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Writer's pictureOcean Hobby Seminar

サタンの自然屈服の歴史、南米ナビレケとサロブラ

Updated: Aug 17, 2021

ピーター・パウロ・アルヴェス・ピニェイロ氏の証より

私はこのパンタナールを忘れることができません。ここは、霊界の相軒氏を通じて、朴マリヤ家庭に対する神様の願いを受けて深刻になった場所です。どうして神様がそのようになったのかというのです。悔しくて恨めしいのです。そのようなことを考えれば、はらわたが煮えくり返って骨がしみ出てこなければなりません。(296-43, 1998.10.11)
韓国から見れば、パンタナールは極と極です。日本から見るときもそうです。パンタナールは地球の果てです。そこには源焦聖地があり、根源聖地があり、勝利聖地があります。これはとても大きなことです。根源聖地は、パンタナールにあるホテルに設置されているのですが、そこは、水があろうと何があろうと何の問題もありません。水上宮殿が造られているのです。(304-110, 1999.9.10)
聖地を守り、聖地の名をより高めることは、日本人が国家的にしなければなりません。(304-110, 1999.9.10)

根源聖地は、ブラジルのマト・グロッソ・ド・スル州ナビレケにあるホテル・アメリカーノにあります。(https://goo.gl/maps/MSQMdCys3jj4krReA)

サロブラの聖地 (1,064 ヘクタール) は、ブラジルのマト・グロッソ・ド・スル州ミランダにあります。(https://goo.gl/maps/GsA5mZjoweuMEh5n9)


神様と大天使ルシファーの歴史を記録するために、子々孫々に語られるべき物語がこの地にあります。これは、無限の愛と赦しによって地獄の門を開き、1999年にサタンが自然屈服することで復帰摂理を完成させた再臨主の物語でもあります。


この物語は、真のお父様に目撃者として任命されたブラジル人のピーター・パウロ・アルベス・ピニェイロ氏によって語られなくてはなりません。西暦1999年5月14日にナビレケのホテル・アメリカーノの14号室で、神様、お父様、とルシファーの歴史的な出会いと、その日に至ったサロブラでの肉的・霊的な戦いを誰よりも身近で経験した人物です。


なぜ、韓国・日本の反対側の、誰も寄り付かない未開の湿地帯が、源焦聖地・根源聖地・勝利聖地であるのかを理解するためには、ピーター・パウロ氏の証を聞く必要があります。また、この時代に先祖解怨と祝福という恐ろしい恩恵を私たちが受けれるようになった根拠が、このパンタナールでのお父様の歩みにあります。


ピーター・パウロ氏は、21歳の若き船長として、真のお父様がパンタナールの湿地で最初に購入した土地であるサロブラで御父母様に出会い、船の運転手として仕えました。当初は教会員ではなく、原理教育も受けていませんでしたが、パンタナールで真のお父様の霊的役事を誰よりも近くで体験し、ナビレケとサロブラの証人として真のお父様に任命されました。1998年、真のお父様はパウロ氏と相対者のマルシア・クリスティーナさんを、3億6千万祝福の第一号のカップルとして祝福されました。


OHS 2021.6.4


(この証は、2021年5月~6月に音声データとして録音され、ポルトガル語で文字起こしされた後、ピーター・パウロ氏の許可を得て英語・日本語に翻訳されたものです。)


ピーター・パウロ・アルヴェス・ピニェイロ氏の証言

「ナビレケとサロブラの聖地の重要性」


サロブラの土地を購入

サロブラは1996年に購入されたのですが、もともと真のお父様は1995年(私が初めて真のお父様にお会いした時)に購入を試みられました。1995年にこの土地は売りに出されていましたが、真のお父様が買おうとされた時には、すでに別の買い手に売却されていました。


1996年に真のお父様は、ユン・サン・キム博士(元ジャルジン・プロジェクト会長)に、パンタナールの湿地帯で購入できる土地を探しに行くように言われました。そんなある日、ルイス・リバスという不動産業者を連れて土地探しをしてたのですが、見つからず、キム会長は道を迷いながらお父様が待たれるジャルジンに向かい帰途についていました。実はキム会長は寝ていたのですが、運転手は昼食をとるためにサロブラホテルのレストランの前に車を止めました。ホテルのレストランで昼食をとりながら、キム会長はホテルと土地のオーナーであるクラウディオ氏に話を聞き、サロブラの土地とホテルが再び売りに出されていることを知りました。以前、売却されていたのですが、その購入者が破産し、支払いを完了することができなかったため、裁判所で元のオーナーであったクラウディオ氏に回収され、再度売りに出されていたのでした。


キム会長はジャルジンのニューホープファームに帰ると、お父様には湿地帯で売られている土地は見つけれなかったと報告しました。しかし、サロブラが売りに出されていることを話すと、お父様がは素早く反応され、すぐに購入することを指示されました。キム会長は「でもサロブラは湿地帯ではないです。岩ばかりです」と言うと、お父様は「サロブラならば購入してもよい。購入しなさい」と指示されました。


その夜の内にルイス・リバス氏がクラウディオ氏に電話をかけ、クラウディオ氏はミランダからジャルジンまでの200キロの距離を旅し、次の日に会い来ました。2日間の内に、売買が合意されました。それは1996年8月4日と5日の出来事でした。


真のお父様は、1996年8月8日の午前8時から9時の間にサロブラの土地に到着されました。お父様はそこに着くと景色を見られ、「これはとても美しい」と言われました。


実は真のお父様はすでにスーツケースに荷物を詰めており、キム会長が湿地に購入できる物件を見つけられなければアフリカに行く準備ができていたそうです。真のお父様は、3度にわたり、「サロブラ農場が見つかっていなければ、アフリカに行くつもりだった」と私に直接話されました。サロブラは、地理的にパンタナール湿地帯に位置しています。農場の中に湿地があります。


こうして真のお父様はサロブラ牧場を購入されました。真のお母様と数名のご子女様やお孫様たちと共にこの地で生活されるようになりました。


サロブラで釣りが始まる

真のお父様がサロブラを購入された時、私はサロブラで観光客用の船の運転手として働いていました。私はまだ教会員ではありませんでしたが、真のお父様がこの地域で最高の船長を探しておられたので、私が選ばれ、真のお父様の釣りのために船を運転することになりました。当初、真のお父様がサロブラ農場で日々を過ごし始められた時、私には自然を研究する観光者のように見えました。お父様は落ち着いておられましたが、その態度に深みを感じました。日々の釣りの活動は、ごく普通に見えました。


ある日、私は真のお父様に初めてサロブラ川を紹介しました。濁ったミランダ川では魚があまり釣れませんでした。サロブラ川はきれいで観光に適していたので、そこに行くことを提案しました。それまでお父様はパクーという魚を知らなかったのは、それまで金色のドラドと言う魚に集中しておられたからです。サロブラ川でパクーを釣り始められたとき、一匹も釣れませんでした。それから真のお父様はパクーの釣り方を調べ始められました。その地域についてもっと知りたいと言われたので、私たちはさらに川を上りました。


そして、私たちは真のお父様をバイア・プレタ(プレタ湾)という森の奥にある私たちが観光客を良く連れて行く場所までお連れしました。その日は鹿やワニなど、ありとあらゆる動物を見ました。真のお父様はその動物や風景を見られ、「アフリカと似ている。しかし、誰も理解できない違いがある」と言われました。


このように真のお父様の最初のサロブラ滞在は終わり、突然、サロブラを去って行かれました。 その時、私はどこに行かれたのかは知りませんでした。


サインを探す3日間

ある日、真のお父様がサロブラに戻って来られました。アラスカのコディアックから来られたようで、お父様は私に、「ここに3日間滞在するが、ここにはあるサインを探しに来た。このサインが見つからない場合は、アフリカに去る」と私に言われました。ある人がお父様の言葉を私に通訳していたので、私は通訳者の方を見ながら話を聞いていました。しかし、真のお父様は私の顔に手をあて、お父様の目を直接見るようにと、私の顔をお父様の方に向けられました。そして真のお父様は私のすぐ近くに座り、私の肩に手を添えられ、この3日間の私の責任がどれほど重要であるかを表現されました。


真のお父様は、この「サイン」を見つけなければアフリカに去るとおっしゃっていたので、もしサインが見つからなければ、本当にサロブラに戻って来られることはないと思いました。


真のお父様にはたくさんの人が従っているのを見ましたが、お父様がそのサインについて私に直接話してくださった時、もし何のサインも見つけられず、南米を離れるようになれば、私のせいになってしまうと感じました。実際、この会話を聞いていた周囲の人々の雰囲気は、お父様がサロブラに留まるかどうかは私の責任だということを非常に明確に私に感じさせました。そこで、私の友人、同僚、他の船長もこのサインを探すのを手伝い始めました。しかし、このサインが何なのか、誰も知りませんでした。この3日間はとても、とても重く感じられました。3日目に、真のお父様はパクーを釣りあげられたのですが、このパクーが、真のお父様が求めておられるサインを表していることを後で知りました。


その3日間は、私にはとても難しい時間でした。私は真のお父様に魚の釣り方をアドバイスするために、他の人を介して真のお父様とコミュニケーションを取ろうとしました。しかし、誰も私のアドバイスをお父様に伝えようとしませんでした。彼らは、「レバレンド・ムーンはメシヤなので、すでに多くのことを知っている」とさえ、私に言いました。そこで私は、「それならばなぜ、レバレンド・ムーンは指を鳴らしてサインを出させ、魚をボートに飛び込ませないのですか?」と尋ねました。


真のお父様は、朝5時までに船の準備をするようにと私に言われておられました。正確な時刻を教えてくださらなかったので、私は朝の2時から待っていました。お父様の近くにいた多くの人々は、「お年寄りなのでそれほど早く出かける必要はない」と言いました。私は彼らに、「あなたたちは、あなたたちが父と呼び、老人と呼ぶ人の強靭さを知らない」と言いました。


時が経つにつれて、私はこれらの人々が「レバレンド・ムーン」と呼ぶ人物を本当に理解していないと感じるようになりました。真のお父様と時間を共にすればするほど、周りにいる人々が、真のお父様の言うことを信じていないことを感じました。


毎朝、私のボートが船着き場で準備されてから5分以内にレバレンド・ムーンは現れ、すぐにボートに乗られました。しかし、私たちは他の人を待たなければなりませんでした。他の人がレバレンド・ムーンのルーティンに従わなかったので、この状況に対処するのは私にとって非常にストレスが溜まることでした。


このような3日間の後、真のお父様は再びアラスカへと出発されました。再びサロブラに戻ってこられたときは、まったく違う人のようでした。さらに真剣になられたようでした。


地獄の門を開かれる

ある日、真のお父様の竿に魚がかかったのですが、川底の枝に魚が絡まってしまいました。私は水中に潜って釣り糸のもつれをほどき、ボートに魚を持ってきました。そうすると、真のお父様は、「あなたが助けてくれたので、魚の半分は私のもので、残りの半分はあなたのものだ。あなたが私を助けるたびに、それは半分と半分になるよ」と言われました。このようなことは何度も起こりました。お父様の魚や釣り針が引っかかるたびに、私は「行ってもいいですか?」と尋ね、 自分の自由意志で水に入りました。真のお父様は私に水に入るように一度も命令されませんでした。水はより深くなり、水の温度が異なり、ワニとピラニアも多い場所もあり、より難しく危険になりましたが、水に飛び込むのはとても自然に思えました。

これらの釣りの日々の間に、36万カップル祝福の条件が始まり、その後すぐに3億6千万カップル祝福の条件が始まりました。真のお父様は、ある日突然、私の祝福について尋ねられました。お父様はボートの中で私と妻の写真でマッチングされ、ニューヨークに行って公式にするように言われました。私はパスポートを持っておらず、事務手続きのために釣りを離れたくなかったので、このまま釣りを続けたい、と言いました。そうすると、ジャルジンで祝福を受けるようにと言われました。お父様は私たちが3億6千万のカップルの中の最初のカップルだと言われました。


また、この期間、真のお父様は霊界の宗教指導者、聖人、犯罪者を救われました。イエス、ブッダ、ヒトラー、ムッソリーニ、毛沢東などの34の祝福がありました。この間、真のお父様と釣りをしながら多くの霊的経験がありました。


私が水中で絡まった魚を追うために水に飛び込むと、毎回、霊体験をしました。私はお父様の釣り糸を手でたどって水中へ入るのですが、水中に入ると別世界に入ったようで、戦場のような全く別の景色を見ました。それぞれ釣りあげた魚は異なる特徴を持ち、歴史的人物を象徴していました。例えば、真のお父様はブッダを象徴する魚を捕まえたとき、湖のほとりに陶器の仏像を持ってきておられました。非常に変な経験でした。その時、私はお父様が何をされておられるか理解できませんでしたが、霊的なものをたくさん見ました。真のお父様は何も言われず、ご自分の唇に指を当て、私が見たものについては何も言うなという仕草をされました。また、ご自分の胸に手を当てられ、私に落ち着くようにと伝えられました。


これらの経験は、あるパクーを釣り始めたときに始まりました。枝にもつれた魚を追って水に入ったところ、ある道の風景を見ました。ナチズムの象徴である卍の印を多く体に付けた裸の男が、石や棒切れを投げる人々から逃げている風景を見ました。裸の男はどこにも隠れることができませんでした。釣り糸を手でたどると、この裸の男も釣り糸を手に持っているのが見えました。そして釣り糸を私が揺らすと、一気に景色が変わり、魚が現れました。その魚を手にボートに戻り、魚をボートに乗せました。魚の大きさを測定しよう良く見たら、その魚にはひっかき傷が多くあり、卍の印がいくつも付いていることがわかりました。


捕った魚はそれぞれ、誰かを象徴していました。この卍印の魚を捕った時、真のお父様は私の手を取って祈られました。私はこの状況を誰にも話しませんでした。誰も信じなかっただろうし、人々はレバレンド・ムーンが私を洗脳したと言うだろうと思ったからです。このような経験をしても、私が船から降りたくなかったのは、レバレンド・ムーンが私の助けを必要としていて、周りの人々が彼を理解していないことを知っていたからです。その時、危険な水に飛び込むだけの体力と勇気を持った人を真のお父様は必要とされていました。


当時の私は霊的条件の原理については理解していませんでしたが、この方が助けを必要としており、人々がこの方を理解していないことは知っていました。レバレンド・ムーンと一緒にいると霊的な領域で物事を見れることがとても興味深く思われました。私は南米の先住民族の子孫であったので、メシアのような方が南米に来ることをすでに理解していました。


3億6千万カップルのうち最初の36カップルの祝福が始まると、真のお父様はパラグアイのフエルテ・オリンポに行くことについて話し始められました。真のお父様からフエルテ・オリンポまで一緒に行こうと言われたので、パラグアイ川で釣りを始めました。ナビレケはフエルト・オリンポから10キロほど離れた上流に位置していました。 サロブラに比べて、フエルト・オリンポでは状況が大きく異なっていたので、私はさらに辛抱強くなくてはなりませんでした。私はピラニアの群れの真ん中でランバリ(小魚)になった気分でした。 私が西洋人で、真のお父様に近く侍り、毎日船に乗っていたせいか、他の人は私がいることを嫌がりました。そして、私の代わりに船を運転したい人もいました。ある時、真のお父様は彼らに「あなたが彼(パウロ)の代わりに船を運転したいのなら、そうしなさい。ただし、彼ができる全てのことをあなたができる場合ならね」と言われました。私が真のお父様のためにしていたことは、物質的なことだけでなく、霊的なことでもありました。


私はまだ原理を知らなかったので、実際には教会員ではありませんでした。私にとって、レバレンド・ムーンが私に何かをするように頼んだとき、彼がいなくてもそれに従う必要がありました。 レバレンド・ムーンの命令に従うときは、他人に影響されないようにしました。他の人は、「レバレンド・ムーンがここにいないときは私が責任者だ」と言いました。しかし、私は気にすることなく、常に真のお父様の命令に従いました。人の真価は、誰も見ていない時の振る舞いに表れると思います。多くの人々は、真のお父様が到着する直前になってから真剣に準備を始めるので、私は非常に苦労しました。


ナビレケとサロブラを行ったり来たりしていたこの期間、真のお父様は私に祈祷室に来て訓読会を聞くように言われたのです。この時、パク・マリアについての文章を読んでいたのはパク・クーベさんだったと思います。内容は次の通りです。真のお父様がパク・マリアを許すには2年かかりました。それから、お父様は霊界で彼女を探し、それから彼女を許す条件を立てなくてはいけませんでした。パク・マリアを許す条件は、1997年にサロブラで完成しました。真のお父様がサロブラに21日間滞在し、湿地に生息するパクーやその他の種類の魚を36匹釣りあげられました。その日に真のお父様は条件を満たされ、勝利されたことを祈られました。


1997年、真のお父様は地獄の門を開かれました。それまでは、地獄に行って誰かを訪ねることはできても、そこから救い出すことはできませんでした。しかし、真のお父様がサロブラで地獄の門を開かれ、今では地獄の霊たちを救うことができるのです。真のお父様は絶対服従、絶対信仰、絶対愛をジャルジンで宣言されましたが、それはサロブラで始まりました。

3億6千万組のカップルの祝福は段階的に起こりました。第1段階はサロブラ、第2段階はナビレケ、第3段階はウルグアイのプンタ・デル・エステでした。1997年、真のお父様はパンタナール摂理とジャルジン摂理を分離するように祈られました。しかし、1996年にすでに分離していて、パンタナールはアラスカとつながっていたとも言われていました。アラスカ摂理は、パンタナール摂理と直結しています。 パンタナールはかつて海の下にあったため、淡水と海水があります。


真のお父様は、サロブラに人間が足を踏み入れていない場所を見つけました。この湿地には、創造の原形がそのまま残っています。サロブラは、将来だけでなく、今も神様の摂理にとって非常に重要です。同時に、これは地球の反対側にある韓国の鏡であると言われました。ここで起こったことはそこに反映されます。これらの土地を売却することを考えるのは非常に危険です。これらの神聖な土地を過小評価してはなりません。この土地は、未来だけでなく、今も、摂理にとって計り知れない価値があります。ここでは人間としての振る舞い、倫理、および精神的な教育を実行するべき場所です。これは海洋摂理の一部です。パンタナール摂理について話していますが、これは水、釣り、ボートでつながっているという意味で、海洋摂理でもあります。


私は1998年と1999年にサロブラに戻りましたが、真のお父様は3億6千万のカップルの第1、第2、第3段階の条件を整えておられました。私は1998年に祝福を受けました。真のお父様はいつも私の家族の状況を心配してくださり、妻がどこでどのように過ごしているかをよく尋ねられました。私の妻はサロブラにいましたが、1998年末にフエルテ・オリンポに短く滞在したことがありました。


真のお父様は船の中でよく祈られました。私はお父様が何を祈られているか興味がありました。キム会長は祈りの内容を私に翻訳している間、お父様はボディーランゲージを使われて私とコミュニケーションを取ろうと努力されました。私が教会員ではなく原理をまだ知らなかったのに、なぜお父様はこんなにも私とコミュニケーションを図ろうとしたのでしょうか。その理由は、私の忠誠心をご存じで、私が約束を守る人間だとを知られていたからだと思います。


サタンの降伏

真のお父様は、「パンタナールに来る前の私の祈りは、1000年以内にすべての血統問題を解決することだった。しかし、パンタナールに私が来たから、あっという間に全てを解決することができる。目を瞬きする間に全てが変わっていく。このスピードですべてが解決する」と話されました。真のお父様は蕩減条件と犯罪者の救出、そしてサタンの降伏の条件について話しておられましした。


真の父母はルシファーを打ったことはありません。ルシファーが真のお父様に降伏したのは、メシアであるお父様の、神とその摂理に対する誠実さと献身のおかげです。真のお父様は最悪の敵さえも愛されたため、サタンはお父様を讒訴することができませんでした。真のお父様は、サタンの地上での代身である北朝鮮の金日成とソ連のゴルバチョフと会ったとき、彼らを抱擁されました。これらの人々を通して、サタンは地上で初めて「真の愛」を感じたのです。お父様はサタンに真の愛を送っておられたのです。


真のお父様が歴史上の人物を表す魚を捕まえられた際、記録が失われないように、真のお父様とその魚の写真を3回撮りなさいと指示をされました。真のお父様は、魚に代表される歴史上の犯罪者たちと一緒に写真を撮っていた時も、真の愛をサタンに送っておられました。ルシファーが攻撃して真のお父様を殺そうとした時、お父様はルシファーが作った結界を破り、天使ルシファーの本質に触られようとされたのです。ルシファーは自分の中の良心を感じ、3億6千万の祝福の可能性を見て、攻撃を続けていたら自分が排除されてしまう、と悟りました。これに気付いたとき、彼はもう攻撃することを辞めたのです。そして、彼に従う堕天使たちには、彼は弱いリーダーと見なされました。


正しい指導者や王がいると、人々は通常、彼らに従います。しかし、ルシファーは腐敗した指導者だったので、彼に従っていた堕天使たちは弱くなった彼の王座を手に入れようと思いました。ルシファーが弱さを示したとき、彼自身に訓練され従っていた堕天使たちは、ルシファーを王座から追い出し、力を奪おうとしました。 彼らの間に戦いが起こり、1999年3月21日、ルシファーはサロブラに落ちてきました。しかし、彼は悪の創造主であるサタンとしての権威を損なわずに落ちてきたのです。


サタンがサロブラに落ちてくる

1999年3月21日の朝6時くらいに起こりました。私が川に向かって歩いていると、突然何かが地面に落ちてきたことを感じました。実体的でも霊的でもありませんでした。その何かが地面に落ちた衝撃に生じた風さえ感じました。別の話になりますが、サロブラで以前サタンが現れた時と同じ匂いがしました。でも今回は、あの異様な匂いが地面に横たわっているのを感じました。しかし、その時、真のお父様が車で到着されそうになっているのを見て、川に着けてあるボートに向かって走り始めました。 もう夜明けでした。


真のお父様は船に着かれた時、「パリ、パリ!(早く、早く!)」と言われていたので、弁当を持って来ようとしたキム会長がパニックで倒れそうになりました。真のお父様が「行け、行け」と急かされ、その前に何かが地面に落ちるのを見たので、今日は何か特別なことが起こっていることがわかりました。その時は私の中にアドレナリンが流れ、激しい緊迫感の中にありました。私は非常に動揺していましたが、エンジンを始動して離岸し加速し始めました。私の左の岸を見てみると、アイスボックスを持って来た車が遅れて到着し、そこにいた人たちが「止まれ、止まれ」と叫んでいましたが、真のお父様は無視しておられました。それで私もボートを運転し続けたところ、川の途中で、先ほど地面に落ちたものの匂いがしました。真のお父様はまだ「パリ、パリ」と言われたので、ボートが乱暴に揺れても加速しました。その時、真のお父様のお体は大きく揺れながらも、手で強くボートを掴んでおり、その手はアルミの壁を突き破るのではないかと思われました。


真のお父様は何度か川の各所で止まるように言われましたが、何かを探しているように「パリ、パリ」と繰り返され、川を上って行くように指示されました。通常の釣りスポットをすべて通過し、何千もの蝶が集中している場所に到着しました。ほとんどが黄色ですが、一部は白い蝶の群れで、空気中に粉の雲を発生させ、呼吸が困難になるほどでした。粉が酷かったので、すぐにその場を離れなくてはいけませんでした。キム会長の腕に蝶が舞い降りた時、彼は振り払おうとしましたが、真のお父様は1匹も殺してはいけないと言われました。


蝶の群れを通り過ぎた時、真のお父様は私の手を取って祈られました。サタンが降伏したこと、そしてその日以降、サタンは神と真のお父様の計画を盗み聞くことができなくなったと祈られました。また、真のお父様はサタンがどこにいるのかが見えるのに対し、サタンは真のお父様の居場所が解らなくなったと言われました。キム会長は翻訳中、真のお父様に「サタン? サタン?」と繰り返して聞き返していました。しかし、真のお父様は私の方を見られ、「その日のことを何も言わないように」と言われるかのごとく、ご自分の唇に指を当てられました。私は「分かりました」と言いました。そして、お父様は胸の上に手を置かれ、動揺する私に落ち着くように伝えられました。


サタンはその時、ボートに近い川沿いをまるで人間のように歩いていました。森の中で枝が折れる音がしました。サタンは私たちのボートを追い抜こうとして、ボートの前に出ようとしているように感じました。しかし、川の中に倒れた大きな木がある場所までボートを走らせたのですが、サタンは私たちに追いつくことができませんでした。これは、その日以降、サタンが真のお父様を見つけることができなかったことを示しています。


まさかこのような経験をするとは全く思っていませんでした。その出来事の後、小山田さんが別のボートで食事を持って来てくれました。私はまだ非常に動揺し、感情がおさまっていませんでした。小山田さんに、「私が今見たものを話せば、あなたは信じられないでしょう。残念ながら、私はそれを言うことはできません」と言いました。それはアドレナリンに満ちた、とてもユニークで奇妙な冒険でした。私はこれまでにそのようなことを経験したことがなかったし、他の誰も経験していないと思います。小山田さんが何があったのかと尋ねると、真のお父様はサタンの降伏について説明され、私を指され、私がこの出来事の目撃者だと言われました。


その日以降、しばらくはナビレケとサロブラの間を行ったり来たりしました。


神様とルシファーの出会い

1999年5月13日、私たちはナビレケで釣りをしていました。 夕暮れの時、フエルテ・オリンポに戻る途中、ホテル・アメリカーノの前を通りました。通りすがりに雰囲気が悪く感じられ、恐ろしい存在を感じました。サロブラに落ちたサタンは、55日間歩き続け、ナビレケまで歩いて来ていました。真のお父様はホテル・アメリカーノを方を見られ、それから私を見られ、それから静かに頭を下げられました。ホテルの前を通り、パラグアイ川を下ってフエルテ・オリンポ近くで釣りをして、その日を終わりました。


翌日5月14日午前5時40分、フエルテ・オリンポに停泊している船に真のお父様が来られました。その日、お父様はフォーマルなスーツを着ておられました。パンタナールで船上でスーツを着た真のお父様のお姿を見たのはその日だけでした。真のお父様が舟に上り下りするための木製のはしごがあるのですが、そのはしごにお父様が登られている時、私は邪悪な天使が降りてくるのを感じました。悪臭と嫌な異様な感覚がしたので、邪悪な存在だということがわかりました。降りてくるとき、発生した風を感じました。すると、真のお父様はこの存在に寄りかかるような姿勢をされ、その目を見ようとされました。天使は真のお父様のお顔を見ないように、頭を下げました。真のお父様は、さらに天使の目を見ようとされました。お父様の目を避けるように天使は立ち上がったのですが、私はその時に彼の目が赤く、邪悪で怒りに満ちていて、人間の目ではないことが分かりました。真のお父様が前かがみになるのをやめて姿勢を正すと、別の天使が舞い降りました。この天使は手に道具を持っていて、真のお父様を守ろうとしているかのように、最初に来た天使を打ちました。すると、真のお父様は「ここにいる者たちを見ろ」と言うように私を見られ、眉を上げられました。真のお父様は船に登り終えると、すぐに「朝6時までにホテル・アメリカーノに到着できるか」と尋ねられました。私がボートを陸から離したとき、天使たちはもうそこにはいませんでした。


午前6時前にナビレケのホテル・アメリカーノに到着すると、真のお父様は「パウロ、椅子」と言われました。私は「オーケー、アボニム、任せてください」と返答しました。14号室の真下に椅子があったので、この椅子をお父様に持って行くべきなのかと勘違いしました。真のお父様が階段を上られ、私がついていくと、そこにはもう既にたくさんの椅子が見えました。そこで、真のお父様が14号室の下にある椅子に私が座ることを望んでおられたことを理解しました。特にその朝、フエルテ・オリンポで私が目撃した霊的内容があったので、私はボートにいることに危険を感じていたので、ボートには戻らず、14号室の下の椅子に腰を下ろしました。もう朝6時になっていて、上の14号室では異変がすでに起こっているように感じました。私は椅子からボートの方を見て、「もし、何かあったら、ボートを守るのは私しかいない」と思い、勇気をふり絞って椅子から立ち上がったのですが、その瞬間、違う空間に入りました。周りは何も見えず、自分の体と椅子だけが見えました。突然の事に私は絶望し、叫ぼうとしましたが、その時、真のお父様のお姿が見えました。それを見て、「レバレンド・ムーンが居るから大丈夫だ」と自分に言い聞かせ、少し落ち着くことができました。

私が次に見たものは、真のお父様がトイレに隠れるサタンを呼ばれていることでした。真のお父様が扉をあけると、すべてに悪臭が満ちました。次に、真のお父様は神様を呼ばれました。私は神様の光が現れるのを見ましたが、神様はその状況を見られて、直視するのも憚(はばか)られると感じておられるようでした。真のお父様は神様に「お願いします」と非常に謙虚な声で語りかけられ、いつでも背を向けそうだった神様に呼びかけられました。次に、真のお父様は注意深く、サタンに話されました。サタンは話しを聞きたくないようでしたが、真のお父様の声はサタンの外郭を突破し、中にいるルシファーに触ることができました。そこでルシファーは大きなためらいを見せた後、悔いながら頭を下げ、泣きました。彼が頭を下げると、非常に大きな爆発音がし、地球全体が痛みで泣いているのを感じました。ルシファーが泣き出すと、彼の汚れた部位が流れ出し、そして輝き始めました。それは想像を絶するほどの美しさでした。彼は立ち上がり、真のお父様に語りかけ、真のお父様は神様に語りかけました。ルシファーは真のお父様を通して神様と話しているようでした。神様も、最初に現れた小さな光よりも力強い光として現れました。ルシファーは再び真のお父様に向かって頭を下げると、また爆発が起こりました。しかし、この爆発は悲しみではなく、喜びでした。地球上のすべてが喜びの声を上げていました。この時、真のお父様が何かお話をされてから、全てが終わりました。この歴史的な式は終了したようでした。


この出来事は1999年5月14日のことでした。真のお父様はスーツとネクタイを着られ、天使に会うために神様を迎えられました。歴史上初めて、神様が天使に会いに来られました。アダムとエバの堕落以来、神様が天使に会いに来られたのは初めてであり、それはここナビレケで起こりました。 真のお父様は、この式典の後、貴重な場所であるホテル・アメリカーノを購入するよう指示されました。 真のお父様は、サロブラもナビレケも聖域であるが、神様がルシファーと会ったナビレケの方が貴重であると言われました。


これがサロブラとナビレケでルシファーが自然屈服した時の証です。


真のお父様はその後、釣りをされながら、私に直接、約4時間話されました。ずっと話し続けられ、魚が竿に掛かった時だけ話しを停止されました。お父様は私にこの出来事を勉強するように言われ、なんでも質問するようにと言われました。真のお父様は、たとえ命を失ったとしても、決してこれらの土地を離れないと約束するように私に3度話されました。お父様は「あきらめてはいけない。この土地から離れないと約束してくれるか?ここにいてくれる?」と尋ねられました。私は「はい、アボニム、約束します」と答えました。それでもお父様は、「あなたは命の危険を冒してでも守るか? 離れないか? ここにいてくれる?」 と聞かれたので、私は再び「はい、ここに残ります」と答えました。お父様は私に3回約束するように言われました。最後にお父様が私に約束するように言われた時、とても真剣で、私はお父様に恐怖を覚えたほどでした。そして、このような場所にとどまるには通常の信仰のレベルを超える必要があるため、以前にも留まると約束した多くの人々がいたけれども、その約束を守らなかったという歴史があることに気づきました。真のお父様は、「私がパンタナールに来た時、神様も一緒に来られた」と言われましたが、 神がパンタナールから去ったとは言われませんでした。


2012年に真のお父様が霊界に行かれる前の3日間、真のお父様は霊的にパンタナールに来られ、船に乗られ、船から降り、この地を歩かれました。私はお父様がどこを歩いたのかを知っています。これらの聖地、特にサロブラとナビレケを守らなくてはいけません。湿地にあるため、海洋摂理に属します。これらは多くの点で非常に貴重な土地です。このような重要な場所が失われた場合を想像して見てください。


泣かれる王様

ここパンタナールでは、他にも多くのことが起こりました。例えば、真のお父様はパンタナールの地で王に即位されました。真のお父様は僕の僕としてパンタナールに到着されましたが、「すべての勝利を収め、王として去って行く」と私に言われました。私はこのことを自分の自由意志で感じました。ある日、私はお父様がボートに座っているお姿を見て、王に対して敬礼しようと思い立ち、見よう見まねで敬礼をしました。お父様が私にこれらの土地の世話をするように言われたので、私はそれらを王の領地として扱い、私は最も忠実な者となると決めました。それで私はボートの上でひざまずいて、お父様に対して頭を下げました。私がそうすると、真のお父様は泣かれました。あの日、お父様がどれほど泣かれたでしょうか。お父様は立ち上がられ、私にも立つように言われました。私は「私の王、私の王、私の王」とお父様をお呼びしました。真のお父様はその日、大泣きされ、「この地から離れないで欲しい」と私に言われ、いつかここで素晴らしいことが起こると予言されました。私は「その通りです」と答えました。


真のお父様の物語がこの土地にあります。


私はサロブラとナビレケの聖地の守護者であり、海洋摂理の活動メンバーである、ピーター・パウロ・アルベス・ピニェイロです。アージュ、アージュ。


CONTACT: peter.nab@hotmail.com


ナビレケ基金

サタン自然屈服の聖地、ナビレケ聖地を守ろう!


この基金はピーター・パウロ氏がナビレケ聖地へと行き来し、聖地を維持するための基金です。また、その為のボートとその装備の購入にも使用します。(OH304Good Go Project) 将来的には、この基金を通して全世界の祝福家庭が参加できる聖地巡礼の旅の開発もしていきます。2013年からこれまで、$2700が寄付され、ピーター・パウロ氏がナビレケの歴史とこれからの活動を記録していくために使うコンピュータが購入されました。

注:上の寄付機能は、日本からは問題があることが分かりました。申し訳ありませんでした。近日に、ピーター・パウロ氏に直接、寄付を送る別の方法を推奨します。



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