がないと感じていました。 しかし、真のお父様はこの瞬間に霊的に現れ、私に語られました。


最近も、真のお父様は二度夢に現れました。 この夢の中で、真のお父様は、「パンタナール摂理を助けるために、私が直接人々を導き、閃き(ひらめき)を与えている」と私に語られました。


より多くの人々が導かれ、海の摂理、パンタナールの摂理、心の摂理、水の摂理を理解できるよう祈ります。


(了)


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