top of page

OHS 2022年2月16日、英語バージョンと日本語翻訳と誤差が見つかったので、〔〕の部分を追加しました。

み旨と海

​目次

序 文

  1. マグロの道 1980年7月13日 ベルベディア

  2. オーシャン・チャーチの設立 1980年10月 1日 モーニング・ガーデン

  3. オーシャン・チャーチとアメリカ 1982年 8月28日 プロビンス・タウン

  4. なぜオーシャン・チャーチが必要なのか 1982年 9月 5日 イースト・ガーデ

  5. オーシャン・チャーチの基台 1983年 6月10日 グロースター

  6. 誰が海を受け継ぐのか 1983年 7月 3日 グロースター

  7. なぜ我々はマグロを捕りに行くか 1983年 8月31日 グロースター

  8. 新たに始めましょう 1984年 2月 8日 ワールド・ミッション・センター

  9. なぜ我々は海の訓練をするのか 1984年 7月 2日 モーニング・ガーデン

  10. マグロ釣りと生活様式 1984年 7月 5日 モーニング・ガーデン

  11. 真の父母と蕩減 1984年 8月  バークレイ

  12. 魚釣りの心情と精神 1986年 7月 3日 モーニング・ガーデン

  13. 海の道 1986年 8月28日 モーニング・ガーデン

  14. 既に出版されている御言葉からの抜粋 1974年~1983年

序文 

1987年 3月

 レバレンド・ムーンは遥かに遠くまで及ぶ目標と広範囲な内容のビジョンを持った人です。そのビジョンはこの世界、特にそれを占有している人類が、神様との関係を結ぶために創造されたという確信に基づいています。ところが人類歴史と現在までの出来事は、私達がそのような人ではないことを全く示しています。私達は神様に喜びと栄光を帰す代わりに、あるいは互いに尊敬と愛をもって生活する代わりに、個人主義的な闘争と頑迷な無知で歴史を継承し、現在もそれに参加しています。

 人類歴史を通して苦しんだのは、人類自身だけではありませんでした。親の立場と心情からすべてのものを創造した神様は、自分の子供達の人生に、より多くの惨めさをもたらした不注意な行為から来る苦痛に、間違いなく絶叫しています。人はこの神様の苦痛と人類の悲惨さを感じる時、どのように反応するでしょうか。人はこの危機に陥った世界にどのように対し、過去の偉大な予言者達や宗教指導者達がやり残した仕事を、どのように引き継ぐであろうか。「十字架をとりて、我に従え」との呼びかけを聞く人は、どのようにしてその呼びかけに真に応え、その意味するところを十二分に生き抜くでしょうか?

 レバレンド・ムーンは幼いころより忍耐し、苦痛を味わいながらこれらの疑問に思いを集中させて来られました。何年もの間、聖書を研究し、熱心に祈祷し、そしてその調査結果を厳密にテストする毎日の生活を通して、これらの答えを発見されました。レバレンド・ムーンは解決するにはただ言葉を語るだけではだめであり、毎日の生活の中でそれらの言葉を現実に実行しなければならないことに気付かれました。先生が始めた、新しくかつこの世界にとって、極めて必要とされるメッセージをもたらすという骨の折れる仕事については、ある程度、文書によって示されていますが、未だに十分ではありません。

 この本の中に含まれている十三の説教と数多くの抜粋は、レバレンド・ムーンのビジョンの一部です。実際、それらは神様を男性達女性達の生活の中に、そして世界を神様の懐の中に呼び戻したいと、真に願っている一人の人の大いなる希望と、実際的な計画を示しているのですから、一部でも特別のものです。レバレンド・ムーンがある企画に自らの手を付け、心情を向けるときは何時でも、それが大きな計画であろうと小さな計画であろうと、この一つの願いによって動機づけられています。それゆえに、海についてのビジョンもその例に漏れません。

 レバレンド・ムーンは、人類が長い間の貧困と広範囲に及ぶ暴力のために、大きな痛手を蒙って来たことを認識しています。私達の地球の環境も同様に、何世紀にもわたって続いている、とどまることを知らない愚かな使い方、すなわち乱用によって苦しめられています。人類はその外的な技術発展を導くだけの内的感受性、霊性を発達させることに完全に失敗しています。このようにして私達は、世界基準での生存を脅かされる一つのジレンマに直面しています。

 レバレンド・ムーンはこのような状態を、世界的スケールと個人的スケールの両面において癒す仕事の必要性を認識しています。善なる世界を持つためにはその中に善なる男達と女達がいなければなりません。善なる男性達女性達を持つためには、まず第一に善なる神様を中心とした家庭の中で育てられた善の子女達がいなければなりません。そのような家庭から善なるコミュニティー、社会そして国家が成長発展することができます。このようにして神様の霊を吹き込まれ、人類の手によって建設された善なる世界が展開することができます。

 悲惨なことに私達は、神様の前に置かれている自分達の貴重な価値について、しばしば気がつかないでいます。それゆえにそれに従って行動することもできないでいます。言い換えれば、私達は人間の責任について無知であるし、またその厳密さを十分に証明もできません。今日の若者達は特に、死の方向に向かって進んでいるように見えます。この混沌とした世界の中に、愛なる神様の存在を経験するのは難しいと感じるのです。その結果、彼らは諦め、麻薬や未成熟で不道徳な愛や、自己目的の達成のみを追及する冷笑的な生活様式、そういう破壊行為の中に自らの絶望的生活を送っています。

 レバレンド・ムーンのメッセージの要の一つは「私達には目的ある生活、つまり神様の本質である愛を体験し、それを証明する生活が与えられている」というものです。その目的は私達一人一人が人間生活の基本的責任に注意を払い、それを感謝するときに初めて実現されます。

 聖書の第一巻、創世記はこの目的を三大祝福という形で表現しています。これらの三大祝福こそレバレンド・ムーンのメッセージの中心であり、それがどのようにして達成されるかということについての彼の明確な説明が、全世界の人々にインスピレーションと方向性を与えています。

 第一祝福は、各人が真の子女、その神様のイメージの人になることを私達に命じています。つまり「生めよ」です。第二祝福は、神様を中心とした結婚と家庭を通して表現される男と女の成熟した永続する愛の達成によって、これを発展させることを私達に命じています。つまり「殖えよ」です。従って子女達は螺旋形に拡大する愛と、安全な環境の中で育てられることができます。この最初の二つの祝福の上に築かれる第三祝福は、宇宙の中で人類が適切な位置を占めるように勧告します。つまり「地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と空の鳥と地を動くすべての生き物を治めよ」。人類は実際、貪欲と利己主義の代わりに、神様の慈愛によって力を与えられ、神様を中心としたこの世界の管理人となります。本質的にはこれらが人類の責任であり、各々が成熟される時それは素晴らしい人生の祝福となります。

 レバレンド・ムーンは、このこととさらに多くのことを心に抱いて、アメリカにやって来ました。彼はこの国の若者達に特別な関心を抱いてやってきており、この関心の大きさは多くの彼の説教の中に示されています。先生は驚くほど多くの数の企画を始めたけれども、先生の努力の中心ポイントはこの国の若者達を育てることであり、そうすることによりアメリカの未来にそして世界の未来が御旨の方向へ、つまり地上天国設立の方向へ向かうようになることです。

 オーシャン・チャーチは、そのような企画の一つです。レバレンド・ムーンがしばしば言われるように「未来の関心のある人は誰でも、海洋に目を向けなければならない」からです。レバレンド・ムーンは、公式には一九八〇年にオーシャン・チャーチを始められましたが、既に海洋での活発な漁業活動に十年以上の期間を費やして来られました。しかし先生が海へ行くのは単に漁をするためではありません。先生は祈祷と瞑想をするためにそこへ行かれました。先生はあらゆる種類の苛酷な条件の下で行われたこの期間の重労働の中から、現在のオーシャン・チャーチの摂理の中で展開されている具体的な計画を設定することができました。ここに述べられた説教は、それらのアイデアの発展を記述したものです。

 海洋は、世界の中でもっとも豊富な資源です。それはまた、世界でもっともデリケートな資源です。海洋を正しく使用するために、男達も女達ももっとも優れた人になるように訓練を受けなければなりません。もしそれ以下の基準で海洋が用いられるならば、それもまた取り返しのつかない時点に至るまで略奪され、汚染されるでしょう。現在、既にそうされているその他の被造世界の数多くの側面と同様に、この道を免れることはできないでしょう。

 レバレンド・ムーンの願いの一つは、海へ行く人達は、それに関連したコミュニティーと事業が正しく鼓舞されて、海へのアプローチの仕方をうまく結合することにあります。もし私達が自分は善なる家庭の立場にいるべきだと理解したならば、私達は全体の利益のために海洋を用いたいと思うはずです。さらに私達は、適切な保存と管理による海洋資源のバランスのとれた開発に、関心を持つでしょう。レバレンド・ムーンの説教の多くが、海洋の持つ可能性と同様、それを保護し管理する必要性についても触れています。「海洋資源が、世界の飢えを十分に満たすために大いに利用されるようになる」というのが、彼の最大の希望の一つです。

 これらの問題やその他の関連した問題の解決の始まりは、献身した個々人です。以下の説教の中で、レバレンド・ムーンが海洋のあらゆる側面を、教育のための一道具と考えておられることに気がつくでしょう。どのような細かいことも、この目的にとって重要でないものはありません。先生は若い男性達女性達に船の管理方法を訓練する際、全世界に責任をもつ精神をもってそれを行なうように要求します。また先生はマグロ捕りの方法について詳細に語る際、しばしば困難で時には危険であるようなことを、未来に横たわっている、より大きくて冒険的な企画に取り組む精神をもって成し遂げるように彼らに要求しました。

 レバレンド・ムーンにとって海洋は教室であるにとどまりません。それは教会の大聖堂でもあります。それは毎日の現実を学ぶ場所であるにとどまらず、心を塞ぎ、思いを堕落させるものがほとんど存在しない場所でもあります。海洋の上に出ると、現代生活からの圧迫も見栄もなく、若者の心は自然に開放されていきます。海では自然の力が人間よりも遥かに大きいのです。太陽が海上に昇る時、全水平線が開け放たれ、心は偉大な思想へと啓発されます。波が船を揺り動かす時、生活のリズム自体が心の中で鼓動を始める。人は様式、力、美そして豊富さを持った、偉大なパノラマの一部を感じないわけにはいきません。そこでは神様の存在が鋭く感じられ、また明確に知ることができます。畏怖の念は普通の経験、ほぼ毎日の出来事です。

 以下の説教によって、レバレンド・ムーンがその存在の確信に触れる、まさにこれらを体験しているということを、あなたは知ることができます。ためらうことなく、先生は自分の経験を共にいる人達、そして彼の後に来る人達のために、あらゆる可能な方法で分かち合っています。海に出て行く伝統は、実際的な責任を担った詩的な心の伝統でもあります。私達が読者にお薦めするのは、そういう伝統の精神だからです。

 
                                       編集者

1. マグロの道 

1980年 7月13日 ベルベディア

 統一教会はアベルの役割を理解しているという意味で、極めて特別です。私がマグロ釣りをするために海の上でいつも過ごしているなどとは、この世は想像だにしないでしょう。だから、主題に入る前にマグロについて少し話してみたいと思います。もし皆さんがある魚を美しいと思うならば、マグロはすべての魚の中で美の女王だと考えなければならないでしょう。皆さんの中でマグロを見たことがある人は何人いますか。ほとんどの人達は見たことがないので、先生が話していることが分からないかも知れません。

 マグロは速く泳ぐために完全な流線型になっており、速く泳ぐ時はすべてのひれを体にピタッと付けることができる唯一の魚です。それはコンコルドの概念と同じです。つまり離陸の際には翼を広げていますが、巡航速度の時には翼は後方へ閉じられます。マグロの腹びれはスピードを上げている時には完全に見えなくなり、表面は完全に滑らかになります。マグロは九十ノットの速さで泳ぐことができ、海の飛行機のようなものです。水の抵抗は空気抵抗よりも大きく、飛行機のデザイナーはもっと効率的な飛行機を考え出したいと思うならば、マグロを研究しなければならないでしょう。

 マグロは一カ所にだけ住むのではなく、五大洋すべてを泳ぎます。もし海が幾つかの主権に分割されるようになれば、ビザが必要になってマグロは困ることになるでしょう。しかしマグロは世界の五大洋のすべての海を泳いでいます。さらにマグロは食料として良い、しまった体をしています。将来はマグロが世界の食料を供給するでしょう。

 マグロ釣りは興奮とスリルが大きいのでスポーツ・フィッシングの王です。マグロ釣りは本当に漁師にとっての究極的な目標です。先生はマグロ釣りの技術を完成させることによって、このスポーツの極致に世界的レベルの関心を引きつけたいと考えています。マグロはとても賢い魚だから、それを捕まえるためには皆さんの方がもっと賢くなければなりません。
 
〔しかし、釣りのスキルを習得すると、中毒になります。ようやくその日は漁場を離れると思う時でも、あなたの意識はその漁場に向き、すでにそこに帰りたがります。マグロ釣りには二十五から五十フィートのボートが必要です。ボートと必要なすべての道具を用意し、日々の釣りの経費を払うためには、裕福な人々だけが払える額の資金を必要とします。〕

 

 海洋に大きな関心を抱いている人達だけが、この種類のスポーツ・フィッシングに意識を集中させることができます。こういうわけで、余裕のある人達はいつでもマグロに焦点を合わせています。この世の女性達はいつもダイヤモンドを持つことを夢見ていますが、スポーツの好きな人達はいつもマグロ釣りを夢見ています。マグロ釣りには、単なるスポーツとか趣味以上のものがあります。本当にそれは戦いです。だから先生は好きなのです。皆さんはその目標を追及し、勝利を勝ち取る準備ができていなければなりません。
 
 大きなマグロは千ポンド以上もあり、普通の人の六、七倍の重さ、そして十三フィートから十四フィートの長さがあります。大きなマグロをニュー・ホープ号の船上に引き上げると、それは対角線上に一方の舷から他方の舷まで船一杯になってしまいます。マグロは釣り針と長い釣り糸で捕えられ、その戦いに勝つためには優れた技術と知識が要求されます。長い長い待ち時間の後、マグロが食い付いて来ます。その瞬間、皆さんは他のことはすべて忘れてしまうでしょう。グロースターにはマグロのシーズンが来ると、三百から五百の船が集まって来ます。人々は西海岸からパナマ運河を通り、何カ月もの間、航海してマグロ釣りのためにグロースターに集まって来ます。ある船は南アメリカからやって来ます。シーズンには最も裕福な人達と、最も有名な船がグロースターに集まって来ます。

 漁師達は、女性達が最高の宝石を誇りにする以上に、自分達の船を誇りにしています。これらの船には四人の乗組員が必要です。皆さんにも、金持ちでなければそのようなゆとりがないことが想像できるでしょう。彼らはマグロ釣りの興奮を求め、そういった金と時間を費やしてそこにやって来るのです。五百隻のボートの船は、一日に五万ドル相当の餌を用います。マグロのシーズンは普通七十日間続き、餌だけでも三百五十万ドルかかります。もし一隻の船に三人の乗組員が乗るとして、一つの地域で千五百人となります。もし一隻の船が毎日五百ドル使うとすれば、七十日間でそれは千七百五十万ドルになります。これは毎年政府が認めているマグロの割当量の一部を得る機会を持つための投資ですね。

 もし政府が千八百のマグロを割り当て、皆さんが千ドルで一本のマグロを売るとすれば、それでもたった百八十万ドルですね。言い換えると、マグロ釣りは金儲けの投資ではありません。マグロ釣りで何も損をしないというのは普通は無いのです。ほとんど不可能です。これらの人達がマグロ釣りに示す熱狂を見る時に先生が考えることは、もし彼らが魚釣りを愛するようにアメリカを愛するならば、ずっと前にアメリカは天国になっていただろうということです。もしアメリカがそういった心と魂を持っていたならば、どうして天国建設のためにそれを利用しないわけがあろうか、と先生はいつでも思っています。

 マグロが餌に食い付いてくるまでの退屈な待ち時間の間、人々は不平を言い、争ったりするかもしれません。しかし一旦、マグロが噛みつくと彼らは瞬く間に一つになります。先生はまだそういった一瞬の内の一体化というものを、他に見たことがありません。それこそ先生が推し進めようとしている統一精神です。だからただそれについて話す代わりに、統一食口が全世界からやって来て、それを味わってほしいと先生は思っています。

 男達が経験できないものとして子供を産む苦痛があります。女性達だけが体験を通して知っています。しかし、マグロ釣りは普通男性の世界の出来事で、女性がそれを理解することは難しいのです。危険で乱暴なマグロの世界はメーキャップとかマニキュアとか、宝石のような世界とは余りにもかけ離れています。漁師達は普通腰から上には何も身に着けていないし、真っ黒に日焼けしています。

 先生は男性世界のあらゆる種類のスポーツを経験してきたけれども、マグロとの格闘程に興奮したスポーツは他に知りません。皆さんはそれをやりたいと思いますか。誰でもそれができるというものではないのです。生まれついてそういった性質を持たなければなりません。しかし、女性達もそれに関心を持つことができます。先生はアメリカの水産業がもう一度どうしたら繁栄できるかをいつも研究しています。だから先生は、グロースターにいる時はいつでもアメリカの若者達に関心を持たせる方法について計画を練っているのです。

 マグロのシーズンはスポーツ・フィッシングのオリンピックのようなものです。だから先生は記録破りのマグロ捕り漁師になろうと決意していました。しかし、最初のマグロを釣るのに二十二日間もかかりました。その期間、何度も餌に食い付いてきたけれど、経験不足のために皆逃がしてしまいました。餌に食い付いてきた時の興奮を考える時、魚を逃がした時の失望がどういうものか、皆さんは想像できるでしょう。それから精神を建て直し、前進を決意します。太陽が一日の終わりに沈み始めると、もう少しそこに残って餌にもう一度食い付かせるために、太陽に沈まないように命令したい気持ちにかられるのです。皆さんには先生がどんな気持ちか本当には分からないでしょう。もし皆さんが何かの仕事とか、問題に取り組む時、こういった精神を持っていれば皆さんにできないことは何もありません。たとえマグロを逃がしたとしても、捕まえるまで試み続けなければなりません。それがマグロ釣りなのです。

 先生が最初、マグロ釣りを始めたばかりの時、人々は新米と言って先生のことを笑いました。「三年間見てみよ。その間に何が起こるか知るだろう」と先生は考えました。この三年の間に先生が次々に記録を破り続けたのを見て、すべての本職の漁師達は驚いてしまいました。現在では彼らは自分達の世界に衝撃を与えているこの「新米」に恐れを抱いています。あらゆる名誉をとってしまうこのムーニー達をどう扱ったらいいのかと彼らは心配しています。彼らは我々があらゆる記録を打ち立てるのを見るのが我慢できないので、我々を打ち負かすために朝もっと早く起きるようになってきました。彼らは先生が朝四時半に出かけることを発見したら、さっそく三十分もっと早く出かけるように決定しました。しかし長続きはしませんでした。第一日目の後、四時にやって来たのは数人に過ぎませんでした。その間に先生は朝三時半に出発するようになりました。彼らがそれよりも早く出かけるように決意した時には、先生は二時半に出発するようにしました。

 そんなに早く出かければ普通四時間待たなければなりません。マグロは、彼らの時間でいい時間通りに朝食を取りに来るからです。今では人はムーニーを打ち負かそうとするのを諦めつつあります。彼らは一貫性とハードワークの点で、我々と競争することはできないと知っているのです。面白いことに、すべての船がアンカーを降ろして漁をしていたとしても、必ず最初はニュー・ホープ号の餌に食い付きます。昨日先生が行った時には、最初のマグロが餌に食い付くまで四分しかかかりませんでした。

 皆さんはこういう話に興味がありますか。女性達はどうですか。もし興味があるならば、皆さんはその世界に入るためにマグロ捕りの漁師と結婚しなければなりません。マグロ釣りの味を知らない者達は人生の味を本当には分かっていません。マグロへの関心がとても大きい時には、関係する人達の数は少なくなりますか、それとも多くなりますか。マグロ釣りの精神を味わおうという本当に男性的な性格を持った人は、海がどんなに荒れていようとも毎日出かけたいと思います。これが海の男達の基本的な態度なのです。このスリルと興奮を知れば、たとえ船酔いしてもそれでも皆さんは出かけて行きます。マグロ釣りは水産業を学ぶ最善の道なのです。

 人々はより小さな船で釣りに行くようになり始めましたが、毎年より大きなものを釣って来ます。彼らは前年の最高記録を打ち負かすことを自分達の目標にしています。グロースターではマグロのシーズンが来ると興奮が膨らみ始めます。最高のチャンピオンつまりニュー・ホープ号のレバレンド・ムーンが必ず来ることを彼らは知っているからです。それは善なる競争であり、若者達はその目標と記録に挑戦したいだろうと先生は思います。もし先生が彼らのために挑戦目標を設定するならば、アメリカの水産業はある程度将来性を持つでしょう。

 今日、誰もその精神を持たないから、アメリカ水産業はほとんどストップしています。アメリカの女性達は特別魚の臭いが好きなわけでも、海の生活が好きなわけでもありません。海と魚に関心を持っている女性は変わった女性です。一旦マグロとの戦いが始まれば、そこには礼儀とか挨拶といった余裕はなくなります。チームが編成されなければならないし、忙しいのです。そういう時には、漁師は自分の父親すら怒鳴り付けます。マグロとの戦いの熱狂の中で、自分の夫から蹴られても何とも思わない女性はまれです。統一教会の女性達はどうなのですか。

 先生は金儲けのために釣りをしているのではないことは確かです。どの方向にでも動ける基盤を私は既に持っています。先生の目標は記録を破り、世界へ向かって海への人間の精神を示すことです。毎年先生が記録を打ち立てているので、今では、それが偶然あるいはまぐれでなされたものではないということを人々は知っています。人々はその秘密を学びたいと思っているので、先生に親切にしようとしています。他の漁師達は双眼鏡を持ってニュー・ホープ号の後を追います。そして先生の餌にマグロが食い付くと、全員の目が先生に注がれます。マグロ釣りに関心のあるグロースターの誰でもが、ニュー・ホープ号について知っています。

 我々はグロースターに何か永続するものを確立したいと思っているので、最近そこにカトリック教会に属していた大きな地所を買いました。その家は今、全世界から人を迎え入れる準備をしています。もし我々のマグロ釣りに参加するようにそこに招待される人々があったとしたら、その人達はその招待を拒んだりはしないでしょう。市長は我々に対して否定的だけれども、そこに来て我々が何をしているかを彼に見てもらいたいのです。先生はその家を重要な外交上の基盤と見なしています。

 グロースターは世界の主要都市であるボストンの近くにあるし、かつてはピルグリム達が上陸したプロビンス・タウンの近くでもあります。この国の精神はニューイングランド地区で生まれたのだから、そこは重要な場所です。それにアメリカの文化の中心で、また港としても有名な所です。だから、先生の精神を世界に示すための戦術的な場所でもあります。

 最近我々は競売に出されていたマリーナ(波止場)を買いました。多くの人達は我々と競い合ったけれども、値段が上がり続けるので、すぐに皆競い合うのをやめてしまいました。市長までもがその波止場に関心を持ち、我々がそれを手に入れないようにと気をもんだほど立派な波止場です。数多くの会社が競ったけれども、先生はそれには注意を払わなかったのです。そして結局我々がそれを買いました。

 今では我々はその波止場に加えて桟橋と地所を持っているので、グロースターはムーニー達の強い影響を受けています。その上、スポーツ・フィッシング産業全体が我々の影響を受けており、特に我々が今年行なった、十万ドルの賞金を第一位に与える世界マグロ釣りトーナメントの初めてのオープニングによって、影響を受けています。そのニュースを聞くと誰もがショックを受けました。けれども彼らはムーニー達が自分達の町にやって来るのをぜひ見たいと思うようになりました。グロースターの市民達、警察署長そして沿岸警備隊全員が興奮しているのです。十万ドルと聞いて会員の目が飛び出したほどで、急に彼らはムーニー達を余り気にしなくなりました。彼らはここ百年間のグロースターで最もエキサイトした出来事だと言っています。ボストン、グロースターそしてプロビンス・タウン全部がこのトーナメント基地になっているので、これらの町でも同様に話題になっています。一体誰が第一位の賞金を得るのだろうかと誰もが話しているけれども、先生は誰が獲得するか知っています。しかし、先生がそのトーナメントのスポンサーをするわけだから、その賞を先生が得るのはちょっとまずいのです。だから先生は名誉議長になり競争には参加するけれども、最高の成績を上げたとしても賞はもらいません。しかしムーニー達がもらえるのです。

 最も重要なことは誰が第一位の賞を得るかではなく、どの船がそれを得るかです。我々食口が最も一生懸命に働いて、三つの賞金全部を得るようにと先生は決意しています。もし彼らが賞を得たとしたら、人々はどの会社が彼らの船を造ったか知りたいと思うでしょう。そして先生がそれらの船をデザインし、それを造った会社を創設したということを彼らは知るようになります。どういう種類の船がマグロにとって最も良いのか、最も詳細な点に至るまで先生が計画を練りました。昨日、先生は我々の工場へ行ってチェックし、どの部分が変更されるべきかを指摘しました。他の人々はこれらの船は先生が造ったものだということを知るようになるでしょう。

 先生が船を造るなどとは誰も考えないだろうけど、我々の船が二十一世紀の船であるということが、皆さんには分かるでしょう。一旦我々の船がマグロ釣りで最高だったということがこのコンテストで証明されれば、その市場での売れ行きは相当なものになるでしょう。先生はいろいろなスタイルの長所と短所を知っています。デザインによって先生はそれを全部埋め合わせました。ヘンリー・マスターズは英国から来た我々の兄弟だけれども、先生は彼を直接指導して、この計画を完成させました。我々の船はマグロ釣りのトーナメントで賞を獲得するでしょう。まもなくそれが分かります。我々がグロースターにある地所を買うということは世界的なニュースになり、「ウォール・ストリート・ジャーナル」と「ニューヨーク・タイムズ」で報道されました。「タイムズ」はほとんど一頁をこれに割いていました。オーシャン・チャーチの船が世界マグロ釣りトーナメントで賞を獲得したということを報道関係者が知れば、それはニュースになるに違いありません。彼らは、一体いつ宗教指導者がこのような熱狂的な船舶デザイナーになったのだろうかと不思議に思うでしょう。

 トーナメントに十万ドルを出すのは金を投げ捨てるようなものだと多くの人達が考えたけれども、それには特別の理由がありました。その賞は二十万ドル相当の宣伝になりました。ムーニー達を追い出そうと躍起になっていた人々は、グロースターで引き起こされている興奮の渦を見て、今では人目につくのを恐れています。トーナメントは七日間続き、その期間に最高の成績を上げた人が賞を獲得します。

 このトーナメントはアメリカだけでなく、日本においても同様に興奮を引き起こす出来事ですね。日本人はマグロを良く食べる国民で、日本の大きなマグロ会社はグロースターに集まっています。彼らは自分達の中で最高の人達を送り、そこで起こることを良く観察しています。それらの主要水産会社はレバレンド・ムーンの船と人々が勝利を得ようとしているのを見て、将来、我々と取引せざるを得ないことを知るようになるでしょう。日本の大きな会社は政府によって支援されているけれども、我々は天によって支援されています。我々は彼らと競争して次の二、三年中には彼らを打ち負かします。
 世界には四大漁場があります。そのうち一つはノルウェーにありますが、他の三つはアメリカ合衆国の周りにあります。一つはアラスカのベーリング海、もう一つはメキシコ湾、他の一つは東海岸特にグロースター近海にあります。二、三年前、アメリカ政府は外国船による沖合漁業に二百マイル以内の制限を設けました。外国政府はその二百マイル以内に入って漁をするために、あらゆる戦術を試みています。アメリカ政府によって独占されているこれらの漁場を使用するために、外交上の物凄いプレッシャーがありました。

 しかし我々は外国人ではありません。日本の会社はレバレンド・ムーンがアメリカに基地を持っており、さらに彼と一緒に働いている多くの日本人がアメリカ人と結婚していることを知っています。彼らは自分達をアメリカと連結する唯一の存在が、我々であることに気付いています。我々は日本がアメリカと海産物の貿易をするにあたり、またその反対にアメリカが日本と海産物の貿易をするにあたり、最も良い橋渡しになりつつあります。

 アメリカと日本の政府は激しい競争をしているけれども、我々の組織をリンクとして用いることによって我々はその悪い感情を和らげ、両国の利益のために働くことができます。先生は市場販売の戦術に関心を持っています。三菱と丸紅は多くの仲介業者を使わなければならず、各レベルで利益を持っていかれます。先生の戦術は、製品を仲介者を迂回して直接工場から小売り業者へ送ることです。そうすることによって製品を遥かに安価で消費者に提供できます。そういうわけで先生は、冷凍室付き改装車にした移動式海産物店を造りました。我々は魚を下ごしらえするのにたけています。日本人は特に魚のいろいろな料理法を知っています。我々が魚の下ごしらえをすれば、他の人達がすることはただ家でそれを楽しむだけです。多くのアメリカ人は魚の下ごしらえの仕方を知らないので、それを我々がやります。彼らはそれを食べるだけです。我々の移動式の店の外には何ブロックも続く列が並ぶことになります。一つのバンで十二のホーム・チャーチ区域に責任を持ち、その辺りの四千三百二十軒の家々に奉仕します。皆さんがやって来た時、人々が皆さんのことを良く知るようにするために、車には特別なテーマ・ソングと特別なサインを付けます。

 さらに宴会用の新鮮かつ料理した魚を提供するシーフード・レストランのチェーン店を我々は始めます。もし二、三時間以内に百人あるいは二百人の人達に立派な食事を提供することができるという評判を得れば、次に大きなビジネスをすることができます。アメリカ人は赤肉をたくさん食べると健康に良くないということに気付きつつあるのです。ますます多くの人々が毎日の食事の中に海産物を含むようになります。海産物は遥かに健康的な蛋白質を提供します。

 日本で市場販売するという先生の計画を実現し、全国を網羅するためには七千台のシー・フード車が必要になります。一旦それが作動し始めれば、MFTの二倍の実績を上げることになるでしょう。我々のAメンバーがフィッシュ・ビジネスで成功するのを見れば、BメンバーとCメンバーも自分達の仕事よりも、そっちの方をやりたいと思うようになります。一旦信頼できる収入を証明すれば、我々は信用で車を買うことができるし、銀行家達もムーニー達のやっているのを見れば彼ら自身も我々とビジネスをしたいと思うようになります。このビジネスで実績を上げる人なら誰でも、日米貿易においてもっと高いレベルにまで上がることになります。

 我々は百台のバンを注文し、既に三十台が届いています。現在一台のバンにつき三人の食口が働いているけれども、六カ月経てば一台につき一人の割合で、もっと手を広げます。それが一台から三台、三台から九台、そして九台から二十七台へと拡大するのを先生は見たいのです。そうすれば三年後には、日本は七千台のバンを持つようになります。一年目の終わりに八百台持っていれば、三年目の終わりまでには、七千台よりも遥かに多くの数になります。それと全く同じシステムを我々はアメリカでも利用します。

 ホーム・チャーチは市場販売計画と平行して発展するだろうから、人々へはサービスと同様、収入をも提供するようになり、このようにしてホーム・チャーチの摂理をします。このシステムに基づいて日本で訓練を受けた専門家達が全員アメリカに来て、この地にそのシステムを設置します。それと同時にフェローシップ団体を通して、我々はマグロ釣りに関心を抱いている金持ち達と友達になることができます。マグロ釣りトーナメントを通して、我々は彼らを一つのクラブの下に組織化し、それを全世界に広げることができます。マグロは世界を駆け巡るので、シーズンがグロースターで終わっても、それは他の所でまた始まります。もし我々が世界の五ヵ所でトーナメントをスポンサーすれば、賞金は五十万ドルです。その投資は何万人という知名人達を魅了することになるでしょう。彼らの船は一つのトーナメントからもう一つへと、大西洋をあるいは太平洋を渡ることができます。一旦この計画が勢いを得れば、政府はそれを支持せざるを得なくなり、必要な供給物を全部組織化するようになるでしょう。さらに、既に数多くの海洋施設が全世界にあるのだから、主要船舶がスポーツで釣りをしている人達に燃料を供給することのできるシステムを我々は作ります。クラブの影響が大きくなるにつれて、こういうこともすることができるようになります。

 人々はレバレンド・ムーンが、健康的な海のスポーツを生みだしただけでなく、世界の人々を利する、貿易、商業ならびに良い食料を生んだという意味で、海の王者であるということを間違いなく知るようになるでしょう。最終的には、我々は自分の船を供給することのできる力量を持つようになります。トーナメントの船隊は、オイル・タンカーを伴って一つの海からもう一つの海へと移動するようになるでしょう。世界の主要団体は、世界的パブリシティーがとても大きいから参加したがるようになります。競争のためにグロースターへやって来る何万という船舶のことを想像してみなさい。彼らはその小さな海岸町に物凄い繁栄をもたらすことになります。これらの人々全員がどこかで食事をし、睡眠を取らねばならないし、生活用品を入手する必要があるので、経済的影響力は大変なものとなります。

 世界の豊かなある部分から飢餓に苦しむある別の部分へ輸送され得る多くの物資があります。だから先生はIRFFを作りました。アメリカの会社は時々余剰生産物を持っています。それは貯蔵しなければいけないし、と同時にそれについて会社は税金を払わなければならないので重荷になっています。理由は何であれ、多くの場合彼らはこれらの古い生産物を売却できずにジレンマに陥っています。しばしば彼らは献品としてある団体にその物資を喜んで与えるけれども、今日教会ですら、それらを取り扱う力量を持っていないのです。そんなに多くの物資をどうすればいいのか分からないのです。しかし我々は余剰商品を受け入れる基盤と、加えて一つの大きな港から別の港へそれを輸送する船舶も造ったので、そういう必要性を満たすことができるのです。

 これはとてつもない意味を含んでいます。国民の福祉に関心を持つ政府ならどこでも、我々と友好関係を結ぶでしょう。我々が彼らを助ける能力を十分持っているからです。これを実行するためには、我々はちゃんと訓練され、技術を身に着けた人材が必要です。我々はどこで人々を訓練できるだろうか。先生は、我々の船のうち二百隻を、一隻に三人ずつ乗せてアメリカの沿岸に配置したいと考えています。ということは六百人ですね。三年間継続すれば三人は必要でなくなります。一人でそれができます。こういうシステムは速やかに拡張できます。

 小さな船で経験を積んだ若者達はもっと大きな船を扱いたいと思うようになるでしょう。約十六年で、全員が大きな船の訓練と経験を積んだ船長になることができます。我々は政府のローンを受け、もっと多くの漁船を造り、経験のある船長を各船に割り当てることができます。それから彼らの使命は、必要とされている特定の魚を釣ることになるでしょう。

 冷凍室は水産業にとって大きな問題点です。だから先生は、冷凍室を必要としない乾燥魚粉を作る技術を調査しています。何百万トンというものが空気中の袋の中に蓄えられることができます。我々はいろいろな魚の粉末を開発し、複合ビタミンのようにそれらを配合します。この粉末は小麦粉や澱粉の使い過ぎを補うために、毎日料理で使うことができます。皆さんは魚粉を使った栄養価の高い新しい料理の料理法を生み出すこともできるのです。

 先生は魚粉パンと小麦粉パンを比較テストするつもりでいます。一度味わってみれば、どちらの方がよいか、人をわざわざ説得する必要はありません。最も良いテスト方法は子供達にそれを与えることです。彼らはとても正直だからです。彼らは全員、魚のパンの方を取ると先生は確信しています。ノルウェーには既に魚粉会社が造られており、メンバーの一人がそれを詳細に研究しています。現在の問題点は魚を捕ることではなくて、腐る前にそれをどうやって販売するかです。我々はその解決にも力を注いでいます。

 我々は魚を貯蔵することができるので、心配せずにできるだけ多くの魚を捕ります。既に我々は他の誰よりも多くのマグロを釣っています。私達の購買力には制限がないので、漁師達は釣れたものを我々の所に持ってきます。だから我々は水産業に物凄い刺激を与えることができます。先生は造船から始まって全システムを作り上げて来ました。船を造った後、魚を捕り、市場用にそれを加工し、それから配給のネット・ワークを用います。これは立案の段階の話ではありません。先生は既にそれを行いました。

 これらのアイデアは全部、何年も前に先生が考えたことです。そしてどこから始めるかということ、つまりマグロ釣りから始めるということを先生は知っていました。それが魚釣りの精神で人を訓練する真髄だからです。先生はそれを七年間やっています。さらに先生がこの道を追求するもう一つの理由は、世界の人々を満たす陸資源がもうすぐ不足するからです。陸地の大きさには限界があります。そしてそれは何年もの間に貧しくなっています。しかし海には限りがありません。陸上に生育する植物を全部食べることはできないけれど、海から取れるものは何でも食べることができます。そしてそれらはすべて体に良いのです。

 動物の飼料は海から取れます。海草をちゃんと加工すれば、それには莫大な栄養が含まれています。さらに自然に生育した魚を捕るだけでなく、我々は養殖も行います。普通は子牛一頭は十分生育した牝牛の五分の一の値段です。一方マグロは莫大な繁殖能力を持っています。一本のマグロは十五万の卵を産みます。小さな一つの卵あたり、一本のマグロの五分の一の値段を支払う必要があるでしょうか。マグロ養殖は既に実験段階に入っています。ほとんどのマグロの稚魚は他の魚に食べられてしまうけれど、保護された場合にはそれは速やかに成長します。マグロの養殖の将来性は大きいのです。

 先生はこの巨大な霊的運動の創始者ですが、さらにこの外的世界の将来の問題、解決の基礎も築いています。これは将来の食糧生産と世界の飢餓問題解決の基礎であることを先生は知っています。ある環境保護主義者達は先生に向かって「レバレンド・ムーン、どうしてあなたはいつも、マグロを殺しているのですか」と聞くかもしれません。先生の答えは「人々が死に絶えるかもしれないのに、あなたはどうしてマグロの心配ができるのですか。私は将来そういうことが起こらないようにしたい」ということです。別の観点から言えば、先生はマグロを供え物だと考えているのです。そして先生は神様へそれを捧げる大祭司の立場にあります。先生は人類のための犠牲としてマグロを見るので、自分の捕ったマグロは滅多に食べません。旧約聖書では祭司達が屠殺をし、祭壇上で燔祭を捧げ、血が流されます。

 近い将来におけるもう一つの健康食として、魚とか穀物、野菜のような生ものを食べるようになるでしょう。医学的に言って、生の食料の方がより多くのエネルギーを与えるというのは本当です。魚粉は皆さんが必要とする栄養素のほぼ全部を含んでいるので、多くのことを解決することになります。魚粉入りの袋を持って皆さんは世界のどこへでも旅行することができ、どこでも食べることができます。陸地は人間にとって完全に開拓されてしまっていますが、神様は海洋資源をほとんど未踏の状態で保存されています。(海には宝石用の石すらある)

 今年、我々は先生が捕まえたマグロの尾ひれを保存し、その数を数えています。そして各州の教会が一つずつそれを持つことになるでしょう。人々はその尾ひれを見る時に、世界の食糧問題を解決する、将来の食物のメシアを見ているのだと感じることができるでしょう。先生が海について大変熱狂的だし、数多くの計画を立てているので、統一教会へ来る人は誰しも海へ注意を払わざるを得ません。皆さんも海へ行きたいですか。(はい)いつ皆さんは海にそのように熱狂的になったのですか。

 七年間、先生は海に出かけ、そこで朝早くから夜遅くまで祈ってきました。皆さんは統一教会員として海に注意を向けざるを得ません。皆さんは統一教会に入る前に海について考えたことがありましたか。皆さんは海について考える時、映画の「ジョーズ」を思い出ます。そうですね。今や皆さんは鮫が皆さんを食料とすると考える代わりに、皆さんが世界の人々の腹を満たすために鮫を利用することを考えることができます。それが長い間の先生の目標です。

 これをやりたくない者、手を挙げなさい。来年以降、我々は六カ月間の海上修練会を行います。これを終了すれば、皆さんはマグロ釣り世界一周旅行を行ないます。韓国にすら船で行くことになります。我々には無線があるから、一隻の船の旗艦が全世界の私達の船に命令を出し、方向を指示することもできます。

 将来、共産主義の脅威がなくなれば、戦争ももはやなくなることでしょう。海軍のあらゆる船はスクラップされる代わりに、平和目的のために母船の形で我々が利用できます。海洋資源を運搬する船隊を彼らは提供できます。空母は浮き島のようなもので、何の心配もなく何千マイルも運航できます。先生は各海洋に一隻、あるいは大きな海洋には二隻の空母を用意するつもりです。それから飛行機を手に入れ、空母を飛行場として使うこともできます。皆さんはその船隊に入って船長になりたいとは思いませんか。

 普通のアメリカ人達は魚の臭いが嫌いで、魚の話をすると頭を横に振ります。しかしもう皆さんはそうではないですね。先生はこれらのことを考えているだけではなく、もう既に始めています。姉妹達、皆さんの筋肉を先生に見せてごらん。ああ、たいしたことないですね。先生はたくさんの女性船長を訓練したいと思っています。皆さんはまたチャーミングな女性的な笑いを持っているけれども、男性のように強靭に行動するようになります。姉妹達は海での体験に基づいて、文学の傑作を作り出すことになります。それが先生の考えです。

 もし皆さんの夫がこういう夢を抱くとすれば、皆さんは幸福な女性ですか。その目標に到達するには数多くの惨めな経験を経なければなりません。それがとっても難しいことだからです。皆さんは甘さを味わうためにまず苦しさを経験しなければなりません。先生は元気のある世界中の男女達を動員して、彼らをこの目標の限界点にまで連れていきたいと考えています。政府や宗教団体が私達を迫害するだろうということを先生は知っています。しかし、地上天国を創るための代替計画をいつも先生は持っているのです。「もし人が私を好きでないならば、私はまず海上に天国を建設し、その後それを陸上に運ぼう」と先生はいつも考えてきました。

 ここ十年間で先生は真っ黒になりました。先生の目標は女性がどの黒人よりも黒くなることです。それから白人の女性が何と言うか見たいと思うし、黒人の夫を持った母親がどんな反応をするか先生は観察しています。お母様が「お父様、黒い肌のあなたはとてもハンサムです。私は前よりももっとあなたを愛しています」と言うのを先生は知っています。お母様は夏には黒い夫を持ち、冬には白い夫を持ちます。

 先生の話は「アベルの道」のはずでしたが「マグロの道」になってしまいました。ところでマグロの道がちゃんと実行されれば間違いなく、皆さんはアベルの役割に到達します。先生はアメリカに着いた時、手には何も持っていなかったのですが、二、三年で大きな基盤を打ち建てました。アラスカで何が起きているのか、皆さんは知っていますか。最も進歩した水産物加工工場がそこに造られています。政府すら驚いているのです。私達の工場がとても模範的なので、今では人々はアラスカ・シー・フード・インダストリーを指導してくれるように先生に依頼しています。私達はアラバマに全長三百フィートの巨大な船を造れる造船所を持っています。その一つだけでも数百万ドルします。それらの船の船長として、皆さんは出かけたくはありませんか。

 マグロの値段は、日本へ輸送すれば、通常アメリカの二十倍になります。そうするためには新鮮でなければいけません。そのために、先生はマグロの輸送方法を研究し、今ではそれを行うことができるし、他の魚にも同様にその方法が使えます。先生はその門を開きました。

 最低三人の霊の子を持っている者なら誰でもボストンへ来ることができます。多分皆さんの三分の一が、海での経験一日目にしてその熱意を失ってしまうと先生は思っています。皆さんはトイレで過ごす時間の方が長くなるでしょう。ただ座っているだけでなく、その上にもたれかかってね。それでもいいですか。それはこの世で最も興奮を呼ぶドラマであり、また喜劇でもあります。面白いことには、海にいると度々トイレに行くことになるかもしれないけれど、陸上に戻るや否や元気になり、本当に空腹を感じます。時には、口から吐くものに心を奪われて、排便がその反対側でされるものだというのを忘れてしまう人もいるのです。統一教会は本当に目立つ団体です。皆さんはそれを誇りにすると思います。皆さんも先生のように黒い肌を持ちたくはありませんか。

 海の上では、陸の上にいる時のように良い食事をしたいとは思わないですね。皆さんは生魚だけを食べるけれども、それは間違いなく新鮮です。それをただ醤油に浸して食べます。さて、先生がどうして七年もの間、夏中ずっと海で生活し、なぜマグロがそんなに重要なのか、皆さんにも分かったはずです。それが摂理に直結していることが皆さんには分かりました。だからそれも祈りの中に入れるのです。

 グロースターにおけるマグロのシーズンは、たまたま夏休みのちょうど真ん中にやってきます。ということは世界中の人がこられるということです。先生が買った地所はマグロ釣りトーナメントの本部です。皆さんはそこが良い印象を与える所であってほしいですか。そこは三十の寝室があるし、この館は夏だけでなく、年中使われることになるでしょう。有名な教授達もそこで行われる修練会にやってくるでしょう。

 我々は夏期予算を既に全部使ってしまいました。だから何か食べたければ、砂を食べるか、マグロを釣りに行くかしなさいと先生は食口達に言いました。今幹部達が一生懸命マグロ釣りをしているので、彼らも前進できます。マグロ釣りは先生にとって休暇ではありません。それは戦争です。先生は夜せいぜい二、三時間しか寝ません。若者達はいつも居眠りをするし、先生の運転手もいつも車の中で眠ります。しかし先生は船の中では決して眠りません。誰も先生のペースについていけないので、神様が先生を見たら「君は特別なんだ」と言わざるを得ません。キリスト教の牧師達は自分達の名誉や将来について大きな関心を抱いているかもしれないけれど、先生は世界の救済や、どうしたら世界の人々に食物を与えることができるかとか、どのようにしてこの国を援助できるかということについて気違いになっています。それが先生が毎日考えていることです。夏には皆さんの顔は日焼けして黒くなり、使命のために献身している強靭な男性、女性の容貌をしているべきです。皆さんはこの困難なミッションが好きですか。皆さんの「ありがとう」はあまり強くありませんね。しかしながら、今日は素晴らしい、マグロ釣りには最高の日です。マグロは海のアベルだから、これは今日の最初のトピックからそれほど離れていないですね。皆さんは将来の先生のいろいろなビジョンについて、そして魚釣りの何たるかについて学びました。皆さんに神様の祝福がありますように。

2. オーシャン・チャーチの設立 

1980年10月 1日 モーニング・ガーデン

敬礼の意味

 時々皆さんは私達の教会の習慣、例えば敬礼などを不思議に思うでしょう。「どうして我々はこのようにするのだろう」とひとり言を言うかも知れません。それは世界のあらゆる所で、何千年もの間の習慣になっているのだけれども、その詳しい説明を聞けば、なぜ私達も敬礼するのか、もっと容易に理解できるでしょう。まず第一に、それは極めて象徴的な行為なのです。皆さんが四肢を用いて敬礼するということは、皆さんが四位基台の上に立っていることを意味しています。この敬礼も正しい主体、対象関係を表しています。つまり敬礼することにより、皆さんは高い所から低い所へ移動しますが、これは天と地の縦的関係を象徴しているからです。

 敬礼するためには、皆さんは緊張せずに自然の姿勢で立ち、一方の足をもう一方の足の少し前に出します。右足は男を象徴し、左足は女を象徴します。右足が左足よりも少し前に出ます。これも男が主体で、女が対象である関係を象徴しています。敬礼することによって体のあらゆる部分が一カ所に近づいて来ます。これは四位基台が、どのようにして一つになるかを表しているのですね。

 頭は神様を象徴し、両腕は男と女、そしてその関係を表します。両足は地上を代表します。だから、私達が両腕を上げて頭に触れる時、これは主体と対象が互いに一つになり、さらに神様とも一つとなり、それから下がって来て地上と一つになることを示しています。顔さえも、この全体の関係を象徴しています。両眼は神様を、鼻は男と女(一つだけれども二つの部分からなっている)を、そして口は地上をそれぞれ象徴しています。両眼は物を見ます。これは天を表しています。胴体つまり体は、宇宙を象徴しています。

 言い換えると、宇宙は四位関係の基台の上に立っていることになります。このようにして神様、ならびに神様を代表する人々に尊敬の意を示し、挨拶をすることは大変意に適っています。韓国にはこの習慣が何千年もの間続いています。しかし、私達がこれを行うのは韓国の習慣だからという理由のためではなく、それが原理に一致しているからなのです。このように子供達が毎日、毎朝、両親に挨拶します。

 皆さんが子供達を、特に母胎内にいる時の子供達を見れば分かることですが、彼らは自分達の指を握り締め、拳をつくっています。どうしてでしょうか。親指は神様を、そして他の指はそれを取り巻く四位基台を象徴します。もし皆さんがそれがそれを見て、体がどれほどまでに宇宙のあらゆるものを反映しているかに気がつくなら、世界各国でなされているあらゆる挨拶の中で、この挨拶が最も包括的で、最も意味深いものでということが分かるでしょう。我々が神様の前で、またお互いの前で一体何者であるかといことを、とても意味深いやり方で私達に思い出させてくれるので、この挨拶が敬意を表す最も正しいやり方です。皆さんは自分達の教会とか、皆さんが働いているミッションの場所とかで、日曜日の敬礼式をちゃんとやっていますか。毎週、毎月、そして毎年行うということ、これも大変重要なことですね。その場所に、男とその妻(祝福されていれば)は、東の方向に敬礼すべきですね。それは太陽が昇る方向だし、さらに神様を象徴しているからですね。敬礼できる方向としては、もう一つ北があります。それは最も高い真の北極がその方向にあるからです。さらに歴史を通して人類の道しるべとなっている北極星も北の空にあります。


歴史の最初の種子

 歴史には数多くの文明が存在しました。北の文明は現在では共産主義社会です。分かりますか。現在共産主義は多くの国に広がって、またまさに世界を征服せんとしています。それが共産主義者達のもくろみであり、かつ彼らはそれをやる実力を持っています。これはサタンの最後の仕事なんですね。しかし、春が来れば、最も遠い北極ですら氷解しなければなりません。統一主義とは何でしょう。それは新しい文明の始まりです。簡単に説明しましょう。古代文明は、エジプトのような熱帯地方にありました。古代文明は暑い所から始まりました。だから「夏」の文明と呼ぶことができます。今日、ヨーロッパのように、それらの時代から発生した温帯から寒帯にかけての文明があります。それらは「秋」の文明と呼ぶことができます。秋になれば葉が木から落ち始めます。同様に、これらの文明が過去の偉大さにもかかわらず、衰退しつつあるのを私達は知っています。木はその葉を失い、裸の枝だけが残り、その他はすべて落ちてしまっています。その後、北から冷たい冬の文明、共産主義が広がり、秋の文明がそれに吸収されるでしょう。以前の状態のままでいることはできないのです。冷たいのは無慈悲です。共産主義は無慈悲です。それが一旦介入すると決めたら、とことんまで介入します。その前に立ちふさがるものは何でも、完全に排除してしまいます。この点から見て、私達にはまだ「春」の文明は訪れていないと確信を持って言うこうができます。人類は元来、春から始まるはずであったということを皆さんは知るべきです。私達は歴史を振り返ってみて、文明に春は一度もなかったことを知っています。だから恐らく、現在が真の愛の始まりであり、真の愛の結実が初めて隆盛を極める時でしょう。

 もし我々が春から出発して夏、秋、冬へと発展して行ったならば、その実は最初の種子から生長したことでしょう。しかし最初の種は植えられなかったので、冬が来たら何も残りませんでした。もし種が植えられていれば、それは冬の間深い所へ深い所へと潜り、次の春にはさらに大きくなって出て来ます。しかし最初の種がなければ、その実は死んでしまい、次の春には何も残らなくなってしまいます。

 もし冬を生き抜くつもりであれば、厳しい寒さに生き残るつもりならば、皆さんは種をもっていなければなりません。堕落人間の歴史は最初の種子から始まりませんでした。神様は新しい歴史を始め、今度はそこに自らの種子を植えなければなりません。ではその種子はどういう種子であるべきですか。それは最も強靭で、堅固でなければなりません。もし皆さんがそのような者であれば、最も厳しい冬が来る前に植えられたとしても、その冷たさは皆さんを破壊することはないでしょう。皆さんはその冷たさによって割られてしまうことなく、春が来たら、皆さんは花を咲かせ始めるでしょう。

 神様はこのように科学的方法で創造されました。実際、神様は最高の科学者です。水にしてもそうです。水が凍り始めるとその体積が増します。堅い殻に守られている松の種もそうです。殻もある程度の水分を含んでいますが、それが冷たくなり凍り始めます。それを数回繰り返して遂には割れてしまうまで、それは体積を増します。

 同様に、皆さん達統一食口も強靭かつ堅固で、しかも一枚岩でなければなりません。それから皆さんが前進し、共産主義あるいは我々が「冬主義」と呼ぶものと対決しなければなりません。それから皆さんの外殻は割れ、皆さんは成長を始めます。最後に実際に春がやって来た時、皆さんは成長を開始し、心おきなく春を迎えることができます。皆さんは完全に咲ききった、そしてすべての葉とその栄光を茂らせた花のようなものです。それが私達の目指しているものです。

 それから新しい文明、つまり春の文明の永遠の繁栄が始まります。これは漠然としか説明されなかったかも知れませんし、論拠はそれほど正確でなかったかも知れませんが、自然は、見て理解するのにそれほど困難なものではありません。皆さんには自然の中の種子の論理は理解できるし、もしこれが自然の中で物事を始める神様のやり方であるとすれば、それは人間の歴史を始める神様の出発点でもありました。他のものは全部、その点へと移行して行ったのです。最初の種子が失われたので、人類は再臨のメシアの到来まで、一つのサイクルを再び最初から始めなければならなかったのです。これが再臨のメシアの意味であり、ここから人類の永遠の繁栄が始まります。もし共産主義が本当に冬の文明であるならば、それは春の文明の前に来なければなりません。統一主義がその春の文明です。それはあらゆるものを一つにして、そして調和をもたらします。例えば春の暑い天候はそれほど暑くないし、寒い天候もそれほど寒くなりません。それはちょうど、三五度から三八度という、人間の体温のようなものです。この体温の範囲内であれば、あらゆる細胞、また生物形態は繁茂を始めます。これが、天国あるいは我々の用語でいえば「理想世界」です。もし皆さんにこれが理解でき、その正しいイメージが把握できるならば、皆さんは全人類歴史について、すなわちそれがどこから始まったのか、そしてどこでどのように終わるのか、十分に説明することができます。

 共産主義者達は典型的な寒い天候です。彼らは他人に襲いかかり、殴り、完全に叩き潰そうとします。しかし、我々の方法は至る所に平和を実現し、あらゆるもの、最も冷たいものですら溶かしてしまうことです。たとえあらゆるものが溶けたとしてもそれは先へ先へと進み、生命が繁茂するようになります。

  それが理想主義です。ではその理想主義はどこから始まるべきですか。それは男と女から始まるらなければならなりません。不幸にも、最初のエデンの園で最初の男と女は、理想世界を始めることができませんでした。そうならば、我々が東方に向かって敬礼するのはすばらしく、そして重要なことではないですか。それは文明の最初の出発点のことを我々に思い出させ、人間の運命が高貴でかつ永遠であるべきだということを示しています。東は栄光を、そして北は権威を表します。太陽は東から昇り、毎日栄光を運んで来るし、北は最高点すなわち名誉と権威の点です。皆さんはこれらの方向に敬礼する時、人間は栄光と権威を持つべきだと言っていることになります。

 権威がますます高く上がって、最高点である神様に達します。栄光は東から西へ水平線上に移動するので、必ず拡大します。北は垂直で東は水平。これらの方向は人の中で出会います。しかし堕落は、これらの物すべてを変えてしまいました。堕落によって、女が男と一つとなる代わりに、男が女と一体化しました。でも今、私達は逆戻りに最初の位置を取り戻しつつあります。暫くして女は男と一つになります。これが成されれば、すべての縦と横の関係が復帰できます。夫と妻は一緒に敬礼します。それがこの意味するところです。

 理想的には夫婦は神に敬礼し、そして互いに敬礼し合います。それから男が座って、女が男に敬礼します。その後に共に並んで座ります。こうすることによって女は、堕落のエバにならないと言っていることになるし、男は堕落のアダムにならないことを言っています。これが朝の敬礼式、特に御辞儀のやり方についての意味です。その後、子供達皆がやって来て、同様の敬礼をします。両親は親の位置に座して、彼らの御辞儀を受けます。言い換えれば、子供達は自分の親と神様への関係を表明するということです。子供達は、過去のカインとアベルのような闘争はしないということを言っているとこになります。反対に彼らは平和と調和を維持し、四位基台の中で協力し合うことになります。それが成されれば、家族全体が一つになり、そして自分達の心情を表明することになります。


誓いの意味

 我々はまだ理想世界に住んでおらず、反対に悪の世界の真っただ中に生きています。だから私達は誓いを朗唱しなければなりません。我々は神様の御旨を成就することを誓いますが、家族が一つにならなければ、皆さんはこの誓いをすることはできません。神様は、男だけ誓うのを望んでいるわけでも、女だけが誓うのを望んでいるわけでもありません。神様は男と女がまず一つになった後、一緒に神様に誓うことを望んでおられます。

 誓いには五つのセクションがあります。第五番目は、前の四つ全部の結論を述べています。まず初めに一つの主権を誇ることを言います。この世界には数多くの政府がありますが、我々は一つだけを誇りとします。誰がその一つの主権を打ち立てるのですか。それは我々がやります。我々食口がそれをやります。我々はそういう理解をしなければなりません。

 人類最初の主権は誰が持つべきだったのでしょうか。アダムがそれを持つべきでした。今、アダムの代わりに皆さんが、その失われた主権を復帰しなければなりません。皆さんはその最初の家族の単位を復帰しなければなりません。それがまず第一です。我々は、一つの民を誇りに思うこともはっきり理解しています。つまり、天の下に集まった一つの民です。天国では、二種類あるいは三種類の人々というものはありません。白人とか、黒人とか、黄色人とかいったものはありません。そのような人類の違いは天国には存在しません。そういった違い、分離というものは、最も初期の頃、人間の堕落によって生じました。しかし神様の世界には一つの民しかいないのです。

 次に、神の下にある一つの国土を誇ると我々は誓います。神様が、北から来て南を訪問したいと思った時、一体パスポートが必要ですか。もし神様が必要としないならば、なぜ神様の息子、娘達がそれを必要とするでしょうか。どこでも自由に通行できなければならないし、国境があってもいけません。我々はこの点において違っています。サタンは多くの国家、多くの主権、多くの民族があることを誇りにしています。しかし我々はただ一つの主権、一つの国土、そして一つの民を誇りにします。それが真に、分裂したサタンや世界に対するわれわれの誓いと決意でした。サタン世界は一つの長い戦争の歴史ですが、一方神様の歴史はすべてを統一し、結合するための隠れた戦いです。だから我々は、数多くのいろいろな文化が持つ問題点を明確に理解しなければなりません。それは全部、出発点を異にして発展してきました。だから人類はいろいろな行動様式、形態を発展させてきました。そのために人々は互いに疎遠になりました。さらにそれは今日の摂理を遅らせ、混乱させている原因でもあります。サタンはこれを自分の長所として、うまく利用しています。われわれはこの頭の痛い問題を解決し、一つの文化を誇りたいと思っています。

 我々は一つの文化を誇ります。そして一つの文化は一つの言葉、一つの言語から生じます。実際、言語と文化は同じものでした。言語は本質的には文化のことです。ということは、結局は、皆さんも皆さんの両親が話すのと同じ言語を話さなければならなくなるということです。霊界では、皆さんはどの言語を使いますか。答えは簡単です。両親が用いる言語が、子供達の言語でもあります。

 不幸にも皆さんは母国語が分かりません。英語とは何ですか。それは神様の元来の言語ではありません。我々はなぜ、保育所で子供達に韓国語を教えているのですか。それは神様が介入することができる最初の言語だからです。もちろん我々は子供達に英語を教えます。そうしないと今日の世界で彼らが生き残ることができないからですが、少なくとも彼らが学ぶ最初の言葉は韓国語です。彼らはその人生の最も初期の時期から、母国語を学び始めることができます。その後に英語を学びます。これはやり過ぎだと思いますか。いや、それは最も良い始まりです。

 皆さんが一つの言語と一つの文化を誇るという時に皆さんは本当にそれを感じていますか。「私は誇りに思っている言語を、文化を、少しでも理解できるところまできている」と皆さんは思っていますか。そのことについて皆さんは考えたことがありますか。だからその句を言う時に、皆さんはその一つの言語と文化を本当に誇りにすることができないということを心から残念に思わなければなりません。その最初の春の文化に参加したいと皆さんは渇望しなければなりません。

 我々が求めているのは最初の春の文化であって、文化ならどれでもいいというのではありません。その文化には「アダム主義」を除いて、他には「主義」と呼ばれるものは何もありません。文化文明は、アダムとアダムの家庭から始まるべきでした。我々は一つの言語を持つべきでした。多くの言語は混乱を引き起こし、あらゆるものを分裂させます。ここアメリカでは多くの言語が話されており、そのために容易に闘争が引き起こされています。

 現在、統一食口である皆さんはどうですか。我々は三世代のうちに、我々が誇りとする母国語を学ばなければなりません。六十年以内に、我々は最初の母国語を話していなければなりません。先生は以前に、このことを皆さんに教えたことはありませんでしたが、この会議を通して直接皆さんに話しておきます。我々はほかに何を誇りにしますか。すべての子供達が一組の両親の周りに集まります。今まで述べた基本的な要素が全部確立されれば、子供達はその両親の周りに集まることができます。一つの世界、一つの国家、一つの家庭があるのだから、最初の両親も一組でなければなりません。そうじゃないですか。皆さんは、兄弟愛がなぜ一つの言語と文化の前に来なければならないのか、不思議に思うかも知れません。どうして我々の誓いではこういう順序になっているのですか。すべての人々が一つに集まらなければ、我々は兄弟姉妹となったことを誇りとする、一つの世界を創ることはできません。戦わなければならない戦争がまだあります。今皆さんは両親を心置きなく誇れますか。いいえ。皆さんはこの世から絶えず攻撃されているのですから、誇りに思うゆとりはありません。皆さんはいつも防衛態勢にあります。皆さんは「共に我々の両親に従っていこうではないか」と、世界に向かって宣言することはまだできません。誓いの第五番目に言われていることは、すべて成就されなければなりません。そしてその後、私達は自分達の誇りを自由に表現することができます。

 その後どうなるのですか。人類の伝統が始まります。最初の親を一人持つことに誇りを感じるようになって初めて、皆さんは一つの心情世界を創ることができます。そして皆さんは、それをなす役軍であることを誇ることができます。そこには何らの区別もありません。白も黒も黄も何もありません。あるのはただ一つの家庭と一つの伝統だけです。

 皆さんの結婚が国際的なもの、あるいは異人種間の場合、その子供達は皆違ってきます。異人種間の一つのカップルでも、その子供達は同じではありません。ある子供は母親により似ているだろうし、他の子供達は父親にもっと似ているかもしれません。皆さんはその子供達を差別するでしょうか。父親が「ああ、この子は肌の色が私に近いから、私はこの子を特に可愛がろう」と言うでしょうか。心情があればそこには黒も白もないのです。

 誓いの中で言っていることを注意深く調べるならば、私達はあらゆるものを正しい観点から見ることができます。先生は説教する時にはいつでも、これらのものを全部順番通りに見ています。先生はいつもそれを心に留めています。皆さんはどうですか。それを考えていますか。先生はどの説教でも最後は皆「アーメン」で締めくくります。誓いの最後に我々は「これを、すなわち、五つのセクションを全部成就するために生命をかけます」と言います。そういう結論を述べることによって皆さんは、この誓いを他のどのようなものよりも大切にするということ、従って悪い勢力に打ち勝つためには自らの生命をかけてでも戦い、誓いの中で言われた約束を実現します、ということを言っていることになります。皆さんは、一つの心情の世界を創らずしては死にたくはないと言っています。これを達成しないで霊界に行ったならば、そこに着いた時点から私達はすべてをもう一度最初からやり直さなければならなくなります。誓いについて、今まで誰も質問した人がいないのを先生は不思議に思っていました。誓いの中にどうして特定の順序があるのかとか、それがどう意味を持っているのか質問した人が誰もいませんでした。どうして先生がそのように誓いを書いたのかと質問に来た人が誰もいませんでした。

 敬礼の仕方も、誓いの中で我々が言うことも、全部一つの意味に到達します。何をしようとも、我々は天国で行うべきことを行っているのだという思いを持ってそれをしなければなりません。我々が誓いをする何らの汚れも妨害もない新しい一日の初めは、天と我々の深い親密な関係を持つ瞬間です。自分が今どこにいるのか、人類と天のために何を達成しようとしているのか、我々は瞑想します。その瞬間、その数時間を持って、それが何と意味深いものであるかを我々は知るべきです。もしそれを感じることなく、ただ時間を無駄に過ごすとすれば誠に哀れなことです。

 新鮮な果物を食べる時「私は天国にいるような気持ちでこれを味わっている」と私達は考えるべきです。被造物をこういう深い心情でもって食べるべきです。どのような行為も、理想世界での生活の実践だと考えなければなりません。敬礼だって同じことです。誠実さを持って、自然にそれを行うべきです。そうすれば誰も皆さんをせかせる必要はありません。いつ敬礼するのが適切なのかを、皆さんは知らなければなりません。

 先生がこういうことを皆さんに言っているのは、今朝この会合が始まった時のことを考えているからです。金氏が「敬礼」と叫んだ時「なぜ叫ばないといけないのだろうか。どうして皆は、自然にそうしたいという気持ちにならないのだろうか」と先生は考えました。先生はそういうことに不自然さを感じましたし、皆さんも変な気持ちになっただろうと思いました。しかしいったんその意味を知り、その方法と理由について詳しい説明を聞いたからには、すべて後は皆さん次第です。皆さんはこういう重要なやり方によって、心の奥深くに感じていることを表現することができます。


東と西の関係

 西洋の挨拶の仕方は横的です。友情を示す握手、つまりそれは横的な運動です。「あなたと私は平等です。だから共にうまくやっていきましょう」とそれは言っています。しかし、東洋のやり方は、心の中に縦的な関係を持っています。縦的な関係が最初にきます。まず最初に目上の人に会い、挨拶をしなければなりません。それから若いメンバー達の世話をします。両方とも必要だけれども、どちらが先にきますか。縦的な関係がまず確立されなければなりません。それから横的関係を結ぶことができます。

 西洋文化ではすべての縦的関係を排除することに、ある種のプライドすら感じているでしょう。しかし現実にはこれは、人間関係の本当の発展を遅らせることになります。理に適ったもっともなことだと皆さんは思っていますか。人間関係が円滑に営まれるためには、まず縦的な関係が先にきて、その基盤の上に横的関係がくるべきです。これは東洋文明と西洋文明の違いを示しています。

 西洋の人々は何か新しいものを探しており、新しいアイデアを東洋に求めています。東洋は西洋から新しいアイデアを求めていません。けれども、物事を行う新しい方法を見いだすことには関心を持っています。だから彼らは技術とか、西洋のより外的習慣とかについて、何かを見いだしたいと思っています。東洋の人々は古い形式的な習慣とか、狭い宗教的な考え方に疲れています。「こんなことをして何の利益になるのだろうか」と彼らは言っています。彼らはもっと実用的なやり方を学びたいと思っています。だから彼らはアメリカにやってきて、物の製造方法、建築工法、物流方法を学びます。これは実際とても良いことです。東洋からより奥行きのある考え方、そして西洋からは事物の優れた扱い方がでてきます。

 皆さんにとってはそういうことがたまたま起きているわけですが、何事にも「偶然」ということはありません。摂理がどのように進むのかということを知りさえすれば、皆さんにも物事の背後にある道理というものが見えてきます。だからそれを見つめてみましょう。西洋の男性と西洋の女性をとってみると、西洋の男性は、もし他に取るべき道があれば西洋の女性を選んだりはしません。他に取るべき道がたとえなかったとしても、男性は女性に仕えたり従ったりしたくはありません。男性はする必要がなければ、そうしたくないということです。「ここから飛び出したい。こういう生活は、無意味だ」と男性の中の何かが彼に呼びかけます。

 東洋の女性はそれほど活動的ではありません。しかし彼女達の静かで落ち着いた性格は、一言も語らずとも多くのことを語っているかのように見えます。西洋の男性がそれを分かれば、彼らは引きつけられます。西洋の女性はとても良く喋ります。けれども東洋の女性はそんなに喋りません。それが一般的傾向です。しかし東洋の男性達は「うちの女性達は何も表現しない。何のためにここにいるのだろう」と時々思います。東洋の女性達は、何もしないでただじっと座っているように見えます。だから東洋の男性は「もしアメリカの女性と結婚したら、人生がとても楽しくなるだろう」と考えます。

 アメリカの女性達も、心の底では誰かに正しい方法で主管してもらいたいと望んでいます。先生のような人にね。先生は必ずしも温和な性格ではありません。先生は、時としてはとても強靭で苛酷な要求をします。押しまくって妥協を許しません。時には皆さんもそういうのが好きです。「私もそういう一貫性のある男だったらいいな」と時々皆さんは言うでしょう。女性は自分達と同じような優しい人が好きなんだと一般的には信じられていますが、実はそれとは正反対に、恐らく強い人を好むでしょう。男性は自分達と同じ男性的な人だけを好むという考え方も正しくありません。一方が他方より優れているというようなことではなく、そういうことを言っているのではありません。男と女は互いに異なっているがゆえに、相手のためにお互いが創られているということです。男の子と女の子の双子のようなもので、完全には似ていませんが同じ親から出てきています。内面から知るようになれば、彼らにはそれほどの違いはありません。もしある物の真ん中に線を引きそれを半分に割ったならば、同一のものを二つ得ることになります。まあそれは大体似たような意味で、男と女は同じものなのです。しかし、一つになることを経験することができるように、やはり異なってもいます。そこが素晴らしいのです。分かりますか。


敬礼式の準備

 敬礼式の前夜、喧嘩した夫婦がいたとします。彼らはお互いの間に、そういうことがある限り、敬礼式に来るべきではありません。それは偽善なのです。ある種の蕩減を払って悔い改めをすべきです。互いに謝罪すべきです。もし彼らがそれを行うならば、つまり一方が「私が始めたことです。すみませんでした」と言い、他方が「まあ、私の方にも落ち度がありました」と言うならば、二人はやってきて一緒に誓いを述べることができます。皆さんは心に葛藤を抱いた状態で、天の前に出たいとは思わないでしょう。誓いは週に一度、月に一度、そして年に一度、心を洗浄する機会であるということが、誓いの持つ深い意味なのです。

 皆さんは朝早く敬礼式を行っています。そして「こんなに早く起きて敬礼するこの伝統をお父様が廃止してくださったらいいな」と何度も思ったことがあるでしょう。皆さんのうち、誰もがそのように思ったことがあることを先生は知っています。そのように思ったことがない者、手を挙げてみなさい。まあ、先生も時にそのように感じることもあります。四時に起床してその後、一日中働くのがいやだと思う時もあります。しかし、我々が自分を反省し、誓いの中で言っていることを考え、それと自分とを比べていけば、毎週毎週我々は良くなっていきます。自分を完成させるには時間がかかります。魔法の力でもって、いっぺんにやってしまうことはできません。それは何日も、何週間もそして何年もかかるのだから、絶えず我々は努力していかなければなりません。小学校を卒業するには六年かかります。天国へ行くための勉強をしているとして、皆さんはそれを一晩でできますか。皆さんは曇り空を見て「ああ、今日は雨になるかも知れない。学校へは行きたくない。この嵐の中を行きたくないな」と言います。それができますか。それが許されますか。学校へ行きたいと思った日は数日しかありませんでした。大抵、皆さんは疲れていたか、雨か雪が降っていたか、あるいはその他に何かがあったでしょう。しかし皆さんは毎日学校へ行きました。一日三度の食事はどうですか。それに疲れを感じることはありませんか。疲れたとしても、何があろうとも、皆さんは一日に三度食事をしますね。ではトイレに行くことはどうでしょうか。あまり立派な場所にないからという理由でトイレに行くのが嫌だった場合、しかしどうしても行かねばならない時、皆さんはそれでも行くのを拒みますか。たとえその場所を使いたくなくても、行った後ではずっと気持ちが良くなりますね。皆さんは本当に疲れているかも知れません。やりたい気分にはならないかも知れません。しかしやった後でいい気持ちがします。だからそれをやります。

 敬礼式の時には、皆さんはシャワーを浴びるか、風呂に入って身を清めなければなりません。それは霊的なものに対しても当てはまります。前の週に何か間違ったことをやっていれば、それについて考え、そして祈って、敬礼式の準備をしなければなりません。自分の体の各部について考えてみるのです。もし手が何か悪いことを、例えば人を押したり殴ったりしていたならば、皆さんはそれを心から悔い改めなければなりません。もし前の週に、あるいは前の月に、あるいは前の年に、他人に対して悪い思いを持ったことがあるならば、それを悔い改めなければなりません。

 毎週、このような時を持てるとは何と素晴らしいことでしょうか。皆さんは自らを清め、準備することができます。それから最も純粋なやり方で敬礼することができます。少なくとも数分間、敬礼する前に深い祈りを捧げなさい。前日の夜、風呂かシャワーを浴びることは、そのことをとても意義深いものにします。皆さんは自らを清め、敬礼式で神様と再び会いまみえるための準備をしています。それから天に対して「今夜、私は清いですから私の近くにいてください。そして朝お会いしましょう」とお願いすることができます。その夜、夢の中で何か良いものを見せてくださいと神様にお願いすることすらできます。そうすると敬礼式は良いですか、それとも悪いですか。今日から皆さんは変わらなければなりません。決して甘い気持ちで、あるいはいやいや敬礼式を行ってはいけません。反対に、心から喜びをもってそれを行うべきです。いつでも、新しい週の一番初めは、新しい皆さん自身の一番初めでもあります。自分自身や自分の配偶者そして子供達のことを思いながら、それらの関係に何か間違ったところがあればそれを清めます。それほど敬礼式は真剣なものです。敬礼式を行えるというこの大きな特権を、皆さんは骨の髄まで感じなければなりません。

 聖書は誓いを立ててはならない、宣誓してはならないと私達に警告しています。これは人間が神様にそうするための条件を持たなかったからです。しかし、今はその基盤が打ち立てられ、皆さんは敬礼式に参加することができます。だからこのようにして、神様の前に来れるということは、何と偉大なことかということを皆さんは考えなければなりません。先生は皆さんが儀式的に敬礼式をやっているのではないか、ただ分からずに習慣としてやっているのではないかと心配しています。ユダヤ人達がヤム・キブンつまり贖罪の日にユダヤ教会へ行く時のように、皆さんもとても真剣で厳かでなければなりません。この儀式は家庭の中に天国を建設するためにとても重要なものです。分かりますか。


東洋文化の理解

 今我々はその重要な点について知りました。皆さんは神学校卒業生で、この運動の指導者になるのだから、この点について真剣にメンバーを教育しなければなりません。皆さんは彼らを良く教育しなければなりません。今、韓国語を勉強している人達にしてもそうです。先生の英語は進歩しているけれども、皆さんに英語で話すつもりはありません。特に皆さんと韓国で会うような場合、先生は英語は話しません。もし先生と話したければ、皆さんは韓国語を使わなければなりません。

 別の言語を学ぶことは不可能なことではありません。食口は誰でも約二年間、韓国に滞在すべきだと先生は思います。皆さんは社会の最下層へまず行って、そこから一段ずつ上へ上って行くべきです。そうすることによって、皆さんは間違いなく韓国語を学ぶことができます。そういうことをしたくないと考える人は、皆さんの中には一人もいないと思います。皆さんは霊界へ行って、先生の話すことが理解できなければ恥ずかしいと思うに違いありません。皆さんは先生がこれを気まぐれで言っていると思いますか、それとも本当にそうだと、特に霊界では本当にそうだと思いますか。今から二十年後の西暦二〇〇〇年までに、皆さん全員が韓国語を話さなければなりません。今まで皆さんには他にやることがあったので先生はあまりそのことを強調しませんでした。一九八〇年以降、我々はこういう点にもっともっと力を注ぐようになります。韓国語を学ぶ時間を正式に持つようになるでしょう。必要なことです。そうだと思いませんか。

 ある人々は韓国語を覚えるのは非常に難しいと言うけれども、そんなことはありません。韓国語は論理的に構成されています。皆さんの頭はいずれにせよ、論理的に物事を考えるようになっています。そのように皆さんは創られています。韓国語はあらゆる音声を含んでいます。だから韓国人が別の言語、例えば英語を学ぶ場合、非常に早くそれを修得し、とてもうまく話します。日本人は決して韓国人のようにうまく、英語を習得することはできません。日本人にはとても難しいのです。なぜならば、日本語はたくさんの音声を欠いているからです。韓国人達が中国語を学んでそれを上手に話す時、彼らは実は外国から来た人だとは中国人には思いも及びません。韓国人が日本語を上手に話す場合にも同じことがいえます。この人はもともと韓国人であるとは、日本人は考えることすらしません。韓国語はそのぐらい幅広い音声と発音を含んでいます。また韓国語の形容詞、特に宗教用語は豊富で変化に富んでいます。心とか魂の内面世界を表現するものがたくさんあります。こういう意味で韓国語は原理に非常に近いのです。ここでは皆さんは「ゆっくり」と言うけれども「ゆっくり、ゆっくり」とは言えません。あるいは「早く行け」と言うかも知れないが「早く、早く」とはいえません。韓国語には、こういう意味を強調できる言葉、アイデアをより鮮明に伝えることのできる言葉が含まれています。

 韓国では人々はスプーンと箸を使います。お膳立ての仕方、例えばどこに皿をおいて、ご飯茶碗と湯のみ茶碗はどこに並べるかについての、厳しい規則が韓国にはあります。そしてそれらの配置には必ず主体、対象の関係があります。中国はその最古の文明を自慢し、日本もその歴史を誇りとします。しかし彼らは韓国が持っている数多くの特質を持っていません。だから中国と日本と韓国を見て、それらは皆同じものだと、皆さんに思ってもらいたくないのです。それらの文化の間には無限の隔たりがあります。先生は「将軍」の本と映画について報告書を受け取りました。皆さんは間違って発音をしています。「ショー・ガン」ではなくて「ショー・グン」です。皆さんは「gun」とあるから「ガン(銃)」のことを思い浮かべて、そのように発音をするけれども、そのように発音をすると意味を持たなくなります。「ショー・ガン」と発音したならばガン・ショー(銃の展示会)のようになってしまいます。その点が先生は気になっていました。

 「将軍」とは「大将」のことですが、特別の種類の大将です。将軍とは天皇の次の位に当たる人です。いずれにせよ、人々はその番組に大変興味をそそられました。アメリカ全人口の五〇パーセントがその番組を見ました。彼らはそれを見て、東洋について知識を得ていると思いました。しかし、実際は大したものは含まれていないので、先生はそれについて大したことを語ることができませんでした。一カ所、二カ所興味を引かれるシーンがあったに過ぎませんでした。東洋について何らかを理解するためには、入り口に立つのですら、皆さんにとっては何千というシーンが必要になります。

 一つ面白い所に目が止まったのですが、それは日本人が「切腹」と呼ぶ、自分の腹を切る儀式でした。彼らにとってそれは名誉ある蕩減方法なのです。自分の責任を成就できなかったならば、解雇される代わりに自らの命を断ちました。もし本当に本気であったら、それ以上のものは何もありませんでした。皆さんは映画の中でそのシーンを幾つか見ましたね。現実には歴史の上ではそれは日常茶飯事の出来事でした。苦痛をやわらげるために、必ず誰かがそこにいて、首をスパッと切ってくれます。そうすることによって迅速に命を断ち、苦しむ間もなくすみます。それを誰が行ったか。その人の敵ではなくて最も身近な人がやりました。親愛の友とか、最も近い親戚の人が首を切ってくれました。一つの務めに伴う名誉というものは、それほど重要だったのです。またそれほどの真剣さが、生命と直結していました。彼らの生命はいつも危険にさらされていたわけです。この国アメリカにはこれと同じような概念は全く何もありません。責任を果たせなかった場合にはそのようになるということを、一度でも考えたことがありますか。日本人は侍の歴史の中でそういった誠実さと真剣さを経験しています。侍は武士階級に属しますが、もちろん武士は戦争時にはその力を最高に発揮しました。

 日本は今は戦争中でないけれども、その侍精神の一部を維持しています。だから急速に発展してきました。世界経済の中で彼らは大きな業績を成し遂げています。彼らは物事について怠惰ではありません。仕事の分野で、自分達の首が危険にさらされていることを、彼らは本当に感じています。彼らは、仕事に成功しなければ切腹しなければならないという思いを、ある程度今でも抱いています。過去数週間、このドラマを見ながら先生は「ああ、これは絶対アメリカ人には分からないだろうな。今後も長い間分からないだろうな」と何度も独り言を言いました。しかし自らを真剣な立場に置けば、絶対に分からないということはありません。皆さんに最も近い者が皆さんの首をはねるということ、そしてそうするためには愛が必要であることを考えてみなさい。自らの生命を心配するよりも、命令を実行することの方がもっと重要であるということを、これは示しています。日本人はこういう背景と気持ちを持っています。

 死なんとする者は生きると聖書に書いてあります。日本人はその伝統のゆえに、摂理の面で最善を尽くします。一度神様の御旨を理解すれば、そういう猛烈精神を持って、彼らは責任を果たそうとします。皆さんは日本人の中に多くの欠点を見いだすかもしれないけれど、その一点ゆえに、日本人は多くの障害を乗り越えているし、またしばしば他の諸国を陵駕することにもなります。話を続けた方がいいですか、それとも今朝食をとりたいですか。朝食をとるべきか、それともとらざるべきか。朝食は既にできていますが皆さんは欲しくない顔をしています。まあ、海が近いのですから、それをそのまま投げ捨てることもできます。魚が大変喜ぶでしょう。それでも良いですか。時には皆さんは働きたくないと思う時がありますが、食べたくないと思うことはないのです。しかし食べることと同様、あるいはそれ以上に働くことを愛するならば、皆さんの成功は保証されていることになります。働くことによって失敗するということは決してありません。そのために、食事と食事の間が長くなりすぎれば、自然と胃袋が皆さんを導くようになります。

 今朝皆さんが聞いたことは、今日の本題ではありません。朝食の後、もっと多くの話があります。本題ではないけれども、皆さんの日常生活において重要なことです。それは単なる概念ではなくて、皆さんの日常生活に役立つ実用的なものです。だから皆さんに必要なのです。だから何も気まずく思う必要はありません。縦的な挨拶の仕方と横的な挨拶の仕方というものがありますが、今皆さんは縦的挨拶の仕方の意味を知ったのですから、多くのことを学んだことになります。

 先生はアメリカのことを良く知っています。恐らく普通のアメリカ人が自分達のことについて知っている以上に、先生は知っています。また西洋の文明についても良く知っています。物事を実行に移すとか結果をもたらすとかのように、非常に良い面が幾つかあります。東洋人が皆さんから学ぶことは数多くあるし、実際それらを取り入れつつあります。皆さんの学習速度が速いということも、先生は知っています。皆さんの座り方でさえ先生は感銘を受けます。先生が最初アメリカに来た頃、皆さんはそういう座り方はできませんでした。でも今、皆さんは足を伸ばすことなく、いつまでも床に座っていることができます。最初の頃、アメリカ人達がよくコーヒー・テーブルの上に足を上げてテレビを見ていたのを、先生は目にしました。女性達ですらそうしていたのです。先生はまだそういうことに慣れていませんでした。皆さんは今から世界の人間になるのですから、東洋を訪問するとか、そこに住むということになれば、これらの点をよく心に留めて、またそれに敏感でなければなりません。さて「将軍」の番組に戻ると、その中で一人の俳優が「六つの心と三つの情」について話しました。そういう言葉はアメリカ人を当惑させます。皆さんはいつでも、答えがすぐに返ってくることを期待しており、すぐに来なければ東洋人が考えていることを推し量ろうとします。しかし、皆さんアメリカ人にはどうしても分からない。彼らがそれを表現しないからです。これが、伝統的に中国人が西洋人達よりも外交が上手だとされている、一つの理由です。西洋人は自分の思いをすぐに表現します。皆さんは自分の手の内を示しますが、彼らはそれを示しません。

 中国人は心の中で何かを思っていたとしても、そのまま真っ直ぐに北極まで進んでいって、何か全く別のことをやります。ずっと後になるまで、どうしてそういうことをやるのか分かりません。先生が三日間皆さんと一緒にいれば、皆さんのことが全部分かります。一方東洋の夫婦は、何年もの間結婚生活をしていても、互いのことをよく知るのにさらに何年もの月日が必要です。友人間においてさえも同じことが言えます。

 東洋の考え方と西洋の表現の仕方の間には、無限の隔たりがあります。皆さんは西洋人だけれども、まさに世界に出て行って、他の人達が考えていること、感じていることに思いを尽くそうとしています。だから先生は東洋人について、彼らが何に価値を置き、何に置かないかについて、あるいは彼らが何を無礼と考え、何を礼儀と考えるかについて皆さんに話しているのです。

 韓国は小国家です。過去においては大国が小国をのむ込むことがよく行われ、それに対して講じる手段は全く何もありませんでした。ちょうど、大魚が小魚をのみ込むようなものです。それを食い止める方法は何もありませんでした。この点、韓国はとてもユニークです。それは小国家であり、侵略に対して勝利を得たことは一度もありませんでした。しかし、その度ごとに韓国は蘇りました。中国も、ソ連も、日本もその他のどの国も、韓国を完全にのみ込むことはできませんでした。韓国人はあらゆる状況に敏速に適応してきましたが、韓国人としてそのまま残り、韓国文化も維持することができました。韓国人は多くの場面を生き延びてこなければならなかったので、学ぶのがとても速いのです。さらに彼らは、ある意味では正義感にたけており、他人に依存しようとは絶対に思いません。すぐに独立します。彼らはアメリカの生活様式を観察し、その良い点を全部急速に吸収しました。また世界的観点で物事を見るし、人生についてもはっきりとした考えを持っています。だから状況を判断して、それについて急いで心を決めます。ますます多くの韓国人がハーバードのような大学に入学して、そこを卒業していきます。歴史的にはユダヤ人達が普通そういうやり方で前進してきましたが、韓国人も同じような才能を持っています。韓国人達が世界へ進出を始めた現在、数多くの分野で、彼らが影響を及ぼすようになるのを皆さんは見ることになるでしょう。

 もし韓国人と日本人が国家を共に作り上げて行ったならば、彼らはアジア全体に大きな影響をもたらしたに違いありません。しかしそうはなりませんでした。この二つの国が、あらゆるものを指導することになったかもしれませんが、それは実現されませんでした。先生は今未来を見つめ、韓国人とアメリカ人の夫婦の子供達が、どういうことをするか見守っています。これらの子供達の中からユニークな資質が現れるようになるのを先生は期待しています。

 先生は単なる一介の韓国人ではありませんが、韓国の歴史と文化の基本的な特質も継承しています。それらは基本的資質の一つですが、先生は一旦こうと決めたからには絶対に諦めません。先生はこの点に関しては徹しています。韓国は弱小国家ですが、征服されても征服されても何度も生き永らえてきました。また韓国は熱心な宗教国家です。生活のほとんどすべてが、宗教の基本的な意味と概念に関係しています。多くの人々が霊的癒しを経験しているし、霊界とこの地上界の間の相互関係についてはっきり知っています。彼らは自分達の先祖についても理解しているし、良い行為がどのように霊界に影響を与えるかということも知っている、あるいは感じています。


マッチングと祝福を通しての統一

 韓国人と約婚したアメリカ人は、とても興味深い人生を送ることになります。特に彼らの子孫達はユニークです。それは全く新しい種族と言ってもいいくらいです。皆さんの中で、そういう人はどれくらいいますか。いつ結婚式を挙げて欲しいのですか。今たくさんのカップルが待っていますが、もし全員を今すぐに祝福するとすれば、大統領がやってきて祝辞を述べるべきです。今そういう状態になっていますか。そういうことがあり得ますか。

 先生は国全体の事を考えています。だから軽々しく行動に移せません。簡単にはやれません。もしここアメリカで結婚式を行うとすれば、いろいろな国から数多くの人々を連れてこなければなりません。アメリカ人達は彼らを歓迎するでしょうか。結婚式場に誰かが爆弾を仕掛ける可能性、あるいは危険性があるでしょうか。そういうことについて皆さんは考えたことがありますか。今皆さんの結婚式を執り行えば、それは素晴らしいものになるに違いありませんが、それが順調に運んで、何事もなく幕を降ろすことができるように先生は心を砕いています。その結婚式をどこで行いますか。韓国にするか、日本にするか、英国か、それともアメリカにするかと先生は今考えています。

 確かに飛行機代は往復を考えれば、ある人達にはかなりの額になるけれども、先生はそれを心配していると思いますか。それとも、もっと大切なことを考えていますか。祝福を受けることのできる資格として、少なくとも三人を伝道し、教育して神様につなげなければならないと先生は何年もの間皆さんに言ってきました。さらに皆さんは八十四人を伝道する責任も持っています。イエス様は十二人の使徒と七十二人の門徒の間で労苦されました。彼は自らを中心として、これらの人々を一つに統一することができなかったので、それ以上進むことができず、祝福も受けられなかったのです。

 何が皆さんの理想なのですか。皆さんはホーム・チャーチで成功する以前に結婚したいのですか、それとも成功した後でしたいですか。皆さんはホーム・チャーチをもう全部やってしまいましたか。ということは、皆さんは霊界へ行く前に、もう一度祝福を受けなければならないことになります。この世が皆さんを歓迎するようになった時、皆さんがたとえ既に祝福を受けていたとしても、先生はもう一度皆さんを祝福しなければならなくなります。皆さんは教会レベルで、国家レベル、そして世界レベルで祝福を受けなければなりません。この三つのレベルが皆さんを認めなければなりません。そういうことを考えれば、結婚式とはそれほど簡単なものではありません。日本人と結婚した者達、手を挙げて。日本の男性と結婚したアメリカの姉妹達は、アメリカの男性と結婚したのとは違うものを何か経験していますか。良く研究してその違いが分かるようにならなければなりません。それらの違いは、皆さん達の関係における利点、あるいは長所となるかもしれません。

 先生ですら、いつの日か自分がこのようにして、これほど多くの人々と関係を持つようになるなどとは夢にも思いませんでした。さて、まだ約婚していない者、手を挙げなさい。そんなに多くはないですね。約婚について皆さんはどう思っているのですか。約婚している者達の中で、配偶者に不満を抱いており「よりにもよって、どうしてお父様はこういう人を私と合わせられたのだろう」と思っている者があったら、手を挙げなさい。誰もそう思っている人はいないのですか。少しでも思わないですか。一緒に生活をして子供を持つまでは、どういう思いがくるか誰にも分かりません。お互いにあまり好き合っていない者達の間から最高の子供達が出てくるかもしれません。そうなったら皆さんはどうするのですか。

 皆さんは一国の指導者になるかもしれない。あるいはそれを超えて、世界的レベルの指導者になるかもしれません。皆さんはそういう道を経て初めて、自分の結婚を評価することができます。典型的な例が、金栄輝協会長です。彼は祝福されてから三年以上も悩みました。どうして先生はこういう妻を私にくださったのだろうかと彼は考えました。そこで先生は「もう少し待ちなさい。分かるようになるから」と言いました。それから数年経った頃、彼は妻を尊敬し、愛するようになり、彼女なしにはやっていけないというほどになりました。それで今彼は、女性崇拝者なのです。しかし女性が悪い場合、それでも男は女性崇拝者になれるでしょうか。先生はある分野での専門家だとすれば、少なくとも人間と神様の研究の面では専門家なんですね。先生は神様の心と人間の心を徹底的に研究しました。実際、皆さんは先生に何も言う必要はありません。皆さんを見さえすれば、皆さんが配偶者に対してどういう思いを持っているか、先生にはすぐに分かります。先生は一組のカップルが霊的にどのようになるか、正確に予言できます。先生が皆さんのマッチングをした時、皆さんと同じレベルに立って、それをやったのではありません。先生の心は最高の観点に立って皆さんを見下ろしています。

 マッチングについての先生の名声は、韓国では既にとても高いのです。韓国には縁組の哲学というものがあって、それは非常に長い間続いている一貫した哲学、あるいは学問体系です。韓国にはたくさんの縁組をする人がいて、生涯この特技を研究しながら数多くの縁組を行っています。食口達が度々、彼らの所へ行って自分達の縁組を見せました。するとそれがあまりにも良いので、彼らはとても驚いてしまいました。それ以上の縁組は自分にはできないと彼らは言うのです。

 皆さんが生まれた時、その生まれ方というものがあって、それが先生には分かります。先生のマッチングの能力は年を取ってから身に付いたものでなく、非常に幼い頃からその能力に人々は気が付きました。先生はまだ非常に若い頃、一組のカップルを見てそれが良い組み合わせなのか、そうでないのか、即座に言い当てることができました。だからすぐに人々が先生の所にきて写真を見せ、それが良い組み合わせなのか、そうでないのかを、先生に尋ねるようになりました。何年も何年も先生はこの領域を研究し、実践してきました。マッチングに関する限り、その数だけでなく質の面でも、先生は世界的チャンピオンです。そうすると、もし皆さんがマッチングをしてもらう、あるいは結婚するとして、その時はどうするつもりですか。皆さんが本当にその価値が分かり、その価格が十万ドルであるならば皆さんはどうするつもりですか。「私はそのような大金を持ちませんから、少し劣るので満足しましょう」と皆さんは言いますか。そうではありません。皆さんは出ていき、その金を儲けるためにどんなことでもやります。皆さんは自分のマッチングをせっかちに判断してはなりません。もしその価値を本当に理解したのであれば、皆さんは待たねばなりません。そしてこの地上で三世代経た後に、皆さんにはそれが分かるようになります。皆さんが霊界へ行けばそれがもっとはっきりします。しかし、もし皆さんが先生よりももっとよく知っており、先生よりももっと立派な仕事ができるのであれば、皆さんは先生の所へきて不平を言うことができます。皆さんの中には、夢想だにしなかった人と一緒になった人もいるでしょう。結婚するとしても、この人とは絶対にしたくないというような人がいたとするならば、それがこの夢想だにしなかった人に該当します。そこで先生が皆さんをそういう人と組み合わせます。しかしそういうカップルは最高のカップルだという場合が、しばしばあります。

 人間の性質にはいろいろあって、ある人は上昇カーブを上がっているし、他の人は下降線をたどっています。ある人は繁栄の頂点にいて、今下降線をたどり始めています。またある人は上昇し始めたばかりかもしれません。人生においてはこういうのは当たり前のことです。皆さんは調和を保たなければなりません。もし一方が他方よりもより早く移動すれば、一方の配偶者が取り残されて死んでしまいます。結婚はとても重要です。先生より以上のことを知っている人は誰もいません。それは人の命を長くもするし、短くもします。これよりももっと重要なものがあり得るでしょうか。

 人生で最も重要な出来事は配偶者をもらうこと、つまり結婚することです。アメリカではこの最も重要なことがおろそかに扱われてきています。ある人達は初めて会ってその日に結婚します。またある人達は結婚などは気にかけておらず、自由に結ばれ、その後そのまま分かれ、再び会うということはありません。こういうやり方はその度に深い傷を残すものです。反対に先生はとても真剣です。皆さんは一旦、マッチングに合意した以上、それを持続させ、かつ成就させなければなりません。皆さんは自分のマッチングを素晴らしいマッチングと感じていますか。本当にそう皆さんが感じているならば先生はとても嬉しい。しかし覚えていてほしいことは、たとえ今、皆さんがそのように感じているとしても、その状態が必ずしも持続しないということです。自分のマッチングをあまり良く思っていない人達は二、三年すると事情がだいぶ変わってきます。良かったと思うようになるでしょう。

 「誰もが結婚しようとしている。自分はその中の一人に過ぎないのではないだろうか」。そうではありません。結婚の性質はすべて、大変異なっています。海を見なさい。海には数多くの深い場所と様々な色があります。皆さんの結婚はそれと同じようなものです。一組、一組が大変ユニークです。皆さんは自分の結婚に対してそういう神秘的なものを感じなければなりません。以前は見知らぬ者同士だった男と女が、今や一緒に生活し、どんな人よりもずっと深く互いに知り合うようになります。そのように考えてみると、それがどんなに大変なことか、またどんなに神秘的なことか分かるに違いありません。

 そうすると君達男性は、女性が必要ですか。君達女性は、男性が必要なのですか。ある人達は同性愛のグループを選びます。女性は女性と共に生活し、男性は男性と一緒に住みます。彼らは結婚しないでも生きていくことができると考えています。しかしそれは可能ですか。そういう生活が続きますか。男と女の基本構造は完全なマッチングにあります。それは電気のシステムと同じように基本的なものです。連結させるためにコンセントとプラグがあります。これは単純なことだと思うかもしれませんが、多くの人がこの基本的なものを分からないでいるのです。被造物は皆このように創られています。これは単純な創造の法則です。


チャンピオンを作る

 さあ始めましょう。皆さんが今必要なものは何でしょうか。そして皆さんが最も必要なものは何でしょうか。人が必要なのでしょうか、それとも金が必要なのでしょうか。どちらがより必要でしょうか。人ですか、それとも金ですか(人です)。そうですね。私達は人材を必要としています。さて、どんな人でも仕事ができるでしょうか。あらゆる種類の人間がいます。教えることのできる人とか、技術面で才能のある人とか、海を航海することができる人などがいます。あらゆる種類の人達がいます。どういう人が必要ですか。船乗りになるのが皆さんは好きかもしれないけれども、いろいろな種類の船乗りがいます。

 先生は皆さんを船乗りにするために神学校に送ったのではありません。先生の目的は皆さんを船乗りにすることではありませんでした。先生が欲しいのは、また教会の誰もが望んでいるのは、霊的面を優先し、他の人々に仕えることのできる人です。そういう人は与えられたどのような責任分担においても、正常に、そして正しく使命を果たすことができます。我々は、霊界を代表しこの地上で原理にのっとって喜んで働くことのできる人を必要としています。

 その人はどういう人でしょうか。その人は、サタン世界に関係している人々を喜びをもって引き上げ、神様の道に従わせることのできる人です。我々はそういうことができるチャンピオンを必要としています。チャンピオンを作り出すためには、そのためのチャンピオンが必要です。例えば、体育館があり、そこにコーチとかトレーナーがいて、彼の下で訓練を受けるために若者達が集まってきます。コーチは彼らを十分に訓練した後、コンテストに送り出します。彼らが競技に勝てば、あるいは選手権タイトルを勝ち取れば、トロフィーを体育館に持ち帰ることができます。体育館にいる時、そのチャンピオンはいつも練習して、いつも戦っています。このようにして彼は自分を磨いています。

 訓練を受ける人がいなければ、彼はその人達を募集しなければなりません。誰が募集するのですか。そのチャンピオンが募集しなければなりません。彼の代わりにそれをやってくれる管理責任者はいないでしょうか。いません。ということは他の人達を連れてきてその中からチャンピオンを作ろうとする以前に、皆さん自身がチャンピオンにならなければならないということになります。皆さんが体育館を持っていなければならないし、皆さん自身が定期的に訓練することのできる十分な技術を身に着けていなければなりません。人々を集め、その人達と何か行う前に、皆さん自身がそういう能力を身につけていなければなりません。

 人を訓練する時には、皆さんも相手の目を見て戦わなければなりません。もし相手が皆さんの目を真っ直ぐに見ることができなければ、真っ直ぐに見て、目をそらしてはならないことを彼らに教えなければなりません。手や足の正しい用い方も彼らに示さなければなりません。時には彼らを殴り、はっきりとどうすべきかの模範を示す必要があります。チャンピオンは絶えず一つひとつの動作についてどうすべきか、相手に示します。どんな小さなことについても、決して彼らをほったらかしにしません。

 このようにして皆さんは何人訓練したことがありますか。お金よりももっと人が必要だというならば、皆さんはそのような人を育て上げなければなりません。皆さんの所に人々を連れてきて「彼らは既に訓練を受けています。どうぞ使ってください」などという人は誰もいません。皆さんが彼らを訓練しなければなりません。しかし皆さんは人を訓練する前に、自らがそれを全部こなすことができなければなりません。皆さんは自分の力で一つひとつやり遂げなければなりません。皆さんにとってそれは必死なことです。誰かを必要とするならば、皆さん自身がはっきりしていなければなりません。誰でもいいというわけにはいきません。適切な人を見つけ「そうだ、彼が必要なのだ。この人が必要なのだ」と言います。それから皆さんはその人のために最善を尽くすように努力しなければなりません。彼のことを考え、彼のために祈り、彼を復帰するために皆さんはあらゆることをしなければなりません。つまり彼を訪問し、彼と共に一生懸命働かなければなりません。彼の周りにいる人達は皆さんに反対するでしょうが、それでも皆さんは何度も何度も彼を訪問しなければなりません。皆さんは心からその人を復帰する決意をし、諦めてはいけません。

 一方的な愛というのを聞いたことがありますか。皆さんはそれを片想いと言います。一旦決意したならば、他の人達がどう思おうと関係ありません。重要なことは、皆さんが彼らのことをどう思うかです。皆さんはその人達の所へ行って仕えます。そして彼らが皆さんに反対し、迫害し、殴って血を流させるようなことをしたとしても、それでも皆さんは諦めてはなりません。反対に皆さんはそのことにより刺激され、もっと熱心にその人に仕えるようになります。そうする頃にはもはや限界などというものはなくなっており、その人は「他の人々からこれほどまでに注目されているとは、一体自分は何者なのだろうか」と考えるようになります。

 皆さんの周りにたくさんの人々がいたら、どの人がその中で最高の人か、よく見回して観察するんですね。皆さんが神の側へ復帰したいと思う最高の男性、あるいは女性がどの人かを決定しなさい。次に、決めた以上は絶対に逃がさないという決意をしなさい。そしてその人の心情を勝ち取るまで働き続け、かつ祈り続けなさい。それから、その人をよく知るようなってから、皆さんは自分の心を打ち明けるのです。この国が衰退しつつあることは、またその傾向をくい止め、この国を立ち直らせたいと思う人に自分は会いたいのだということをその人に伝えなさい。その人が皆さんの考えに同意したならば、一緒に働いてくれないかとその人に頼むことができます。

 最初から原理について話す必要はありません。その人はすぐには原理に興味を示さないかもしれません。例えば、ある人が格闘技を得意とし、それを誇りに思っていれば、そして皆さん自身少し筋肉に自信があれば、その人の所へ行って二、三教えてくれるように頼みます。そうやって彼から幾つか学ぶことができます。もし皆さんがあることに興味を持っており、その人がその分野である程度才能を持っていれば、そのようにして彼に接近することができます。最初は彼から何かを学ぶことができます。

 皆さんの関係が発展し、さらに互いに信頼しあうようになれば「筋肉はまあそんなところでしょうが、その筋肉を正しく使うためには、君は頭を使わなければいけない。賢くなければならない。しかし、君は頭でこうしなければならないと思っても、体が必ずしも動いてくれない場合があるのではないですか」と彼に言うことができます。どのように闘うべきか、またなぜそうしなければならないか等、そこで自分の意見を述べるのです。そういう会話の中でも原理は説明できます。一つだけ避けるべき点は自分自身に限界を課することです。「私は歌えない。それは私の一番やりたくないことです」などというようなことは絶対に言うべきではありません。「一番やりたくないもの」などというものはないのです。皆さんは何でもやってみるべきです。

 最初からそれでは滑稽ですね。極端なことをやってみます。つまりできないと思うことをやってみます。誰もが予想だにしなかったことを何かやってみます。そうすれば人々は皆さんのことに気が付き、耳を傾け始めます。先生はこういうことを長い間研究し、また実践もしてきました。先生にも限界があるのだけれどそれを乗り越えてやってきました。皆さんも同様に自分の限界を乗り越えなければなりません。何が先生の限界でしょうか。先生は統一教会の指導者です。だからやり方は知っていてもやれないことがたくさんあります。先生はとてもたくさんの分野で専門家だけれども、それを必ずしもできるとは限らないのです。

 とても単純なことだけれどもリングの上のチャンピオンになるには、皆さんは自らを訓練しなければなりません。何を訓練するのですか。ただ一つのことではなく、いろいろな技術を訓練します。何百という方法があります。頭の動かし方、手の動かし方にもいろいろなやり方があります。例えば、頭を低くして拳を上に上げる場合もあります。皆さんが真剣であり、そしてもし闘わなければならないならば、つまり本当に闘う必要があるならば何とかできるものです。頭や手や尻を使っても良いのです。もし皆さんが真剣なファイターであり、追い込まれるようなことにでもなれば、そういうものも使わなければならなくなります。皆さんはチャンピオンですか、それとも傍観者ですか。チャンピオンならばどういうチャンピオンですか。他のどんな人よりもより多くの関心を持ち、より多くの動き方を身に付けた人が最強のファイターになる人です。そのようにしてチャンピオンは作られます。皆さんは心も体もすべて完全に投入しなければなりません。

人々を一カ所に集めるにはいろいろな方法があります。例えば、ハイキングとかランニングとか音楽など、先生は皆さんに、一緒にいる人を楽しくさせる人間になって欲しいと思います。石木のように、無表情で不活発ではいけません。あらゆるものに関心を持ち、簡単に興奮するような人でなければ駄目です。そうなればすぐに人々とうまく付き合えるようになります。先生がそうなのです。先生は心から楽しむことができます。だから先生といると興奮してきます。先生は決して皆さんを退屈させることはありません。

 山登りをすることがあれば、先生は誰よりも速く登ります。皆さんと一緒に運動場に出るならば先生はどんな人よりも以上走ったり、跳んだりします。先生はあらゆるものに好奇心を持ち、熱狂的にあらゆるものを学ぼうとします。誰かと友達になりたければ、皆さんはその人と同じ分野で活発に行動をしなければなりません。もし皆さんに何も秀でたものがなければ、外へ行って誰かに喧嘩を売った方が家の中にじっと座って、何もしないでいるよりもずっと良いのです。少なくとも皆さんは何かをやっているし、そこから何かを学ぶことができます。

 皆さんは人から殴られることもあります。そういうことがないと、人生というものが理解できないのです。それに人に殴られるのもそれほど悪いものではありません。殴られることによって、それがどういうものかを味わうことができるし、頭を使わせられるので、人生において物事を早く判断できる人間になります。ある状況下では皆さんは敏速に物を考え、即座に何かの行動をとれるようでなければなりません。それがチャンピオンです。チャンピオンはどういう状況の下でもとても活動的で、物事を極めて速やかに決定できなければなりません。またチャンピオンは前進すべきか、後退すべきかを知り、それを行動に移さなければなりません。

 先生は六十歳を超えましたが、何かを話したり、興奮したりしている時は、誰も先生がそのような年だとは思いません。先生は二十歳みたいです。そしてそれはとても素晴らしいことです。皆さんはチャンピオンにならなければなりません。皆さんが優しくなりつつあるならば、初めは荒々しくなって、それから後に優しくならなければなりません。人生のあらゆる面を経験するのです。皆さんは人材が必要です。そうですね。どういう人が必要ですか。神様は皆さんのことを心配され「この人達が伝道に出ていくならば、自分と同じタイプの人しか連れてこないのではないか」と考えておられるかもしれません。神様はその人が皆さんの手中に陥らないように守ろうとされるかもしれません。ただ座って何もしない人を、神様はこれ以上求めてはおられないのです。皆さんは神学校を卒業して、修士の資格を持っています。もし誰かが近づいてきて皆さんに怒鳴りつけても怒鳴り返さなければどうなりますか。皆さんはただそこに座ってそれを黙って聞いています。皆さんは海へ出ていくつもりならば、夏の間そこでどういうことが行われるか、まず知っておくべきです。漁師達は絶えず喧嘩をしています。釣り糸が絡まって、船同士がぶつかりそうになるという緊張した瞬間が訪れます。その時皆さんは叫び声を上げ、非常に激しい言葉さえも使わなければなりません。そういう場合には、皆さんは自分の権利を守る必要があるのですから、叫び声を上げたとしても何も悪いことではありません。

 何か尋常でないことが起こりつつある時、真っ先に叫び声を上げるのは先生です。もし相手が叫び返してきたら、先生はもっと大きな声で叫び返します。先生の方が正しいのだから彼らも耳を傾けざるを得ません。ニューホープ号の他のメンバー達、例えば大貫などはそんな大声を張り上げないのです。しかしある場合には、大声を張り上げて義を通した方が遥かにいい時もあります。山上では皆さんが大声を上げれば、少なくとも山彦が返ってきます。しかし、ある人達は山がすることすらやらないで、黙ってそこに座ったままでいます。山は自然です。人間も自然でなければなりません。岩ですら力には力で答えてきます。皆さんは岩とか、木材よりも優れているのではないですか。先生は一度、一晩中眠れない経験をしたことがあります。太陽が登るのすら待ち切れなくて、それが昇るや否なある人の家へ行って、戸を押し開け「私達はこの問題を今すぐに話し合う必要がある」と言いました。まあ先生は職業柄こういうことは普通ならやりません。しかし先生は心に何か引っ掛かるものがあり、しかも先生の方が正しいという確信があれば、それについて何かしないわけにはいきません。時には先生は宗教指導者であることを悲しく思う時があります。先生は攻撃的性格ですが、神様のために忍耐しなければなりません。しかし、時々先生は「どうして私は宗教指導者にならなければならなかったのだろう」と自問することさえありました。

 先生にとって誰もがただ座って一日に三度、一年に三百六十五日間食事をし、しかも何もやらないといことが不思議でなりません。「彼は、あるいは彼女は一体どういう人なんだろう」と先生はただ不思議に思います。しかし先生が呼べば、彼らは問題なくここに来ます。それほど速やかに応じて会合にやってくる彼らが、どうして同じ熱意で外へ行き、人々と接触しないのだろうかと先生は不思議に思います。


他人の尊敬と友情を勝ち取ろう

 では皆さんは何が必要なのですか。人ですか。それとも金ですか。皆さんには人が必要です。「ああ、余り何もやりたくない。ここにじっと座って子供が生まれるのを祈願していよう」と考えているのですか。そのように考えたことがありますか。皆さんは配偶者探しに出かけなければならないとまず考えるべきでしょう。それから考えられないほどの陣痛の苦しみを経験しなければなりません。その後、赤ん坊がよく泣くので皆さんは疲れ果ててしまうでしょう。皆さんは世界を抱擁しょうとしているんだということをまず考えなさい。それは一飲みで大きな魚を飲み込もうとしているようなものです。その魚は皆さんの胃袋に留まっているでしょうか。皆さんはそれを消化する力も持っていますか。まず第一に皆さんは決意しなければなりません。それから何度も何度も挑戦してみることです。人を復帰するつもちならば、自らを全部投入しなければなりません。その人を昼食に誘い、それからまた夕食にも誘うのです。そしてそれを次の日も繰り返します。そのように毎日毎日その人の面倒を見ます。とにかくそれをやってみるんですね。友達になることです。

 お金がなくなったら、資金づりの方法をその友人達に教えることができます。皆さんが三十分間で夕食代と映画代を儲けることができると知ったら、彼らは感銘を受けるでしょう。何もできないことはありません。どんな時でも、そしてほとんどどんなことでもできなければなりません。それが本当の人生を送る秘訣なのです。一人の男と一人の女がいたとして、その男が女に「ここにいなさい。昼食代を作ってくるから」と言ったとします。そして実際に彼が出かけていって十分間でそのお金を作ってきたら、その女性は心から感激するでしょう。

 昼食代を得ようとしていた時、路上に一人の紳士が立っていたとします。最初、彼は皆さんのことを不審がるかもしれませんが、皆さんは微笑んで次のように話しかけます。「あなたは恋をしたことがありますか」と。彼は皆さんを見つめ、恋をしていた頃のことを思い出します。それから皆さんは彼に「もし彼女を昼食に誘わねばならないのに、そのお金を持っていなかったならば、あなただったらどうしましたか」と質問します。このやり方で皆さんの事情が理解できれば、彼は喜んでその金を出すでしょう。一つだけ確かなことは、そのような積極的な若者が先生に近づいてきたならば、先生は喜んで百ドル札を上げるということです。もしその女性がこれらのことに批判的であるならば、彼女はその若者に相応しくないということになります。彼は彼女と分かれ、すぐに別の人を見つけるべきです。

いろいろなやり方があると思います。たくさんあります。皆さんは予行演習なしに即座で芝居ができるようでなければなりません。皆さんが誠実ならば、全く知らない人の所へ行って「ああ、あなたは私の妹みたいだ。あなたといると、家で妹と一緒にいるような気がします」と言うことができます。皆さんが本当に誠実ならば、彼女は恋に思わないし、皆さんの言うことに耳を傾けるでしょう。自分はドラマの中に今いるんだといつでも考えなければなりません。その瞬間に皆さんは俳優です。ちっんとした重大な理由がありさえすれば、皆さんにできないことはありません。

 立派な考えさえ持っていれば、皆さんはほとんど何でもすることができます。皆さんの考えが皆さんの行動を導いてくれます。この世にはいろいろな生き方がありますが、先生が知らないことはほとんどありません。あまり外には現さないけれども、先生はとてもたくさんのことを知っています。もし歌が上手ならば、皆さんは町の真ん中で歌うこともできます。皆さんが上手ならば、いつかは誰かが関心を持つようになります。ある人がやってきて皆さんの歌に耳を傾けるでしょう。その人も秘かにそういう事をやりたいと思っていたのだけれども、今まで一人ではできなかったのです。それからその人は皆さんと一緒に歌い始めるでしょう。

 しばらく経ってからその人は皆さんに親しみを感じるようになり、どこに住んでいるのかと尋ねるようになります。皆さんは自分の住んでいる所を教えてもいいけれど、その人には何も尋ねてはいけません。するとその人は「帰宅の途中でも私の家に寄りませんか」と言うようになります。最初から皆さんが期待していたのはそれだったのです。だからその招待を受けます。三、四時間も経てば夕食の時間になります。辞退する必要はありません。そのようにして皆さんは人々と友達になることができます。

 腹が立つのは皆さんが全くお利口さんだということです。人生は石垣のように、ただじっと座っているものではありません。皆さんは親友達とは冗談を言い合うけれども、その冗談を全く知らない人にまでも広げなければなりません。皆さんは親友達とはいつも冗談を言い合っているけれども、もし多くの人々に一緒に働いて欲しいと思うならば、精いっぱい努力して新しい親友を作らなければなりません。もし市長に会いたいならば、必ずしもアポイントメントを取る必要はありません。二、三日、市役所の前で彼が出てくつのを待てばいいのです。そして時が来たら彼の所へ歩み寄って「あなたが市長さんですか。あなたは私より立派な人ではありませんね。それにあなたは私ほどハンサムでもない」と言うのです。皆さんは彼よりももっと頭がいいんだということを言います。そうすると彼は立腹して「一体、君は私が知らないもので何か知っているものがあるのか」と聞いてきます。それから皆さんは急いで質問します。「神様を見たことがありますか。私がお世話しましょう。あなたは神様を見ることができます」あるいはキャラメルとかキャンデーを持って行って、それを彼に与えることができます。もし拒むようなことがあれば、アメリカにおいてすら、それは無礼なことです。だから皆さんは「あなたは有能は市長ではない」と言うことができます。彼が年上の人だったら「私がいつの日かあなたの義理の息子になるかもしれません。そうならないとどうして言えるでしょうか」と彼に言えばよいのです。そういえば彼の注意を引くかもしれません。いずれにせよ、皆さんや彼の未来がどうなるか誰にも分からないのですから、そう言ってもいいんですね。もし彼が皆さんを気違いのように扱えば、そのために腹が立ったことを彼に率直に伝えればいいのです。

 先生は議員と良い友達になる方法を知っています。他の人がやるような普通のやり方ではいけません。他の人々がやるような当り前のやり方ではいけません。直接行って、戸を開け「あなたに話がある」と言います。彼は驚いてどういう人なのか調べにやってきます。そこで皆さんはどうしてやってきたのか、どうして話したいと思ったのかを彼に言います。皆さんには重要で緊急を要するメッセージがあります。もし秘書が邪魔をしようとしたら、それに対して怒鳴りつければ良いのです。皆さんは短い時間内に彼らと友人になれなければなりません。

 一度、先生はある人を何度も何度も訪問したことがあります。その人は何度も何度も先生のことを嫌いだと言いました。それでも先生は、彼が考えを変えて先生を好きになるまで訪問し続けました。何回、その人を訪問したと思いますか。先生は一年と六カ月間、彼を訪問しました。何度も何度も訪問しました。最後には彼の家族全員が先生の来るのを待ち望むようになりました。

 チャンピオンが必要ならば、皆さんの方から出かけていって見つけ出さなければなりません。もし先生が州の責任者ならば一週間その州全体を回り続けるでしょう。皆さんは始終動き回っていなければなりません。皆さんはいつもそうでなければなりません。その後で始めて何かを期待することができます。いつも動き回っていなければなりません。出かけていって人を訪問し、それからその人達を招待します。そういうことがいつもなされていないといけません。

 皆さんは路傍伝道したことがありますか。路上で自分がどういう顔をしているか、皆さんは知っていますか。自分がどういう姿をしているか知っていますか。皆さんは自分のことをもっと知る必要があります。自分の顔あるいは性格が人を引きつけるものであるかどうか、知る必要があります。もし黙って座っていたならば、人々は皆さんが半分居眠りしていると思うでしょう。目を覚ましているのだということを人々に知らせるためにも、皆さんは目玉の動かし方も研究しなければなりません。目は敏速に動く必要があります。動作が伴えばさらに良いでしょう。ただじっと座っているだけでは駄目です。皆さんの体は目の動きに合わせて活動していなければなりません。これが自分の外見を改善する基本的な方法の一つです。

 そうすれば人々は皆さんが活気に満ちていると思います。先生は十代の時、友人を演台の代わりに使って、即席で演説する事がありました。何人かの友人達も先生がやっていることを知ってついてきました。彼らはそういうことをする先生が好きだったのです。演説が終わったら一人やってきて「もう一つ演説するつもりなんだろう。それなら私の肩の上に乗るといい」と言いました。彼らは何とも思わなかったのです。何でも自然に物事を行えば許されるのです。

 皆さんが州の責任者で、ある素晴らしい女性を見つけたとすると、皆さんはその女性の背中に立つことさえ許されます。皆さんがとても誠実で、しかも不自然でなければ彼女は何とも思わないでしょう。間違いなく人々は皆さんの演説を聞くために立ち止まります。ある人々は近づいてきて、皆さんが女性を酷使していることについて抗議するかもしれませんが、皆さんは「あなたは私がやっているのと同じことをやれると思いますか。それならやってみるとよい。もしできるならばあなたは何のために抗議していることになりますか」と言うことができます。人の注意を引く必要に迫られているならば、そういうこともできなければなりません。先生にはあらゆる種類の友人がいます。どこに行こうとも先生には友人がいました。実際あまりにもたくさん友人がいて、彼らは先生についてくると言い張ったのですが、先生は忙しすぎて、誰とでも友人になるわけにはいかなったのです。そのようにして先生は日々を過ごしました。だからこそ、どういう事情があろうとも神様の御旨をなすためにできないことはないということを、先生は知っています。自分自身の物語、自分自身の小説を作ってそれを演じ、そしてその小説の中で英雄になります。自分のシナリオに従って、実生活の中でそのドラマを演じます。それが人生だと考えます。どういう行動をするかも推測してみます。皆さんがある行動をどのように行って、それに対して他の人達がどのように反応するか、それからその後、皆さんがどうするのか。それを計画し実行します。先生はそういう精神を持っています。だからアメリカへ来て最高責任者の中の何人かを訪問することができます。

 先生がやらなければならないことを想像してください。アフリカに行けば先生はじっとしてはいません。それは悪いことではありません。先生は物事をかき回します。そして先生が行く国には何か良いものがやってきます。皆さんはどうなのですか。皆さんは何軒の店を将来持ちたいですか。もし、百軒の店を持ちたいのであれば、その店を運営できる人をその店の数に相当する人数分だけ少しでも育てなければなりません。そうすれば皆さんは全体の運営が行えます。食口達は今、ビジネスをたくさん行っています。先生は、一つひとつのビジネスを自分で運営するならば、必ずそれを成功させることができるということを知っています。失敗するはずがないのです。以前ビジネスをやったことがなく、今やりながら勉強している食口は、最初のうちはある程度損をするものだということも、先生は分かります。それは理解できますね。最初の二、三年はそうでしょうが、早くそれを覚えて成功させなければなりません。

 もし先生が講師をやるとすれば人々はやってくると思いますか。皆さんは先生が彼らを説得し、彼らの心を感動させることができると思いますか。「お父様、それは良い考えです。どうしてそうしないのですか」と皆さんは独り言を言うかもしれません。どうして先生にはそれができないのでしょうか。皆さんはその理由を知っています。それが誰の責任分担であるか、皆さんは知っています。先生はそういうことはずっと以前に既に経験しています。先生は今も皆さんに教えていますが、どのようにしたらそれを成し遂げることができるかについては、既に皆さんに教えたはずです。晩餐会を開き、毎日毎日、人々を訪問するのが誰の責任分担であるか、皆さんは知っています。皆さんは前進し、心の底からこれらのことを行うのです。熱心に各家庭を訪問し、そこの人達の面倒を見ます。そうすれば彼らは心を動かされます。州の責任者が一日中、部屋に閉じこもっていることができるなどとは、先生には理解できないことです。神学校を卒業した姉妹達も同じです。ただじっと座って人々が皆さんを招待するのを待っていてはなりません。立ち上がって出かけていき、平静さと魅力でもって招待してもらわなければなりません。

 皆さんは人を追いかけていかなければなりません。いつも小者ばかり追いかけていては駄目です。摂理を早く進めるためには大物をつかまなければなりません。皆さんは有名になりたいですか。ただじっと座っていることができますか。もし他の人達と同じような生活を送っているならば、皆さんは絶対に有名にはなれません。違った生活をして他の人達よりもっと偉大にならなければなりません。どんな人よりもより多くのことをし、より多くの努力を払わなければなりません。

 皆さんは統一教会のチャンピオンですか、それとも統一教会のメンバーですか。自分の手、足、腕全部を利用しないチャンピオンなんていません。先生は皆さんが変わるのを待ち望んでいます。皆さんは神学校を卒業しました。一体いつ、皆さんは変わるのですか。皆さんが今までとは違った自分になるには、あと何年かかりますか。いつ皆さんは違う人間になるのですか。これは重要な質問です。最初に自分から何かをやることなしに、ただ高い地位に置かれることを期待しているだけならば、皆さんはサギ師です。
成功の基礎を作ること

 今年ニュー・ホープ号がマグロ釣りトーナメントで、一等賞を獲得したというのを皆さんは聞きましたか。皆さんはどう思いますか。モーニング・ガーデンにただ座って何もしないで、その賞を先生は勝ち取ったのでしょうか。違いますね。先生は毎朝、太陽が昇る前に出かけていきました。先生はマグロが食い付いてくることを知っていて、一日中釣りのラインをただ握っていただけでしょうか。そうやって他の誰よりも多くのマグロと一等賞を先生は獲得したのでしょうか。違います。そういうことはあり得ません。「今年はどうしてニュー・ホープ号が一等賞を獲得したのだろうか」と言った人は、今年は誰もいませんでした。そういう疑問を抱いた人はただの一人もいませんでした。なぜニューホープ号が一等賞を得たか全員が知っていたし、先生がそれを得た時、不平を言った人は誰もいませんでした。

 先生はこの数年間、毎日とても真剣な気持ちで出かけました。そしてハンドラインの新しい技術を開発し、それを何度も何度もテストし、それが使えることを証明しました。実際それが最も良い方法だという点には疑いの余地がありません。だから今、他の人々にも同じ方法を使うように言うことができます。その指示に忠実に従った人達は誰よりも多くの魚を釣ったのです。

 周りにいた人達は間違いなく感銘を受けており、皆奇跡が起きたのだと思いました。とにかく、多くの人達がやってきて質問をしたり、あたりを見回したりしていましたが、彼らは先生がこの面で専門的な技術を身に付けたことを知っています。そして先生の方法を知りたいと思う人達は船の中を秘かに調査して、何かを見つけ出そうとしていました。今、もうマグロ釣りセミナーをやると言ったならば、先生の方法に興味を持っているたくさんの人々が間違いなくやってきて、先生の言うことに耳を傾けるだろうということを先生は知っています。

 先生は約十時間の講義内容を持っています。少なくとも十時間、先生はマグロ釣りについて講義できます。今、その講義を皆さんは聞きたいのですか。先生がそういう内容を知っており、そのような講義ができるということは疑いの余地がありませんが、時間がありませんので今日はそれをやりません。皆さん、がっかりしましたか。もしマグロが聞くことができれば、先生のセミナーに大変興味を示すでしょう。先生がやってみなかったことは何もありません。すべての漁師がやっていることもやりましたが、先生はそれよりも数段階上を行きました。もし何かやらないものがあったとしたら、それは仕事の成就とは関係ないからで、だから当然先生はそれをやりませんでした。しかし使えるものは何でも、仕事の成就に役立つものは何でも、先生はやってみました。やらなかったもの、やろうとしなかったものは何もないと先生は確信を持って言えます。多くの専門家達がやってきて、簡単に二本、三本、四本の魚を捕るというようなことはあり得ません。そういうことはありません。しかしここでは、以前に魚釣りをやったことのない人がやってきて、五本、六本、七本とマグロを捕ります。経験のない人がやってみて、シーズン全体を通して一本釣ることができれば、彼はとても運が良いのです。もちろん先生はそういうことを皆知っています。

 最初魚釣りを始めた頃、先生は何週間もの間一本のマグロも釣れませんでした。その頃はもっと多くのマグロがいたし、多くの専門家達が先生の周りで釣り上げていました。その中で先生はたて続けに十五本のマグロを逃がしました。始めたばかりの頃はそうだったのです。最初は簡単ではなかったけれども、一旦要領を見だすと、次から次へと釣れるようになりました。先生が教えている現在、皆さんは経験したことがなくても釣ることができます。五年前には、マグロは一ポンドたったの五セントでした。我々がマグロの値段を徐々に上昇させる働きをしています。我々は儲けてはいません。まだですね。今のところむしろ損をしています。今年、その値段が二ドル五十セントに上がりました。つまり大きなマグロを釣れば、約二千ドル稼ぐことができます。今年何隻の船がやってきたか、皆さんも実際に見るべきでした。何百隻とやってきました。来年は値段が少なくとも三ドル五十セントに上がることを我々は期待しています。つまり一本のマグロで三千ドル以上になります。そのため何隻の船がやってくるか、皆さんは想像できますか。一本のマグロを釣れば、十五頭の牝牛以上のお金になります。だから一つの釣り糸に十五頭の牝牛です。普通の魚釣りではありません。

 いつの日か女性が一人でマグロを釣る日が来ることを先生は期待しています。今の所、女性も少なくとも二人いればマグロを釣ることができます。先生は女性達が男性達に交じって魚釣りをする日が来るのを、本当に待ち望んでいます。女性の皆さん、皆さんは女性だからこういうことには関心がないんですね。(あります)分かりました。それでは女性達にも船をあてがうことにしましょう。

 三本のマグロを釣れば大体一万ドルになります。これは一つの家族の食事代を一年間賄うことができます。そういうお金を得るために何隻の船がやってきて競争すると思いますか。誰が最も反映しますか。グロースターのような町です。釣れる魚の数は変わらないのだけれども、十倍もの数の船がやってきます。漁師達はその小さな田舎町でお金を使うことになります。一方、マグロの値段が上がれば、当然彼らの利益になります。

 今年、我々は百六十五本のマグロを釣りました。信じられない程です。昨年に比べれば百五十パーセントの増加です。昨年、我々は六十四本のマグロを釣りましたが、その当時としては物すごい数でした。しかし今年はそれよりも百本も多かったのです。来年、我々は五百か六百のマグロを捕ることができます。しかもそれは割当数の三分の一にしかなりません。それを達成した時のことを考えてみなさい。また割当の半分を達成した時のことも考えてみなさい。いつの日かそれができます。そう先生は確信しています。


結果を得るために自らを投入する

 先生が以前、山で猟をしていた頃の評判はたいしたものだったのです。どんな人と比べても先生が良くできました。しかしそれまで銃を使ったことがなかったので、まず最初は粘土の標的で練習しました。そしてすぐに二十五の標的のうち十八を射ち落とせるようになりました。これはかなり良い成績です。先生は反射能力に優れています。まあ、最初猟に行った時、朴大佐を連れて行きました。朴大佐は長い間、韓国陸軍で働いており、数年間ライフルの教官をやったことがあります。しかし、先生のほうが彼よりも良い成績を上げました。先生のことを有能な人間だと皆さんは思いますか。先生に従って来る気持ちが本当にあるならば、皆さんも先生のようになるべきです。少なくとも先生を真似しなければなりません。そして自分の実力をある程度は示さなければなりません。もう一度、皆さんに聞きますが、皆さんはチャンピオンですか、それとも自分のことをチャンピオンになる候補者だと思っているのですか。皆さんは人がどうしても必要なのです。ただじっと座っていて、人々が皆さんの所へやって来ることに期待を持っているのですか。皆さんは何をすべきですか。

 死んだふりをします。そうすると誰か皆さんの近くを通りかかった時、同情してくれるでしょう。皆さんは何かを始めなければなりません。何かが起きるきっかけを作らなければなりません。鼻で何の臭いをかぎますか。耳で何を聞くのですか。手で何に触れるのですか。とにかく皆さんは何をするのですか。皆さんは人類のために臭いをかぎ、人類のために聞き、人類のために触れなければなりません。

 皆さんはクモの巣を見たことがあるでしょう。先生はクモの巣、特に鬼グモの巣に魅せられました。普通皆さんは、巣にクモが見当たらなければ、それは死んだクモの巣と考えるでしょう。しかし、その巣に何かを投げ付け、それ引っ掛かるとすぐにクモが現れます。必ず現れて来るのです。皆さんは自分のクモの巣を持っていますか。もし何かが引っ掛かって来たならば、何だろうと思って皆さんは出て来ますか。物事に対するそういう感受性を持っていますか。もし持っていなければ、皆さんはクモのレベルまでも達していないということになります。クモは新しい場所に移動したならばすぐに巣を、つまりネット・ワークを張り巡らし始めます。

 クモは巣を正確に作らなければなりません。感覚と感覚の間を正確に移動しなければなりません。そうすることによって糸が連結されて巣になります。それをクモは何千回と行います。全く巣作りの専門家ですね。それについて考える必要すらありません。嘘だと思うならば、クモの巣のある所に行って、どうやって巣を作っているか観察してみればよいでしょう。先生は何度も実験してみたのです。蝿や昆虫を投げて様子を見ました。最初クモがやることは、その虫を巣の中で包み込むことでした。それが何であるかを調べる前にそうします。それからしげしげとそれを見つめてから食べ始めます。皆さんも同じように、正確に物事をなすべきです。巣を作って、それに何かが触れたならば、出て行って真っ先にそれを捕まえます。それから見て、何を捕まえたのかを判断します。一旦巣に掛かったならば、昼食を取りに行ったり床に付いたりしてはなりません。例えば、もし誰かが皆さんの話を聞きに来たいならば「もう十二時だから、今日の所は休んで、それについては明日話しましょう」などと言ってはなりません。一晩中起きていて彼と話さなければなりません。その人が皆さんの言うことを理解できるならば少しばかり休息を取っていいけれども、彼がメンバーになるまでは続行しなければなりません。

 分かりますか。クモの考えることすら考えられなければ、皆さんは一体何になれるのですか。皆さんは人材が必要ですが、その他に何が必要ですか。皆さんにはお金が必要です。しかし人材がいれば、お金も持つことになります。最初にお金を持ったとしても、人が皆さんに従って来るとは必ずしも言えません。しかし最初に人材を持てば、お金は間違いなくついて来ます。

 今、行動を起こすことを決意したとして、どの方法を皆さんは用いるつもりですか。タイガー・朴の方法に従うつもりですか。それともドクター・ダーストの方法ですか。どうしてタイガー・朴だと言うのですか。皆さんはアメリカ人です。不思議ですね。先生はタイガー・朴を個人的に訓練し、彼は彼で闘魂を、チャンピオン・シップ精神を開拓しました。カープ(全大原研)でない者、手を挙げなさい。皆さんはカープのメンバーでなくても、カープに関心を持っていますか。では今からカープに入ったらどうですか。先生は変装して、キャンパス内を直接見て回るかも知れません。先生だと分かっても騒いではいけません。ただ続けるのです。このように先生がキャンパスにやって来るのを皆さんはみたいのですか。そのようにして現れたとしても、皆さんには先生が絶対に分からないでしょう。


新しい出発

 今日は十月一日、そして十月は成功の月です。今年どういう種子をまいたとしても、皆さんの運勢はこの月に開かれます。今日、この十月一日から皆さんは前進しますか。そしてあらゆる努力を惜しみませんか。キャンパスへ行って、カープと共に働きたいですか。それとも、誰も今やっていないことをやりたいですか。年を取って死ぬ前に、皆さんは何かをしなければなりません。今日はその出発にとって絶好の日かも知れません。

 何年か前には我々は科学者会議を開いていませんでした。準備のできていた人は誰もいなかったのですが、先生はそれでもやらせました。もしそれをやっていなかったならば、今日の我々はどうなっていたでしょうか。我々は学者の世界から全く理解されないままでいたでしょう。それは全く惨めなことです。我々が持っているものを誰も認識しなかったでしょうし、理解しなかったでしょう。しかし今日多くの人達が我々のメッセージを研究し、そのある部分を理解することができます。統一教会のメンバーが、西洋世界の最高の学者を教育していることが広く知れ渡りました。人はそれを知るにつれて、我々を不思議な目で見るようになりました。それはまるで西洋文化の中に光を放っている稲妻のようなものです。

 食口は科学者会議には参加していません。彼らはスタッフか、コーディネーターです。そこには科学のいろいろな分野の学者達が参加しています。その会議を通して学者達は我々のことを学びつつあります。それは、連鎖反応を引き起こしつつあります。ドイツでは十五の分野しか設けられていないのに、四百人以上の学者が応募して来ました。その会議のことを聞いたことすらない学者がまだたくさんいるようです。一度知れば、何千人という人達が来ようとするでしょう。しかし、若い教授達は諦めざるを得ないでしょう。有名な学者、つまり自分の分野で経験を積み、専門知識を身に付け、人々から認められている学者だけが参加を許されることになります。

 もし先生が今後、科学者会議を中止したらどうなると思いますか。皆さんはそれを継続しますか。誰かがそれをやるのですか。昨年は会議の予算だけでも百三十万㌦でした。それは少ない額ですか。それとも多いですか。そういうお金で神学校卒業生に昼食を買おうとすれば、一年中、ロブスターの昼食を食べたとしても、それでもかなりのお金が残ります。たった一つの会議にそれだけのお金を使う代わりに、どうして先生は皆さんのためにそれを使わないでしょうか。皆さんに昼食を提供するよりも、科学者会議を開くことの方がもっと価値があるのでしょうか。皆さんはいつもお金が必要なんだけれども、一体何を皆さんは期待できるのですか。皆さんはお金を受け取るよりも与えることができる所へ行かなければなりません。そこからあらゆるものが増え広がっています。

 枠組みはもうでき上がっています。我々は全ヨーロッパを統一することができます。それはもう見える形となって現れつつあります。我々は今、あらゆる科学者達を一つにまとめることができる道を備えつつあります。科学と技術はその目的をより深く理解することにより、正しい方向へ導くことができます。例えば先生はドイツなどの技術分野においてそれを示したいと思っています。ドイツの、特に機械製作分野において重要な役割を演じている人々と、先生は既に良い関係が結んであります。しかし、そこで基準がまだ確立されていないので、先生は次の世紀のために、それを開拓したいと思います。先生は東洋において技術分野の基準を向上さて、ドイツで既に確立されている基準をしのぐものにしたいのです。このようにして、韓国は日本が確立した基準よりも上を行くことができます。どうしてでしょうか。韓国が全アジアに、そして世界のためにもっと役に立つようになるためです。他の人達の基準よりも低いか、せいぜいそれに等しいくらいだったら、皆さんはその人達に何もしてやることができません。何としても偉大なものを提供し得る最高の質のものを何か持っていなければなりません。

 先生は既に三年間、ヨーロッパで一生懸命働き、ロンドンを中心にすべてのメンバーを結集しました。彼らは一つの国から来たかのように、一緒になって働いています。そうあるべきなんですね。先生はあらゆるヨーロッパのメンバー達のマッチングをしてあげました。彼らを見ても、どれがフランス人で、どれがイタリア人なのか、ドイツ人なのか見分けがつきませんでした。実際それほど大きな違いはありません。

 マッチングをした後で先生は驚きました。その九〇パーメントが国際マッチングでした。そのように計画したわけではありませ。ただ各人について最も良い組み合わせにしようとしていただけなのですが、ほとんどが異なる国の者同士でした。ほとんど完全に国際マッチングでした。欧州経済共同体(EEC)は一つの理想を持っていますが、彼らには三つの障害があります。それは言語の違い、国境、異質文化の人との結婚に人々が乗り気でないことの三つです。人々は満通、同じ民族あるいは同じ文化の人と結婚することになっています。しかし、結婚によってこれらの障害は崩壊します。現実を直視しましょう。これらの障壁がある限り、EECは美しい夢にしか過ぎません。実質的には何の結果ももたらさないでしょう。いつもどこかで摩擦と緊張が存在しています。彼らは自分達の理想をどうやって現実したら良いのか、皆目、見当がつかないでいます。しかし、レバレンド・ムーンはマッチングと結婚を通して、そして無私の生活をすることをメンバー達に教えることを通して、彼らの理想以上のものを実現する方法を彼らに示すことができます。現在、EECが抱えている最大の頭痛の種は、日本の技術です。日本人はすべてを彼らから学び、それを真似して消化して、つまり改善してしまいました。今、日本人はヨーロッパ人よりも先を走っています。これがヨーロッパ各国を悩ませているいるものです。先生は、ヨーロッパがもう一度日本の競争相手になれるようにしたいのです。先生はドイツで数人の人達に話してみましたが、全員がその考えに賛成しました。先生はこのことを既に十五年前に考えていました。つまり既にこの問題について理解し、その準備をして来ました。信じられないことですが、世界がこのようになるとは誰も考えませんでした。しかし先生は何年も前に、既にこのことを予言していました。

 我々はドイツで最高の機械製作工場を建設することができます。すでにヨーロッパの食口達は日本の工場で働いています。そこからドイツでは、我々はあらゆる国籍の仕事を求めている人達を雇うことができます。これはEECの計画の一つでもあるので、我々も協力するのです。皆さんはこの世界のことを知る必要があります。この世界をひっくり返すためには、その中に入っていかなければなりません。いつも人よりずっと先生を見つめ、しかも大きな規模で物事を考えることです。人々はそのように考えることはあまりできません。ヨーロッパでの先生の計画に対して、多くの人達が困惑して頭をかいしている状態なのです。先生は既に、ここアメリカにおいても模範工場を始めました。

 先生は自動車の再利用の方法について考えました。機械製作技術を身に着けさえすれば、皆さんはメルセデンスベンツなどのような車の使い古しを買ってそれを修理し、全く新しいものにすることがてきます。多くの人達がそういう質の良車を買いたいと思うでしょう。この国には富があり余っているので、お金を多く使うことが良いとされています。そして車を、例えば良い車であっても、何年も何年も維持しておくことは良いことではないとされています。しかしこういう浪費をする必要は全くないし、物を買ったり使用したりすることについての人々の一般の哲学は今変化しつつあります。

 我々はエンジンを修理し、全く新しいものにすることがてきます。それを速やかに行う良い方法があり、先生はそれについて真剣に考えました。現在、人々は壊れたエンジンをシリンダーごとに修理しなければならないけれども、十万マイルごとにエンジンを修理する方法があり、この方法によればエンジンの寿命の限界がなくなります。エンジンは単に大きな鉄の塊です。それを修理して、新しいものよりもっと良く走るようにできないわけがありません。その技術さえあれば問題はありません。フォードが一年間に生産するよりも、さらに多くのエンジンを我々は修理することができます。しかも値段は新しいものの半分から三分の一です。これは従なる空想ではありません。我々はそういう企業をもう少しで完成させるという段階に来ています。もし漁船用の小さなエンジンが必要ならば、皆さんは新しいものを別に買う必要はありません。簡単に手に入る壊れたエンジンがたくさんあります。我々はそういうエンジンを修理して、それを船に備え付けます。そうして皆さんは船内モーターを持つことになります。費用はほとんどかかりません。あるエンジンはただ同然です。車体のないエンジンを人々はどうするのですか。彼らはそれをただ同然で売るのです。

 我々はエンジンを再生させ、新しいエンジンを付けた時と同じように、船を走らせることができます。そうしてそういう船とエンジンをたくさんアフリカへ送ります。アフリカの国の中には、一隻の船さえ持たない所があります。しかし漁をする機会ははなはだ多いのです。先生がなぜ機械製作工場のことを考えたのか、その理由が皆さんは分かりますか。すべてが全世界に関係しています。皆さんもそういう思考方法を持たなければなりません。

 皆さんはこれらの計画を実行に移し、運営していくことのできる能力を持っていますか。何がその準備をやってくれますか。科学者会議がそれをやります。彼らはEECやアメリカの経済が抱えている問題を良く知っているし、物事を実現させるために自らの計画を立て、政治家に影響を与えることもできます。基本的な科学観が全体的に作り直されなければならないし、科学の価値と応用についての理解も、全く新しい観点から見直される必要があります。こういう面についての誤解が長い間継続しています。


出発の時は今

 四年前、この家の隣は十四エーカーの土地を買ったのです、我々はこのあたりで最大の土地所有者の一人に入りました。だから人々は興奮しているのかも知れません。しかし我々は、何ら非難を受けるようなことはしていません。我々はここに海洋大学を創るつもりです。そして時は熟しています。アメリカは長い間それを必要としてきました。だから人々は何も文句は言えません。まあ、そのうち分かるでしょう。

 先生の頭の中は、しなければならないことで一杯なのです。皆さんは先生の荷を軽くすることができますか。我々には造れない船というものはありません。鋼船の船、もう造りました。木船、それも既に造りました。ファイバー・グラスの船、それも既に造ったのです。皆さんの言うものなら何でも、数カ月あれば造ることができます。工場をたくさん造れば造るほど、それを運営する人がますますたくさん必要になってきます。それをするのは皆さんなのです。そのように皆さんは考え始めなければなりません。計画を立て、それを実行に移します。工場を買い、給料を支払い、うまく運営し、そして周りの誰よりも高い基準にそれを引き上げます。初めからそのようにするのは、皆さんには難しいかも知れないけれど、皆さんは決して失敗しません。皆さんのするべきことはひとえに、周りにいる人達を育てることです。特別の天才に手伝ってもらう必要はありません。皆さんのための基盤も既に備えられています。皆さんは何百人という人を連れて来る必要はありませんが、確かに何百万人という人を連れて来ることができます。二、三年たったら皆さんにもその方法が分かるでしょう。皆さんがもしやる気を失くさず、依然と何か心に引っ掛かるものがあって自らを投入しないとしたら、我々はこういう計画をすべて諦めるべきですか。最初のレベルまで戻って、二十年前にやっていたような伝道をするのですか。それとも先生はもう一度最初から、先生一人で始めなければならないのですか。

 それでは誰が人を連れてくるのですか。今、皆さんは自分の家族の心配をしなくてはもよいと言っても、先生は何も皆さんを否定しているわけではありません。しばらくの間、先生と共に考えて欲しいのです。皆さんは祝福をされれば、家庭を始めてから一年以内に多くの人が子供を産みます。三年以内に多くの人が二人の子供を持つことになります。五年以内には、多くの人が三人の子供を持つようになります。そして多くの家庭が五人、つまり父母と二、三人の子供からなるようになります。皆さんは彼らをどうやって食べさせていくのですか。分かりますか。今、立ち上がって走り出さなければならないことが分かりますね。国全体の基盤について心配する必要はありません。自分のことをやるのです。ここ三年から五年のうちに、皆さんは走り始めるべきてす。それと同時に、先生は自分の責任分担を行います。皆さんが人々を連れて来れば、自分の家族のためだめでなく、将来の数多くの家庭のためにも基盤を築くことになります。この点が皆さんに分からなければなりません。。

 一人、二人の子供だけならば、それほど変化もなくやっていけますが、子供が三人できたならば、いろいろ考えなければなりません。医療費、その他の出費が莫大なものとなります。子供を育てるにはお金がかかりますが、皆さんには養育する義務があります。皆さんは神学校を卒業しないからといって頭でっかちになり、苦労の多い仕事を避けるようになるならば、いずれ後悔することになります。

 それでは先生が皆さんを追い出し「これは皆さんの領域だ。皆さんはそれと生死を共にしなければならない」と言うべきではありませんか。先生は、三十代の初めに過ぎない皆さんを急ぎ立てて、御旨をやらせるべきではないでしょうか。いい年齢ですね。十年たてば、もっと多くの若者達が教会にやって来て、皆さんに一体何をやったのかとたずねることになるでしょう。その時皆さんは何と言うのですか。「私は統一神学校を卒業したんだけれでも、荷が重すぎたので前線には出なかった」そう言うのですか。

 先生の心はせき立てられているのです。ちゅうちょすればするほど皆さんの荷は重くなり、ついには全く身動きが取れなくなります。今最低の場所から活動を始めなさい。そしてそれに心を悩ませてはなりません。皆さんはその場をすぐに抜け出すことができます。先生の気持ちが分かりますか。どうして先生が、突然、ほとんど何の前ぶれもなく、皆さんをここに呼んだか分かりますか。どうして神学校卒業生を全員呼んだか分かりますか。皆さんには伝道の使命が与えられましたが、それが難しかったのですね。どこで皆さんは働くつもりなのですか。どういう地位を皆さんはこなせるのですか。それができないならば、一体皆さんには何ができるのですか。新しい分野を皆さんに与えようと先生は考えています。皆さんは今までと同じようにやっていたいのですか。今まで通りやっていれば、長い間座り続けていれば、皆さんは滅んでしまうでしょう。今まで皆さんは何の行動も起こしませんでした。そして数年が経過しました。皆さんはやろうとしたかも知れないけれど、何の改善も見られませんでした。

 だから今残された道は、何か皆さんのできるのをやってみるということです。もし神学校に行かず、貴重な二年間を伝道に用いていたならば、皆さんは何人のメンバーを増やしていたでしょうか。今まで皆さんは上層階級の人達と付き合って来たけれども、他にもいろいろやることがあります。いずれにせよ、皆さんは神学校を卒業したのだから、その知識を何とか使わなければなりません。

 新しい仕事をするように言われたならば、皆さんはそれに反対しますか。何をやろうとも全身全霊をそこに注ぎ、何らこの実績を上げるのだと決意していないのですか。我々の目的はここアメリカのみならず、宣教師のいる国々の基準をも高めることにあります。だから、我々のアイディアを何か実質的なもので支持しなければなりません。

 先生は廃品回収のビジネスについて真剣に考えました。まず要らなくなった金属を集め、それを再生します。その後、同じことを紙とか他の製品でも行います。こういうものを再生するには大きな工場を作らなければなりません。しかし、この分野を調べていくにつれて、入り込むのが非常に難しいということが分かりました。マフィアが支配していたからです。不必要な犠牲を払わなければならなくなるので、それは良い考えとは言えませんでした。それよりももっと良いものを我々はすることができます。


アメリカの水産業の窮状

 それから我々は水産業に目を向けました。皆さんも知っているように、漁業はかつてアメリカの主要産業の一つでした。しかし、過去二十年から三十年の間に、それは少しずつ衰退の途をたどっています。そして現在、自らの力では再びはい上がれないような段階まで落ち込んでいます。一方、アメリカの漁場は、少なくなりつつあるのでしょうか。そういうことはありません。事実、アメリカには世界の四大漁場のうち三つまでがあります。

 ある種の魚が減少しかかっているという問題はあります。しかし、利用できる種類はまだまだたくさんあり、それに味も良いのです。ただ問題なのは、市場であまり人気がないということです。しかしこの状態は変えることができます。政府はこういうことは知っているけれども、目下お手上げの状態に近いのです。特に漁師達が海に出て行きたくないと思っている場合にはそうです。ではどうしたら良いのでしょうか。我々はこの問題を簡単に分析することができます。どうして、漁師達はやる気がないのでしょうか。彼らは数日間海に出て、一生懸命働きます。しかし帰って来ても、それをほとんどお金に変えることができません。売る所がありません。市場で売れない魚の種類がたくさんあります。卸売業者は長い間それを利用してきました。もし売れなければ、釣った魚を海に捨てるしかないことを知っている卸売業者達は、非常に安い値段を漁師達に押しつけてきました。

 水産業には安定した収入は保証されていません。漁師達は、ある時には十分な魚を捕ることができるけれども、そうでない場合も多いのです。だから漁師の数は限られています。誰もが漁師になれるわけではありません。それに海上での生活はとても厳しいのです。漁師達は一度漁師をやめると、決して再びその仕事には戻ってきません。他の仕事には就くけども、もう一度漁師になろうとはしません。あまりにも厳しすぎるからです。すでに五十パーセントに近い人々が漁師をやめました。彼らは再び戻ってくることはないでしょう。

 水産業にはまた別の問題があります。それは妻達です。漁師達は一週間、二週間あるいは一カ月の間、ずっと漁に出ています。そしてこういうことが一年中続きます。多くの女性達が、一年の大半を一人で過ごさなければなりません。そういう生活に耐えきれなくなり去っていきます。このために漁師達はやる気をなくしてしまいます。漁に出て行く生活は厳しいけれども、家庭さえしっかりしていれば耐えることができます。

 漁師達は一生懸命働いて魚を釣るけれども、、それが良い値段になるという保証はありません。漁の保管があまりよくないことや、市場にたくさんの魚が既にあふれているために、彼らの懐に入るものが何もないことさえあります。あるいはある種の魚は捕れても、それは市場では人気がなかったりします。あまりたくさんの魚の種類が知られていないアメリカにおいては特にそうです。それに市場の予想は全く不可能です。ある種の魚は捕れても、それが売れなかったりします。それと共に、海で働いている間、家族が待っていてくれるという確信が彼らにはありません。多くの男達にとって、それはあまりにも苛酷すぎるのです。

 我々にとって、それを解決する方法は簡単です。これら三つの問題を乗り越えることができれば、皆さんはこの大変素晴らしいビジネスに加わることができます。誰でもそこまでは分かっているのですが、この三つの問題を乗り越えることができません。そこで考えてみなさい。我々が自分で船を造り、それから魚を釣る、そしてその魚をやはり自分達で加工して売ります。最後に残ったものを外国に輸出します。そうすればどんな魚を捕ろうとも直接売ることができます。もしこの点が解決されれば、我々のビジネスも成長することができます。魚を捕り尽くしてしまうのではないかと皆さんは心配するかも知れませんが、学者はこの点について研究しており、相当の数の魚が捕られても、種が絶滅することはないということを知っています。言い換えれば、皆さんがある量を捕ったとしても、魚の方は毎年毎年繁殖を続けることができるということです。まだたくさんの魚がいます。我々は漁、加工、販売そして輸出の面において一番になるんだという決意をしなければなりません。これが我々の功績になるでしょう。

 皆さんもいつの日かこの分野でビジネスを始めることになるかも知れないけれども、まず最初にしなければならない事は海になじむことです。ビジネスはその次です。良いビジネスをするために要求される性相がまず第一です。皆さんは長い間、海に出ていません。一度も出たことがない人もいると思います。だから、たとえそのアイデアに同感し燃えているとしても、皆さんは海につにて知らなければなりません。それが実際どういうものであるかを知らねければなりません。それが海上七十日間の、この夏期訓練の目的です。先生は自らこの企画をか開拓し完成させてきましたが、皆さんが受け継ぐことができる基盤を造るのに七年もかかったことになります。今年は既にやり方の基準というものが確立しているので、皆さんはただそれを覚えて実践するだけで良いのです。それは情熱をかきたてると同時に、やりがいのある仕事です。先生はマグロ釣りに最も適した船をテザインすることによって、最初からこの企画を支援してきました。皆さんも知っているように、我々は最初「メイコ(Mako)」と呼ばれる、マグロ釣りに最も適した船だと市場で評価されている船を買いました。しかし先生はその船には多くの欠点があることにすぐ気づいて、根本的にテザインを直し、現在、人々が使っているよりもはるかに優れた船を開発しました。


マグロの役割

 過去数年間のうおの値段は、信じられないほど低いものでした。時には漁師達は魚を海に捨てました。水産業を安定させるためには魚の値が上がる必要がありました。一ポンド十セントに過ぎなかった値段が上がっていったわけですが、その原因の一つを作ったのが我々だったのです。先生が五年前にここにやって来た頃、人々はそんなことを気にもかけず、ただ海に投げ捨てていました。考えられないことですね。毎年着実に値が上昇し、今年は二㌦五十セントまで上がりました。そして来年は一ポンド少なくとも三ドル五十セントにまでなるでしょう。我々は自分達の財源を使っているのであり、その額はもっともっと増えると思われます。これは困ったことなんですね。しかし、将来のためにそうしなければなりません。今、皆さんのやるべきことはマグロを捕ることです。それは皆さんにとって良い訓練です。しかしもっと重要なことは、それが漁師達のためになるというのです。

 マグロの価値は寿司になります。皆さんは新鮮なものを配達しなければなりません。新鮮なものは配達する限り、それを拒む日本レストランは一軒もありません。彼らは最高の質の新鮮なマグロに対して、最高の値段を払うでしょう。日本人はマグロの価値が分かります。だから漁師達は新鮮なマグロに対して、それ相応の支払いを受けるべきです。先生が漁に出るまでは、漁師達はマグロから何の利益も得ていませんでしたが、それが今変わりつつあります。ここでマグロを扱っている会社は全部、その背後に日本の会社を持っています。つまり、本当の買い手は日本にいるということなのです。お金は彼らのポケツトから出ているのです。

 もし我々が値段をつり上げれば、日本人達は日本へ戻らなければなりません。そして彼らは皆に「レバレンド・ムーンのせいで、値段があまりにも高くなったので、マグロを買うのを諦めなければならなかったんだ」と言うことになります。それから「レバレンド・ムーンはグロースターの全水産業を乗っ取ろうとしています」というニュースが、一夜のうちに日本全国に広がることになるでしょう。そういう心理的な影響を与えることになります。いずれにせよ、グロースターで何が行われているのかは日本人達には何も分かりません。

 一ポンドにつき三ドル五十セントが、あるいはそれ以上の値段で魚を扱える限り、我々はそれを買ってそれを売ることになるでしょう。それから我々は基盤を造り始めることができます。分かりますか。マグロの値段が上がって安定すれば、他の魚の値段も上昇します。何年か前にはタラ・ニシンあるいはそういう種類の魚の一ポンドあたりの値段は、五十セントから六十セントに過ぎませんでした。その頃のマグロの値段もただ同然だったのです。しかし現在、マグロの値段が上昇しているので、これらの魚の値段も同様に上がるべきです。目下、我々は新鮮な冷凍ニシンに、一ポンドについて十セントしか払っていません。

 マグロに起きたことと同じことが、これらの魚についても起きるはずです。これらの魚の値段を一ポンドにつき一ドル五十セントに引き上げた後、市場で売るようにしたらどうでしょうか。マグロを基準設定の道具として用いるのです。マグロの値段を安定化させることによって、普通の魚の値段が上昇することになります。そうすれば、どういう魚を捕ろうともそれは間違いなく消費されます。つまり、売るという確信を我々は持つことができます。このようにして、我々は基盤を下から上まで造り上げるのです。

 「レバレンド・ムーンは魚の値段を上昇させ、市場を安定させ、我々の将来のために販売網を拡大していくれた。本当に我々のために貢献してくれたんだ」と、いつの日か漁師達が皆一斉にそう言うべきです。彼らは自分達の将来が明るきものになりつつあるということを知るべきです。


新しい基盤の確立

 この時点では、市場は安定化していると思います。しかし我々次第ではあるけれども、今後値段が上昇することになるでしょう。問題は、皆さんがどれだけ迅速に自分達の船を造り、魚釣りの訓練をすることができるかです。我々はまず手始めに三百隻の訓練船を造り、それをアメリカの三つの海岸線に配置する計画です、こそにずっと留まり、一年中毎日出かけて行くならば、皆さんもそう漁場のことを、短期間のうちに、自分のものにすることができるでしょう。

 皆さんはやる気のある若いボランティァを見つけることができます。彼らは喜んで漁について学ぶでしょうから、彼らを連れて行って教えてやれば良いのです。そして漁をしながら統一原理について説明してやることもできます。彼らは嫌がったりはしないでしょう。そういう良い性格を持ち、心を開いた若者達を皆さんは見つけ出すことだすことができます。彼らは、皆さんと一緒に釣った魚を全部、自分のものにすることができます。このようにして皆さんは誰とでも友達になることができます。

 もし五人伝道し復帰できれば、皆さんは二隻目の船をもらうことになります。五人連れて来る度ごとに、一隻船をもらうのです。十隻もらえば、つまり五十人連れて来たら、皆さんはそれを卒業してスターン・トロール(底引き網)船に乗ることが許されます。我々は既にそういう船を造りました。皆さんもそれを今日見ることになるでしょう。こういう八十フイートから九十フィートある船を造るには、百万ドルの半分から三分の一ほどの費用がかかります。それは普通のスターン・トロール船です。それを使ったら、ほとんど何でも捕ることができます。その訓練コースに出て、いつの日かそういう船の責任を持つことができるようになって欲しいと、先生は皆さんに願っているのです。

 我々はマグロ漁のために開発した「グッド・ゴー」船を三百隻造る計画でいます。これもやはり、多目的用スピード船なのです。それと同時に、我々はすでに三十隻のスターン・トロール船を造り始めています。そして次のような組織造りをします。つまり十地区がそれぞれ十隻の船を受け取り、各々の地区でこれらの船の維持に責任を持つ人を訓練します。それから船を学校の代わりに使って、海について若者達に教えます。さらに船を引っ張ったり維持したりするために、各々の船に一台のトレーラーを付け、各地区に一台のバンを備えます。それが皆さんに与えられる基本的な設備となります。最終的には各々の地区が、一隻のスターン・トロール船を受け取るべきです。

 来年の夏、マグロ釣りの季節がやって来たら、我々はグロースターにこれらの船を全部集め、漁開始に備えます。来年は我々は海上に泊まります。そして母船、すなわち供給舟を準備して、そこから食料とか夕食をもらうことができます。嵐が来る時だけ丘に戻ります。嵐が静まったならば、すぐにまた話の上に出ます。我々はそういった訓練プログラムを開発します。それからアメリカの人々は、我々のメッセージを受け取り始めることになるでしょう。どれほど我々が真剣であるか、彼らは知るようになるでしょう。

 一つの問題点は、一年以内にどうやってそれらの船を造るかです。我々は三十の教会センターを持ち、各センターが十隻の船を持つべきです。つまりアメリカ全部で三百隻の船です。そして各オーシャン・チャーチのセンターは、教会として機能すべきであり、各々の船も教会となります。だから我々は「船の面会(ボート・チャーチ)」を持つことになります。陸上のセンターは、これらの船のためのセンターです。それはちょうど、州のセンターのようなもので、その指揮の下に、船という小さなセンターを持つことになります。ここグロースターの湾に三百隻全部を集めて出発するということが皆さんには想像できますか。我々が持つ礼拝のことを想像してみてください。同じように皆さんの地区においても、十隻が一斉に出発して海上で集まって朝拝を行います。その後に漁に出かけます。それから、夕方帰ってきたら陸の上で礼拝をします。そのスケジュールを毎日、実行します。三十のセンターが開かれたらすぐに、漁港再興のために六十万ドル相当以上の船舶が投資されようとしているというニュースを、我々は流す計画です。

 こういう活動に関心を持つ人なら誰でも、いろいろな我々の企画から大きな利益を得ることができます。我々は彼らから何も求めないで、魚の捕り方を教えることができます。また原理も教えることができます。五十人か六十人の人に興味を持たせることができれば、スターン・トロール船を皆さんは扱うことができるようになります。ニュー・ホープ号は皆さんの訓練用ですが、スターン・トロール船はもっと難しいのです。

 このようにして、皆さんは自分の生活基盤を確立することができます。そして皆さんが訓練した若者達の生計を立ててやります。その他の人達は欠員名簿に名前を載せておいて、訓練船ができあがったその時点で、各々の船に責任を持ってもらいます。各センター五十人は何ら問題ないでしょう。皆さんが必要としている船を、我々は年内に送ることができます。頭が良くていろいろな能力に秀でている人達は、訓練船を受け取ることができます。したがって皆さんも彼らを評価したり、推薦したりしなければなりません。

 小さな船で訓練を受けた後、スターン・トロール船で漁に行くことができるようになります。それから魚を直接消費者に売ることができます。そのためにも我々は販売網を確立する必要があります。海に出たくない姉妹達は、戸別訪問して魚を売ることができます。朝出発して夕方帰って来るのです。

 各地区ごとに三隻のトレーラーを備え、それを使って皆さんは自分の経済基盤を確立することができます。魚を捕ってそれを売ります。皆さんは自分の地区で何をやっても良いのです。霊的基盤ができたならば、自分達の地区、地方都市、そして自分達のメンバーのために具体的な計画を立てることができます。

 間違いなく水産業は衰退しつつあります。市長やビジネスマン達が、自分達の町でこういう活動を見たならば、間違いなく皆さんを援助したい気持ちになるでしょう。皆さんは自分のやっていることを彼らに知らせなければならないのです。我々の小さな船はあらゆる目的に使用できます。例えば支援委員会という形で我々の船を提供し、沿岸警備隊の仕事を援助することもできます。このようにいろいろな社会奉仕活動のために船を提供することができます。こういうことを継続していけば、我々は本当の漁師つまり「天の海兵隊」のようなものを創り出すことになるでしょう。

 我々は既に小さな船舶を持っているし、三十のセンターを間もなく設立します。それから販売網を確立します。ビジネスは教会の企画を援助することができるし、ビジネスを通して、皆さんは自らを支えることができます。我々は持っているものを全部活用するようになるのです。皆さんは自分の仕事をやりさえすれば良いのです。そして人々を連れて来て訓練し、皆さんの住んでいる社会を活気あるものにします。これが第一段階です。


基盤の拡張

 今までのところ、我々は第一次産業についてしか話していません。では船舶備品のような第二次産業についてはどうでしょうか。つまりライン、網、エンジン部品、エレクトロニクス、その他漁を成功させるために船に必要なものです。第一次産業を支えるいろいろな第二次産業の分野があります。こういうものを全部、調査研究する必要があります。またこれらの分野の開発も必要です。政府は衰退しつつある水産業を心配はしているけれども、たいしたことはできないでいます。我々がこの分野で前進し実績を上げていることを知れば、政府も我々を援助したいという気になるでしょう。これらはアメリカがすぐにやらなければならないことです。もし何もしなければロシアや、ノルウェー、日本、その他の二百マイル海域内で漁をしたいと思っている国との間で問題が起こって来ます。アメリカがその漁場を活用していないということを知れば、彼らは自分達の市場のためにどうしても利用したいと思うようになります。結局、それらの船をアメリカの海域から締め出せなくなってしまいます。もし我々が魚を捕っていれば、良い値段で大量の魚を彼らに売ることによって、その圧力に応えることができます。必要な魚を捕るために遠い所まで航海しなくてもすむのですから、彼らは喜んでそれを買うし、アメリカもいい儲けになります。だからと言って、決してやましいことではありません。しかし、もし我々が魚を捕っていなければ、彼らは何度も何度も漁にやってくるし、自分達の国民に食料を供給することができないと不平を言うようになります。ある意味ではこのアメリカに対する彼らの不平は正しいのです。しかし、我々は、神様の援助の下に漁をし、その基台を造ります。そして、大きな変化が水産業界に起きることになるでしょう。これは単なる空想ではありません。今、先生が皆さんに話しているこの時でさえ、それは着実に進行しています。皆さんは、海とはどういうものであるか一旦つかみさえすれば、それを途中で投げ出すようなことは絶対にしないでしょう。それが魚釣りの精神に近づくための早道なのです。マグロは最も偉大な魚です。鯨は確かに遥かに大きいけれども、それは魚ではありません。それは全く別のものです。しかしマグロは魚です。だからそれはあらゆる魚の「王様」だと、我々は言うことができます。

 世界の他の所では、既に我々の大型マグロ船が四隻操業しています。これらの船はアフリカで漁をしています。大体、百五十フィートの長さの船です。その他に南アメリカで十隻の海老漁用の船が操業しています。それは操業一年目にして、投資資本の全額を取り戻すことができました。だから人々は皆我々の噂をしており、それを奇跡とも呼んでいます。そして彼らの言うことは正しいのです。

 一度海に慣れてしまえば、陸にしがみついている理由はなくなります。陸上よりも海上における方がいろいろなチャンスや、やるべきこと、なさなければならないことが多いのです。本当にそうなのです。夫が六カ月間海上に出たきりだという理由で、彼を捨てていく妻達が皆さんの中にいますか。あるいは妻が海へ行けば、夫は彼女を捨て去りますか。我々は自分の販売網を持っているのですから、魚を釣ってきても売れないで困るということはありません。また同様に、たとえ漁師達がムーニーだという理由で売るのを拒んだとしても、販売員達はそれで困ることはありません。我々は魚を捕ってそれを売ります。そしてそこからさらに発展します。まず我々は訓練が必要です。

 私達のメンバーは世界のあらゆる所から来ているので、ドイツ、フランス、英国、日本その他全世界に支局を作ることができます。そして新鮮さと、質の良さを保つように魚を加工します。アメリカ人はニシンを好まないので、その値段はいつも最低です。ドイツでは人々がその種類の魚を好むので、値段は一ポンドにつき一ドルから始まります。

 一年間に三百隻の船を造ることは容易なことではありません。メイコ会社ですら、そんなにたくさんは造らないでしょう。将来、皆さんの中でやる気のある人が出てくれば、彼は造船会社の支局を自分の手で設立することもできます。たいして難しいことではありません。まず鋳型から始めます。鋳型ができたならば、次にファイバー・グラスと樹脂を買って来て、適当な厚みになるまではめ込みます。それが船体になります。それから甲板を造ります。これも同じやり方で造ります。そして最後にそれを組み合わせます。覚えが良ければ、たいして難しい仕事ではありません。

 教会の仕事もまた皆さんの仕事であり、カープの指導者であるとか州の責任者であるとか、皆さんは何でもやれます。一方ビジネスはまた別の領域です。だから船を造ったら、トロール船で魚を捕ったり、バンで魚を売りに行ったりすれば良いでしょう。そうではないですか。州の責任者達はこれが分かれば、州の教会センターを内陸部から海岸近くへ移動することになるでしょう。

 グッド・ゴーはどのくらい良い漁船ですか。それは本当に素晴らしい船なのです。メンバー達の中で、今年一番の漁師はゲーハートでした。彼はワン・ホープ1を使っていましたが、それは美しい船なのです。またそれは我々の最初の船なのですが、彼はそれを運転していました。最初ゲーハートはそういう美しくて、頑丈な船は私達の手によっては造ることができないと思っていたのですね。ワン・ホープ号と他の船とは天と地ほどの差があります。

 (ゲーハート・ビーモラーのワン・ホープ号についての証)
 「この船は極めて特別な船です。お父様は真の人ですが、この船はちょうどお父様のようです。だから私はこの船のことを『メシア』船と呼んでいます。本当に真の船なのです。この船が水の上を走っているのを見た時、私は非常に驚きました。私が初めて操縦したのは夜だったのですが、とても扱いやすくて信じられないほどでした。同じくらいの大きさのメイコに比べて、この船は水の上では遥かに安定しています。

 この船は優秀な船です。海上で波が小さな船に押し寄せて来る時、船はそれにぶつかって激しく揺れ動きますが、この船はたいしたもので、波を切って進むのです。水はしぶきを上げて船から散って行きます。まるで波にはぶつかっていないみたいに、滑らかに切って進みます。この船はメイコよりも約二千ポンドも重いのです。ということは二千ポンド分安定し、しっかりしています。それを考慮に入れた上で、その船がメイコと同じエンジンを使い、しかもメイコほどには燃料を食わないことを知れば、その秘密は一体何だろうと不思議に思うに違いありません。

 メイコの二倍の重さがあり、同じエンジンを付けていたとしても、二倍の燃料を食うことはありません。少々多くの燃料を食うことはありますが、それほど多くではありません。大体同じなのです。この船には何か特別なものがあり、それはデザインの仕方に多少関係しています。人々はこの船が水上にいる時や、水から揚がった時を見ているので、本当にこの船が素晴らしいものだということを知っています。この船を操縦するのもまた素晴らしいことです。それと比較し得るどんな船よりも安定しているのです。

 この船は同じ種類、同じ大きさの船とは比べものにはなりません。水の上で安定しているのです。メイコあるいはそれと類似の船に乗ったことがある人ならば、即座にその違いに気が付きます。船全体もそうですが、どのようにデザインされたか、どのように調和しているかが他と違っているのです。多くの漁師達がやってきて、それを見て買えるものかどうかを聞くのです。その気さえあれば簡単に売ることができます。本当に『真の船』なのです」

 ワン・ホープ号についてのゲーハートの話を聞くにつれて、先生は「一目ぼれ」という表現を思い出しました。一度この船を見さえすれば、その意味が分かります。特に走っている時の姿はとても美しいのです。美しいという点においては何ら疑問の余地がありません。ファイバー・グラスでできたこの船は、何年も何年ももつのだということを考えてみなさい。とても長い間もったからこれで十分だと言えるような船は、今までに一隻もありませんでした。将来番号が若ければ若いほど、より価値があることになります。ワン・ホープ4や10はワン・ホープ3000よりも遥かに価値が高いのです。だから皆さんの船を大切に扱いなさい。そうすれば四十年か五十年後、それは極めて価値の高いものになっています。それはまた皆さんの州全体の誇りにもなります。

 人々がこの船を見さえすれば、統一教会を信じなさいと言う必要がなくなります。何も言わなくても信じるようになります。どうしてそうなるのか分かりますか。各家庭がこれらの船を一隻買いたいと思うようになります。こういう船を持った家に住むことが、マンションに住むよりも誇りとなります。皆さんはその船の上で休んだり生活したりして、その船の素晴らしい歴史を作り出すべきです。

 各統一家庭はこれらの船を一隻買うべきです。そのようにこの船は歴史的なものであり、そして貴重なものです。そういう船を持ちたい者、手を上げなさい。先生の話とゲーハートの証だけで確信を持ったのであれば、実際に自分の目でそれを見るまで待ちなさい。我々が船もトレーラーもバンもエンジンも、自らの手で造り出すまで待つことです。皆さんは信じられますか。こういうアイデアに好奇心をそそられ、全力をそれに投入したいと思う者は手を上げなさい。


オーシャン・チャーチの使命

 先生が神学校卒業生を呼んだ理由は、皆さんに三十の教会センターの責任者になってもらいたいからです。皆さんが普通の漁師になり、他の漁師達を教育します。彼らに統一原理、勝共思想、そして最終的には統一思想を教えなければなりません。彼らが神様の御旨と目的を理解できるように教育しなければなりません。そのように未来に向かって彼らに備えてやるのです。そうしないと、彼らは過去の世界に埋没してしまいます。

 皆さんは最も基礎から彼らに教えることができなければなりません。先生はヘリコプターを用意してすべての船を訪問するかもしれません。いつやってくるか皆さんに知らせます。多分、海の上で皆さんと会って昼食を共にするかもしれません。素晴らしいアイデアでしょう。皆さんが捕ったばかりの新鮮な魚を食べることができます。そうしたいですか。皆さんを呼んだ理由が今分かりましたね。この計画を実行に移すならば統一教会は成長します。そう思いませんか。我々は最初の三十のセンターから始まって、三百の教会を遠からず持つことになるでしょう。

 このグッド・ゴーを、この速くて美しい船を、操縦する姿を想像してください。それは沈まない船なのです。ポリ発泡スチロールが入っているので沈みません。船べりまで水が来ても、それでも浮かんでいます。大嵐が来ても沈みません。自分を命綱に結わえさえすれば大丈夫です。嵐によって魚は死ぬかもしれませんが、皆さんは大丈夫です。それはスポーツ用の船だけれども安全な船でもあります。

 後になって、商業用に同じような船を我々は造る計画でいます。もし皆さんが希望するならば、販売員になってその船を売っても良いでしょう。これも皆さんの経済基盤確立に役立つでしょう。こういう面からも、それを眺めて見ることです。皆さんが金持ちになる時、統一教会も金持ちになります。しかしその船を販売して得た金をアフリカに献金するならば、さらにもっと良いのです。このアイデアに対して皆さんは賛成しますか。それとも反対しますか。では皆さんが成功したならば誰が得をするのでしょうか。成功することはとても良いことです。皆さんがそれを、他の人のために喜んで投資しさえすれば良いのです。だから先生は皆さんを訓練したいと思います。この三十の教会センターを成功させるのは皆さんの仕事です。もし皆さんがそれをやれば、最初の投資は失われることはありません。さらにまた、成功を他の人達にも分け与えてやれば、絶対にそれは失われることはありません。


新しい責任分担を受け入れること

 皆さんは今まで水産業についてそれほど考えたことがなかったかもしれませんが、今日聞いたことを基に新しい観点からそれを見るようになったと思います。皆さんはどう思っていますか。本当にその通りになると思っていますか。ベリー・タウンで鯉を捕っていた時から既に、皆さんはこの摂理を始めていたことになります。皆さんはそうとは知らずにやっていたことになります。先生と一緒に網作りをやった者達は、夜遅くまでまたある時は一睡もせずに翌朝まで働いたことを覚えているはずです。それも摂理とは無関係ではなかったことになります。実際それは皆さんの出発の一端だったのです。

 統一教会の指導者は、船の上で訓練として十八カ月間を過ごすという計画を先生は練っています。だから皆さんもそれを受け入れた方が良いのです。韓国の諺に「最初の罰を受ける者は最も軽い罰ですむ」というものがあります。それは、最初に仕事をもらう時は後にそれをもらう時ほど難しくないという意味です。面白いと思いますか。もう既に魚の夢を見始めているのですか。既に時間も大分たったのですから、皆さんは何かの夢を見るべきです。腹が減りましたか。少くともロブスターか魚を想像していますか。熱心に聞いていた者達はロブスターを連想しましたか。もしそうであるならば間違いなく聞いていたことになります。説得などしなくてもそうなります。

 ロブスターが皆さんのために料理されているに違いないのだけれども、彼らは客達に拒まれるのではないか、そして自分達の努力が無意味になってしまうのではないかと心配しているかもしれません。我々は責任分担を今決めるべきですか。それともまず食べるべきですか。我々は現在自分のシーフード・レストランを持っています。まず食べて、後で決定すべきですか。まずは先に食べましょう。そしてそのレストランへ行った時にグッド・ゴーの船を見たら良いでしょう。ワン・ホープ4を見れば、先生が午前中ずっと話していたことが皆さんにも分かるでしょう。

 皆さんは長い間同窓会をしていなかったのでしょう。今晩の会合の後、皆さんはもう一晩ここに滞在します。それで会議は終わりですから、皆さんは明日帰ることになります。皆さんはこのあたりを見て回ったのですか。お城はもう見ましたか。皆さんはモーニング・ガーデンをどう思いますか。良い所でしょう。海岸線の至る所にこういう場所を我々は買うつもりです。そしてそれを訓練センターや研究センターとして、また漁師達が帰ってきて休憩し疲れを癒すためのセンターとして使うことになります。皆さんはグッド・ゴーを見たのですか。それは我々の誇りなのです。どのようなアメリカの家庭にとっても船は誇りです。彼らは船の世話を良くし、それをもって湖や海へ行きます。皆さんには船を注文し、それを利用する用意が既にできていますか。

 造船所で働いているメンバー達は、いつも他の会社がやっているようなことをやりたいと思っています。しかしそのリストを眺めてみると、不必要なものがたくさんあります。無駄な操業のやり方をしている工場がたくさんあります。だから先生はメンバー達に、絶対になくてはならないものだけを使用しなさいと忠告しています。出費を少なくして、しかも船の質には影響を与えないような方法は必ずたくさんあります。ただ注意を怠らないで、心さえあれば良いのです。

 最初の先生の質問と説明に戻って、我々は海岸線の至る所にこれらの船を配置すべきですか。「はい」というのは簡単ですが、それが皆さんにとっては生活様式の変換を意味しているということを皆さんは考えているのですか。一旦その責任分担を引き受けたならば、そこで三年、四年と働き、決して逃げたりしないと本当に決意するのですか。もちろん、皆さんは先生の前で「お父様、私は逃げ出します」とは言わないでしょう。しかし先生の前でただ「はい」というだけでは駄目です。皆さんは自分が言っていることを良く考えなければなりません。それは皆さんの基台になるものです。またアメリカの基台ともなるのです。それは真の、そして永遠の基台になります。それは決して消滅することはありません。


アフリカと南アメリカのための基台

 先生はいつでもここにいることができるわけではありません。いろいろな国に行かなければなりません。もしこの国にずっといたならば、他の国はどうなるでしょうか。来てくれないと言って先生を責めるでしょう。アフリカ緒国と南アメリカ、特にブラジルは先生を必要としています。それらの国々のメンバー達は、自分達の国でもっといろいろなことがなされたり開発されたりできるのだということを知っているので、先生が来るのを首を長くして待っています。

 先生はザイールなどの国に、農業機械を作るための機械工場を建設しようと真剣に考えています。そこでは人々は牛車と鍬を使って農業をやっています。しかし我々は、そこで使える農業機械を作り、壊れた場合には修理の仕方を教えることができます。素晴らしいことですね。白人達はアフリカを占領しそこに植民地を作ったけれども、そこの人を教育することはしませんでした。彼らは使用できるものを全部取っただけでした。農業の仕方、穀物、野菜、果物の収穫の仕方について教えませんでした。何も伝えませんでした。パンの作り方すら教えませんでした。彼らは今でも、野生じゃがいものようなアフリカの常用食をかろうじて最低限食べているだけです。食物の種類も数種類しかなく、彼らは毎食ほとんど同じものを食べています。また誰も彼らを教育しなかったので、小学校基準の教育すらほとんど彼らは受けていないし、読み書きもできなければ、現代社会についてすら全く分かりません。生き残ることができるでしょうか。これらの過ちは全部白人によってなされたものです。もし白人達がこれらの問題を解決する努力をしなければ、黄色人種がそれを修正することになるかもしれません。

 アフリカでは、ここアメリカで費やすものの十パーセントしか我々は費やさないけれど、一つの国の運動を推し進めるためにはそれで十分なのです。少額でもアフリカでは莫大な影響を与えることができます。そうすべきだとは思いませんか。野菜や果物の育成、収穫、穀物を作りそれをパンにするやり方など、すべてを彼らに教えるべきです。過去、問題が一つありました。それは、教育を受けると彼らは白人達を追い出してしまったという問題です。そしてそれに対する白人の反応は「わざわざ教育する必要などあるものか」でした。

 そしてようやく、何人かのアフリカ人がロンドンとかその他のヨーロッパの地に行くようになりました。彼らが自分の国に帰ってきた時どう感じたか、それは皆さんにも想像できますね。彼らは西洋生活の生活水準とアフリカのそれとの差を見たんですね。これが多くの苦しみと怒りを引き起こしました。ある程度の改革はなされていたけれども、この民族問題は依然残されていました。白人は有色人種が好きではありません。彼らは黒人が嫌いです。

 共産主義者達はこの弱点を利用するのです。彼らは人々を扇動して「白人達が君達に対してなしたこと、君達について考えていることを見てみなさい。彼らは君達のことなんかどうでもいいのです。ただ皆さんを利用しているだけなのです」と言います。そして「唯一の希望は共産主義だ。そこは労働者の天国、一般人の天国だ」と彼らは言います。それは嘘だということは既に証明済みですが、共産主義についての知識がなければ、それはとても素晴らしいもののように聞こえます。このようにして共産主義者達は民族戦争を始めるのです。嘘ではないかと思うならば、もっと皆さんは勉強しなければなりません。彼らの戦術はとてもはっきりしています。そういうことが起こる前に、統一教会の白人達はアフリカへ行って、先祖の過ちの蕩減を払って借りを返さなければなりません。そうして初めて彼らは皆さんを信用するようになります。 最近ザイールの霊的な教会で白人達が大量殺人を行いました。それは新しいキリスト教の宗派でした。現在、この忌まわしい出来事は過去のものとなっています。誰も公にはこのことを語りません。人々はただそれにふたをして忘れてしまいたいのですが、黒人達はそれを絶対に忘れはしません。我々はそれを公にして蕩減しなければなりません。誰かが蕩減を払って彼らの心を癒す必要があります。

 こういうことを公にするのは、先生は気違いなのでしょうか。それともただ白人達のあら探しをしようとしているのでしょうか。それを公にすることは良いことだと皆さんは思いますか。それは蕩減を払って物事を新しく出発する唯一の方法だからよいというのです。我々はそのことをはっきりと知らなければなりません。我々は自分のやったことを隠すことはできません。先生は今すぐに彼らの所へ行って助けてあげたいのですが、何も持たないで行くことはできません。だから先生がまずやるべきことは、皆さんに堅固な基盤を築かせることです。


自分自身の基台を造ること

 先生が心配しているのは先生自身の信用ではありません。皆さんに確立してほしいのは皆さん自身の信用なのです。皆さんは何かを達成しなければなりません。将来皆さんが安心して暮らせるような基台を先生は造りたいのです。さもなければ、先生がいなくなった時の迫害は物凄いものになるでしょう。だから先生は急いでいます。だから先生は幾晩も眠らなかったり、三年間の努力を一年間に縮めたりします。

 「お父様、この企画にもう少し時間をかけてはどうですか」と多くの人は言います。水産業が繁栄するようになれば、先生は何百隻という船を寄付したり、あらゆる良い企画のために分け与えたりしたいと思います。重要な点は、あまり経費をかけずにどうしたら良質の船を造れるかです。それができさえすれば、アメリカ人は一生懸命働いて船を寄付することができるようになります。しかし皆さんはそのアイデアは好きかもしれないけれど、あまり一生懸命働きたくないのです。

 皆さんの性質は先生も良く知っています。一生懸命働く必要がなければ働きたくないと皆さんは思っています。しかしこれは皆さんが実績を上げる唯一の方法です。先生は皆さんを押し出さなければなりません。そして皆さんは実績を上げ、そして利益を得ます。船一隻の費用は最低二万五千ドルです。それを売るならば小売り価格は約三万ドルです。資材だけで一万六千ドルします。残りは労賃です。最初の船は、皆さん自身が自分の企画用に使うものです。だから今後造る船も同じ位良質で、しかももっと安いものにする必要があります。いろいろな部品を自分達の手で作るという方法も一つあります。買う必要のある部品は大量に買えば良いでしょう。そうすればずっと安くなります。あらゆるものに目を光らせ、安売りしている時に何でも買うようにすれば二、三千ドルの費用を浮かすことができます。浮いたお金で、船を造っているメンバー達に何かをしてやれば良いでしょう。

 我々はこの企画のために、少なくとも二千万ドル投入しなければなりません。もしこれだけの金を銀行に預ければ、何もしなくても毎年三百万ドルが入って来ます。二、三パーセントの利子率でこれだけ入ります。それはたいして多くはないけれども、決して少ない額ではありません。初めこのように投資すれば、最初の二、三年間は損をするだろうということも先生は知っています。最初の投資額の三分の一まで損をするかもしれません。損をするかもしれないけれども、新しく企画を始める時はそういうものだということも先生は知っています。工場で働く時、普通皆さんは二、三時間働いてそれから休憩します。それからまたもう少し働いて、それからコーヒーを飲みます。四、五回休憩を持つころには仕事を終える時間になっています。しかし先生は仕事をそのようには考えません。先生はもっと早く仕事を終わらせるため、二十四時間ぶっ続けで働くのが好きなのです。食事には一時間もかかりません。その半分で十分です。最も早く食べる方法は、食物を手でつかんで食べることです。先生は早く食べる訓練をしました。だから一食を一分で食べることができます。すべての食物をスープの中に入れて、それを飲み下せば良いのです。想像できますか。「どういう生活様式なのだ」と皆さんは思うかもしれません。それは基台を造るための生活様式なのです。そういう生活様式なのです。

 皆さんに選択の自由があり、もし地上天国の基台を造りたいと思っているのであれば、昔のやり方をいつまでも続けることは許されません。物事を実現するためにはそれを忘れ、全く新しい方法を工夫しなければなりません。夕暮れがやってきた時、それが朝で太陽が昇りかかっているのか、それとも夕方で太陽が沈みかかっているのか分からないほどまでに、熱心に働いたことが先生はあります。何か食べた時、それが朝食なのか夕食なのか分かりませんでした。皆さんはこれを聞いて作り話だと思うかもしれませんが、先生はずっとそういう生活をしてきましたし、またそういうことがあったのも本当なのです。

 先生は韓国の記録保持者です。我々は三階建ての強化鉄骨とコンクリートの基礎を持った、一和の工場を造りました。これは普通の建築物でこれを建てるのに普通は二、三年かかります。計画に六カ月、準備にさらに六カ月、そして実際に建設するのに少なくとも一年かかります。しかし我々の工場は、始めから終わりまで三カ月しかかからなかったんです。ランプともう二組の交替組を使って、二十四時間コンクリートを流し続けました。そのようにやりました。修練所は二十八日間で建てたのですが、ある人が二、三日どこかに行って戻ってみたら、そこにビルが建っていました。だから彼は、自分が道に迷ったと思ったんです。我々はもう一つ、最初のものほどは大きくないが、それでもかなり大きい修練所を建てましたが、それも七日しかかかりませんでした。基礎も含めて、家を一軒建てるのに七日しかかかりませんでした。こういうことが皆さんには想像できますか。

 皆さんの仕事のテンポに先生はいらいらしてくるのです。先生はそれを見たいとすら思いません。皆さんは仕事を延ばしに延ばして、とてものろいのです。庭を造るように言われて、やる気があれば二、三日ですむところを、今まで二カ月もそのままにしています。仕事を始めてさえいません。今先生はアメリカ人について研究しています。皆さんのことを知ろうとしているのです。先生は今、皆さんのためにすべてを準備するにはどうしたらよいか、迅速かつ効果的な生産のやり方を皆さんに示すにはどうしたらよいのかについて考えています。それは皆さんのためです。

 皆さんは、生産速度を上げるにはどうしたらよいか研究しなければなりません。必要ならば機械を発明すればよいのです。指導者は責任を引き受けなければなりません。もし彼ができなければ、他の人が代わりにそれをやらなければなりません。こんなに一生懸命やろうとする工場は他にないのです。まあ、我々は道理をわきまえていなければならないのですが、できるだけこの三百隻の船の費用を少なくするように努力するつもりです。我々は費用を切り詰めることができます。それは間違いありません。皆さんはどうなのですか。これは最も良い方法だと思いませんか。それならゆっくり働いて少ない利益で満足するのですか、それとも一生懸命働いて大きな利益を得たいのですか。最初の方がずっと易しいのです。しかしもう一方の方が長い目で見てより確実なのです。そしてそれが皆さんの基礎となります。

 誰もこういう考え方をする人がいないことが先生には信じられないことです。いずれにせよ、我々は二万ドル以内で全部を造ることができます。すべての部品、トレーラー、その他のすべてを含めてです。間違いありません。メイコは今トレーラーなしで二万四千ドルです。皆さんはもう我々の船を見ましたね。美しい船でしょう。正直言って、メイコ船はそれよりも一階級下がります。我々の船は今でも二十五ノットで走ることができます。二十五ノットから三十三ノットが小さな船の最適速度ですが、我々の船は今でもその速度で走ることができます。それに中型の船と同じ位安定しています。船は造ることができます。それは疑問の余地がありません。我々はそれを比較的物価の安いアラバマで造らねばならないかもしれませんが、そこは天候が良いので、青空の下と言えるような場所を用いることができるでしょう。これで三百隻の船の建造問題が解決したわけです。


新しい責任分担

 この時点で、教会センターに責任を持つ三十人を選ぶことにします。まずボランティアから始めましょう。この新しい責任分担を引き受けたい者立ってください。皆さんは海に行けば、最初全員が船酔いをするでしょう。何となく「軟弱」です。船酔いしない人、手を挙げて。

 先生はまず、海の上でも何とかうまくやっていくことのできる人を選びたいのです。ある人達は魚が従っていくような生まれつきの性格を持っています。ちょうどある人達が、ビジネスで金儲けができるような才能を生まれつき持っているように、ある人々は魚で金儲けができるような才能を生まれつき持っています。まず先生が見て回って、こういう生活に最も適している人達を選んでみましょう。まるでマッチングをやっているみたいですね。では始めましょう。選ばれたら、自分の名前を後で報告するように。

 このメンバー達がいれば、海洋王国を建設するのに十分だと思います。皆さんの方はどうですか。皆さんは極めて順応性に長けていなければならないし、速やかな決断ができなければなりません。特に海が荒れている時はそうです。皆さんは海が危険な所だということをいつも心に留めておく必要があります。そしてそれを乗り切ることのできる能力も必要です。そして、厳しい天候と厳しい労働を何とかやり抜いていくことのできる体力を持っていなければなりません。分かりますか。まあ、今先生は二十四人を選んだわけですが、手始めとしてはこれでいいのです。残りの六人は後で来ることになっています。

 よい講師も我々には必要です。教育のためには特に大きい人は必要ありません。既に州の責任者をやっている者達は手を挙げて。皆さんはオーシャン・チャーチに来るべきです。今すぐにではありません。神学校卒業生は先生が直接責任を持ちましょう。自動的にHSAとかカープとか、その他の所に行くようなことはありません。誰も彼らの責任分担を勝手に変えてはいけません。彼らは神学校で特別の訓練を受けたのですから、先生が直接責任を持ちます。それは良く分かったと思います。新しいセンターの責任者達、皆さんの船はまだ造船中です。つまり十二人は明日責任分担を引き受けることになりますが、残りの十二人は一時的に州の責任者になってもらいます。そして新しい船ができ上がったならばその船があてがわれ、皆さんにも新しい責任分担についてもらいます。最初の二十四隻が完成するまでは皆さんはこの順序でやるんですね。約二カ月位かかるでしょう。大貫がオーシャン・チャーチの顧問をやっているので、皆さんの中から十二人の指導者を選ぶのを彼に任せようと思います。

 先生は分離団体を始めようとしているのではありません。それは、紛れもなく我々の運動の一部なのです。タイガー・朴が皆さんを訪問するだろうし、レバレンド・郭が皆さんの講義プログラム編成を助けてくれるでしょう。皆さんは紛れもなく我々の運動の一部です。実際には皆さんは州の責任者のようなものです。特にオーシャン・チャーチの地区における、州の責任者です。落ち着いてしまってはなりません。絶えず動き回り、皆さんの地区にある港を全部訪ねなさい。我々は急いで組織を再編成し、空いている所がないようにしなければなりません。このように多くの人達が州の責任者とオーシャン・チャーチの新しい指導者として採用されたのですから、残った者達は今までの二倍働かなければなりません。


最初の指示事項

 神様の祝福が皆さんの上にありますように。君達オーシャン・チャーチの新しい指導者達が立派にやれば、海岸線沿いにある州の教会センターをはじめとした陸の教会よりももっと急速に皆さんは発展するようになります。何かを作り出すという面では、皆さんの方がもっとやる気があるはずです。皆さんは任地へ行ったならば、まず沿岸警備隊の責任者達、警察署長達そして市長達を訪問しなさい。そして自己紹介し、皆さんがやろうとしていることを彼らに説明します。そして、アメリカの水産業界を再興して、多くの若者達が港のために一生懸命働き献身的に生きることができるように訓練を与えることが、皆さんの関心事であることを彼らに知ってもらいなさい。船、トレーラー、バンがその地域にやって来るということも彼らに言うのです。また退廃的に生きている若者の傾向をより建設的、創造的な生き方へ変えるため、皆さんは最善の努力をするつもりでいるということも彼らに知ってもらいます。また急いで講義のプログラムを作り、十分な数の人が集まったら、その人達に講義をすべきです。このように彼らにすべてを説明します。

 任命されるのは皆さんが初めての重要な港が二、三あります。だが皆さんは、その港やその地区の責任者の位置にあります。そして数隻の船と数人のメンバーが皆さんの下にやって来ます。彼らにはもちろん皆さんがやって来ることを知らせます。今年の夏、皆さんは何の経験も積んでいませんが、皆さんの下に割り当てられる人達は既にある程度実質的な経験をしてきていますから、皆さんは彼らからいろいろ学ぶことができます。できるだけ速やかに追いつき、その差を小さくするつもりでいるということも、彼らに知ってもらう必要があります。その多くはヨーロッパのメンバーであり、皆さんが責任者になることを喜ぶはずです。それは皆さんが彼らをアメリカにつなげてやることができるからです。

 皆さんの主な仕事はその地域の若者達に講義をし、あるいは教育を与えることです。そうしながら彼らを海に連れて行き、一緒に魚釣りをすることもできます。船の上で講義をし、漁をしながら彼らに訓練を与えます。これらは全部同時にやるのです。彼らを連れて来る方法については、先生は既に指示を与えています。ある訓練期間を終えたならば、彼らに一隻の船をあてがいます。また夏の間グロースターに来る船は東海岸で漁をすることができますが、まずノーフォークに来るのが一番良いのです。乗組員達はそこで経験を積むことができます。そこで漁をすれば必要なことを覚えられます。マグロ釣りのシーズンには補給船が必要になりますが、この船はノーフォークから来た漁船でチャム(巻き餌)を供給し、そこでマグロを買うことになります。

 アラスカに割り当てられている船がたくさんあります。トレーラーならびに小型船です。船の編成、監督をする計画、特に船長の訓練計画は練られなければなりません。そして立派な船長と訓練された乗組員が各船にあてがわれる必要があります。アラスカに行くメンバー達が孤立させられてはならないので、アラン・ホーカンソンがそこに行って、これらの組織化を助けるべきです。そして彼らと共に生活をし、毎日毎日彼らを訓練すべきです。

 漁船のすべての船長がアラスカを通って来なければなりません。つまりアランか、その地位にある人を通過して来なければなりません。船の操縦、乗組員の訓練は彼の下でなされます。その地位にある人は誰でも、自分のことは忘れて、まず他の人達の訓練をすることに気を使わなければなりません。アランは高い基準を保っているので、模範として先生は彼を地位につけました。彼は船で他の人達と共に出発し、そこにいて彼らを訓練します。そして多くの他のグループも訓練することになります。彼は「母親的で過保護な雌鳥」のような役目を、そこで果たさなければなりません。

 彼にとってはこれは恵まれた機会です。もしそこで立派に自らを確立したならば、彼は何でもやれるようになります。彼はテスト・ケースなのです。もしアラスカで船長として独り立ちして人々の尊敬を得るようになれば、彼はそこからさらに前進することができます。ビジネスの方面で陸の上で働く指導者がいますが、アランは海の上で独り立ちすべきです。そしてこの二人は一緒に働かなければなりません。陸の上のビジネス・マネジャーと海の上の船長、特にアランのための標語は「一体化」です。アランは新しい船の船長となり、それとグリーン・ホープ号とを比較すべきです。アラスカには何隻の船が必要ですか。最適数はいくつですか。我々はどうやって出費を切り詰めることができるか考えなければなりません。特に機械と食事の出費です。それに我々は、技術面についてメンバー達を訓練しなければなりません。またもし魚をたくさん食べれば、高価な肉に出費する分を切り詰めることができます。考えなしに出費していれば限りがなくなります。

 我々は商業用の船である延縄魚船に関しては、乗組員に給料と食事代を払います。彼らが何を食べるか、皆さんは知っていますか。彼らは米と野菜と海で取った魚を食べるのです。彼らはそれをフライにしたり焼いたり、その他いろいろな方法で料理をします。このようにして彼らは食費を切り詰め、それを給料に加えることができます。

 我々もそのように訓練することができます。その方法を見いださなければなりません。消費ばかりしていたら絶対に蓄えることができません。どうやったら倹約できるか、いつも考えるべきです。その中には修理代も入っています。まもなく分かることですが、すべてのメンバーがエンジンの管理について訓練を受けているのかどうか、皆さんは確認する必要があります。皆さんは指導者であり、また責任者ですが、一流の機械工でもなければなりません。分からないことがいくらかでもあれば、人に教えることはできません。一流の機械工でなければなりません。他に道はありません。エンジンについての本を読むことから始めて、ひたすら学ぶのです。エンジンについて、すみからすみまで知り尽くす必要があります。そしてそれを分解して、また組み立てることができなければなりません。皆さんは自分の地区の責任者として資格を持つためには、船の専門家でなければなりません。

 先生は皆さんを訪問する際、船の上にいる皆さんの姿を見たいのです。皆さんは船乗りや漁師または海に出かけていく人達の指導者であり、また責任者でもあります。しかし行政管理責任者ではありません。だから、自分の地域の霊的教育の面でいつも忙しく指示を与えていなければなりません。それと同時にビジネスについても勉強しなければならないし、魚を売る方法も見いださなければなりません。時々大量の魚を取ったとしても、皆さんはどこでそれを売ったらいいか分かりません。それも皆さんの訓練の一部なのです。皆さんが自活の方法を知った後になって初めて、だれかが皆さんの取った魚を何でも確実に買ってくれるようになります。各地区は協力し合うべきです。また皆さんは伝道、魚釣り、教育、さらにビジネスと魚の販売のすべての部門でどのように行動すべきかを知っていなければなりません。そこから我々は前進拡張して、教会の目的を成就するようになります。最初に皆さんがやるべきことは友達を作ることです。そしてその人達にいろいろ質問して、できるだけ多くのことを学びます。それから、その地方に関する案内書を手に入れ、そこの漁業事情について研究することです。少なくとも半年間は、皆さんはそれをする必要があります。海岸線の近くに、我々は網工場とか造船所のようないろいろな工場を設立することができます。もしそれらの工場が皆さんの地域にあれば、皆さんはそれも管理しなければなりません。

 上手に管理し一生懸命働き、一つの企画から別の企画へと敏速に行動すれば、皆さんの基盤はすぐにできます。それは皆さんの基盤です。また皆さんの地域の漁師を代表して、いつの日か上院議員か下院議員に立候補することすらできます。それは皆さんの信望となるでしょう。町全体が皆さんを注目しています。皆さんは人々から歓迎されなければならないのです。良い人達が多数皆さんの所にやってきて、皆さんの指導をあおぐことになると思います。そうしたら彼らを教育し、国家のために働けるように鼓舞してやるとよいのです。

 皆さんはできるだけ速やかにそれらを身に着けなければなりません。皆さんが見習うべき人は大貫です。大貫は絶対に不平を言いません。六時は終了の時間なので「ラインを上げるように」といつも先生は言っているのですが、大貫はいつもあと五分だけそのままでいます。マグロがいつ食い付くか分からないからです。少なくとも三度、その最後の瞬間に食い付いてきたことがありました。一日の終わりに先生が「さあやめよう」と言うと、皆嬉しい顔をして急いでラインを上げるのですが、それを先生はあまり好きではありません。大貫は最後の瞬間にでもマグロが食い付いて来るのを期待しているので、ゆっくりと行動します。食い付くかもしれないのです。

 来期から、我々は訓練プログラムのための費用を最低限参加者達に出させるつもりです。一日につき少なくとも三度の食事分は払わなければなりません。またマグロのいる所に行くのに一、二時間かかるので、もし海上にずっといて漁を続けるならば、そこには大きな違いが生まれてきます。だから我々は中央に大きな船を置いて、夜はその周りにアンカーを下ろすようにする計画です。そしてアンカーを下ろした場所からその大きな船に行ったり来たりすればよいのです。しかし皆さんがどこにいるかによってマグロの食い付いてくる可能性に大きな違いが生まれてくるので、他の人達はどこでアンカーを下ろすかで争っているのです。

 いつのシーズンでもいいから、マグロ釣りに行ったことのある人は手を挙げて。漁の経験のあるヨーロッパのメンバーとアメリカのメンバーは、新しい指導者を助けなければなりません。

<<質疑応答>>

 質問のある人はいますか。

 メンバー「私達の中には船をすぐもらえない人もいるのですが、訓練のために商業用の船を使ってもよいでしょうか」

 まあ、寒くなりつつあるのでここでは駄目ですね。でも、底引き漁船に乗ることはできます。また、もし明日ここで魚を捕りたければ一日だけならばできます。いずれにせよ、十二名の者達の船はもうでき上がっています。ただトレーラーとバンが足りないのです。まず我々は、船を皆さんのいる所まで引っ張っていって水の中に入れ、それからまた戻ってきて別の船を引っ張っていかなければなりません。しかしまもなく一隻の船にトレーラーが一台、三隻から五隻の船に一台のバンがつくことになります。それが基準です。

 メンバー:「まず最初に私達がやることは何でしょうか。漁でしょうか。それとも魚の販売ですか、それとも訓練ですか、あるいは講義ですか」

 船をもらう前に皆さんは渉外をすることができます。それが第一です。そのように出発します。皆さんが中心勢力です。しかしカープのメンバー達も州の責任者達も、皆さんを援助しなければなりません。皆さんはまず基盤をつくる必要があります。それから手を広げていきます。しかし、最初から商売をする計画ではないので、まだそれを我々はやっていないのです。我々自身の船が三百隻必要ですからそれを売るつもりはありません。それは訓練用の船です。いずれワン・ホープ号に似た別の船を売ることになります。それはグッド・ゴーかも知れませんが、ワン・ホープ号ではありません。ワン・ホープ号は特別な船なのです。しかしその船を見たら人は欲しくなるに違いありません。もう既にそういう現象が起きています。人々は今ワン・ホープ号を買いたがっているけれども、我々はそれを売るつもりはありません。


まず最初にやるべきこと

 皆さんはここから直接皆さんの州に戻って活動を始めるべきです。例えば、ドクター・ダーストは各州をちょくちょく訪問すべきです。彼が少なくとも一カ月に一度、五十州全部を回るのを先生は見たいと思います。ということは彼はいつも旅行していることになります。しかし、もしドクター・ダーストが百名の聴衆に話すとすれば、アメリカの全人口に語りかけるにはどの位の月日がかかるでしょうか。一万年はかかります。

 その代わりに、もし彼がニューヨークに焦点を合わせ、七千人の人にコンタクトを持ち、家庭教会活動に彼らを連れて行くことができれば、その方がずっと速いのです。もし彼が同じ地域でその七千名の人々に五年間夕食会を持ったり講演をしたりすれば、そしてこれを五年間何度も何度も繰り返せば、はるかに良い結果をもたらすことになります。そしてニューヨークが我々のメッセージを理解するようになれば、アメリカ全体もやはりそのようになっていきます。もしそうなれば国全体が瞬く間に変わってしまうことになります。

 このように家庭教会を通して、復帰がより直接的に進みます。より多くの人々がより迅速に復帰されます。だから彼はこれを集中的にやっています。本部に人々を招待するのではなく、彼が家庭教会の場所に行って、そこを二度、三度と巡回すべきなのです。だから晩餐会をあまり何度もするのではなくて、その代わりに会合を持ってそこで彼が講義をします。それを毎月二、三回やります。一カ所で一、二時間、そして別の場所へ移動してそこでまた二、三時間行います。人々はそこに留まって去ろうとはしないでしょう。こういう人々への接近方法は、先生がアメリカへ来たばかりのころやったのと同じです。そのやり方が最も速いのです。復興会、晩餐会またはこの種の会合を通して、皆さんは人々のためによい雰囲気を作ってあげるのです。州の責任者達もそのようにするのです。そして皆さんもそのようにするべきです。その後のことは、ドクター・ダーストは自分の経験を通して何をしなければならないか知っているはずです。彼は皆さんのセンターを訪問し、皆さんと一緒に働きます。

 明日、皆さんは新しい責任分担につくか、元の責任分担へ戻るのです。皆さんの働きの上に神様の祝福がありますように。オーシャン・チャーチの勝利のために「マンセイ」を三唱しましょう。


朴大佐の祈り

 「天のお父様、御父母様と共にこの時を過ごすことができましたことを感謝申し上げます。時は進展しています。今日この日、大きな転換点が訪れようとしていることを私達は知りました。まだアメリカの中ではありませんが、私達の内に起ころうとしております。天のお父様、劇的な変化が我々の中に起きるようにお導きください。あなたが私達に期待されていることと、現在の私達の状態との間のギャップをうめなければならないからです。それから天のお父様、私達が自分で課している限界を乗り越えることができるようにお導きください。

 私達はお父様が韓国、日本で打ち立てられ、また現在アメリカでそうされつつある伝統を受け継ぎたいのです。その伝統が苦労の上に確立されたものであることを私達は知っています。私達は人類と天のお父様、あなたのために自分を忘れて働けるよう自らを改革し、あなたの伝統を受け継ぐことをここにお誓いいたします。あなたが示してくださったお手本に従い、全力を挙げて働くことをこの瞬間私達は心の中で決意しております。私達は今まさにオーシャン・チャーチを始めようとしています。それはこの国における歴史的な発展の時です。

 将来アメリカ全体がこの日を証するようになるでしょう。来るべき年のために心からお祈りいたします。真の御父母様は既に多くの汗と涙を流され、神学校のために多くのものを捧げられました。そのために神学生達はこの日までやってこられたのです。多くの者達はカープで働いています。また多くの者達は州の責任者をしています。そして今日、多くの者達がオーシャン・チャーチの指導者として任命されました。彼らの成功はひたすら彼らの一心不乱の努力にかかっております。

 これが成功したならば、アメリカにも希望が出てくることを私達は知っております。もし私達がその基準に従って行動することをしなければ、この国は今後もより多くの騒乱とより多くの蕩減と、より多くの悲惨をなめなければならないでしょう。その結果を保証してくれるものは何もありません。ですから天のお父様、あなたのお手本に従い、あなたに私達のすべてを捧げさせてください。死のうと生きようと、あなたの御旨をしてまいります。天のお父様、この歴史的な仕事を完遂するため、できるだけ私達が地上に残れるようお導きください。真の御父母様と共にあなたの御旨をなすことができるこの特権を心から感謝申し上げます。重労働が私達を待っていますけれども、私達はこの地上で最も幸福な者達です。たとえぜいたくな生活はできなくても、真の御父母様がおられるので、私達は歴史上最も幸福な者達です。天のお父様、真の御父母様が既にこの世界とアメリカのためになしてくださったすべてのことに、私達は深く感謝申し上げます。真の御父母様に代わるものはないのです。どうぞ、真の御父母様そしてその御家族をお守り下さい。いつの日か、私達は真の御父母様の重荷を代わりに担ってあげたいのです。そしてどうしたらそうできるのか、あなたが教えてくださるまで、私達は努力を続けていくことをお誓い申し上げます。これを、真の御父母様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン。

3. オーシャン・チャーチとアメリカ

1982年 8月28日 プロビンス・タウン

 今日は海に出ることができないので皆さんをここへ呼びました。皆さんは海へ行きたかったのですか。それともここに集まってきたかったのですか。皆さんも知っているように、我々はグロースターにモーニング・ガーデンを持っています。数年前に準備したとても良いと所です。しかし現在進行中の法廷闘争のため、我々は今その場所を使うことができません。新しい宗教が起こるときには、それに伴なって必ず迫害があります。その宗教が間違っているからというわけではなく、何か新しいものが古い伝統の中から芽生える時には必ず、その新しい運動は当原を払わなければならないからです。

歴史の目標  

 歴史の目標は最後の結実の時に至ることです。この観点から物事を見ると、我々がこういう道を通っていくというのはいたって当然なことです。大きな木になる果物の場合と同じように、最終的な成熟に至る道というものは生易しいものではありません。季節の訪れと共に、枝の幾つかは風によってもぎ取られていきます。しかし、枝にしがみつき一体となっている果物は成熟を全うします。同じことが親類歴史についても言えます。だから全部見るまでは、全部起きてしまうまでは我々は最終的な判断をすることはできません。迫害は最終的成長に至る過程の一部です。だからそれを私達は避けて通ることはできません。それを通過していかなければなりません。

 皆さんは若者です。皆アメリカに住んでいるけれども、その背景は非常に異なっています。アメリカの青年達の目的は何ですか。その点をはっきりさせなければなりません。彼らは何か価値のあるもの、やりがいのあることをしたいと思っています。

 では皆さんに尋ねますが、皆さんはどうして統一教会に入ってそこにとどまっているのですか。皆さんは未来に起こる最終的な結実を見ているのですね。だから何年も働き続けなければならなくても、統一教会にとどまっていることができます。人類歴史と統一教会の歴史は多くの共通点があります。歴史はある目標点に向かって出発し、人々はあることを始めそれに不平を言って去り、それからまた別の者達が加わり、そしてまた他の者達が去っていくということを繰り返しています。

 統一教会内でも同じようなことがあります。人類歴史と統一教会の歴史はこの葛藤を経験してきています。それは利己的な望みと、神様の御旨のための望みとの間の葛藤です。先生はこのグループの中に三種類の人達がいるのを知っています。前進しようとする人達、今の状態を維持しようとする人達、そして他の人達を引きずり降ろそうとする人達です。人類歴史も同じです。アメリカの歴史も同じです。ある人達は今よりもよい未来を心に描いて、それを実現しようとしています。他の人達は、ただ今持っているものを維持しようとしています。それから昔の良かった頃に戻りたいと思っています。

 アメリカの将来に誰が責任を持つのですか。他の人を引きずり降ろそうとするグループは、もちろんこの責任を持つグループには入りません。現状を維持し今まで楽しい生活を続けたいと思っているグループも、もちろんこれには入りません。こういうグループは現在の国家的な関心のためには良いかもしれませんが、世界のためそして人類歴史のためには良くはありません。歴史はいつでも人間の一般的関心を超えた所を行かなければなりません。歴史はいつも理想を持ち、その目標を積極的に追求する人々によって導かれています。

 多くの若者達が麻薬を使用するためにやって来るプロビンス・タウンを見なさい。同性愛社達も集まってきます。彼らはアメリカを指導する人になるかもしれません。しかし、彼らの生活様式はこの宇宙の法則に反しています。男あるいは女はなんのために生まれたのでしょうか。男は女のために、女は男のために生まれたのです。男が男のために生まれたのでも、女が女のために生まれたのでもありません。我々は互いのために生まれているのです。昆虫の世界ですら、この基準を乱すものは何もありません。動物の世界ですら、自然の状態ではそういう混乱というものは何もありません。被造物の中で、人間の他にそういう問題を持つものは何も存在しません。人間だけなのです。人類が将来の繁栄を選ぶのか、それとも崩壊を選ぶのかを決定すすべき最後の日が、今であることをこれは示しています。アダムはなぜエバを必要とし、エバはなぜアダムを必要としたのかを我々は尋ねなければなりません。そして彼らは子供を産むために、互いに相手のために創られたのだということをはっきり理解しなければなりません。子供達は未来を代表します。アダムとエバは自分達よりも優れた者達を産んだはずでした。丁度、木がより優れた果実を実らせるごとく、男と女の願いも自分達より優れた子供を産むことです。だから、より良い未来のために男と女は互いを必要としているのです。

 どうして皆さんは結婚したいのですか。ただ愛し合うためなのですか。実は皆さんは自分より優れた実を実らせたいのです。どうして皆さんは自分の子供達を愛するのですか。どうして自分の妻を愛するのですか。彼女を通して生まれてくる次の世代を愛することができるからです。未来は皆さんを中心としています。皆さんは妻と子供への愛を準備しなければなりません。また皆さんは、過去と現在と未来を連結する責任を持っています。皆さん一人ひとりがその責任を持っています。だから、多くの若者達が麻薬で体内を崩壊し同性愛にふけることで自らの未来を破壊するということは、これはアメリカの恥なのです。彼らはアメリカの希望ではありません。歴史は、未来に向かって若者達を導いていくことのできるグループを必要としています。世界はそういうグループを必要としています。アメリカもまたそういうグループを必要としています。そして神様でさえ、そういうグループを必要としておられます。

 ここにやってきてアメリカのため人類のため、そして神のためにこの新しい時代を開拓するグループは、全歴史が待ち望んでいるグループなのです。そして真の男と真の女、真の男達と真の女達の時代がやってくるでしょう。先生はいつも統一教会の働きを見つめています。またいつもあらゆる些細な点に至るまで、あるいは皆さんの未来のことをいつも考えています。夜も昼も、皆さんも自らを見つめ、そして自ら調査してみるべきです。皆さんは教会に入って以来、どの位変ったのですか。皆さんはいつも利己的に自分のことについて考えているのですか。それとも今はもっと公的な目的のために考えられるようになったのですか。皆さんは以前は自分のことばかり考えていました。「私、私、私」ですね。しかし今では皆さんは「神様のため、人類のため、他の人のために私は何をすることができるだろうか」と考えています。また以前には、自己中心的な観点から人生に価値を見いだそうとしていたけれども、教会に入って以来、もっと高次元的な価値を見いだそうとするようになりました。皆さんの未来は広がったのです。皆さんは自分が今立っている場所に限定されているのではなく、無限の可能性を秘めています。皆さんの未来は以前は限定されたものでしたが、今は未来に限りがありません。

 皆さんは以前は、国家のことについては何とか考えていました。しかし、今では全世界のことあるいはそれ以上のことを考えています。だからある時が来れば、アメリカは皆さんのような人を歓迎するようになります。以前は、皆さんの汗と涙と激しい労働はすべて自分のためのものでしたが、今ではそれらのものは全部人類のためになされています。実際、これは皆さん自身と皆さんの国家のための新しい時代、新しい歴史の曙なのです。実際、世界の新しい始まりです。皆さん、若者は全く新しい世界を始めることができます。

 これが我々の動機であり、これが我々の仕事の方向性であることを皆さんに理解してもらいたいのです。今年の夏、我々がやっていることを見れば、利益を上げられるようなものは何もないように見えるでしょう。我々はマグロ釣りに出かけていますが、その過程で多くの金を失っています。皆さんはこういう状態のまま、毎日漁に行くのは嫌でしょう。朝とても早く起きて長い間働き続けるというのはとても難しいことです。なぜ我々はこういう仕事をしているのですかどうしてこれだけ多くの努力を注いでいるのですか。先生はただ今日のことだけを考えているのではありません。未来の目標のことを考えています。マグロを捕るだけのために、どうしてこんなにお金を使っているのか。それは元手を取り戻すようには見えないというだけでなく、皆さんを訓練するのに何千ドルというお金を費やしてもいます。我々はこれを他のあらゆる企画と同じ理由でやっています。例えば、どうして超高速道路を建設しようとしているのですか。普通、高速道路を造る会社はそこから利益を得ようとするけれども、我々はそれを造るための金をまず集め、それから世界のため人類のためにそれを与えようとしています。

 私がやっていることを評価するのは、次の世代の人達です。彼らは皆さんを本当に尊敬するでしょう。我々が現在あるのはそういう人達のためです。だから我々の仕事は未来のビジョンを持っていなければなりません。何千人という人々が尊敬し、次の世代の人達がずっと従っていくことのできる伝統を我々は打ち立てなければなりません。そして我々は未来の人々のために、敗北者ではなく勝利者にならなければなりません。先生は全生涯このようにしてやってきたのです。

 初期の頃、皆が先生に反対し、皆が先生を誤解しました。しかし今では過去を振り返り、先生がやってきたことを見るならば、先生が正しかったことを認めるはずです。同じことが皆さんにも言えます。今から六十年後、人々は皆さんの人生を振り返るでしょう。人々は先生の企画を最初は小さな目で見ていたけれども、先生がそれを継続するに従って、彼らの目は段々大きく広がっていきました。先生の仕事は韓国で終わったのではありません。それはアメリカ、南アメリカ、アフリカまたはそれ以上へと拡大していきました。ある人から見れば、先生は不可解な人物に見えるかもしれません。しかし、先生自身はとってもはっきりした計画と目標を持っています。


海洋と新しい生活様式

 十年経てば、なぜ先生がこの企画をやっているのか、なぜ現在これほどの努力を注いでいるのか、皆さんにも分かるようになるでしょう。今日はオーシャン・チャーチ運動について話しているのですが、それは立派な運動ですか。皆さんは「偉大な運動だ」と叫んでいるけれども、なぜ偉大な運動ですか。我々がやっていることは偉大なことです。それは本当です。歴史上における「偉大」という意味を考えてみましょう。それは普通どういう意味を持っているのですか。すべてのものをコントロールするという意味です。しかし誰もそういうことは好みません。では、なぜオーシャン・チャーチ運動は偉大なのでしょうか。アメリカの漁村からほとんど若者がいなくなっています。彼らは自分の故郷を呪ってすらいます。しかし皆さん、若者はその漁村にやって来て新しい運動を起こしつつあります。皆さんですらそれを知りません。人々はオシャン・チャーチのある町で、この新しい運動を見て「レバレンド・ムーンは偉大な男だ」と思うようになるでしょう。

 皆さんに少し質問しましょう。ここに来てから皆さんは強い風を好きになりましたか、それとも嫌いになりましたか。皆さんは風の強い日に、フィアンセとか妻に合う時と同じ気持ちになりましたか。そうではないのですか。どうして笑っているのですか。朝の出発の時に風が強ければ「今日は何かとても良いことがあるに違いない」と皆さんは言いましたか。そのように感じたのですか。風の強い日でさえ、その中に人生の面白みを感じることができるように自らを開拓しなければなりません。その向こうにあるものを見通さなければなりません。若者達は皆、嵐が怖いのです。どうしてか、皆さんは考えたことがありますか。大きな波がへさき越しに船の中に入ってきた時、皆さんは刺激を受けて嬉しくなりますか。そこに希望を見出すのですか。その大波を面白いと感じるのですか。海の男は実際そのように希望を見出そうとします。波をかき分けて進行する小さな船というのはとてもドラマチックです。自分の船が波にぶつかり、それをかき分けて進んでいるのを見たら「ああ、ここには将来への希望があるんだな」と思わなければなりません。

 波を憎んではいけません。憎めば自分の心を乱されるだけです。我々は冷たい水も嵐模様の空もすべてを受け入れるべきです。いつでも両手両足、体全部を使って海を受け入れるべきです。毎日そうやっていますか。静かな日、海の表面に映った自分の姿を見てその海の力を知るべきです。次の日には、それが数メートルの高さの山となって君達の上に覆いかぶさるやもしれません。静かな日には海はただ休んでいるだけであって、その力は絶えず内に秘められているのです。

 男のそれと同じです。皆さんはとても興奮したり刺激を受けたりするけれども、次の瞬間には心が落ち着き謙虚で静かになり感謝を持った気持ちになります。女性もやはりそれと同じです。平和な海面に自分の顔を映して見ることができます。しかしそれでも海は絶えず動いています。魚のためにそうあるべきなのです。風が海を動かします。そしてその動きによって、魚が生きるために必要な酸素が供給されます。神様が海に命を与え、そのおかげで魚が生きることができます。

 一滴の水を見てもそこには色がついていません。しかしもっと多くの水を集めると美しい色が現れ始めます。それはとても美しいのです。水の中にはとても多くの種類の魚が棲んでいます。海にはあらゆる種類の魚や生命が含まれています。水は命を与えます。人間の体の七〇パーセント以上は水分なのです。水が顔に当たると、とても塩辛いので目に刺激を与えます。その瞬間、皆さんはどう感じるのですか。皆さんはそれを吐き出して、そして目をつぶるのではありませんか。海の水には基本的な味が含まれています。生命の自然な味ですね。そう思えば、今度行った時に今までとは違った感じを水に対して持ち、違った味を味わうことができるでしょう。

 一日働いた後、皆さんの手はからからに乾燥して塩辛くなります。それを味わってみるとよいでしょう。その瞬間も素晴らしいものです。それは海が持つ美しさです。皆さんは海の塩分についての詩を書くこともできます。どのように偉大な芸術も文学も、こういった生命との密接なかかわりの中から生まれてくるのです。あらゆる生命あるものを憎む人達は、こういう芸術や文学を創造することはできません。生命を心底まで愛する人達が、そういう美しく喜びを与える芸術や文学を生み出すことができます。

 静かな日海を眺めていると、突然魚が水から丁度人間のように飛び出してきます。鯨は大きく飛び上がって、それからあたりをぐるりと見回します。それはまるで未来を鯨が探しているかのように見えます。自分を見てみるとよいです。みなさんの心と体が平穏な時には、魂が跳び上がって何か良いものを探したいと思うようになります。だからそういう観点から海を眺めてみるのです。そうすると皆さんも生命が何であるかが分かるようになるでしょう。

 太陽と月を文学の中で、表現する時、単純になり過ぎるきらいがあるけれども、動いている波、踊っている波について語るならば、それはもっと美しいものになるでしょう。太陽を見れば父親の笑顔について語ることができます。太陽は単なる輝ける球ではなく、もっと美しいものなのです。太陽についてはそういう経験をしなければなりません。そして他のあらゆるものについてもそういうような深い経験を味わうべきです。そういう深い経験の中から、良心への無限なる刺激を皆さんは得ることができます。一度我々はたくさんの腐った黒っぽい魚を捕ったことがありましたが、その臭いはアンモニアのようでした。先生は船酔いはほとんどしたことがないのです。しかしその臭いをかいだ時は胃がおかしくなり始めました。最初先生は「自分はこの魚に対してあまりにも悪い思いを抱いています。自分はしようがない人間だ」と思ったのですが、しばらくして別の考えを持ち始めました。すなわち「自分は蕩減しなければならない」と思うようになりました。そう悟ったとき、その臭いを愛することができるようになったので船酔いがなくなってしましました。それは何かのために、また誰かのために蕩減することができるという意味だったのです。その臭いに感謝の気持ちを持つことができたので、先生は船酔いを乗り越えることができました。

 魚の臭い、そのチャムの臭いをつけて帰宅をすると、お母様は時々先生の衣服について何やら言うことがあるけれども、先生は「まだそれは洗濯する必要はない。まだ奇麗だから」と言います。しかし、お母様はいずれにせよ、それを洗濯するのです。皆さんの中には、魚の臭いのついた同じ服を一ヵ月間ずっと着ている者達がいます。謝るべきではありません。人生の中で日常の生活の中でこういうのを消化する方法について、我々は学ばなければなりません。我々はこういうものを将来のためにやっているのです。先生を見なさい。先生は毎日出かけていって確かに疲れています。しかし「疲れす過ぎている、出かけることはできない」というようなことは、先生は絶対に言いません。毎日漁に出かけ、家族の面倒を見なければならない漁師達のことを思えば、疲れたなどとは言えません。先生はよくお母様に「今日はストライプバスを釣ってくる」と繰り返し言ったことがあるけれども、実際にはそれはとても難しいことです。しかしその時先生は、釣ってくると妻や家族に毎日約束している漁師のことを考えています。彼はその魚をどうしてもつらなければなりません。先生はそういう生活について真剣に考えています。

 どちらがより必死でしょうか。ストライプバスを釣るとお母様に約束する先生の方ですか、それとも家族のために魚を捕らなければならない漁師の方ですか。より苦しい思いを味わっているのはどちらですか。その魚を釣れなくて、お母様に謝らなければならない時の先生ですか、それとも何かを釣らなければ、また何も釣れなければ家族が飢えることになるその漁師の方ですか。そういう漁師のことを思えば先生は疲れなど感じないのです。漁に行くのは何ら問題ではありません。我々はそういう考え方ができるように自分を訓練する必要があります。「私はこれを全人類のためにやっているのです。私は人類のために何かを残そうとしているのです」と信じなければなりません。

 こういう精神を持って我々は漁にでかけなければなりません。この活動を通して、いつの日か人類が希望を持つようになるのが先生には分かるのです。今我々がやっていることが、将来全人類に大きな恵みをもたらすことになります。先生は本当に皆さんを海の男達、女達にしたいと思っているのです。皆さん、男性は髭を伸ばすならば自分のその髭に触って「俺は男だ。俺は人類のためにいつも一生懸命働かなければならないんだ」と言ってもらいたいのです。皆さんはそういう精神を持っているのですか。皆さんは「俺は髭を伸ばしているから、誰よりも早く漁場に着くべきだ」と言うべきなんですね。また皆さんは出かけるための準備も整えていかなければなりません。良いエンジン、餌、ガソリン、すべてを持っていなければなりません。これは基本です。先生はいつも出かける前に準備が整っています。我々が使おうとしている鰻の餌の準備はもう既に整っています、という報告を昨日先生は受け取りました。しかし、朝になって、その鰻がちゃんとなされていないことが分かりました。しようがないことです。朝が来る前にこういうことが分かっていなければなりません。前の晩にすべてが整っているべきです。

 皆さんはこういう基本的な面においては、ほぼゼロの状態に近いのです。皆さんの精神は前向きの姿勢なのですか。いつでも明日のための準備ができているのですか。もし皆さんの精神がそうでなければ、一生懸命働いている漁師達に皆さんは譫訴されるようになります。先生は今たいしたことはないように見えるかもしれませんが、先生の未来のビジョンははっきりしています。大いなる未来のために先生は今基台を造っているのです。皆さんはどうなのですか。


海の新しい未来

 アメリカのにはたくさんの宗教団体があるけれども、こういうことをしている団体は一つもありません。神様はオーシャン・チャーチに大きな希望を持っておられます。この観点から見て、オーシャン・チャーチは良いと思うのですか、それとも悪いと思うのですか。皆さんは「偉大だ」と叫びたいんですが「good(良い)」という単語を見てみましょう。「o」が幾つあるのですか二つの「o」がありますだから「good」は二重の「神」になるのです。霊界も良いし、地上も良い。共に二重の神様です。どちらも良い。それが「good」の意味です。二重の神様は主体と対象、つまり霊界と地上界を持っています。また陸地と海があります。我々はいつも山の男であるわけにも海の男であるわけにもいきません。両方に行って、両方共愛さなければなりません。韓国では我々は一隻の船を持ち、それにはただ一人の船長がいました。最初、先生がその船長にならなければなりませんでした。それはたった一隻の船だったけれども、先生はそこに未来を見ていたので、実際には遥かにそれ以上のものでした。

 皆さんもそうですか。自分を見るんですね。グロースターでは皆さんは船の上で眠らなければなりません。時には数日間漁を続けなければなりません。そこにはシャワーもなければトイレもありません。バケツを使わなければなりません。苛酷な生活です。死に場所を探したいとしても、皆さんはそれを見出だすことすらできません。先生はそれを見て「これで良い」と思うのです。先生はそこに大いなる未来を見ることができます。人々には日常生活を超えた思考をすることはできませんが、我々は遥かに先のことを考えています。そのために我々は、新しい人生に向かって道を歩み始めることになります。先生は神様のためにあらゆるものを復帰したいのです。グロースターとプロビンス・タウンの二ヵ所は我々が自分の基台を造ることのできる所なのです。我々は自分が偉大な人間であること、そして世界の最大の漁場の一つで巨大なマグロを釣っているんだということを心に留めていなければならない。皆さんは今ではもうこれらの船を用いどうやったらマグロを捕れるかを知っています。先生は、次にはストライプバスを釣りたいと思っています。しかしニュー・ホープ号はまだ十分な数のマグロを捕ってはいません。我々は今年の夏中に基台をもっと広げようとしていますが、なぜこういうことをしているのでしょうか。我々はこれを全部人類のために捧げているのです。先生は昨年まで自分で釣った魚はどれも食べませんでした。七年間漁をしているけれども、自分で捕ったものは絶対に食べませんでした。それはいつも他の人達のために捧げられました。魚は我々に釣って欲しいと願っています。ほとんどの魚が別の魚に食べられるのですが、それよりは人間に食べられるほうが遥かに良いのです。魚は人間の一部になることによって、その生涯で最高の段階まで達したいと望んでいます。我々も魚が人間に対して思うのと同じ気持ちを神様に抱かなければなりません。我々は最高段階のものの一部になりたい、神様の一部になりたいと思うのです。将来の経済の大部分は海からやってくることになるでしょう。

 そして先生はそのお金を海外で使いたいと思っています。毎年二千万人以上の人々が飢えに苦しんでいます。アメリカの生活はとてもぜいたくなので、皆さんには想像もできないでしょう。メンバー達は先生と一緒にいる時、幾度となく「お父様、何か飲まれますか。何か食べられますか」と聞くのですが先生はコカ・コーラさえ保存しておいて、他の人達にそれを与える方法を見つけ出した方が良いと思っています。我々は生活のあらゆる面において、保存という概念を持っている必要があります。もしそれを持たなければ、神様の祝福は逃げ去ってしまうでしょう。しかしいつも他の人達のため、人類のためそして将来のために物を保存することを考えるならば、我々は神様の祝福を受け継ぐことができます。こういう誠実さを持って物事を何でも行なうならば、神様の霊がいつも我々を満たすことになるでしょう。また最高の釣り場を見つけたいと思い、他のどんな人達よりも神様のために多くのことをやっているいるならば、神様は我々を助けて下さり、その目標を達成するためのより深い洞察力を我々に与えて下さることでしょう。皆さんは今年の夏ずっと船に責任を持っていました。皆さんの中で、今度オーシャン・チャーチに来るのに自分の妻は反対していたみたいだと思っている者はいますか。海の将来に関心がなければ、先生はオーシャン・チャーチを始めたりはしないということを妻達に理解させなければならないし、また皆さんもそれを知っていなければなりません。この世界の三分の二は海ですね。将来、誰が世界の面倒を見るのですか。神の子達がこの世界を受け継ぐべきなんです。そうすると彼らは海も受け継ぐことになります。だから先生は海に関心を持っているのです。

 多くの人達が海を去っています。どうしてですか。新しい海の時代が来つつあるからです。ある国家ですら海を無視しています。どうしてですか。海の真の後見人達が訪れる時代がやってきたからです。だから我々は海に大きな希望を抱いています。過去何度も人間の間違った目的のために海が利用されてきました。今日でさえ、麻薬が海から密輸されています。天的目的のためにはそれはつかわなければなりません。我々は人間による海の使用目的を改めなければなりません。だから我々にはオーシャン・チャーチがあります。また我々は勇敢な精神を開拓しなければなりません。過去の海賊よりも勇敢で大胆な者になる必要があります。


将来のために心身を備えること

 オーシャン・チャーチはそういう精神を開拓するための最高の運動です。若者達の間にその基準を高揚する運動としての第二のものは、武道(マーシャル・アーツ)です。健康な心身を作り上げるにあたって、武道に勝るものは余り多くはありません。良い精神を持って武道を志すならば、悪い力は皆さんを決して攻撃することはできません。武道は、歴史上偉大な目的のために何度も用いられてきました。しかし、不幸にも、それは悪意を持って用いられたこともありました。武道はそのままにしておくと、悪い目的のために、用いられる方が遥かに多くなるでしょう。しかし宗教運動によって武道は、建設的で良い目的のために用いることができます。それが重要な点です。ある人が傲慢な態度で武道を志そうとするならば、より高次元の使用目的があることをその人に教えなければなりません。また全世界の統一武道運動(マーシャル・アーツ・ムーブメント)を準備する必要があるということも知っていなければなりません。我々は生活のあらゆる面を守らなければなりません。今我々は世界的なレベルでの武道団体を組織しているし、武道をオリンピックの中に入れる準備もしています。ほとんどの神学校は武道を全く教えないし、体育教育さえ行っていません。しかし我々の神学校武道を教えているので、学生達は知的に準備されるだけでなく、霊的にも肉体的にも準備されることになります。我々は神様のための世界的な運動を準備しているのであり、すべてのものがその下に集まってこなければなりません。我々は宗教オリンピック協会すら準備しています。世界のトップの宗教指導者達、著名な神学者 、学者達が二年に一度集まってオリンピック・ゲームを開催します。オリンピックは四年に一度集まるのが基準となっているけれども、我々はその基準を超えて二年に一度集まりたいと思っています。そしてもっと重要な点ですが、我々はオリンピックの基準を超えた、もっと高い次元の目的を持って集まりたいと思っています。

 誰しも、肉体のために健全な授受作用をする必要があります。肉体は心や魂と同様、バランスがとれていなければならないし、また十分なエネルギーも供給されていなければなりません。胃が痛ければ、それは胃袋と他の肉体の機能の間に十分なエネルギーの交流がない証拠です。先生は一日中、激しい労働をした後、家に帰ると毎晩体操をします。それが若い世代の皆さんと競争しても疲れない理由の一つなのです。

 健全な肉体を持つためには、体操をしなければなりません。そして健全な精神のためにもやはり体操をしなければなりません。精神のため、ということは宗教生活という意味です。我々は陸と海を抱擁し、またあらゆる芸術をも包含しなければなりません。これらの領域をカバーする必要があります。それから、これらのものを中心として新しい世界が始まっていきます。中心には宗教があるのですが、我々の目標は地上天国を建設することです。健全な肉体は外的な実践を通して達成され、健全な精神は内的な実践を通して、達成されます。文学、音楽、詩、美術、こういう領域を我々は自分で開発しなければなりません。先生もこれらの領域の一つ一つを、うまくなるように勉強してきたのだから、皆さんもそうやるべきです。

 先生がプロビンス。タウンにやってきて、このように魚釣りをするなどとは誰も夢にも思いませんでしたが、先生はそれを十年間続けています。先生が、今皆さんのやっている活動の多くをなぜ始めたのか、その理由をこの世の人々は理解できないでいます。我々の動機が分からないのだから、彼らが反対するのは無理のないことです。時が経過すると共に、我々に反対する人々と我々を助けようとする人々の間の距離はますます大きなものとなっていきます。一方は最後には消えてなくなり、もう一方は最後には神様に抱擁されて新しい時代が創造されることになります。


オーシャン・チャーチ開拓の公式

 先生が霊界に行ったら、皆さんは先生の精神を受け継ぎ、そしてさらに前進しますか。皆さんは「はい」と大きな声ではっきりと叫んでいます。本当に先生の伝統を皆さんが継承するならば、オーシャン・チャーチは素晴らしいものです。良いものです。それは二重の神様です。一つの神様は陸の神様、もう一つの神様は海の神様、オーシャン・チャーチはその両方ですね。我々は陸地に住み、海へ出かけます。だから二重の神様なのです。だからオーシャン・チャーチは本当に良いのです。そうなんですね。今、皆さん達は迫害を受けています。これは皆さんの未来が素晴らしいものだということを意味しています。今は誰も皆さんのことを理解できないけれども、後に人々は理解するようになるし、またその倍も皆さんを尊敬するようになります。

 皆さんは海洋都市に責任を持ちたいと思っているのですか。各都市を発展させるための基本公式というものがあります。その都市に責任を持つための、またこの指導者になるための計画を立てる時、皆さんはそのことを考えなければなりません。その都市にやってきた時の皆さんの最初の疑問は「私は何をやるべきなのだろうか」です。船を出して魚を捕ることが、その始めでも終わりでもありません。皆さんがその年にニュー・ホープ号に乗って現れたら、人々はそれがムーニーの船だということを知るようになります。そしてまた、彼らはムーニーについて話し始め、皆さんが良い人であるとか、悪い人であるとか言うようになります。どの社会でも新参者をテストしようという傾向を持っているものなのです。

 だから我々にとって最短コースは、その都市の主な指導者達と一つになる方法を見出だすことです。そうすればその共同体全部からのテストを受けなくてすみます。重要な点は、その共同体の指導者達、市長や警察署長、沿岸警備体の隊長、漁業共同組合の指導者、あるいはその他のビジネス面での指導者達にどうやって会うかです。ほんの数人の人達が皆さんと互いに理解し合い、一つになりさえすれば良いのです。重要な点は、皆さんがなぜそこにいるのか、何をその都市のためにやろうとしているのかを、どうやったら彼らに分かってもらえるかです。

 先生自身もアメリカにやってきた頃、これと同じパターンに従って行動したのです。先生はこの運動のいろいろな側面であるIOWC活動、原理研究会、家庭教会、オーシャン・チャーチなどを始めたのですが、アメリカに着いたらすぐに、このアメリカの指導者達、市の役人達、上院議員や下院議員に会いました。その人達に会った時必ず、先生は何をするためにアメリカにやって来たのかを彼らに説明しました。その時は先生の言うことが彼らには分からなかったのですが、今ではその中の多くの人達がその意味するところを理解するようになってきています。

 そういう方法を通して、アメリカの指導者達を動員するにはどういう運動をしたら良いのかを、先生は知ることができました。そして先生は新聞社すら準備し、六年前に発行を開始しました。ワシントン・タイムズ社部に来た人達は、我々がその新聞社を始めたからという、ただそれだけの理由でやって来たのではありません。基台が既に確立されていたから彼らはやって来たのです。彼らは我々のビジョンを理解できたからやってきました。

 ワシントン・タイムズ社は発行を始めてから三ヵ月しか経っていないけれども、既に国家基準以上のレベルまで達しています。保守的団体は普通、お互い同士喧嘩するのですが、この新聞がアメリカのある偉大な資産であるという点については、全員が意見を同じくしました。ある保守団体はキリスト教を中心にしており、他の保守団体はアメリカのビジネス団体を基盤にしています。また愛国主義者の団体だと言っても良いでしょう。

 それぞれの団体が一度は、先生に対して我々の運動に対して、反対の立場を取ったのですが、ワシントン・タイムズを通して、我々はその四つの団体を全部統一することができました。先生は今、法廷闘争の準備をしているけれども、それでも我々は絶えず前進を続けています。我々がこれら全部を既に達成したなどとは、まるで夢のような話だし、それについて全部語るのはとても難しいことです。例えば、小さな一つの例ですが、レーガン大統領が首脳会議の時にアメリカの四つの新聞社の筆頭通信員達を連れていきました。アメリカには一千七百五十三の新聞社があるのですが、レーガンは代表者四人しか連れていきませんでした。その中の一つがワシントン・タイムス社でした。我々が新聞社を始めてからほんの五日しか経っていないのに、こういうことが起こりました。どうしてワシントン・タイムズの筆頭通信員が選ばれたのでしょうか。それはこの新聞の高い質と勇気ある主張が、人々に認識されていたからです。彼らはそれを無視しようとは思いませんでした。

 これは計画のほんの一部でしかありません。この基台の上に我々は全国紙を発行するようになります。そして主なテレビ・ニュース関係筋がしばしばそして絶えずワシントン・タイムズ紙を引用する時がやってきます。それからアメリカの報道陣の基本的な運勢を変えることができます。多くの保守系ビジネス界の指導者達がワシントン・タイムズの成功を信じ、それに投資したいと思うようになります。「時代」は本当に変りました。先生が皆さんにこう説明をしているのは、この国の将来の基盤が既に皆さんのために準備されつつあるのだということを、皆さんに知ってもらいたいからなのです。

 どうして我々は、映画「仁川」にこれだけの努力を注いだのでしょうか。結果がどうであれ、動機は人々にマッカーサーを理解してもらうことでした。マッカーサーがどれほど神様を愛し、人民を愛したかを先生は示したかったのです。マッカーサーは第二次大戦後、日本へやってきてその国を復興させました。彼は本当に人々を愛し尊敬したのです。また彼は神様をとても愛し、専制主義と共産主義に対して猛烈に闘いました。先生はこの点を人々にも分かってもらいたかったのです。我々は神様を愛し、人民を愛さなければなりません。しかし共産主義はそれをその両方共を破壊するのだから、我々はそれを憎まなければなりません。これらの企画や活動のために先生はとても忙しくなるのです。皆さんは仕事が終わったらここに帰ってきて休憩することができますが、先生はほとんど徹夜して報告を聞いたり新しい指示を与えたりしなければなりません。先生は四六時中忙しいのです。ここにやってきて魚釣りをするような時間はほとんどないのです。ではどうして少なくとも十年間、先生はこういうことをやっているのですか。先生は毎年毎年前進し、それでも疲を知りれません。しかし皆さんはどうかと言えば二、三日出かけただけで疲れてしまいます。先生は皆さんを見ると恥ずかしくなります。

 既に多くのメンバー達が海から逃げ去ったのを先生は知っています。今季は我々は週に一匹のマグロしか捕れないし、人々は我々がやってこないだろうと思っていました。とにかくわれわれはやってきたし、人々はそれでびっくりしているのです。彼らは先生がやってこないという確信を持っていたんですが、我々が漁をする理由は単に経済的なものだけではありません。我々は漁をしなければならないし、継続しなければなりません。そして伝統を打ち立てなければなりません。

 先生は伝統が継続するように、少なくとも十人の「レバレンド・ムーン」を残したいと思っています。海洋都市へ行って、それを十年以内に復帰したいと思っている人は誰かいるのですか。皆さんの中でも何人の者がそのように考え希望を持っているのですか。皆さん一人ひとりが、海洋都市の漁師の中で最高の指導者になり、その基台を少なくとも百ヵ所の別の海洋都市に広げることができるならば、先生は何らかの価値あるものを残したと思うことができます。

 もし百の都市があれば、我々はこの国の基台を持ったことになります。またそこで知名度の高い地盤を確立した人になれば、皆さんは魚の会社あるいはその関連会社を発足させ、その責任者になることができます。皆さんは自分の基台を急いで造らなければなりません。つまり、海洋都市へ行ったならば、皆さんは最高指導者に会って、その地の将来のためになる何か価値のあるものを与えなければなりません。皆さんは、若者達と共に働くことができなければなりません。皆さんは二つの問題を解決しなければなりません。それは人材と金です。どうやって育てることができるか。これは大きな問題です。もしこれらの問題が解決できれば、皆さんは大きな会社を、あるいはその他何でも始めることができます。問題はありません。問題はどうやって良いメンバーを育て、ちゃんとした経済基盤を確立するかです。もしこれらの問題を解決できれば後は何でもありません。まず第一に皆さんは、その地の主な指導者達と良い関係を結びます。それから、漁業面での主な指導者達、ビジネス面での主な指導者達と友達になります。彼らから知識と経験を学び、将来自分の会社の指導者になるための基台をそこから造ることができます。まず初めに、皆さんはこの二つの問題を解決しなければなりません。

 皆さんは自分を訓練しなければなりません。皆さんを中心として、これらの問題は解決されることになります。皆さんにはそれができます。これらのことを皆さんは達成できるのです。夜も昼も一生懸命働かなければなりません。。そうすれば素晴らしいことが起きます。


海洋摂理と水産業

 約十年前、先生がここにやって来た時には、マグロは一ポンド十セントにしか過ぎませんでした。先生は「どうやったらマグロの値段を上げことができるだろうか」と自問してみました。今年の夏、マグロの値段が四ドルになるのを先生は期待しています。人々は以前はスポーツとしてマグロ釣りに来ていただけでした。人々は全世界からやって来たけれども、漁師は釣るためだけに毎日出かけていたのではお金を大量な使うだけなので、マグロ漁をすることができませんでした。大きなチャンスを与えられていたのですが、彼らはそれに参加することができませんでした。

 数年前一隻船がやって来たけれども、当時、マグロには値段すらついていなかったので、彼らは経費だけでお金を使い果たしました。先生はそれを見るに忍びなかったのです。昨年我々は値段を一ポンド二ドル五十セントに上げました。今年はマグロの値段は一ドル六十五セントから始まりました。どうしてでしたか。昨年高値で幕が下りたけれども、漁師を搾取する習慣は根深かったのです。皆さんはその基準を押し上げ、高め続けなければなりません。彼らはムーニーが嫌いですが、毎年やっている先生を今では催迎しています。始めたばかりの頃、彼らはひどく我々を迫害していたのです。でも今では我々の友達になりたがっています。今では皆さんも、漁場のことやそこにいる船がほとんど小型船であることなどを知っています。以前には高価なスポーツ用の漁船しかなかったのですが、今では貧乏な漁師もマグロを捕ってお金を儲けようとしています。マグロの値段が四ドル上がること、それは先生の希望ですが、そして漁師たちが千ポンド以上のマグロを釣ったならば、彼らは四千ドル稼ぐことになります。そういうことを考えてみるのですね。たった一日の働きだけで、それだけのお金を得ることができます。素晴らしいことです。だから、今では多くの小型漁船が出てマグロを追いかけているのです。だれでも小さな船ぐらいは少なくとも持つことができます。まぐろの漁場に千隻の船がいてもおかしくありません。毎日マグロを捕るための激しい競争が行われることになるでしょう。悪いことではありません。実際に良いことです。値段が上がっている現在、皆がここにやって来てマグロ漁をすることに関心を持っています。我々も人々をここに連れて来て、海の経験をさせてやることもできます。その中のある人々は金持ちかもしれないけれども、彼らはお金の使い方について何のビジョンも持っていません。しかし海に可能性を見いだした時、彼らはそこにお金を投資したいと思うようになるでしょう。人々に利益をもたらす素晴らしい企画がたくさんあります。

 アメリカの海岸線の主な所に我々は基盤を築きつつあります。皆さんも知っているように、メキシコ湾では我々は海老の商売を営んでいます。そしてアラバマでは造船業、またアラスカでは毎日四十万ポンドの魚を加工できる工場を我々は持っています。問題はどうやってそれらの企業の運営をするかです。先生はオーシャン・チャーチの各センターが若者たちを訓練し、その若者たちが急速に成長してそういう指導性を発揮するようになることを期待しています。我々はほんの三十のセンターから出発したのですが、最終的には海岸沿いに三千のセンターを作る必要があります。

 先生はアメリカについてこういう大きなビジョンを抱いています。どうしてですか。魚がアメリカの海にいるからなのです。先生は世界のいろいろな所を見て来たのですが、ここでは桟橋から釣り糸を垂れるだけです魚を捕ることができます。しかしアメリカで、この漁業の可能性を実現するための指導をしている人は一人もいません。皆さんがそれをやらなければなりません。三年以上前に、我々はスリナムで三十隻の海老漁船の操業を始めました。それらはマグロ漁用でもあります。サイズは極めて大きいのです。とにかく両アメリカ大陸は連結されなければなりません。海がその道を提供しているのです。海が世界の主な漁業国を全部連結することになります。最終的には、我々は漁師たちのために魚の値段を良い方向に改め、そしてもっと多くの人々に食糧を提供できるようになります。

 日本においては、我々は既に水産業のあらゆる面にわたって準備を整えています。そして有名な魚売チームを作りました。彼らのトレード・マークは頭に鉢巻きをした魚売り少年の絵なのです。魚を売る人はだれでも、また日本全国、魚を売る時にはいつでも頭にその鉢巻きをすることになっています。我々は今ここアメリカでも同じような魚売りの方法を準備しています。日本人の夫か妻を持っている人は、将来の摂理に何らかの形で参加することになります。

 どうですか。すべてのカップルが自分の船を持つようになれば、それは素晴らしいことです。そこで魚を捕り生活し、そこで子供を産むことさえできます。皆さんはワン・ホープ訓練船から始めると良いでしょう。それを良くこなすことができ、成熟した漁師になったならば、皆さんはアラバマで造っているような大きな船を持つことができます。ある人たちはそういう状態に達するのに二十一年かかるけれども、皆さんは専念しさえすれば七年間でそこに到達します。

 日本ではメンバーたちが資金集めをする時に、霊界が働いて必ず買ってくれるような人に会わせてくれます。同じ経験が皆さんを待っているのです。海へ出かけて行く時、霊界が働いてどこに魚がいるかを皆さんに教えてくれ、何トンという魚を捕ることができるという経験を皆さんはするでしょう。そう思いませんか。先生はそう思います。皆さんは自分で発見しなければなりません。

 たくさんの人たちが「ああ、オーシャン・チャーチとはとても難しい。好きじゃない」と不平を言います。しかし一旦基台が造られると次の段階はやさしいのです。今はとても威信があるワシントン・タイムズでさえ、設立するのに数カ月しかかからなかったのです。その能力と才覚があれば、トロール船を造ってここまで運んで来るのは何の問題もありません。皆さんは大型船の立派な船長になることができます。そうすれば自動的に、その町の指導者たちと会うことができるようになります。そして魚加工会社の社長やその他のビジネスマンたちとも知り合うようになります。また皆さんは、自分の事務所から電話をかければ全世界と連絡を取ることができます。先生はこれをとっても真剣な思いで言っているのです。それは実現します。皆さんはそれを信じるのですか。


海での指導性の訓練

 先生はかなりの時間を、貴重な時間を海上で過ごしました。将来に対するそういうビジョンを持っているからです。皆さんはまだ訓練がなされていません。どうやったら皆さんはこのビジョンを受け継ぐことができるでしょうか。先生は皆さんを一人ずつ、または二人ずつ、スリナムの海老漁船に一定の期間送ろうかと考えています。良い訓練になると思います。いったんそこに行けば二カ月から四カ月は戻って来ません。そのくらいかかります。また皆さんをアラスカにも送らなければなりません。冬の季節に皆さんをそこに送るとしたらどうなのですか。皆さんは行ったり来たりできなければなりません。陸から海へ簡単に行くべきなのです。しばらくの間海に出て行った人たちは戻って来て、再び陸の上で働きます。皆さんは今よりも力と熱意を持つようになるでしょう。その逆もあります。しばらくの間陸にいた者は、また海へ出て行くべきです。

 統一教会のメンバーの公式路程は、三年半、基本訓練としてファンダレージング活動をすることになっています。経済基盤は創造を表し、皆さんと万物の関係を復帰することになります。しかしこれは二年間のファンダレージングと、十八カ月の海での仕事に変更されなければなりません。

 今、先生は皆さんを親切に教育しているのですが、もし雇われて大きな船に乗って海へ出て行ったらどうなるでしょうか。大きなトロール船に乗って荒々しい船長と共に行けば、その船長は皆さんをただこづき回すことになるでしょう。そのようにしてその船長は皆さんを訓練します。先生自身もそのようにしたかったのですが、もしそうしたら最後まで残れる人はいなくなってしまうということを先生は知っています。だから先生は皆さんに優しく教えているのです。実際、我々はまだ出発さえしていません。いずれにせよ、教会員全員がこういう訓練を通過しなければなりません。皆さん一人一人が英語が通じない場所に行かなければなりません。そうすれば他の人とコミュニケートするのに、体のあちこちを用いなければならなくなるでしょう。そして皆さんはそういう船の中で孤独に陥ります。しかし「ああ、病気だ。疲れた。家に帰らなければなりません」と言っても戻る方法がありません。そうすると、ここグロースターでの経験がまるで天国のように思われるでしょう。それでも皆さんはそういう訓練コースを通過したいのですか。今年の夏のある日、一人の姉妹がニュー・ホープ号が来た時、先生に向かって「お父様、私はオーシャン・チャーチに入りたいのです」と叫びました。まるで気が狂ったように彼女は叫びました。そのように我々は感じなければなりません。

 我々は海岸線の主な都市に冷凍倉庫を設置する準備をしています。それらの工場を管理する人が見つかるならば、今夜それを全部開放することができます。しかし、皆さんにはまだその準備ができていません。三年後には皆さんは大きく変わっているでしょう。先生はアメリカの兄弟姉妹達を頼りにしているのです。もし皆さんがそれをやらないのであれば、ヨーロッパ人、アジア人あるいはスパニッシュのメンバーたちが動員されることになるでしょう。先生はアジア人とスパニッシュのメンバーを動員するつもりです。もし皆さんたちアメリカ人が望まないのであれば、アメリカにいる少数民族の人たちが水産業を握ることになります。もし皆さんがそれを望まないならば、それが嫌ならば、その機会を少数民族のメンバーたちに提供する以外に道はありません。

 日本では既に漁業関連の分野で多くの準備がなされて来ていますが、先生はこの摂理の中心者は皆さんであって欲しいと思っています。だから先生は国際祝福に期待をかけています。いずれかの方法で我々はそれを行うことになります。もしオーシャン・チャーチにそれができなければ、アメリカにいるアジアのメンバーがそれをしなければなりません。今先生は皆さんに最高の教育を与えているのです。皆さんは生涯役に立つものを学ぶことができます。十年間、先生は皆さんを訓練するために一生懸命働いて来ました。皆さんが成功を得ることになれば、それはアジアのメンバーたちがするよりももっと速やかにそれを達成することができるでみょう。

 海はすべて未来と関連しています。知りませんでしたか。皆さんは海に関心を持たなければなりません。さもなければ、歴史の中にただ消えて行ってしまうだけです。将来の指導者の資格は「海について知っていること」というようになるでしょう。また基本的知識は、船の扱い方の知識ということになります。海について知っていること、それに取り組むことができること、このとつが将来指導者としての資格を持つための基本条件となるでしょう。

 皆さんは先生のことをあまり知りません。先生はアメリカが世界の中でその威信を継続するようにあらゆる努力をしています。皆さんは何日間そういうペースで働き続けることができますか。海に行く時はいつでも眠ることを考えているのですか。毎日皆さんは遊んでいるのですか。あたりを見回して、きれいな船について考えているだけなのですか。「ああ、私たちは海を愛しています」と軽々しく言うべきではありません。実際に本当に海を愛するというのはとても難しいことなのです。

 先生は兄弟たちをスリナムに送り、そこで訓練し、それから呼び戻して大型船の船長にしたいと思っています。先生は三年間それについて考えてきましたが、皆さんはというとワン・ホープ号だけで既に疲れてしまっています。アラスカでは風速三十ノットは驚くにあたりません。それで普通静かな日なのです。荒れた日には、他の船は波と波の間にはさまって見ることすらできません。恐らく一番上の電灯だけしか見えないでしょう。そういうことを考えてみなさい。そういう中で生活しているカップルについて考えてみるのです。何と素晴らしいことでしょうか。そういう天候の中で、彼ら「互いに愛し合うことができます。本当に刺激的なことです。そう考えるかによって、どう生きるかが決まってきます。どう物事を見るかによってそれは決まってきます。もし思いが積極的で目的に向かって喜んで自らを与える精神を持っているならば、皆さんは何でもすることができます。

 もし先生がそういう精神を持ってアメリカに来たのでなかったならば、我々のムーブメントがすでに多くの企画に投入している何百万ドルの投資を実際に行うことができなかったはずです。今では我々はそれよりももっと多くの金を使い、また投資をしています。しかし同時に、先生は政府に対して税金をごまかしていると訴えられています。それは現実とは全く反対なのです。彼らにはそれがまだ分かりません。矛盾しています。我々は先回の科学者会議に四百万ドル以上を、ワールド・ユース・フォー・ガッド(神様のための世界の若者たち)の会議とワールド・ツアーに約二百万ドルを使いました。脱税? そのように先生をさばくアメリカは大きな間違いを犯しています。しかし先生はその判事にほほ笑みで応答しただけなのです。先生はアメリカに対して何の恨みも持っていません。皆さんを導いているのはそういう男です。どういう迫害が来ようとも、先生はびくともしません。神様の御旨から先生を引き離すものは何もありません。こういうことが自由世界で起こっています。共産世界ならどういうことをすると思いますか。彼らは心底から先生に敵対しています。彼らにとって最も恐ろしい人は先生なのです。どうしてですか。彼らにはこの思想を打ち負かすことができないからです。反対に、我々の思想は簡単に彼らを打ち負かすことができるので、機会あるごとに彼らは先生に対して牙をむいてくるのです。皆さんもそれが分かるようになります。我々は救いのためにあらゆる面において働かなければなりません。

 宗教は我々の生活の中心あるいは核ですが、我々は教育、ビジネス、あるいは政治のような他の分野を切り離してしまうことはできません。だからアメリカは先生を理解することができないのです。彼らは大きなスケールで物事を見ることができません。他にも重要な企画がたくさんあるのに、先生は今、法定闘争に注意を集中しなければなりません。しかしこれは先生だけの闘いではありません。皆さんを、そしてアメリカを教育するためなのです。先生は闘わなければなりません。

 それは蕩減路程であるけれども、それに従うことによって先生はもっと有名になります。同じ原理が皆さんにも当てはまります。ここグロースターで皆さんは迫害を受けるけれども、一生懸命働き続けるならば大衆も皆さんの本当の姿が分かるようになります。皆さんは汚れた船のムーニーですか、それとも完全に清くて秩序があるのですか。先生は船を一つ一つ点検してそれを確認しなければなりません。先生は皆さんの人生に関して偉大なアイデアと偉大な概念を持っています。皆さんのうち何人が南アメリカへ行って訓練を受けたいと思っていますか。最高の訓練は、別の国へ行って惨めで孤独な立場から訓練を受けることです。そして訓練を受けた後、皆さんはここに戻ってきて、アメリカのために一生懸命働くべきです。南アメリカが漁をする時、規定量を満たすのに数カ月かかります。ということは、魚が取れる場所に着く以前に既に少なくとも一カ月間漁を続けていることになります。ここでは皆さんは朝食や夕食の内容について不平を言うけれども、海の上では食物について不平は言えません。愛する妻から手紙が来るかもしれないけれども、漁の期間が終わるまで船長はそれを皆さんに渡そうとしないでしょう。たとえ皆さんがそれに対して立腹したとしても、何もそれを変えることはできません。それらの船には約三十名のメンバーが乗っています。彼らの生活について考えてみるのですね。漁から帰ってくる時、三十の家庭がその帰りを待っています。すべてが彼らの働きに、彼らがどの位の漁をしたのかにかかっています。彼らの実績にかかっています。彼らは他の船よりもっと一生懸命に働くしかありません。皆さんにとっては本当に良い訓練になると思います。だから先生は皆さんをそこに送ろうかと考えています。

 先生はいずれにせよ、そうするつもりですから、皆さんも早くやる気を起こすべきです。ただ待っているだけではいけません。この夏が終わったならば、先生はすぐに一人か二人をスリナム、あるいはベルリンへ送ろうと思っています。ドイツの漁師たちも三カ月か四カ月、寒くて厳しい海に出かけて行きます。その後でも依然として海の摂理のために喜んで働きたいと思うならば、皆さんは本当にオーシャン・チャーチのメンバーになる準備ができたことになります。そういう経験をして帰って来て、それでも海のために働きたいと思うならば、先生は皆さんを選ぶでしょう。そしていつの日か大型漁船を任され、船長としてのキャリアを積むことができます。先生は海に大きな希望を抱いています。また皆さん全員にも大きな希望を抱いています。先生は皆さんをそこに送り出したいのです。そして帰って来たらアメリカのために働き、偉大な指導者になって欲しいのです。


皆さんの基台は漁師と共にある

 先生は歴史をとても良く知っています。近い将来漁師たちは、我々が彼らのためにやったことを心から感謝するようになります。カール・マルクスは共産主義を始めるにあたり、労働者たちを支持したのですが、彼自身はそういう種類の仕事を経験したことがありませんでした。彼自身は前線の仕事をしませんでした。先生は全く違います。先生は漁師の良い友達です。それは自分自身がそういう分野を追及し、一生懸命働いてきたからです。彼らの努力と心根を先生は良く理解しています。そこが大きな違いです。

 先生が皆さんに何かを要求する時にはいつでも、まずその前に自分で試しているのですから、皆さんは先生に向かって不平を言うことはできません。皆さんは自分の地区に戻ったならば、その地域で魚の捕り方を学ばなければなりません。ストライプバスのいる所が皆さんの地域ならば、それを良く研究しなければなりません。先生は皆さんの助けはするけれども、皆さんもそれを自分で研究し調査しなければなりません。

 皆さんは自分の基盤も築かなければなりません。夫が海で魚を捕っている間、女たちはずっと家に閉じこもっていてはいけません。妻は魚に関連した活動を進めなければなりません。夫も妻も両方とも海の世界に関心を持ち、活発に活動をすべきです。先生は東に一つ、南に一つ、そして西に一つ、原型となるべき基盤を造っています。そしてその基盤の上に我々は発展することができます。基盤を築いたならば、その後我々はあらゆる備品、船、釣り具、衣類などでもすべて作ることができるようになります。先生はいつでも研究や調査を進めています。そして漁師の生活を改善する方法について絶えず考えています。我々は人々が捨ててしまうような魚切ってチャムにする方法を開発することができます。そうすると漁師たちがやってきて、ブルー・フィッシュを捕ります。チャム・ナンバー3、またマグロを捕るチャム・ナンバー4が欲しいなどということになります。我々の未来は無限に開かれているのです。皆さんは自らの想像力を働かしながら、自らの基盤を築いていかなければなりません。いったんそれができれば、皆さんは自分のビジネスには毎日二、三時間用いるだけで良いのです。外に出かけて行って、そこの共同体の指導者たちと会うようにします。また他の教会に行って、彼らのプログラムを助けてやることもできます。彼ら若者たちに関係したものを何か探しているのですね。だから皆さんは皆さんの船を使って彼らを訓練することもできるし、彼らもそれを望むはずです。

 各センターごとに皆さんは何隻の船を持ちたいのですか。将来、何隻の大型トロール船を管理したいのですか。皆さんの願いはとても大きいのですが、それを達成するつもりならば、皆さんは今それを始める必要があります。だから我々はこれらのワン・ホープ号を造りました。皆さんには教育と訓練が必要です。何隻の船に皆さんは責任を持ちますか。

 ワン・ホープ号を用いて、皆さんは船の管理方法を学び、そして体得しなければなりません。将来大型船を管理する時、その管理方法を知るための手助けとなるでしょう。皆さんは何隻の小型船を管理できるのですか。皆さんは海岸線をくまなく巡って、あらゆるチャンスを活用しなければなりません。フロリダには既に皆さんの友達がたくさんいるのですから、それほど多くの問題はありません。どこに行こうと皆さんは友達を作ることができます。大抵の漁師がそういう友情関係とか援助関係というものを持っていないけれど、皆さんはどこへ行こうとも、人々に奉仕して友人を作る方法を知っています。将来について心を煩わす必要がありません。皆さんはいつでも行くべき所と助けてくれる人がいます。

 皆さんは漁師の団体を作る方法を研究しなければなりません。皆さんはまたその地域の漁師たちを助けてやることもできます。時々船長は助けを必要としています。漁師たちは団体とか組織とかいうものを持っていません。彼らはそれを求めているし、また大きな眼を開いて我々を見つめてもいます。そしてそれを作る能力が我々にあるかどうかを判断する機会を待っています。彼らにはそういう援助が必要なのです。準備はあらゆる環境にとって必要なのです。我々はアメリカの組織をまず作って、それからそれを全世界に広めて至る所で漁師たちと協力し合うことができるようになります。

 だから先生は、何隻の船に皆さんが責任を持てるのかを知りたいのです。百隻の船に責任を持てるのですか。今ではありません。いつの日か、皆さんは大型船の一隊を導き管理することができるようにならなければありません。だから将来のために、今皆さんたちは小型船で訓練を受ける必要があります。皆さんは今小型船に乗っています。すべてそこから出発します。今皆さんは小型船を管理し、ストライプバスのような小さな魚を捕る方法を知ることができるけれども、これは訓練です。皆さんの中のある者は遥かに大きな船に責任を持ち、大量の魚を捕るようになるでしょう。


ワン・ホープ号での訓練

 ワン・ホープ号を卒業したら、次のサイズの船に進むことができます。四十フィートか五十フィートの船に責任を持てるようになれます。そのサイズの船で生活することすらできます。そして海を、皆さんの生活、また生活のあらゆる側面とすることもできます。そして漁のあらゆる面に関心を持ち、実力を備えなければなりません。釣道具について皆さんは何か知っていますか。魚の取り扱い方法、処理の仕方について知っていますか。エンジンの修理、船の改修ができますか。知らないならばどうやって海で生き残り、海で生計を立てるのですか。

 ワン・ホープ号はどこへでも行かなければなりません。そうすれば、人々がそれを見て我々がやっていることを尊敬するようになるでしょう。それは夢なんですが、先生はその夢をいつも胸に秘めているのです。ということは、それは今は目に見えないけれども、いずれ目に見える形になるということです。将来それを見ることになります。それもそれほど遠い将来ではありません。信じる者は何でもすることができます。行動する者は何でも達成することができます。「信じる者と行動する者」先生がそうであるし、皆さんにもそうなって欲しいと思っています。実際それは夢などではありません。先生が既に知っていることなのです。

 ワン・ホープ号でさえ最終的な基準ではありません。先生は今、それを改善する方法を研究しています。バランスの取り方が難しいというのが一つの問題点なので、改善されなければなりません。我々はそれを研究して、その問題を改善する必要があります。あらゆる訓練に役立つような船にしたいと先生は考えているのです。また先生は、船が波をどうやって切るのかについても調べています。船がもっと早く進めば、一度に三つの波を切ることができます。今は二つの波を切ることができます。ゆっくり進むならば、一つずつ波を切って行かなければなりません。先生はこれを既に試験しました。もし船が三千五百回転で進むならばもっと安定するし、波の切り方もきれいになります。

 皆さんはワン・ホープ号を改善するための何か良いアイデアを持っていますか。この船をもっと研究し、改善作業も最高のものにしましょう。もう既にデザインは立派だから、この国の船舶展示会に出品しても、とても良いというコメントをもらえるはずです。我々は特別の目的を持ってワン・ホープ号を二十八フィートにします。そしてトレーラーを使ってこの国のどんな所でも引っ張って行くことができるので、その保管はいたって易しいのです。このようにして、我々は一つの町から次の町へ移動することもできます。しかしもっと大きな船になると少々困難になります。二十八フィートの船は二十五ノットの風までは安定しています。いずれにせよ、それより強い風の場合は釣りには適さないので、二十八フィートの船はあらゆる種類の漁に適するのに優れていると言えます。

 この船のユニークな点は絶対に沈まないということです。こういう船の使用方法には限界というものがありません。家庭教会としても優れています。家族全員がこの船を使うことができます。またほとんどどこへでも行くことができます。どんな家族にとっても、極めて便利で素晴らしい船なのです。だから先生はそういうデザインにしました。他の船を大量生産するようになったならば、皆さんはそれを自分の個人ビジネスとして売ることができます。またマスター・マリーン会社を通して、皆さんの地域のその船を買いたい人たちのために発注してやることもできるのです。

 しかしこういった努力を軽々しく扱ってはいけません。既に古くから確立されている産業において、新しい伝統を打ち立てるのは非常に難しいことです。だからそれは極めて注意深く研究する必要があります。お金が問題ではありません。重要な点は我々にその能力があるかどうかです。ワシントン・タイムズが一つの良い例です。我々のメンバーは雇われた人達ほど能力はありませんでしたが、新聞社の行くべき方向性を管理統制することができました。我々にとってはそれが重要な所です。皆さんもそういう人、つまり多くの人達を管理し面倒を見ることのできる人になる必要があります。人生のあらゆる面において人々を導くことができなければなりません。

 物にも同じ原理が適用されます。あらゆる船の基本公式を作り、船の管理に当たってその基準に従います。エンジンと船の修理費は高いので、修理しなくても良いように最善を尽くさなければなりません。皆さんはエンジンと船を定期的に点検する必要があります。西海岸や東海岸、そしてメキシコ湾岸の各地区が、船舶いじのためのシステムを作るべきです。皆さんの中で何人の者がエンジンの修理ができますか。各海岸地域につき、1人の巡回師が任命されなければなりません。エンジンが壊れた場合、その壊れたエンジンを修理している間、他のエンジンを使うことができるように、少なくとも3つの補助エンジンを用意しておく必要があります。皆さんは徹夜してでもエンジンを一晩で修理できなければなりません。

 助けが必要ならば、船に責任を持っている人に来てもらって一緒に徹夜をします。そして「徹夜してでも一緒に働くように」というように、船に責任を持っている人達への指示は巡回師が与えることができます。皆さんにはそういう経験が必要です。巡回師はやり方を皆に教えなければなりません。もしエンジンが再び同じやり方で壊れたならば、そのエンジンをどう扱いどう修理するのかをもう一度皆に教えなければなりません。

 エンジンが最も重要なのです。エンジンが良くなければ船は使えません。各地区の修理員が船の壊れた場合に即座に向かわなければなりません。エンジンの修理に自信のある者は今ここにいますか。皆さんは、ガソリンとディーゼルの両方を学ぶ必要があります。「私はガソリン・エンジンは修理できるが、ディーゼルは修理できません」などと言うことは許されません。両方共修理しなければなりません。またエンジンの修理ができる者達は電気についても知っておく必要があります。電気系統のおかしな所は何でも修理することができなければなりません。ワン・ホープ号はとても小さいので学ぶ所がほとんどありません。

 しかしこのコースを通過して経験と技術を積めば、大型船の管理と修理の商売を始めることができます。トロール船や大きな船を修理することができます。また何でも修理できるように自分を訓練することもできます。エンジンの故障には共通点があります。

 各センターは一隻の船から始めます。その船がもし故障したならば、それを修理します。二隻の船があり、一隻が古くて故障したとします。その時皆さんは新しい方の船を使って出かけてはなりません。古い方の船を修理してそれを用いなければなりません。それが伝統です。古い方の船が壊れたならば、その船を修理するためのお金を集めなければなりません。そうすることにより、責任を持つという伝統を皆さんは学ぶことになります。

 船の番号、部品の番号、エンジンの番号、すべての目録を作ります。そうすれば修理に必要な部品を番号によって注文することができます。そういう在庫目録システムを組み、工場との関係を維持していきます。ニューヨークに控えのエンジンがあり、カリフォルニアが特定の部品を必要としていれば、ニューヨークに注文を出してそれを夜行便で送ってもらえば良いのです。そうすれば、壊れてから二日以内に船を修理することができます。そういうシステムを我々は開発すべきです。一年経ったならば、どの部品が壊れやすいか分かるようになるので、その部品をストックしておくことができます。電気系統についても同じことが言えます。すべてワン・ホープ号に使われる部品は皆、番号によってリスト・アップする必要があります。これにはドア、アンカー、消火器などすべてが含まれます。そうするとどういう物が紛失しやすいか、どういう所が壊れやすいかを記録することができます。また番号システムを統一し、すべてのセンターがそれを使用しなければなりません。

 この責任は大きいです。我々の将来は偉大なものです。しかし今何をすべきかについては真剣に考えなければなりません。皆さんはいつの日か最大規模の船でさえ修理できるようになるでしょう。また海軍の船も修理できなければなりません。そういう日が来つつあります。各センターの水産活動を直接監督するために、ニュー・ホープ号に乗ってずっと航海して回ろうかとも先生は考えていますが、それはできないかもしれません。しかしわれわれはシー・ホープⅠ、Ⅱ、Ⅲを持っています。そのうちの一隻が旗艦として各地区へ送られなければなりません。そうすればワン・ホープ号とシー・ホープ号に乗って、夜通し一緒に漁をすることができます。また自分の地区で、それらの船を使ってワン・ホープ号の全活動について教えることができます。各センターとも出発準備のできたワン・ホープ号を少なくとも一隻は備えていなければなりません。そうすれば先生が訪問した時、皆さんはすぐに出かけることができます。いつでも出発できる準備の整った船を一隻持っていること、これが各センターの守るべき基準です。先生は皆さんの所へ先生の代理を送りたいと思っています。彼が到着したならばすぐに、皆さんは彼を連れて出かけなければなりません。例えばドクター・ダーストとか朴大佐とかが来た時、出発の用意が完全に整っていなければなりません。言い訳は許されません。だから皆さんの地域の漁場を良く調査し、どこへ行くべきかをあらかじめ知っておく必要があります。


ワン・ホープ訓練の目的

 どうしてこういう基準を我々は持たなければならないのですか。それを皆さんに説明しようと思います。皆さんはいつでもどんな人でも連れて行くことができなければなりません。世界的なレベルの人々を連れて行き、皆さんの基準を示して感銘を与えることができなければなりません。我々はアラスカから西海岸を下り、メキシコ湾を通って東海岸を上がって行くというフィッシング・ツアーを準備することができます。それは六カ月かかるフィッシング・ツアーなのです。そういう魚釣りの経験をこれらの海岸線の地域で味わったならば、彼らは気違いのようになるでしょう。

 それから全世界のフィッシング・ツアーを準備します。アフリカ、ヨーロッパ、南アメリカでの釣りです。その準備を今しなければなりません。今から始めなければなりません。このようにして我々は全世界の人々とつながるし、人々を全世界の海とつなげることにもなります。彼らは経験したことを決して忘れないでしょう。全世界員は多数くの釣りと漁の団体があるけれども、彼らはその目的を変えなければなりません。彼らに必要なのは、世界を援助するために何かをするという刺激です。だから皆さんは自分の地域を研究しなければなりません。「どうやったらこの港町をもっと美しいものにできるだろうか」と自問してみます。そして皆さんの地域の準備をしなければなりません。平目、ストライプバス、マグロの捕り方を研究します。それから日本に広告を出すこともできます。彼らは捕りたい魚の種類に従って、アメリカへの遠洋を計画することができます。だから皆さんは自分の地域で魚の捕り方を自ら学ぶ必要があります。先生の言っていることが分かりますか。皆さんはこの分野で責任を持ちないならば、定期的にヨーロッパ、アフリカ、南アメリカそして日本へ行かなければなりません。皆さんはそういうタイプですか。

 マグロを釣っている時、悲しみとか幸せとかいう感性が心に浮かびますか。すべて忘れるのです。母親とか臨が死んだばかりだったとしても、その瞬間にはその悲しみを忘れることができます。悲しみとか憂欝から引き上げられるほど大きな興奮なのです。それは本当です。現代人は、長期間ビジネスから離れることなしに緊張をほぐす方法はないかと探しています。何か偉大なこととか刺激的なことならそれができます。アメリカでの釣りならばそれができます。

 皆さんは何でもすべて簡単に忘れてしまうのでここで止めたいのですが、それでもやはり続行しなければなりません。先生は皆さんにマグロの捕り方、ストライプバスの捕り方を教えてきましたし、自分が今ではマグロ捕りのチャンピオンだと思っていますが、ストライプバス捕りはまだ卒業していません。ストライプバスはとても賢いのです。マグロよりももっと賢いし、捕えるのがとても難しいのです。ある種類の魚を釣り始めたばかりのころ、どこへ行けば釣れるかというような、その魚の習性については皆さんは何も分かりません。だから他の漁師達がやっていることを研究しそれを受け継ぎ、そしてそれを改善する必要があります。彼らと一緒に漁に行き、漁場を見つけなければなりません。そしてその地域を研究し、地図上にその点を記します。
 専門の漁師に従い、彼らの息子のようになります。誰も彼らから受け継がないのだから、皆さんがそれをしなければなりません。彼ら一人ひとりに話しかけ、自分が何をやっているのかを彼らに説明します。そして助けを必要としているかどうかを尋ねます。多くの漁師達が「そうだ」と言うでしょう。皆さんは彼ら一人ひとりを感動させなければなりません。それから皆さんの地域で組合を発足させます。彼らと友達になり一つにまとめ、それから彼らを皆さんの船に乗せます。船がとても速く走るので、彼らが興奮するのは間違いありません。

 彼らを晩餐会に呼び、皆さんの計画を誇り、共に分かち合います。そしてあらゆる種類の海産物を彼らのために料理します。彼らは友達になるのです。そして捕った魚の何匹かを持ち帰り、彼らに与えます。皆さんの人生を彼らと分かち合えば、彼らも皆さんと分かち合うようになるでしょう。このようにして彼らから受け継ぎ、彼らも皆さんの目標達成を援助したいと思うようになります。皆さんは自分の経験を持っていると同時に、その地域の漁師達の経験も持つことになります。いろいろな地域から得た経験、知識を全部合わせて、皆さんは魚釣りの教科書を作ることができます。教科書を作り、絶えず改訂します。こういう努力は多くの人々を助けることになります。

 漁師の友達を別の地区に連れて行くのです。「私と一緒に行きませんか。あなたと私の分のチケットはもう買ってあるのです。一緒に行きましょう」と言えば、彼は「そうしよう」と言うに違いありません。そしてその友人達をアラスカに連れて行きます。彼らの興奮はひとしおでしょう。もし先生が皆さんに「ヨーロッパに魚釣りに行かないか」と聞いたら、皆さんは何と答えるのですか。「もちろん、行きます。」そのように彼らを教え育てることができます。彼らの助けが必要になったならば、電話をかけて「すぐに来てくれ」と言えば良いのです。彼らは間違いなくやって来て、皆さんの手助けをするでしょう。我々の本当に行きたい所はそこなんですね。我々の前方に広がっている未来をいつも見つめていなければなりません。そうしないと何事も起こらないでしょう。

 希望を、大きな希望を持つことです。我々はとてもたくさんのことをやっていますし、先生もとても多くの企画に責任を持って行かなければなりません。先生は科学者会議を始めた時のことを覚えているのですが、多くの人達はそれが理解できませんでした。多くのメンバー達がそれに反対しました。先生が神学校を始めた時も、多くのメンバー達がその考えを支持したがりませんでした。それからニューズ・ワールドの番が来たのですが、多くのメンバーがその考えを嫌いました。しかしニューズ・ワールドはワシントン・タイムズを生み、それがどれほど偉大なものかということを今皆が分かるようになりました。

 先生は頭が狂っているのですか。そうは先生は思わないのです。皆さんはそう思うでしょう。時々? そうでしょう。いずれにせよ、霊界へ先生がまだしばらく行かないのならば、この企業は成功するだろうということ、これだけは理解しておいてほしいのです。これは疑問の余地がありません。もし先生が明日霊界に行くことになったならば、皆さんはどうするのですか。やめるのですか。皆さんはとても強靱でしっかりしているので、天でさえ「やめません」という皆さんの言葉を聞くことができます。あるいは先生が今日話していることを皆さんがたとえやめたとしても、自分の命を賭けてこの考えを成就しようとする若者達が将来出てくることになります。先生が一旦この事業に触れたからには、決してそれは滅びません。今はそれは衰退気味で重大な問題を抱えているけれども、我々はそれを持ち直し復活させます。だから皆さんも決意しなければなりません。この道を行くという強い決意をしなければなりません。皆さんはこれをやりたいのですか。(はい)分かりました。ありがとう。

 質疑応答

 先生に何か聞いておくことがあれば、今質問をするように。

 メンバー‥ 「アフリカでもオーシャン・チャーチを始められますか」

 もしアメリカでオーシャン・チャーチが成功したならば、世界のどこであろうと問題はありません。しかし一つ一つやっていかなければなりません。まず最初にやるべきことは、ここに基盤を築くことです。ほとんどすべての国が海に面しているのですから、我々は世界のあらゆる所へ行かなければなりません。

 メンバー‥ 「水産養殖について何か考えを持っておられますか」

 魚の養殖は将来必ずやることになります。だがらそれを徹底的に研究しなければなりませんし、いつの日か、ほとんどすべての魚についての養殖を始める必要があります。そしてそれを学問的に行わなければならないので、我々は大学を造り、そのプログラムをそこで始めることになります。

 メンバーー 「他にもオーシャン・チャレンジ企画はありますか」

 あります。フロリダのキー・ウエストのような所に行って、大きい魚を捕ることもできます。しかしどこへ行こうとも準備はしなければなりません。

 メンバー‥ 「オーシャン・チャーチとホーム・チャーチの関係は何でしょうか」

 オーシャン・チャーチは人の精神を高揚させる場所ですが、使命は同じです。人々と接触し彼らを育て上げなければなりません。これは時間のかかる仕事です。皆さんは生涯をどちらかの使命にずっと捧げても良いでしょう。

 メンバーー 「我々は日本のメンバーたちとどのようにつながっているのですか」

 日本での基盤は完成しており、それがアメリカに運ばれてきます。アメリカの後は全世界、特にアフリカと南アメリカについて考えなければなりません。メンバーたちはこのように連結されていることを知らなければなりません。魚は蛋白源として優れているので、魚と海産物を全世界に送る方法の開発に我々は力を注いでいます。こうした意味では、日本はアメリカの先に行っています。しかし最も良い漁場はここアメリカにあります。我々の願いはこの二つの国を結び付けることであり、そうすることにより多くの国が潤うことになります。

 メンバーー 「このマグロ漁シーズンの後のことですが、どういうことをオーシャン・チャーチのメンバーたちに望まれるのですか」

 ストライプトバスの捕り方を研究しなさい。ストライプトバスについてあらゆる研究をしなさい。特にその数を増やす方法について研究しなさい。あらゆる種類の魚について、あるいは魚の捕り方の技術について研究をすべきですが、まずはストライプトバスについて研究しなさい。現実としては、皆さんはその地域で何とか生計を立てなければなりません。小型船を使って「マグロのコース」それから「ストライプトバスのコース」を卒業したならば、次には大型船の操業を始め、別の種類の魚を追いかけることができます。

 マグロは魚の王様であり、ストライプトバスは女王様なのです。大きなストライプトバスが近づいてくるのを見たならば、皆さんはその魚に魅了されるでしょう。それは本当に美しいのです。ストライプトバスは海の紳士なのです。他の魚、例えばブルー・フィッシュなどは餌の背後から追っていくのですが、ストライプトバスは正面から襲いかかります。我々が釣り上げた後でさえ激しく抵抗せずに、ただひたすら冷静に逃げる決意をして闘います。

 先生はある兄弟にストライプトバスを釣ってくるように頼んだことがありましたが、彼は一日中働いても一匹しか釣れませんでした。この魚の捕り方が分かりさえすれば、他のいろいろな種類の魚、例えばブルー・フィッシュなどの捕り方を発見するのは簡単なことです。ブルー・フィッシュは「海の狼」であり、とても攻撃的な性質を持っています。彼らが魚の群れに会えば、すべて引きちぎって後に何も残しません。その上この魚の味はあまり良くありません。味が良ければまだ許されるのですが、ブルー・フィッシュは一番安い魚のーつなのです。

 平目は「海のケーキ」であり、滑らかで美味しいです。いろいろな種類の魚がいます。皆さんはそれを学ばなければなりません。

 メンバーー 「どうしてたくさんのサメ科の魚がいるのですか。そしてなぜそれが良いのですか」

 サメは日本や英国にもたくさんいます。全世界にいます。サメを使って蛋白パンのための魚粉を作りたいと思っています。それからそのパンを第三世界の国々へ送ります。安い上に蛋白質もある程度摂ることができます。先生はそれをいつも考えています。我々はこういう種類のパンを製造できる工場を造らなければなりません。人間はどんな魚でも食べることができるのです。唯一の難点はどうやって加工するかです。その方法が分かれば他に何もありません。魚粉を作る方法は何千種類もあります。そしてそれを毎日食べることができます。人々は食事は何にしようかと考えて「ああ、今日は魚のパンとケーキにしよう」と言います。全世界で人々がそのように言うのを先生は聞きたいと思っているのです。その点について大きな関心を持っています。

 メンバー‥ 「マスター・マリーンの将来の計画についてはどうでしょうか」

 基本的にはたくさんの船を造ります。大型船と、もっとたくさんの小型の船を。

 メンバー‥ 「私たちがやっているのはすべて復帰のためですが、私たち、一人一人にとって個人的にはそれはどういう意味を持っているのでしょうか。例えば、ヤコブは叔父ラバンの所で何を復帰したのでしょうか」

 ハランの地でのヤコブの路程は訓練を受けることだったのです。彼は二十一年間訓練され、あらゆる環境のもとで働きました。誰しもがこの路程を歩んでいます。それぞれ自分の復帰路程を歩んでいます。例えばある人たちがワシントンDCへ向かっているとします。そして車がパンクしました。修理しなければなりません。次にエンジンが故障しました。それも修理しなければなりません。しかし元気は失っていません。彼らは道の途中にいるのであり、目的地は前方にあります。それが重要なのです。これは皆さんの場合にも当てはまります。道をふさぐものがあるからといって失望してはなりません。皆さんは復帰路程の中の本質的な点を知らなければなりません。姉妹たちの中には歌や踊りの上手な人たちがいるけれども、生計はどうやって立てていくのですか。他の人たちを愛するために生きているのだということを皆さんは忘れてはいけません。愛されることを期待してはいけません。その原理に従って絶えず前進することができます。もしあることで夫に浚訴されるようなことがあったら、皆さんはどうするのですか。大声を七げて泣くのですか、それともおとなしく黙って前進するのですか。

 あるカップルを見ていると本当に驚かされることがあります。「どうしてこういう理想的な組み合わせができたのだろう」と自分ながら不思議に思います。見れば見るほど自分が自分に驚かされます。例えばここにいるこの兄弟は、先ほどの表現によればブルー・フィッシュのような人なのです。だから彼には彼の隣に座っている妻のような、優しく美しい女性が必要です。皆さんをマッチングした時には、こういう細かい点について先生は知らなかったのですが、時間がたつにつれて何とうまく合っているかということに驚かされます。ここにスチーブ・テイラーという兄弟がいるのですが、彼もぴったりの妻をもらっています。彼の妻は普通「目が笑っている心あるいは「笑った目をした女性」と先生が呼んでいるような人なのです。こういう女性は心が複雑で、時々人から誤解されます。彼女の夫を見ると分かるのですが、彼は四六時中怒ったような顔をしています。彼は妻から良い性質をもらい、一緒に良い授受作用をすることによって、彼らはお互いに良い所をもらい合うことになります。

 先生は彼らに対しては同情的なのです。この兄弟が妻を心から愛していることを先生は知っています。彼女は「ああ、私の夫はもっと何とかならないのだろうか。もっとスマートな体になるか、もっと心根がよくなるようにすべきだ」と思うかもしれません。しかしそうではありません。彼女の夫は彼女に一番合った性格を持っています。完全なマッチングなのです。あなたたちは特に優れた子供たちを持つことになるでしょう。子供たちができたならばそれが分かるでしょう。

 先生はちょっと見れば、たちどころに皆さんの内も外も見通すことができます。国家を見てもその性格と将来が分かります。一九七〇年の初めアメリカに来た時、この国が崩壊に向かって進んでいることを先生は宣言しました。各都市、各州でこれを熱心に宣言しました。それを聞いた時、人々はなぜ先生がアメリカのためにそういうことをこれほど熱心に宣言するのか不思議に思いました。人々がそれを聞いて先生と一つになっていれば、アメリカははるか以前に救われることになったということを彼らは知りませんでした。アメリカの同性愛者たちを見なさい。悲惨なものです。こういう人たちは血液の中に特別な種類の癌を持っています。彼らのためにできることが何かあるでしょうか。

 簡単な電気系統においてでさえ、プラスとマイナスの両極関係においてのみ子不ルギーの流れが生じます。プラスとプラス、マイナスとマイナスは全く成立しません。そこから怨みとか病とか、あらゆる問題が生じてきます。男が男を見つめて恋に陥りキスをして愛し合う。これは混乱と混沌の状態です。生物学的に男が女とーつになるょうに創られています。男が与え、女が受けるようになっています。男は女と違った臭いをしています。その違いにょって一方が他方に引きつけられます。神様は誠に偉大な科学者です。そういう小さな所まで面倒を見てもらっています。男と女の間の鼻でさえ目的を持っています。これが分かれば、我々がたどっている重要な訓練路程をも皆さんは理解できるようになります。そして我々が成就しなければならない本質的な復帰路程も皆さんには分かるようになります。そして最終目標が理解できるようになります。

 メンバーー∴ 「二年間の経済復帰路程と十八ヵ月のオーシャン・チャーチ路程は全員が通過すべきなのですか」

 そうです。全員、先生も含めてです。先生自身この路程を通過しました。我々はいろいろなことを経験しなければなりません。そしてこれは重要なことです。


オーシャン・チャーチメンバーの教育システム

 皆さんは訓練と勉強をしなければなりません。弟一段階は漁についてオーシャン・チャーチのメンバーを訓練します。第二段階はオーシャン・チャーチが拡大し、基盤が確立されるのを援助します。その時点から別のタイプの漁に移行することができます。このようにして皆さんはあらゆるタイプの漁の準備の仕方を知るようになります。そしてこの種の魚は「a-タイプ」、この種は「b-タイプ」というふうに、情報を一つにまとめることができます。またどういうラインを用いるか、どういうタョクルを使うか、どういう餌を使うか書き留めます。こういう情報はとても重要なのです。

 我々はオーシャン・チャーチのメンバーを獲得しなければなりません。また彼らを育てる方法も見いださなければなりません。ビデオ・システムを使いなさい。訪問客はビデオの全プログラムを見るためにやって来ます。カセット数本分の長さです。人々はこのようにして勉強するのが好きなのです。日本ではこういう教育システムで百名以上の献身メンバーを獲得しています。人々はやって来て自分で勉強します。

 我々は、現在の情勢についての教育プログラムなどのような、多くのプログラムを企画することができます。訪問客はやって来て統一原理の知識だけでなく、社会や世界の知識についても得ることができます。センターを造って忙しくなったら、皆さんが全部自分で教える必要はありません。携帯用のビデオを使えば良いのです。ただテレビにつなぎさえすれば、訪問客にあらゆる教育を与えることができます。

 皆さんはこういう物を考察できるはずです。あらゆるものが関連し合っています。皆さんが持っているもの、そして周りにあるものを使えば良いのです。人々は学習する機会、自分を改善する機会を探しているのです。今日混乱があまりにも激しいので、人々は苦しんでいます。我々は統一原理のテープを数多く教授たちに見せたのですが、彼らはとても感銘を受けています。「こういう教育は大変良い」と彼らは言います。我々の側には先生の数があまり少ないので、これらのテープがその穴を埋めてくれます。二日、七日、二十一日そして四十日用の講義案を作り、訪問客が毎日やって来て、そのテープをもとに学習できるようにしておく必要があります。

 テープを問いている間は、途中でストョプして質問をするわけにはいきません。このようにして、彼らはまず各講義毎にその全体像をとらえることができます。こういうやり方によって、彼らは我々が教えているものをよりはっきりと理解することになるでしょう。時々講義の途中でたくさんの質問をする人たちがいますが、こういうやり方では彼らは全体像をとらえることができません。講義が全部終わってから質問をするほうが良いのです。

 我々は原理を教える方法を考え出さなければなりません。全世界にどうやったら教えることができるでしょうか。最高の人たちにどうやって教えることができるのでしょうか。最高の資質を持った先生を得て、素晴らしい原理ビデオ・シリーズを作る必要があります。今我々はこれをやり始めたところです。我々が周りの人から歓迎されているのであればもっと簡単なのですが、現実にはそうではないので、人々に教えるに当たってあらゆる努力を注がなければなりません。皆さんは以前は霊界について知らなかったのですが、今ではそれをはっきり経験しているでしょう。生命が永遠であることを人々は知りません。彼らは人生の半分しか生きていません。肉体生活の目的が彼らには理解できないのです。


親の行く道

 さてもっと真剣に考えてみましょう。先生の人生は生易しいものではありません。自分のためには一日さえ過ごしたことがありません。先生は霊界を知っているので、逃げることができないのです。今の仕事から逃げるすべがありません。皆さんが時にはどう感じているか先生は知っているけれども、回れ右して後戻りするわけにいきません。先生が行くべき道はこれ以外にはありません。両方の世界の現実を知っているので、この仕事を続ける以外にありません。分かりますか。皆さんも霊界のことを理解しなければなりません。さて我々は惨めな場所から人生を出発し、将来の準備をしています。皆さんにはそれが分からないのですが、先生は皆さんの未来がどういうものであるかを知っています。今は皆さんにはそれが分からないのですが、いずれは誰もがこの道を行かなければなりません。他に道がありません。

 これは極めて重要なことです。皆さんの短い人生でそれを達成することができます。霊界における何千年もの間の問題が、皆さんにおいて解決されます。皆さんがそれをしなければなりません。他には誰もいないのです。だから先生は皆さんに厳しくしなければなりません。皆さんが好きなのだけれど、厳しくしなければなりません。先生はアメリカに向かってその実体を語らなければなりません。そうしないとこの国には希望も未来もなくなります。同じことが皆さんについても言えます。皆さんが今決定します。自分の運命と自分の国の運命を毎日皆さんが決定します。神様はアメリカを祝福したのですが、皆さんがその祝福の責任を担っています。それをやらなければ神様は別の国を探すことになります。皆さんにとってはとても重大なことです。アメリカは自分の問題について語られることを聞きたいとは思いません。しかし耳を傾けなければなりません。この国の問題は極めて重要です。

 誰がアメリカの問題を解決するのですか。もしアメリカが麻薬、フリー・セョクス、家庭の崩壊、キリスト教の衰退、これらの問題を解決しなければこの国は減びるでしょう。共産陣営の知識人たちはそういった問題点を眺め、それをもっとひどいものにしようと努力しています。彼らは自分の血を流さずにこの国を滅ぼすことができます。だから彼らは麻薬、フリー・セョクスを支援し、アメリカの家庭の崩壊、宗教生活の衰退のためにも働きかけています。これは本当のことなのです。このようにして共産主義は、いつの日か、ほとんど何もせずにこの国を占領してしまうことになるでしょう。

 皆さんには先生の気持ちが分かりますか。本当ですか。先生はとても真剣なのです。先生は全く一人で始めました。先生を導いてくれる人、指導してくれる人は誰もいませんでした。それは惨めで孤独な路程でした。どうやって先生は望みを持つことができましたか。どうやって継続することが先生にできましたか。継続することができた唯一の理由は、人類の分裂を解決する方法を見つけたからであり、人類が神様の祝福を受け得る道がそのために開かれるようになったからです。カインとアベルは同じ所に集まり、ともに働かなければなりません。それから我の立場が確立し、それを通して地七で神様が働けるようになります。

 その基台の上に我がやって来ることができます。すべてのレベルが成就されなければなりません。家庭レベル、民族レベル、国家レベル、そして最後には世界的なレベル、それが摂理の進み方なのです。いつもそのょうになっています。今日でも摂理は同じ方法で進行していますが、ただ中心がアジアにあります。もし我々が諸国家を一つにすることができれば、世界は新しく出発することができます。もし個人レベルでカインとアベルが一つになれば、家庭が立つことができます。もしカインの家庭とアベルの家庭が一つになれば、民族が立つことができます。もしカイン国家とアベル国家が一つになれば、世界が立つことになります。分かりますか。それが原理原則なのです。

 先生は今アベルの位置に立っています。先生は一人で始めたので、個人レベルの基台をまずつくって、それを世界的なレベルヘと広げて行かなければなりません。先生は自分の家族のことを考えることはできませんでした。アベルは自分の家族のことを考えることはできません。彼はカインとカインの家庭、そして全世界のカインの所へ行かなければなりません。そしてその後で、自分の家族の所へ行くことができます。先生は全生涯をそのように過ごしてきました。

 先生の心情を考えてみなさい。苦しみで満ちています。最もひどい迫害は、心情に最も近い所からやって来ます。先生の家族は自分のことを気にかけてほしいと思っていますが、先生は彼らのことを最初に考えたことは一度もありませんでした。そのために彼らはものすごく苦しみました。これが先生の路程です。時には子供たちの叫び声を間かなければならないことすらありました。しかし、彼らが必要とする時間を先生は取ることができませんでした。先生の時間は他の人たちのためにあります。

 親はそういう厳しい状態の中にあります。カインとアベルが一つにならなければなりません。それが皆さんの親を救う唯一の方法です。分かりますか。皆さんは教会の中で互いに争い合う時、そのことを考えますか。多くのことが皆さん次第で決まってきます。後になったら皆さんは分かるようになるのでしょうが、今はそれが分かりません。時には、皆さんは強盗あるいは盗人のようなものです。働かずにただ奪っています。親の愛をそのように盗むことはできません。まず一つにならなければなりません。そうすれば神様は親の愛を皆さんに送ることができます。神様の摂理を中心にして他の人たちを連れてこなければなりません。そうすれば皆さんは親の愛を味わうことができます。

 カインとアベルは一つにならなければなりません。そうすれば真の我が現れることになります。親は自分だけで親になることはできません。子供の位置を成就してもらわなければなりません。我々はカインとアベルの間の分裂を、個人レベルから民族レベル、国家レベルそして世界的レベルに至るまで解決しなければなりません。


世界の重要な問題を解決すること

 今の世界は狂っています。誰もが自分のために働いています。あるいはせいぜい自分の国のために働いているにすぎません。全世界のことを考えて、そのために働いている人が誰かいるでしょうか。一人もいません。東洋世界はどちらかというと霊的世界、例えば哲学、冥想そして霊的な実践によって占められています。それが基本的には東洋の歴史なのです。西洋世界はどちらかというと肉体世界、例えば科学や技術で占められています。一方はより内的で、もう一方は外的だということです。それは我々にとってどういう意味を持つのでしょうか。カインとアベル。互いに関連し合っています。それなしには真の親は立つことができません。裁判の時に彼らは先生に「あなたは霊界で誰に会ったのか」と尋ねたのです。先生は真実を伝えました。我々の目的はメシヤを宣言することです。そうですね。その質問を彼らがした時に「イエス、モーセ、そしてあらゆる聖人たち」と先生は答えました。彼らの答えは「驚いた」でした。彼らはそれを信じなかったし、新聞もやはり信じませんでした。モーセはユダヤ教の創始者だから彼に会ったし、イエスはキリスト教全体に責任を持っているから会ったし、釈尊は仏教の始まりだから会ったと先生は説明をしました。そうするとあるイスラム教の人たちが来て、マホメットに会ったかどうかを問いたので、先生は「会った」と答えました。すると「彼はイスラム教徒だったか」と彼らが聞いたので、先生は「もちろん、彼は間違いなくイスラム教徒だった」と答えました。

 ユダヤ人たちも先生がモーセと会ったことについて知りたいと思いました。彼らは先生の言うことを信じませんでしたが、万が一と思ってとにかく聞いてみたのです。モーセが何を言ったかについて彼らは知りたがりました。モーセが先生に何を言ったのかについて、彼らは好奇心を抱いていました。他の人たちは先生がイエスと会ったということに腹を立てていたけれども、それ自体何も悪いことではありません。何ら間違ったことではありません。イエスは霊界の非常に高い所にいるので、ほとんどの人が彼に会うことができません。しかしイエスに会うこと自体何ら悪いことではありません。

 こういうことを大っぴらに語ることができるのだから、我々は自由世界を守らなければなりません。少なくともこういう話し合いをし、本当かどうか調査することができます。共産世界ではこういうことは全く不可能なことです。我々はこれら二つの世界を一つにしなければなりません。東洋と西洋を一つにするだけでなく、霊界と地上界を一つにします。そうすれば我々はメシヤを宣言することができます。また、人々もあまり障害なくそれを理解することができるようになるでしょう。

 第二次世界大戦以前に、霊界から直接メ了でージを受けている団体が韓国にはたくさんありました。彼らは先生の考えに似た考えを持っていました。彼らはメッセージの一部を理解することができました。このようにある程度の準備ができていたけれども、先生を完全には理解できなかったので、その基台を失ってしまいました。弟二次世界大戦の後、韓国動乱があり、その時に先生はその基台を再びつくらなければなりませんでした。その戦争の後、探し求めている多くの人々がそのメッセージを聞くことができました。

 今、我々はアメリカを中心にしてはいますが、アメリカの人たちは同じ霊的背景を持っていません。彼らは自由神学、自由思想を持ち、霊界には関心を持っていません。しかし真実はあくまでも真実なのです。霊界は存在するし、極悪人から最高位の聖人に至るまで全員がそこに位むことになります。誰もが自ら分かるようになります。アメリカ人は自分が何であるのか分かりません。人生の目的について混乱した考えを持っています。アメリカの家庭の五〇パーセントが離婚するとすれば、どうして真の父母の概念が彼らに分かるでしょうか。皆さんはそれを何とかするつもりですか。その解決方法を皆さんは知っていますか。とても重大な問題です。

 アメリカの若者たちを誰が教えるのですか。彼らの置かれている状態を誰が正してやれるのでしょうか。あらゆる問題があります。皆さんは自分たちが全部解決できると思っているのですか。「お父様、我々が全部やります」と皆さんは言えるのですか。皆さん、アメリカの男性たち女性たち、そう言えますか。先生は皆さんが好きですが、皆さんの国家はどうなろうとしていますか。議員たちが責任を持ってくれますか。若者たちが純潔を保ち、神様を知るにはどうしたら良いかについて、上院議員たちは責任を持ってくれますか。問題が何か分かったとしても、彼らには問題を解く方法が分かっていますか。分からないのです。しかしレバレンド・ムーンはこれらの問題が分かっているし、それを解決するために、アメリカの若者を清めるために日夜働いています。皆さんは先生と共にいてどういう経験をしているのですか。良くなっているのですか、悪くなっているのですか。
 皆さんは悪くなっているように見えます。先生はどういう天候の下でも、皆さんを四六時中働かせています。それでも皆さんは喜んでいます。そうですね。どうしてですか。それは人生の目的を成就しつつあるからです。理想世界は皆さんから出発します。これは本当のことです。この世界では皆さんは迫害ばかり受けています。しかしどれほど迫害が激しくても、皆さんは前進しなければなりません。先生はここに十年以上前にやって来たけれども、この期間、権勢を持った人がたくさん先生を迫害するためにやって来ました。あらゆる新聞、ニュース、報道関係者、政府関係者の人たちが先生に反対しました。彼らがアメリカで先生の仕事を妨害し始めました。

 しかし今から人々は我々の仕事を理解するようになり、全世界くまなく我々を歓迎するようになるでしょう。既に甫アフリカの多くの人たちが先生に会いたがっています。弟三世界の諸国のほうが先生を早く理解するようになるでしょう。しかし、先生の最大の関心は自由世界にあります。自由世界は共産世界に対する使命を持っています。皆さんが世界のいろいろな国の面倒を見てやるならば、皆さんが助けを必要とした時に彼らのほうからやって来て、皆さんを助けてくれることになります。皆さんの使命は少なくとも南アメリカの面倒を見ることなのです。アメリカはそれを理解しなければなりません。

 日本の使命はアメリカの面倒を見ることです。そして西洋人たちは東洋のやり方に従わなければなりません。そうしなければなりません。西洋文明は肉体世界の技術能力の上に建設された帝国であるけれども、東洋は伝統的にもっと霊的なものに関心を持っています。皆さんはそれを相続しなければなりません。姉妹の皆さんはどうなのですか。どうして東洋の男性と結婚したいのですか。兄弟の皆さんはどうして東洋人の妻を持ちたいのですか。それは今、二つの世界が一つになりたがっているからです。皆さんを通して一つになることができます。それは本当のことです。将来の世界は互いを必要としています。それから我々はカインとアベルから始まって、最初の家庭をつくることができます。世界は新しい家庭を出発させることができます。皆さんはどうなのですか。ここに来たばかりの時、皆さんの我は腹を立てましたか。皆さんの中には「そうです」とうなずいている者がたくさんいるけれども、それはどうしてなのですか。先生の家族でさえ、先生がやろうとしていることを理解できませんでした。皆さんは我が「行かないでくれ。行かないでくれ」と言ったけれども、それでも皆さんは来てしまいました。

 「統一教会は悪い所だ」と誰しもが言います。皆さんはどうしてそれを信じて、行ってしまわないのですか。皆さんは自分の問題を解決するためにここへやって来ました。ところが反対に鼓舞されて、まず世界の問題を解決しようという気持ちになりました。まず世界を助け、それから自分を助けるのです。今、皆さんは正しい展望を持っています。そうでしょう。

 皆さんは霊界を体験する必要があります。三つの国が三つの位置を代表しています。アダムとエバ、そして天使長です。世界を教うためには、我々はこの三つの国を一つにしなければなりません。実際にはカインとアベルの復帰を通して天使長の問題を解決するのだから四つの国が必要です。だから我々にはアダム国、エバ国、カイン国、そしてアベル国が必要です。これら四つの国が一つになれば、世界は一つになることができます。それがなされれば、霊界と地上界が一つになれるのです。

4. なぜオーシャンチャーチが必要なのか 

1982年 9月 5日 イースト・ガーデン

 オーシャン・チャーチのミッションを続けたくない者、手を挙げて。今日、先生は海の摂理について話したいと思います。一九八一年六月までにマスター・マリーン百五十隻の船を造りました。そして三百隻の船を完了した時点で、工場をアラバマに移すことができます。アラバマに移動したら、そこのファイバー・グラス部門で小型と大型の漁船を造ることになります。将来全長百フィートから百二十フィートの船が造られます。アラスカで使える船を造る計画なのです。その船は、南あるいは東海岸の海で漁をする他の船をデザインするための基本になります。

 それと同時に、我々はアメリカの海岸沿いに三十のオーシャン・チャーチセンターを作る計画を最初に立てました。それから三十の大型船が「母船」という形で各センターに送られるはずでした。そして一年間で皆さんはその船の船長になれるだけの十分な訓練を積むべきでした。一九八〇年十月一日に先生は全員をグロースターに呼んで、オーシャン・チャーチのビジョンについて細かい説明をしました。皆さんはそこにいたのですか。最初の計画によれば、皆さんは主要な港に行って、そこで若者達の訓練を始めることになっていました。そしてワン・ホープ号を一隻ずつ使って、漁と海のビジョンについて若者達の関心を引き起こすことでした。もし彼らが責任を持てば、一隻につき最低五人の割合で、船をその若者達に任せることさえできました。

 最初の段階は各センターが十隻の船に責任を持ち、またそれを利用することでした。一隻につき五人の若者達とすれば、皆さんは今五十人の若者達を訓練しているはずでした。そして彼らはオーシャン・チャーチのメンバー達と一緒に働いているはずでした。我々の計画はただ漁をすることだけではなく、海にビジョンを持った人のネット・ワークを作ることも含まれています。

 問題はオーシャン・チャーチを我々がどう理解するかにあります。どうして「オーシャン」の後に「チャーチ」という言葉を付け加えるのかです。オーシャン・チャーチは一つの信念に基づいて作られ、一つの信念に従って導かれているのですから、一つの教会運動なのです。その信念とは一つの信念とは一つの哲学です。つまり我々の主な関心は内的なもの、あるいは霊的なものです。それがオーシャン・チャーチの本質です。未来はその精神を開発する者達、すなわち創造に、そして世界に本当に責任を持つことのできる人達のためにあります。


アメリカの運動の基本構造

 ベリー・タウンの神学校を通過して来る我々の運動の中核メンバー達の基本ルートというものを先生は計画しました。神学校卒業後、彼らはまずカープに行き、キャンパスで訓練を受けるべきです。それから自動的にオーシャン・チャーチに来ます。それが我々の運動の指導者を教育するための計画なのです。統一神学校からカープ、それからオーシャン・チャーチへ。そういう豊かな訓練を受けた後、神学校の卒業生達は州の指導者となります。各州がそういう指導者を持たなければなりません。

 将来、州の責任者としての資格を持ちたい者は誰でも、まずカープそしてオーシャン・チャーチの指導者としての資格を持たなければなりません。我々の運動は、現在の州の指導者のレベルを超えて成長しつつあります。これまではどんなに明瞭かつ創造的な指示が与えられていたとしても、その指示は十分に消化され受け入れられてはいませんでした。指導者から各メンバーに至る段階において、メッセージの内容が収縮してしまい、メンバーの所に達した時にはもはや意味のないものになっています。しかし、カープからオーシャン・チャーチそれから州の責任者へと移行する指導者は、先生の指示を理解しそれに応じることができます。彼らは新しい指示を受けたらいつでもそれに応じて行動に移すことができる特別対策班のようなものです。

 将来、統一教会の組織あるいは指導や指揮の方法は州レベルでなされることになります。厳密な連邦システムではなく、むしろ州のシステムとなります。各州が自らの問題に責任を持ち、自らの方向性を出していくことのできる強力な単位となります。例えば、アメリカは連邦政府がありますが、各州も自らの政府を持っています。これがアメリカの源なのですね。先生もそのシステムを我々の運動の中に取り入れたいと思います。五つの州からなるリージョンを一つのグループとして各州を分けます。そうすると十のリージョンができます。そして各々のリージョンは州の責任者の援助をする指揮官を持ちます。そこで唯一必要なことは、本部と各リージョン間の良き連絡関係です。本部の仕事は小さいものでなければなりません。本部が必要とするものは、地方センターから情報を集め、全体像を把握しておくこと以外には余りありません。そうしておけば、本部は各リージョンの仕事を中心に一般的な指示を出すことができます。各リージョンはそれぞれ一人の巡回師を持ち、その人は各州を訪問し、そこでどういうことが行われているのか、長所は何か、何か改善の余地があるか等を調べます。彼らは本部へのみ、しかも直接情報を報告します。巡回師は先生とつながっているべきであり、また我々の伝統と御旨の道、並びに教会の管理行政についても良く知っていなければなりません。巡回師の仕事はメンバー達を直接教育するために各州を訪問することです。こういうふうにして彼らはすべてのメンバーに、指導とカウンセリングを与えることができます。

 各州がそれぞれの責任分担を担うわけですが、こういうふうにして統一システムが全国に広がることになります。我々の教育は何を中心にすべきでしょうか。伝統。ではその伝統とは何でしょうか。その伝統はカープの伝統、オーシャン・チャーチの伝統、そして州の責任者の伝統を含んでいます。我々はメンバー達を教育し、豊かでどういう状態にあっても他の人達の面倒を見ることのできる有能な者達にします。

 どうして先生はそういう組織に関心を持っているのですか。この国は三つのカテゴリーに入る人々からなっています。内陸に住む人々、海岸に住む人々、若い次の世代の人々、若い世代には高校生と大学生が含まれます。だから先生は大学キャンパス(カープ――全国大学原理研究会)運動と、高校(ハープ――全国高校原理研究会)運動の両方を行う必要があります。

 考え方が古く、自分の生活様式に凝り固まっていて容易に動こうとしない、変化を好まないそういう人達を取り扱うことは不可能なことです。だから我々は将来に目を向けて、冒険を好む若者達と共に新しい世界を開拓しなければなりません。若者達は世界中で最も建設的で生産的な人達です。しかしそれはいろいろなグループに分かれています。真剣な人達もいれば、フリー・セックスや麻薬、あるいはあらゆる種類の放縦に身を任せている人達もいます。

 我々は、道徳的に清い若者達を作り上げることに力を注いでいます。彼らを清め、彼らに挑戦し、彼らの才能の開発をしてやらなければなりません。それがカープの使命です。一九七八年以来、州レベルの教会活動にほとんど力が注がれませんでした。カープのメンバー達は強力なカープ運動を作り上げるように今まで急き立てられて来ました。カープのメンバー達には多くの敵がいます。彼らは力が強くしかも喜んで対決して来ます。アメリカのほとんどの大学に強力な共産主義と左翼のグループがいて、彼らは何年もの間、活発に活動を続けています。先生は皆さんが怒り狂った連中と対決しなければならないことを知っています。そういう左翼達が、あるいはもっと暴力的な団体が、多くの大学をまさに乗っ取ろうとしています。それは今までずっと頭の痛い問題だったし、今からもそうでしょう。カープのメンバー達はそれと対決しなければなりません。そして大学キャンパスにいる共産主義関連団体の、思想や戦術に打ち勝つ精神を示さなければなりません。一九七八年にアメリカのカープは始まったけれども、キャンパスでの実際の活動は、その一年後までは始まりませんでした。全国ネット・ワークを作る前、我々はしっかりとした勝利の伝統を打ち立てなければなりません。一九八二年末までのカープの目標は、三百のキャンパスを開拓することです。先生は皆さんの国を救いたいと思っています。皆さんはどうなのですか。もしアメリカを救えば、全世界が救えます。アメリカは世界の縮小体であり、世界の人々は今でもアメリカに目を向けて、その例に倣おうとしています。

 一九七八年以来、我々はキャンパスで数多くの共産主義団体と対決して来たし、その中に多くの団体が後退して行きました。彼らを打ち負かすことのできるという絶対的確信を先生は持っています。第一段階は大学キャンパスです。それは、将来の指導者達が準備されているのが大学であるし、そこから各国との接近を開始することができるからです。アメリカを出発点として、カープ運動は全世界に拡大します。このようにしてカープが広まるのを、特にドイツで活動する姿を先生は見てみたいと思っています。もしカープの若者達が一緒になって、武力を一切用いずにベルリンの壁を崩して国を再統一することができるならば、それは最も素晴らしい光景となることでしょう。先生は「女性達の力」と名付けているのですが、その「女性達の力」を通してそれが達成されるのを先生は見たいと思っているのです。女性達が先頭に立ちます。女性達が前進すれば、敵も立ち向かうことができません。そうなります。分かりますか。


オーシャン・チャーチとカープの関係

 カープとオーシャン・チャーチは成長過程が似通っているので、互いに協力し合うべきです。共に協力精神を持たなければなりません。カープのメンバー達は大学の友人達を「我々の船に乗らないか」と誘うこともできます。もし冒険好きの学生ならば、それに大きな関心を示すでしょう。そうしたらオーシャン・チャーチのメンバー達がその学生達を海に連れて行き、そこで我々が持っている将来のビジョンについて教えます。大学生はこういう企画や計画に心を躍らせるでしょう。

 内陸の運動は海岸線の運動に連結されなければなりません。それがカープとオーシャン・チャーチです。大抵の大学生は内陸部に住んでいますが、オーシャン・チャーチを通して彼らは全く新しい世界に招待されます。我々にはシステムも企画も計画もそしてビジョンもあるのですから、何も二の足を踏む必要はありません。大学のキャンパスへ行ってクラブを設立すれば良いのです。先生が既に説明したのと同じやり方を用いて、彼らに船の責任を持たせてやっても良いのです。「これを使ってもいいよ」と言いさえすれば良いのです。多くの学生達がその船を使用するために、夜昼なく働くことでしょう。

 今までこまごまとした指示がいろいろ出されたけれども、それはまだ達成されていません。オーシャン・チャーチのメンバー、皆さんはその内の一つでもやり遂げたものがありますか。皆さんは大学生達がやって来た時に、海とそこにあるいろいろな物の香でもって彼らを魅了することができるような、経験豊かな漁師に既になっているべきなのです。皆さんは彼らを人生の旅に誘い、そこで漁の仕方を教えることができなければなりません。

 我々の大きな船が港にやって来た時、彼らをワン・ホープ号に乗せて連れて行き、その大型船を見せてやることができます。そして「皆さんが望めば、もし一生懸命働けば、将来こういう船を皆さんは持つことができるんだよ」と言うこともできます。多くの若者達は、そういう目標を与えられれば気狂いのようになって喜ぶでしょう。皆さんは彼らに何か夢のあるものを、何か生きがいのあるものを与えることができます。

 彼らを週末大型船に乗せて漁をやらせても良いのです。今日はワン・ホープ号に乗せていろいろ教えてやります。彼らは大学生活に必要な費用を週末の労働で 稼ぐことができます。またその稼ぎを使って修士課程や博士課程で勉強することもできます。彼らにはそういう素晴らしい機会が与えられています。彼らは知的能力とか海に関する特技を持って、また知的能力と機械に関する特技と霊的能力を身に着けて卒業することができます。

 それが我々の展望であり、また目標でもあります。皆さんは一体どうしたというのですか。何年間も無駄に過ごして来ました。どうして皆さんはこういう目標に向かって働こうとしないのですか。先生は皆さんに同じことをもう一度最初から繰りり返さなければなけないのです。情けないことです。教会のへ指導者達は顧問グループとして、オーシャン・チャーチが成功しようと失敗しようと、いずれにせよ責任を持たなければなりません。

 カープのメンバーの皆さんはどう思うのですか。オーシャン・チャーチと隣り合わせであることがとても嬉しいのですか。それとも嫌なのですか。若者達は生きがいを求めています。それを考えてみてください。いろいろな学校に船を配置します。そして海の好きな青年を見つけます。もしそういう青年が見つからなければ、その時はカープのメンバーが一隻船を引き受けてお手本を示すのです。十人のカープ・メンバーで二隻の船を持つべきなのです。そして若者達の関心を引き、その船を彼らに使わせてやることができます。それはその学校が誇りとするプログラムになるかも知れません。またカープはそのプログラムで成績の良かった人に奨学金を与えることもできます。これらの船は若者達にぴったりと合っているのです。切れ味が良く、現代的で力があります。水の中でナイフのように波を切りながら進む船が、先生は欲しかったのです。先生は若者達のために、若者達の心を興奮させるような船をデザインしました。これは若者達への先生の愛なのです。

 先生はオーシャン・チャーチが飛び立つのを期待していたのですが、期待通りには行っていません。皆さんは余り前進していません。現在は世界的危機状態にありますから、先生は一分でも無駄にすることができません。我々はこれらの船を造り始めた当時は、船についての何の知識も持っていませんでした。しかし我々は奇蹟を引き起こしました。マスター・マリンはゼロから始めたのです。全世界からメンバーが集まって、これらの船を造るために働きました。どうしてですか。先生はオーシャン・チャーチが全世界に広まって行くのを期待しました。だからここで成功したならば、次には別の国に行くことができます。オーシャン・チャーチのメンバー達は、地方の行政府の支持を獲得する責任を担っています。市長、警察署長から知事に至るまでです。彼らは皆さんの仕事を見て、皆さんを称賛するようになるでしょう。皆さんの親はそのことで反対するでしょうか。そういうことは全くありません。問題はオーシャン・チャーチが飛び立たなかったという点にあります。オーシャン・チャーチのために準備された八年計画というものがありました。その期間内で皆さんがその計画を完了し、次に国際レベルにまで進むことができるようになるのを先生は期待していたのです。

 誰もがオーシャン・チャーチを羨ましく思うほどにそれが成功するのを先生は期待していました。オーシャン・チャーチのメンバー達は教育程度が高く、多くの者が神学校を卒業しています。皆さんはオーシャン・チャーチでの経験を活かせば、この国の偉大なる指導者になれるはずです。大学教授と付き合って、我々の原理を彼らに教えなければなりません。また我々が持っているビジョンも彼らに示すべきです。彼らに講義をします。皆さんにはそれができます。皆さんにとって、それは何ら特別なことではありません。

 先生は決めました。先生は皆さんがそういう人達になれるということを知っています。博士課程にある者達もオーシャン・チャーチに来なければなりません。この路程を通過しなければなりません。こういうふうに訓練することによってこの国を教育し、この国に対して、将来への方向性を示すことのできる指導者の資質を我々は開拓することができます。皆さんがそういう男、女になるのを先生は心から願っているのです。先生が歩んで来た路程を見るべきです。先生は一介の漁師として自らを訓練して来ました。どうしてですか。自分のためではなくこの国を救うためにです。先生は共産主義を乗り越えるための方法を見出す決意をしました。先生は生涯、ずっと共産主義と闘っているのです。アメリカはこの思想に負けてはなりません。だから先生は三十年以上もの間、この目的のために全生命をかけているのです。

 先生は既に皆さんの路程を研究し開拓して来ました。カープのメンバーの皆さんは自分の使命を知っているのですか。共産主義は大学のキャンパスを通してアメリカに浸透しつつあります。皆さんはそれを暴露し、それと対決しなければなりません。オーシャン・チャーチのメンバー達、麻薬は海上経由でこの国に入って来ています。皆さんはこの国の本当の自由を守らなければなりません。その本来の威厳を守らなければなりません。

 これは莫大な仕事なのです。アメリカが自分の置かれた状態に目覚めた時、周りを見渡して「一体この状態から我々を救い出してくれる人はどこにいるのでしょうか」と問うようになります。人々の良心を呼び覚ますために、誰かがやって来てキリスト教を蘇らせなければなりません。神様は先生にそれをやるように指示を与えられました。皆さんは神学校卒業生です。外へ出て一日中海で働き、それから帰って来て夜は教えるのです。そういう生活をしなければなりません。まさしく先生はこれを皆さんのためにやって来たのです。やっと皆さんは目覚めたのですか。皆さんはオーシャン・チャーチが嫌いなのですか。皆さんはカープが嫌いなのですか。こういうふうにして我々はこの国を救います。政府が先生を称賛し、援助しにやって来ると皆さんは思いますか。彼らはそれと全く反対のことをやるでしょう。だから皆さんは強くなければなりません。

 全世界の兄弟姉妹達が血を流しています。文字通り、彼らはこの国を救うために、血のにじむような苦労をしてお金を送って来ています。皆さんは船に乗っています。そして強い風が吹き付けて来ます。皆さんはその風に向かって「兄弟姉妹達が作った血のにじむようなお金の代価に応えるために、俺は前進するぞ」と叫ぶべきです。それを彼らは皆さんに望んでいます。カープにいる神学校卒業生、手を挙げなさい。皆さんはオーシャン・チャーチに行く準備ができているのですか。皆さんがカープで達成したことはそのままオーシャン・チャーチで役立つでしょう。この目的に喜んで従ってくれて感謝します。


アメリカに責任を持つ

 しかしたとえそうであったとしても、先生の失望感は大きいのです。今年プロビンス・タウンでメンバー達は出かけようとはしませんでした。先生は彼らを出かけさせるために、あらゆる手段を講じなければなりませんでした。皆さんは若いのだから「お父様、強風が何ですか、出かけましょう」と、先生に向かって叫び声を上げるべきなのです。出かけることが分かっていたら、その何時間も前からあらゆる準備を整えていなければなりません。しかし先生がやって来た時には、エンジンが故障しているし、餌も買っていないし、フックの大きさも合っていません。そういう怠慢なやり方で、どうして世界を動かせるのでしょうか。

 皆さんは何を心配しているのですか。皆さんの生活は保障されています。神様は既に皆さんの運命を決定されています。皆さんはただ漁に真剣になりさえすればいいのです。いつの日か、皆さんの妻子が生活の糧のために、皆さんの仕事に依存するいうになるでしょうか。皆さんはそれを知っているのですか。ほとんどの者達が、やらない口実を見出そうとしているのに過ぎません。先生がどういうふうに思っているのか、皆さんには分かっているのですか。先生は皆さんにお金を稼がせてそれを盗み、韓国に持ち帰るとそういうふうに皆さんは思っているのですか。それは事実と正反対です。先生はお金を海外から持って来て、皆さんがこの企画を出発するための手助けをしているのです。政府はそういうことさえも分かりません。彼らは盲目だから、先生をこの国から追い出したいと思っています。しかし先生には、皆さんやこの国を助けようという決意があります。

 先生は慰めをどこからか得たいのですが、どこにも見当たりません。政府は先生を迫害していますが、その迫害はひどいものです。しかし、皆さんが与えられた単純な責任分担を果たさなければ、それはもっとひどい迫害となるでしょう。皆さんは大学のキャンパスと港町に行ってそれを行うべきです。そうすれば、達成されます。出かけて行って、皆さんが持っているものをすべて与え尽くすのです。

 先生が来る前には皆さんはどこにいたのですか。ほとんどの者達は人間のくずのようなものだったんですね。皆さんはアメリカのこととか、人類を救うことについて考えていますか。霊界とか永遠の命について考えているのですか。皆さんは自分の人生の価値について考えていましたか。自分のことでさえ、真剣に考えたことがありましたか。神様の御旨についてはどうですか。考えたことがありましたか。考えたことすらないのですね。

 皆さんは何を恐れる必要があるのですか。皆さんは自由なのです。皆さんはアメリカ市民です。自分の国のために一日二十四時間働く権利を持っています。そうしたからといって、皆さんは牢獄へ入れられるでしょうか。彼らは昼夜問わず、先生を追いかけ回しているのですが、皆さんの所まではやって来ません。皆さんはここで生まれたのですが、この国について先生が抱いているような思いを皆さんは持っていません。この国が危機に陥っているということを皆さんは感じることができないのです。それが何よりも先生を苦しめるのです。皆さんには分かりません。我々は互いに心底から理解し合わなければなりません。先生はアメリカを離れる前に、しっかりした基盤を築いておきたいのです。皆さんは疲れているのですか。疲れたという言葉は私にはありません。もしそれが許されれば、先生は何年も前に既に疲れてしまっているはずです。先生は六十歳を越えているのです。ほぼ定年退職の年齢に達しています。しかし先生は今、皆さんの二倍働いています。

 マスターズ氏に最初に会った時、彼の髪が真っ白になっていることに気がつき、老人なのかと思いました。だから彼を親切に扱い、余り強いるようなことをしませんでした。その後、彼はたった五十六歳だということが分かったので、先生は「ああ、もっと彼を急き立てるべきだった。彼はまだ青年だ」と思ったのです。どうしてこの人は英国から来たのですか。彼は皆さんとは異なった運命を持っているのでしょうか。そうではありません。世界は一つです。アメリカはアメリカだけではありません。どの国も単独では存在していません。何が起きようと、我々はそれを互いに分かち合っています。しかし、アメリカは自らの行く道を自らの手で選ぶでしょう。先生はアメリカが失敗した場合のために、この役割を果たすことのできる別の国々のことについていつも思いを巡らしています。ソドムとゴモラは神様の裁きを受けました。彼らには自分の運命を決定するための機会が幾つも与えられていました。遂にロトとその妻はその町を去らなければならなくなりました。神様は彼らに後を振り返ってはならないと言ったのですが、その女は後を振り返り塩の柱になってしまいました。

 もし先生がこの国を去るようなことになれば、一度たりとも振り返ったりはしません。先生が荷をまとめて、この国を去る日を皆さんは見たいのですか。この暴力的な国から先生を去らせないでいるものは何でしょうか。それは皆さんなのです。こういう生活をしている皆さん、絶対的な心情を注いでいる皆さんが先生をここにつなぎ留めています。多くの国々が先生に来て欲しいと懇願すらしています。南アメリカとアフリカでは、多くの国々が来て欲しいと先生に頼んでいます。行くべきですか。いつの日か行くでしょう。しかしアメリカを見捨てるような形で先生が行くのを皆さんは願っているのですか。

 この国で成功したければ、皆さんは蕩減を払わなければなりません。それが先生の生き方なのです。それを先生は微塵も変えようと思いません。神様がアブラハムに行くように言われた時、アブラハムは黙ってそこを立ち去るしかありませんでした。アブラハムは「あのー、旅費はどうしましょうか」などと言うことはできませんでした。その場で直ちに出発しなければなりません。先生は真剣な男なのです。もしそういう風にしてアメリカを去らなければならなくなったならば、たとえ国務省が何か感じる所があって先生に戻って来てくれるように頼んだとしても先生は戻らないのです。それは絶対なのです。

 さて、カープとオーシャン・チャーチの重要性が分かりましたね。マスター・マリーンのメンバー達、これらの船がどれだけ重要なものであるかを知っていますか。マスター・マリーンのメンバー達、自分の仕事に対してどういう心情を持っているのですか。オーシャン・チャーチの皆さんが、大きな可能性を含んだその使命の一部でもいいから実現してくれたらと先生は期待していました。まあいいでしょう。今日は皆さんが新しい指示そ受ける日だとしましょう。皆さんはこの日のことをしっかりと覚えておかなければなりません。皆さんの使命はとても重大であり、アメリカの運命が皆さんの双肩にかかっています。皆さんはこのことを骨の髄まで感じなければなりません。この国にとって他に方法がありません。

 もし皆さんがこの復興運動に参加し、神様と人類のために仕えることができるレベルまでこの国を引き上げるとしたら、皆さんは忘れられてしまうのですか。皆さんの墓は荒れ放題にされますか。この国は、いつの日か思い出してくれると思いますか。先生はそれに対してはっきりとした答えを持っています。皆さんは年を取り、疲れ、隠れたいと思うようになるけれども、大衆が皆さんを捜し出し、もっと奉仕してくれと言うようになります。結婚して、ただ自分の家族だけの面倒だけを見るという生活、そういう生活を皆さんは想像できますか。先生は皆さんを王様のように扱って来ました。皆さんは世界のことについて何の関心も持たない情けない人生を送っていた男達、女達だったけれども、先生は皆さんを召命し皆さんに栄光を与えました。皆さんには教育が与えられました。先生は皆さんがこの国を指導することができるように、皆さんの心と魂を引き上げて来ました。他に何かもっと皆さんのためにしてやれることがありますか。皆さんは先生から他に何を期待できるのですか。

 この国が生き残るかどうか、また自由世界の希望そういったものが皆さんの双肩にかかっています。十年か、二十年か、それを続けてみるのです。先生が皆さんに願うのはそれだけです。そのうちに皆さんにも分かるようになります。この国は危機に陥り、皆さんを必要とするようになります。皆さんはこの国を引き上げることができます。そういうことを考えたら、疲れなど感じる隙がありません。四十歳か五十歳が皆さんの人生の絶頂でしょう。その頃が依然エネルギッシュであるだけでなく、経験と知恵がついている人生の最も良い時なのです。途中で逃げ出してはなりません。分かる時がきっと来ます。十年か二十年経った頃、皆さんは自分の努力の結実を収穫できるようになります。

 今、先生はストライプバスを捕っています。この魚を捕まえるのはとても難しいのです。だから先生はそれを追いかけています。夏中ずっとこの辺一帯が先生の話で持ちきりでした。誰もストライプバスを見つけることすらできないのに、先生は毎日それを釣って来ました。皆さんもそういうふうにならなければなりません。人々が皆さんの行動を見て、皆さんを尊敬するようにならなければなりません。先生は一言も語らなかったけれども、その行動を見て、人々はこの夏ずっと噂し続けました。そういうふうになりなさい。一つの目標を持ち、その目標に向かって昼夜なく働き続けなさい。先生はどういう人間ですか。それでは皆さんはどういう人間になるべきですか。先生は皆さんが偉大な男、偉大な女になるように皆さんを訓練したいのです。絶対に。

 プロビンス・タウンとグロースターのほとんどの仕事は先生がやりました。けれども、人々が噂をする時には「レバレンド・ムーンがこうやった、ああやった」とは言いませんでした。そうではなく、ムーニー達がマグロとストライプバスを皆捕っていると話していました。先生の努力は皆さんのためのものなのですから、そうあって欲しいのです。先生は皆さんを上へ上へと引き上げたいと思っているのです。ここに小柄な兄弟がいます。彼はニュー・ホープ号のエンジン・ルームで働き、毎日臭いの強い魚を切り刻んでいます。彼の両手はいつも汚れており、彼の衣服は臭いがします。誰も見ようとはしません。見たとしても彼に近づきたいとは思いません。しかし十年後には彼はロサンゼルスの市長になることができます。どうしてですか。なれるのです。もし彼が責任を引き受け必死になって働くならば、成長して他の人達が尊敬する人になることができます。ただひたすら働き、話をしない。慰めを求めない。そうすれば人々は皆さんの存在に気付き、皆さんの想像を絶するような素晴らしい責任分担を依頼するために、皆さんの所へやって来るようになるでしょう。

 パク・ポーヒーを見なさい。我々がメディアの摂理を始めたばかりの頃、彼は新聞が何であるかということさえ知りませんでした。しかし今ではワシントン・タイムズがあり、それは出版物だけではなく、それ以上に大きなものを生み出すことになります。誰がそれをやったのですか。パク・ポーヒー?

 そうではありません。彼はただ先生と一つになって、天のお父様に完全に従って働いただけなのです。そうすれば奇蹟を起こすことができます。決意すれば皆さんはひとかどの人間になれます。先生はそういう人間です。先生はどんな会社でも始めることができます。先生が皆さんの所に来て、その会社の社長になってくれるように頼んだとしたらどうするのですか。先生は皆さんにどんな仕事でも引き受けることのできる有能な人間になってほしいのです。だから皆さんの尻を叩いて、厳しく訓練しているわけです。それが真の父親の愛です。


将来の指導者のための試験場

 オーシャン・チャーチとカープは試験場です。先生はそこに将来の指導者を探しています。皆さんは自分がそうであることを証明したならば、次には国際的な面での責任を引き受けなければなりません。世界の若者を使って、こういうことをしている人は他には誰もいません。ソ連と中国には既に先生のことを批判している新聞が発行されています。だから先生は自分が彼らに影響を与えていることを知っています。それが彼らの反応ならば、彼らは先生を恐れています。そういうことも先生は知っています。先生は皆さんから見て、恐ろしい人間に見えますか。ではどうして共産主義者は先生を恐れているのですか。皆さんにとって先生は父親のようなものです。しかし彼らにとっては先生は恐れも情も知らないようなファイターなのです。

 先生はマーシャル・アーツの企画を作成したいと思っています。それはとても難しいので、メンバー達はそれを経験したらオーシャン・チャーチに入れさせてくれと頼みに来るほどのものです。そういうふうにして彼らはマーシャル・アーツから逃れて船にやって来ます。そうすると先生は同じことを船の上でも教えるように要求します。彼らはショックを受けて海の中に飛び込みたいと思います。しかしそこには皆さんを歓迎するものがいます。鮫です。鮫が十分に皆さんの面倒を見てくれます。問題はありません。それなら皆さんはどうしますか。飛び込みますか、それとも生き残ってマーシャル・アーツを徹底的に学びますか。そういう訓練を皆さんに受けてもらいたいのです。

 キューバは目と鼻の先にあります。オーシャン・チャーチは彼らと対決することになるかもしれません。彼らによって苦しめられるかも知れません。皆さんはそういう準備もしておかなければなりません。日本で我々が反共宣言をしたとき、同時に全国に三十の銃砲店を作りました。「あなた方が喧嘩に来るならば、我々は自己防衛します」というメッセージを彼らに直接与えました。それらの銃はライフル銃に過ぎなかったけれども、必要とあれば、すくなくとも彼らを食い止めることができました。最低その位しなければなりませんでした。そうしないと共産主義者達は暴力に訴えることになったでしょう。

 誰でもそのライフルを買って家に置いておくことができました。日本政府は喧嘩を挑発するのではないかと心配しましたが、我々の目標は暴力沙汰にならないようにすることでした。我々の目標は共産主義の思想に勝利することです。しかし人間は攻撃されたら、自ら守らなければなりません。こういうことをしておけば、共産主義者達は慎重にならざるを得ません。彼らは敢えて暴力的手段に訴えようとはしませんでした。一度もありませんでした。遂に日本の警察は「レバレンド・ムーンは賢い男だ。彼の戦術が素晴らしかったので、共産主義者の路上での暴力行為を食い止めることができた」と言いました。

 その間、カープの各キャンパスで、我々は共産主義に対する思想攻撃をかけていました。共産主義の理論は統一教会の教えとは比較にもなりません。彼らは日本の大学のキャンパスでの討論会で私達を打ち負かそうと努力したのですが、反対に、威信を失墜するほどに打ち負かされてしまいました。我々の持つ真理は明らかに疑問の余地もなく、彼らの持つ理論を越えていました。また日本のメンバー達は、彼らよりもずっと遥かに一生懸命働きました。遂に彼らは最後の手段に訴えざるを得なくなりました。我々に対して暴力を使い始めたのです。彼らは路上に連れて行き、そこで闘いたい、我々をそこで脅かしたいと思いました。カープに濡れ衣を着せ、攻撃をかけて来たこともしばしばありました。我々はそれに立ち向かいました。我々は先に攻撃をかけたいと思ったことはありませんでした。彼らの攻撃に対して自分を防衛しただけでした。日本のカープ・メンバーは韓国のマーシャル・アーツの最高のものを学び、死ぬ準備もできていました。多くの若者が攻撃されたけれども、彼らは自己防衛をしただけでした。

 アメリカのカープにもそれが必要だと思いませんか。皆さんが行く先々に共産主義者達がいます。皆さんに準備ができていなければ、彼らは皆さんを攻撃し、皆さんに怪我をさせます。「ああ、準備しておくべきでした」と言うようなことがあってはなりません。それでは手遅れです。強い決意がなければ、皆さんは神様の御旨のために闘うことはできません。これは先生がいつもメンバー達に教えていることです。我々を見なさい。マーシャル・アーツを教えている神学校は一つしかありません。その一つの神学校こそ、ベリー・タウンにある我々の神学校なのです。

 皆さんは、これが生死をかけたものだということを理解するまでは前進することができません。アメリカ政府は先生を抑え付けようとしています。いいでしょう。やらせておきましょう。上院議員達や知事達が先生に心から詫びる時が必ず来るでしょう。彼らが先生に何をしようとも、先生は前進します。どういう攻撃をかけて来ようとも先生は前進し、さらにますます大きくなって行きます。統一教会はそうなるのです。どういうことがあろうとも潰されません。皆さんもそういう内的決意をしているのですか。もしそうならば、統一教会は永久に発展するでしょう。


ビデオ教育の時代

 今年の夏、二千百組の祝福が行われました。それぞれのカップルに成功してもらいたいのです。神様のチャンピオンになってもらいたいのです。皆さんは先生に従うべきですか、それとも無視すべきですか。皆さんがこの道を行かなければ、誰が苦しむことになりますか。究極的に苦しむのは先生ではありません。それを果たさなければ、皆さん自身が苦しむことになります。先生はそのことを良く知っているからこそ、祝福について真剣に指示を与えているのです。先生の言うことを真剣に受け取らない人は、真剣に受け取る人の後に従わなければならない結果になります。先生は「多分こうだろう」という人間ではありません。先生には「多分そうだろう」というようなことはありません。先生は真理です。皆さんはそのことをはっきり知っておかなければなりません。

 マジソン・スクエア・ガーデンには、壇の上を歩いてそして献身を誓った二千組以上のカップル、四千人以上の人がいました。彼らは洗脳されてはいません。知的で真剣な人々なのです。アメリカは先生のことをどう考えているのですか。彼らは先生のことをもっと真剣に考えるべきです。我々のことをもっと真剣に考えるべきです。実は、その闘いはもう終わっています。人々は、我々の理想が偉大であることをはっきりと知っています。我々の結婚は、その理想を支えるという重大な責任を担っています。マジソン・スクエア・ガーデンの催しを見た人々はとても感動しました。素晴らしいことがあったんだということを彼らは感じました。我々はそれをテープにとって、音声無しで人に見せることができます。人々は黙ってそれを見るでしょう。その方がより効果的だと先生は思うのです。我々は結婚を見るだけで、人々は我々がどういうものであるかを理解できます。彼らが感受性の強い人々であるならば特別説明することはありません。祝福家庭の皆さんは、この結婚式のテープを皆さんのホーム・チャーチの家においておくべきです。そして、その地域の人達皆にそのテープを見せてやることができます。人々はそれを見た後、皆さんを別の目で見るようになるでしょう。皆さんは人気者になり、見たいという人が増えます。またそのビデオを見るために料金を払いたいとさえ言うようになるでしょう。

 アメリカ人達はそのテープを見て、夢の中にいるのではないかと思う程に魅了されることでしょう。見終わったら、彼らは美しい夢から覚めると共に、皆さんに好意的になっていることでしょう。彼らは「この若いムーニー達は何と素晴らしい人達でしょう。世界の希望だ」と思うに違いありません。皆さんは自分の結婚式のビデオを、少なくとも自分のため、そして自分の子供達のためにとっておくべきです。

 神学は別として、これはアメリカにとって偉大な贈り物です。皆さんがムーニーであることを知った人々は誰しも、皆さんの結婚式のテープを見たがるでしょう。彼らは好奇心をかき立てられるでしょう。それから皆さんを、そして皆さんの配偶者と皆さんの家族を見ます。そして皆さんが最初どういう状態から出発したかを知れば、彼らの目に涙が浮かんで来るでしょう。彼ら自身の家庭がそういう状態にあるからです。皆さんが知っているように、アメリカの家庭の約半数が崩壊しています。彼らは皆さんを見れば、皆さんと一緒にいたいと思うでしょう。

 ムーニーのカップルは模範家庭のショー・ケースになるでしょう。ムーニーの各家庭の前には旗竿を立て、そこに「ムーニー・カップルここに住む」と書いたアメリカの国旗の二倍の大きさの旗を翻します。ムーニーの親戚の中で賛同的な人達も「ムーニーの親戚ここに住む」と書いて旗を立てます。そして人々が訪れて来たら、まず皆さんの結婚式のテープを見せます。それを見終わった彼らは、完全に魅了されてそこにじっと座ったままでいます。それから、皆さんは彼らに統一原理の全内容が入った六時間のテープを見せてやります。

 日本の人々はムーニー達がやって来ることに好奇心をそそられ、今ではわざわざ我々のビデオ・センターを訪問して来るようになりました。そのほとんどが若者達や知的な大学生達なのです。彼らは将来の重要性を知っているので、新しいアイデアを学び、それが未来に関係しているかどうかを知りたがっています。我々は千二百本以上のテープを作り、それはいつでも見ることができます。毎月百名以上の人達がメンバー・シップにサインをしています。先生はこれを十倍にしたいと思っているので、日本のメンバー達は一万二千本のテープを作っており、それを昼も夜も人々に見せています。

 この企画が始まったばかりの頃、当時ハッピー・ワールドの社長をしていました古田が先生に「それは不可能です。何百万ドルとかかります」と言いました。それでも先生は「やりなさい」と言ったのです。何とか彼らは方法を見つけました。そして一年間試してみた後、古田は先生の所へ戻って来て「先生の言われたことは全く正しく、現在我々は毎月百人のメンバーをえています」と報告しました。

 オーシャン・チャーチはこれをどうやればいいのか知らなければなりません。皆さんがやることは、ただ伝統を打ち立てるということです。一旦基台ができれば、皆が成功への道を継承できるようになります。カープのメンバーの皆さんは、全カリキュラムを含んだビデオ・センターを作るべきです。優秀な先生達や芸術家達が我々の所へやって来ます。我々は彼らが彼らのアイデアをテープに入れるのを手助けします。最高の質の人々を得て、彼らの援助で全カリキュラムを作成します。そして我々はあらゆる分野―――ビジネス、哲学、音楽、宗教あらゆる分野にいるアメリカの若者達を教育することができます。

 日本がその道を示しました。我々はこれをアメリカで行い、それからドイツ、英国、そして全世界に広げます。人々はどんな分野においても自己教育をすることができます。最高の学生達が関心ある人々に直接教えることができます。ビジネス・コースを受けた後、彼らは大学へ行き試験を受けます。そういうふうにして学位を取ることができます。

 それを実行するためにはケーブル放送とテレビ放送を作らなければなりません。衛星中継を用いた教育過程によって、我々は世界のどんな人でも教育することができます。最初はこういう教育方式に人々の関心を引き付けるのは難しいかも知れないけれど、いずれ人々は列を作ってやって来るようになります。こういうふうにして、我々は全世界に奉仕することができます。何千名という人がこういう方法で学位を取ることができます。衛星中継学位ですね。


チャンピオンの基準

 先生は普通の男と違っています。先生の心は普通の人とは大分違います。そうですね。皆さんは先生といる時、先生をそっとしておきますか。それとも使えるだけ使うのですか。先生は段々年を取っています。皆さんは先生をそっとしておきたくはないですか。分かりました。では、先生が使い古されてしまった時のための予備のタイヤが我々には必要です。皆さんがレバレンド・ムーンの予備のタイヤになるべきです。そうであって初めて公平だと言えます。そうですね。先生は皆さんに先生の「予備」になってもらいたいのです。

 皆さんは今ではもう他の人とは違う人間になっています。そうですね。アメリカ人の皆さんは他のアメリカ人とは違った見方をします。それは皆さんのビジョンが世界的だからです。皆さんの心情が全世界とつながっているので、人々は、皆さんの所へやって来て一緒に働きたいと思うでしょう。必ずそうなります。多分どういうふうにつながれているのか、皆さんは気付いていないかも知れませんが、先生のゆえに皆さんは全世界に連結されています。

 先生は有名人になるために出発したのではありません。先生はむしろ人目につかない所にそっとしていたいと思うのですが、年と共に次第に世界の注目を浴びるようになりました。先生がプロビンス・タウンに漁に出かけると、人々は先生をあちこち探し回って「彼はどこにいるのだ」と聞くんですね。普通、先生は彼らのすぐ傍にいるのですが、それが先生だとは彼らには分かりません。皆さんとは違うのです。皆さん、アメリカ人は人目につきたい、見られたいと思います。皆さんは本当にテレビ・カメラの前に立つのが好きです。先生とはまるで反対です。先生がそこにいるのすら人々は分からない、そういうのが先生は好きです。

 もし先生が独占インタビューを許したならばどうなるでしょう。彼らは飛び付いて来ますか、それとも先生を無視しますか。そうですね。人々は先生のことを知りたくてたまらないのです。何とか先生にインタビューをしたいとしょっちゅう朴大佐にひたすら懇願している人がいました。彼女は国際的に有名な雑誌のために働いています。先生が「駄目だ」と言って、朴大佐がそれを彼女に伝えました。彼女は「分かりました」と答えただけでした。朴大佐は今まで既にたくさんの雑誌編集者達の申し出を断っています。彼らは決して腹を立てたりはしません。分かってくれています。先生がそういう類の人間でないことを彼らは知っているのです。今日、世界で最も速い輸送手段は何ですか。「ジェット機、ロケット、アポロ、そしてコンコルド」と皆さんは言います。それはそれでいいでしょう。しかし皆さん、統一食口はその百倍速くなければなりません。どうやってそれができるのですか。霊的、知的スピードでやります。人々が月へ一回行く間に、皆さんは十回往復することができます。人々が一つのことを学ぶならば、皆さんは百のことを学びます。人々が一時間講義するのであれば、皆さんは十時間講義します。人々が一時間働くあるいは走るならば、皆さんは十時間働きそして走ります。

 熟練した漁師を見て、皆さんは、「彼は俺よりもたくさんの魚を捕っている」と言います。では三年間で彼を追い越す決意をするのです。彼を見て「あなたは日中働いていますが、私は昼も夜も働きます。」と言うべきです。「どんな人が作った記録でも自分は破ってみせる。新記録を作る」と自らに言い聞かせるべきです。他の漁師たちよりもっと長い時間働き、もっと多くのことをします。そういうふうにして三年間やってみます。そうすれば、どんな人でも追い抜くことができます。遂には誰もが皆さんの所にやって来て、皆さんを注視するようになるでしょう。

 先生もアメリカにやって来て、同じように「私はどんなアメリカ人よりももっとアメリカを愛そう。アメリカをジョージ・ワシントンが愛したよりももっとアメリカを愛す」と言いました。それから「どうしたら、そういう人より優れた人になれるだろうか」と先生は真剣に考えなければなりませんでした。そして、どうしてアメリカを愛さなければならないのかをアメリカの若者に教えることができるか、というのが先生の答えでした。先生は彼らに人生の霊的重要性について教えることができます。先生は神様の御旨について教えることができます。

 先生は体系的、組織的にそれをすることができます。この国の青年を復帰しよう、こう先生は決意しました。ジョージ・ワシントンでさえこういうことは考えませんでした。アメリカに奉仕するという面で、過去にどんな人が記録を打ち立てていたとしても、その記録を破ってやると先生は決意しました。休むことなく五十州を回り、聖地を決めました。その後、ずっと休むことなく講演旅行を続け、何度も疲労こんぱいに陥りました。キャンペーンの間中ずっとそういう状態だったのです。

 オーシャン・チャーチは気まぐれに作ったのではありません。先生はアメリカのためのビジョンを持っており、オーシャン・チャーチはその中の重要かつ絶対的な部分を演じています。先生の心は果てしなく広がっています。先生が行うものはすべて、数千年にも渡る目的をもっています。アラン・ホーカソンがニューホープ号に乗って舵を取ります。この時彼は一つの目的を持っています。しかし先生がニューホープ号を海に出す時には、先生の目的はもっと遥かに大きく偉大なものであります。

 過去にどういう人が記録を作ったとしても、それを破ると先生は決意しました。その基盤の上に先生はアメリカの活動を開始し、それを推し進めて来ました。アメリカの歴史上のどんな人よりも、先生がアメリカを愛しているということを皆さんは信じていますか。先生が霊界へ行ったら先生がジョージ・ワシントンから指導を受けるのですか、それともジョージ・ワシントンが先生の所へやって来て先生の指導を受けるのですか。どちらですか。もしそうであれば、現在の大統領も同じ立場にあるわけですね。


真の父母の孤独な立場

 皆さんは先生が一日中家の中に閉じこもり、木を見たり、鳥を見たりして暮していると思いますか。それが先生の生き方だと思いますか。金持ちで気ままに生きて来た人達は、霊界では全く特別な所に住んでいるということを皆さんに知っておいてもらいたいのです。彼らは心底恥じています。先生の人生を調べてみれば、それが苦しみに満ちたものであることを皆さんは知るでしょう。先生の基準は物凄いもので、貧困とか苦痛のレベルを越えています。先生は考えられる限りの辱めを受けて来ました。しかし神様を愛するという心は決して変わりませんでした。

 先生は安楽な生活をしたことがありません。イースト・ガーデンでもそうです。むしろ、先生はその場所を他の場所と同様、涙を流す場所として用いて来ました。いつでもです。皆さんはこのことが分からないのですが先生は生涯ずっと神様のために涙を流し続けて来ました。神様もこれをご存知なのです。レバレンド・ムーンがどういう生活をして来たか、神様はつぶさに知っておられます。だから先生が死んでも、神様は先生のために社を作ってくださるでしょう。先生が生涯神様のためにやって来たことを神様は決して忘れないでしょう。

 皆さんの運命は先生に会うことになっていました。皆さんは先生と会った時、心に何かを感じました。それは目に見えないきずなです。それは神様が先生のことをご存知だからです。先生は毎日新しいことを考えています。指導者達は先生を二十年か三十年知っています。それでも先生は毎日、彼らに新しい考え新しい情報を与えています。先生は彼らにとっては依然として謎の人です。彼らは先生のことを良く知っており、毎日先生と会う生活に慣れているというと皆さんは思うかも知れませんが、そうではありません。先生が次に何をするか分からないから、彼らが先生に会う時の感情は恐れに近いものです。先生が何を考えているかが彼らには今でも本当は分かっていません。皆さんは先生が好きなのですね。しかし、どんなに先生を身近に感じたとしても、先生を完全に知ったという気持ちにはなれません。皆さんも先生の中にある、ある種の威厳と恐ろしいほどの力を感じています。先生はこの家に孤独な男として生きています。誰も本当には先生のことが分かりません。お母様や子供でさえそうです。

 だから先生が皆さんに指示を与える時、それを軽々しく扱ってはなりません。日本のメンバー達は先生を軽々しく扱ってはならないことを知っているのですが、アメリカ人達はまだそれが分かっていません。日本人達は何も聞かずに黙って従って来ます。それは大きな力であり、また忠誠心でもあります。先生が韓国と日本でやって来たことに対して、多くの人が批判して来ました。韓国と日本からたくさんのものを取って、それを全部アメリカのために使っていると言って、先生を批判しました。しかし彼らには、なぜ先生がそういうことをするのか分かっていませんでした。何年も経って、先生のビジョンが次第に形を持ち始め、今では、人々は先生の仕事を真剣な目で見つめています。畏怖の念さえ持っています。キリスト教の学者や神学者達も信じられなくて頭を横に振っています。我々のビジョンはとても偉大なのです。

 皆さんは先生のことを良く知りたい、先生の近くにいたいと思わないのですか。そうであれば、皆さんはとてもまれな普通でない生き方をしなければなりません。先生の指示に従って狭い生き方をしなければなりません。皆さんはそういうふうに運命付けられています。今ではとても有名な学者達が、レバレンド・ムーンに会えないだろうかと言って指導者達の所へやって来ます。普通のメンバー達の所へさえ来ます。皆さんはどうなのですか。皆さんもそれと同じ思いを持っているのですか。頻繁に先生に会いたいのですか。「私は先生から指示を受けるのに値しない男です。こういう地位にいるべきではありません。私よりももっと準備された人がこの地位にいるべきです。何という栄光でしょう」。そういうふうに皆さんは思ったことがありますか。

 真夜中に月を見ながら、また太陽が昇ったばかりの早朝に、深く冥想をしたことがありますか。海の遥か向こうを見ながら、自分の地位とか運命について考えたことがありますか。「自分は真の父母に直接つながっている特別な人間です。直接、真の父母から指示を受けることができます」。そういうふうに考えたことがありますか。全宇宙が皆さんを羨んでいることを考えたことがありますか。

 皆さんは先生のために働くことにどれほどの栄光を感じているのですか。イエス様のために働いた弟子達はどうでしょうか。イエス様の時、人々には受ける器がなかったのでイエス様は原理を教えることができませんでした。弟子達は教育を受けておらず、何も分かりませんでした。彼らはただイエス様の中に何かを感じ、従って行こうと努力したに過ぎませんでした。イエス様が基台を造るのをどうやって援助したら良いのかすら、彼らは知りませんでした。彼は孤独の中で亡くなりました。全く孤独でした。

 ペテロが第一弟子でした。彼は無教育な一漁師で原始的な人間に近かったのですが、今誰もが彼を聖人として崇めています。皆さんは神学校卒業生ですが、ペテロよりも劣った人間になるつもりですか。もしイエス様が一箇所でもいいから「真の父母」という言葉を聖書に残しておいてくれたならば、先生はこれほど苦しまなくてもよかったでしょう。

 もしイエス様が聖書の中のどこかに少しでもいいから人間の堕落について、どうやって堕落が生じたのか、どうやって罪が侵入したのかを教えていたならば、先生はこれほど苦しまなくても済んだはずでした。今日、二千年経って全く新しいメッセージがやって来ました。今、先生は人生のあり方を教えています。人々は先生のメッセージを読むのですが、そのメッセージは今から二千年後の人々のためのメッセージでもあります。彼らは理解できるというだけでなく、彼らの「血と汗」、彼らの生き方となるものなのです。そういう基準で先生は教えています。

 そういうことを皆さんは考えたことがありますか。「ああ、お父様はいつもおかしなことを言ったり、教えたりされる」と皆さんは良く言うのですが、先生は二千年後の聴衆に向かって話しているのだから、それは当然なのです。「働き過ぎて、使命の途中で死ぬことがあっても自分は後悔しない」と先生は思っています。皆さんはどうなのですか。そういうふうに皆さんは考えているのですか。そういう決意を皆さんは持っているのですか。

 分かりましたか。特に神学校卒業生の皆さんは分かりますか。皆さんには特権と責任が与えられています。先生は皆さんにこのムーブメントのための記録を樹立し、その記録を付けておいてもらいたいと思います。先生が行かなければならない時がやって来ます。そうしたらその後皆さん一人一人、自分の「使徒行伝」を記録すべきです。皆さんは神様の目から見て大きな負債を背負っています。三年間、先生は神学校に特別の注意を払って来ました。ほとんど毎日そこへ行きました。そして細かいこともほとんどすべてにわたって先生が気を配りました。時間があれば必ず、先生は神学校に行きました。しかしその三年間も終わり、神学校についての先生の使命も完了しました。

 先生は皆さんに対して無責任だったことは一度もありません。しかし、皆さんはオーシャン・チャーチにもカープにも無責任です。自分の使命について何も考えないならば、神様は皆さんを指導者としては認めません。まず何でもやりたいと思うことをやってそれから自分の使命について考える、そういうことは先生は認めません。神様も認めません。一日二十四時間、先生は使命のこと以外に何も考えません。

 皆さんはこれ以上のメッセージを必要としません。皆さんはメッセージを持っています。皆さんの使命がオーシャン・チャーチであれ、カープであれマスター・マリーンであれ、皆さんの体と魂から出て来るすべてのエネルギーを、その使命に投入しなければなりません。それが重要なことだと思わないのですか。先生は疲れていません。足が痛みだしたら、先生は自分の足に向かって「足よ、どうして不平が言えるのですか。どうして私に従わないのですか。お前を切り捨ててしまうぞ。私は紙の御旨を行なっているのだ。お前はそれを助けなければならない」と叱りとばします。こういうふうにして先生は自分を前に押し出していきます。時には、実際に自分の足をぶつことさえあります。

 先生は毎日、自分を急き立てながら海に出かけます。エンジンが故障した場合、先生はがっかりするのですが、その日先生が陸の上にいることを神様が何らかの理由で願っておられるのだということに気が付きます。そしてその理由を先生は探します。先生にはそれしかないのですが、皆さんは時々理由もなく陸の上に残っていたいという気持ちになって、休憩したり昼寝をしたりします。しかし先生の良心は先生がそういうことをするのを許しません。


驚嘆すべき真の父母の路程

 皆さんは先生に従いたいのですか。真の父母のチャンピオンになりなたいのですか。なりたいの、なりたくないの。(なりたいです)霊界に行けばすべてが分かります。何も隠されません。そうするとどうなるのですか。永遠に恥じても良いのですか。それとも誇りたいのですか。それならば何かをしなければなりません。誰もがやれないことをすべきです。何かユニークなことをやるべきです。他の人が真似できないことを何かやるべきです。神学校の学生達をして学問の分野の最高レベルを達成させ、それから卒業後は彼らを船に乗せて海に送り出します。先生は何という指導者でしょうか。

 気違いじみています。どうして先生はこういうことをするのでしょうか。先生は漁師達、波止場で働く労働者達、船乗り達のことを皆さんに知ってもらいたいと思っています。そういった人達の中に強烈な愛国者がいます。先生はアメリカを愛し、また世界をも愛しています。皆さんにもそういうふうになってもらいたいのです。自分の国を愛し、また世界を愛する強い人間になってもらいたいのです。それから皆さんは教師になり、その分野にいる人達を復帰します。

 先生は皆さん全員に、生涯漁師になって欲しいとは思いません。しかし皆さんはその分野において救いの力をもたらすことができるようにその生活を味わい、そしてその分野の先生にならなければなりません。そして港町で働く漁師達や労働者と心情を一つにして、神様を中心とした兄弟姉妹にならなければなりません。そうすることは良くないことですか。

 船に乗って海の上に行き、時々トイレがないことがあります。数時間経ったら小便をしなければなりませんが、する場所がありません。だから他の人達が船の上にいても、そこでするしかありません。ある意味では恥ずかしいのですが、先生自身が皆さんの先頭に立ってやる必要があります。公的人間であるためには、先生は皆さんが行わなければならないことをまず見本に示し、皆さんの道を直くすることになります。心配せず、不平を言ってはなりません。いつの日か、大衆の面前で大便をしなければならない立場に立たされたとしても、恥ずかしい思いでそれを行ってはいけません。皆さんは偉大な運命の下にあり、何らかのものを達成できることになるでしょう。だからすべて威厳を持って行わなければなりません。

 そうすれば霊界にいる聖人達が皆さんを見下ろして、皆さんが真剣でしかも聖なる人達だということを知るようになります。そうすると、皆さんが小さな船に乗って海の上で大便をする時、霊界にいる皆さんの先祖全員がそれを見て、皆さんの立場を羨ましく思うようになります。彼らは「私もあそこに降りて行って、あれと同じことを経験したい」と言うでしょう。皆さんの子孫達も皆さんの例を見習い、小さな船に乗って海の上に行き、それと同じ経験をするようになります。実際、皆さんの人生の終わりが来る前に、多くの人達が皆さんの船にやって来て、こういうことを行うようになるかもしれません。そして彼らを海に連れて行く費用を少々もらうことによって、皆さんはおお儲けすることになるかも知れません。皆さんは笑っているけれども、ある意味ではこれは冗談ではありません。

 先生はフォークとかスプーンを使わないので自分の指を使って食べることができるし、膝の上に食物を置き、一方の手でそれをつかみもう一方の手を使って、それを食べることもできます。先生にとってはたいした違いではありません。他の人達を救うためにそういうことをしなければならないのであれば、先生はためらうことなく自分の膝を使って百万回でも食事をすることができます。皆さんがどう思おうと、先生の考え方は皆さんのそれとはまるっきり違っています。皆さんも先生と同じように考えたいですか。先生の考え方に似た考えを持ちたいのですか。一九七二年、先生がアメリカにやって来た時、誰も先生のことを知りませんでした。しかし、三年以内でこの国をひっくり返し、それから正常なものにしようと、先生は決意しました。何百万人という人がこの国にやって来たけれども、先生の第一歩はその人達とは違っていました。先生は「私が持っている思いと使命を抱いてこの国にやって来た人は、今だかつて一人もいませんでした。しかし私はそれをやります。そしてこの国を神様のもとに戻します」そう考えながら上陸しました。

 皆さんがオーシャン・チャーチに来たばかりの時、これと同じ心情を持っていたならば、オーシャン・チャーチは今日のような状態にはなっていなかったことでしょう。天気予報を聞いて、グロースターは荒れ模様ですが、ここニューヨークは凪ということを皆さんは知るでしょう。そうすれば皆さんはどこで漁をしたいと思うのですか。「東海岸は私の領域です。私はそれを上がったり下がったり、どんな所でも働くつもりです」少なくともそういうふうに考えることのできる心情を皆さんは開発しなければなりません。しかしそこに行く方法は自分で考えなければなりません。経済復帰をして飛行機で行くか、それとも歩いて行くか。いずれにせよ、そこに行かなければなりません。それからその地域、その海岸線について学ばなければなりません。魚について、またそれをどういうふうにして捕っているかについて知らなければなりません。それだけをしたら、次は学んだ技術を実際に使ってみて、それを改善しなければなりません。先生は皆さんとはやり方が違います。それは先生が、皆さんとは違う考え方、物の見方、聞き方をするからです。だから先生の実績は皆さんの実績とは大分違います。「私にはできない」と人は言うけれども、どうしてそういうふうに言えるのか、先生には理解できません。できないというものはありません。皆さんの命が今やっている一事にかかっているならば、皆さんはどうするのですか。皆さんの命が危ない状態にあれば、今やっていることがどういうものであれ、皆さんはそれを必死で行うでしょう。ひたすらそれに専念し、自分の持っている物すべてを投入するでしょう。

 先生の言っていることが分かりますか。先生の考えはそういうもの、あるいはそれ以上のものです。普通の考え方ではありません。先生はニューヨークに着いた時、すべての指導者達をエンパイヤ・ステート・ビルディングの頂上に連れて行きました。先生はニューヨークに来たばかりで、そこで何が行なわれているのかすら知りませんでした。それでも先生は指導者達に向かって「ニューヨークにある重要なビルの幾つかを我々は買うつもりです。もしかしたらこれも買うかも知れません」と言いました。実際に三、四年以内に、我々は幾つかの大きなビルを買うつもりだったのですが、その当時としてはもう遅すぎました。しかしまた別の機会がやって来ます。「意志がある所、道あり」ということを先生は心底から知っています。先生は夜も昼も解決策を見出だすまで問題を考えます。諦めたことはありません。先生の考えは皆さんの考えと大分違うのです。

 皆さんはどうなのですか。皆さんの中で変化しているものが何かありますか。皆さんはただ髭を伸ばすことによって変化しているのですか。それは皆さんの中で何かが変化したのですか。もし本当に内的変化があれば結果が現れて来ます。それがどこにあるのですか。皆さんは今まで何をしていたのですか。まあ、皆さんの髭はとても素晴らしく立派に見えます。先生は皆さんはポール・バンヤン(訳注:アメリカの伝説的英雄)のように見えます。それと同じ位の思いを自分達の船に注いでいるのですか。皆さんはどちらの方をより愛すのですか。髭ですか。それとも使命ですか、先生はそれを調べたいと思っています。

 先生は普通簡素な服装をしています。今すぐにでも海に行ける用意ができています。先生は自分がユニークな運命の下に生まれているということを知っています。そしてそれを生き抜くつもりです。人々が先生に対して何と言おうと、また何をしようと関係ないのです。一方の耳から入れ、もう一方の耳からそれを出してしまいます。先生は自分の運命をやり遂げること、自分の使命を完遂することしか考えていません。それだけです。そういうふうに先生は考えます。オーシャン・チャーチは滅多にない団体です。世界中探してもこういう組織はありません。誰がそれを創ったのですか。そんなに単純なものではありません。皆さんはオーシャン・チャーチを他の人達に説明できますか。それがどうして存在しているのかについて、またその哲学について、皆さんは説明できますか。先生はオーシャン・チャーチに妻達用のプログラムを作りたいと思っています。「妻達が船の舵をとる」と、ある日先生は宣言するつもりです。その日は夫達が自分の妻を訓練しなければなりません。もしそれをしなければ、先生は彼らから船を取り上げてしまいます。いずれにせよ、その船は皆さんの船ではないのです。皆さんはそれを管理しています。丁度、教会センターを管理するようなものです。統一教会は多種多様のものを、少しずつではありますがことごとく持っています。何か欲しいものがあれば統一教会に送れば良いのです。世界中の人々がそういう目で我々を見始めています。我々はカタログを作るべきです。そして、もしある人が女性の漁師を必要とし、しかし我々にそれがなければ、我々はそれを作りあげるつもりです。皆さんはここで生まれ、皆さんの文化もここにあります。皆さんの生き方もここにあります。皆さんはもっとやるべきです。ここアメリカで先生が作った記録を、ことごとく皆さんは破るべきです。そうしますか。(はい)。まあ、皆さんは単なる「はい」人間ですか、それとも「行動」人間ですか。皆さんが良くやるようになるかどうかは、こうやって話しているだけでは分かりません。分からないんですね。だから先生は皆さんをじっと観察しようと思います。オーシャン・チャーチの指導者達は優し過ぎます。親切で寛大すぎます。皆さんには「鉄拳」方式が必要です。そうすれば皆さんはもっと早く、もっと大きな成功を治めることができます。皆さんは「将校と紳士」という映画を見ました。まさに「鉄拳」方式でした。しかし先生はその映画を見て悔しく思いました。それは、先生だったらその映画の中で軍曹がやったよりも遥かに多くのことを、その兵士のためにしてあげることができたからです。その映画は素晴らしい訓練方式について見せてくれましたが、道徳は荒廃していました。我々の訓練はその映画以上でなければなりません。皆さんの訓練は海兵隊以上でなければなりませんが、我々の道徳も聖人のごとく高潔でなければなりません。

 それでは、今日からは今までとは違った人間となって、与えられた使命を完全に全うしましょう。ありがとう。そして、神様が皆さんを祝福してくださるように。

5. オーシャン・チャーチの基台 

1983年 6月10日 グロースター

 今日先生は直接皆さんに話したいのですが、先生は一つの言語を話し、皆さんは互いに異なるたくさんの言語を話します。つまり、皆さんは先生の話す言葉とは異なった言葉を話すので難しいのです。韓国語を話せば、皆さんはどんなものでも発音することができます。皆さんは韓国のメンバーが英語を上手に話すのを知っています。通訳しても意味の半分しか伝わらないということに先生は腹が立つのです。多くのことがこのようにこんがらがってしまいます。将来先生は韓国語だけを話そうと思っています。英語や日本語には通訳しません。そのため、先生が話すのを直接聞けるように、皆さんは韓国語を学ばなければなりません。

堅固な基台を作るために一生懸命働く

 皆さんは以前よりもっと一生懸命働いているのですか。皆さんの「はい」という声がとても大きかったので本当なんでしょうね。しかし、皆さんがオーシャン・チャーチの企画に全力投入している統一教会のメンバーですが、共産主義の国で働き、命を危険にさらしているメンバー達のことを皆さんは考えなければなりません。どんな重労働をしたとしても、彼らに比べれば、皆さんの生活はまだまだ楽しく幸福なものです。それを考えてみなければなりません。

 我々のムーブメントでは他にたくさんの企画が全世界で同時に進行しています。それにもかかわらず先生は毎日貴重な時間を割いて、皆さんを直接指導しています。先生はその上、皆さんよりももっと働いています。だから皆さんは先生に同情する立場にあります。一つだけ例を挙げてみましょう。ワシントン・タイムズにどの位のお金がかかっているか、皆さんは知っていますか。我々は既に数百万ドルを投資しました。それと同時に、南アメリカの摂理も既に開始しました。しかし先生は、我々のムーブメントが現在やっていることだけを考えているわけにはいかないのです。将来のことも考えなければならないのです。

 一つだけ分かっていることは、遠洋での魚釣りの時代はもう終わろうしているということです。養殖水産の時代が始まろうとしています。遅かれ、早かれ、人類は海を利用する方法を探索するようになります。陸地にはもう人間が住む場所や資源がなくなりつつあります。もし成功しようと思って一生懸命努力するならば、皆さんはその努力は支援されることになるでしょう。既にグロースターやその他のたくさんの漁港で、たくさんの援助が与えられてきました。しかし、オーシャン・チャーチは信頼できる基盤を持っていません。もう既に釣り具店のために投資をし、それをもう作り始めていなければならないのに、そのための基台が何もありません。このため、皆さんのことがとても心配なのです。

 先生は皆さんと一緒にいつでも漁に出かけたいのです。しかしそうするだけの十分な時間がありません。先生はこの国で起きること、また世界で起きていることのすべてに関心を持っています。今、先生はIOWCのことをとても心配しています。だから十分な時間がありません。皆さんに今まで以上の努力をしてもらいたいのです。皆さんは先生が指示したことを行ったのですか。皆さんのこの町の沿岸警備隊は皆さんのことが好きですか。彼らはムーニーが悪いことをしているという概念を持っていますか、それとも良いことをしているという概念を持っていますか。宇宙の法則というものがあります。楽なやり方は決して勝利しないし、一生懸命働くやり方は決して失敗しません。楽なやり方は何ですか。それは負ける側です。反対に一生懸命働くやり方があります。仕事がどんなに難しくても、こういう方法を追求する人は成功します。それが真理です。

 そうするとどう思うのですか。皆さんの中で年長でより多くの経験を積んだ者達、大きな船が必要なのですか。どの位大きいのですか。そう皆さんはグッド・ゴーの訓練レベルを超える必要があります。その企画を引き受けそれを成功させるならば、その時こそ、皆さんは支援を要求しそれを受け取ることができます。問題はありません。しかし皆さんはそれをやるという決意をしなければなりません。そうすれば何も問題はありません。百二十フィートの船を造るのは問題ありません。我々は既にその基台を作りつつあります。またそういう大きな船をファイバー・グラスで造ることについても我々は考えなければなりません。皆さんはそういう船が欲しいですか。分かりました。それならば皆さんは自分の基台を先に作らなければなりません。三十五歳以上の者、手を挙げなさい。二、三人しかいませんね。皆さんはとても若いですね。皆さんの年齢ならば、今でも軍隊に行くことができます。皆さんほどの若さならば、多くの経験をしてそれを自分の人生の一部とすべきです。嫌なのですか。時々、皆さんは朝早く起きて夜遅く床につくまで、とても長い時間働きます。皆さんは自分と自分の家族を養う方法を学ばなければなりません。今は皆さんにとって訓練期間なのです。次に先生が何を準備しているのか、何をしようとしているのか、皆さんには分かりません。先生は人生で数多くの重要な人物に会ってきました。そしてたくさんの人々が先生に反対しています。「神様、レバレンド・ムーンに反対する私の努力に力を貸し給え」と彼らは祈っています。彼らは先生に対してとても不思議な概念を持っています。そして先生をよく知った上での祈りではないので、神様は彼らの祈りにこたえることができません。神様は真実に基づかない祈りにはこたえることができません。皆さんはどうですか。この兄弟を見なさい。あなたは小さすぎます。海の上で皆さんが働くのを邪魔しようとするかもしない。あの頑強な漁師達をあなたはどうやって打ち負かすのですか。小さすぎればそれは困難です。皆さんは大きな男の二倍働かなければなりません。成功するには二倍の根性が必要です。

 今度は先生の指示通りできますか。皆さんの使命は、皆さんの町の市長の前に立つことのできる人間になることであると感じているのですか。彼らと友好関係を結べない限り、皆さんは決して成功しません。これが先生の皆さんへの指示です。警察署長や市長はその町の成功者達です。皆さんは彼らの支持を得て、確固たる基盤を築かなければなりません。彼らと知り合いになり、彼らの援助の下に何らかの成功を達成すべきです。市長の事務所にいつでも電話することができる関係を結ばなければなりません。そういう関係を結ばない限り、皆さんはその町で公的人物にはなれません。先生もそういう路程を通ってきました。先生はニクソン、フォード、カーターそしてレーガンと交際しようと努力してきました。先生はカーターに激しい発言をして、どこが間違っているのかを彼にはっきりと伝えました。悪いものは悪いのです。皆さんも彼らにはっきりと言わなければなりません。先生はこの社会にいるすべての重要な人物達と知り合いになろうと努力をしました。彼らは応じてこなかったけれども、先生は彼らと知り合いになる努力だけはしました。彼らの中には、先生に会おうとすらしない者もいました。彼らは内心恐れを抱いているのですが、先生は強いて彼らを獲得しようとしません。しかし彼らは先生が真理を語るであろうということを知っています。では皆さんはどうなのですか。皆さんはこの町にいる三流の市長にどうして会わないのですか。彼は大統領ほどの大物ではありません。

 実際、何ということはありません。ただ入って行きます。そして何らかの関係を結ばなければなりません。入って行ってお茶を入れてやります。午後訪問します。そして楽しい雰囲気を作らなければなりません。皆さんにはそれができるのです。先生にとっては難しいのです。先生はここアメリカの慣習を皆さんほどよく知りません。そういう意味では先生はよそ者です。しかし皆さんはよく知っています。だから、黙って入って行って友達になれば良いのです。

 先生は何年か前に科学者会議を始めました。最初はそれはたいしたもののよう見えませんでした。その企画を進めるためには多くの思考とお金、そして人材が必要でした。最初、我々にはほとんど何もありませんでした。皆さんが自分達は正しいことをやっているという強い確信を持っているならば、何ものも皆さんを止めることはできません。困難な問題に直面し、それを乗り越えます。そしてひたすら前進します。そういう生き方なのです。先生はどこへ行こうとも、どういう着物を着ようとも、どういう惨めな姿をしていようとも心は平和です。漁の時の着物を着て食料品店に行った時、人々が先生の所に来て「レバレンド・ムーンはいつごろ漁をしにここに戻って来るか知っていますか」と尋ねて来たことが何度もありました。先生にとってそれは素晴らしい経験でした。先生がどういう容貌をしているか誰も知りません。先生はそのように人々から知られず、見られないでいるのが好きです。そういう時こそくつろいでいられます。

 時々先生は靴を履かずに、ただ家庭用のスリッパを履いてデパートに行くことがあります。そこで働いている売り子は、先生の存在に気付きさえしません。先生は特に安売りをやっている時にデパートに行きます。そして高価な靴を二十ドル以下で買いたいと思います。先生は、本来百ドル以上もするはずの蛇の皮でできた靴を履いていますが、その値段が実際にはいくらであったかは皆さんの想像に任せることにします。先生が安売りの品を身に着けているなどとは、人々は想像だにしません。また先生は大きくて古いリンカーン車を持っているけれども、それに乗って平気でマクドナルドに行きます。長い車です。駐車場には他にそういう車は見当たりません。そういう車は、普通高級な中国レストランへ行く時に乗るものですが、先生にとってはそういう食事が普通です。先生はメンバー達を高級な所に連れて行くのが好きなんですが、一人でそういう場所で食事をしたいとは思いません。先生は普通マクドナルドへ行きます。十年経ったら我々はどういう状態になっているか、もし、明確にかつ詳細にそれを話せば、皆さんは一生懸命働かなくなるので、先生は皆さんにそれを話しません。それを皆さんが自分の力で達成するにはどうしたらいいか。これを先生が皆さんに教えているということが重要なのです。皆さんには、成功を正当に認められる機会を逸してもらいたくありません。では皆さんは一生懸命働いて成功しますか。皆さんは畏怖の念を持って神様に祈ったことが何度ありますか。先生はいつもそういう心情で祈っています。先生はそれに命がかかっていると思えるほどに真剣に祈ります。船に乗って海に出かける時、皆さんはどういう思いを持つのですか。何について考え、何について祈るのですか。それは皆さんの人生のうちでとても貴重な瞬間です。

 皆さんは陸の上での農耕と、海に出ることの間の違いを知らなければなりません。特に、海の上では皆さんは神様と霊界に頼らなければなりません。農夫たちもいつ植え、いつ収穫すべきかを感知しなければならないので、そういうものに依存します。そして天候のことを良く知っていなければなりません。しかし海上においては、皆さんはそれよりもっと霊的、宗教的でなければなりません。

 先生はそのように自然や神様を体験するのが好きです。だから先生は海へ行きます。お母様でさえ、どうして先生がそうしばしば海へ行くのか分からない時があります。先生も時にはひどく疲れます。しかし先生は神様の心情を理解しています。皆さんは霊界の助けがなければ、海の上では何もできません。先生はこのことをよく知っています。

 神様は皆さんを助けていると思いますか。どう思いますか。神様は先生を助けていますか。もしそこに違いがあるとすれば、それはなぜですか。その理由が分かるならば、皆さんは先生に近づきつつあると言えます。海は先生を恋しく思います。先生もまた海が恋しいのです。霊界が先生を助け、神様も先生のすぐ近くに来られます。そこに強い愛のきずながあるのです。先生は海に行くための予約を取ります。そして、天のお父様が恋しい思いで先生を待っておられるので、先生はそこに早く着きたくてたまらない気持ちになります。

 先生は皆さんをひどくせき立てるので、冷血で苛酷な人間にみえます。また先生が皆さんを荒っぽく扱うので、神様は先生を助けるのをやめるべきだと皆さんは思っているかもしれません。皆さんには苛酷なように見えるのですね。前方から近づいて来るものを見たならば、それが迫害や困難に見えます。しかし後から見たならば、神様が皆さんの面倒を見、皆さんの人生のために、指針や指導を与えておられることが分かります。普通の人々は、神様や先生が皆さんに与えたと思っておられるような祝福を受け取ることができません。これが皆さんには分かりますか。愛は訓練です。簡単に出来るものではありません。皆さんは三点を開発しなければなりません。鋭い霊的なアンテナ、鋭い分析能力、そして多くの人生経験。この三つの要素が必要なのです。今、皆さんはこういうものについてしっかりと考えなければなりません。皆さんはまだ若いです。全身全霊を打ち込んで、今やっていることを成就すべきです。


オーシャン・チャーチのための具体的な指示

 元の所に戻ったならば、今までよりもっと一生懸命に働くつもりですか。皆さんの答えは安ぽいですね。時々先生はそのように感じます。今日、皆さんはやりますと言うけれども、今度もう一度ここに戻って来た時「あのー、すみません。十分できませんでした」と言うかもしれません。だから全力を尽くしなさい。全力投入しなさい。皆さんは、前の先生の指示事項を勉強しなかったかもしれませんが、今日はもっと具体的な指示を与えたいと思います。それをノートに書き留めておくようにしてください。

A.自己訓練と管理

1.自己訓練

 他人を訓練する前にまず自分を訓練しなさい。自分はもう十分訓練されていると思っているとしたら、既に大きな過ちを犯していることになります。

2.実践

 学んだことをすぐに実践しなさい。漁は体験を通して学ばなければなりません。

3.船の管理

 誠実な心と祈りを持って船を管理しなさい。船を洗ったか、良く管理しているかを確かめなければなりません。実践と自己訓練を通して学習がなされます。すべての学習は自己訓練の下になされます。今年の夏、皆さんは、船の上に泊まり、そこで休むがそれも訓練の一部です。船は皆さんの訓練場です。皆さんはどうやったら船を愛せるか、どうやったら本当に大切にできるかを学ばなければなりません。そうすることにより、いつも特別な喜びをもって回想することのできる思い出が皆さんに与えらることになります。

4.船は皆さんの対象目的

 船は皆さんの命です。自分の妻を愛すると同じ位の愛を持って管理しなければなりません。毎日、出発の前に必要なもののチェック・リストを作らなければなりません。一つずつ順序立ててチェックする必要があります。こういう方法により、すべて完全に準備が整っていることを確かめなければなりません。船が途中で故障することがあってはなりません。一定のチェック・リストを用意し、毎日それに目を通さなければなりません。油、ガソリンその他すべてがきちっとそろっているかどうかを確かめなければなりません。船の管理を良くしなければ、皆さんは死ぬようなことになるかもしれません。それくらい真剣なことです。海の上で何かが故障する、そういうことは絶対にあってはなりません。はっきりと分かりましたか。


B.メンバー達を育成

1.伝道(と自己創造)

 伝道は自己創造でもあります。また他人を教育することは自分を教育することでもあります。だから完成の域に達するには他の人々を育てなければなりません。もし百人を連れてきてその人達を全員教育するならば、皆さんは百人を管理することのできる人になれます。そして、皆さんはそれと同じ分だけ自らを創造し、成長させることになります。メンバー・シップが基台です。そこから皆さんの企画に必要な資金を作り、そしてその企画を推進させることができます。メンバー・シップがなければ、たいしたことは何も行えません。

2.将来の計画をはっきり教える

 「あなたと私、一緒に繁栄しましょう」これを皆さんの標語とします。将来のビジョンについてメンバー達にはっきり教え、そして共にそれを分かち合わなければなりません。

3.将来有望な水産業界に向かって前進する

 既に、先生はアメリカの水産業が持つ素晴らしい可能性と、未来について説明しました。皆さんはそれをどんなことがあっても発展させなければなりません。

4.地方の支援団体を作る

 各船につき五人のメンバーから構成されるグループを作り、それから皆さんがいる海岸沿いの町に、海関係の利害関係について指導する委員会を設立します。


C.地域指導者達の支持を得る

1.皆さんの町を復帰するためにスポンサーを見つけます。

 皆さんの委員会を支援する善良なその町の指導者を、少なくとも一人見つけなければなりません。そういうスポンサーを見つけない限り、船を提供し、それを公的目的のために使ってもらうことができません。

2.海岸沿いの町自体を再開発する

3.従ってくる人達を教育する

4.皆さんの町を統一する

 皆さんの町の分裂を防ぐこと。その町の将来に心を配っている人達を一つにまとめなさい。特にその町が密輸港として用いられるのを防ぐこと。

5.教育と水産業

 互いに支え合う関係にあるオーシャン・チャーチのメンバーの皆さんも食事を取らなければなりませんね。皆さんの企画はある種の経済的サポートがなければ成功しません。皆さんはそういうサポートを作り出さなければなりません。


D.海に関する関心事項

1.輸出入

 輸出入の関係を勉強すること。分野については皆さんは余り知識を持っていないけれども、非常に重要な分野です。

2.加工工場

 加工工場と水産加工について勉強すること。

3.他の関連産業

 網作り、フィッシュ・タックル、ギアなどのような海に関連した産業や設備について学習すること。

4.研究設備

 オーシャン・チャーチは研究設備を作るべきです。皆さんは船を使用し、それを用いて何かを達成しなければなりません。それが皆さんの基盤です。この指示に従わない限り、皆さんは成功することができません。いろいろな漁のやり方、例えば延縄業のようなものを勉強しなければなりません。皆さんが用いなければならないいろいろな釣り用バスケットを調べ、釣り用ラインとフックについて研究すること。あらゆるものを調べたり、勉強したりする必要があります。それからシステムを改善します。

 また、先生は統一神学校卒業生のために、まずカープに行きそれからオーシャン・チャーチ、そして州の責任者になるというコースを設定しましたが、特別な希望と能力を持っている卒業生達は、オーシャン・チャーチに定着することが許されます。海に特別の関心を持っているメンバー達を先生は欲しいと思っています。

 これが先生の具体的な指示事項です。先生はこれらすべてに関して真剣なのです。だから皆さんにも真剣になってもらいたいのです。皆さんは自分達に任された船を使って、海に出かけます。これが自分達の基盤を築く唯一の方法です。そして先生は皆さんに直接指示事項を与えたけれども、皆さんは魚釣りの方法について考え、またそれを発見したり、創造したりしなければなりません。また延縄とか刺し網、その他のあらゆる種類の釣りのやり方について勉強しなければなりません。そして実践することにより、自分でいろいろ発見していかなければなりません。

 オーシャン・チャーチにいる時には、オーシャン・チャーチに皆さんの注意を集中しなければなりません。オーシャン・チャーチに来たら、それが皆さんの第一の使命、第一の関心事項です。複雑な生き方をしてはなりません。二つ以上の使命を持っているならば、どちらの方を優先するかを決めなければなりません。そして二つ、あるいはそれ以上の企画の間を敏速に行き来しなければなりません。しかし第一目標を達成することを忘れてはなりません。先生は博士課程の学生達のために、明確な伝統を確立したいと思っています。勉強の期間を終えたら彼らはオーシャン・チャーチへ来て、そこで経験を積むべきです。

 また彼らはメンバー達と一緒に、市長やその町のその他の指導者達に会いに行くことができます。オーシャン・チャーチは水産の企画であるだけでなく、宗教運動でもあります。博士課程の学生達は神学を勉強し、明瞭かつ正確に我々の思想を説明することができます。しかし霊的な意味で、本当の博士となるためにはまだまだ数多くの経験を積まなければなりません。そういう意味で、皆さんは先生の特殊学校で学んでいるんだということを考えておかなければなりません。霊的博士号を得るための先生の集中コースなのです。

 先生は皆さんのために、特別な博士課程のプログラムを用意しています。皆さん全員です。教会指導者としての資格を持つために、そのプログラムを終えなければなりません。皆さんは博士号を取るかも知れません。けれども、それは単に外的な知識に過ぎません。内的な知識も同様に学習しなければなりません。だから皆さんは少なくとも海での経験を味わう必要があります。このコースは皆さんだけでなく、霊的生活において他の人々に教えたり講義や指導をしたいと思う人達全員に適用されます。また、教会の中の他の部局にもたくさん大学院生がいて、彼らは重要な責任を担っています。しかし必要ならば先生はその地位から彼らを外して、その代わりに船に連れてくるつもりでいます。

 博士課程の学生達はまだ勉強中ですが、先生はその中の多くの者を今、ニュー・イラ(New ERA)に送っています。しかし博士課程を最初に卒業する者が、今日の我々の見本となります。彼は地方の町に行って、そこでメンバー達と一緒に、その町の指導者達を伝道すべきです。さて先生はタイラーを偉大な人物にしたいと思っているのですが、彼はそういう強靱な人間ではないのです。だから彼は海に行く必要があります。今から彼は、メンバー達が既に知っていることをすべて学び始めなければなりません。

 しかし彼は統一神学校で教えなければならないし、ニュー・イラの責任を持っているのでとても心配しています。どうして心配するのでしょうか。心配する必要はありません。あなたは今年の夏、漁に行かなければならないということを知っています。それなら黙って行くのです。そう複雑に考えてはなりません。ただ船に乗って、ただ漁をすれば良いのです。それだけです。オーシャン・チャーチはそんなに難しい所ではありません。先生も数多くの責任を持っているので、この兄弟が今どういう思いでいるのか知っています。しかし海で過ごすことは必要なことなのです。そうでないならば、どうして先生自らがそれをやるでしょうか。先生はこれをニュー・イラやアイカス(ICUS)のような部門にいる人達に向かって強調したいのです。また博士課程の学生達にもこれを強調します。大切なことは現在の仕事に意識を集中し、一生懸命働くことです。

 先生は今、解決しなければならないたくさんの難問を抱えています。そしてそれらの問題の一つ一つが心配です。先生には皆さんの立場が良く分かります。しかし、問題は、皆さん一人一人がどうしたらできるだけ早く、真の指導者に成長することができるかです。それが本当に問題です。オーシャン・チャーチは夏期プログラムを奨励し、宣伝しなければなりません。そうすればその夏期プログラムに多くの人達が来たいと思うようになるでしょう。夏期プログラムは訓練計画の中の中心なのです。もしオーシャン・チャーチのメンバーが、皆さん自身の人材ができなければ、先生は姉妹達、女性の力を組織するつもりです。それと同時に先生は、コンピューター化された電子装置によって走る船を考案準備しています。それはたいした問題ではありません。物理的な力は重要ではありません。重要なのは献身です。皆さんはいろいろな方法を使って、力不足を補うことができます。だから、もし皆さんが責任を果たせなければ先生はやる気のある他のメンバー達を探すつもりでいます。

 世界の最も有名な漁師の中には韓国人も入っています。日本人も非常に優秀ですが、彼らはあまり危険を冒そうとしません。韓国人は冒険を愛します。普通の人間がやろうともしないことを韓国人は喜んで行います。だから今日、韓国の漁師たちは、世界中から尊敬されています。数多くの漁師達が韓国で訓練を受けています。韓国の漁師達から訓練を受けるために、世界中からやって来ます。皆さんにもそれができますか。先生は真剣な気持ちで尋ねているのです。この夏のことだけを言っているのではなく、皆さんの全生涯について、先生は尋ねているのです。全身全霊を打ち込んでそれがやれるのですか。やれるのですか。やりますか。皆さんの返事は先生を勇気づけてくれました。前進しましょう。では祈りましょう。

6. 誰が海を受け継ぐのか 

1983年 7月 3日 グロースター

 先生に初めて会う人は何人いますか。手を挙げなさい。ありがとう。今日先生は船で来ましたが、それはとてもひどい揺れ方でした。その上ひどい霧だったので、先生の目はまだ焦点が合っていないのです。プロビンス・タウンから一時間半かかったんですが、先生はその途中「方向を知るということは何と重要なことだろう」と思わざるを得ませんでした。霧の中で我々が頼れるのは羅針盤だけでしたので、そのただ一つのステアリングの指示に従って、我々は霧の中を進んで来ました。人生もそれと全く同じなのです。

 人類は全世界で、また何世代もの間――全人類歴史を通していろいろな方法でその方向性を探し求めてきました。今まで人類はあらゆることを試み、すべてに失敗して、ほとんど諦めの境地にいます。その探求心を満足させるものは何もありませでした。しかし今日我々はその範囲をより狭めることができ、自分のことがもっと分かるようになりました。我々は方向性を知る前に、まず自分達の到着点と目的を知らなければなりません。方向性について関心を持つ前に、まず自分の目的を知る必要があります。

 どのように生きるのかについて結論を下す前に、まずなぜ生きるのかについての結論を下さなければなりません。この疑問を全人類はその誕生以来ずっと問い続けています。宗教人達は少なくとも神様を受け入れているので、自分達の人生は神様の目的に何らかの形で奉仕することだということができます。しかし神様を信じてさえいない人達がいます。その人達に、人生について本当に教えることができる人は誰もいません。


人生の目的

 この疑問は限りなく問われ続けてきました。偉大な学者達でさえ、それに答えることができないでいます。ここいる皆さんは普通の人間です。そしてそれ以上に普通のムーニーであるに過ぎません。皆さんは答えを知っているのですか。何の目的で生きているのか、皆さんは知っていますか。皆さんは原理をいくらか理解しているので「お父様、創造目的を成就するために我々は生きています」というかも知れません。ではその目的とは一体何ですか。我々の教会では、神様の摂理について考えれば、すぐに四位基台の確立が頭に浮かびます。神様の目的の完成は四位基台の完成です。四位基台とは何ですか、それはどういう意味ですか。

 最初に男と女が完成すれば神様は自分の理想を実現することができます。ではその理想とは何でしょうか。二人が、つまり一人の男と一人の女が完全な愛によって一つになる時、それが神様です。分かりますか。男と女が完全な愛によって一つになる時、そこにあるもの、それが神様です。男と女の愛は何を中心にしているのでしょうか。男? それともアメリカのように女を中心としているのですか。違います。皆さんはそう思わないのですね。ではその愛は誰を中心としているのですか。皆さんは「神様」と呼んでいます。そうです、その通りです。男と女の愛、二人の間の愛は神様を中心にしています。

 まあ、とにかく男と女が一体化したとします。では愛はどこから来るのですか。それは最初、男から来るのですか、それとも女からですか。どちらでもありません。ではその愛は誰に属していますか。これも皆さんの答えは正しいですね。そうです「神様」です。だからその愛に触れる場合、自分の好き勝手に扱うことは許されません。それは第一に皆さんのものではないのですから、大切にまたは尊敬しなければなりません。それは皆さん以外の所からやって来ます。では愛はどういう経路で皆さんの所に達するのでしょうか。それは皆さんの所へ直接来るのですか。神様から直接来るのですか。どのようにして愛は皆さんの所にやって来ますか。人はたくさんの愛を持っているかも知れません。しかしそれは神様から自分の配偶者を通してやって来ます。簡単です。ここに一人の人間がいるとします。彼にはすべてが備わっているとします。しかし自分一人では満足できません。愛を得るためには他の人を必要とします。それが愛というものの性質です。皆さんは愛について考える時、それが皆さんからではなく、皆さんの配偶者から来るものであるということを認識しなければなりません。それは男でも女でも同じです。まず授受作用がなければなりません。次に統一があって、それから愛が生まれます。皆さんは愛がある場合、それはいつまでの他の人のおかげなのです。そのことを皆さんは心に留めておかなければなりません。

 愛がある所には必ず押す力と引く力があります。ここに初恋をしている一人の男と一人の女がいるとします。男は女にすべてを与えます。女もまた男にすべてを与えます。彼らは相手のために自らを犠牲にします。それでは神様はどこにいるのですか。その中心です。神様は男と女を一つにする力があり、相手のために自らを与えようとさせる力でもあります。

 中心にいて、神様はすべてのものを満たします。男と女のうちでどちらがより偉いのか、男と女は平等か、それとも平等でないかというような論議をする必要はありません。男と女もその中心にいる神様に到達します。しかし全く反対方向から到達します。どういう運動をするにしても、皆さんは中心と軸を持っていなければなりません。それが神様です。男と女の軸、宇宙の軸が神様です。男も女も皆、神様を中心としていなければなりません。すべての家庭、氏族、民族、文化が神様を中心としていなければなりません。すべての国家、世界、そして宇宙さえも神様を中心としていなければなりません。

 では中心が神様ならば、その中心はさらに何を中心としていなければならないでしょうか。中心は何ですか。力ですか。お金ですか。すべての人を、また過去の人達から未来の人達に至るすべての人々さえもつなぎ合わせるものは何ですか。まあ、生命はどうやって始まりましたか。まず第一に、それがどうやって始まったのですか。最初の我々はどうやって存在するようになったのですか。愛からです。一人一人はどこからやって来たのですか。皆さんは皆さんの両親からやった来ました。皆さんは両親の命から来たのですか、それとも両親の愛から来たのですか。命ですか、それとも愛ですか。では皆さんは何ですか。皆さんは両親の愛の参与者なのです。だから皆さんは両親から絶対に離れることができません。親が子供達のために喜んで命を捧げるというのが自然の法則です。動物の世界にはそういうことはたくさんあります。母親とか、父親は子供を守るために命をかけて闘います。

 地上の最も偉大な存在である人間はとうですか。その面において、人間はいずれ全被造物の尊敬を獲得しなければなりません。子供達は最初、両親を持たなければ存在できません。彼らの命は両親から来ます。もし両親が完全な愛で一つになっているならば、彼らの間に分裂は決して生じませんでした。父親の愛と母親の愛が共に神様の愛をかたどることになります。これが存在を説明します。もし両親、ならびに子供達がこれを理解するならば、彼らの間に分裂は決して生じません。彼らは共に生き、共に死にます。神様の愛から離れているものはどういうものでも、本当に存在しているとは言えません。単純なことですが、こういうことを今まで明確に知っている人は誰もいませんでした。

 夫は妻を、ちょうど神様を愛するように愛します。妻は夫を、ちょうど神様を愛するように愛します。それから彼らは子供達を愛し、子供達も両親を愛します。そしてこれがすべて神様の愛の中で行われます。これが四位基台、神様の愛の完成なのです。それが我々の人生の目的なのです。男と女がいったんこういう愛で一つになれば、彼らは互いに離れられなくなるでしょう。またそういう愛によって子供達を持てば、子供達と両親を切り離すことができなくなります。

 こういうことを知って今日の世界を見るならば、そこには、本当に深刻で重大な問題が存在していることが分かります。それは実に悲劇です。アメリカの家庭の半分が分裂の苦しみを味わっています。すべての子供達が両親の愛の下に永遠に生きたいと望んでいますが、単純で基本的なこういうことが彼らには否定されています。これ以上の犯罪はありません。どうして夫と妻が分れることができるのでしょうか。彼らは神様の愛を破壊し、子供達は迷子になっています。この悲劇に名前があるとすれば、それはサタンでしかありません。ではサタンとは何ですか。彼は近づいて来て、神様の愛を破壊します。それ以外の何ものでもありません。我々はそれと正反対の基準を確立しなければなりません。皆さんと皆さんの配偶者の間に愛が芽生え出したら、皆さんはその愛を育て保存しなければなりません。どうして愛はそれほどまでに高く評価されなければならないのですか。どうしてそれほど大切なものなのですか。一つだけ言えることは、愛が、愛だけが生命の原動力となることができるということです。愛以上にそれをできるものは他に何もありません。愛が皆さんを目覚めさせる時、皆さんの目と耳、そしてすべての感覚が一点に集まります。皆さんは二つか、三つのものを同時に見ているのではありません。ただ愛だけを見つめています。それを皆さんに説明する必要はありませんね。皆さんは既にそれを知っています。愛が皆さんを目覚めさせる時、心と体を一つになります。愛の力が皆さんの魂と体を一つにすることができます。愛がなければ、心と体は完全に一つになることはできません。愛がなければ、霊界と物質世界が一つになることはできません。なぜ神様が人間を創造したか、これによって説明できます。神様が愛の刺激を受けるためには人間を必要としました。もし目的なしに人間を創造したとすれば、そういう神様は何の価値も持たない、いたずら好きの存在でしかないでしょう。神様は創造したすべてのものについて、目標と目的がなければなりませんでした。

 男として、皆さんはどの方向に行きますか。皆さんは女性に会う方向に行きます。どうして皆さんは周りを見回さないのですか。素晴らしい男や素晴らしい女がたくさんいます。どうして、男達は別の偉大な男を探して、彼と一緒に住まないのですか。どうして、女達は他の偉大な女を飾して一緒に住まないのですか。皆さんは顔をしかめていますが、どうしてですか。皆さんはその理由を知っているのですから、宇宙の公式を理解していることになります。その公式を無視するものはすべての命を無視するもので、ついには滅びます。

 愛は神様からやって来ます。命も同じく神様から来ます。愛と命は同じなのです。戦の質は命の質でもあります。自然の法則と共に進むならば、我々は宇宙の一部となり、またそれに貢献することになります。そしてそこから次第に発展して行きます。しかし、その法則に反する生活をする者達は段々小さくなり、ついにはその存在すらなくなってしまいます。

 では、その目的とは何ですか。それは愛の基台、つまり四位基台を造ることです。そこで神様、男、女、子供達すべての点が交わります。それ以外に皆さんは何を欲しいのですか。そこには別々の銀行口座もなければ、別々の所有権もありません。父親が母親に属し、母親は父親に属しています。そして二人は共に神に属しています。そして子供達は両親に、そして神様に属しています。とても簡単な理屈で合っています。

 皆さんはどうして朝、顔を洗うのですか。皆さんは自分の顔を見て、その質問をしてみるべきです。皆さんの顔は「私の真の愛に酔いしれたい」と答えています。皆さんの目と耳は、愛の興奮を味わいたいと思っています。一旦愛が働き始めれば、皆さんは何も気にならなくなります。男は、女が変な臭いを発散しても気にならなくなるし、女も、男が死んだ魚のような臭いをしていても気になりません。これは人生の中で最も重要なことなのです。女達をからかったり、自分の妻以外の女を見つめる男には、サタンが侵入したいと思います。一方自分の妻だけを見つめ、彼女の中に全宇宙を見ることのできる男には、神様が住みたいと思います。男の価値は何ですか。女の価値は何ですか。それは互いに捧げる真の愛です。完成した男、あるいは完成した女とは何ですか。それは心と体を完全に統一した人のことです。


海と未来

 人間の価値とは何ですか。先生はどうですか。先生の価値は何ですか。先生は宗教指導者です。多くの人達が先生。腹を立て「どうしてこの男は教会に留まっていないのか。どうして漁にやって来るのか。どうして彼は他にもたくさんのことをやっているのか」と言います。先生もそれについて時々考えます。先生は式服を着て、一日中教会に留まっていることもできます。そうすることは容易なことです。自分で始めたいろいろな企画に気を使わなくてもすみます。既にたくさんの企画が行われていますが、さらにその数は増えるでしょう。もしキリスト教がその目標と理想をすべて達成していたならば、先生はこんなにいろいろやる必要がなかったのですが、現実はそうではありませでした。反対に、キリスト教徒達は先生がやっていることを真剣に考えもせず、猛烈に反対して来ます。先生を支持した人が今まで誰かいましたか。

 たとえ、統一教会のメンバー達が先生を支持するとしても、まず企画を始め、その企画についていろいろ説明するのは先生です。先生の家族でさえ、先生のことをすぐには理解できませんでした。この世界が先生を受け入れるということが、どうしてこれほど難しいのですか。それは、先生を受け入れるためには多くの宗教指導者達が自分の考えを変えなければならないのですが、それを彼らはやりたくないからなのです。ある人達は先生を称賛し先生を助けたいと思っているのですが、それと同時に、先生の鋭い洞察力を恐れています。

 共産主義はその背後に思想体系を持っています。共産主義者を導く思想です。しかし、民主主義社会はそういう統一した思想というものを持っていません。しかし、レバレンド・ムーンの思想は共産主義の思想を凌駕しています。そして彼らはそれをはっきり知っています。彼らはアメリカ合衆国の軍隊のような物質的な力は恐れません。その面での競争は既に終わっています。彼らの方が勝利者です。しかし、統一哲学は彼らにとってもっと大きな問題です。彼らはそれを遥かに恐れています。

 先生は思想及び哲学から初めて、あらゆる分野で新しい道を開拓しました。そしてたらに、韓国やドイツの工場のように、経済企画、ビジネス、技術企画をどのように始めるべきかについても示して来ました。それなのに、どうして先生はオーシャン・チャーチを始めたのでしょうか。どうして先生はそれをそんなに重要視するのですか。皆さんも知っている通り、先生は明けても暮れても海の上で働いています。どうしてそういうことをやっているのですか。皆さんは、先生が以前この問題について語ったのを聞いたことがあると思います。

 海は孤児なのです。海を愛し、海の面倒を見る主人とか真の所有者という者が一人もいません。水産業は衰退し、身動きが全く知れない状態にあります。数年も経てば、人類は陸地だけで生活することが困難になるでしょう。人口は今四十億に近いのです。そして十倍の速さで増大しています。一体どうなるのですか。陸地は混雑して来ます。農耕面積が少なくなり、その上人口が増えます。人口問題は、とても深刻な二つの問題のうちの一つなのです。もう一つは汚染問題です。これらの問題を新しい観点から見ることができない所に問題があると先生は思います。汚染の中で最悪のものが空気汚染、つまり車や工場などから出る排気ガスによる汚染です。将来、排気ガスを出すものには何でも制限が敷かれることになるでしょう。料理でさえ制限の対象になるでしょう。余計な煙とか排気ガスはどういう種類のものであれ、大目に見られるということはなくなるでしょう。

 このことは、余り料理していない食べ物を食べる、つまり生の食べ物、生野菜、生魚をもって食べるようになるということを意味しています。いずれにせよ、生ものは健康に良いので、人々はそれに目を向けるようになるでしょう。しばらくの間、人類は宇宙空間に逃避し、そこで生活をしようとするかも知れません。しかし難しい問題が多く出費が重なるので、やがて地球に戻って来るようになります。従って海の将来は極めて重要となります。魚は良い食べ物ですか。十年か二十年前、アメリカ人達はよもや生ものを食べるなどとは思いもしませんでした。まして生魚を食べるなどとは夢想だにしませんでした。しかし今、彼らは日本レストランへ行って寿司とか刺し身を試食しています。

 もし魚が人間の主食になるとすれば、どういう魚が最も適しているでしょうか。我々は大きな魚を生産し、その特性を全部利用しなければなりません。どういう魚を用いるべきですか。鯨? マグロ? 他には? 鮫! 実際問題として、多くの人々の口を満たすものとしては、鯨は余り良いものとは言えません。大き過ぎるし、一頭の親からは一頭の子供しか生まれて来ません。また妊娠期間が長すぎます。

 ではマグロと鮫はどうでしょうか。その肉は最高の味を持っています。本当なのです。皆さんはそれを味わったことがないかも知れませんが、先生はいろいろな種類の鮫をいろいろな方法で味見した経験があります。鮫は乾燥肉として良いのです。だからこの二種類の魚は、多種多様の魚の味を提供する上で最高です。

 日本の人々は今、マグロの養殖方法が研究しています。これは彼らにとっては極めて真剣な産業であり、我々が思い描く将来にとっても重大な意味を持っています。ここで次のことを考えてみましょう。一本の雌のマグロは、一回の産卵で五十万個から三百万個の卵を産みます。さて、自然条件の下ではそれらの卵のうち、ほんの数個が生き残って幼魚となります。ほとんどの卵は食べられてしまいます。それから、最初の数年間生き残るのもほぼそれと同じ位難しいので、成熟するマグロはほとんどいないことになります。

 大例の危険を免れることができる大きさまで達するのに、約二年かかります。十分成長したマグロは、七十五ノットから百ノットの速さで進むことができます。それは「逃げる」時の速さです。しかし普通の速さで泳いでいる時は二十ノットから三十五ノットで進みます。それでもたいしたものです。マグロの体の構造を研究すれば分かるのですか、この魚は早く泳ぐように創られています。鮫も速いけれどもマグロにはかないません。マグロは全部のひれを体に付け、魚雷のような形になります。またマグロは速い速度で泳ぐだけでなく、長距離の旅をします。世界中を駆け巡るのです。

 成熟したマグロは、しばしば七百ポンドから八百ポンドに達します。一本のマグロを捕まえると、調理できる肉の部分が八十パーセント位ですから、約五百五十ポンドから七百五十ポンドの肉を使用することができます。それほど多くの肉を人々に提供します。大低の人間は毎日二、三ポンドの肉を食べるのですが、一または二ポンドに減らしたほうが良いでしょう。もしそうなれば、一本のマグロで五百人から六百人を満足させることができます。百本のマグロを釣ればその百倍の人々を賄えます。

 魚は、余す所なく何らかの目的に用いることができます。鮫の皮はジャケットとか靴に用いられます。それは極めて長持ちし、しかもでこぼこしています。その歯からは宝石細工ができます。できるんです。ある時、大貫が鮫の肉を乾燥し、それをくん製にしてはどうかという素晴らしいアイデアを思い付きました。後になって彼は諦めたのですが、それは正しい考えでした。魚はどんな部分でも使えます。残りの部分を砕いて、それを魚粉にすることもできます。またそれを使ってパンを作り、人々の口を満たすこともできます。それは人々の腹を満たすだけでなく、共に蛋白質も提供します。これがアフリカではどういう意味を持つか考えてみるのです。魚に関する限り、無駄な部分というものはありません。

 では、何百本あるいは何千本というマグロを捕るとして、我々はそれをどもで養殖できるでしょうか。囲いをして、その中に入れるというようなことはできません。しかし海全体をマグロで一杯にすることはできます。だから、漁師達はその水揚げ方法を開発しなければならなくなるでしょう。マグロの寿司とか刺し身の人気が高まり始めています。誰がこういう調理法を見つけたのですか。白人がマグロの寿司を最初に見つけていたとしたら、将来世界の人々はマグロを食べることができなくなっていただろうということを、先生は考えたことがあります。もう既にすべてのマグロが捕りつくされていたことでしょう。

 我々はあらゆる種類の食べ物を海底に植えることができます。それについて研究しなければなりません。しかしその可能性は、我々の所で立ち消えになってしまう可能性を持っています。海はとても広いのです。しかし我々の心はそれに比べて、まだ余りにも小さ過ぎます。急には莫大な可能性が秘められています。しかし、皮肉にもアメリカの若者達は漁をする生活様式から離れつつあります。グロースターが良い例です。以前そこには漁業面における世界の中心だったにもかかわらず、今ではもうさびれかかっています。魚がいなくなったからではなく、若者達がいなくなったからです。そういうことが起きつつあります。

 多くの漁師達が何日も何週間も続けて漁をします。それでもたいしたお金にはならない、だから夫と妻はしばしば喧嘩をします。そして彼はまた海に出ます。ところが、帰ってみると妻は家を出てしまっています。そのように、若者や漁師の妻達は漁生活に見切りを付けてしまっています。ということは、遂には漁師自身もどこかに行ってしまうということを意味しています。

 真剣な男は、妻を失っても再婚をしようという気持ちは起こさないものですが、漁を続ける理由がなくなった場合にも同じようなことが起きます。真剣な漁師は、そういう場合漁を完全に止めてしまいます。かつて繁栄した漁師に不利になる値段を付けたり、漁師をだましたりするバイヤー達もいます。またどの港でも麻薬の密輸が問題になっています。


アメリカの水産業の士気を高める

 アメリカ年の貿易の伝統は大まかに言って、商船の伝統に基づいています。アメリカとメキシコは、海とそしてまたお互い同士切り離すことのできないきずなで結ばれているべきです。これは何も新しい考え方ではありません。我々はこのことを良く知っておくべきでした。皆さんの祖先は、皆さんが考えているよりも遥かに真剣でした。彼らは宗教迫害に苦しみ、それゆえに命をかけてここにやって来ました。生きてここにたどり着くという保障はありませんでした。いわんや、ここで生き残る保障は更々ありませんでした。

 証拠はどこにでもあります。経済の中心の最大のものは、アメリカの中央つまりシカゴにあるのではなく、海岸線上にあります。例えば、ハドソン川とハドソン湾のあるニューヨーク、そしてサンフランシスコとロサンゼルスです。この国の経済にとって、海が極めて重要なのは明白なことです。

 もしジェット機の出現がなかったならば、我々の海への依存は今よりももっと大きかったでしょう。一体、海をないがしろにしても良いのでしょうか。造船業はどうかというと、全部安い労働力を求め、アラバマか、あるいはその辺りに移動したのですが、今ではほとんど全部の会社が閉鎖してしまいました。現在我々の運動がそこに会社を作っています。どうしてですか。海の再開発がまもなく訪れようとしているからであり、そのための準備をしなければならないからです。アメリカだけでなく、他の諸国についても同様です。我々はブラジルで漁をするための船とマグロの延縄漁用の船を開発しつつあります。今、他の人が皆、造船業から手を引こうとしているけれども、成功の秘訣を持っているのはレベレンド・ムーンだけだということが、まもなく誰にも分かるようになります。だから今我々は基盤を築かなければなりません。そうすれば、ある日人々が目覚めてみると、我々がずっと先頭に進んでいたということになるでしょう。今日の世界では、ある産業がすたれれば、その時には人々はそこから手を引き、去って行きます。しかし我々はそうではありません。そういう時こそ、我々は本腰を入れて投資を始めます。世界には四大漁場というものがあり、そのうち三つまでがアメリカ近海にあります。人々は漁をするのに世界のいろいろな所に行くのですが、アメリカの漁師達は最高の場所に労なくして行くことができるので、彼らにとってそういう苦労はありません。日本、ドイツそしてソ連までも、自分達の市場用に何とか魚を捕りたいと必死になっています。しかしアメリカは、他の国の漁師達が容易に入って来られないように工作します。ところが、アメリカの魚市場は他の諸国に比べて遥かに小さいのです。これでは納得がいきません。

 最善策は日本、ドイツ、アメリカの三か国の間で、漁場権利と市場戦術を併用することでしょう。もしこれらの三か国の間で、今日の水産業の面で責任ある合意に達することができれば、残りの国々はそれを中心にして活動することができます。いずれにせよ、これらの国は漁をするためにやって来つつあり、そのためにアメリカ政府は難しい立場に追い込まれています。彼らは他の人々に入って来てもらいたくないのですが一方自分達の漁船の数は極めて少ないのです。アメリカはこれらの大漁場をうまく活用していません。だから水産業に大量投資している諸国が、いずれにこれらの海域にやって来るようになります。アメリカは自分の漁場を守るためのジレンマに陥っています。誰がこういう状態からアメリカを求めるのですか。レバレンド・ムーンにはできます。彼は若者達を組織化し、アメリカの水産業を発展させるために彼らを送り出します。これが先生のビジョンです。

 ムーニーは、水産業の面でいずれ強力で積極的な勢力となります。破壊するのではなく、それを国際基準にまで引き上げます。だから、アメリカ政府はムーニー達が漁をして成功するのを望まない半面、こういう理由があるので、我々のやることをいずれ奨励するようになります。今、グルースターはレバレンド・ムーンに立ち去って欲しいと思っているのですが、それと同時に、マグロの値段の基準を今まで通り維持したいと思っています。

 韓国人達は釣り用の備品や釣り道具の製作に関しては最も優れています。日本の漁師達は、韓国人達がとても頑強で勇気があるので、最も優れた漁師は韓国人だと言っています。漁をする時、韓国人の肝は座るのです。彼らは大漁を求めて網を一杯に張ります。たとえ網代として百万ドルを失うようなことがあったとしてもそうします。失敗すれば厳しいのですが、成功すればとてつもない成功になります。日本人はそういうことはしません。彼らはとても注意深く計算します。だからチャンスを見逃す場合もあります。

 先生はそういう背景を持った韓国からやって来たので、アメリカの釣り道具会社に注目してみました。そして、どうやったらもっと良いものが作れるだろうか考えざるを得ませんでした。ニューヨークの近辺には船がたくさんあるにもかかわらず、ニューヨーク市にある釣具店の数はとても少ないのです。だからアメリカで釣り道具を売るのは極めて容易でしょう。最終的には、釣り用品ビジネスを中心にニューヨークに高層ビルを建築することもできます。水産業はあらゆる面で改善が要求されています。そして海の産業は我々に開かれています。今基盤を築いておいくならば、将来我々に追いつこうと考えることのできる者は一人もいないことになるでしょう。時が経つにつれて「ムーニー達と競争できる者は誰もいません」と人々が言うようになるでしょう。例えば、マグロ漁の現状を見てみましょう。人々は、以前は六時か七時頃起きて海に出かけて行きました。 ところが我々は三時あるいは二時にすら起きています。人々は我々の重労働を見たら「オーシャン・ビジネスはムーニー達のものです。どうやっても彼らにはかないません」と言わざるを得なくなります。先生が八年前、ここに来たばかりの頃、値段は一ポンドにつき五セントから十セントでした。ところが今では、それが一ポンドにつき二ドルへと上昇しました。我々は大量のマグロを買い、その値段を高める働きをしたので、他のバイヤー達は皆それに従わざるを得ませんでした。これが真相なのです。ビジネスマンの観点からすれば、レバレンド・ムーンは悪い人間なのですが、彼らは漁師のことは何も考えていません。漁師の観点から見ればそうではなくなります。

 マグロの値段は、一ポンドにつき、五ドルあるいはそれ以上にまで上がるべきです。これは水産業全体にとって重要なことであり、マグロの値が上がれば、他の魚の値段も上がらざるを得なくなります。そして他の分野の漁師達にも金儲けのチャンスが訪れます。現在、漁師達は何トンもの魚を捕るけれども、それは一ポンドにつき三十セントから四十セントにしかなりません。一方我々はどうかと言うと、高い値段でマグロを買っています。だから自分でマグロを捕っているにもかかわらず、金儲けになりません。どうしてそういうことをやるべきなのですか。それについては次のように考えてみます。千ポンド近くのマグロ(そしてマグロ一ポンドにつき五ドル)は五千ドルにもなります。このため、多くの若いアメリカ人が魅了されて、ここに漁にやって来ます。そうは思いませんか。既に皆さんは経験を積んでいるので、彼らに教えてやることができます。アメリカの海岸線にある町々が、我々の仕事ゆえにどれだけ潤うかということを考えてみなければなりません。

 先生ははっきりした考えを持っているのですが、大抵のアメリカ人は先生のことが分かっていません。先生は言葉だけで皆さんに何かをやらせるというようなことはできません。だから先生は自分を犠牲にして来ました。どうやったら良いか、皆さんに示すために先生は昼夜なく働きました。そういう必要がありました。人々はそれが分かりました。けれども、彼らはその必要なこともやろうとしません。先生も皆さんにそれを示す必要があったので、皆さんもそれを彼らに示してあげなければなりません。

 先生は人々にやる気を起こさせる方法を知っています。「お父様、私にはできません」などと言ってはいけません。先生はどうやるべきかを皆さんに示しました。人々は先生のぺースについて行こうとするのですが、二十代、三十代の者達にさえそれができません。「お父様、どうやったらそれができるのですか?」と先生に尋ねます。先生はいつも「私はこれを次の世代の者達のためにやっている。そしてこの伝統は何千年もの間持続され、何百万人という人達がその伝統に基づいて生きることができる」と考えています。だからペースがどんなに速くても先生は気にならないのです。

 先生はアメリカでは女性の船長を訓練したいと考えているのですが、もし女性達が一カ月海に行き、それでも夫が逃げ出さない場合、どういうことになるでしょうか。その夫は、妻が帰って来るのを首を長くして持つでしょう。彼は三日経っても逃げ出さず、妻の帰りを待つでしょう。そして喜びを持って彼女を迎えます。先生はアメリカにやって来た時、原理を教える最も良い方法はそれを人々に実際に示すことであり、そしてもしこの伝統を受け継ぐ人が一人でもいれば、すべての人々が先生の教えを理解するようになるだろうということに気が付きました。そういう夫を持った女性は幸福だし、そういう妻を持った男性もやはり幸福なのです。それだけの力を原理は持っています。男性が幸福な時には、女性の心も躍っています。それは悪いことですか。悪いことだ! そうじゃないのですか。皆さんは先生に向かって「良いことです」と叫ぶのですね。皆さんは真実を語っているのだから、皆さんの勝ちです。皆さんはそういうことが好きですか。ではそれを先生が好まないとしたらどうしますか。今度は皆さんは前よりも大きな声で叫んでいます。そうすると皆さんは知っているのですね。皆さんは真理を知っでいます。皆さんは先生が正真正銘、頭の良い男だと思っています。では皆さんはどうなのですか。。もし皆さんの頭が良くなければ、先生に従って来なかったでしょう。しかし、我々の運動は毎年何百万ドルというお金を使っています。我々は船や水産業のことを研究したり若者を教育したり、あるいは水産業を発展させたりしながら、アメリカで金を使いそして投資しているのです。


海への真の愛

 真のムーニーは海を愛します。どうしてですか。それは統一運動の指導者が海を愛すからです。レバレンド・ムーンは海を愛しています。だから皆さんがムーニーならば、みなさんも同様にそうならなければなりません。女性達、皆さんはどうなのですか。皆さんは本当のムーニーですか、それともそういう振りをしているだけですか。男性達、皆さんはどうですか。

 子供は親からいろいろなものを受け継ぎます。皆さんはどうですか。先生から何か受け継いだのですか。先生が皆さんの先頭になって、皆さんよりも何日も何カ月も、何年も先駆けて漁をしていたということを皆さんは知りませんでした。もし皆さんが先生よりももっと一生懸命働いているならば、先生の良心は苦しむでしょう。先生は皆さんに対して厳しいです。皆さんを急き立てます。しかしそれでも皆さんは先生から愛を感じます。それは先生が既に皆さんのレベルを越えた所で働いているからです。

 先生が皆さんをひどく急き立てる時でさえ、先生から愛を感じる若者達、手を挙げて。どうして皆さんは手を挙げたのですか。皆さんは気狂いですか。皆さんのような人達を見る時に、先生は救われたような気持ちになります。全部総合して見たならば、ここにいることは幸運なことだと皆さんは思いますか。皆さんはここに来たばかりの頃、秘かに苦しみの顔をしていることを表に現さないのだろうかと不思議がっていたかも知りません。

 あらゆる魚の中で我々はどうしてマグロを選んだのでしょうか。それは一度マグロを釣ったらそれが忘れられないということを先生が知ったからなのです。他のいろいろな魚の場合には忘れてしまうのですが、マグロの場合にはそういうことは絶対にありません。だから若者を引き付けるにはこれが最上の方法だということになります。皆さんはアメリカ人だからここに留まるのです。たくさんの来客があるのですが、いずれ彼らは行かなければなりません。彼らはいろいろな国からやって来るかも知れません。しかし皆さん、アメリカ人が自分の未来を受け継がなければなりません。残りの半生、これが皆さんの責任となります。これが本当に大きな責任分担ですね。

 一度マグロを釣り上げると、皆さんはそれを絶対に忘れることはできません。その瞬間を思い出す時には、必ずそれにまつわるすべてのことを思い出します。だから海と関連させておけば、それらを決して忘れることはありません。我々が海に行く時に、皆が我々を見て「ムーニー、ムーニー」と叫びます。しかし我々がマグロを釣って、他の人が誰も釣れなかった場合、彼らはもう一度我々を見て考えを改めるようになります。ラインにマグロを付けて帰って来た時、我々は「道を開けろ」と怒鳴り付けなければなりません。その瞬間は彼らもそれに従わなければなりません。

 その後、彼らはおとなしくなります。小さなワン・ホープ号がマグロを釣り、大きなヨットに向かって突進している場合、皆さんは「そこをどけ」と叫びます。そうすると彼らもアンカーを上げて、それに従わなければならなくなります。その瞬間、我々は誇りを感じることができます。我々は道を開けてもらい、その上、彼らの尊敬を勝ち取ることになります。

 仮に、マグロがひっ掛かけれどそれを逃がしたとします。家に帰って、他の誰かがマグロを釣って来ているのを知っても、皆さんはそれを見たとすら思いません。そういう経験はとても貴重なのです。皆さんはマグロを釣りたいという思いで一杯になります。マグロのことを考えることなしに、他のことは考えられなくなります。「明日こそ、明日こそ」と言って、皆さんは翌日マグロを釣ることばかり考えます。皆さんは明日のために生き、祈り、汗を流す方的を学ばなければなりません。またマグロのために祈らなければなりません。

 マグロも精神を持っています。もし海を愛しマグロを愛するならば、皆さんは自分の所に彼らが引きつけることができなければなりません。このようにすればできます。チャム用の魚を刻んでいる場合、ただ刻むだけではいけません。彼らのことを考え、彼らに向かって「君達が小魚なので、私は君達が細かく切って大きな魚に与えるのです。私は人類のために漁をしているのであって、自分でそこに降りて行きたいのですが、君達が私の代わりになってそれをやってくれます。だからとても皆さんには感謝しています」と話しかけます。

 このように祈り、このように考えるならば事態は変わって来ます。毎日すべての行動が特別なものになります。「マグロを釣って申し訳ないと思います。しかし私はこれを人類のためにやっているのです」と皆さんはいうべきなのです。皆さんは他の人達がやっていることと同じことをやっているかも知れません。しかし皆さんの心情は異なっています。先生がマグロを釣り、もりを打ち込み、陸地に引き上げるのを見る時、皆さんは「なぜ、宗教指導者がマグロにこういうことをするのだろう」と不思議に思うかも知れません。しかし、先生は捧げ物としてそれを行っています。摂理を助け、我々がこれ以上苦しむことから免れさせてくれます。我々には冗談を言い合ったり、船の上で寝たりすることは許されません。我々の仕事は他の漁師達の仕事よりももっと真剣なものなのです。

 先生がニュー・ホープ号で休んだのは二回しかありません。一度はひどい頭痛がしたので、そうせざるを得ませんでした。しかしその時でさえ、先生は誠実な心でもって祈り、そして許しを乞いました。一度、アラン・ホーカンソンはとても疲れて、運転しながらうつらうつらしていたことがありました。先生が代わりに責任を取り、アランは休みを取ることができました。我々の仕事はそれほど真剣なものであり、皆さんもそのことを知っておかなければなりません。


特別なワン・ホープ号

 マグロを捕るために、先生はマグロと伝達方法を開発しなければなりませんでした。時々「スモール・クラフト・アドバイサリー(強風波浪注意報・小型船は外海へ出てはいけない)」というものが出るのですが、それでも先生は漁に出かけます。どうしてですか、。それはメンバー達が天候が悪いのを見て、漁に行くのを恐れるようになって欲しくないからです。皆さんはもちろん安全に気を配らなければなりません。天候が良いからという理由だけで漁に出ることはできません。目標は到達困難なものであり、とても高い所にあります。それを得るためには、我々は相当の訓練を受けなければなりません。船は訓練方法の一つなのです。ワン・ホープ号はとても頑丈にできています。決して沈みません。先生はそういう船が欲しかったのです。二十人が乗ることができ、大波が襲って来ても、船首の部分は水の上に浮かんでいることができます。救命具を付けて船にしがみついていれば大丈夫なのです。数人乗っていたワン・ホープ号で既にそういうことが確かめられているので、我々はこの船がとても安全で強靱な船だということを確信しています。我々がそのように造りました。誰かに、あるいは何かにぶつかったとしても、この船は壊れません。この船のデザインは先生がやったのですが、その背後には霊感が働いています。またこの船は多目的船であって、トレーラーで簡単に引くこともできます。それは快速モーター・ボートにもなるし、観光用の船やマグロ用の船、漁船、教育用の船などあらゆる種類の船として用いることができます。あらゆるプログラムに使えるし、どんな所でも行けます。これらの船の用途には制限とか、特別の使い方というものがありません。

 ニュー・ホープ号はマグロ用漁船としては、あまり適していません。大き過ぎるし、仕事を複雑にするきらいがあります。しかしワン・ホープ号は丁度良い大きさだし、ラインをそのままにしておくだけで、マグロは船を引っぱるのに疲れてしまいます。先生はこの船のデザインをする前に日本、アラスカ、ドイツなどがあらゆる所を調査しました。

 我々は特定のことを念頭に置いてこの船を造ったけれども、ワン・ホープ号は波を切って進むことができなければならないということがその一つです。それから快速でなければならないし、快速で進む時、船が揺れてはなりません。ある船はそういう問題点を持っているので、先生はそういうことが起きないようにしたいと思いました。これらの理由やその他の理由によって、先生はワン・ホープ号のデザインだけで二年間調査にかけたことになります。

 今、先生はその船を眺めて、とても幸福感を感じます。快速で進んでいる時に急にカーブしても、たいした衝撃を感じません。人間を投げ出してしまうような船もあるのですが、ワン・ホープ号はうまく平衡を保つことができます。何千という細かい点が、この船を他の船とは極めて違ったものにしています。しかし先生がこの考えを最初に持ち出した時、アメリカ人達は「お父様、こういう船のデザインをするためには専門家が必要です」などと言いました。

 最初の船は造船について何の知識を持たないメンバー達によって造られたけれども、他の人達にはそういう真似はできません。我々はますます多くの船を造っている現在、ファイバー・グラスを用いたこのサイズの船を造るに当たって、メンバー達は新しく大胆な伝統が次第に打ち立てられつつあることに気付き始めています。我々は最高品質の部品を用いるので、船の値段は極めて高いのです。このことを皆さんは真剣に考えなければなりません。それは高価なだけでなく、メンバー達の犠牲と重労働の下に造られたものです。ま、先生自らの汗と涙を流してこの船をデザインし、造ったものであることも皆さんは知っておく必要があります。ただ船に乗って出発するだけではいけません。それは間違った態度なのです。今後何年か経てば、これらの船はとても有名になるでしょう。皆さんには今それが分からないのですが、本当にそうなります。皆さんは自分達の船を真剣な態度で扱わなければならないし、その船に大きな誇りを持っていなければなりません。将来、皆さんの船の記録が研究されることになるでしよう。「このワン・ホープ号は何本のマグロを捕ったか」と人々が聞くようになります。そうしてそれらの船の中の一隻がその大半を捕り、非常に有名になることでしょう。どの船がそうなるでしょうか。皆さんは未来のことを考えながら、物事を行わなければなりません。


世界が必要とする指導者とは

 我々は遊んでいるのではありません。とても真剣です。誰も先生を知りません。先生がどれだけ真剣か、皆さんは知りません。先生は最初に条件を立て、十日間以上もマグロを求めて漁をしました。マグロを釣らなければならない理由がありました。来る日も来る日も先生は漁に出かけました。その時先生がどれほど真剣だったか、皆さんは知りません。遂に我々がマグロを釣り「万歳」を叫んだ時の感動を皆さんは知りません。

 今、ムーニー・メンバー達は船を出してマグロを捕っています。皆さんは笑ったり、微笑んだりしているに過ぎません。その意味を皆さんは知りません。先生は強くて、マグロの釣り方をひたすら研究するメンバーを探しています。また先生は現代文明について真剣に考えてみました。文明がよって立つ基台を造るのはどういう指導者ですか。先生はそういう目的を持って、皆さんにマグロの釣方を教えています。皆さんは潔白で、しかも純粋でなければなりません。先生は皆さんを純粋にしなければなりません。皆さんはただ周りを見回して他の船を眺めていますが、なぜ自分がそこにいるのか分かっていません。皆さんは自分の心情を捧げなければなりません。さもなければ何の意味もありません。

 また皆さんは困難を耐えなければなりません。真剣なことです。先生は生涯ずっと真剣に考えて来ました。マグロを捕ることは簡単ではありません。もしマグロを捕ることが皆さんにとって簡単なことならば、それはたいした意味を持たないことになるでしょう。先生はマグロ捕りの意味が理解できるメンバー達を見つけたいのです。いつでもすべてのことを説明している時間が先生にはありません。もし皆さんがこのシーズンに先生の心情を受け継ぎ、それを勝利のシーズンとするならば、皆さんは来年も戻って来たいと思うでしょう。次のシーズンまでの間、他の場所に行き、そこで漁師達にマグロ釣について話さなければなりません。海へ行く時、皆さんは重要なことをたくさん考えなければなりません。生計を立てることも考えなければなりません。

 十本のマグロを釣れば、一年分の収入を得たことになります。一シーズンの働きで皆さんの家庭を養うことができます。十本のマグロを釣るのは何ら問題ではありません。もし技能を発達させれば、三十本ですら夢ではありません。そういう能力は貴重です。それは皆さんにとっても偉大な能力だし、オーシャン・チャーチにとっても偉大なことです。皆さんは労働する時、自分の背後に何があるのかを知っておかなければならません。ただ外的にだけ働くのでは駄目です。皆さんは船を持っており、毎日海へ出かけますが、魚を捕る毎に、自分が今何をやっているのかを真剣に考えなければなりません。皆さんはこれを人類の未来のためにやっているのです。皆さんにはワン・ホープ号があります。マグロの後、あと三種類か四種類の魚の捕り方を先生は開発したいと思っています。そうすれば、皆さんは年中漁を続けることができます。ここが寒くなればもっと南へ行けば良いのです。先生はマグロ漁の基本について皆さんに教えましたが、次に第二の魚の捕り方を我々は研究しなければなりません。五年前から先生は、どの魚を調査し漁をすべきかについて考えて来ました。マグロ、ストライプバス、平目、カレイ、鮭、マス、フェダイそのほか二、三考えられます。皆さんは自分の家族をどうやって養い、子供達の面倒をどうやって見るかということを考えなければなりません。皆さんは船を用いて、海岸線のどの海域でも漁をすることができます。また、一年中漁ができます。もし陸の上で働くのと同じ労力を用いれば、二倍の金を稼ぐことになるでしょう。実際にやってみれば、皆さんにもこういうことが分かるようになります。皆さんは自らそれを発見し、発見したものを調査してみなければなりません。この生活方法に先生は強い確信を持っています。そしてそれは皆さんの将来のためのものです。

 将来、アメリカの漁船はファイバー・グラスでできた船で置き換えられることでしょう。きっとそうなるでしょう。将来、それが八十フィートまでの船の基準となるでしょう。その船にたとえ穴が開いたり破損が生じたとしても、鉄製の船よりも簡単に修理できます。先生は今、アラスカの水産業の将来について考えているのですが、そこで漁をするのに最適の船を開発しようと先生は決意しました。

 先生はこの摂理にとても真剣です。もし西洋のメンバー達がそれを受け継がなければ、先生は日本人にそれをやらせます。もし日本人がそれを断れば、先生はそれを韓国人にやらせます。もし彼らがその機会を逸することがあれば、先生はそれを祝福家庭の子供達に与えます。もし彼らが失敗すれば、その時には先生の子供達がそれを確立するようになります。どうしてですか。人類がこの伝統を受け継がなければならないからです。それは人類の未来のためです。


海を通して未来を受け継ぐ

 皆さんが今日全部を理解できなくても、先生は皆さんを責めたりはしません。十年経てば、先生が話していることを皆さんも理解できるようになります。だから皆さんには最善を尽くして欲しいのです。そして、海で先生がやっていることを受け継いで欲しいのです。それは皆さんにとって重要だし、人類の未来にとっても極めて重要なことです。たとえばタイラー・ヘンドリックスを見てみましょう。彼は博士号を取った最初の男です。彼は卒業と同時にオーシャン・チャーチに来るように言われました。彼は自分の耳を疑いました。先生は最高の漁師になるのに七年か八年働いたのですが、タイラーはそれを一シーズンで受け継がなければなりませんでした。どんなに難しくとも、彼はそれをやらなければなりませんでした。それは実際には不可能なことですか、とにかくそれがどういうものであるかを彼はみいださなければなりませんでした。

 先生は今十年漁をやっています。しかし、もうこれ以上やれません。漁の目的は皆さんにあります。皆さんは先生がここでやったことを研究しその段階から先に進まなければなりません。まず第一に皆さんがやるべきことは、すべての情報を集めることです。魚のことについて、またそれがどのように泳ぐかについて知ること。それから海流について、漁をする場所の海底の形について知るのです。マグロ漁についてそういうことを知れば、他のどういう漁に関してもそのノウ・ハウが分かるようになります。また先生が言ったこと、他の人が言ったことを鵜呑みにしてはいけません。自分で発見しなければなりません。魚がどのように泳ぐか、海は一体どういうものなのか、他の人達が言うのを信してはいけません。まず自分でそれを発見しなければなりません。皆さんそのように考え、疑問を持ち、研究することができるように自分の心を訓練しなければなりません。皆さんが先生から受け継がなければならないものがそれなのです。

 グロースター近辺にいる者達が、マグロの捕り方を研究しなければなりません。朝、マグロを捕ったならば、昼からは他のことをすることができるので、他の漁の捕り方を研究します。また海に出て、ストライプバス、平目、あるいはその他の魚を捕ります。昨日先生は二百ポンド近くの平目を釣りました。先生のやっていることを観察すれば、先生が皆さんに教えていることを皆さんは理解するようになるでしょう。今先生は既にずっと先のことを考え、生きたままの漁を売る方法を研究しています。その魚は最高の値段で直接レストランに売ることができます。多くのレストランが水槽を備えるようになります。そしてその中から、お客がその夜の食事として欲しいと思う魚を選ぶことができます。最高のシーフード・レストランがこのやり方を開発するようになります。このシステムは日本では別に目新しいことではないけれども、アメリカでは初めてでしょう。

 将来、最高のレストランが「生鮮魚」の広告を出す時がやって来ます。アメリカ合衆国の大統領さえもが、そういう魚が好きだと言うようになります。また我々は生きた餌についても研究しなければならないし、生きた餌の店も開発しなければなりません。これだけでも莫大なビジネスになります。魚を活かしておくことはとても難しい仕事なのです。だから我々はロブスターからそれを始めました。ロブスターは活かしておくのが最も難しいのです。ロブスターを活かしておく最善の方法が見つかれば、他の魚を活かしておく方法を開発するのは何ら問題ではありません。先生は今、アメリカの市場をどうやったら復活できるかについて考えています。アメリカの市場には新しい発展が要求されています。我々は魚を海水に入れておいて、それを日本へ送ることから始めることができます。そうすることによって資金が得られるだけでなく、我々自身も市場になじむことがてきます。それからここアメリカの売場を開発することができます。それから、ここアメリカの市場を開発することができます。優秀なシーフード・レストランならば、水槽を設置し、それに生きた魚を入れておくという考えが素晴らしいものであることはすぐに見抜くでしょう。そのようにして我々はアメリカの市場を急速に発展させることができます。

 皆さんは「お父様、私はやりたくありません」と考えているかも知れませんが、これが成功しないとどうして言えるのですか。先生はいつも他の人が考えもしないことを考えています。ワシントン・タイムズがそうです。それが三年間で軌道に乗ると考えた人は一人もいませんでした。ところが一年も経たないうちに、我々素晴らしい成功を収めました。そして皆がそれを称賛しています。

 将来オーシャン・チャーチのメンバーが事務所に来ることすら、先生は許さないつもりでいます。机にしがみついていてはいけません。先生の考えを実践しなければなりません。そうすれば、先生が話しているような成功を皆さんも見いだすとことになります。将来、統一教会の唯一の希望となるのがオーシャン・チャーチです。皆さんの立場がどれほど重大なものかが分かるでしょう。将来、何が海へ行く人の限界となるでしょうか。「限界はない」と、先生は絶対的確信を持って言うことができます。今、ロシア、日本、南アメリカ、北アメリカが競争しているけれども限界は全くありません。我々は実際、海を通じて未来を受け継ぐことができます。我々は未来のための人間なのです。我々はいつも未来のことを考えています。だから未来は我々のものです。アメリカでは六十五歳で引退するけれども、先生は六十歳で始めました。皆さんは先生について来られますか。皆さんは先生よりもずっと若いのに、どうして先生について来られないのですか。皆さんの言い訳は通用しません。難しい問題にぶつかったら、何もない所からオーシャン・チャーチを始めた先生のことを考えなさい。何の知識も持たずに漁に出かけ、その後マグロを釣る方法をあみ出した先生のことを考えなさい。皆さんはさらにそれ以上のことをやらなければなりません。

 これを成就させなければなりません。将来のために、誰かがそれを行わなければなりません。皆さんは先生の希望なのです。それが分からなければ、皆さんは自分が一体何者かということさえ分からないことになります。先生に近い者とは、海で成功しようと決意する者のことです。これを語った後でも、先生はここに留まっているべきでしょうか、それとも他の所へ行って何かをやるべきでしょうか。オーシャン・チャーチのメンバー、皆さんは先生がどこにいるのだろうかと心配すべきではありません。皆さんが先生と同じ考え、同じ望みを持っている限り、オーシャン・チャーチは成功します。皆さんがすべての希望を失ったら、先生の心はいつも皆さんと共にあるということを思い出しなさい。先生はオーシャン・チャーチを決して忘れません。

7. なぜ我々はマグロを捕りに行くか 

1983年 8月31日 グロースター

 ムーニー達が水産業を始めた事を誰もが疑いもなく知っています。そして漁を始めた結果、我々がどういう類の人間であるかということが漁師達にも分かるようになりました。雨でも晴れでも、どういう天候の下でも我々は出かけます。我々には女性の漁師すらいて、彼女達は男達と同様、ある時は男性達以上に実績を上げています。それがグロースターの漁師達の目に入らないはずがありません。

 確かに彼らはそのことを噂しています。そのニュースは広がり、市長を含めた市の役人の耳にまで達しています。先生が一九七四年初めてここに来て以来、過去十年間でどういう変化が生じたのかを彼らは知っています。当時マグロを捕る漁師達の一日の労働時間は、一般的に言って、朝十時頃海に出て行ってマグロが釣れようが釣れまいが午後二時頃には戻って来るというものでした。

 当時マグロには値段がついていませんでした。もしマグロを釣ったら、波止場に戻ってきてそこでマグロの隣に立って写真を撮り、それが終わればその魚を残したまま彼らは立ち去りました。一ポンド五セントにしかならなかったのでそれを売ろうと努力する価値さえなかったのです。時には、その魚は腐るまで波止場にそのまま置かれていました。

 また、毎年マグロの値がどの位の割合で上昇していったかも漁師達は覚えています。一年に十セントから十五セント、あるいは二十五セントあるいはそれ以下しか上昇しませんでした。値段が急激に上昇するようなことはありませんでした。ところが今年、一ポンドの値段は五㌦近くまで上がりました。この傾向は続くし、そのことを彼らも知っています。ほぼ間違いありません。彼らは我々のムーブメントがこの傾向に影響を与えたのだということも認識しています。

 もし一ポンド五㌦の値段のマグロを二百本釣ることができれば、我々は損得無しになるか、あるいはそれよりも良い状態になります。毎年我々が味わっている損失をもはや被らなくてもすみます。我々にはビジョンというものがあり、それが我々の努力を導いているのだということを知ってもらいたいのです。こういう状態をいつまでも続けさせるつもりはありません。我々は二、三年のうちに、こういう損失状態を乗り越えるつもりでいます。目の前にある結果を信じてはなりません。その過程を信じなさい。我々はある目標に向かって進んでいます。その目標を信じなさい。


伝統の確立

 我々は遂に利益を得るようになるまで、何年も何年も損を続けることができます。しかし他の人達はそれができません。彼らは一年か二年損をしたらやめてしまいます。我々は決して途中でやめません。それが我々の秘訣です。このプロセスがある点まで達すれば、損する代わりに利益を得ることができるようになります。その日が来れば、その日は必ず来るのですが、マグロに関する限り、レバレンド・ムーンは「王の王です」という絶対的確信を人々は持つようになります。

 我々は自分達が伝統を重んじる人間だということを知っています。我々の伝統はいつでも、まず確固たる基盤を造ることなのです。確固たる基盤無しには、どういう教会もビジネスも家庭も人間も成功することはできません。我々はこのことを知っています。今、彼らにはそれが分かりつつあるのですが、まだ我々が希望するほどではありません。しかし二、三年経てば、彼らにも先生のやっていることがはっきり分かるようになります。水産業が毎年上がったり下がったりするのではなく、毎年上昇の一途をたどるような伝統を先生が築き上げつつあるのだということを彼らは知るようになるでしょう。この努力が単に我々の利益のためだけにあるのではないことを、彼らははっきりと理解するようになります。

 アメリカのフロンティアは一つだけ残されています。それが水産業です。水産業は莫大な可能性を秘めています。世界の主要漁場の七〇パーセントまでがアメリカにあるということを誰もが知っています。残りの三〇パーセントはノルウェー、日本、その他の海洋諸国が共有しています。皆さんは全世界の漁獲高の七〇パーセントがどの位であるかを心に描くことができるかもしれませんが、漁獲高の重さと大きさをもとに考えれば、それが想像を絶する驚異的なものであることが分かります。海の七〇パーセントがアメリカに属していますが、海全体の大きさは、今我々が住んでいる陸地の二倍以上の面積があります。海は地球の三分の二を占め、陸地は地表の三分の一しか占めていません。我々が今まで陸上で得ることができた量を遥かにしのぐ蛋白質を、我々は海産物から得ることができます。もし賢明な捕り方をすれば、魚は毎年いつもそこにいることになります。地球上から石油のようなものを採掘する場合、取り尽くせば後には何も残りません。一方、魚の捕獲を意識的に行えば、水産業はとどまることなくずっと継続することができます。

 平均的なアメリカ人はこういうことに心を配るでしょうか。たいして心を配りません。彼らはこういうことに頭を使わないし、それが未来に対してどういう意味を持っているのかということも考えません。レバレンド・ムーンの次の世代は漁師になるのだと考えるアメリカ人は一人もいないでしょう。しかし皆さんはそうなるし、皆さんの次の世代、そのまた次の世代もやはり漁師になるでしょう。我々は世代から世代とますます優れた漁師になっていくことでしょう。ではなぜ我々はそういうことをやりたいのですか。人類のためになるからです。

 アメリカ人達はそのように考えていません。彼らは「私はこういう厳しい生活を送るけれども、私の子供達には敢えてこういう犠牲になる生活を送ってほしくない」と考えています。ある人々は、子供達が海に出ていくのを止めてすらいます。なぜでしょう。それは厳しい生活だし、収入も大したことがないからです。反対に、先生はこの同じ漁師達をどうやって育てるかについて考えています。結局、我々は彼らが今までの生活でやってきたのと同じことをやろうとしています。我々は彼らを受け入れ、彼らの面倒を見ます。我々は我々の成長速度と同じ速度でもって、彼らを引っ張っていくつもりです。

 水産業は現在も極めて重要な産業ですが、将来はなおさらそうなっていくでしょう。たとえ、我々の教会のメンバー達が他に何かやることを見つけ他の場所に行かなければならなかったとしても、我々はアメリカの漁師達が我々から確固たる基盤を造る伝統と精神を受け継ぐのを見届けなければなりません。そして、我々がしばらくの間ここを留守にしても、彼らをこのビジョン実現のために励まさなければなりません。

 今漁をやっている人々は、陸の上でやる仕事から得られる収入より五〇パーセント多い収入が得られない限り、自分達の仕事に満足することができません。この中には、船を使って海岸で働く仕事とか波止場で働く仕事も含まれています。なぜでしょうか。陸の上では、たとえ雨でもまた天候が思わしくなくても、自分のやることに計画を立てることができるのです。しかし、海の上ではそういう計画は立てられません。皆さんの方に働く準備ができていても、漁に行けない日もあります。天候が理由でそうなります。だから彼らはいつでも安定した収入に頼るというわけにはいきません。つまり長い目で見て、同じ額の収入を得るためには、陸の上で同じ時間を働いた場合に得られる収入よりも、少なくとも五〇パーセント多い収入を得なければならないことになります。悪天候を理由に失う日数を考慮に入れておかなければなりません。

 しかし実際にはどうかと言うと、最近漁師達は他の人達が陸の上で注ぐのと同じ労力を投入しているけれども、収入が五〇パーセント少ないことが多いのです。時には多いこともありますが、普通は少ないのです。その結果どうなるかと言うと、大抵のアメリカ人漁師は、少しでも漁よりましな仕事が丘の上に見つかればすぐにそれに飛びつき、結局は陸の上で働く方を選ぶようになります。だから、この水産業を維持していくことのできる人は誰であろうと、幾つかの重要な分野の管理をうまく行わなければなりません。

 まず、労働時間をどのように維持するかです。我々は普通の人より早く起き、できるだけ長く海上にいなければなりません。他の人達が一日しか働かなくても、我々は経験不足を補うために二日間働かなければなりません。二番目には技術です。我々は長時間労働をしているのだから、それを補うために、魚を運び入れるためのより優れた方法、より速い方法を見つけなければなりません。研究、調査、実験をしなければなりません。また新しい漁の仕方を確立しなければならないし、漁に関する幾つかの点を真剣に研究しなければなりません。そして餌、ライン、ラインの使い方、そしていろいろな海における船の使い方について研究しなければなりません。これらのことが全部研究され、そして実行に移されなければなりません。我々はこれらのことを真剣に考慮し、各分野について徹底的に計画を練らなければなりません。


マグロ釣りの技術

 マグロ船団に初めて加わった者達、手を挙げて。これが皆さんにとって初めてのシーズンなのです。皆さんの方が経験あるメンバー達の数より多いほどです。マグロが釣れるという期待を皆さんは持っていますか。自動的に、このように釣れると思っているのですか。先生はそう思いません。もし皆さん自身のやり方に任せておくならば、もし先生が面倒を見ないでただ皆さんを出港させマグロを釣らせるならば、皆さんは自分でできると思っているかもしれないけれども、実際にはそう物事は運びません。もし先生が皆さんに何も指示を与えず、一つ一つの細かい点を説明せず皆さんにすべてを任せておけば、皆さんは一本のマグロも捕ることができなかったでしょう。先生にはそれが分かります。皆さんにもそれが分かるし、経験ある漁師達なら誰でもそれと同じことを言うでしょう。

 それについて考えてみましょう。マグロ釣りで最も重要なものの第一は船です。ニュー・ホープ号はその一例であって、マグロを捕るには大き過ぎます。先生はそのために数度マグロに逃げられました。餌に食い付いた時、マグロが次にどの方向に行くか誰にも分かりません。ある方向に向かっていたマグロが急に向きを変え、別の方向へ行きます。方向チェンジをしてマグロの後についていく船としては、ニュー・ホープ号は大き過ぎます。速度も足りません。

 ニュー・ホープ号の後尾には二つのスクリューがついています。マグロが戻ってきて船の下を通る時、スクリューでラインを切ってしまうことがしばしばあります。マグロは逃げようとして気が狂ったようになります。ニュー・ホープ号は動き回り、それについていこうとするのですが、船が大きいので、それをするには時間がかかりラインがもつれます。またマグロについていこうとする時は、スクリューも回っています。だからラインがそれにちょっと触れるだけで切れてしまい、マグロは逃げてしまいます。

 先生は、何年もの間そのことを考え、「百パーセント、マグロを捕ることができるようにするには、この船をどう改善したら良いだろうか」と自問し続けてきました。その結果がワン・ホープ号のデザインとなったのですから、それは極めて重要な疑問だったのです。皆さんにもそれが分かるはずです。皆さんは既にワン・ホープ号の能力を試しています。この船はマグロを追いかけながら急旋回できるし、実際のマグロの大きさとあまり変わりません。他のたくさんの船の間を容易に通過し、動き回りながらマグロと闘うことができます。ニュー・ホープ号はそういうことができません。皆さんも既に経験したように、皆さんの船と他の船の間でラインが絡み合った場合、その取り扱い方が他の船より極めて容易です。

 以前は、そういう時には必ずラインを切らなければなりませんでしたが、そういうことをすればマグロ釣りはとても高価なものになります。すべてのラインを切れば千ドル近くになります。自分達のためでなく、他の漁師達のためにもそういう損失は防ぎたいと先生は思ったのです。彼らだって自分の道具を失えるような余裕はありません。先生の第一の関心は、マグロが食い付いてきた後、ラインを切らなくても済むようにするためにはどうしたら良いのだろうかということでした。こういう問題があったので、皆さんはニュー・ホープ号では働けませんでした。もし皆さんがバウ(船の前端に近い部分)の一方にいて、マグロが船の下を潜って反対側に向かった場合、ラインをそれに合わせて移動させるのは非常に難しいのです。それがもつれている時は特にそうです。そして、マグロ釣りは高くつき過ぎることになります。

 船の設計、デザインをする前に、皆さんはこういうことを全部考慮しなくてはなりません。またどういう種類の魚を捕りたいのか、どういう種類の船を設計するのかということは合わせて考えなければなりません。最初、我々はこのラインの問題が心配でした。それでこの問題を念頭において、船を設計しなければなりませんでした。先生の最初の考えは、もつれるのをどうやって防ぐか、あるいは避けることができるかということでした。その次にもつれた後、どうやって速かにそれをほぐすことができるかということを考えました。皆さんがしなければならないことは、マグロが食い付いた時、そのラインをまだ水につかっている他のラインから離しておくこと、そしてそれを確認することです。そうしておけば、他のラインを引き上げることをそれほど心配しなくてもすみます。最初の人がバウの所でマグロのかかったラインを繰り、その間にもう一人が他のラインを引き上げることができます。なぜこれがそれほど重要なのですか。大抵の人はこのもつれの問題を解決できなかったので、我々が漁を始める以前は一本か二本のラインしか使っていませんでした。

 先生は五本、六本、七本さらに十一本までのラインを使いたいと思いました。魚を捕れるチャンスがそれだけ大きくなるからです。我々はこの問題を解決したので、それだけ多くのラインを使って漁をすることに先生は自信を持っています。

 海の深さと海流に応じてラインの間隔を一定に保つというのは専門家の技術なのですが、我々はそういうものも開発しました。さらに、我々が今使っているラインは完璧な作りになっています。ラインは切れないし、フックも延びたりしません。こういうこともすべて我々が開発しました。皆さんはラインを見て不思議に思ったかもしれません。なぜそのように作られているのか、不思議に思ったかもしれません。その理由は速かにラインをほどくことができるようになっているのです。ほどくことができれば、ラインが切れたり、それを失ったりすることを防ぐことができます。

 ラインは手入れを良くすれば、十年から二十年は持ちます。こういうものにはすべてこつがあることを皆さんは知っていなければなりません。そして皆さんはそのことを開発すべきです。今年が皆さんのマグロ漁の最初の年です。船に乗った時、なぜ船の中のものがそのようになっているのか、皆さんにはすべてが分かっていたわけではありません。しかし皆さんはそういう方法で釣りをしながら、次第にそのやり方を学んでいきました。そして今、皆さんは七年間の経験を獲得したことになります。つまり今皆さんは、いわば一シーズンを終えて、漁生活七年目に入ったということになります。

 今、先生は皆さんに船の大きさとマグロ用ラインの技術について、先生がどう考えてきたのかを説明しましたが、三番目として、先生はアンカー・ラインについて考えました。もし水の中にいるマグロの立場に自らを置いて考えるならば、皆さんにも多くのことが分かってきます。あらゆる種類のラインが垂れ下がっているし、また数多くのアンカー・ラインもあります。マグロはラインに掛かったならば、アンカー・ラインの方に突進し、アンカー・ラインの回りにラインを巻き付けてフックから逃れようとするでしょう。

 最大の問題は、マグロのすぐ近くにある皆さんのアンカー・ラインです。いったんマグロが食い付いてきたならば、どういうことがあっても、皆さんはラインを離すわけにはいきません。マグロはいったん逃げてから急旋回して、アンカー・ラインに突進してくることがよくあります。アンカー・ラインがまだ船につながっている間にマグロが戻ってきたならば、ラインは切られてしまいます。我々はこれを経験によって知ったのですが、そういうことが起こったら、皆さんはラインを少し弛めなければなりません。しかしそうすればマグロを逃がす危険性が大きいのです。しかしアンカーが既に皆さんの船から離されていれば、マグロはただラインの周りにアンカー・ラインを巻き付けるだけですみます。皆さんはブイの所へ行ってアンカー・ラインをほどかなければなりませんが、船につながっている時ほどにはピンと張っていないので、ラインが切れるようなことはありません。

 アンカー・ラインをほどくことは、マグロとの闘いで皆さんがしなければならない最も重要な作業の一つです。いったんアンカー・ラインを外したら、魚を捕えるチャンスははるかに大きいものとなります。皆さんと魚の一対一の闘いです。皆さんはいつも、マグロのかかったラインをピンと張っておかなければなりません。いったん弛めると、簡単に魚を逃がしてしまいます。マグロが海面に姿を現すかもしれません。マグロが食い付いたからには、皆さんはそれを引き続けなればなりません。マグロはその反対方向に逃げようとします。しかし、いつもそのようになるとは限りません。時にはマグロは皆さんの方向に戻ってきてから急にグィッと引き、口からフックを外そうとします。

 マグロと格闘する時にはいつでも、その口からフックが外れないようにすることを念頭に置かなければなりません。ニュー・ホープ号は今年の夏、六本逃がしましたけれども、そのうち三本がそのように逃げました。マグロがラインの張力から逃れることができ、フックを口から外すことができたからです。皆さんの船をブイ・ラインから離すことができさえすれば、皆さんがその魚を釣り揚げる可能性は九〇パーセントになります。皆さんは船の上にいるのですが、それでも水の中にいるマグロの姿を心に思い描き、どのように行動するか分析しなければなりません。先生はマグロ釣りをどう解釈すべきかということだけでなく、その技術についても、すべて皆さんに教えようとしているのです。調度、皆さんはもう一度学校に戻ったようなものです。学んでいる間は、その瞬間は皆さんには理解できなくとも、後になって「ああ、先生が言わんとされたのは、こういうことだったのか」と思うようになります。皆さんはこの夏の終わりまでに、先生が教えようとしていることを理解することができなければなりせん。

 考慮すべき最後の点はもり打ちです。皆さんも知っているように、魚を確実に船の上に釣り揚げる目的でもりを打ちます。魚にもりをうまく打ち込むことができたならば、次に皆さんのやることは、その魚をできるだけ早急に船の近くまで持ってくることです。マグロは疲れかかっているし、皆さんも引き続けているので、この最後の瞬間にマグロは船の近くの海面上に浮かび上がってきます。それからマグロはそこで行われていることをちらっと一瞥(べつ)します。そして人々や船、またあらゆるものを見ます。マグロにとっては全く不思議な光景です。こういうことがあると、マグロは最後にもう一度強く動いて海の底へ潜っていきます。皆さんはこういう予想しておかなければなりません。その場合は引くのではなくて、マグロが必要とするだけのラインを与えてやります。しかし弛めてはなりません。これはマグロにとって生き残るための最後のチャンスなのです。それから船の所まで引っ張ります。その時、マグロはよく一度海の底に真っすぐに潜っていきます。こういう事が一度ならず二度三度、あるいはそれ以上起こるかもしれません。しかし日本のメンバー達にはこれが理解できませんでした。 いったんマグロにもりを打ち込んで船の近くまで引いてきた以上、また海の中へ離すということは不名誉なことだと彼らは考えていました。しかし、本当はそうすべきではありませんでした。皆さんはその魚を上手に取り扱い、次に何をしようと考えているのか予想しなければなりません。これをしなければ、皆さんはもっと魚を逃がすということになります。魚を逃がすということは、何千ドルかを失うということを意味しています。あるいはさらにひどくなって、魚の命も同様に失うことを意味するのかもしれません。


マグロ釣りは訓練である

 ある人達にとっては一本のマグロは一カ月分の給料よりも多いのです。皆さんはこのことをもっと真剣に考えなければなりません。もし皆さんが五千ドルの現金をポケットの中に持っていたとしても、それを海の中に落としたならば、皆さんはどんなに悲しむでしょうか。そのことを考えるべきです。マグロの場合には、皆さんはお金だけでなく、マグロの命すら失うかもしれないのだからさらにもっと深刻です。我々は他の誰よりも真剣なんですが、そういう真剣さは本当に重要です。もし我々が真剣さや尊敬の念を失えば、マグロに逃げられてしまいます。マグロ釣りは、魚釣りの技術の中でも最高の技術を必要とします。もちろん皆さんは、漁についての知識をほとんど持たずに始めたのですから、こういうことを全く知らなかったかもしれません。しかし先生がそれらを説明した現在、皆さんもそれについて考えてみなければなりません。これらの技術は皆さんがどこへ行こうとも、漁をしていようと水産業に携わっていようと、その他の仕事についていようとも、いつも皆さんと共にあります。それは皆さんが心の姿勢について学んでいるからなのです。

 将来皆さんが何をしようとも、どういう問題を抱えることになろうとも、皆さんはここで学んだ教訓と関連づけるので必ずそれを解決することができます。また他のどんな漁についても、皆さんはこれを適用することができます。分かりますか。少々抽象的すぎるかもしれませんが、水産業の中で他のどういう分野にも適用することのできる思考方法を皆さんは学んでいるということです。実際、どういう種類の活動にもそれを適用できます。

 皆さんも既に経験したかもしれないけれど、こういう漁のやり方には速やかな決断が要求されます。数分間の猶予も与えられません。時にはその瞬間に決断しなければならないこともあります。一人の人間の命が皆さんの決断にかかっているかもしれません。間違った動きをすれば、何かとても危険なことが起こるかもしれません。我々はいつも真剣に考えなければなりません。浮わついた考えをしてはなりません。これは将来起こるかもしれない命の危険について言っているのです。いついかなる時も、何か緊急事態の起こる可能性があります。皆さんは自分の命について、こういう考え方をしておかなければなりません。実際、一瞬一瞬が真剣です。

 さらに、皆さんは一体化についても素晴らしい教訓を学びました。船の上にいるすべての人々が一体化し、船全体が調和を持って働いていれば、誰もけがをしないし、フックからマグロが逃げることもありません。マグロが食い付き、そして引っ張ります。そして皆さんも引っ張ります。その時皆さんは十のこと、あるいはそれ以上のことを考えています。皆さんは引っ張っている時「次はこうだ、その次はこうだ」と先のことに素早く思いを巡らせなければなりません。

 皆さんの心の中ではすべてのことが同時に起きています。次に何をすべきかをはっきりと皆さんは知っていなければなりません。例えば、ジンソン(珍成)のフックにマグロが掛かりました。彼らは引っ張り始めましたが、彼の頭の中にあるのはそれだけでした。マグロが海面に姿を現したけれども、誰も他にどうやったら良いのか知っている者はいませんでした。彼らはただその周りに立っているだけで、ラインが至る所に垂れ下がっていました。皆さんは自分がそういう立場にいたらどうすべきかを決定しなければなりません。

 すべてのことに絶えず思いを巡らし、今やっていることに意識を集中しなければなりません。皆さんが何をやるにしても、なぜそうするのか、いつも知っている必要があるし、次に何をすべきかについても絶えず考えていなければなりません。そして、これらのことが全部同時になされなければなりません。先生はこれらの技術について長い間とても真剣に考えたのですから、皆さんにもそれを習得してもらいたいと思っています。重要なことです。一瞬たりともおろそかにしてはなりません。そうしないと、皆さんは機会を逃がすことになるかもしれません。それを皆さんに知ってもらいたいのです。


若者と将来に投資する

 なぜ我々はマグロ釣りをしているのですか。他にもヒラメやサケなど、漁に適したいろいろな種類の魚がいます。いつの日か皆さんはそういった魚を全部捕るつもりでいるのですが、先生はまず若者達の創造力をいかに捕えることができるかを考えています。若者が少なくとも三本のマグロを捕ったら、残りの人生はそれに釘付けになるでしょう。夏がやってくるごとに、その人は漁に行きたいと思うようになります。彼らは「陸の上はとても暑くて蒸し蒸しするけれども、海の上はとても静かで美しく、時には冒険的だ」と考えています。その若者はどうしてもそれに引き付けられてしまいます。

 ムーニー達は基本的にはこの世の人達と同じなのです。少しはましかもしれないけれども、基本的には同じです。いずれにせよ、我々の人生には時々刺激が必要です。そう思いませんか。我々はマグロ釣りをすることによって、今までずっとお金を失っていますが、先生は決してそれを心配していません。先生は決してラインを離さないし、この自分の信念も絶対に放棄したりはしません。マグロはこの伝統を確立する上で最も優れた種類の魚だということを先生は知っています。一人の人間を、急激に一夜のうちに、また一年間で変えてしまうようなものは何もありません。ここの平均的なアメリカ人の若者が、それを心に留め応用することができるようになるには、少なくとも十年かかるということを先生は知っています。特に海に関してはそうです。海を愛するには一年、二年、あるいは三年かかります。長い年月が経った後、皆さんは「そうだ、これが私の未来だ」と言えるようになります。

 いったんマグロ釣りの方法が分かるようになったら、何ものもその興奮を抑えることはできません。このことを知っている人がマグロ釣りについて話し始めたら、彼は穏やかに話すことができず興奮してきます。そしてマグロがラインに掛かってきた瞬間を再現し、格闘のあらましを詳細に説明しないわけにはいかなくなります。皆さんは笑っているけれども、それは皆さんがそういうことについて既に知っているからなんです。これはマグロを釣ったことのない人々にも良い影響を与えます。マグロがアンカー・ラインの所にきてラインを切った瞬間、その時ちょうど皆さんがそのラインを力いっぱい引っ張っていた時だったというようなことが時々起こります。その時皆さんは船の上にひっくり返って、体をしこたま打ちます。こういうことは、本当に人生を満ち足りたものにする経験です。我々はたくさんのお金を失っても、それを心配したりはしません。

 我々は一年とか二年だけ漁をするのではありません。我々は未来を、これが広がり始め、さらに多くの人々が参与するようになる十年後よりさらに未来を見つめています。それからアメリカの若者達の目が海の方に向き始めるようになります。先生はそのように確信しています。それを確実なものにするために、我々は少なくとも十年間費やして基盤を築かなければなりません。我々がそうすれば、人々は我々の運動にきやすくなるし、我々の経験から利益を得ることもできます。我々も自分自身の運動の中でいろいろ学ばなければなりません。先生はまず自分で漁を始め六、七年それを続けた後、オーシャン・チャーチを始めました。最初オーシャン・チャーチの指導者達はほとんど何も理解できませんでしたが、今では彼らのうち何人かは理解できるようになりました。彼らはある程度成熟してきたのです。そう思いませんか。だから今こそ、我々がより多くのお金と努力の投入を開始することのできる時なのです。

 先生はいつも皆さんより先を歩いています。将来何をすべきかについて皆さんが何も考えていない時、先生は海に出てマグロの釣り方を学んでいました。今皆さんはマグロ釣りをやっており、先生は既にアラスカにいます。アラスカは特別な場所です。そこには夜がありません。だから皆さんは文字通り夜を徹して働くことができます。その間ずっと釣りをしています。アラスカではオヒョウが釣れます。その重さは百五十ポンドぐらいですが、オヒョウは平べったいのでマグロほどの大きさがあります。マグロはフックに掛かったら、ただ真っすぐに引っ張るだけですが、オヒョウは突然ぐいと引きます。皆さんが本当に釣りが好きならば、一度アラスカに来ただけで、皆さんは「プロビンス・タウンは忘れてしまえ、グロースターは忘れてしまえ」と言うようになるでしょう。

 そこにはいろいろなものがあります。例えば、タラの群れは海をさまざまな色で彩ります。彼らはまるで一匹の大きな魚のようになって移動します。十分大きな網があったとしたら、何百ポンドという魚が捕れることでしょう。皆さんはそれを捕る方法を見いだし、そして全世界に配らなければなりません。そこから皆さんはアメリカの水産業のための新しい伝統を築くことができます。なぜ我々がマグロ釣りをするのか、その理由を皆さんは少しは理解できるようになりましたか。マグロは最初に捕る魚として最適なのです。マグロ釣りの技術を徹底的に学習しさえすれば、他のどういう種類の魚に対しても確信を持って当たることができます。確信を持って釣りをすれば、皆さんは水産業全体を復活させることができるし、またそうすることによって、アメリカを復活させることになります。それが先生の皆さんへの希望なのです。

8. 新たに始めましょう 

1984年 2月 8日 ワールド・ミッション・センター

 先生はオーシャン・チャーチから非常に多くのことを期待していましたが、それらの期待は幾分裏切られてきました。きょう新たに出発し、新しく始めましょう。皆さんはオーシャン・チャーチの基盤を造るということが、この国にとっていかに重大か、理解できずにいます。オーシャン・チャーチがアメリカにとって、いかにすばらしいものであるかを皆さんは知らないでいます。皆さんは海洋摂理における重要な一部分なのです。先生はこのアメリカにおいて造るべき基盤について、何よりも多くいつも考えています。そして、このことを考えることに、自分の時間の大部分を費やしてきました。先生は、われわれがどこから出発して行くべきかを考えてきました。この国ではあまりにも多くのものが無駄になっています。先生はまず、われわれがアメリカでスクラップの金属やひどくさび付いた部品を集めて、それを再生処理すべきだと考えました。われわれはこういったものを回収して、それらを良い目的のために使えるようにしなければなりません。それからまた、非常に多くの紙が使われては捨てられています。そういうものもまた、再生処理することができます。この国ではだれかがそういうことをしなければなりません。しかし、現在のところ、われわれがそのようなプログラムを設立することは非常に難しいでしょう。

 皆さんはどのような生活をしたいと思いますか。今日の世界では、多くの人々は生計を立てるのに安易な方法を探しています。彼らの中には、一晩で財産を作りたいと思っている者もいます。従って、毎日毎日出かけて行って、困難な環境の中で一生懸命働くことは、彼らにとって負担が大き過ぎます。先生はこのことを考えた時に、皆さんの性格をより良く訓練するのみでなく、より良い生活を与えてくれるような場所はないかと探しました。そういう意味において、海における生活こそがわれわれにとってより良い生活の方法です。

 先生は、海に関係がある都市について研究し、アメリカを助ける最も良い方法は、これらの都市を助けることであると悟りました。非常に多くのものがこれらの都市を通して入ってきて、そしてそこから国の中に入っていきます。もしわれわれがこれらの都市を開発し、その都市を奇麗にするならば、この国の次の世紀のための方向性を定めることができるでしょう。この点において沿岸警備隊は非常に重要です。彼らは麻薬の流入から国を守ろうとしています。しかしマフィアは、コカインその他の麻薬を何千ポンドとこの国に密輸しています。もしわれわれが海の生活に入ろうとするならば、この沿岸警備隊に協力して彼らの仕事を助けなければなりません。そのようにしてこの国がその麻薬問題を解決するのを助けると同時に、またアメリカの漁業を助けることすらできるのです。これらの都市が、マフィアの支配の下におさえられるかもしれないという危険性があります。先生がアメリカに来るずっと前に、韓国で先生は海の可能性をいろいろと探求しました。そしてアメリカでは、一九七四年以来、海に対する摂理のための基台を打ち立てようとして来ました。皆さんはどれくらいの間、海にいますか。皆さんの中には一九八〇年から始めた者もいるでしょうし、あるいは八一年から始めた者もいるでしょう。八〇年に皆さんは海に面した多くの都市へ出かけて行って、復興会を通して、それらの都市を復興するようにという指示を与えられました。皆さんはそれらの都市の市長とか、あるいは沿岸警備隊の指導者といった、主要な指導者を招待すべきでした。

 先生はワン・ホープ号を設計しました。その船は強くて高速で走る船です。若者たちは大いにこの船に引き付けられるだろうということを先生は分かっています。この船はそういった若者を念頭において設計されています。先生は若者がこの船を用いて、皆さんとともに仕事をしてくれることを望んでいました。海の都市では若者たちには希望がありません。彼らは何もすることがなくただ街頭でぶらぶらしているだけです。彼らは麻薬によって侵されるままになっています。彼らは魚釣りに出かけるにしても、魚釣りの装備がなく、魚を捕まえたとしてもどうしたら良いか分からずにいます。そして彼らは自分自身に対する誇りも、自尊心を得る方法も、何も持っていません。

 その船はどこにありますか。今なお倉庫に眠ったままです。各海洋都市毎に、少なくとも十隻の船がなければなりません。もし皆さんが、船一隻につき五人の人々でその船とともに学び、船の面倒を見るようにすることができるならば、もっと大きな大洋を走る船を用いることができるようになります。そして五十人の人々の中から、皆さんは船長や乗組員を訓練することができます。もし皆さんが先生の指示通りに海洋都市へ行って、計画通りにしていたなら、今までに強固な基盤を打ち立てることができたでしょう。そして今までに信じられないくらいの勝利を既に経験していたことでしょう。しかしながら、皆さんが何かを達成する前に、まずいかにして霊的基台を達成するかを考えなければなりません。

 先生はまず霊的基盤のことを強調しました。皆さんはまず都市の指導者と一体化し、それから若者を抱きかかえるようにしなければなりません。このように公式に従いさえすれば、成功したでしょう。どのようなことであれ、どんなに難しくても、皆さんはこの町の、この地方の指導者の人たちと友情と信頼を勝ち得るようにしてほしいのです。牧師やあるいは町の指導者たちは非常に重要です。今でさえ、皆さんはこの原理的な道を通過して行かなければなりません。

 地方の若者なくしては皆さんは成功しないでしょう。皆さんは、ただほかのメンバーからの助けを求めるのではいけません。自分自身の心を込めた努力によって、若者から支持を得るようにならなければなりません。皆さんは苦しい戦いを通過しなければなりません。皆さんは正義を代表するためにそこへ行くのです。最初のうち人々は“ムーニー嫌い”という船団を組織するでしょう。しかし皆さんはそういった迫害や人々からの反対が必要です。それは皆さんを清めるための過程であり、それを通して、皆さんが支持を獲得する方法でもあるのです。皆さんが正しいことのために立ち上がっているがゆえに、沿岸警備隊や市長たちが皆さんを支援に来るでしょう。皆さんの船を用いて、麻薬のパトロールを助けるようにしなさい。これは非常に高価な船であり、そのようなすばらしい船が彼らの仕事を助けるのに使われることを知って、沿岸警備隊の人たちは驚くでしょう。皆さんが人々にその船を使わせてあげ、彼らに皆さんの理想を分かち合うようにするならば、皆さんは彼らの尊敬を勝ち得るでしょう。皆さんに対する迫害は、町のことを心配している善良な人々を皆さんに注目させるでしょう。

 先生はそのような完全な基盤を築くために、三年もあれば十分であると信じていました。三年経った後には、皆さんはもっと大きな船を持つことができるだろうと期待していました。そして皆さんのそれぞれの地方の人たちが、先を競ってトロール船の操作方法を、皆さんに学びに来るようになることを期待していました。そうすればどうなっていたでしょうか。そうすれば、皆さんはそのプログラムに対する援助を、政府から得ることができたことでしょう。そして皆さんはその町や沿岸の地域のために船団を作ることもできたでしょう。理論的には五十人の船長たちを訓練することができたことでしょう。そしてその沿岸の地域が全く新しい漁船団を創設することができたことでしょう。

 市長や沿岸警備隊が皆さんを推薦し、そして政府はそれらの人たちの推薦に基づいて、皆さんを援助したことでしょう。皆さんの目的はこのアメリカにおいて漁業を助けることでなければなりません。このアメリカの魚業を行う人たちの目的は、皆さんなくしては達成できないのです。このような関係を築くことが極めて大切です。沿岸警備隊や地方の指導者たちの援助を受けることによって、海洋の摂理が成功し、アメリカにおいて強力な仕事となることは疑いありません。ところが、皆さんの誰一人としてこのような先生の期待に応えた人はいませんでした。皆さんの誰一人として市長と仲良くなったり、沿岸警備隊と関係を結んだ人はいません。一人もいません。

 一九八〇年に始めた人は手を挙げなさい。皆さんはこれだけのことをしましたか。皆さんのだれかが少なくとも一人の市長、あるいは沿岸警備隊の一人の係官と関係を結んだ人はいますか。だれもいませんか。それでは皆さんは、これまでの時間をすべて無駄にしてしまったわけです。これは皆さんすべてにとって恥ずべきことです。だからわれわれはもう一度新たに出発し、基盤を再創造するのです。皆さんはまず統一原理を学ばなければなりません。皆さんが統一原理を教えることができなければ、霊的な基盤を達成する方法がありません。皆さんが皆さんの理想や理念を教えることができなければ、成功を勝ち得る方法がありません。

 皆さんは皆さんの町にとって魅力的な人とならなければなりません。そして何か与えることができなければなりません。ムーニーたちが町に来れば、町の人はいつも皆さんを見つめ、何をするのかと恐れているでしょう。皆さんが出かけていって、その地方を発展させていくならば、町の人々はそのような恩恵が来ることが分かるようになるでしょう。そうすれば、彼らは皆さんに反対しなくなるでしょう。皆さんは自分の戦いを組織しなければなりません。なぜならば皆さんは、あらゆる点で彼らの前で証詞をしなければならないからです。人々は皆さんを自動的に信じることはないでしょう。皆さんは規律正しく組織化されなければなりません。皆さんはチームワークを重んじる人でなければなりません。それには疑いがあってはなりません。もし皆さんがほかの人を訓練しようとするなら、自分自身を訓練しなければなりません。これがオーシャン・チャーチの路程です。
 時として、海に行く人たちはだらしのないことがあります。われわれはあらゆる詳細な点まで絶対的に念を入れなければなりません。皆さんは自分の心に規律を与えることなくして、海を首尾よく勝ち得ることはできません。皆さんは海における仕事に対して、科学的で組織化された取り組みをしなければなりません。

 皆さんは、皆さんの船を絶えず手入れしなければなりません。皆さんの船はいつも最高の状態に管理し、一点の傷もないものでなければなりません。さもなければ、皆さんは危険な立場に陥ることになるでしょう。皆さんの公的な使命は非常に困難なものです。しかし、もし皆さんがそれを達成しようとするなら、アメリカにおけるほかの指導者と比較することはできません。だから先生は、海洋をアメリカにおけるわれわれの仕事の基盤として選んだのです。またそれゆえ、先生はこの基盤を築くために神学校卒業生を選んだのです。

 しかし皆さんは、厳密に先生の指示に従わなければなりません。皆さんの心霊状態がすべてを決定するでしょう。皆さんは常に祈らなければなりません。特に、海に出る時は祈らなければなりません。そうすれば、皆さんは危険から守られ、導かれるでしょう。心を用い、信仰を発展させるようにしなさい。オーシャン・チャーチのメンバーは、時として非常にずさんなことがあります。彼らは例えば「なぜわれわれにはイエスが必要なのか」というようなことを言います。それは奇妙な考え方です。もしイエス様が必要でないとすれば、われわれにはモーゼ、アブラハム、アダムも必要でなくなります。もし第一のアダムが必要でないとすれば、第二のアダムも必要でなくなります。そのようにして最後には「われわれにはお父様も必要ない」と考えるようになります。これが皆さんの結論となります。われわれがしていることは、イエス様もしたいと願ったことなのです。われわれは霊界におけるイエス様を解放するために働いているのです。イエス様は霊界において、人類を解放するために働いておられます。そしてそれがわれわれの仕事でもあるのです。もしわれわれがイエス様と霊界を解放することができなければ、地上に天国をもたらすことはできません。

 皆さんは正しい心の状態を保たなければなりません。もし皆さんの心が霊的に一つにならなければ、被造物のひとつであり、また感受性を持っているような魚は、皆さんのそばには来ないでしょう。皆さんが霊的な基盤をもって町の指導者たちと交わることができなければ、決してオーシャン・チャーチの勝利を得ることはできないでしょう。皆さんはあるゆる段階の人たちの所へ行って、その人たちを皆さんの下に勝ち得るようにしなければなりません。皆さんの町において、皆さんはあらゆる種類の、例えば非常に荒っぽい人たちにも出会うかもしれません。それらの人たちの中には、自分自身の親さえも投げ出してしまうような人たちさえもいるでしょうが、皆さんはそれらの人たちをも勝ち得なければなりません。皆さんはそれらの人たちに対して、皆さんが本当に彼らのことを思っているんだということを確信させなければなりません。それらの人たちがそういったことを認識するようになれば、町の中で皆さんとともに仕事をしたいと願う人たちを見つけることができるでしょう。もし皆さんの心が霊的に正されていれば、皆さんが正しい態度を持っているがゆえに、それらの人たちが皆さんを助けるようになるでしょう。彼らは皆さんの方に引き付けられるでしょう。そして皆さんが礼儀正しく、正直で、献身的な人たちであるという評判を得るにつれて、町の指導者たちも若者を皆さんの所へ来させ、そしてその若者たちが皆さんと仕事をするのを見守るようになるでしょう。そうすれば、彼らが皆さんのことを証すようになります。皆さんはこういう路程を通って行かなければなりません。皆さんはその本当に荒っぽい人たちに対して、皆さんとともに出かけ、またその自分の息子を連れて来るようにと頼むこともできます。そして、その人たちの息子を非常に心を尽くして取り扱えば、その荒っぽい人たちも感動するでしょう。いかなる都市においても、若者の問題について悩んでいる親たちがいるのです。オーシャン・チャーチのメンバーたちはこれらの難しい若者たちを助けてあげるのです。そして彼らの言葉に耳を傾けるカウンセラーとなることができるのです。そして皆さんの船でこれらの若者たちを訓練することができます。そうすれば、その若者の親達、町の市長や指導者たちも皆さんの側に来るようになるでしょう。皆さんに反対したり、否定的な人たちは、皆さんを歓迎するように皆さんが心を変えてあげなければいけない人々です。

 皆さんはこれらの否定的な人たちをつかんで、彼らの心を勝ち得るようにしなければなりません。もし皆さんがそうすることができるならば、皆さんは非常に早く成功するでしょう。先生の言っていることが分かりますか。この麻薬に溺れてしまっている若者たちとともに働くようにしなさい。ほかのだれもそのような若者たちを助けることはできませんでした。しかし皆さんは彼らを助けることができます。

 先生は、オーシャン・チャーチはIOWC(国際機動隊)や州の教会以上に成功すると信じます。なぜならば、皆さんが船を用いてする仕事は、非常に早く町から認められるようになるからです。いつの日か、皆さんが皆さんの町の市長にさえなるかもしれません。人々は皆さんがその町を奇麗にするために成した貢献に基づいて、皆さんを市長に選ぶでしょう。また皆さんの中には、下院議員や上院議員といった国会議員になる人さえも出てくるかもしれません。

 船を十分に手入れしなさい。そして出かけて行って、魚を捕まえなさい。また船を伝道のプログラムのために用いたり、町の若者たちを訓練するために用いなさい。皆さんが必要なものはすべて、船によって与えられます。皆さんはこれまで何年間、時間を無駄にして来たのですか。さあ、今から私たちはそれをするのです。地方の教会にいるほかのメンバーたちに仕事をさせるようなことをしてはいけません。そうでなく、オーシャン・チャーチの指導者である皆さんが、町へ行って、町にいる若者たちから支持を得るようにしなければなりません。それぞれの町を二、三人のメンバーで開拓しなさい。本当はこの目的のために三百隻の船を造るべきでしたが、皆さんはそれを受け入れる準備ができていませんでした。皆さんはそれぞれのセンターで十隻の船も欲しいと思いませんでした。そして先生に対して「お父様、われわれは一隻あれば十分です。これ以上船を送らないでください」と言いました。先生は深く失望しました。

 このような幻滅はどこから来たのでしょうか。皆さんはほかのいかなる教会のプロジェクト以上に希望を持つべきでした。ところが、かえって希望を失ってしまいました。それは皆さんが先生の支持に従わなかったからです。マグロ釣りがオーシャン・チャーチではありません。本当の意味において、そうではありません。それは訓練するのには良い方法ですが、マグロ釣りは単なる始まりに過ぎません。皆さんはそれぞれの町において、地方の漁業をする人の尊敬を勝ち得なければなりません。そうしてから、皆さんのオーシャン・チャーチを始めることができるのです。皆さんが若者たちを訓練して一隻の大きなトロール船に責任を持てるようになった時、その時が本当の意味で仕事を始めたということになるのです。将来のオーシャン・チャーチのために、またアメリカのために、いかに成功を勝ち得ることができるか、分かりますか。分かったならば始めなければなりません。今から新しく出発しなければなりません。

 皆さんがオーシャン・チャーチで発展していく間は、日本人から学ばなければなりません。また日本のメンバーは皆さんと協力し、助けなければなりません。また皆さんは彼らを助けなければなりません。皆さんは海に出て行かなければなりません。それが皆さんの役割であり、使命です。もしアメリカのメンバーが失敗するならば、先生は日本人や韓国人、あるいは祝福の子女たちに対してこの使命を達成するように求めなければならないかもしれません。先生は絶対に成功しようと決意しています。過去のことを悔い改め、新しい希望に満ちた出発をするようにしなさい。今こそ、その時です。どうですか、やる気はありますか。もしやるならばここで厳粛な約束をしましょう。この公式路程に従って行って、成功することを決意しましょう。

 皆さんは先生がどこにいるか知らないかもしれませんが、先生はいつか突然皆さんの所へ来て、一緒に海へ行こうと言うかもしれません。その時に備えて、いつでも用意をしていなければなりません。その時のために皆さんの船をいつでも出せる状態にしておきなさい。そういう時が来るでしょう。先生が皆さんの町に行ったら、十分以内にすぐに海に向かって出なければなりません。それだけの時間内にドックを出発できるように用意していなさい。常にそのために皆さんの船を準備しておきなさい。先生が来た時に、先生が皆さんを呼んで「用意はできているか」と言うでしょう。その時皆さんは「はい、お父様行きましょう」と答えなければいけません。

 もしオーシャン・チャーチが、密輸入する船によって麻薬が持ち込まれるのを防ぐならば、沿岸警備隊がわれわれを支持するようになるでしょう。そうすればムーニーたちは麻薬という深刻な問題に直面しているアメリカを助けようとしている人たちであると認められるようになるでしょう。麻薬はこの国の若者をむしばんでいます。麻薬問題を奇麗にすることによって、この国の若者たちが未来を持つようになります。先生は海がアメリカにおいて新しく築かれるべき基盤の手段であると見ています。しかし、オーシャン・チャーチの摂理が本来のペースを守らなかったゆえに、先生は失望しています。皆さんは摂理のスケジュールから遥かに遅れています。

 だから、どうか一生懸命勉強して、きょうからもう一度先生の指示を復習してください。ここからわれわれは前進するのです。われわれが何をするべきかについては、もはや何らの疑いもありません。皆さんはそれをしますか。(はい)「はい」ですか。絶対的に「はい」ですか。(はい)では、その皆さんの決意を失ってはいけません。どうもありがとう。

9. なぜ我々は海の訓練をするのか 

1984年 7月 2日 モーニング・ガーデン


 グッド・ゴーの船を見てみましょう。水が好きなだけ入ってくることができます。皆さんの船体の底に穴を開けて、実験してもよいです。船の中に何人かの人がいたとしても、船の内部が泡状の発泡スチロールのような構造になっているので、彼らは船の中にとどまることができます。この船は安全性を考えて造られています。それと同時に、この船は非常に速く走る船です。もし嵐がやってきたとしても、皆さんはその嵐を乗り切ることができます。もちろん、この船は最も経済的な船というわけではありません。なぜならその船は非常に多くのガソリンを必要とするからです。しかし訓練のプログラムのためには、その船はそれだけの価値があります。我々は速度の遅い経済性の良い船よりも、安全で高速の船を必要としています。訓練のためにはこのグッド・ゴーの船は最善です。

訓練の価値

 いかなる訓練コースにおいても、訓練が厳しければ厳しいほど、より多くを学ぶことができます。訓練自体がそのプログラムに価値を与えるのです。究極的に我々は漁業に入ろうと思っています。それが将来です。もし我々にお金がなかったならば、いかにしてアメリカや世界の問題を解決することを助けることができるでしょうか。漁業において、仕事は信じられないほどに厳しいものですが、その見返りは良いものです。しかしながら、いかなる仕事も達成するためには、まずだれでも訓練期間を通過しなければなりません。

 現在何人かのメンバーは日本レストランの創設途上にあります。皆さんはレストラン・ビジネスはほんの小さなことであると考えるかもしれませんが、しかしこれは多くの意味を持っているのです。まず第一にレストランは非常に多くの人が出入りする商売です。これを通して、これらの人たちに接触することができます。皆さんはそれらの人たちに話しかけ、そして良い関係を築くことができます。そしてそれらの人たちに奉仕し、そして真の奉仕精神を示すことができます。我々は宗教人であり、この世においても働かなければなりません。このような意味において、レストランは我々が行う上において非常にすばらしい事業であると言えます。

 今、日本レストランは流行しています。だれもがこの新しい種類の食べ物を食べてみたいと思っています。お客さんが入って来た時には、多分それは初めての経験でしょう。皆さんが彼らに心を込めて奉仕すれば、彼らは食べ物と恋に陥り、あるいは皆さんのレストランと恋に陥って、また何度も何度も来たいと思うようになるでしょう。我々は日本レストランから始めていますが、何も日本レストランだけにこだわる必要はありません。我々はいろいろな背景を持ってきているのです。イタリア、フランス、インド、その他あらゆる文化背景からきています。我々メンバーは世界中から来ているのですから、それぞれの特徴あるレストランを始めるのに何の問題もないでしょう。 いろいろなビジネスの中で、投資してからわずか三年で収益を上げることができるビジネスは、それほど多くありません。レストランであれば、一定のお金を投資すれば三年以内にその投資が返ってきます。このようにして我々は、更に多くのレストランを作ることができます。そしてこれらのレストランが成功した後には、そのような実績があるので、銀行は我々のレストランが安全であると分かり、銀行からお金を借りることができます。お金を返済するのに何の問題はありません。我々はそういった基盤を作ることができます。さらに最も重要なことに、我々は人々に魚を食べることを教えることができます。将来の食事は魚です。我々がこのような投資をしてそこから成功することができさえすれば、我々はさらにそれを発展させ、さらに大きな成功が保証されます。

 レストランにおいて、皆さんは毎日多くの人たちに奉仕することができます。そしてこのようにして、それぞれの地域社会において一味違ったことをなすことができます。そのことを考えてみなさい。このように非常に意味のある、そして現実的な方法を通して、アメリカの精神や魂を向上させることができます。アメリカの人たちは、我々と友情を築くことができるようになります。そして彼らは現実的な方法で我々を知ることができるようになります。いかにして、我々はこの国のために奉仕することができるか。現実的な方法を通して、いかにすればそれをなすことができるか。我々は本当にこの国を救うために、我々がなすあらゆるものを通して基盤を作りつつあります。我々は現実的な奉仕を通して、人々に手を差し伸べることができるのです。私たちは機械や船、車、魚や寿司などを売っているかもしれません。しかし真に重要なことは、我々が人々に奉仕し、そして彼らとの間に良い関係を築くということです。我々は我々の基盤を築いているのです。そしてそれはまだ些細なものであるかもしれませんが、いつの日か、それは国中に広まり、良い影響を与えるようになるでしょう。 これは皆さんの国です。皆さんはこの国の良い将来を見たいと思いませんか。皆さんは、皆さんの時とお金と努力をささげることができなければなりません。今は、人々は我々を誤解していますが、やがて彼らは我々の仕事の背後にある本当の動機が分かるようになるでしょう。

 漁業において、我々は全く新しい基盤を造らなければなりません。我々は出かけて行って魚を捕まえます。我々はその魚を買って、それを我々のレストランに売ります。我々は魚の配達人であり、同時に小売人にもなります。なぜ、現在において漁業がそんなに低迷しているのでしょうか。家で毎晩食べるには魚があまりにも高いために、大部分の人々は特別の時以外は魚を買おうと思わないからです。しかし、本当に漁船から来た時に魚は高いのでしょうか。そうではありません。漁師たちは彼らの仕事にもかかわらず、だれよりも少ないお金しかもらっていません。水揚げの時の魚の値段は非常に安いのですが、だれがお金をもうけているのでしょうか。それは仲介人です。仲介人たちは魚を安く買って、それを高い値段で売るのです。これは公平ではありません。これは漁師にとっても、消費者にとっても公平ではありません。

 我々は大衆のための利益を考えなければなりません。我々は安い値段で良い魚を提供しなければなりません。いつの日か、人々はこのことを考えてムーニーを歓迎するようになるでしょう。我々がマグロ釣りの訓練を始めた時には、ばかげた反対しかありませんでした。それは人々が非常に恐れていて、パニック状態に陥ったからです。しかしながら、人々が我々のそばで魚を捕ってみて、我々がいかに行動しているかを見て、我々がまじめな人間であることを知りました。そして魚の値段が漁師のために上がりました。我々の運動がそのような値段の上昇に影響を与えたのです。我々はお金を投資してすべてを失いましたが、漁師たちは本当に幸せでした。彼らはより高い値段で我々に魚を売ることができたからです。今年彼らは同じようなことが得られると期待し、望んでいます。彼らは先生がダンベリーへ行かなければならないことを本当に心配していました。彼らは魚の値段についてどうなるか心配して、我々が彼ら漁師を助けるのをやめるのではないかということを心配していました。もし彼らが今年の夏、先生が来るかどうか聞いた時には、このように答えてやりなさい。「皆さんがレバレンド・ムーンを刑務所に入れたのです。長年の間、皆さんはレバレンド・ムーンを取り除きたいと思っていました。今彼が周りにいないことが分かった時にアメリカの人達は苦しんでいます」彼らにこの点を考えさせるようにしなさい。

 我々は今、訓練しなければなりません。それが今年の夏に関して、心の中に留めておく唯一のことです。先生は皆さんの顔を見て、そしていろいろ勉強しました。皆さんが幸運だったがゆえにここに来ているのです。皆さん自身はここにいることをそれほど幸福に感じていないかもしれませんし、皆さんの前途に横たわっている厳しい仕事のことを考えているかもしれません。しかし、ある意味では皆さんにはそれ以外の選択の余地はないのです。皆さんは偶然にここに来たのではありません。何かが皆さんをここに引っ張っていると感じたのです。しかしながら、皆さんは今やっていることに集中し、本当に心を注がなければなりません。もし皆さんの心がここにないとした場合、何かが起こるかもしれません。

 先生は特に事故について心配しています。お互いに悪い人間関係は作らないようにしなさい。船の上においてはこのことは深刻です。我々は注意深くなければならないし、自らを訓練しなければなりません。我々の船の上において、お互いに悪いことが決して起こらないように注意しなさい。もし皆さんがだれも信仰の背景を持っていないような船の中で働く時は、さらに深刻です。普通の漁船の上で、もし皆さんが敵を作るようなことがあれば、船の縁から突き落とされ「命を失う」ということが極めて簡単に起こるでしょう。「事故」というものが起こり得るし、だれもそれが事故でなかったということを証明することはできないのです。分かりますか。このようなことが起こります。だから我々は、ここでいかにして良い人間関係を作るかということを学ばなければなりません。

 海は非常に困難な所です。船においては、常にすべての安全手順に従って動きなさい。また泳ぎ方を知っていることは重要です。もし皆さんが泳ぎを知らなければ、常に救命胴衣を身に付けていなければなりません。海の上においては多くの異なったものを見るでしょう。時には巨大な鯨が船のそばにやって来て、ラインをめちゃくちゃにしてしまうかもしれません。皆さんは生徒として学んでいるのですから、この夏はすべての種類のことを学ばなければなりません。皆さんは魚釣りについて学ぶでしょうが、それとともに人生についても学ぶのです。将来について、過去について、また自分の周りの人々について考えてみなさい。そして自分の信仰生活や、どうして自分が教会に入ったかについて考えてみなさい。

 心配してはいけません。時間をかけなさい。皆さんはまだ小学校にいるようなものですから、そういう時には博士号を持った人のように振る舞ってはいけません。博士号を持っているような経験を持った人たちは、皆さんを「青二才」だと見て、そして「おー、彼らはいつ自分と同じような経験を持つようになるのか」という具合に考えるかもしれません。我々は海にはまだまだ未知の部分があることを理解しなければなりません。普通の人が夢にも見たことがないようなことを、海において発見するでしよう。そのようなことが起こるでしょう。先生は海底深く探求するような潜水艦を開発することを真剣に考えています。

 先生はまた、このグロースターに海洋大学を建設することについても、極めて真剣に考えています。我々はそのような大学を建設するための土地を買いました。しかしこの地域の人たちは恐れをなして「レバレンド・ムーンはこの地域を乗っ取って、ある種の専制政治をしようとしているのだ」と叫びました。もちろん、彼らは今はそのようなことが本当でないことを知っており、彼らは我々を受け入れ始めています。いつの日か、我々はそのような海洋大学を実現するでしょう。考えてみなさい。アメリカはこのように発達した先進国であり、神を敬う国であり、世界の一流国です。ところが、この美しい家は四年間も我々に対して閉鎖されていたのです。人々はこの家に一人の人も入ることを許しませんでした。人々は言いました。「カソリック教会は良いけれども、統一教会はだめだ」と。世界中で、アメリカのように宗教の自由がある国がほかにあるでしょうか。だから我々は反撃して、我々の権利を主張しなければなりませんでした。そして我々はこのグロースターの土地を使うために、反対する人々を訴えると脅かさなければなりませんでした。その人たちも訴えられることを考えて、結局、自分たちが負けるであろうということを認めるようになりました。我々の動機は戦うことではありませんでしたが、我々はそのような不義な行為に対しては挑戦しなければならなかったのです。

 今、我々は訓練を始めようとしています。そしてこれは、海にとっての新しい時代が始まろうとしているのです。これは本当に歴史的なことであり、皆さんは今それに参加しているのです。なぜか、なぜならば、将来いつの日か、この地域のすべての人たちが統一教会についてはっきりと知るようになるからです。そして多くの人たちが統一教会に入教するようになるでしょう。皆さん、そう信じませんか。世界中から何百万の人たちが統一教会に入教するようになるでしょう。

 彼らは、このグロースターの港に、そして皆さんがこの訓練プログラムの意味を先生から個人的に聞くことができたグロースターのこの特別な家にやって来るでしょう。この一九八四年のクラスのたった七十六人のメンバーはこの新しい時代の「ピルグリム・ファーザー」と見なされるようになるでしょう。今、皆さんはこの夏中グッド・ゴーの船に責任を持っています。将来、このような責任を持つ人々は選抜されるでしょう。恐らく十万人に一人が選び抜かれて、全体で七十人か八十人だけが、ここに来て、グッド・ゴーの船を割り当てられるようになるでしょう。今日、皆さんはそれほど競争もなく選ばれて、キャプテンとなるべく訓練を受けることができるのです。皆さんの中でここに来て、長い間つらい仕事をしなければならないと言って、不平を言っている人たちは手を挙げて先生に言いなさい。「私はこのような開拓をしてオーシャン・チャーチの先祖となる機会を逃したいと思います」と言いなさい。皆さん、去るのは自由です。もし皆さんが今から十年先、二十年先どのようになっているかについてのビジョンを持っていないならば、去ってしまってもかまいません。皆さんは今、我々が本当に歴史的な瞬間にいることを認識しなければなりません。

 先生は毎年釣りに来ましたが、毎日、嵐であろうと良い天気であろうと、先生は船に乗りました。また前の日どんなに遅く床について、どんなに早く起きなければならない時でも、先生は船に乗りました。しかし今は先生が自由に出かけることは安全ではありません。これが先生が我慢しなければならない現実です。先生は無神論や共産主義に対して断固とした立場を取っていますから、彼らは何とか先生をやっつけたいと思っています。ですから、過去十年間先生がしたように、毎日、皆さんとともに海に出るということは難しいことです。

 先生は皆さんに自立して欲しいと期待しています。皆さんは独立して自分自身の道を開拓するようでなければなりません。特に今年はそうです。さもなければ、皆さんはどうして自分で自分を養う人間となることができるでしょうか。またどうして、皆さんは他の人を支えることができるでしょうか。皆さん一人一人がこの訓練期間の意味を理解して、これからの二カ月間、そのような基準に見合うようにならなければなりません。皆さんが、船に乗って毎日出かけることがいかに難しいかを体験する時に、先生が過去十年間、毎日ニュー・ホープで過ごした経験を思ってください。この十年のシーズンの間、一度も船の上で横になって眠ったことはありませんでした。先生はこの訓練のために自分のすべての意思と心情を投入しました。先生は船に乗って、マグロを待っている長い間も常に、もっと神と人類のために自分をささげるように祈っていました。このようなことを、ここで皆さんに相続して欲しいと願っているのです。


マグロ釣りの訓練路程

 皆さんも知っているように、マグロも被造世界の一部として何らかの霊的な面を持っています。皆さんが霊的に鈍い時には、マグロは皆さんよりも霊的に敏感かもしれません。皆さんが追い求めているマグロは五百ポンド以上の重さがあります。そのような大きさになるためには、十八年から二十年の年月がかかっています。そのことを考えてみなさい。そのような年齢になるには、そのマグロはこれまでに、どれほどの種類の危険を何度も何度も逃れて来たことでしょうか。何度も捕まえられそうになったこともあったでしょう。しかしそれを何とか逃れて来たのです。マグロが五百ポンドまで育ったということは、そのマグロは非常に頭の良い魚だということです。

 マグロは、釣り糸がそこに乗れ下がっているのは、自分を捕まえるためだと知っています。マグロが餌に食い付くのは正常なことではありません。それは一つの事故なのです。ちょうど、人間が酒を飲んだ後に事故を起こすのと同じように、マグロはチャムを食べて酔っ払ってしまい、そしてちょっとした誤りで、その餌に近づいてそれに食い付くのです。皆さんがここで違いを作る秘けつは、皆さんが心を集中して、すべての思いを尽くし、努力して、マグロを皆さんのところへ引き寄せることなのです。

 もし皆さんが本当に集中して、霊的に敏感になれば、ある日目を覚まして顔を洗って船の方に行こうと準備している時に、既にその日の何時ごろにマグロを捕まえることができるか分かるでしょう。時には何時間も待ちに待っていることがあります。その時、皆さんの心がどうしたのだろうかと不思議に思い始め、すると突然心の中に鋭いひらめきが起こります。その瞬間、皆さんは「ああ、あと五分したらマグロがこのラインにひっ掛かってくるだろう」ということを感じます。それを感じるやいなや、マグロがひっ掛かってきます。皆さん一人一人が一心不乱に専念すれば、一度ないしそれ以上の経験を持つでしょう。

 ここで働くことに関して、何らかの法則あるいは原理があるのです。もし皆さんがすべての心を投入するならば、マグロを捕まえるでしょう。皆さんは海の下でどういうことが起こっており、いつ小さな魚が来て、いつマグロが海流や潮によって動くか分かるようにならなければなりません。それを目で見ることなしに、分かるようにならなければなりません。こうするためには集中することが必要です。

 先生はニュー・ホープ号で造ったお金を、グロースターの何らかの慈善事業に寄付することを考えています。そうすれば、マグロはもっと餌に食い付くことが期待できないでしょうか。霊界はマグロに対してニュー・ホープ号のラインに食い付くように奨励するでしょう。今年は割り当てがあるので、先生はその三分の二がムーニーの船によって捕まえられることを期待しています。そうするためには皆さんは本当に餌を愛さなければなりません。餌こそマグロを捕まえるための直接の原因なのです。皆さんは神の愛に連結して、餌にそれを投入しなければなりません。皆さん自身がそれを結びつける要なのです。

 清潔な船は清潔な精神を反映します。秩序だった船はまた秩序だった精神を反映するものです。つまり皆さんのジグ、釣りざお、リール、ライン、フック、その他すべてのものが、本来あるべき場所に整理整頓されていなければならないということです。先生は皆さんの船がたくさんの心情を受け取ったか、それとも少しの心情しか受け取っていないかを直ちに当てることができます。そして皆さんが深く祈っているなら、霊界が皆さんを助け、皆さんに霊感を与え、マグロを皆さんの船に近付けてくれるでしょう。こういう経験を通して、皆さんは神が生きておられることを発見するでしょう。もし皆さんに何か悪いことが起ころうとするなら、皆さんはそれを感じ取ることができるでしょう。今年は、我々は安全性について関心を持たなければなりません。事故を避ける最も良い方法は、真剣になって自分のすべての心情を、自分が今なしていることに投入することです。皆さんは霊的にも自分自身を主管しなければなりません。いつも自分自身を律しなければなりません。

 ここで一つ重要な質問をしたいと思います。「今シーズン中に皆さんは何回ぐらい兄弟姉妹と争いをするでしょうか」。皆さんはそのような状況を望まないでしょうが、時として、そのような状況に巻き込まれて争いが起こることがあるでしょう。その時皆さんはどうしますか。皆さんはいかなる争いが起こることも許してはなりません。皆さんは海に出て行く前に、地上においてそのような状況を作り出すことを避けなければなりません。午前中、皆さんが魚釣りをしている時には、皆さんの心の中にあることを外に出してはいけません。たとえ皆さんの心が燃えるようであったとしても、それを顔に表してはいけません。家に帰る途中、それをいくらか出してそれについて話し合ってみなさい。

 時々船にいて、風が吹き、嵐が来ることがあるかもしれません。これは非常に危険なことであり、そのような時に自分の感情を出すことは非常に悪いことです。家に帰ってから暖かいシャワーを浴びて、良い食事をする方が良いのです。そうすれば皆さんは心が寛大になって、皆さんを怒らせたかもしれないような言葉を忘れるでしょう。海に出ている時には、決してつまらないことで心が引っ掛かることがあってはなりません。だれかがどんなに皆さんの心をかき乱すようなことが、そのような人は無視しなさい。だれか隣の人の犬が皆さんに向かってほえているんだという具合に考えなさい。

 自分の目標を常に念頭におきなさい。皆さんはここに争いをするために来たのではありません。ここにマグロ釣りに来たのであって、これが皆さんの目的です。ここへ来た目的ではない、いかなるものにも巻き込まれてはいけません。いつの日かすべての心をささげて、それでも何の結果も得られないということがあるでしょう。そういう時は悔い改めるのに良い時です。悔い改めて、そして何か自分に欠如していることはないか、理解できなかったり、適応できなかった部分がないかを探してみなさい。皆さんはそれぐらい真剣でなければなりません。この訓練期間が終わった後、いつの日か独立しなければならない日が来るでしょう。もし、自分の生計を得るために海に出て、魚が捕れないとしたならば、だれが皆さんを助けるでしょうか。政府が皆さんに補助金を出すでしょうか。神様が皆さんにお金を与えるでしょうか。恐らくそういうことはないでしょう。先生が皆さんを助けに来てくれることを当てにしてはいけません。先生はいつもそうできるとは限りません。皆さん、そうすることができますか。皆さんは先生の所へ走って来て、助けを求めますか。それとも真剣になって自分でそれをしますか。それができる人、あるいはしようと思っている人、手を挙げなさい。女性たちはどうですか。もし魚を捕まえることができなかったらどうしますか。マグロは女性がマグロを釣りに行くのを見て笑うでしょう。女性の皆さんがより早く実績を欲しいと思うならば、一度で良いから男性の言うことを聞きなさい。そうすればマグロはこう言うでしょう。「ああ、彼女は女だけれども男性を尊敬している。だから我々も彼女たちに対して寛大になることができる」。だから女性たちは男性たちと喧嘩をしてはいけません。そのようにして皆さんは男性に打ち勝つことができます。それは良いことです。

 皆さんは先生がマグロを釣るのを待っている間、一日中何をしていると思いますか。マグロを捕まえて陸揚げするのは、一日のうちほんの一時間ぐらいのものです。それ以外の時間を、先生は何をしているのでしょうか。何もしないでただじっと座って、水の中のラインを見ているだけのように見えるかもしれません。しかし先生は一瞬一瞬に自分のすべての心をその努力の中に投入しているのです。先生は針に付けた餌をいつも調べます。魚が食い付かないとしても、時々ラインを引き上げて餌を調べなければいけません。たとえ近くに魚がいないようであっても、一日三回は餌を取り替えなければなりません。先生は浮きを見れば、ラインに餌がついているかどうか言い当てることができます。ゲーハートができるかどうか知りませんが、ゲーハートもできるはずです。これが分かるということは当たり前のことです。もし餌がなくなってしまっていたならば、ラインを巻き上げて新しい餌を付けなければなりません。


万物と心情の関係

 人間は実際には非常に敏感で、物事を知ることができる被造物です。潮流の流れや、それが今どうなっているかを経験から分かるようにならなければなりません。また流れによって、フックがラインからどのように垂れ下がるか、分かるようにならなければなりません。特に七尋(ファザム)半と十尋(ファザム)のラインがマグロを最も釣りやすいラインです。皆さんは餌とそれが水中でラインからどのように動くかについて、心の照準を向けなければいけません。皆さんはまたさまざまな関連した現象を発見するでしょう。全シーズンを通して六ないし八本のラインを使うかもしれませんが、マグロが食い付くのはたった一本のラインです。皆さんは「それはちょうどマグロにとって良い位置にあったからだ」と考えて、ラインの位置を変えるかもしれませんが、しかしそれでもそのラインにマグロが食い付くのです。このようなことを今日の科学でどのように説明しますか。

 霊界は競馬におけるダーク・ホースのようなものです。それはほとんど起こりえないようなことですが、それが起こるのです。例えば、皆さんがだれかが捨ててしまったような古いラインを拾ったとします。他の人たちがそのラインでたくさんのマグロを釣ったのですが、遂に新しいラインに付け替えました。皆さんは新しいラインを持っているけれども、その古いラインも使ってみたとします。すると突然その古いラインにマグロがかかるのです。それをどのように説明しますか。そういうことが実際に起こりました。だから先生はこういったことをも話しているのです。皆さんは魚具、フックやラインを愛さなければなりません。魚を捕るそれらの道具を大切にし、一瞬たりとも目の届かない所に置きたくないと思って、自分のベッドにそれらを持ち込むようにならなければなりません。そういった心情、そういった愛は良いことです。この愛がいたる所で結合して、そしてそれが目に見えない方法で、ほとんどありえない方法で結び付くからです。

 日本のメンバーが先生の周りに来て「ニュー・ホープ号は古い船になりました。今はもう十三年以上経っています。お父様、新しい船に変えましょう」と言います。先生は彼らの感情を傷つけたくないので、「おー、君はそう思うかね」という具合に答えています。しかし実際には「お前は何ということを言っているのだ」と思っているのです。この訓練プログラムがいかに始まったかという歴史を書くとしたら、その九九パーセントはニュー・ホープ号のことが中心になります。たとえ新しい名前の船を買ったり、あるいはだれかが我々に船を寄付してくれたとしても、その船についてはそれほど書かないでしょう。

 それはちょうど、結婚のようなものです。もし皆さんが十年間結婚して、奥さんが年を取ったとします。そうしたら皆さんはその奥さんを追い出して、新しい奥さんを迎えますか。もしそのようにしたらニュー・ホープ号はどのように感じるでしょうか。嬉しいでしょうか、悲しいでしょうか。恐らく泣き叫ぶでしょう。だから先生は次の世代の者にすべてを譲り渡す時には、新しい船に変えようと思っています。その時には、ニュー・ホープ号を引退させて特別の博物館に入れてやります。ニュー・ホープ号もこれが当たり前だと思うでしょう。船は自分が永遠に生きられないことを知っており、時が来れば交代することに同意するでしょう。先生は本当にそのように思っているのです。先生はニュー・ホープに対してそのような感受性を持っています。このことは我々すべてに言えることです。我々は、この世の人とどのように違うのでしょうか。それは心情を通してです。我々はこの世の大部分の人々がなしているのとは全く異なった心情的な世界を創ろうとしているのです。ニュー・ホープ号やワン・ホープに乗る時には、本当にそれらを愛さなければなりません。

 皆さんは船が割り当てられた時に「あー、もっと新しい船が欲しい」などと言ってはいけません。決してそのようなことを言ってはいけません。ただその船を愛しなさい。ついにはその船が愛を返して、多くの魚を捕まえてくれるでしょう。船に対して「去年、お前が良く働いてくれたことを良く知っています。今年は私がよく面倒を見てあげます。だから一つとなって成功しょう」と言ってやりなさい。

 一日の終わりに、海から帰って来る時にはチャムの場所をきれいに掃除して、悪臭を取り除き、船を手入れして本当にきれいにしなさい。そうすれば、船を見た時に気持ち良く感じるでしょう。そうすれば、船もまた立派に見えるのです。船を良く手入れをして、それを正しく取り扱いなさい。これが皆さんの責任です。日中は魚を捕ろうとして、忙しくて船をきれいにすることはできません。船もそのことはわかってくれます。しかしながら、海上でもし何か悪いことが起こったならば、たとえそれが小さなことであっても、船を手当てしなければなりません。

 二、三週間真剣に経験を積めば、皆さんはエンジンがどのような音を立てているか分かるようになるでしょう。そしてエンジンが容量を超えている時を聞き分けることができるようになるでしょう。その時にはスピードを落とさなければなりません。エンジンは人間の体の心臓のようなものです。海において、もしエンジンがだめになったならば、本当に深刻な状態に陥ります。実際にエンジンは皆さんの命より大切なのです。皆さんはそのように考えなければなりません。だから決してエンジンを酷使してはなりません。緊急事態の時はやむを得ないかもしれませんが、決して理由もないのにエンジンを酷使してはいけません。エンジンを家族のように、つまり自分の夫や妻のように愛しなさい。そうすればエンジンがだめになることはないでしょう。

 鳥が飛んで来て、自分たちが止まって休む船を探す時に、どの船を選ぶでしょうか。このことは特に小さな村に見ることができます。たくさんの家がありますが、いつも一つの家だけがたくさんの鳥たちがやって来て休むのです。そして驚くべきことに、その家は大変栄えた家です。本当です。その理由は、その家には何世代もの間蓄えられた多くの愛があるからです。

 だから我々もそういうことを心において、ムーニーの船は心情を込めて愛さなければなりません。実際先生は、今年ここへ来て皆さんに話をする必要があるかどうかと思いました。しかし、ニュー・ホープ号のことを考えて、先生は「自分は毎年、ニュー・ホープ号の所へ来たのだから、先生が来なければニュー・ホープ号は寂しく思うだろう」と思いました。先生はそんな寂しい思いをさせるわけにはいきませんでした。最近、ニュー・ホープ号はモントークという所で魚を捕っていました。しかしそれをグロースターに返すように頼みました。だからニュー・ホープ号はここへ来てから数日しか経っていません。だから先生もグロースターに来てニュー・ホープ号を訪ねることを考えざるを得なかったのです。先生は船に話しかけ、「去年の夏、私はお前と一緒にずっと毎日漁をしたが、今年はそれほど一緒漁に出ることができない。私はお前にそれを分かって欲しい」と言おうと思ったのです。ニュー・ホープ号は先生がそれほど長くそばにいられないことを分かっているだろうと思います。なぜこういうことを皆さんに言うかというと、今年は皆さんが愛するもの、すなわち皆さんの船にそのような精神を失わせてほしくないからです。船に損傷を与えてはいけません。ちょうど自分の体を守るように、思いを尽くし心を尽くして、皆さんの船の手入れをしてください。


共に働くことを学ぶ

 皆さんをこの夏一緒に連れて来たのには理由があります。皆さんの中の何人かはオーシャン・チャーチのメンバーで、既にこのような訓練を受けています。またその他の人たちは魚を売っていても、魚を捕まえるのがいかに難しいかを知らずにいます。そういう人たちは漁師に簡単に「出て行って、魚を捕れ。私はそれをお前のために売ってやる。」と言いました。しかしこれは正しくありません。魚を売る人たちは、魚を捕ることがいかに難しいかということをも理解しなければなりません。

 皆さんが異なった道を行って、一方はただ魚を捕るだけで、もう一方が魚を売るだけであれば、魚を売る方がいつも要求をすることになります。魚を売る人は「私はあなたが捕まえている魚は好きではありません。あなたはこうすべきだ、ああすべきだ」と言うでしょう。もし彼らが魚を捕まえなければならないとしたら、捕まえている人の事情が分かって、そう簡単に捕まえている人を責めたりはできないでしょう。それと同じように、しばしば捕った後の船の上での取り扱いが悪いがゆえに、魚が悪くなっています。いろいろなことで魚がだめになっています。だから魚を捕る人も、売る人も、お互いから学び、共により緊密に働かなければなりません。

 アメリカ人は、日本のメンバーとともに働くことから、たくさんのことを学ぶことができます。日本のメンバーは一つ有利な面があります。先生はここ数年間、彼らを綿密に見てきました。アメリカ人が船を管理するとその船は汚いままになります。ところが日本人の船はいつもきれいです。日本人はきれい好きの人が多いと思いませんか。彼らは何でもきちんと整理整頓しておきます。ここに非常に良い証拠があります。ニューヨークの町に行って、五番街に駐車してある車を見てみなさい。その車はたとえ金持ちが所有する車であっても、非常に汚い。ところが、東京ではどの車も真新しいような状態です。東京の町には汚く見える車は一台もありません。このことは日本人全般の性格を物語っているものです。

 これらのことは観察です。ですから皆さんも船をきれいに保って、日本人の水準に負けてはいけません。東洋人について言えるもう一つのことは、彼らのお金の使い方が質素であるということです。日本人を見てください、例えばハッピー・グループの日本人を見てください。彼らは背が小さいし、それほど積極的ではありませんが、一人一人はお金の使い方を知っています。皆さんは好まないかもしれませんが、日本人から学ぶことがたくさんあるのです。だから先生は皆さんを一緒に働かせて、お互いに学ばせようとしているのです。西洋のメンバーにとっての第一歩は、東洋のメンバーを観察することです。

 もう一つ質問をします。皆さんは先生が好きですか。なぜ皆さんは先生が好きですか。先生は西洋人ではありませんよ。先生の目は皆さんより細くて小さいです。先生の皮膚は白ではなく、褐色です。先生は韓国人です。もし先生が「よし、ではだれか他の人を先生の立場に付けてやろう。さあ、たとえばゲーハートはどうかな。彼は非常にでっかい男だ。彼は背が七フィートもあるし、顔も手も大きい。足は先生の両方の足よりも大きい。だから彼が大きいから、彼を統一教会の責任者にしてやろう」と言ったとしたら、どうですか。それは良い考えだと思いますか。ゲーハートは先生の代わりの立場に立つべきでしょうか。皆さんはそう思いませんか。ではレーガンについてはどうですか。レーガンが先生の代わりの立場に立つべきだと思いますか。彼らは先生の立場において、決してそれをうまく果たすことはできないでしょう。先生には他の人が取って代わることのできない能力があるのです。それと同じように、日本人は西洋人が取って代わることのできない能力を持っています。アメリカの指導者たちと日本の指導者たちとは違っています。困難に直面して、アメリカの指導者たちは引き下がる道を考えがちです。それに対して、日本の指導者たちは決して引き下がることは考えないでしょう。また宗教生活においても、信仰生活においても、日本人たちは皆さんのお兄さんです。彼らは祝福も早く受けたし、また信仰生活も長く追求しているわけです。だから彼らに対して不平を言ってはいけません。

 先生は何も日本人をひいきにしているわけではありません。アメリカ人もより良い潜在的な能力を持っているかもしれませんが、日本人は既にそれを証明したのです。先生に正直でありなさい。皆さんはどっちを取りますか。日本人が一度何かをすると決心をすれば、彼らは一生かかってもそれをするのです。もし日本人がある会社に就職すれば、彼らは一生その会社のために奉仕します。日本レストランを経営しているアメリカ人はどうですか。彼が二人のコック、一人はアメリカ人でもう一人は日本人を雇ったとします。そして一年後、アメリカ人のコックは他のレストランからより良いサラリーを示されたら、全く何の悔いもなく、「さよなら」と言って、直ちにそのレストランを辞めてしまうでしょう。ところが日本人はそうしません。日本人は十年、二十年同じレストランに勤めるでしょう。こういうわけでアメリカ人のオーナーは一つの教訓を学んで、日本人を雇おうとするのです。日本人は一度心が何かにつながれば、決してそれから離れることはないのです。皆さんもこのようでなければなりません。先生は皆さんに多くの期待を持っています。だから皆さんを、こうして日本人と一緒に働かせるように連れて来たのです。

 さあ、いよいよ今年の夏の訓練が始まります。出かけて行って、海から学びなさい。先生は皆さんが真剣になって、そして特に今年は事故を起こさないように頼みます。マグロ釣りにおいては、もし一週間も二週間も何も釣れないと、皆さんは集中力を失い始めます。そしてかごをけり回ったり、あるいはラインをデッキの上にそのままにしておいても構わなくなります。しかし、マグロは何ら警告なくしてやって来ます。皆さんは、決してラインの上に足を乗せたまま立っていてはいけません。これは非常に危険です。常に自分がどこにいるか、そして船の上のどこで動いているか、注意を払わなければなりません。

 船の上ではすべてをきちんと整理整頓しておきなさい。そうすれば事故が起こるのを最小限にしてくれます。もしラインの上に足が引っ掛かったらどうしますか。この点を特に注意しなさい。もしそういう事態になったならば、マグロには構わないようにしなさい。皆さんの安全のためです。皆さんの生命が危険にさらされているのです。今年の夏は、先生は皆さんが危険や事故から、身を守ることを強調しておきます。

 皆さんは自分たち自身を木のように組織しなければなりません。十隻ごとに一人のリーダーを置き、三隻ごとが一つとなって三位基台のリーダーを置くようにします。これらの三隻の船は三位基台として、特に一緒にいなければなりません。そしてお互いに注意しあって、助け合わなければなりません。このような組織でいけば、一隻の船も事故に巻き込まれることはありません。互いにお互いの面倒をみなさい。そして三位基台は互いに助け合って、お互いに注意し合いなさい。このようにしてすべての船を、この修練期間中、組織するようにしなさい。

 皆さんが主に関心を持たなければならないことは、船が故障を起こさないようにすることです。もし皆さんの船が動かなくなれば、出かけることはできなくなります。そういうことを防ぐためにあらゆることをすべきです。だから我々はこのようにするのです。今日が始まりです。あと三日後には、皆さんは陸での訓練を終えて、海に出かけて行って魚を釣り始めることになります。先生がここに引き続きいるかどうかは、この訓練の中心ではありません。そういうことには関心を払う必要はありません。先生は既にマグロ釣りは十分しました。ですから、それについては良く知っています。先生がここで釣りをするかどうかについては心配する必要はありません。皆さんは毎朝決まった時間に出かけて行くのです。これが我々の伝統です。皆さんはそれに従わなければなりません。先生は今、他の種類の魚、例えばストライプバスとか、平目とかを釣ることを研究しています。後にはハリバットを釣るために、アラスカへ行く予定です。ここで良い記録を出した人は、先生と一緒に行くことができるかもしれません。今シーズンの皆さんの関心は、本当の漁師になることです。船の中で眠り、船の中で食べるようにしなさい。この夏の期間は非常に貴重なものです。これは皆さんにとって、皆さんの一生にとって価値のある訓練です。だから先生は、ただ皆さんがすべての心情と努力を投入してもらいたいと思っているのです。皆さんに神の祝福がありますように。

10. マグロ釣りと生活様式 

1984年 7月 5日 モーニング・ガーデン

 皆さんは海を見てどう感じますか。時には雨が降り、しばしば風が吹きます。先生に何か聞きたいことはありませんか。どのようなことをするか、餌をラインにどのように付けるか学びましたか。まだですか。皆さんは自分で来たかったのですか、それとも誰かに言われてここに来たのですか。ここへ来たのは始めてですか。ここにいる日数は長いですが、皆さんはいかにして疲れを越えるかを学ぶでしょう。

 漁場であるプロビンス・タウンまでは、二時間ないし二時間半かかります。ということは、釣りは朝五時に始めますので、午前三時ないし二時にはここを出なければなりません。皆さんはそこへ行く最初の船となって、マグロのお客さんを迎える準備をしなければなりません。それが礼儀というものです。皆さんはすべてに対して準備します。マグロは既にここへ来ているのですが、まだ、それほど多くの漁師がマグロを捕っているわけではありません。このことについて我々は常識を持って考えなければなりません。彼らもここにいるのに、なぜ釣れないのでしょうか。


海の中の生活様式

 サンド・イールは季節に従って移動します。このサンド・イールの大群は南からやって来るのです。水温がまだ冷たく、水面近くでは少し暖かいのですが、低い方へ行けば行くほど冷たくなります。サンド・イールの群れを追って魚が来ていますが、まだそれほど集まって来ていません。魚はその地域に来てはいますが、ここにまだ定着していません。水温が上がると、サンド・イールは定着するようになる

 夏になるにつれて水温は上がります。そして魚は一つの場所に集まるようになりま。そこは深さが七十フィートから百二十フィートの一種の大地のような所です。他の所は深さが二百から三百フィートもあって、非常に深くて冷たいのです。大きな魚は、このサンド・イールの群れがどこにいるか知っていて、そのサンド・イールを食べるために集まって来ます。鯨やマグロはより深い場所にいますが、朝になると餌を食べるために上がって来ます。正直に言えば、それがマグロの朝食の時間です。その朝食の場所が我々が今から行こうとしている所です。

 ニシンや鯖や鱈は、マグロが餌にする比較的小さな魚です。それらの小さな魚は、温度が上がってたくさんのサンド・イールがいる場所に集まって来ます。そのような場所に我々は行きます。マグロはそのような餌場に出入りする時、決まった経路を持っています。その場所が船で行きたい場所です。それは普通、餌場すなわち岩棚の端にあります。マグロはごつごつしたものが嫌いで、なだらかな所が好きです。マグロは崖のような所には来たくありません。むしろ坂道のあるような所へ来たがります。。マグロ達は緩やかな坂道を好んで、そこを通って出入りします。

 まず皆さんは海図を勉強して、そこがどのような地形になっているかを理解しなければなりません。それからそこへ行って、実際にやってみるのです。先生はこのことを、科学的にも直感的にも研究するために、長い時間を費やしました。だからニュー・ホープ号が他の多くの船よりたくさんのマグロを釣ったのです。ニュー・ホープの周りの船もまた、たくさんのマグロを捕りました。このために、ムーニー以外の人々もニュー・ホープ号に近づいて釣りをしようとしました。

 皆さんはこういったことについて、実質的に知らなければなりません。深い感覚を持たなければなりません。皆さんは「まあ、海というのはどこでも同じで、魚は行ったり来たりしているのだから、マグロが捕れるかどうかは偶然の問題だよ」と言うかも知れません。そうではありません。全くそうではありません。偶然ということはないのです。マグロは行動の様式、すなわち習性を持っています。我々はこの習性を理解しなければなりません。より小さな魚はたくさん食べ物がある場所、棚があって、隠れて身を守ったりしやすい場所に集まって来ます これらの小さな魚は群れをなして移動します。こういった魚の群れの長さと幅が、何マイルにもわたっているのを見るでしょう。また深さも何百フィートもあるのです。そして潮の干満に応じて、これらの魚の群れが移動します。時には潮の流れが非常に強い時もあれば、また弱い時もあります。小さな魚は自分を守るために、大きな群れをなして移動します。そして彼らは、大変大きな岩のような、隠れることのできる場所を探しています。海のある一定の場所には、こういった場所がたくさんあります。だから我々は望む種類の魚を捕まえようとするならば、こういったことをも研究しなければなりません。

 例えば、我々がストライプバスを捕まえたいとします。時々この小さな魚の群れは、潮の流れが彼らを引っ張るので非常に早く移動します。従って、前の方にいる魚は、たとえ彼らがそうしたいと思っても、スピードを弛めることはできなくなります。そして岩の後ろに隠れる代わりに、岩にぶつかってしまいます。そうすると岩にぶつかた魚は、丁度頭に何かをぶつけた人間のように、ふらふらとなります。こういう場所にストライプバスがよくいるものです。小さな魚が岩にぶつかって、ゆっくりとふらふらして泳いでいる時には餌になりやすのです。こういう所でストライプバスを見つけることができます。だから皆さんもストライプバスのように考え、理論的に彼らがどこにいるかについて見つけなければなりません。

 マグロ釣りもまた同じです。皆さんはあらゆることを考え、充分に推論しなければなりません。ただどこかへ行って、海に竿を垂らし、マグロが掛かって欲しいと思ってはいけません。小さな魚は潮の流れと共に移動します。潮の流れが弱くなる岩棚に沿った場所があります。こういう所が、小さな魚が来る場所であり、それを餌とする大きな魚が集まる場所です。皆さんは海図を見て、地形が深くなっていたり、深さが急に変わっているような場所を見つけなければなりません。

 また皆さんは、海の底が砂地であるか、あるいは泥であるか、岩場であるかを知らなければなりません。それに応じて異なった種類の虫や小さな生物がいるからです。皆さんはこういうことも研究しなければなりません。ある生物は海草のある所に棲息しています。もし皆さんが小さな魚を捕ろうとしているのであれば、海底がどのようになっているかを理解しなければなりません。また岩場では釣具の重なりも重要です。ただ釣り針を下ろしただけでは、底に引っ掛かってしまいます。時にはギアを戻し、ラインを弛めれば外れるかもしれませんが、多くの場合ラインを切らなければならなくなります。

 それを防ぐために、フックと餌から下に十フィートの所に重なりを付けなさい。海底において、釣具がどういう状態になっているかを想像して、そして重なりが海の底を叩いた時にはそれを感じるようにならなければなりません。こういうことに対して敏感でなければなりません。また、フックや餌を引っ張る潮の流れについても考えなければなりません。もし流れがそれほど強くなければ、重なりの上を十フィート以上にする必要はありません。五フィートか、二フィートでも良いでしょう。このように餌がフックにどのようについているかを考えて、餌が底からどの位の高さにあるか、判断できなければなりません。

 アラスカではハリバットがいますが、先生はこのように実践して非常にうまくいきました。先生はマグロ釣りに行く時は、どうしたら良いか、次は何をすべきかを考えています。決して頭を休めることはありません。アラスカでハリバットを釣りに行った時は、他の人の二倍の数を捕りました。それで人々は、先生がどのようにしたのかを考えましたが、先生は話しませんでした。しかし、そうたいしたことはないのです。ただ考えれば良いのです。皆さんの考えが正しければ、それに従った後に、魚を捕ることができるでしょう。皆さんは魚の習性を知り、魚の傾向や地形についても知らなければなりません。そしてさらに論理的に推量することです。自分自身に対し「これはそうであるから、これはそうであるに違いない」という具合に考えなさい。そしてそれを実践してみて「これはこうに違いない」と発見するのです。そういう具合にするのです。海では、水の深さが異なった所に異なった魚がいます。海底に沿って棲む魚もあれば、海底から二、三フィート上の所に棲む魚もいますし、更にその上に棲む魚もいます。深さや水温の違いで異なったタイプの魚がいます。魚は敏感です。彼らは自分に最も適した環境に棲みたいと思っています。魚は人間のように、好ましくない環境には棲まないのです。一般的に言って、水の深さの違いが水温の違いを決めます。深くなると冷たくなります。その違いは僅かですが、魚にとっては小さくありません。また、魚は餌のある所に行くということを忘れては行けません。それぞれの異なった種類の魚は、自分達より小さな魚を餌とします。決して、自分より大きな魚を餌にすることはありません。

 鯨やマグロは大きな魚だから、深い所にいるに違いないと思うかも知れません。しかしただそう考えてはいけません。たとえマグロが海の深い所が好きだとしても、餌を食べるためには上がって来なければなりません。そして実際そうします。そのような所で我々は大部分のマグロを捕まえるのです。ただ餌を最も深い場所に降ろしたとしても、マグロを捕ることはできません。水温、餌の種類、環境、特に魚が守られる所、こういったものが魚のいる場所を決めるのです。また魚は一定の時間遊んだり、休息に時間を使います。そのためには水が静かで、穏やかでなければなりません。彼らは餌を食べた後、遊びに行きます。普通、午後や夕方の早い時間はマグロが遊び回る時間です。

 潮の流れについても考えなければなりません。小さな魚は、潮の流れが早い所では餌を食べたくありません。大きな魚でさえも、流れが速い所で餌を食べたり、泳いだりすることは容易ではありません。こういったことの多くを経験を通して学びます。しかし皆さんは、経験する前にある程度知っておかなければなりません。逆に、たとえ基本的な理論を知っていたとしても、実際に経験するまでは本当の意味では知らないのです。月について考えてみなさい。月にはいろいろな形があります。それが三日月とか、半月とか、満月等のどれを示すかによって、潮も変わるのです。一月のうちどの日も同じではありません。時々潮の流れはより強く流れます。満潮の時には水はより速くなります。ウオーター・マーク(水位標)を見なさい。そうすれば今が満潮の月か、干潮の月か分かります。

 それはこういうことです。満潮の時、ウオーター・マークが水より高い所にある時は、その月の中で干潮の時にあたります。わかりますか。干潮と満潮の間は、六時間あります。満潮があり、中間の潮があり、干潮があります。干潮から中間の潮、そして満潮へと戻って行きます。このようにサイクルは動きます。二十四時間の間に、満潮が二回と干潮が二回あります。

 皆さんがマグロ釣りをする時には、潮の事を考えなければなりません。「今は、干潮、満潮のどちらの潮であるか。潮が出て行っているか、入って来ているか」を考えなければなりません。また「もし潮が出て行く時であれば、魚はどのような傾向があるだろうか。もし入って来る時であれば、どうすることを魚は最も好むのだろうか」ということを、聞かなければなりません。こういった情報のすべてを頭に入れておかなければなりません。そうしてから出かけて行って、経験しなければなりません。

 潮が満ちて来る時に餌を食べる魚がいます。従って、潮が満ち始めた時に餌を投げれば、そういう魚をたくさん捕ることができます。逆に、潮が引き始めた時には、たとえ魚が見えたとしても、どんなに餌を投げ入れても、魚は餌に触れさえもしません。魚は一日の特定の時に餌を食べようとするのです。魚は潮の干満、流れ、また一定の時に従って餌を食べます。このことは陸上の動物にも言えることです。兎を見たことがありますか。兎が餌を食べるのは特定の時間です。兎が餌を食べる時間が決まっていることには、非常に良い理由があります。兎は、鷹が明らかに自分を狙っている日中には、餌を食べないのです。すべての動物界はこのように営まれています。彼らは自分達を守るのに最も良い時間を選んで、動き回るのです。たとえば、虎は夜餌を食べます。虎は小さな動物が眠っている時に餌を探すのです。彼らは百マイルも移動します。象は余り暑くない朝早い時に餌を食べます。そしてその他の時間は木の陰を探したり、水浴びをする場所へ行ったりします。このような行動様式は、低級な動物になるほど予測するのが難しくなります。小さな魚は何時でも餌を食べますが、大きな魚はある決まった時間に全力で餌を食べます。だから魚釣りは単純なものであると思い込んではいけません。いつでも、どこでも行って、餌を投げさえすればという具合に考えてはいけません。また魚釣りは、ただ運によって左右されると考えてはいけません。魚釣りにはそれ以上にもっと多くのことがあります。こういうことを詳しく研究しなければなりません。もちろん、そういうことを全部なした後に、僅かに運という要素があります。


理論を実践すること、人生における実践

 こういうことを始めから終わりまで全て記憶することを、期待はしていません。今、全部分かったと思っているかも知れませんが、実際に船に乗って出かけてみれば、最初に何をすべきかさえ思い出せないかも知れません。しかし、講義を通して学ばなければなりません。まだこれを実践したことがなかったとしても、それは丁度、頭の中に種を植えるようなものです。来年までに皆さんはこのことを理解し「お父様が言ったことは本当に意味がある。自分はそれを実践しようと思う」と自分自身に言い聞かせるようになるでしょう。

 それは武術のようなものです。最初に学ぶのは基本的な型です。しかし実際に格闘になった時、それらの型を全部忘れてしまうでしょう。そしてできるだけのことをするだけです。後になって、その型を用い続けているにつれて、それらの型が身に付いて来て、戦う時に自然にそれらの型が使えるようになるのです。皆さんは物事を最終的にどのようにして身に付けますか。それは実践を通してです。武術はこういうふうにして学ぶものです。皆さんに教えることは練習ではなく、むしろ戦わなければならないということです。そして、戦っている時に学んだことをすべてつなぎ合わせるのです。チャンピオンになる人は、繰り返し繰り返し挑戦して、たとえ一度の戦いが二十四時間にわたったとしても戦う人です。結局そのように全力投入することで、その人がクラスの一番になるのです。体の大きな人が勝つわけでなく、最も大きな決意を持ち、最もはげしく訓練をする人が勝のです。

 魚釣りにしても同じことが言えます。ここでの我々にとって重要な点は、我々が一生懸命に働いて、たとえ一日に二十四時間働いたとしても魚釣りのあらゆる内容を経験すべきだということです。少なくとも三年間この地域で魚釣りをし、他の誰よりもこの地域について探求しなさい。そしてこういったことすべてに精通するようになれば、他の人が一日中かかって捕るより多くのものを、皆さんは二、三時間で捕るようになるでしょう。皆さんはこのような専門家にならなければなりません。いろいろなことをやってみて、何がうまくいき、何がうまくいかないかを自分自身で見つけなければなりません。プロビンス・タウンとグロースターの間には大分距離があります。魚は潮の干満や流れ、水深や地形の違いによって異なった行動をします。これらのことをすべて知らなければなりません。

 またマグロ以外の魚についても研究しなければなりません。カレイや平目について研究しなければなりません。他の所では二十フィート位の深さの所でたくさん捕まえることができましたが、この辺りの二十フィートの所で全くみつかりません。だから多分十五フィートかそれよりも浅い所で魚を探さなければなりません。ニュー・ホープ号は大きな船なので浅い所に行くのは難しいのです。先生が十フィート位の所へ行けと言うと、キャプテンはいつも心配します。

 しかしワン・ホープ号はそれ位の深さの所には簡単に行くことができます。そういう意味においてワン・ホープ号は万能な漁船であると言えます。先生はこの船を設計する時、できるだけ多くの魚釣りの能力を持つように考えました。だからこの船は本当に速く走ることができ、あらゆる魚釣りの状況にあわせることができます。ある人はこの船があまり経済的でないと思うかも知れませんが、どこで魚が釣れるかを知れば、そこへ早く行って、早く帰って来ることができます。もし研究せずに、どこへ行くべきか分からなければ、いろいろな所を動き回り、それでもなお魚を見つけることができないに違いありません。そのような場合、その船はあまり経済的とは言えません。しかし、もし皆さんが研究して、捕りたいと思う魚がどんな魚でそれを捕るにはどのようにしたら良いかをはっきり知れば、船足の遅い船は経済性が悪いということになります。なぜなら時間を無駄にするからです。ガソリンを少し節約するかも知れませんが、一日を無駄にして何の漁もなしに帰って来ることになります。そうすればどうしてそれが経済的であると言えますか。

 ニュー・ホープ号は速度の遅い船です。ですから八時間も漁をして、帰って来るということはできません。出かけるのにも帰って来るのにも時間がかかるからです。実際、朝早く出かけて行って夜遅く帰って来るのでなければ、まる八時間魚を釣ることはできません。そしてニュー・ホープ号ではいつもそのようにしています。ワン・ホープ号はもっと速度が速いのです。その意味において、あらゆる種類の魚釣りをするには、ニュー・ホープ号よりワン・ホープ号の方がずっと向いているのです。皆さんはこれが本当であることを示さなければなりません。先生は皆さんを信頼し、それができることを知っています。

 研究し、自分で見つけた原理原則を応用しなければなりません。できるだけ多くを試み、できるだけ多くを研究する者が勝利者なのです。満潮や、干潮や中間の潮を研究しなさい。この三つの時にどのような結果が得られるかを試み、見つけだしなさい。また海の深さや地形に応じて出かけて行って、魚を捕りなさい。「ああ、ここが魚のいる所だ」という具合に思いなさい。それから出かけて行って魚を何も捕まえられないことがありますが、そういう時にはただ走り去ってしまうのではなく、そこでとにかく一日漁をして、潮の干満によってどういうことが起るかを見なさい。このように魚釣りに出る時にはあらゆる要因を考えなければなりません。

 ストライプバスは捕るのが極めて難しい魚です。先生は昨年、その魚が真夜中に三時間激しく興奮していたのを見ました。その時は何かの先約とか、いかなる予定があったとしても行くことはできません。その魚を釣る以外のことはすべて忘れなさい。ストライプバスが餌を食べている時、噛みついている時だけが絶好のチャンスだからです。しかし計画がまずければ、餌がなくなってしまうかも知れません。そういう時はどうしますか。朝方の三時に店に飛び込んで買うことはできないのです。

 昨年、そういうことが実際に起りました。朝の三時に店を見つけなければなりませんでした。餌を探さなければなりませんでした。誰かが出かけて行って見つけなければなりませんでした。主人が店に寝泊まりしている釣具店を見つけ、そのドアを叩かなければなりませんでした。その主人がプロの漁師だったので、なぜわれわれがそうしなければならないかを理解してくれました。しかし、もしそういった店がなくて、餌を手に入れることができなかったらどうしますか。先生はその時は既にたくさんのストライプバスを捕っていました。多くの人はそういう時には諦めてしまって「今日は良い日だった。他の誰よりもたくさん捕ったのだからもう帰ろう」と言うでしょう。しかし先生はそうしませんでした。午前四時頃餌を手に入れて、魚釣りを続け、さらに多くのストライプバスを釣りました。

 記録を樹立することは非常に重要なことです。自分にとっても重要であり、その地域にいる人々にとっても意味のあることなのです。ある地域で、ストライプバスの記録を打ち立てれば、人々が認めてくれます。彼らは皆さんを尊敬するでしょう。人々が皆さんを尊敬したらどうなりますか。人々は皆さんの所へ来て、どこでたくさんのストライプバスが捕れるかを話し合うようになるでしょう。そして彼らは皆さんがどこで魚釣りをしているか知りたくなるでしょう。しかし皆さんはあまり多くを言う必要はありません。彼らは皆さんを一番良い所に連れて行ってくれるでしょう。そうしたら、皆さんは皆さんが一番良いと思っている場所の一つに、彼らを連れて行ったら良いのです。もし皆さんがある種類の魚で記録を樹立することができれば、そのような他の漁師達と経験を分かち合うことによって、たった一年間で十年分の魚釣りの経験を得ることができます。しかし、もし何らかの記録を持っていなければ、人々はあまり多くのことを皆さんに教えてくれないでしょう。変わった話があります。昨年のアラスカでの魚釣りでのことです。ある人が大変良く釣れる場所に我々を連れて行ってくれました。先生はその人に「ここでは誰が一番上手にハリバットを捕まえる漁師ですか」と尋ねました。すると、彼とそこにいたもうひとりの人がある人を指差して、「この男はレッドと言う名前です。彼は昨年、四百ポンドのハリバットを釣りました。彼はこの辺りで一番良い漁師です」と言いました。

 そこで先生はこう答えました。「それは嘘だ」。先生が真剣にそう言って、そのレッドという男を動揺させると、彼は怒って自分が最も良い釣り場を知っていることを示そうとし、最初の日に一番良い釣り場に先生を連れて行きました。先生はその最初の日に百ポンドのハリバットを釣り、この男が良い釣り場を知っていることを証明しました。その後、彼を賞賛し、彼を喜ばせました。

 同時に、彼にハリバットのより良い釣り方を教えました。そしてこのことが他の漁師達にも感銘を与えました。先生の方法で他の人の二倍の魚を捕まえました。それは時間が問題なのです。先生は他の人よりも速く動き、時間を短縮したのです。また先生は他の人のようにリールを使わないで、マグロのラインのようにしました。そして、ラインを戻す時にはリールよりもはるかに速く戻しました。このように完全に数学的に、よりたくさんのハリバットを捕りました。

 その日の終わりには、他の人々は先生の方法について尋ねました。先生はそれを説明しようとしましたが、彼らはすぐには信じませんでした。先生が彼らと論争すると、彼らは感動しました。既に彼らはそのような釣り方を試していたのですが、しかし釣り糸がいつもからまったのです。先生はそのことについても研究してみましたが、その糸がからまらないような方法を見つけていました。彼らにはその技術を教えてあげたので、彼らは先生が彼らよりも良い結果を得ることができたことに納得したのです。

 これが物事を研究しなければならない理由です。皆さんは何かを仮定して、それを試みなければなりません。こういう具合にしてやって行くのです。何かを仮定して、それを証明するようにしなさい。これが皆さんを一味違った男や女にするのです。魚釣りの場合も、それぞれの魚がそれぞれの違った習性を持っています。こういった習性を知るようにならなければなりません。調査したり、研究したりしなければなりません。研究し、実行し努力しなさい。ただ座っていてはいけません。多くの時間を投入し、多くの努力をするのです。何事においてもこのようでなければなりません。

 伝道もまたこのようなものです。まず皆さんは、多くの時間を投入しなければなりません。最初はそれほど結果を得られないでしょう。それで何を言うべきか、どういう人に語るべきかを研究しなければならないのです。この原理原則を適用し、目標を達成するために努力を集中しなさい。こういうことが、皆さんの一生を通じて適用できる基本的な原理原則だと思いませんか。皆さんが今年の夏学ぶべきことは、ただ単に魚釣りだけではありません。この原則を一度骨身にしみて学ぶならば、決して忘れないでしょう。ここで皆さんが学ぶことは、いつでも、どこに行っても皆さんと共にあるでしょう。経験を通して学んだ事は、決して忘れることはありません。何事に付けても勉強したり、調査したり、真剣に努力したくない人はどうでしょうか。そういう人にはあまり期待を持つことはできません。初めは小さな違いでも、後になってみれば、大きな違いをもたらすものであるということを忘れてはいけません。今、皆さんが若い時にこういった習慣を身に付ければ、後の人生において何者かとなることができるでしょう。しかし皆さんが、こういう具合に投入して、研究して、学んだことを応用する生き方をしなければ、三十年経ったとしても何者にもならないでしょう。

 先生はこれまでずっと集中した生き方をして来ました。先生は何事にも関心を持ちました。先生にとって、魚釣りも単なる一つの領域に過ぎません。先生は単なる漁師ではありませんね。それでも、この辺りでは最も優れた漁師の一人となりました。それは先生が、同じ原理を人生のあらゆる面に応用しているからです。


最善の者から相続する価値ある者となれ

 皆さんが忘れてはいけないもう一つのことは、最高の人について行くということです。最高の漁師にしっかりとつきなさい。二流の人についてはあまり心配する必要はありません。皆さんの地域にいる最高の人に近づくために、魚釣りに充分なる興味をもたなければなりません。たとえ皆さんが非常に多くの関心を持っていたとしても、そのような人を夕食に招待して話をすることができるようになるまでは、自分の中にしっかりとした準備をしておかなければなりません。皆さんが物事をうまくなそうとするならば、最高の人々と連結することが重要です。もし皆さんが歴史に影響を与えたいと思うならば、特質のある人間となり、皆さんの分野における最高のひとびとの心を揺り動かすことができるようにならなければなりません。このような人々に到達するためには、皆さんは何らかの分野において真剣になり、研究し、そして成功を収めるようにならなければなりません。そうすればその分野で、生活において同じような努力をしている人達の心を動かすことができるのです。

 人生において何事かを達成する人々は、それらのことを相続するために、尊敬できる人を持ちたいと思っています。ではその人達はどのような人を尊敬することができるのでしょうか。そのような人々は真剣で、本気になって研究し、学ぼうとする人、そしてその学んだことを応用しようと本当に努力するような人達を尊敬するのです。このような人が尊敬を勝ち得る人です。皆さんはそのような人とならなければなりません。

 そのような最高の人の周りには普通四、五人の人がいるもので、 皆さんはそういう人達を研究しなければなりません。その人々はそれぞれが何らかの良い特徴を持っています。その中の一人は一生懸命働くけれども、時間が来ればすぐに帰ってしまう人かも知れません。またもう一人の人は、より多くの時間を費やすけれども、先の人ほどは一生懸命働かない人かもしれません。三番目の人はそれほど時間を費やさないけれども、非常に真剣で彼ら全部の中で誰よりも誠実であるかもしれません。そういう人々のなかから何を模範とするか見つけだすことができます。そしてそれらの人々の中から、最も良い習慣を受け継ぐのです。三年間、何も言わずにやりなさい。話すことはただエネルギーを消耗し、集中力を奪われるだけです。ただ行動するようにしなさい。だまって静かに学びなさい。皆さんは人々にとって、いなければ寂しがられるような人にならなければなりません。そして皆さんがそこにいない時に、最高の人が「彼は今日どこへ行っているのだろう」と尋ねる様にならなければなりません。そしてまた、他の人達も同じように尋ねるようになるでしょう。それらの人達は皆さんに関心を持ち、彼らにとって、皆さんが本当にそばにいなければならないようにならなければなりません。誰もが皆さんがいないと寂しいと思うようにならなければならりません。先生は皆さんを見ています。先生は、自分が顔を見たいと思っている人のことを考えています。今年は以前に覚えていた人の顔を見ることができなくて、寂しい思いをしています。もし先生が寂しいと思わなければ、その人はマグロのシーズンにとって必要なかった人です。それは良いことではありません。二、三年間魚釣りをしていて、他の人に喜んで教えようとする熱心な人であれば、何か様々な方法を学び、それを他の人と分かち合いたいと思う人です。そういう人は物事をなす上においてごまかしをすることはなく、魚釣りに関する様々な内容を自分で見つけて教えることができるでしょう。

 皆さんはある人が自分自身の仕事には忠実であるけれども、全体の目的のためにはそれほど真剣でないという人を見かけるでしょう。それから、自分の仕事にはあまり時間を費やさないけれども、全体のために他の人が何をしているか関心を持っている人を見かけるでしょう。またある人は自分自身の船には非常に忠実であるけれども、他の人がどうしているかには注意を払いません。そういう人達は、それが自分自身にとって最も良い生活の仕方だと思っています。もう一人の人は、他の人の船に手を貸してやり、またどうすれば物事を良くすることができるか助言を与えています。この二つの例の中で後者の人の方がより貴重な人です。後者のような人は他の船と口論するようなことはありません。彼は既に自分自身の船でなすべき自分の役割をなしてしまって、その残りの時間で他の船を手助けしようと思っているのです。彼は自分自身の船のことだけを考えてるのではありません。だからそういう人がどうして他の船と衝突するでしょうか。そういう人はすべての船に関心を持っているのです。このようにしてその人は小さな口論などには一切関係を持ちません。

 我々は皆、他の人々から近くにいて助けてもらいたいと思われるような人とならなければなりません。このことは、何も皆さんが自分の仕事を成し遂げなくても良いという意味ではありません。そうではありません。そうではなく、自分自身の仕事をなし終えた後に、他の人に自由に手を貸してあげるということです。皆さんはどのようにして仕事を素早く効果的になすかを学ばなければなりません。先生はこのようなことを若い時から実践して来ました。学生の時、先生はこうした習慣を身に付けました。学校において、誰も掃除の仕事をしたがらない時でも、先生はいつもその仕事を引き受けました。学校において他の誰よりも掃除を一生懸命して、自分の先生を助けました。

 また先生は洗面所に行った時にごみが散らかっているのを見れば、誰が見ていなくてもそれを拾ってごみ箱に入れました。このような習慣を付ければ、後になって違いが表れて来るのです。ただ単に自分の役割だけをなすのではなくて、自分以外の他の人達がなすことにも関心を持つようにしなさい。そうすれば皆さんは本当にクラス全体の努力のために貢献するようになるのです。

 先生は四年間他の所へ行っていて、最近モーニング・ガーデンに帰って来ました。そしてこの家の管理人が良い仕事をしていたのか、小さなことを怠っていたのか、すぐに分かりました。船についても同じことが言えます。先生は決して最初の日には点検しません。最初の日には誰もが念入りに点検するからです。しかし、魚釣りが終わったその日こそ、先生が点検する日です。その時までには、その船の幾つかは本当に汚くなっています。最後の日に、最初の日と同じ位きれいな船こそ勝利者なのです。

 先生は何事においても強力な判断基準を持っています。最近、先生は機械工場を見て来ました。そこには二十年あるいは三十年間も働いているベテランがいました。そこで先生は非常に厳しい批評を与えました。しかし彼らは先生の言うことに対して謙虚でした。なぜなら彼らは自分の工場のことしか考えておらず、それ以上のことは考えていなかったからです。それで先生が彼らの考えていること以上のことを考えていると分かったからです。このことは彼らに感動を与えました。

船を造る人達は自分達がかなり良い船を造っていると思っています。しかし先生は彼らの工場に行って見て、彼らが考えていなかったことを一つ一つ細かく指摘します。先生には一点の誤りもありませんでした。先生はこのような真剣な考えをあらゆることに適応するのです。例えばワシントン・タイムズは、今年国際的な競争において二十の賞を勝ち取りました。ただ一つではなく、二十の賞をもらったのです。しかしワシントン・タイムズはまだ始まったばかりなのです。できてからまだ二、三年しか経っていません。しかしこのようなことは決して偶然に起こったのではありません。ワシントン・タイムズの人達は、このような結果をもたらした根本は先生の真剣な態度であることを知っています。彼らはそのようなことを自分達だけでできたとは思っていません。

 基本的にマグロ釣りは、ただ単に海に出かけて行って、マグロを捕って、そしてお金を作るということではありません。そういうことは中心点ではありません。マグロ釣りは人生に対する良い基礎訓練です。もし皆さんがこの原則を忠実に学んで応用するならば、皆さんは人生において成功することができます。分かりますか。皆さんが人生でなす他のすべてのことと同じように、皆さんはそれに多くの時間を投入しなければなりません。そしてあらゆることを学び、他の人と話し合い、そしてそれを読み返し、集中して努力をするのです。

 実際の所、先生は今回ここへ来る時間はありませんでした。しかし皆さんに良い出発をさせてあげたいという思いが強くしたので、昨日ここに来て、朝四時に魚釣りに行きました。そして今日は皆さんと共にいるのです。明日はまた出かけるかも知れませんが、これで最後です。先生は夏中、ここに皆さんと共にいるわけにはいきません。だからどうか最善を尽くして下さい。過去十年間、先生は毎シーズン一日も欠かさず海で過ごしました。雨であろうと、天気の日であろうと出かけました。文字通り、雨が降ろうと日が照ろうともです。ある時は、嵐が来るという警告がありましたが、出かけました。ある時は嵐が来るのがはっきりと見えました。それでも夜中になって先生は「行こう」と言って出かけたのです。キャプテンはそれに従って出かけました。荒れ狂った海の真ん中に出かけて行って、そこで耐え忍んだのです。そしてそれからすべてを克服し、朝方に帰って来ました。

 先生は船に乗ってマグロが来るのを待っている間、アメリカにおける神の摂理についていろいろなことを考え、何をなすべきか計画しました。先生は世界の飢餓の問題について考え、一歩一歩何をなすべきかについて計画しました。先生はたった一年や二年先のことを考えたのではなく、百年先のことを考え、それを準備するにはどうしたら良いかを考えたのです。またマグロの養殖方法とか、どのように餌付けをするか、将来何百万ポンドもの栄養価の高い食糧としてマグロをいかに用いるかを考えました。そのようなことをいつも考えていたのです。先生はマグロがやって来るのを待っている間、何時間も何も考えないでいることはないのです。

 毎朝出かけました。どんなに早くても問題ではありません。そしてその日に対する希望と、期待に満ちていました。また太陽が沈んで帰って来る時には、その日自分の最善を尽くしたという満足と、そして明日は自分のために何が準備されているか考えながら帰って来ました。先生は、皆さんが誇りを持って、先生が行ったのと同じ道を、たどって欲しいと思います。皆さんは今、先生が過去十年間たどって来たのと同じ道をたどるという特権を与えられています。

 皆さんがここでなす全てのことは、直接先生と関連しています。多くのことを先生は自分で発明しました。先生は道を直くし、すべて皆さんのために開拓しました。それを皆さんの誇りとして受け取り、道端の岩の一つ一つが先生のなしたことの証であるごとく、皆さんの足跡も記録されるでしょう。我々のなすことはすべて、深い宗教的な意義のあることなのです。だからただ単に出かけて行って、他の漁師達と同じように、ただ魚を捕って、それを船に縛って家に持って来るということではいけません。こういうような魚釣りをしてはいけません。

これは非常に貴重なチャンスです。決して失望してはいけません。皆さんは、先生が魚釣りをしている間に困難な瞬間があったと思いますか。もちろんそういう瞬間がありました。時として良い時もあれば、疑ったり、悩んだりする悪い時もありました。皆さんが非常に幸福で高められている時、マグロを捕まえている時、その同じ瞬間に先生がどのような経験をしたかを考えてみなさい。先生はただ、もう一匹マグロを釣ろうと考えるでしょうか。あるいは、この世界のもう一つの被造物を、神の愛の影響の下に置くことができたがゆえに、幸せだったと考えたでしょうか。

 皆さんの経験と、先生が魚釣りをした時にどのように考え、どのように経験したかということに結び付けなければなりません。皆さんの使命の成功は、他のすべてのワン・ホープと結び付けています。ただ単にこの地域だけではなく、ワンホープのある至る所、海岸線に沿ったすべての所が、たとえそれが南アメリカであっても関連しているのです。皆さんがこのグッドゴーを操作している時は、自分自身に対して「我々はこの船を自分自身の手で造ったんだ。兄弟姉妹がこの船を造ったんだ」と考えなさい。また我々は、将来自分自身の手でさらに大きな船を造るであろうということを認識しなさい。いつの日か、自分自身の手で造った大洋を渡る何百隻もの船を持つようになるでしょう。

 このような夢はすべてここから始まったのです。ここで実現したのです。ニュー・ホープ号とフライング・フェニックス号は、将来世界中を行くであろう漁船団のささやかな始まりでした。先生が初めてグロースターに足を踏み込んだ時に、人々は先生に反対して立ち上がりました。それはある意味で、ばかげたことでした。なぜなら彼らは先生のことを全く知らなかったからです。とにかく十年経って、彼らは我々のことをもっと理解するようになり、我々がこの漁業を成功させるためにどれほど一生懸命働いているかということを知るようになりました。今や「我々がかつて言い続けたように、レバレンド・ムーンがもし止めてしまっていたら、どうなっていただろう」と考える人もいます。


漁業の伝統の復興

 一番最初の頃、先生が始めた頃はマグロは一ポンド当たり僅か十セントでした。しかし今や一ポンド当たり四ドル以上となり、さらに一ポンド当たり五ドルとなり、いつの日か、一ポンド当たり十ドルないし二十ドルに到達するでしょう。皆さんはそういう日が来るのを見るでしょう。もし我々がマグロを養殖することができれば、何百人もの漁師がマグロで良い生計を立てることが期待できます。先生はそのようなことが起こるために、文字通り代価を支払って来ました。我々の運動は、基盤をこの水準まで引き上げるために何百万ドルも投資して来ました。実際に我々はそのお金をすべて失ったのです。それはただ、物事をこの点まで引き上げるための単なる犠牲だったのです。

 このような状況の中で搾取していた仲買人達は、この場に来た時には本当に腹を立てました。しかしながら漁師達は別の話を知っており、その多くが我々に関心を持つようになりました。もちろんすべての人達が、何がなされているかということを分かっていたわけではありません。多くの漁師は自分自身の船以外のことはそう見ないものです。しかしある人達は我々を好きになり、毎年来るのを期待しています。

 消費者達はマグロについて知るようになり、大変好きになるでしょう。昨年だけでも価格が一ポンド当たり一ドル二十五セントで始まり、三ドルまで上がりました。バイヤー達はそれに対して腹を立てましたが、皆さんは漁師達がいかに辛い仕事をしているか知っています。彼らは非常に朝早く起きて、そして困難な天候に直面して働くのです。それに対して、仲買人達はそれほど一生懸命働く必要があるでしょうか。ありません。彼らはそのように働いたことは決してないのですが、それでもなお、利益の大部分を持って行ってしまうのです。だから漁師達は、我々のしていることを喜んだのです。そして我々がより高い値で買ったので、他の仲買人達もより高い値で買わなければなりませんでした。彼らは自分達の利益の一部を失いました。不平を言ったのは彼らだけでした。我々は儲けのより多くが、それを釣るために一生懸命働いた人の所に行くように願ったのです。それが我々の動機でした。仲買人達には本来漁師に属するものを奪う権利はないはずです。誰かが来て、そういった状況を正さなければならなかったのです。

 かつて、グロースターは鱈やその他の魚の大きな輸出の町でした。ところが、先生がここへ来た時には状況は非常に悪くなっていました。多くの漁師達は午後になるまで出かけさえもしませんでした。彼らは昼まで起きなかったのです。だから先生は、本来のグロースターの精神を取り戻したいと思ったのです。先生はその状況を変えたいと思ったのです。それで先生は毎朝早く午前四時に出かけるようにしました。そして午前九時までにはマグロを釣って戻って来るようにしたのです。これが契機となって、他の漁師達も朝早く出かけるようになりました。

 彼らが朝四時や五時までには出かけるのを見て、先生は午前二時や三時には出かけ始めました。漁師達の中にそれにも挑戦する者がいたら、マグロの漁場を離れないで一晩中船の中で過ごそうと決心しました。しかし午前二時よりも早く出発する者はいませんでした。すなわち彼らは霊的な意味で諦めたのでした。また彼らは先生よりも大きな船を持っていて、自分達はより高価な装備を持っているのだから、自分達の方が良く釣れると思っていました。しかし我々は、成功をもたらすのは船の大きさではないことを証明しました。成功をもたらすのは人間の精神なのです。我々はそれを証明したのです。

 二、三年魚釣りをした後に、朝の儀式のようなものが起こり始めました。朝早くマグロの引きがあると、皆の目はどの船がアンカーを投げるか、探しに行くようになりました。彼らは赤いアンカー・ボールを探して、どの船が動きだしているのか見るようになりました。ほとんど毎日のごとく、一番最初の船はムーニーの船でした。我々の船の数は他の船の数より少なかったのです。しかしその船の数に比べて、我々は朝一番に最初の魚を捕まえたのです。これが我々自らの努力で打ち立てた伝統なのです。皆さん、これを無視してはいけません。先生は「レバレンド・ムーンが今年は来なかったから、ムーニーの船はいい加減な仕事をしている」と聞きたくありません。先生はそういうことを聞きたくないのです。他の人達は先生が刑務所へ行くがゆえに、我々が落胆しているだろうと思っています。しかし我々は今年、他の年以上に仕事をしないでいられるでしょうか。なぜ今シーズンは今までよりも実績を上げなくても良いのでしょうか。これまで十年間、我々は基準を立てて来ました。さあ、我々はそれ以上の道を行くことができるのです。皆さん、その基準を堅く守れますか。それとも今年は敗北するつもりですか。どうですか。いかにしてその基準を守りますか。皆さんは先生の精神に追い付かなければなりません。何をするにも先生の精神でなしなさい。

 本質はこういうことです。すべての心をそれに投入するということです。神様に語り、またマグロに語りなさい。世界のために神のために、すべての心を尽くして何事も行いなさい。十年間、不正と戦って来ました。我々はこのグロースターと戦って来ました。そして今、我々は勝利を収めつつあります。モーニング・ガーデンも我々に返って来ました。そしてまた漁師達も我々を理解し始めています。市長はグロースターでの初期の頃の、我々に対する不公平な取り扱いに対して詫びました。このようにして我々は勝利を勝ち得たのです。

 我々はアメリカの三つの海岸で戦って来ました。我々がアラバマで鋼鉄の船を造り始めた時に、三千人の人々がやって来て、それに反対してデモを行いました。その時には、その地域には他に三十一の造船所があったのです。しかし今やどうなりましたか。そこで生き残っているのは我々の所だけです。そして我々は、その地域の経済に引き続き貢献しているのです。皆さん、それが信じられますか。我々がそこで仕事を始めてから五、六年にしかなりません。もし我々がそこでやらなかったとするならば、誰もこの危機を乗り切った者はいなかったことでしょう。

 同じことがアラスカでも言えます。我々がやろうとしているすべてのことに対して、人々がやって来て妨害しようとします。しかし彼らはそうすべき何らの本当の理由もないのです。アメリカの至る所から来る報告をすべて聞く先生がどんなものか想像できますか。我々が何か初めて出発しようとする時に来る報告はどれも大変悪いものでした。

 先生はこのアメリカのために非常に多くのエネルギーを投入しました。我々の運動はたくさんの時間とお金を投入しました。世界中からたくさんのお金を集め、それをアメリカに投入しました。先生はしばしばすべてを諦めて、どこか他の場所に投資しようかと考えていたことがあります。しかし神様が真にアメリカを用いたいと願っておられるがゆえに、我々は我慢して来たのです。先生がこの国でなしたすべてのことは、すべて人々の反対の下で始まりました。我々を理解し、我々を助けようとした者はだれもいませんでした。それでもアメリカを引き上げるための基盤を造って来たのです。皆さんはアメリカ人です。皆さんはこの心をすべて受け継ぐのです。誰もが先生に反対したようには、皆さんに反対する者はいないでしょう。

彼らは皆さんを歓迎するでしょう。今から人々は我々の動機をもっとはっきりと理解し始めるでしょう。我々はあらゆる戦いに勝利するでしょう。我々はそのような基盤を持っています。まず皆さんは、皆さんの国を救わなければなりません。次に海の未来を確保しなければなりません。かつて、このグロースターから漁に出る大型船が、少なくとも四十隻ありました。しかし今は僅かです。この国には海に対する希望がありません。我々はこの国に対して希望をもたらしつつあるのです。

 だから皆さんは何事に対しても不平を言ってはなりません。皆さんはすべてのことを相続しつつあるのです。海には偉大なすばらしい将来があります。先生はそのことを知っています。皆さんもそれを信じています。その将来は誰のためのものですか。誰のためですか。我々のためですか。アメリカのためです。皆さんがここへ来たのは指導者ゆえではなく、神様が皆さんを呼んだのです。皆さんは神の召命ゆえにここにいるのです。ここにいることが、いかに特別なことであるかということを皆さんは知らなければなりません。だからここにいることに対して不平を言ってはなりません。

 先生は既にこの路程を耐えて来ました。先生は既に長い、莫大な時間を投じて来ました。自分のためではありません。先生はそれを自分のためにしたのではありません。皆さんのためにしたのです。先生は皆さん達若者が、毎年ここに来るようになるだろうということを知っています。だからアメリカの若者のためにすべてをなしたのです。皆さんはその若者を代表しているのです。皆さんはこういったことを先生から受け取り、相続しなければなりません。もし皆さんが不平を言ったら、先生が皆さんに与えようと思うものを受け取ることはできないでしょう。先生はこのことを心配しています。

 ワン・ホープ号はマグロを捕まえるのに必要なすべての装備を持って造られています。それは皆さんのために造られたのです。先生はこの船を全部必要とはしません。先生は皆さんのことを念頭において設計したのです。皆さんがここへ来る前に何時間も何時間も働いたのです。皆さんはこの路程を行きますか。皆さんは、先生が今年皆さんにして欲しいと思うことをするつもりがありますか。先生が自分自身の汗と涙でもってここに築いた伝統のことを考えてみなさい。毎日船の上で働いて、先生は皆さんのことを考えていたのです。

 先生はすべてを準備するのに十年を費やしました。今から我々は海に出かけて行って、そこにあるすべてのものを相続しなければなりません。それはそこで皆さんを待っています。もし皆さんがこれを得ることができなければ、将来より大きなものを失うことになります。先生は皆さんのために、基準を作ろうと真剣にやって来ました。どうかこのことを忘れないでください。もし皆さんが基盤を作らなかったなら、誰か他の人がやって来て、皆さんからそれを奪ってしまうでしょう。

 先生はそのためにこれらの地域を開拓したのではありません。先生はグロースターとメキシコ海岸とを開拓し、今はアラスカを開拓しています。多くの人達が既に来ましたが、先生の努力について決して考えませんでした。先生は朝早く起きて一日中働いたのです。多くの若者達はこれほど一生懸命には働かないでしょう。もしアメリカ人が先生からこれを受け取らないならば、これを日本人に与えるつもりです。もし日本人がそれを望まないならば、先生はすべてを相続させるために韓国のメンバーを連れて来るつもりです。もし韓国のメンバーがそうしないならば、祝福の子女達をしてこれを相続させるつもりです。分かりますか。この点についてはっきりしましたか。先生が言わんとすることが分かりますか。

 この瞬間から決意しなさい。そしてこの瞬間からプログラムは出発するのです。毎日が将来に向かっての第一歩なのです。神様の祝福がありますように。

11. 真の父母と蕩減 

1985年 8月 バークレイ

 一年以上、先生に会ったことがない人、手を挙げなさい。皆さんはどこにいたのですか。サンフランシスコですか。皆さん、不思議な人々ですね。(いいえ)いずれにせよ、皆さんに会えてとても嬉しく思います。皆さんはとても若く、皆さんの顔は、まさに花に例えることができるでしょう。春にさく花です。皆さんはすばらしい顔をしています。そして皆さんの前にいるのは一人の老人です。多分、皆さんは先生を必要としないでしょう。(いいえ)そうです、皆さんは先生を必要としません。(いいえ)

 よろしい、では何について話しましょうか。皆さんは生命力のある若者達です。皆さんが先生に話してほしいということがあれば、どんなことでも話をすることができます。実際、先生はそれについていつまでも何カ月でも、話すことができます。先生は楽しいことについても、惨めなことについても、話すことができます。先生は皆が興奮するようなことでも、また犠牲の道で一生懸命働くことについても話すことができます。楽しいことについても悲しいことについても話すことができます。では皆さんは、先生に何について話してほしいと思いますか。(真の愛です)今日は真の愛について話すべきかどうか分かりません。恐らく皆さんの方が、先生に対してそれについて話すべきでしょう。ダンベリーについてはどうでしょうか。それは何か知っていますか。それは何を意味するか知っていますか。それは刑務所です。どのような種類の刑務所ですか。それはアメリカの刑務所です。韓国の刑務所ではありません。なぜ先生はそこへ行かなければならなかったのでしょうか。それはアメリカが、先生を理解しなかったからだと皆さんは言うでしょう。なぜアメリカは先生を理解しなかったのですか。それはアメリカが理解しなかったからではなく、理解しなかったのは皆さんです。メンバーのすべてが理解しなかったのです。先生は一九七八年までに、このアメリカで三万人の人達が教会につながるように計画しました。もし我々がその目標に到達していたら、もっと異なる結果を得ていたでしょう。それだけの数のメンバーがいれば、このアメリカに確固とした基盤を造っていたことでしょう。それがなかったためにアメリカの国民と政府は、我々を低く見たのです。それは誰の過ちでしょうか。アメリカ政府の過ちですか。それともそれは我々の過ちですか。誰の責任であろうと政府は迫害を進めたのです。しかし、皆さんはアメリカ政府に属しているのではないですか。だからもし皆さんが、政府が悪かったと言えば、皆さん全部もまた悪かったということを意味するのです。先生が十三カ月間刑務所にいたという事実は、アメリカの歴史から決して消え去ることはできません。今後、何万年もの間その事実を消し去ることはできません。その裁判の記録はトラック一杯になりますが、アメリカ人が、先生が誰であるかをはっきりと悟る時には、いかにしてこのケースについて説明できるでしょうか。

 皆さん自身の心の中でどう感じますか。皆さんは先生が決して刑務所へ行くべきではなかったと感じますか、それとも、先生はそうすることに値したと思いますか。先生は皆さんの顔からどう感じているかを当てることができます。ではどうしてこのようなことが起こったのでしょうか。一つはこういうことです。政府が先生を恐れていたからです。その理由は何もなかったのですが、彼らは恐れていました。なぜ彼らは先生を恐れなければならなかったのでしょうか。先生は怪物のような角を持っていますか。先生はこの世の怪物のような人物を象徴しているのでしょうか。皆さん、先生を見てみなさい。何も特別変わった所はないでしょう。唯一の違いといえば、皆さんが寒い時に長い袖のシャツを着るけれども、先生は短い袖のシャツを着るだけです。先生はサンフランシスコの、この涼しい夕方を気にしません。しかし先生はそれで変わっているわけではありません。

 先生の年の人々は、六十を越えれば引退のことを考え始めます。しかし先生にとっては仕事はまだ始まったばかりです。先生はいつでも必要ならば出かけていって、戦う用意ができています。皆さんもまた出ていって、それを行う準備ができていますか。統一教会には他の誰も持っていない、信じられないような二つの言葉があります。それは「真の父母」と「蕩減」という言葉です。これら二つの言葉はすばらしいものです。しかしすべての人達が真の父母が好きなわけではありません。そしてまた、もう一つの言葉である蕩減というのも、またあまり好まれません。それは本当です。特にアメリカにおいてはそうです。そうでしょう。皆さんはそのもう一つの言葉が好きですか。(いいえ)それは結構です。誰もその言葉、蕩減を好きな者はいません。先生自身もその言葉は好きではありません。誰も蕩減は好きではありませんが、我々は自分の面前にその言葉を持って、それに向かって歩まなければなりません。なぜ、そうでしょうか。祝福を受けている人達、手を挙げなさい。おー、たくさんいますね。もしそんなにたくさんいるのであれば、もう褒めるようなことは言うべきでないでしょう。もっと厳しい叱るようなことを言うべきでしょう。それは皆さんが聞く必要のあることだからです。

 また先生は、なぜここにいる祝福の女性達の前に立っているのでしょうか。なぜ男性達がこの場所にはいないのでしょうか。先生が最初にここに座った時には、考えてもいなかったことです。先生がアメリカの女性達を好きでないことは、秘密ではありません。それはアメリカの女性達が先生を好きではないからです。そうでしょう。(いいえ)「いいえ」とはどういうことですか。皆さんは、先生が女性に対して民主的ではないし、公平ではないと言って非難します。皆さんはいつも男性を優先すると言って、先生を讒訴します。こういうことで、先生に対して心の中では煮えたぎっているのです。そして今ここに、皆さんの前に先生が座っています。皆さんが知っているように、先生は男性の立場に立っています。だから、先生と一諸になってこのすべての女達を包み込みましょう。しかしそれを力やお金によってなすことができるでしょうか。そうすることはできません。

 話を続けましょう。皆さんが知っているように、私の人生は戦いの人生でした。先生は自分の周りにいる人達から、最も多くの非難と讒訴を受けてきました。歴史上、最も悪し様に言われてきた人間であるかもしれません。先生はあらゆることに対して非難され、これに耐えてきました。皆さん、それを想像できないでしょう。先生のこと、レバレンド・ムーンのことで何も悪いことを言わなかった韓国人は一人もいません。そのような種類の人は一人もいません。しかし先生が彼らに対して何ら悪いことをしたことはありませんでした。先生は他の人の物を奪ったり、呪ったりしたことはありません。しかしながら、先生はいつも呪われ、悪く言われてきました。日本人もまた同じです。先生のこと、レバレンド・ムーンのことについて、何か悪いことを言わなかった日本人は一人もいません。特に日本の共産主義者については、特にこれが言えます。彼らは先生の名前をプラカードに書いて、そして二十年以上も先生に対して反対のデモを行ってきました。彼らはいつも先生に対して何の根拠もなく、事実でないひどいことを言い続けました。


蕩減による統一

 一九七五年と一九七六年に先生がアメリカに来て、ベリー・タウンに神学校を設立し、百二十カ国に海外宣教師を送った時は、アメリカの国と全世界が反対してきた時でした。先生はこれらの宣教師のチームを三つの国民、すなわち皆さんも覚えているように、アメリカ人、ドイツ人、日本人からひとりずつ選びました。そうした理由は、彼らが第二次世界大戦ではお互いに戦った国を代表しているからです。なぜ先生はこのようなチームを作ったのでしょうか。それは一世代前には、彼らは敵だったからです。

 それをこのように見てみなさい。日本人は小さいですが「出ていく人達」です。アメリカ人は背が高くて、普通やせています。彼らはバッタやキリギリスのように飛び回って、人生において都合の良いことだけを探しています。彼らは「幸せになりたい」とか「幸運でありたい」といったタイプの人達です。ドイツ人は、機械やロボットのごとく綿密な人達です。このような三種類の人達が一つのチームに組織され、そして外国へ送られ、彼らは心の満足がいくまで戦いました。それで人々は、なぜ先生がもっとお互いに調和できるような組み合わせを選ばなかったのか、と不思議に思いました。教会内で多くの人々、多くのリーダーやメンバー達にはそれが疑問でした。しかし、これらの国が代表している三つの点を見ることができました。この使命で行った日本のメンバー達は、自分がその中で最も古いメンバーであることを誇っていました。言い換えれば、彼らは先輩だったのです。日本の文化では先輩であることがいつも大変重要な点なのです。

 一方、アメリカは世界の一等国です。誰しもアメリカ人を軽んずることはできません。そしてアメリカ人はそのことを主張します。しかしドイツ人はアメリカ人を尊敬しません。なぜなら、ドイツ人はアメリカ人よりも優れた技術を持ち、物事を達成することにおいても組織的だからです。それで、その三人のメンバー達が一つのチームを作りましたが、そのような背景ゆえにお互いに譲り合おうとしませんでした。そのため我々は外部からの圧力や迫害の問題だけではなく、このチーム内部にも問題を持ったのです。実際的には内的な不一致が最大の問題でした。それではなぜ、これら三カ国からなる代表を送ろうとしたのでしょうか。皆さんはその答えを知っていますね。先生はそれを蕩減という目的のためにしたのです。蕩減が我々の仕事の上ではカギであるがゆえに、そのようなチームを一つとしなければならなかったのです。

 第一に、誰もが同じ言葉を話せないので極めて困難でした。それについて考えれば、人生は極めて興味深く、波乱に満ちたものとなります。もし誰かが「夕食にしましょう」と言いたいとしても、それを簡単な言葉で言うことができません。だからそれを身振りを使った言葉でしなければなりません。もし皆さんが神の前で調和するのであれば、それは最も尊い、素敵な生活様式となります。それのみならず、この三人の誰もが彼らが送られた国の言葉を話せませんでした。この三人が同じ言葉も話せず、一緒に住むようにここへ来て、さらに現地の言葉も話せない状態を想像してみてください。その土地の人々は、彼らがその国で何をしているのかと不思議に思ったに違いありません。

どの国でも同じような経験をしました。それから、ある国においてはお互いに話し始めました。彼らは「あなたの国においてはどうですか。統一教会はあなたの国の言葉を話せる人を送りましたか」と尋ねました。それに対して「いいえ、お互いに話し合うことも、土地の人達と話し合うこともできない三人の人達を送ってきました。しかし彼らはここにいます」と答えざるを得ませんでした。

 各国はこの奇妙な宣教師のことを調査したいと思いました。しかし誰もが他の者が言っていることを理解できませんでした。ある国においては、それぞれの国の大使館に連れて行って通訳を頼みました。このようにしてそれぞれの国は、その国における我々の教会のことを調査したのです。彼らは三つの違った大使館に行かなければなりませんでした。しかしある小さな国においては、大使館は通訳を出すことができませんでした。それで調査することが全く難しくなりました。大使館の多くは統一教会を支持していませんでしたが、それで彼らの国の国民を守りました。ドイツの大使館はドイツの国民を守り、日本の大使館は日本の国民を守りました。このようにして、異った国において関係を結ぶことができたのです。

 今、先生はなぜそのようなチームを送り出したかについての秘密を明らかにしたいと思います。このようなメンバーをこうした形で送れば、このような宣教師に対して注目が集まるだろうということを知っていました。統一教会を好きな人が誰もいないがゆえに、彼らを国から追い出そうとするでしょう。それぞれの国が統一教会を調査しようとしましたが、そうするためには、宣教師の来た国の人を通訳として話さなければなりませんでした。各大使館は自分自身の国の誇りがあり、自国の国民を迫害させることを望みませんでした。少なくとも外国の土地においてはです。世界がこれらの宣教師に反対しようとし、彼らを駆り立てようとしました。大使館は、少なくとも自分の国民を守りたいと思っていたので、そのような迫害に対して何らかの抵抗をしました。皆さんはこれは愚かな戦略と思いますか。それとも、迫害の時代であると考えれば、これは最善の戦略であったと思いますか。百カ国以上の国に我々の運動に対する迫害があった時、そのようにして種をまかざるを得なかったのです。発展途上国は何が起こっているかを知りません。彼らは先進国の言うことをただ受け入れるだけです。

 いずれにしても、先生は極めて真剣に基盤を造らなければなりませんでした。当時、先進国は先生に対して反対していました。しかし先生は開発途上国に対して宣教師を送り、究極的には先進国を抱きかかえることができるようにと願ったのです。今日、文鮮明という名前を知らない先進国がありますか。今では日常の名前となっていますね。

 過去の十年間において、先進国は先生に対して反対してきましたが、第三世界の多くに強固な基盤を築いたのです。これらの国々の多くは、アメリカが自分達の国に影響を及ぼしてほしくないと思っています。彼らは「ヤンキー・ゴー・ホーム」という旗を掲げています。だから、我々は新しい運動を始めて、それに影響を与えることができるでしょう。アメリカや日本といった先進国では、先生に対して賛否両論のいろいろな動きがありますが、それと同時に、他の多くの国々では我々の基盤は成長しつつあります。

アメリカ政府は持てるものすべてをもって反対してきました。しかしながら、その結果は、彼らの希望したものとは反対のものとなりました。何千、何百万という人々はレバレンド・ムーンが悪いとは信じないし、また政府が正しいとは信じません。先生がダンベリーに入っている間、彼らは統一統会に反対していたのですが、キリスト教社会の多くの人達が我々と一体化し、そしてまたキリスト教会の人達同士の間でも一体化しました。

 ダンベリーに行っている間、先生はこの国のすべての牧師達に小包を送りました。その中には原理講論と原理を講義したビデオテープが入っていました。我々はこれを三十万部以上送ったのです。これらの牧師達の中には、我々がそういうことをしたので驚いた人もいれば、あるいは腹を立てた人もいました。それにもかかわらず、多くの人達がその本を読むか、あるいはテープを聞くようになりました。我々にはそれだけの能力があることを皆さんは知っていますね。人々は我々に引きつけられ、そして何が我々をそのようにさせているのかを知りたいと思っています。

 キリスト教の牧師達は世界で最も貴重な本を持っています。彼らには旧約聖書と新約聖書があります。しかしながら、彼らがどんなに試みたとしても、これらの本に何が書かれているかを本当には理解することはできないのです。彼らはこの二つの聖書を結び付けることはできません。それのみならず、彼らは聖書と今日の世界を結び付けることができないのです。聖書は、多くの家庭において本棚を飾るものとなってしまっていますが、今日の世界の出来事に対しては何らの意味を持っていないのです。多くの知識人にとって、聖書が今日の世界とどのように結び付いているかということは、不思議に思われています。ますます多くの人々が、もはやキリスト教はこの社会で必要な機能を果たすことができないと見ています。このようにして、疑いもなくキリスト教は衰退しつつあります。このような疎外がまさに、キリスト教が今日被っている非常に大変な問題なのです。

 一方、統一教会を見てみなさい。我々は生命が展開する原理原則を知っています。我々は神の摂理歴史の公式とその時間表を知っています。このようにして我々はどこから来て、どこへ行かねばならないかをはっきりと知っています。先生がまさに刑務所に行く時、多くの兄弟が泣き叫び、悔い改めました。

 しかし先生は彼らに対して、「あなたがたは先生がなぜそこへ行こうとしているのか、知っていますか。またそこから先生が出てくる時に、何が待っているか知っていますか。先生がダンベリーへ行くことの目標や目的を理解していますか」と言いました。先生はダンベリーにいる間にしなければならない、いくつかの重大なことがあるのを知っていました。先生はアメリカの歴史において、どんなに長く続こうとも、消すことのできないことを成し遂げなければならないことを知っていたのです。ダンベリーにおいて、刑務所の係官は、非常にたくさんの有名な人達が先生に会いに来るのを見て驚きました。司法省から来た人もいたし、国務省からも先生の所を訪れて来ました。「どうしてレバレンド・ムーンは、そのような有名な人達を訪問しに来させることができるのか」と、彼らは不思議に思いましたが、いずれにせよ、先生はそうしたのです。

 彼らはこう考えました。「ここはアメリカだ、韓国ではない。彼はなぜそうできるのか。なぜこの男がアメリカでそんなに多くの人を導いているのだろう」。我々の運動の中においても、アメリカ人メンバーは同じように考えています。なぜ先生がそのようなことをするのか、なぜアメリカ流にしないのかと不思議に思っています。先生は我々の運動の外にいるアメリカの人々が、どのようなものであるかを正確には知りません。しかし、教会内にいるアメリカ人については良く知っています。だから、彼らのそのような考え方をすぐに把握することができます。先生は皆さんが自分自身を知っている以上に、皆さんについて知っています。それが、統一運動の指導者が皆さんではなく、先生である一つの理由なのです。

 十年間で、あらゆることにもかかわらず、先生はアメリカで達成すると言ったことをすべて成し遂げました。教会のあるメンバー達は、「自分は統一教会に十年いるのに、人に見せることのできる新しいドレスさえ持っていない。家庭もなければ、自分の将来はどうなるのだろう」と考えています。皆さんは心の中でそのような不平を言っているかもしれません。過去においてそのような不平を言ったことはありませんか。もし十年後に先生が皆さんに対して、もう一度万物復帰を始めなさいと命令したら皆さんはどうしますか。これから我々は、過去よりももっと入念なる組織を持たなければなりません。皆さんは外に出かける時には泣くかもしれませんが、しかしそれでも出て行かねばならないでしょう。先生はそういうことを決めるかもしれません。皆さんの状況は、大変難しいものであることを先生は良く知っています。それで皆さんは、先生が不思議な人間であるというふうに感じているのです。

 先生は皆さんをそれほど一生懸命働かせてはいません。実際、霊界にいる皆さんの先祖達は、この国のために皆さん以上に一生懸命働きました。彼らは皆さんを押し出しています。青い目を持った皆さん、アメリカ人達は霊界については良く知らずにいます。東洋人は小さな目をしています。ということは、彼らの方が霊界をより良く見ることができるということです。大きな目を持った西洋の人達は、外的な世界だけを良く見ることができます。例えば、カメラのレンズが広く開いている時は、ほんの僅かの距離しか見ることができません。しかしもっと小さく絞られれば、より広い範囲を見ることができるのです。先生の目は非常に小さいので、永遠の中を深く見ることができるのです。青というのは深い色ではありません。黒いのは非常に深いのです。先生は黒い目が好きです。その色はアフリカ人の色です。先生はそれが好きです。このことはどうですか。先生は黒い目を持っています。そして先生が、青い目をした教授達に来てくれることを頼むと、彼らは来ます。それと同時に、これらの世界的に有名な青い目の教授達が、先生に来てくださいと頼んだ時、先生は行かないのです。それでも彼らは納得します。なぜでしょう。その理由は、先生が彼らの内外を知っているからであり、彼らは先生のそんなことを知っているからです。

 マッチングをするのがどれほど難しいか、皆さんは知っていますか。先生はそれをたった二、三時間の間に何百双もできます。これらのマッチングは非常に良いマッチングです。僅か二、三時間で、先生はどうしてそのようなことができるのでしょうか。皆さん、それができますか。(いいえ)だから皆さんは先生を必要とするのです。それは本当です。西洋人の皆さんは先生が必要ですね。(はい)では、皆さんは先生を必要としていない、全く必要としていないと言いますよ。必要としていない、必要としていない、必要としていない。(いいえ必要としています)では、皆さんが先生を必要としているということにしましょう。アメリカの青年達は興奮することが好きです。皆さんは余りにも興奮することが好きです。なぜ先生はこういうことを話しているのでしょうか。それは、この国の誰も先生が何をしようとしているか理解していないからです。統一教会のメンバーですら、先生のやろうとすることを理解しません。過去十年間、皆さんは先生を理解しませんでした。それは惨めな状況でした。もし皆さんが先生を理解しないとしたら、どうしてアメリカの人々に先生を理解してもらうことを期待できるでしょうか。皆さんだけでなく、先生の家族も先生を決して理解しませんでした。先生自身の兄弟や姉妹達も先生のことを理解しませんでした。彼らも先生に当惑し、反対したのです。

 アメリカは偉大な国であるかもしれませんし、アメリカ人も偉大な国民であるかもしれません。しかし皆さんの考えることは、ただ自分の国のことだけです。もしそのように考えるとするならば、どうして皆さんは偉大であることができますか。世界の問題は皆さんにとってそれほど重要ではありません。今日、世界のある国では何百万の人々が飢えに苦しんでいます。皆さん、それが分かりますか。いいえ、皆さんはそれが分からないでしょう。先生がしなければならないことは、この世界のより良い側面を霊界と連結することなのです。そして先生は、先生の目を深い地獄、最も惨めな状況に向けなければなりません。先生はそういうすべての問題を解決しなければならないのです。

 外部の世界は先生をインチで測りたいと思っているのですが、先生はマイルでもって、行くのです。その二つの基準が違っています。だから彼らは、先生が何をしているのか、なぜしているのか分からないのです。しかし先生は深い責任を持っています。先生は彼らに分かる言葉で、責任を取ることのできる人々を教えなければなりません。クリスチャンに対して何をなすべきか、教えなければなりません。地獄の深い所にいる人にも、何をなさなければならないかを教えなければなりません。それから、彼らの理解できる言葉で教えなければなりません。これは非常に複雑なことなのです。

 このことの良い例はアメリカの女性です。アメリカの女性達は最も尊敬される立場に立ちたいと思っています。しかし先生は彼女達を一番低い地獄の所に置いて、そこから働かせようとしなければなりません。そこまで落ちた時、彼女達はそれでもなお生き残ることができるのだということを発見します。彼女達は、そのような惨めな場所で生活しなければいけないとは、想像したこともありませんでした。しかし、それでもなお彼女達は以前と同じ人間なのです。

 それだけでなく、先生は人々を一つの極からもう一つの極へと動かさなければなりません。これはつまり、東洋人ははるばると西洋へ来なければならないし、西洋人はまた東洋へ行かなければならないということです。先生は両極端の人々を一つにしなければならないのです。先生が人々にこのようにする時に、彼らは死ぬことはできません。生き続けなければなりません。そうすれば、彼らは本当に生き続けるということを見いだすでしょう。彼らの目は成長し始め、そして彼らの人生に対する見方も変わり、より大きくなります。このようにして、たとえ彼らがそれまでずっと、抵抗していたとしても、彼らは人間としてより良くなっていくのです。

 以前、彼らができることといったら、前を真っすぐ見ることだけでした。彼らは上や下、そして右や左を見ることはできませんでした。しかし、今や彼らの目はどの方向でも見ることができます。彼らはあらゆる方向を見渡すことができ、自分達の周りの世界をすべて見ることができます。以前はアメリカ人はアメリカしか見ることができませんでした。しかし今や彼らは世界を見て、そして世界は非常に小さくなってしまったので、彼らは自分の後ポケットに入れてしまいたいくらいだということに気がついています。皆さん、これは一つの進歩だと思いませんか。


蕩減の価値

 このひ弱なアメリカの女達を見なさい。彼女は今や世界を見て、全天宙を抱きかかえることができます。彼女はそれだけの自信を持っているのです。この意味において、アメリカは滅びなければなりません。それは悪い意味においてではなく、良い意味においてです。先生は皆さんについて知っています。統一食口達は十年以上この運動にいたとしても、それでも多くの物を所有してはいません。しかし、皆さんは何百万ドル出しても、お金では決して買うことのできないものを所有するようになっています。皆さんは何でもでき、どこへでも行ける顔つきと性格と自信を持っています。こういうものは、いくらお金を出しても決して買うことのできないものです。

 十年以内にこの小さな姉妹は、そのような自信と「ガッツ」を持つようになったので、彼女はどこへ行ってもドアを叩いて、そして自分の心から言わなければならないことを何でも言うことができます。たとえ二億四千万の人々が反対してきたとしても、自分は間違っていないと言うことを知っています。これはたいした人格であり、ある種の偉大さです。それは皆さんの知っている誰かに似ていることです。誰に似ていますか。皆さんは先生がどういう種類の人間であるかを知っています。皆さんは第二のレバレンド・ムーンになりつつあるのです。それは良いことですか、悪いことですか。

 なすべきことは非常にたくさんあります。だから先生は、皆さんをもっともっと押し出したいと思っています。皆さんはしばしば「自分はつらい仕事は嫌いだ、自分は中心者が嫌いだ」というようなことを言います。しかし皆さんは、先生のことはどういうわけか好きなのです。しかし、もし先生が皆さんにもっともっと辛い仕事をさせるとしたらどうですか。それでも皆さんは先生を好きですか。今までは伝道に行っても、帰って来る時は頭をうなだれて肩を降ろし、そしてしおれた目をして帰って来ました。人々が皆さんを非常に迫害をするので、皆さんは倒れそうな気持ちがしました。だからそういう皆さんに対して、先生は素敵な言葉で話をしたり、慰めるようなことを話してあげました。しかし、今は時が変わりつつあります。

 皆さんが出かけると、多くの人は皆さんを歓迎します。だから、もし皆さんが帰って来た時、先生がまた皆さんを歓迎するとしたら、それは良くありません。皆さんはただそこに立ち止まったままになるでしょう。外からの迫害がなくなり始め、それが途絶える時には、今度は先生が皆さんを迫害する番です。それは本当です。良い指導者というものは、そうするしかありません。先生は皆さんに対して、そのようでなければならないのです。ローマ帝国を見てみなさい。当時ローマ帝国は巨大な帝国で、世界的な影響力を持っていました。しかしどうなったか見てみなさい。彼らは一つのことを忘れました。つまり、彼らの偉大さは世界のためにあるということを忘れたのです。彼らはその偉大さを自分達のものとして保とうと決めました。その時点以降、彼らは衰退し始めたのです。そして最後に彼らは滅びてしまったのです。

 もし皆さんがアメリカを見れば、まさに歴史上のローマ帝国と同じ立場にあるということが分かります。神様はこの国に祝福を与えました。この国は普通の国ではありません。ところが不幸なことにアメリカの人々は、それは自分達のためのものだと考えているのです。もしアメリカの人々が、この国の祝福を自分達のためだけに用い続け、世界の他の人々のことを忘れるとすれば、彼らも例外なく滅びるでしょう。第二次大戦以降、もしアメリカに偉大な指導者がいて、人々に対してアメリカの役割は世界のより不幸な国々を助けることであると教えることができたとしたら、今日、世界におけるアメリカの状況は、はるかに異なっていたものとなったことでしょう。一言で言えば、「ヤンキー・ゴー・ホーム」というようなことを言われる国ではなかったでしょう。このスローガンから、アメリカが衰退しつつあることが実感されます。

 先生はある国が栄えるか滅びるか、いつそうなるかといった歴史のパターンと秘密を知っています。どうすればこの国が栄えるかということを知っています。ではどのようにして、この国を行くべき方向に行くようにと導くことができるのでしょうか。それは先生が皆さんを導くのと同じような方法です。先生のダンベリーにおける最後の四十三日間に、先生に対する世界の世論は劇的に変化し始めました。しかし、もし先生がそのようなことで皆さんを自己満足させるならば、ローマ帝国と同じ道をたどることになるでしょう。だから今は、この国と世界のために先生が皆さんを追い出さなければならない時なのです。

 先生は、皆さんが先生の周りや近くにいたくないと思うほどに追い立てるでしょう。皆さんに対して先生は、ライオンのようになるでしょう。皆さん、それを恐れるのであれば、荷物をまとめて先生の目の届かない所へ行きなさい。他の国のために奉仕しなければならないでしょう。先生は、どうすれば一つの国が栄えるか、また、滅びるかを知っています。これを知っているために、先生はこの国にとって何が良いかが分かっているのです。また、皆さんにとって何が良いかを知っています。他の方法で、どのようにすることができるでしょうか。

 万物は回転します。宇宙のすべての法則は、単純にこのようになっているのです。上昇しているものは、また下降しなければなりません。上昇中の人は、しばしばある点まで下がらなければならないことを理解しないことがあります。これが問題であり、危険です。現在の時点において、この国はいずれ先生を歓迎するであろうということを知っています。それゆえに、先生の心はこの国を越えて動いているのです。彼らが先生を歓迎する時には、先生は既に世界の他の所で仕事をしているでしょう。この国が先生を歓迎する時は、先生がこの国を離れる時となるのです。なぜでしょうか。

 もし先生がここにいて、彼らの歓迎を楽しみ自己満足するならば、アメリカを助けることはできるかもしれませんが、世界が困難な状態になってしまいます。皆さんは先生を愛して、先生にいつまでも皆さんと共にここにいてほしいと思うかもしれませんが、それは皆さんにとって良いことではありません。皆さんはこの時点で立ち止ってしまうでしょう。だから先生は皆さんにこれだけのことを言うつもりです。「もし皆さんが先生に会いたいのであれば、地球上の一番遠い所へ行きなさい。この地球上の最後の一人が救われるまで、先生と共に最も困難な場所に行きなさい」と。もし皆さんがそれでも先生と共にいたいと思い、先生の行く所はどこにでも行ってそのような仕事をするのであれば、皆さんは決して滅びないでしょう。それがアメリカの人々が繁栄する唯一の道なのです。

 多分皆さんは、先生がダンベリーから出て来たら、統一教会をすばらしい環境の所にしてくれるだろうと期待していたかもしれません。しかし、先生は皆さんに対してもっと悪くなりました。皆さん、どう思いますか。それは先生が牢獄にいる間に、強盗とか、そういう悪い人に会ったからですか。先生は彼らの影響を受けて、もっと難しい人間になったのでしょうか。先生が皆さんに言っていることに対してどう思いますか。「自分はお父様がこのような人であるとは決して予想もしなかった」と皆さんは思っていますか。あるいは皆さんは「お父様、どうぞ自分をさらに追い立てて下さい。自分はもっと働きたいと思います」と、自分に言い聞かせていますか。皆さんはここに留まりたいのですか。それとも出ていきたいのですか。

 もし皆さんが先生の言葉が好きでないとしても、いずれにしても皆さんを追い立てます。それが嫌な人は自由に出ていったらいいでしょう。それが最も簡単で、最も都合の良い方法です。さて、皆さんはどちらを選びますか。出ていって安易な道を選びますか。それとも留まって困難な道を選びますか。なぜ皆さんは留まりたいと願うのですか。皆さんは気が狂っているに違いありません。しかし、皆さんがなぜ留まりたいと思うかを知っています。皆さんは蕩減という言葉の意味を知っています。皆さんはその蕩減によって、より良い場所に導かれるということを知っているので、困難な道をたどりたいと願っているのです。先生が皆さんにつらいことをさせても、それが皆さんをより良くしてくれるということを知っているので構わないのです。なぜなら、皆さんは、それが三倍も十倍もの蕩減であることを知っています。もし皆さんが先生に追い出されて、そして遠い国へ出かけるとすれば、それが神様の祝福を得る確かな道です。皆さんはそのことを知っているし、先生もそのことを知っています。だから先生は皆さんを追い出すのです。

 先生が皆さんを追い出し、最終的に皆さんが戻ってくる時には皆さんを歓迎するでしょう。先生は皆さんのために、たくさんの御馳走を作って、大々的な祝賀会を持つでしょう。そしてその時、先生は皆さんを褒め、皆さんがいかにすばらしいかということを皆に語るでしょう。皆さんの先祖達も皆さんを歓迎し、そしてそれがすべてとなるのです。それが我々の時代となるのです。その時まで、皆さんは蕩減という哲学に従って生きなければなりません。皆さんが今晩なしたことは、「お父様、どうか私を困難な場所へ送ってください。私は実績を持って帰ってくることを約束します」と先生に対して言うことです。

 先程言ったように、統一運動における最もすばらしい言葉は「真の父母」と「蕩減」ということです。真の父母は皆さんの世話をし、皆さんが必要とする時は皆さんを受け入れ、皆さんが寒い時には着物を着せ、お腹が空いた時には食べ物を与え、落ち込んでいる時には引き上げてくれる、そういう人です。そうでしょう。しかし、もしそれだけであれば、我々の生活はそれほど興奮するものとはならないでしょう。しかし蕩減ということのゆえに、私達の生活はもっと興奮したものとなり、もっと意味深いものになり、もっと喜びに満ちたものとなるのです。真の父母は本来、蕩減生活をいかに送るかを教える人です。そのような生活こそ、先生が自分自身で送ってきた生活です。蕩減のゆえに、先生は一度に一つのことしかしないということは決してありません。そうではなくて、一度に十も百も千ものことをするのです。

 政府がやってきて、彼らが調べられるだけ先生の生活を調査するかもしれません。彼らが調査している間に、先生は自分のしていることをもっともっと増やしています。もし、先生についてすべてを知ることを自分達の仕事であるとしたならば、彼らの仕事は決して終わらないでしょう。なぜなら彼らは決して追いつかないからです。これはどこから来ますか。それは先生が苦労したからです。先生が受けなかった取り扱いというものは何もありません。それゆえに多方面な人間になったのです。

 我々、迫害されている人間は、自己満足している人間よりも多く考えなければなりません。生き残るために、もっと多くを考えなければなりません。他の人達が安楽に座っている間も、先生は常に考え、より早く動き、そして常に行動してきました。先生は動きながら計画を立てることを学びました。先生は一度にたくさんのことをすることができます。皆さんは先生が能力のある人間だと思いますか、それとも、それほど能力のない人間だと思いますか。アメリカの女性の皆さんに聞いてみましょう。皆さんは先生のような人を夫にしたいと思いますか。

 先生は誰に対しても同じような意図をもって話します。教授達に話す時には、彼らにもっともっと仕事をさせるようにしますが、彼らは構いません。先生が彼らに話す時、強い調子で話したとしても、彼らは先生に対して微笑んでいるだけです。そのようにすることで先生が大好きなのです。それは蕩減の原則のゆえです。例えば、韓国において彼らは先生を一から十まで迫害しました。つまり彼らは、あらゆる可能な方法で迫害をしたのです。しかし今日、先生が韓国で話をする時には、彼らは先生の言うことに耳を傾けます。ただ耳を傾けるのみならず、先生が彼らに命令する時のための準備をしているのです。

 日本においても同じです。アメリカもまたこのようになるでしょう。心配しなくてもまもなくこのようなことが起こるでしょう。この原理には例外はありません。もしこのようにして勝ち得た成功というものがあるとすれば、先生はそれを成し遂げた数少ない人間の一人です。先生を迫害したことのある誰もが例外なく、一度受け入れたならば、涙を流して悔い改めの心を表しました。栄光の道はただひとつだけです。そしてそれは最大の忍耐を持って越えていかなければならない苦難の道です。

 さて先生の計画は何でしょうか。それは皆さんの一人一人を、全く同じ方法で勝利者にするということです。どうですか。それを望みませんか。皆さん、それを好みませんか。韓国人は、たとえ心の中でそうしたいと思っていても「はい、それは望みません」と言うのです。非常に単純です。先生がアメリカでしたいと思うもう一つのことは、この単純な秘密を明らかにすることでした。皆さんは蕩減ということを知っていたので、どんどんと歩んでくることができました。またこのことゆえに、皆さんは勝利を勝ち得るでしょう。

 皆さんは、アメリカで他の誰もが知らないことを知っています。それは何ですか。それは蕩減の価値を知っているということです。皆さんは蕩減を払うという秘密を知っています。いつの日か、他の誰もが通ったことの無い道を走らなければならないことを知っていたので、他の人々が彼ら自身の道を走っている間、下がって研究しました。この先生の近くで生活していた人達も、先生が何をしなければいけないかということを知りませんでした。今でさえも、先生がすることが何であれ、同じような状況です。

 最近のアメリカの歴史においてこれに対する非常に良い例が一つあります。ニカラグアの情勢は、正しい心を持った人々にはあまりにもはっきりしています。アメリカ議会において、コントラに対して千四百万ドルの援助を送ろうという提案がありました。しかし、その少額の援助すらもアメリカ議会が否決した時、何か重大な問題があり、もしそのような状況が放っておかれたならば、アメリカは困難な状況に陥るだろうということが分かっていました。アメリカ議会はその提案を全く否決しましたが、「ワシントン・タイムズ」はそれに対して強く反対の声を上げました。そのために決議がひっくり返されて、コントラは最初の援助額の二倍の額を得ることができるようになりました。その後、何人かの人達がレバレンド・ムーンはアメリカに滞在すべきであり、彼は世界の他の国へ行くべきではないという電話をかけ始めました。そういう内容の電話が実際に来たのです。

 皆さんか世界を見る時に、先生が見るのと同じようには必ずしも見てはいませんが、しかし先生と同じように見ることが必要です。だから先生は、皆さんにもっと教育を受けてもらいたいと思っているのです。皆さんは、真の父母と同じ目で世界を見始めなければなりません。皆さんは、蕩減の原則を通して世界を理解しなければなりません「真の父母」という言葉は、「蕩減」という言葉よりも素敵な響きがあります。しかし、皆さんが真の父母を理解したいと思うならば、皆さんは蕩減ということを理解しなければなりません。もし蕩減というものがなかったならば、先生は今日同じ場所にはいないでしょう。先生が誰であるか、誰も知らないでしょう。皆さんが初めの頃蕩減を好きではなかったことを先生は知っています。しかし、真の永続する成功を収めるには、それ以外の道はないのです。先生が初めてアメリカに来た時、キリスト教の牧師達の先生に対する取り扱いは非常に厳しいものでした。しかし、先生の話を聞きにくるようにキリスト教の牧師達を先生が招待すると、統一教会のメンバーよりも多くの牧師達が姿を現しました。その牧師達は何かを信じていますか。彼らは自分が信仰を持っていさえすれば、天国に行けると信じています。それはほとんど迷信です。それでいて、彼らは何ら別の考えもなく、我々を異端と言っているのです。彼らの考えは子供の世界に住んでいる人々の考えのようなものです。それは本当に皮肉なことです。

 先生が刑務所から帰ってきた時に、皆が先生に対して拍手をしました。先生自身の家族も先生を歓迎しましたし、教会の食口すべても先生を歓迎しましたし、多くのキリスト教の牧師達も先生を歓迎しました。彼らは皆、先生が正しいことをしたと言いました。それは先生がただちょっと刑務所から足を踏み出しただけであるということを考えると、それは驚くべきことです。これは歴史的なことです。そしてそれは、ある方法で発展していかなければなりません。皆さんはいかにして歴史を止めることができますか。もはや天においては決定しました。だから、地においてもそれはなされるでしょう。西洋世界が最近の歴史を支配してきたとしても、いずれはレバレンド・ムーンのやり方に従わざるを得ないでしょう。神様が一度何かを決定した以上、西洋世界といえども神様に対してどのように反対できるでしょうか。神様は今やレバレンド・ムーンを応援することを決定したのですから、西洋世界はいかにそれを避けることができるでしょうか。そういうことはできません。ですから、いずれ彼らもこの道に来るでしょう。待って見ていなさい。何千人ものアメリカの青年達が争って統一教会に入るようになるでしょう。

 今、我々の路程は惨めです。しかし、彼らはいずれ皆さんを探し求めて来るでしょう。そのことを考えてみてください。ムーニーとしての皆さんの将来の路程はすばらしいものです。国中の人々が「ムーニズム」は良いと騒ぐようになるでしょう。国中の雰囲気が変化しつつあります。そして今やムーニーに対して、良い方向の興奮が起ころうとしています。皆さんはこれからますます上げ潮に乗っていくでしょう。人々がやってきて、皆さんについて尋ね、皆さんがこれからずっとどこへ行こうとしているのかを知りたいと思うでしょう。そして彼らは皆さんの行く所に従って行きたいと思うでしょう。その時、先生には一つ心配なことがあります。人々がやって来る時に、彼らは群れをなしてやって来るでしょう。我々は深刻な競争をすることになります。この人達は皆さんより優れたメンバーであるかもしれません。そのようなことが起こる前に、先生は皆さん一人一人に真の路程を通過したということを意味する印を張り付けたいと思うのです。だから、先生は皆さんに、出かけていって、前以上にもっと一生懸命働いてほしいと願うのです。

 皆さんが将来どうなるかは、皆さんが今何をするかによって決定されます。皆さんはいつも韓国の指導者達と争いますか。皆さんは彼らの言うことを聞きたくないでしょう。彼らはそのような地位に値する何をしたのでしょうか。それは蕩減の法則なのです。彼らは建物の柱のようなものです。一度何かの建設を建てれば、その柱を取り替えはしないものです。皆さんもまたこの建物の柱となるでしょう。なぜならば、我々は発展しているからです。皆さんは柱としてはより小さな柱であるかもしれません。それにもかかわらず、皆さんはそのような立場に立つのです。そうなった時には先生は皆さんを引き抜いて、それを取り替えることはしません。だから皆さんは、そのための準備を今しているのです。

 これが本当となるかどうか、皆さん待って見ていない。ハーバード大学やプリンストン、エールやスタンフォード大学、その他の大学の学生が、この運動に入ってくるようになるでしょう。それは絶対に間違いありません。教授達も既に入ってきています。だから学生達もいずれ従うことは確かです。

 教授達は先生が主張していることを理解し尊敬しています。

 皆さんがプライドを持っているとしたら、それは忘れてしまいなさい。我々の教会のメンバーの中には非常に醜い者がいて、皆さんか暗闇で見る時に恐れるような怪物すらも彼らを恐れるようなそんな人もいます。しかし、それでも先生は彼らを愛します。なぜなら彼らは蕩減の法則の中を生きて来たからです。これがムーニーについての大きな秘密なのです。先生の言葉が皆さんにとってどんなに厳しいものであっても、皆さんは構わないでしょう。なぜならば、それによって皆さんが高められるということを知っているからです。

 皆さんは既に、今後四カ月の間に、我々はどういうことをしようとしているかについて聞きましたね。先生は三万名のメンバーを獲得するという目標について皆さんに説明しました。しかし今や摂理の時が変化しました。我々は七万名の牧師を教育しなければなりません。もし我々がこの目標を期限までに満たせないとすれば、我々は困難な状況に陥ります。そのような短い期間に、いかにして、そのように多くの牧師を教育することができるでしょうか。我々は宗教の自由のキャンペーンを通して、我々を支持するようになったり、我々について学ぶようになった七千名の牧師をこの運動に引き入れなければなりません。そして彼らを動機付けすれば、それぞれの牧師がさらに十名を連れて来ることができるようになるのです。

 これらの牧師達は我々について良いことを聞き、少なくとも我々が悪い人間でなく、何も悪いことがないことを知っています。だから彼らは少なくとも、我々の言うことに耳を傾けることができます。彼らが動き、彼らがこのアメリカの国を目覚めさせるために我々を助け始めるということは、アメリカにとって偉大なニュースとなるでしょう。彼らが旗を掲げて一般大衆叫ぶようになる時、この国は再び上昇するようになるでしょう。

 我々にとってこのことは、これからの四カ月間、今以上の努力をしなければならないということです。これらの牧師に対して、アメリカにおける彼らの歴史的役割について教育するために、毎日毎日働かなければなりません。我々がそのようにしてアメリカを動かし、それによって神様が再びこの国を通して働きたいと願うようになるだろうということを確信できる、はっきりした根拠を持っています。皆さんの立場を先生の立場と比較して見ましょう。先生は十三カ月の間ダンベリーの刑務所で一生懸命働きました。そしてその間も、毎日のように様々な指導者と会見しました。今日まで、先生以上の難しい生涯を送って来た人がいるでしょうか。先生は皆さんが、毎日毎晩働いていることを知っています。それでも先生は、この国の全体の方向性、また世界全体の方向性について考えなければならないのです。だから先生はこうした考えから離れることはできないのです。

 先生がダンベリーへ行く前は、一人の牧師が統一教会に来て少しでも統一原理を学びたいという関心を示せば、メンバーは大いに喜んだものです。しかし今や、非常に多くの牧師達が統一教会にやって来て、統一神学を聞き、それを理解しようとしているので、そのような会議のスタッフの人数が足りないくらいです。そういうことが既に起こっているのです。大きな変化がありました。そのような変化はどこから来たのでしょうか。


 先生はアメリカで十二年、ほぼ十三年間働いてきました。先生は成功しなかったように見えるでしょうか。ある日突然、それが全く反対であることが分かりました。そのことをこういう具合に考えてみなさい。これは皆さん自身の国です。皆さんはこの国の言葉や習慣を用いります。先生は言葉も知らずにここへ来なければなりませんでした。そしてアメリカの人々は、そのほとんどが敵となるくらいに先生を迫害しました。誰がこの国のために、それほど一生懸命働く必要があるのでしょうか。皆さんこそ一生懸命働くべきです。なぜなら、これは皆さんの国だからです。蕩減の法則は単純なものです。最も一生懸命働く者が、最も大きな報いを得るのです。先生は皆さんにそのような 報いを得てもらいたいと思うのです。つまり、皆さん自身の国から認められるようになってほしいと思うのです。

 これまで二時間かかって、蕩減について説明しました。ですから皆さんは、蕩減ということがいかに偉大なものであるかということが分かりました。それは勝利のための保証です。だから皆さんは、先生が皆さんに対してなさなければならないことが何か分かりましたね。もう一つ法則規則があって、これを守るのは簡単なものです。例えば、皆さんが人間の体を見れば、硬い骨と柔らかい肉の両方があることが分かるでしょう。ある意味でそれは硬いものと柔らかいもの、強いものと弱いものとの関係ですね。そうでしょう。もし皆さんが強い性格を持っていれば、体は弱いかもしれません。他方、皆さんの体が強ければ、それほど強い性格を持っていないかもしれません。そして、むしろ柔らかいか、おとなしい性格を持っているかもしれません。

 それと同じようにアメリカは強大な国であり、非常に大きな国です。しかしアメリカの性格は幾分弱いのです。アメリカ人は自分の国に対してそれほど愛国的ではありません。自分自身の国を守ろうとする熱意がそれほど強くありません。しかし韓国では非常に違っています。韓国は弱い国であって、歴史を通して中国や日本によって侵略されました。しかし、国民は深い愛国心によって自分の国に結び付けられています。

 このような存在の法則は、皆さんがどこへ行こうとも働いているように見えます。最も多くの苦労や苦しみがある所にはどこでも、最も深い心情と性格が現われるように見えます。国のために、何度も何度も苦しみのどん底を通過し、その中から勝利へ導いてくれる指導者のために最大の努力をなそうという人々が現われるのです。韓国は今、北と南に分裂しています。人々は大国によって囲まれており、それに対して何もすることができません。自分の意思通りにできることは何もありません。人々は他の国がどうするだろうかということを考えなければなりません。彼らは惨めであり、このような状況の下で苦しんでいます。しかし彼らの精神は高く、その決意は非常に強いのです。国は極めて弱いけれども、その内的な性格は極めて強いのです。

 先生についても同じことが言えます。全世界が先生に反対してきました。先生はそのすべてに甘じなければなりませんでした。先生は弱い立場に立ってすべてを守り、自分が何度も何度も打たれるままに任せてきました。しかしながら、アメリカに対して共産主義反対の発言をする時、先生の言うことを理解し、受け入れることができなければ人々は立場を失ってしまうでしょう。もし人々が先生が与えようとしている正しい助言を受け入れることができなければ、彼らはいずれ負けるでしょう。これまで我々は弱い立場に立って迫害を受けて来ました。しかし一度我々が確固たる基盤を獲得すれば、我々は非常に強くなって、真理のために発言し、世界の間違っていることに反対するために発言するようにならなければなりません。我々がそのような認められた中で柔らかくなるのではなくて、より強くならなければならないということがはっきりと理解できますか。先生がダンベリーから出てくるや否や、皆さんは先生の口から何か慰めの言葉を期待したかもしれません。しかし先生は皆さんを追い立て、以前より、もっともっと一生懸命働かせること以外何もしませんでした。

 アメリカの学校制度においては、子供をぶつことはできません。しかしここでは、先生は大人でさえも蹴り飛ばしています。皆さん、生き残ることができますか。先生がアメリカの若い大人たちを蹴り飛ばしているからといって、アメリカが先生を追い出すことができるでしょうか。それともアメリカの人達は、先生をアメリカの国内にいさせるでしょうか。もし彼らが先生をアメリカの国内にいさせるとしたら、それは利己的な理由でそうするのでしょうか。そうではなく、彼らにとって先生が必要であることを理解するがゆえにそうするでしょう。皆さんは既にそのことを理解しています。先生は皆さんを必要としませんが、皆さんは先生を必要としています。たとえ先生が皆さんを蹴り飛ばしたとしても、それでも先生を歓迎するという人、手を挙げなさい。先生は皆さんがいなくても仕事をすることができますが、皆さんは先生なくして仕事をすることはできません。先生はダンベリーから出て来たのだから、入る時以上に強烈です。恐らく皆さんは、先生が復讐心を持っているのではないかと思うかもしれません。そういうことはありません。しかし先生は、神様がアメリカに対してどのように感じておられるか知っています。だからそのことを皆さんに与えようと思うのです。皆さんは厳しい取り扱いを受けても構いませんか。(はい、構いません)では今度は先生が「ありがとう」と言う番です。先生は皆さんの約束を受け入れます。だからそれがあれば、実際にはもうあまり話すことはありません。


海は将来のための我々の基盤

 サンフランシスコのここへ来てから、先生はこの家で非常に多くの御馳走を出されているので、全部食べるのが大変でした。刑務所では、食べる時になると食べたいと思わなくても食べなければなりませんでした。そこにいる者はそこのスケジュールに従わさせられます。ところが、ここサンフランシスコでは、一日のいつでも食べ物が出されました。

 いずれにしても、これまで先生の話を聞いて、皆さんはどんな印象を持ちましたか。先生がそれでもなお、統一教会のメンバーを愛していると思いますか。多分そうではないでしょう。先生はこの「多分(maybe)という言葉は、刑務所にいる時に非常に役に立つということが分かりました。「はい(Yes)」言いたい時も「多分」と言いました。また「いいえ(No)」と言いたい時にも「多分」と言いました。これは非常に便利な言葉です。刑務所にいる間、先生は刑務所の制度を詳しく研究しましたが、とてもその制度を尊敬することができませんでした。それを注意深く見た後に、先生はその制度は本当の目的には役立っていないと結論しました。なぜならば、その制度は大変多くの時間を浪費し、受刑者の間に、政府に対する復讐の思いを起こさせているだけだからです。そのようなことでは良くありません。

 受刑者の中の多くの人達が、外へ出る時に、先生に電話したり先生を訪ねることを望みました。彼らの多くが、そうしても良いかと先生に訪ねてきました。先生は「イエス」ということはできませんでした。なぜなら、彼らは先生の生活とか仕事をそれほど良く理解していないからです。しかしまた「ノー」と言うこともできませんでした。なぜならば、彼らの心を傷つけたくなかったからです。そこで先生は「メイビー」と言わざるを得ませんでした。なぜ先生がそうしたか、皆さんは分かるでしょう。しかし皆さんに対しては、そのような「メイビー」と言うことはありません。先生は「メイビー」という言葉は好きではありません。また皆さんも、そのような言葉を好きであってはなりません。我々の生活においては「イエス」、または「ノー」であるべきです。我々は明確でなければなりません。だから皆さんは「イエス」という人間であるか、あるいは「ノー」という人間であるかの、どちからでなければならないということを理解しましたね。「メイビ」という人間であってはいけないのです。

 皆さんに会うことは本当に良いことです。しかし、ここは段々寒くなってきました。場所を変えませんか。ここにいると少し寒すぎるから中に入りましょう。皆さんはここに先生と共にいます。では一緒にべることも良いことだと思います。しかも先生は生の魚、寿司を食べるつもりです。皆さんは寿司を食べたくないでしょう。ちょっと聞きますが、皆さんは寿司や生の魚を食べますか、それとも売りますか。我々の運動の中では、今やオーシャン・チャーチというのがありますね。我々がそのプロジェクトを始めたのはいつですか。もうすぐ五年になります。皆さん、統一食口達がどの仕事を一番好まないか知っていますか。妻達は夫達に対して「オーシャン・チャーチへは行ってはいけませんよ。そこの人達は寿司を食べなければいけないし、私はそれが好きではないからです」と言います。先生は、そんなことを言う女達は好きではありません。

 皆さんはオーシャン・チャーチの基盤がどのようにして造られたかを知っていますか。先生がその基盤を造ったのです。先生はそれを自分でしなければなりませんでした。最初のうちは、先生は全く一人でした。今は、我々は海老やロブスター、ハリバットを捕まえています。多くのアメリカ人がそのようなシー・フードを好んでいます。先生はそれを知っていましたから、先生が一人であらゆることを開拓し、開発したのです。それから食口達を説得しなければなりませんでした。先生は多くの食口達が過去五年間の内に、オーシャン・チャーチから逃げ出すのを目撃しました。しかし、先生はそれを続けたのです。今や我々は、カナダでロブスターの養殖をしており、またアラスカでもフィッシングをしており、アラバマでも海老を捕っています。東海岸でも漁業を発展させています。前かし、誰もこの仕事をしたいと思った者はいませんでした。こういう仕事は、誰も好きではありませんでした。この基盤を造るため大 たった一人で先生は働きました。

 アラスカには自動的に魚を加工するシステムを持っています。このようなシステムがなかったならば、それを経営するには余りにもお金がかかり過ぎたでしょう。先生はそのための計画を立てなければなりませんでした。工場をどのような段取りにするかの設計もしなければなりませんでした。最初のうちは、誰もそれに興味を持ちませんでした。先生は、どれくらいの魚を一度に取り扱うことができるかを考えなければなりませんでした。そしてあらゆる細かいことを考えなければなりませんでした。自動制御システムを設立するために、我々は大きな赤字を出しました。しかしそのような投資をすれば、いつの日か、事業に成功するであろうということを先生は知っていました。

 シアトルでは、我々はどんな種類の魚からでも、擦り身を作ることのできる工場を造らなければなりません。そのような種類の工場があれば、どんな種類のシー・フードも作ることができます。そういう種類の基盤は非常に重要です。最初のうち、先生はこのプロジェクトに自分自身で取り組まねばなりませんでした。今や、皆さんはこのことを理解するようになり、それを相続することができます。だから先生は、皆さんに両方の手で生きた魚をつかみなさいと言っているのです。それは、皆さんか熱意をもってその摂理をつかむということです。そのことに心を興奮させなさい。なぜならば、それは味もとても良いし、健康にもとても良いからです。

 それは本当です。動物の肉は、いつも食べる物としては必ずしも最善のものではありません。医者達がこの点を証明しつつあります。彼らは人々にもっと魚を食べるようにと言っています。健康のためにアメリカ人はもっと魚を食べるべきです。そういう理由で、我々は日本レストランを作り、また新鮮な魚を配達する制度を作らなければなりません。ムーニーがこういう仕事をしていることに、多くの人は腹を立てるかもしれません。しかし我々はこのような努力によって、漁業を救いつつあるのです。彼らもそれを理解するようになるでしょう。

 皆さん、グロースターについて知っていますね。先生が初めてそこに行った時には、マグロの値段は一ポンド当たり十セント以下でした。今やマグロは一ポンド四ドル五十セント以上です。先生がそれに参入した時、マグロの買い付けをしている人々は先生に反対する声を上げました。しかし先生は気にしませんでした。それは良いことだからです。先生も自分の声を高くして、そういう仲買人が漁師を搾取しているということを言いました。それは本当なのです。そこで漁師達は先生の本当の動機を理解し始めたのです。

 その後しばらくして、先生がニュー・ホープ号に乗って出かけると、無線を通して「レバレンド・ムーン、私はあなたが嫌いではありません。良い一日でありますように」と呼びかけてくるのを何度も聞きました。それは本当です。漁師達は余り多くのお金を稼いではいないのです。彼らは惨めな立場にいます。海に出ていく費用について考えてみてください。海の町は惨めな状況にあります。なぜですか。それは若者達がそういう町から逃げてしまって、内陸へ移動しているからです。彼らは海で仕事をしても、余りお金を稼ぐことができないのです。彼らも一度やってみたかもしれませんが、海に出かけていって、嵐に巻き込まれたりしました。それは惨めな経験であり、多くの人々はそういうことは繰り返したくないのです。特に彼らにとって益となることがない場合にはなおさらです。若者達はそういう町を離れて、もっと容易な仕事を陸地で探そうとしています。青年は将来を象徴します。それは単純なことです。これらの海の町にとってみれば、そこの人々はいずれは衰退し滅びるであろうということです。彼らにとって、それは深刻な問題です。先生はこのことを考え、どうしたら若者をこれらの町に引き戻し、海の生活に引き戻すことができるかということを考えました。これが先生がマグロ釣りを選んだ理由です。アメリカの若者がマグロを釣る経験を持てば、彼はその時の経験を決して忘れないでしょう。一度、二度とそのような経験を持てば、もはや若者は海から逃れることができません。海におけるそのような経験に心を奪われてしまいます。だから先生は、若者に夏中海に出かけてもらいたいのです。そして彼らに、こういうすばらしい経験をしてもらいたいと思うのです。先生はすべての多くの漁業の町を訪ねてみました。漁師達は自分の捕まえた魚について自慢するのが好きです。彼らはお互いに「自分はこんな種類のストライプバスを捕まえて、それはこれ位の重さがあったのだ。自分がハリバットを捕まえて、これのために二十分間も戦った。それはこれ位の重さがあったんだ」ということをお互いに話します。彼らはお互いに話して非常にやかましいのです。

 しかし、そういう所へある若者歩いていって、自分の捕まえたブルー・フィンのマグロの写真を見せ、静かに「これはたった千ポンドの重さでした」と言ったとすれば、彼らは気違いのようになります。彼らはそれを信じないでしょう。彼らはその若者の口を開けて見て、「本当かな」と思うでしょう。若者はこういう瞬間の誇りというものを持ちたいでしょう。先生は若者がこういう種類の誇りを感じてほしいと思います。

 多くの漁師は、彼らが魚を釣る場所を他の誰にも決して言いません。しかしそのようなマグロを釣った後に、皆さんが一緒に漁をしようと彼らを招待すれば、彼らはやってくるでしょう。そうすれば、彼らは皆さんに彼らの漁をす場所を見せて、そしてどうやって異なった種類の魚を釣るかを教えたいと思うでしょう。そうでしょう。もちろん、そうです。人々はそういうものです。もし、皆さんが美しい船を持っていて、彼らに一緒に漁をしようと招待すれば、彼らは皆さんの友達となるでしょう。小さな町でもし皆さんがワン・ホープ号のような美しい船を持っていて、人々に皆さんがそれを造るのを手伝ったんだと言えば、彼らは皆さんを自動的に尊敬するようになるでしょう。皆さんはワン・ホープ号についてはそれほど知らないかもしれませんが、それを見れば、それがいかなる種類の船であるかが分かるでしょう。先生はいろいろな異なった種類の魚釣りをしました。そしていろいろな異なった漁場を研究しました。それから、先生の頭はそれほど悪くありません。実際、先生はかなり頭の良い人間です。先生はこんな細かいことが分かり、それを連結することができます。

 そのような考えで、先生はワン・ホープ号を開発し、設計しました。この西海岸にいるメンバーの皆さんは、ワン・ホープ号を見たことがありますか。皆さんの多くはまだ見たことがないのですね。それでは皆さんは都会の子供ではなくて、田舎の子供のようなものです。皆さんは現在起こっていることを何も知らないからです。皆さんはそのことを見つけて、他のメンバーに追い付かなければなりません。

 先生はその船を設計し、その船の経験からどんな種類の船も造ることができます。先生はもっともっと大きな船を設計する方法を学びました。だから今や、先生にとって問題になるような船は一つもありません。我々はいかなる種類の船も造ることができます。ということは、またいかなる種類の魚をも釣ることができるということです。我々はこうでなければなりません。もし我々がいかなる種類の魚でも釣ることができるとすれば、我々はどんな魚でも売ることができるということです。ニューヨーク市には、巨大で有名な卸売りの組織があり、そこでは世界中の魚を売っています。ここに来た日本のメンバー達の多くが非常に一生懸命働きました。彼らは誰のためにそんなに一生懸命働いたのでしょうか。彼らはアメリカのために、そして皆さんのために一生懸命働いたのです。この国が彼らを迫害し、ムーニーを迫害するというのは悲しいことです。皆さんはそれについて心の中で深く感じなければなりません。さもなければ、誰がこのような状況を変えるのですか。

 先生は皆さんがどういう状況を通過しているか良く知っています。皆さんは先生が持っているような責任は持っていません。先生は統一教会の指導者であり、先生の関心は皆さんのための基盤をいかに造るかということです。いわば、先生は皆さんが住む家を準備するために、地下に下りていっているようなものです。

 二十年前、アメリカ人は日本人を見た時に「彼らは生の魚を食べる動物のようなものだ」と言ったものです。ところがこの数年来、アメリカ人は変わりつつあります。今や彼らは値段の高い寿司レストランで食事をし、たくさんのお金を払っています。アメリカにある日本レストランは非常に多くの金を稼ぐでしょう。日本レストランを最初にアメリカで作った時には、それほどお金を作ることはできませんでした。しかし、今や時代が変わりました。我々はアメリカの都市に、千件のレストランを作ることができます。

 多くのその他のレストラン・オーナー達は、ムーニーがこの種のビジネスに入ってきていることを快く思っていません。しかしそれは問題ではありません。なぜなら、もし皆さんが人々に良い食べ物と良いサービスを提供するならば、人々はそこで食べる度に喜ぶからです。我々はそういう種類の高い水準を持つつもりです。そうすれば、お客さんは何度でも来るでしょう。そのようなすばらしい経験を与えてくれる人々を迫害することは、非常に難しいのです。

 本当に関心を持っているお客さんには、自分達の家で寿司の作り方を教えることもできます。また食事の時以外の時間で、我々はそのための寿司教室を開くことができます。それからまた、我々はレストランの隣に新鮮な魚のお店を作ることができます。自分自身で食事を作りたいお客さんはそこで魚を買うことができます。そのようにすることは人々にサービスを提供する美しい方法であり、また人々と良い関係を築くことができます。このようにして、アメリカのすべての海岸、海岸沿いにある町に発展することができます。これは皆さんにとって良いことであり、アメリカの人々にとっても良いことです。

 力とは何ですか。力とはある状況に対して責任を持つことのできる能力です。もし皆さんがあるものを本当に責任を持つことができれば、それに対して権威を持つことになります。先生はこの点を良く知っています。責任を取る者とは、真の権威を持つ人のことです。皆さんもまたそのような人とならなければなりません。アメリカは世界でそのような権威を持っていますか。

 人間が生きるためには高蛋白質を必要とします。アメリカはその二百海里の中にその蛋白源をたくさん持っていますが、世界の他の人々には与えてはいません。もしアメリカがそのような必要性を理解できず、世界の人々を助けないのならば、先生自身で何とかしようと決意しています。二百海里の制限をめぐって、多くのトラブルがあります。世界の他の国の人々は、これらの海域にある潜在的な可能性を知っており、彼らはそこで魚を釣りたいと思っています。彼らができる二番目の選択はアメリカからその魚を買うことですが、他の国に対して魚業を制限しているこの海域で、アメリカ自身は魚釣りをしていないのです。

 先生の言っていることが何のことか分かりますか。先生はこうした状態を良く知っており、それがアメリカが関連する他の国々に対して、どのような影響を及ぼしているかを知っています。こういうことを考えたアメリカの若者は一人もいませんでした。アメリカの若者は誰も先生を助けに来てくれませんでした。むしろ、先生が皆さんのために基盤を築いているのです。今や、皆さんはこの基盤を見、今まで先生がひとりでしてきたことをはっきりと理解しました。今、皆さんには希望があります。

 過去五年間、先生はアメリカの漁業の状況について調べてきました。それには麻薬の取引が多く関係しています。それは本当です。陸にある漁業会社の多くの背後に、そしてアメリカの港に出入りする小さな船の背後に、多くの麻薬の密売人がいるのです。これらの人々が「マフィア」です。アメリカ政府は、このような組織が活動をするのを防ぐために何もしようとはしていません。このマフィア達はしばしば密輸を支配しており、また港に荷揚げされる値段を支配しており、アメリカの港の多くの局面を支配しています。彼らは人々を麻薬取引に関係せさることによって、その支配権を獲得するのです。それから彼らは、人々をして不法行為ばかりでなく、望む商売をさせるようにするのです。ムーニー達は正しくなければなりません。我々は一歩一歩このような状況を正していかなければなりません。またレストランのために、一日二十四時間、店を開けておかなければなりません。もしどこかのレストランがある種の魚が欲しいと電話をした時に、我々がその魚を持っていなければ、できるだけあらゆる所に電話して、そのお客さんのために必要な魚を見つけなればなりません。他の人達は、一日八時間しか働きません。その後は、彼らは店を閉じてしまいます。彼らは自分のしていることに対して何ら思うこともなく、ただそれだけして家に帰ります。しかしムーニーの場合は、仕事にすべての心を注ぐのです。我々は最も新鮮な魚を持とうと思っているし、それが我々の誇りりです。そのような評判は広まるでしょう。

 それのみでなく、我々はまた海岸から海岸へ、国から国へと協力を惜しみません。もし漁師達が南アメリカで魚を捕っているとすれば、我々は、彼らがその魚をヨーロッパへ売るのを助けるでしょう。もし彼らがアフリカで魚を捕っているのであれば、我々は、その魚をアメリカやその他の国で売るのを助けるでしょう。魚は世界中の海のみならず、川や湖などにもいます。だから我々は魚を捕ったり、養殖したり、加工したり、それを売ったりするあらゆる方法を見つけなければなりません。先生は、魚を捕ると同時に、魚を加工することもできる船を造ることについて考えました。我々がアラバマ船を最初に造り始めた時、その近くにある造船所は次から次へと閉鎖されていきました。だから、造船会社を造るには時期が非常に悪い、と誰もが言いました。そのくらい漁業が衰退していたのです。なぜアメリカ人はそんに魚が嫌いなのでしょうか。それは彼らが、魚というものがどんなに良いものであるか、それをどのようにして料理し、味わうかということを知らないからです。我々は彼らにそのことを教えなければなりません。

 彼らはまた、魚を捕る生活様式がどんなに良いものか知らないでいます。だから我々は、若者を海に連れていって、いかにしてマグロを釣るかを教えなければなりません。そうすれば若者達はその精神を得るでしょう。そして彼らは、そのような生活をしたいと望むようになるでしょう。先生はそのことを何年も前に考えました。そして皆さに話しているのです。いつの日か、人々はレバレンド・ムーンを見て、「レバレンド・ムーンは本当に良い人である」と言うようになるでしょう。

 皆さんが何かの基盤を造っている時には、人々は皆さんが何をしているのか理解できないものです。皆さんがその仕事を成し遂げた後になって、ようやく人々は、皆さんの目的と動機を理解するものです。だから迫害は自然現象なのです。迫害は起こらなければならないのです。多くの人々は迫害ゆえに逃げ出しました。しかし、先生はそれについてすべて知っています。先生の全生涯は、迫害の中で過ごしてきました。先生がダンベリーに行くことによって、何が起こりましたか。先生は四年間分の仕事と努力を失いました。四年間が完全に失われたのです。だから先生の関心は、いかにして復帰をより早く進ませるかです。先生はそれがいつまでもだらだらと続くことを望みません。いかに早くするか、それが先生がダンベリーで過ごしている間、ずっと心に留めておいたことです。先生は、いかにしてアメリカにおいての仕事を早く進めることができるか考えたのです。

 アメリカ西海岸にはいくつかの都市があります。アラスカを中心として、シアトルとサンフランシスコは北アメリカの摂理に属し、ロスアンゼルスとサンディェゴは、南アメリカの摂理に属しています。そのことを考えてみなさい。我々は多くの種類の基盤を持っています。そして、南アメリカにも基盤を造らなければなりません。それらの国にもまた将来があります。我々は、世界的な漁業のための基盤造るのを手助けしなければなりません。

 北極から南極までずっとです。南アメリカには、チリとアルゼンチンがあります。それらは南極に連結しています。誰も南極を所有している者はいません。いつの日か、我々はそこに行くべきです。皆さんはそのことを考えるべきです。我々は北極から南極までの間のすべての国々を連結しなければなりません。皆さんはそのことを考えなければなりません。今から皆さんはそれを打ち立てるために働くのです。

 皆さんは何を愛するつもりですか。何ですか。(魚です)。そうです。魚をもっともっと愛さなければなりません。我々は、いかにして最も良い方法で魚を養殖し、最も費用のかからない方法で魚を加工し、生産するか研究しなければなりません。もし我々が魚を日本に送れば、日本人は高い技術水準を持っていますから、非常に綿密にその魚を観察することでしょう。

 最初、人々は皆さんを迫害するでしょう。しかし、ただ仕事を続けなさい。アメリカと日本はお互いを必要としています。両者は将来の運命を共にしているのです。だから、日本人とアメリカ人のメンバーのマッチングが多く見られるのです。お互いの文化から、それぞれお互いを益するものがあります。日本人の妻を持ったアメリカ人の兄弟は、日本のどこへでも行くことができます。妻が自分の夫を紹介すれば、彼は日本人に信頼されるでしょう。彼らはその男性に何らかの因縁を感じるでしょう。

 アメリカはレバレンド・ムーンを必要としないと感じています。しかし、アメリカは世界から孤立することはできません。日本とアメリカは、お互いよを必要としています。だから、このような結婚をして、文化を一つにするということは良いことなのです。そのようなことから誰もが益を受けるのです。皆さんはこのような国際結婚の一部であるがゆえに、世界において特別の位置を占めています。これは未来の希望なのです。皆さん、いかがですか。皆さんは海に対して、また漁業に対して関心を持っていますか。これまで、いかに世界を一つに結び付けることができるか考えたことがありますか。海の摂理はなんとすばらしいことでしょう。海へ行って魚を捕まえ、それから加工して、それを売るということを悪く考えてはいけません。海は将来の我々の基盤であり、我々は何らかの方法でこの海の摂理に参加するようになるのです。

 我々はこの基盤を、全世界のために築かなければなりません。これが人々と国家を一つにする、最も早い方法です。先生はこれをいかになすことができるかといつも考えていました。だから先生は海に基盤を造っているのです。我々がこの基盤を造れば、将来に対する我々の方向性は真直ぐなものとなるでしょう。

 いかなる基盤を我々が築こうとも、その背後には霊界があるのです。皆さんはそれについて余り分からないかもしれませんが、それは事実です。我々のメンバーの中には命をかけて共産国の中で働いている者達がいます。しかし、彼らはそこにおける将来のために基盤を造っているのです。彼らを守るものは何ですか。CIAも彼らを守ってはくれません。それは確かなことです。何か他のものが彼らを守っているのです。それが霊界です。それらのメンバーのことは、いつも先生の頭の中にあります。皆さんは彼らについて考えないでしょうが、先生は世界中の統一運動の指導者なのです。だから先生の心はいつも、そういうことについて考えているのです。

 この地上世界は、非常に狭い場所です。霊界は広くて際限がありません。それゆえに、皆さんが建設の基礎を造りながら地下で働いている時に、皆さんの仕事がどれだけ広くなるかについて考えなさい。なぜそうなのですか。それは皆さんの仕事の背後に霊界があるからです。このようなわけで、先生は迫害のまっただ中、誰も先生を歓迎せず、皆が先生を排除しようと一生懸命になっている時に、この国中の海の基盤を築いたのです。だから皆さん、今から一生懸命働いて、将来においてその結果を見たいと思いませんか。先生は、皆さんがそのことを全然知らない間に、これだけのことをしたのです。

 今から皆さんは「フィッシュ・セーリング・ファーザー」になることができます。それは誰のことですか。それはムーニーのことです。サンフランシスコに責任を持つのは誰ですか。その人は誰ですか。皆さんはこの新しい基盤を造らなければなりません。皆さんは海が好きではありません。先生はそれを知っています。皆さんは魚を釣ることができません。しかし、皆さんはどうやって魚を釣るか学ばなければなりません。先生が来る時はいつでも、皆さんは先生と共に海に出て行く準備ができていなければなりません。先生がここへ来てから既に二日になるけれど、何も用意されていません。ロサンゼルスの責任者は誰ですか。皆さんも同じようなことをしなければなりません。「フィッシュ・セーリング・マザー」はムーニーの姉妹です。また「フィッシュ・セーリング・ファーザーズ」はムーニーの男達です。

 これが基盤なのです。一度にこの基盤を造ったならば、将来は大きなものとなります。既に先生は、過去十年間に皆さんのためにこの基盤を用意しました。我々は非常に多くの人材とお金を投入してきました。そして、たいした見返りもなしにそうして来たのです。しかし、何か大きなもののための基盤を築いている時には、それは覚悟しなければなりません。


父母の言葉を学ぶ

 先生は何歳ですか。もう既に六十五歳です。それはどういう年ですか。それは大部分の人にとっては引退する年ですね。人々がその年齢に到達すれば、もう人生において新しいことは何もしません。普通、彼らは自分が既にそれまでに築き、打ち立て、馴れ親しんだ習慣の中に落ち着きます。先生にとって、英語を学ぶことは容易ではありませんでした。心の中で英語の文を作りそれを皆さんに正しく語ることは非常に難しいことです。

 先生がもっと若かった時には、コンピューターのような頭を持っていました。先生はあるレッスンを学べば、その明確な意味を書くことができ、一度書けば、もうたとえ十年後でも決して忘れませんでした。しかし今、英語を勉強するとなると、夜に一つの言葉を書いて覚えても、翌朝起きる時にはすべて忘れてしまっています。一つの言葉を十回暗記しても、それでも完全に忘れてしまうことがあります。だから、それがどんなに難しいことか考えてみて下さい。それでも、そのような困難にもかかわらず、英語を学んだのです。

 もし皆さんが、人々が英語を話しているのを聞けば、彼らの言葉に汚い単語が並べられているのを聞くでしょう。彼らは英語を知っていますが、彼らは、自分で見つけることができる最も悪い言葉で話すのです。先生は何度も英語の聖書と原理を読みました。先生は英語は好きではありませんが、皆さんと皆さんの文化を理解するために、それを学ばなければなりません。先生はこのアメリカにいて、統一教会の指導者です。だから、皆さんと話し合うために英語を学ばなければなりません。

 しかしながら、皆さんは韓国語を学ぶべきです。なぜか、それは韓国語が母国語だからです。韓国語は我々の信仰が表われた言葉です。それは我々の「故郷」の言葉だからです。皆さんは、いつ韓国語を学ばなければなりませんか。それは一九九〇年までに学ばなければなりません。それ以後、先生は通訳を使いません。責任者の会議に来たいと思う者は、誰しもが韓国語を知っていなければなりません。さもなければ、何も理解できないでしょう。このために、日本の多くのメンバーは、一生懸命韓国語を勉強しています。皆さんアメリカの若者達は、より長い道を行かなければなりませんね。なぜならば、英語は日本語より遥かに韓国語からかけ離れているからです。それでも皆さんは、韓国語を学ばなければなりません。なぜならば、統一教会の信仰の本来の言葉は韓国語だからです。多くの学者達が韓国語で原理講論を読むために、韓国語を勉強しています。彼らはそうすることの価値を理解しているのです。実際、通訳を通すならば、本来の意味の七五パーセントは失われてしまいます。だから本来の意味に近付くために、韓国語を学ばなければならないということを知識人は皆分かっています。皆さんは信仰の源泉、我々の信仰の内的な部分に近付かなければなりません。

 皆さんは霊界に行く前に韓国語を学ばなければなりません。さもなければ、皆さんの先祖達が皆さんに対して腹を立てるでしょう。先生はこの現実を良く知っています。もし皆さんが先生を信じないならば、今晩死んで霊界に行ってみれば分かるでしょう。先生はこの世における生活と、霊界における生活を明確に教えています。アメリカ人の中には、大きな体をしていて非常にプライドが高く、他の国の言葉を学ぶことができないと言う人がいます。それは彼らにとって不幸なことです。また小さな日本人も、彼らが韓国語を勉強したくなければ同じことです。将来、会議に来た時に彼らは惨めです。すでに日本人は、そういう惨めさを味わっています。会議で、先生は韓国語で話し、英語で通訳がなされているからです。実際、彼らは先生の話の間、眠っているだけです。先生はそういう惨めな状況になるのを見たくありません。だから一九九〇年までには韓国語を学んでください。さもなければ、先生に会いに韓国に来ないように、また先生のいる霊界には来ないようにしなさい。先生は英語を学ぶために非常に努力をしました。先生は非常に遅れて勉強を始めました。だから、英語を学ばなくても良い口実はあったのです。それで今、先生は英語を話すことができますか、できませんか。だからこの年で先生は英語を勉強したのです。皆さんは何歳ですか。皆さんはまだ若者です。皆さんにとって韓国語を学ぶことは、問題ありません。

 先生の年齢で、先生は何でもすることができます。英語も学びました。魚釣りにも行きました。また他のメンバーが考えなかった様々なことをし、若者ですらもできない歩調に合わせてきました。皆さんは若いのです。少なくとも皆さんは、先生に歩調を合わせなければなりません。もし皆さんが韓国語を学ぶことができないとすれば、皆さんは一人前になったとは言えません。皆さん、このことが分かりますか。十年後には多くのメンバー達は、母国語である韓国語で統一原理を読むでしょう。そして、先生の母国語で先生の話を聞くことができるようになるでしょう。もし皆さんがそうすることができないとするなら、それができるメンバーの前で惨めな気持ちになるでしょう。だから母国語を学んでください。それが今、先生が皆さんに頼んでいることです。堕落以後、人類は様々な言語と文化に分かれてしまいました。神様はそれを望みませんでした。そういうものはサタンの願う世界です。皆さんは本来の言葉を復帰しなければなりません。本来の言葉とは何ですか。それは一番最初の親が話した言葉です。しかしながら、皆さんが知っている親達は堕落してしまいました。そして復帰の歴史は、真の父母が打ち立てるまで展開してきました。

 今や、我々には真の父母がいます。彼らの本来の言葉は何ですか。我々はその本来の言葉、母国語を学ばなければなりません。

 神様の力のみが、世界を一つの言葉のもとにつなぐことができます。統一原理は、世界のすべての人々によって韓国後で読まれるべきです。人々が共通の理解を持つようになるまでは、決してお互いに戦うことをやめないでしょう。人類が現在分裂している原因は異なった言語を喋り、人生に対して異なった理解をしているからです。この状況のゆえにこの世界は何と複雑でしょう。

 神様について考えてみなさい。毎晩、人々は何千もの異なった言葉で神様に祈っています。実際、神様の耳にとっては苦痛です。それは本当です。神様にとって、それらを一つ一つ取り扱うのは非常に複雑なのです。神様に「ゴット」と祈る者もいれば、ある者は「神様」と祈っていますし、又、ある者は「アラー」と祈る者もいます。皆さんは神様のためにも、一つの言語を復帰しなければなりません。このような状況において、神様はいかに惨めであるかを考えてみなさい。皆さんは、この状況がアメリカにおける先生にとって、いかに困難であったかを知らずにいます。これは神様にとっても同じことです。だから先生は神様がいかに惨めであるかを知っています。神様は子供達の間において一つの言語と一つの心情、一つの共通の理解を望んでいます。これがゆえに、皆さんにこのことをはっきりと教えているのです。

 韓国を訪れた牧師たちはこのことを良く理解しました。多くの人達が韓国から帰って「レバレンド・ムーンと統一運動を理解するために、自分は韓国語を学ばなければいけない」と言いました。もし彼らがこのような現実を理解するとしたら、皆さんはどうして理解しないのですか。もし他の人達が自分でそのように考えることができるとしたら、皆さんはなぜできないのですか。彼らはムーニーではありませんが、皆さんはムーニーなのです。皆さんは先生に最も近い人達です。だから先生の言っていることを理解しなければなりません。

 一九九〇年まで後五年です。皆さんは韓国語を学ばなければなりません。先生はこのことを一九八一年に言いました。しかし、誰もそのことに注意を払いませんでした。なぜなら、彼らは自分なりに「まだ九年先のことだ」と言っていたからです。今や、もう五年しかありません。まもなくそれは四年先となるでしょう。皆さんが韓国語を学ぶことは簡単ではありません。英語とは全く反対です。韓国語を学ぶ唯一優しい方法があるとすれば、それを暗記することです。皆さんは心がコンピューターであるかのように、それを吸収しなければなりません。皆さん、韓国語を勉強しますか。皆さんは先生に対していつも約束をしますが、時として、皆さんを信頼することができまん。一九九〇年以降は、先生はどこへ行こうとも韓国語でしか話さないつもりです。ヨーロッパへ行っても韓国語だけで話すつもりです。そして先生の言うことが分からない者は、先生の言うことをテープ・レコードーに録音して、後で通訳を見つけなければなりません。しかし先生はそのことさえも許さないかもしれません。

 先生は皆さんが韓国語を学ぶようにと、自分で英語を勉強しました。先生は今、「先生の言ったことが分かった人は手を挙げなさい」と韓国語で言いました。ところが、ここにいる誰も手を挙げませんでした。だから皆さんはどうしなければならないか分かるでしょう。韓国語は発音するのに非常に難しい言葉です。韓国人はどこへ行っても、その国の言葉を早く覚えます。皆さんは、日本人と韓国人の話す英語の違いに気付くでしょう。韓国人はより早く言葉を学びます。そして発音する能力は、もっともっと良いのです。どこへ行こうとも、フランス、ドイツ、アフリカ、南アメリカでも同じです。なぜならば、韓国語がそのような広い範囲の発音を持っており、他のいかなる言葉の発音もカバーするからです。韓国語を勉強したい人は手を挙げなさい。アメリカ政府はムーニーを好きではありませんが、それでも皆さんは韓国語を勉強したいと思うのですね。

 アメリカ政府は、先生がアメリカナイズされずに、却ってアメリカの若者を「ムーナイズ」したという事実を快く思っていません。彼らはそのことを全く好ましく思わず、それを「洗脳」と呼んで、悪いイメージにしてしまいました。しかしそれは統一教会の用語ではなく、彼らの言葉なのです。我々は彼らからそう言われるような、何をしていたのでしょうか。皆さんの生活を以前の生活と比べて見てください。皆さんは前よりも良くなりましたか、悪くなりましたか。皆さんがいかにどれぐらい変わったか、皆さんはよく知っています。だから皆さんは誰かに対して何も言う必要がありません。まもなく彼らは皆さんのことを理解し、皆さんがいかに良い人間になっているかを認めるようになるでしょう。

 今から我々は、今まで以上に一生懸命働くつもりです。そうですね。この地域は二千五百人の牧師しかいません。それは我々にとっては少な過ぎます。皆さんは、なぜ先生が今皆さんを押し出しているか、なぜそんなに急いでいるかを分からずにいます。しかし近い将来、皆さんはその理由をはっきりと分かるようになるでしょう。先生は皆さんが一生懸命働いてくれるものと信じます。先生の飛行機は、一時間以上前に出発することになっていましたが、皆さんに話をしていて止めることができませんでした。だから後で別の飛行機に乗るつもりです。

 先生はここへ来る前に、アラスカで魚釣りをしていました。朝早くから夜遅くまで船に乗って魚釣りをして、一度も休みませんてした。そしてここへ来るとすぐに皆さんに話を始めて、一度も休みませんでした。だから先生を羨ましく思わずに同情してください。先生がかつてここへ来て、この海岸の北から南まで様々な港で魚釣りをして、そして漁業を将来盛んにするために、様々な可能性を探ったというこの事実を知れば、漁師達はどんなに感謝するであろうかということを想像してください。

 漁業のみならず、先生が投資したすべてのプロジェクトにおいて、先生は非常に多くの時間とエネルギーを投じました。これらは先生がこの国からいなくなった後にも、この国における先生の仕事として歴史的な記録として残るでしょう。このことを考えてみなさい。この統一の思想は、やがて全世界を抱擁するでしょう。将来は白人も、黒人も、黄色人も皆統一思想を知って感謝するでしょう。将来、先生をなつかしく思い、そして先生の歩みをたどりたいと思う人の中から、詩や文学が生まれてくるでしょう。黒人も、白人も、黄色人もそういうものを書くようになるでしょう。ダンベリーの人々すらもそのような気持ちを持ってそれを著すでしょう。これは皆さんにとっても言えることです。我々は、今日のために生きているのではありません。未来のために生きているのです。先生は苦労の中から出発した自分の路程を、必ず成功させようと決意しています。その同じ状況が皆さんにも当てはまらなければなりません。もし先生がこのように決めたとすれば、皆さんは違った道を行くことができますか。それは真の父母の伝統であり、それを皆さんに残して行きます。だから皆さんは、この世界の最後の人が救われるまで、ずっとこの道をたどっていくべきです。これは達成するまで、これ以外の道を行くことはできません。我々はこれを人生最大の道だと言っています。。そして実際、これは人生最大の道なのです。

 皆さんの心の中で、皆さんが先生に関する思い出を決して消し去ることはできないでしょう。これは以前ムーニーだった人にも言えることです。彼らの多くは、戻ってきたいと願っています。そして彼らは、教会へ戻ってくる方法を見つけようとしています。たとえ彼らが教会を離れたとしても、先生と共に過ごした思い出を忘れることはできません。このような状況は悲しく惨めなことです。先生が初めて牢獄に入った時に、皆さんが苦しんでいました。その時のことを思い出すと、その重みを感じます。しかし今回、先生が刑務所から出てくると、至る所の人々が先生を歓迎してくれました。

 教会を離れたメンバー達が皆さ同の街頭での活動を見る時、彼らは道の傍らにいて、皆さんの前にそう簡単には出てくこられないということを知っています。誰が彼らにそのような惨めな状況を与えたのでしょう。先生ではありません。先生はそのような状況にある人を見たいと思いません。そのような状況を作ったのは、彼ら自身です。それは非常に悲しいことです。そして先生はそのことをはっきり理解しています。韓国にも、そのような以前教会員だった人がいます。そして彼らは、この教会での生活を、離れた経験による苦しみを乗り越えられずにいるのです。

 これは先生が生きてきた唯一の道であり、先生と共に働きながらいかに多くの人が離れ去ったとしても、先生はこの道を離れることはできません。これは皆さんにとっても唯一の道であり、皆さんが歴史を振り返ってみる時、決して後悔することのない道です。霊界にいる人は誰もが、これが正しい道であり、唯一の道であることを知っています。先生は、皆さんが一生懸命働いてくれることを知っています。神様の祝福がありますように。アメーメン

12. 魚釣りの心情と精神 

1986年 7月 3日 モーニング・ガーデン

 今晩、先生に初めて会う人はいますか。皆さんは新しいメンバーですか。もし皆さんがここで新しいメンバーであれば、きっとまだマグロ釣りを経験したことはないと思います。教会に入る前は何をしていましたか。皆さんは少なくとも十八歳以上ですね。たとえ皆さんがまだ二十歳代の初めであったとしても、まだ若すぎます。初めてマグロ釣りをする人は、手を挙げなさい。今シーズンの結果について心配する必要はありません。先生は皆さんの大部分が魚釣りの経験がないことを分かっています。皆さんはこれまでの十日間の教育と修練を通して、たくさんのことを学びました。しかし、数日の講義と実際の魚釣りの違いを見てみれば、このような訓練は取るに足らないものです。それは現実に比べたら塵のようなものです。皆さんはさまざまな種類の魚釣りを学ぶでしょうが、最も難しいのはマグロ釣りです。

 ジャンボマグロは捕るのが非常に難しい魚です。このマグロは、世界中の五つの海で見ることができます。彼らはそのように広い範囲を旅するので、速いスピードで泳げなければなりません。皆さんが実際にマグロを見れば、胸びれと背びれが身体に収まり、ちょうど魚雷のように泳ぐのを知るでしょう。マグロの最高速度は約百ノットで、平均速度は約三十ノットです。このようなジャンボマグロの生活を考えてみなさい。彼らは海の中で十年ないし十五年、あるものは二十年以上も生きてきたのです。彼らは非常に多くの危険や困難を経験して、それでも生き残ってきました。その意味において、あるマグロは我々以上に頭が良いかもしれません。例えば、マグロはマグロ釣りの船がくるのを見ると、ただ単に船を通り過ぎるのではなく、船のかたわらに寄ってきて注意深くこちらをみるのです。我々はそのような頭の良い魚を捕るために、ここに来ているのです。

 最も大きいマグロは、千ポンドを超えるものがあります。それらは大きな牛よりも大きいのです。しかし、牛のような骨は持っていません。この意味においてマグロは神様の賜物として準備され、我々はその賜物を受け取るためにここに来ているのだと言えます。しかし、一般に、アメリカ人はマグロの味がどんなに良いか知らずにいました。日本人はそのことを長い間知っていました。マグロはとてもおいしい魚です。マグロ養殖の研究開発を行っている日本のある教授が、もしアメリカ人にマグロのおいしさが分かったならば、日本人に残されるマグロはなくなってしまうだろうと心配していました。幸いなことに、アメリカ人はまだマグロについてそれほど多くを知らずにいます。しかし、彼らがそれを知った時には日本人には困ったことになります。

 ここでちょっと比べてみましょう。もしマグロが海の王であり、女王であるならば、マグロは、最もハンサムな王子であり、最も美しい王女です。我々は、このような魚の中のハンサムな王子と美しい王女を釣るためにきているのです。彼らがどんなに美しく、どんなにハンサムでしょうか。例えば、皆さんが何日も何日も海にいて、一本のマグロを釣ったとします。皆さんはそれを見て、突然マグロの所へ行ってキスをするでしょう。多くの人達がそれくらい感激するのです。

 また皆さんは「私はマグロを釣りにここに来ているけれども、やせて荒れた日本人の私の手はあまりにも醜くて、そのような美しくハンサムな魚に触れることはできない」と、このようにも考えるでしょう。マグロ釣りの多くのことに関して興味を持たなければなりません。先生自身が魚釣りを始めたのは、十四年前です。ここに初めてニュー・ホープ号を持ってきたとき、国中がそのことを知りました。先生が初めてここに来たときは、マグロ釣りについては何も知りませんでした。どんな種類の針を用いるのか、どんな糸を使ったら良いのか、何も知りませんでした。しかし三年以内に、自分はマグロ釣りのマスターになるという自信をだれよりも強く持っていました。


マグロ釣りにおける先生の基台

 先生が初めてここに来たときには、たくさんのマグロがいました。恐らく今よりもたくさんいたと思います。普通の日で、一日に一本のマグロを釣ることは珍しくありませんでしたし、一日に二本のマグロを釣ることもよくありました。こういった初期のころを考えると、先生は皆さんとそのような深い経験を分かち合いたいと思います。最初のころ、何度もマグロが食い付きましたが、その度ごとに逃げられてしまいました。それでマグロを釣ってきた漁師達は帰ってきて「またレバレンド・ムーンはマグロが掛かったけれども、逃がしてしまった」と言ったものです。

 先生はマグロを釣って、それを船まで引き揚げることができませんでした。このようなことが毎日起こりました。だから、先生がマグロを持って帰ることができるかどうかが、人々の毎日の噂となりました。皆さんが知っているように、ここにはマグロ釣りに出かけていく大きくて豪華な船がたくさんあります。彼らの中には、妻や子供を連れて行く人もいます.来る日も来る日も彼らが家族に「レバレンド・ムーンはきょうもまた魚を逃がしてしまった」と言っているのを聞きました。

 このように、マグロが食い付きながらも捕まえることができなかったことが、何度続いたことでしょう。一度でも、二度でも、また三度でもありません。十六本目にようやく釣り揚げることができました。二十一日目にして初めて、マグロを船に引き揚げることができました。大貫はこのことを目撃した生き証人です。彼は今晩皆さんの前に立っています。このように我々が二十日の間出かけていって、十五本のマグロが掛かりながら、船に揚げることができなかった日々のことを考えてみてください。十六本目にして、ようやく釣り揚げることができた時、大貫はその瞬間、涙を流していました。このように、我々が最初のマグロを釣らなければならないと誓った信念のことを考えてみてください。

 先生の心の中には「少なくとも一日に一本捕まえることができるように、アメリカの青年を訓練しなければならない」という考えがありました。その二十日間そのような考えを持ったことについて考えてみてください。先生はいかにしてマグロを針に引っ掛けて、しかもそれを逃がさないで釣り揚げるかに焦点を絞って考えていたのです。先生は絶えずこの点を研究していました。もう一つの観点は、我々がマグロ釣りのために費やしたお金のことです。毎日毎日たくさんのお金を費やして、それでも一本のマグロも捕まえることができなかったことを考えてみてください。先生は必死になっていました。

 皆さんは、先生がなぜそんな立場でマグロ釣りを始めたか、理解しなければなりません。また皆さんは、先生がなぜこのような種類の訓練を考え出したかを理解しなければなりません。世界には四つの主要な漁場があります。一つはノルウェー近海であり、あとの三つはアメリカの沿岸にあります。その他にも漁場はありますが、主要な漁場はこの四つです。言い換えれば、皆さんがどのような種類の魚を探そうとも、その魚はアメリカ沿岸で大量に見つけることができます。

 一般的なアメリカ人が魚の価値を知らず、魚を食べないことは悲劇です。魚は一つのサイクルをなしています。すなわち魚が生まれてから死ぬまでです。魚がただ死ぬことは本当に無駄なことです。魚というものは、より大きな魚か人間に食べられるためにいるのです。魚は蛋白質とその他の栄養を多く含んでいます。もし我々が魚を食べず、ただ死んで海底に沈むのをほうっておくとすれば、それは本当に無駄なことです。

 また、六年ないし七年前に、アメリカは漁業専管水域というものを宣言し、外国の船はその海域に入ることができなくなりました。このような宣言は政治問題となっています。日本やイタリア、ドイツのように、経済の一部を漁業に依存している国々は、このような水域を設けたことに抗議をしてきました。それと同時に、アメリカ人はあまり魚が好きではありません。だからあまり魚のことに関心を持ちません。そのために漁業に対して、率先して新しいことをしようとする者がだれもいません。先生は将来に対する心配から、海を中心とした教育プログラムと事業を始めたのです。陸地において農業をするとすれば、基盤を築くまでに二十年かかります。しかし海で始めれば、わずか五、六年で結果が出始めます。海は金よりも、人間によって良く利用されることを待っているのです。問題は、人々がそれについて知らず、あまり関心を持たないことです。アメリカ人が漁業に関心を持たない理由の一つは、漁業それ自体の性質にあります。大きな船団が漁業に出かける時には、三カ月から六カ月、海にいて操業します。その間、漁師の妻は、家にいて何もすることがないので、しばしば夫以外の人とどこかへいってしまうということがあります。

 そのために、海の町で成長する若者は、漁業には一切かかわりたくないと思っています。そして彼らは、オフィスの中でできるもっと良い仕事を見つけようとして、大都会へ行ってしまいます。例えば、このグロースターの町は、二百海里水域が設定される前は非常に栄えていました。多くの外国船が出入りして、物を買ったり、荷を積み込んだり下ろしたりしていました。それでこの町の若者達は仕事を見つけて、ここで働くことができたのです。本当にグロースターは忙しく、そして繁栄していました。ところが、その漁業専管水域の宣言が出た後には、多くの若者が逃げ出してしまい、グロースターはどこかゴースト・タウンのようになってしまったのです。

 出入りする船がなく、仕事をする若者がいなければ、だれがこの町の主人となるでしょうか。ムーニー達が数年前に現れました。我々が最初にここへ来たときには、人々は「ムーニー達は最も悪い人達である」と考えました。彼らはレバレンド・ムーンを何か恐ろしい妖怪でもあるかのように見て、レバレンド・ムーンとムーニー達を追い出そうとしました。しかし実際には、ムーニー達は良い人の中の最も良い人であろうとしています。今や人々の態度も、非常に意地悪であった昔から、今のように温かく歓迎するような態度へと変わってきました。

 多くの人達が豪華な船をこの町に持ってきました。彼らはデッキの上に座って、シャツから大きなお腹を出して、我々に向かって「ヘイ、お前達はだれだ。お前達は何をしているのか」と叫びました。彼らは非常に意地悪な心を持って、そういうことを言ったのです。最初のうちは、だれもマグロ釣りについては何も知りませんでした。我々はさまざまな針やその他のものを買いに回りました。何人かのメンバーは先生と共に行きましたが、彼らもまた何も知りませんでした。すると人々は店の中で「ああ、あれはレバレンド・ムーンに違いない」とささやいたものです。ある時などは、先生が店に入っていこうとすると、店はドアを閉めてしまい、「入ってくるな」と言いました。そこで先生は直ちに「ドアを開けろ」と言ったものです。

 最初のころ、先生はその店の主人が持っているある種の特別な釣り具を求めました。しかし店の人達は、それを先生に見せようとはしませんでした。それどころか先生が望んでいた物とは違った釣り具を出してみせました。先生はこうしたさまざまなことを耐え忍びながら続けてきました。先生は、自分自身が利益を得たくて行ってきたのではありません。これらの海の町を再び繁栄させたいと思ったから行ってきたのです。


マグロ釣りの背後のビジョン

 先生の目標は、アメリカの海岸都市を再び発展させ、世界中の人々に食料を供給するために、魚や海産物を輸出できるようにすることです。皆さんの中には、なぜグロースターのような小さくてつまらない町に呼ばれたのか、不思議に思っているでしょう。皆さんは、迫害や困難な状況を克服する先生の精神を相続しなければなりません。なぜなら、先生はいかにして世界を救い、また全世界の人にいかにして食料を供給するかというビジョンを持っているからです。

 皆さんが乗ろうとする船は、先生が設計し、メンバー達が建造したものです。九年間の経験の後に、先生はグッド・ゴーの船を建造したのです。これらの船を最初に建造し始めた時、だれも経験を持っている者はいませんでした。神山は船を建造する先生の計画を初めて聞いたとき、全く途方に暮れていました。彼はショックを受けた顔をして「何ですって、我々が漁船を建造するんですか」と言いました。彼は先生がそのような船を造ることを先生が言い出さないことを願っていましたが、先生は「最初の年は百五十隻を建造しなさい」と言ったのです。

 そのことを考えてみなさい。そのように多くの投資をしてでき上がった船が、その船の価値について何も知らない、全く未経験のメンバー達に一隻ずつ与えられたのです。これらの船をもって、メンバー達はいかにしてマグロを釣るか訓練を受けました。我々が建造した船一隻ごとに、非常にたくさんの汗と涙と祈りが込められていました。皆さんはそれを理解できないかもしれませんが、そのような精神がそれぞれの船の中に込められています。もし皆さんが本当にこのことを理解するならば、皆さんは船に乗るときに涙を流すはずです。先生が初めてグッド・ゴーに乗った時、先生は泣いたでしょうか、それともあまり深刻に考えずに笑ったでしょうか。皆さんはどう思いますか。だから、皆さんはふさわしい態度を持って、これらの船に連結されている霊的な、かつ国際的な因縁を相続するために祈らなければなりません。世界中の国々が、これらの船の建造を助けるためにメンバーを送りました。そしてそれらのメンバー達は、この船を建造するために彼らの汗と涙を投入したのです。だれも何も分かりませんでした。彼らは文字通り一から始めたのです。だれもどのような材料を買ったら良いのか、何を最初にしたら良いのか知りませんでした。先生は船一隻の価値は将来は十万ドル、いや百万ドル以上の価値になるだろうということを知っています。なぜならば、人々が「これはレバレンド・ムーンによって造られた船である」と言うからです。このために、先生は船を建造するメンバー達にできるだけ最高の質の材料を買うようにと指示しました。彼らは中途半端なものではなく、最高の水準の船を建造しなければなりませんでした。

 将来いつの日か、五十州の各地が、たとえ州議事堂を売ったとしても、ワンホープを買うであろう事を先生は知っています。ところが、統一教会メンバー達の中には、これらの船を見たくもないし、これらの船から逃げ出したいと思っている人達がいます。そういうことを先生は目撃しています。先生の目標と願いは、この船の中に投入されているのにもかかわらず、他のアメリカのメンバー達はそのことを理解せず、この船から逃げようとしています。

 皆さんが、先生がオーシャン・チャーチを始めた時からの御言葉を読めばそのメッセージがいかに重要で、いかに真剣なものであるかが分かるでしょう。しかし先生がそのような説明を与えた後でさえも、多くのメンバーがこのオーシャン・チャーチの活動から離れていきました。それは恥ずかしいことですが、先生はあきらめることはできません。先生はこれをアメリカの若者達に与えたいと思っていましたが、彼らはその機会を得ようとはしませんでした。だから先生は、若い日本のメンバー達を連れてこなければなりませんでした。最も価値のある貴重な宝を見つけるためには、最も困難な道を行かなければなりません。それが真理です。

 今年の夏、ここにいるアメリカのメンバーは自発的にここに来たのですか。それとも、ここに送られてきたから来たのですか。皆さんは本当にここにいたいと思いますか。まだ先生は皆さんを信じられません。皆さんはそれを先生に示さなければなりません。これまで非常に多くのアメリカのメンバー達が、このオーシャン・チャーチの活動から離れ、逃げていくのを見てきました。もちろん、ある者にとってはそうする十分な理由があったかもしれません。先生はただだまって、彼らが来ては去っていくのを見てきました。しかしその間、先生はこのオーシャン・チャーチの努力に対する先生の目標と先生の精神を決して変えませんでした。なぜか、それは先生がその価値を知っているからです。

 もし、アメリカの若者である皆さんが釣りに出かけて行くならば、だれが皆さんに指をさすでしょうか。だれもいません。ところが先生が韓国人であるがゆえに、先生に対しては皆が指をさしたのです。皆さんは、いかなる困難な状況の中でも、いかなる迫害の中でも、皆さんが、通過するすべてのものは、先生が皆さんの前に通過していることを覚えていてください。分かりますか。先生は決して引き下がることはしません。常に前進します。人々は今年になって「レバレンド・ムーンは昨年ダンベリーの刑務所にいたのが、出所してきた。彼の運動は彼がダンベリーにいる間に少し衰退したに違いない。彼らは昨年二十隻かそこらの船を出したが、今年は十隻かそこらしか船を見ないだろう」と言ったかもしれません。しかし先生はそうではなくて、今年七十隻の船が漁に出るようにと命令しました。皆さんはそのような精神を持っていますか。

 先生は、皆さんは外部のアメリカの若者と同じだと思います。皆さんは同じタイプです。皆さんは「そうではない」と叫んでいます。しかし同じタイプだと思います。どう思いますか。本当ですか、本当ではありませんか。先生は皆さんを信頼することはできません。皆さん、先生に見せてくれなければなりません。皆さんが実績を持ってくるときに、他の若者とは違っていることを先生は知ることができます。今から我々は異なった道を行くのです。それができますか。手を挙げなさい。できますか。先生の話を理解できなかった日本のメンバー達は、手を挙げる機会を逃がしました。皆さんが乗っている船は、世界の漁船の中でも最高のものであることを忘れてはいけません。そしてそれがレバレンド・ムーンによって造られたものであることを忘れてはいけません。我々がこの船を造ったのであり、ムーニー精神がこの船を造ったのです。我々はお金をもうけたいからではなく、アメリカの精神を再びよみがえらせたいと願ったからです。

 このグロースターの町自体が消え去るまで、我々は毎年ここに来るでしょう。我々はこの町の面倒をみます。我々がこの海の面倒を見るのです。今晩、ここには約二百人の人がいます。誰しもが同じ状況の中にいます。全員が二本の手と二つの目と、そして手足は無傷でいます。先生は皆さんと同じようなものを持っていますが、しかし人々を指導する能力とか、戦う精神とか、物事をあきらめないことは、ここにいる二百人を合わせた以上の能力を持っています。その違いは、決意と献身、つまり精神の中にあるのです。


我々がなるべき種類の人間とは

 先生はダンベリーへ行った時さえも、この国によって打ち負かされたのではありませんでした。そうではなく、不正に対して戦ったのです。先生がダンベリーから出てきた時には、このような戦いにおいて認められました。我々には決意が必要です。我々は高く立って「いかに風が強く吹こうとも、いかに多くの嵐がこようとも、自分はここに立って決して止まらない」と言わなければなりません。数年前、グロースターで嵐がくると警告がありました。そしてラジオのアナウンサーは、家にとどまるように言いました。ところが、先生は午前一時に「出かけよう」と言ったのです。風が非常に強く吹いていたので、誰もが危険があることを知っていました。それにもかかわらず「前進」と言ったのです。そして我々は嵐の中へ出かけていきました。

 先生はそのような男が好きです。いかなる女性もそのような男性を好みます。皆さんはどうですか。皆さんはそのような男性を好きですか。あるいはただディスコで踊るような人間を好みますか。皆さんはどんな種類の人間ですか。皆さんはレバレンド・ムーン流の人間ですか。先生は非常にタフな人間です。それと同時に、先生は霊的な方向にも従わなければなりません。それがどういうことか分かりますか。我々がまさに行かなければならないという精神とは「自分の目が最後に閉じるまで、誰にも自分の手を開けさせない。自分はこの道をできるだけ強くつかんで決して離さない」と言うことができるような精神を持たければならないのです。

 一般に言って、アメリカ人はあまり強い伝統を持っていません。ただ二百年の歴史があるだけです。韓国のような小さな国が約五千年の歴史を持っています。ということは、皆さんは地上においては韓国の二十五分の一の時間しか持っていないことになります。このように比較すれば、皆さんは非常に伝統が少ないのです。アメリカ人は風の吹くままに流れる傾向があります。もし風が東に吹けば、東に行きます。風が西に吹けば、西に行きます。例えば、この国では伝統がないために、男達は「ああ、自分は女はいらない。男達と共に生きよう」などと言っています。また女達は「私達も男性はいらない。女同士で互いに愛しましょう」と言っています。もし、このような現象がこの次の世紀まで続くならば、アメリカ人は消えてしまうでしょう。

 そのことを考えてみなさい。多分、黒人や土着のインディアンは「ああ、お前達白人はそのようなことを続けていくが良い。あと百年もすれば、我々は自分達の国を取り戻すことができる。我々はお前達なくして、この国の面倒を見ることができる」と言っているかもしれません。それは本当に恥ずかしいことです。この国の若者は恥という概念を持っていません。だから彼らはフリーセックスは自然だと思っています。しかしムーニーは、このような種類の人間とは量においてばかりでなく、質においても違っています。皆さんの特質とは、たとえ誰かがこのアメリカの二億四千万人の全人口をして皆さんの霊的生活と取り代えたいと願ったとしても、決して心を動かされることのないという者でなければなりません。

 もし二つのタイプの人間が一緒に生活しているとしたら、その二人のうちでより強い者の方が生き残るでしょう。誰であっても、より多くの努力を注ぐ者が主体となり、働きの少ない者が対象となるのです。日本人は一日二十四時間、一週間に七日間働きます。他方アメリカ人は一日わずか数時間しか働かず、また一週間の極わずかしか働きません。どちらが将来の所有者となるでしょうか。どちらが先頭になるでしょうか。一生懸命働く人ですか、それともいい加減に働く人ですか。もちろん、一生懸命働く人の方です。

 だから先先がアメリカに来た時、辺りを見回して、誰が一生懸命働いているかを探しました。先生はこう言いました。「もし皆さんが一日十時間働くならば、自分は二十時間働こう。もし皆さんが基盤を造るのに二十年かかるとするならば、自分は十年しかかからない」と、このように言ったのです。それが先生の決意であり、今もなおその決意を持続しています。先生からそのような精神を相続したいと思わない人は手を挙げなさい。この言葉を聞いて理解することは優しいことですが、これを実践して皆さんの日常生活に応用しようとすれば、皆さんはそれから顔を背けて「自分はとてもやっていけない」と言うでしょう。

 ここでは朝四時に起きますが、その時は光もありません。先生は皆さんが「ああ、自分はこのムーニーの伝統はとても好きになれない。あまりにもすることが多すぎる。これは自分にとっては問題だ」と言うのが聞こえます。いや、これが先生にとって問題なのです。先生にとってそんなことを言う人が問題を提供するのです。我々の状況は異なった世界にいるということです。我々が前進するにつれて、もっともっと難しくなるでしょう。皆さんは我々の理念について考えなさい。我々は世界を統一することができるのです。それが我々の概念であり、可能性なのです。我々はそれをどうしようというのでしょうか。皆さんにとって、これまでそれがいかに難しかったでしょうか。今からは、それがさらに難しくなります。これが我々の結論です。

 朝早いので、皆さんは「ああ、このような生活は気違いじみている。これは東洋の伝統だ。これは韓国式だ。私はこれが嫌いだ」と思うでしょう。先生はこの点を知っています。皆さんは先生を単なる韓国人だと思いますか。第二次世界大戦が終わってから四十年間、先生はいつも人とは違った道を歩んで来ました。韓国においてさえ、人々は「こいつは気違いだ。彼の頭はどこか間違っている」と言いました。先生はあらゆることにおいて困難な道を選んで来ました。韓国でさえも、人々はこんな方法を望みませんでした。これは韓国式でもなければ、東洋式でもありません。なぜ、韓国において人々はレバレンド・ムーンに反対したのでしょうか。なぜ人々は、日本においても先生に反対したのでしょうか。なぜ人々は、この国においても先生に反対したのでしょうか。それはこの生活が神様の道だからです。神様は先生が行ってきたことを知っています。先生はあらゆることを神様が指示されるままに行ってきました。神様はハンサムな男の道、つまり簡単な道を選びません。神様の道はいつも最も困難な道です。先生はいつも二つの道を比べて何であれ、困難な道を選んできました。

 なぜでしょうか。なぜなら先生はいかにして、できるだけ近い道を進むかということに関心があるからです。先生は最も素早い方法で遠くの距離を進みたいと思います。誰もそいう道を通って行きたいと思いません。しかし神様は先生にそういう道を行くようにと主張されました。だから先生はいつもそのような道を歩んできました。今や霊界と統一世界はこのような道を行かなければなりません。この道はアメリカ式とは違っています。だから若いムーニー達は統一教会的な道を好まないのです。皆さんが抱いている観念というものがそれを困難にしているのであって、道そのものが困難なのではありません。この点が分かりますか。

 統一教会を代表することができるのは誰でしょう。皆さんですか。先生はいつも将来について、全世界について考えて来ました。皆さんはそれだけのことを考えて来なかったでしょう。なぜ皆さんはアメリカ式にしがみつくのですか。皆さんは「ああ、アメリカは世界第一等の国であり、指導国家であり、自由世界のチャンピオンである。我々はあらゆることにおいて第一位である」と言うでしょう。そしてまた皆さんは「なぜ我々はレバレンド・ムーンのような東洋式に従わなければならないのか」と不思議に思うでしょう。この道を行くか、行かないかです。聖書は「冷たいか、熱いかである」と言っています。神様は中途半端な人間を好みません。サタンですらもそのような人間を好みません。皆さんはどうですか。皆さん、この道を行くのに燃えていますか。燃えたムーニーとなっていますか。皆さんは何ですか。自分が今先生の言っ人間と違っていると考える人は手を挙げなさい。先生はどのように反応すると思いますか。先生は皆さんに良い笑顔を返していますか、それとも疑いに満ちた笑顔を返しているでしょうか。自分自身の中で新しい決意をしなさい。腹を据えて、性根を据えて新しい決意をしなさい。この目的のために、皆さんに話しにきたのです。それが唯一の理由です。もう一度、皆さんに聞きます。皆さんはこの道を歩みたいと思いますか。


魚釣りに対する先生の心情

 では、本論に戻りましょう。時々、皆さんが話をする時には、テーブルをセットする前に部屋を掃除しなければなりません。そうでしょう。それが指導者という者です。今や皆さんは「どんな嵐が来ても自分は出かけるぞ」というような決意ができたと先生は確信します。皆さんはそういった決意を持っていますか。よろしい。それが違うところです。さあ、皆さんは決意を持っています。だから先生も皆さんに話すことを幸福に思います。

 皆さんはこれらの新しくて清潔な船の責任を与えられました。マグロ釣りを七十日間した後に、これらの船を今と同じように清潔な船として返さなければなりません。これはこうすることによって、ただ単に皆さんの船を愛するのみならず、皆さんの国を愛したことになるのです。一度海に出かければ、皆さんの船と皆さんの体とどちらがより大切ですか。いやいや皆さんの体の方がより大切でしょう。よろしい。皆さんは船の方がもっと大切だと主張するのですね。今度だけは皆さんに同意します。なぜならば、海に出かけた時には船の方が大切だからです。海の上では、船こそが皆さんが生き残れるかどうかの鍵を握っているからです。

 だから皆さんは、自分の体を愛する以上に、皆さんの船を愛さなければなりません。皆さんがどんなに有名であろうとも、どんなに多くの人々が船に乗っていようとも、海にいる時は船の方がもっと価値があるのです。船なくして皆さんは生きることができません。自分の手に油が着いている時には手を洗うくせに、船が汚れている時に船をきれいにしない人のことを考えてみなさい。こういう人は、今日先生が話している精神の持ち主ではありません。

 もし皆さんが海に出てそのような態度でいるならば、船が皆さんを嫌うでしょう。そして、海も皆さんを嫌うでしょう。しかし、もし皆さんが心をつくしてその船を愛するならば、海ですらも皆さんを抱きかかえるでしょう。船が皆さんに愛を返し、海が皆さんを抱きかかえる時にのみ、皆さんは幸せを感じることができるのです。もし皆さんが船に対して「あなたは私と共にいることを誇りに思いますか」と尋ねてみて、皆さんの船が「はい、その通りです」と答えるとしたら、何とすばらしいことでしょうか。もし皆さんが皆さんの船からそのような気持ちを感じることができるならば、また海からもそのように感じるならば、何とすばらしいことでしょうか。

 さらにまた、皆さんは船の備品を愛し、良く手入れしなければなりません。エンジンと船は皆さんの生命を守るものです。また皆さんのラインや針を皆さんの着物以上に愛さなければなりません。皆さんが誰かを、あるいは神様を愛する時には、それらを決して傷つけたりはしないでしょう。それと同じことです。もし皆さんが船を愛し、また船の上のものをすべて愛するならば、それらも皆さんを傷つけることはないでしょう。むしろ皆さんを守ってくれるでしょう。

 皆さんはこうした態度を身につけなければなりません。もし皆さんがそうした態度を身につけているならば、事故も起こらないでしょう。船の上で最も重要なものはエンジンです。エンジンなくして動くことはできません。だから、エンジンは船の心臓のようなものです。船がどんなに良いものであろうとも、もしエンジンが正常に働かなくなれば、皆さんは身動きができなくなります。また皆さんは、いかに正しく船の舵をとるか学ばなければなりません。突然動くようなことをしてはいけません。それは危険です。また船の上ではふざけてはいけません。先生は魚釣りを始めた最初の九年間は、決して船のデッキの底へ行って眠ったりはしませんでした。九年たってから、とても頭の痛い日があり、一日だけ休まなければならなかったことがありました。船の所有者、主人というものはそのような高い精神を保ち、船を良く面倒を見なければなりません。そうした精神を我々も持たなければならないのです。

 先生はこれまで、多くのメンバーが一日中ただ眠っているだけの姿を見て来ました。彼らは船の上で横になって、先生に対して背中を見せるのです。これはちょっとした眺めです。皆さんは、先生が今何歳だか知っていますか。もうほとんど六十七歳になります。この年になれば、人々の中には杖に頼らなければならない人もいます。しかし先生はこの年で真っすぐに立って、そして皆さんのような若いアメリカ人を押し出さなければなりません。今、先生が皆さんを見て、皆さんの精神を見ています。今晩、皆さんは全世界を支配したいと思っている将軍のような精神を持っています。その精神を、皆さんがどれだけ長く保ち続けることができるか疑っています。永遠ですか。それは以前に聞いたことがあります。少なくともこのマグロ釣りの間ですか。誰がそう言いましたか。それは良い答えです。それが第一歩です。

 主な点を覚えておいてください。船を愛しなさい。グロースターには、何年も何年も真剣にマグロ釣りをして来た人がいます。彼らは先生の方法を研究して、その真似をしようとしています。先生は自分なりの方法を編み出したのです。その一つの点は、決して釣りのラインを切ってはいけないということです。釣りのラインは何度でもつなぐことができます。一本のマグロ釣りのラインは千五百ドルもします。皆さん、何をしようとも、ラインを切って失うようなことをしてはいけません。先生は五年以上もの間、ラインを切ったり失ったりしないで、一本のラインを使って来ました。もし皆さんがラインを失えば、たとえマグロを一本とったとしても、既にその値段の四分の一は無くなってしまっています。

 先生の方式は非常に整理されており、また経済的です。だからそれは他のいかなる方式よりも優れています。皆さまが今通過しているこの修練は、どこか他から採用して来たものではありません。いわば、先生の伝統から出て来たものです。修練の原型は先生の心情から出ているのです。皆さんは先生がこの方式をもたらすまで、いかなる困難や苦悩を通過しなければならなかったか、理解しなければなりません。この方式と訓練をもってすれば、皆さんが海に出かけた最初の日からマグロを釣って、それを持って帰ることができます。三年間もの間、マグロをとろうと試みて、ようやく一本しか釣ることができなかった、そういう漁師もいます。それほどマグロを釣ることは難しいものです。しかし、もし皆さんが今学んだ方法を用いるならば、出かけるとすぐにマグロをとることができます。

 ニューホープ号は、一シーズン三十五匹のマグロを釣った記録を持っています。先生はそれぞれの船に指示を与えたつもりです。皆さんは、それぞれが、今シーズン少なくとも五匹釣らなければなりません。皆さんは「なぜ自分は五匹も捕まえなければいけないんだ。自分はそんなことはしたくない」と考えるかもしれません。皆さんは大きくて強いアメリカ人です。それで皆さんは、自分の心の中で「お父様、あなたは今ニュー・ホープ号は三十五匹も釣ったと言われましたが、私はただ五匹だけ釣ればいいのですか」と思っているでしょう。皆さんはもっと釣りたいと思っているかもしれませんが、しかし五匹釣るという目標に到達するためには、非常に多くの祈りと働きを必要とします。皆さんは船の上で、多くの障害や訓練を乗り越えなければならないかもしれません。皆さんは失望落胆して、船の上で泣きたいと思うことがあるかもしれません。そして長い間一本のマグロも釣ることができなく、涙でもって陸へ戻って来て「神様は私を愛していないのだ」と思うような、そういう時もあるかもしれません。それ位の努力と心と願いが必要なのです。皆さんが疲れていて、もう止めようというその時に、マグロが餌に食い付かずに、皆さんの船の傍らを通って行くのを見ることもあるでしょう。そういう時に皆さんは、目を覚まして力いっぱい「おい、ここへ戻って来てこのラインをくわえろ」と叫ばなければなりません。皆さん、そういった精神を持っていなければならないのです。

 皆さんは夢の中でも、すなわちこの悪夢の中でも、同じような努力をしなければなりません。もし皆さんが、例えば山に行って虎を捕まえようとしているとします。その仕事は、何と危険で困難な仕事でしょうか。マグロを釣るのもそれと同じようなものです。千ポンドのマグロを一本捕れば、約七千㌦もしくは一万㌦位の価値があります。そのことについて話しているのです。皆さん、それだけの価値を持った牛を捕まえることができますか。とても比較にはなりません。

 我々はそういった種類の宝を追っているのです。現実はそのようなものですから、皆さんがマグロを一本釣れば、皆さんと皆さんの家族、たとえ三家族ですらも、一年間食べて行くことができます。だから一本のマグロは何と貴重なことでしょうか。もし皆さんがただ海に出て船べりに座って、行ったり来たりしながら「マグロよ、船の所へ来てくれ」と言っているだけでは、皆さんは他の漁師から魚を奪う泥棒か強盗に過ぎません。皆さんは真剣にならなければなりません。

 先生は霊感を持っています。時々、先生は今から五分以内にマグロがやって来て、食い付くということを感じます。そして多くの場合、まさにその瞬間に本当にマグロが食い付くのです。極めて疲れている時にマグロが食い付いて、その瞬間に、新鮮なきゅうりのように気分が一新される経験をしました。その感動を考えてみなさい。時々、戦いは長く続きます。時には一時間以上続くことがあります。しかし先生は激しく働き、汗を流しているので、その期間が一、二分のように思えるのです。一度、マグロが来るという予感がして、一日中今か今かと待っていたことがありました。そしてマグロが来ることがわかっていたので、他の何も考えることができませんでした。熱心に待っていたので、トイレに行くことすら考え付きませんでした。そしてトイレに行こうかなと思った瞬間に、マグロが食い付いたのです。その瞬間、非常に興奮して、トイレに行くことを忘れてしまいました。戦うことだけしか考えませんでした。そしてその戦いが終わった後に、先生は自分がぬれているのに気が付きました。しかし我々はそのマグロを捕ることができたので、先生はそのことが全く気になりませんでした。こういう経験は、今初めて皆さんに証するのです。だから皆さん、先生が感じたような興奮を想像することができますか。皆さんもまた自分なりに、このような意義深い思い出を持つべきです。ただマグロが来るのを待っているのではいけません。皆さんは、マグロが皆さんの方へ来るように呼ばなければなりません。熱心な、真剣な心を持たなければなりません。

 それゆえに、船の上での第一のルールは、喧嘩をしたり、怒鳴ったりしてはいけないということです。もし船の上で指示を与えなければならない時は、しっかりと、しかし静かに与えなさい。多くの人達はチャムを切る作業を好みません。皆さんの中でこの経験のある人は知っているはずです。においは悪いし、見た目も非常に悪いので、とても言い表せない位です。だから皆さんはこの仕事は他の者にやらせたいと思うでしょう。しかし、皆さんはそのチャムを切る時、先生の心情を思わなければなりません。そして他の人に対しては「あなたは休んでいなさい、自分がこの仕事をするから」と言いなさい。また皆さんが船を出す時には、ただ単にエンジンをかけて出発するのではいけません。船の中を見回して、すべてがきちんとなっているかを確かめなさい。また帰って来た時には、ただ荷物をまとめて船を去るのではいけません。一日を本当に感謝しなさい。


マグロ釣りに関する真剣なポイント

 この点において、我々はマグロ釣りにどんな意義があるかを学んで来ました。我々は、海と海洋事業には偉大な未来があることを知っています。また我々は海に出た時に、どのような立場とどのような態度を取らなければならないかについて学びました。マグロ釣りの背後には大いなる摂理があることを知りました。今、皆さんは船と漁具をいかに取り扱うべきかを知っています。また皆さんはいかに精神を集中して、マグロを船に引き寄せるようにすべきか、いかにチャムを切り、それをまくかについて知りました。

 霊界が皆さんを見る時に、彼らはどういう人を助けたいと思うでしょうか。自分のしていることが何であれ、それに自分のすべての祈りと汗を投入する人でしょうか。それとも、ただ安易な道を行こうとする人でしょうか。それでは今度は、実際にマグロが食い付いて、ラインが出ていっている時のことを考えてみましょう。この時は皆さんが最も注意しなければならない時です。特に初心者にとっては、このことを忘れてはなりません。つまり、マグロが食い付いてラインが出ていく時には、そのラインの最後にブイを付けてマグロがラインを引っ張ることができるようにしてやるのです。そのようにして、他のラインと絡まるのを防ぐことができます。また皆さん自身がラインに巻き込まれる危険から、身を守ることができます。一度マグロがラインを引っ張って行き、皆さんが他のラインを引き上げてしまったならば、三位基台の中で誰か経験のある人を呼びなさい。そうしてから、ラインを引き上げてマグロと戦うのです。それが最も安全な方法です。

 我々は三位基台のグループごとに、競争をすることになります。マグロがラインに掛かってラインをたぐり寄せているときは、そのラインをバスケットの中に入れなければなりません。決してラインの上に足を置いてはいけません。ラインの上に決して乗ってはいけません。もし皆さんがラインに巻き込まれて、突然マグロが走り出した時には、皆さんは海中に投げ込まれ、そこから逃れることができません。そうなると皆さんには逃れる道が無いのです。どうかこの点について本当に真剣になってください。

 皆さんがラインを引っ張っている時は、誰か他の人が近くに立って、その引き上げたラインをきちんと片付けるべきです。そして、決して手にラインを巻き付けるようなことをしてはいけません。ただ手でラインを掴むだけにしなければなりません。そして決してラインをねじ曲げてはいけません。また九十度に曲げてはいけません。ただ自然に手を通すようにしなさい。魚の割り当ては一日に一匹です。だから一度ラインに掛かったならば、パニックに陥って慌ててはいけません。しっかりラインを持って、傍らに立っている人に、余分なラインをきれいに巻き取ってもらいなさい。

 必要なだけ時間をかけてマグロと戦って、たとえ二時間でも三時間でもかけて良いのです。先生はマグロとの戦いの時間が、最も長く、最も安全な時間を費やした人に賞金をあげることを考えています。多分皆さんは五千㌦もらえるでしょう。最も長い時間をかけ最も安全な方法で行った人がそのお金を受け取るのです。皆さんは、そのお金を船で一緒にいる人、もしくは釣りに行く人と分け合ったら良いでしょう。しかしこのことは、朝早くにマグロが食い付いて一日中そのまま遊んでいて良いと言うのではありません。マグロを船にくくって死ぬまで魚を放っておいて、そのまま眠ってしまう人がいるかもしれませんが、そういうことをしてはいけません。皆さんは良心を持って生きなければなりません。マグロが近くにやって来た時には、それに対してモリを打ち込まなければなりません。もしそうしないと、マグロは「ペテン師よ、お前は私を捕まえようとしたじゃないか」と言うでしょう。それは本当のことなのです。先生は本当にこの賞金を与えたいと思います。またそれは姉妹達の船に行くべきだと思っています。それについてはでうですか。それは正しいですか。どうなるか見てみましょう。

 今年は、マグロ釣りの歴史的な年です。ここにいる皆さんの中には祝福の二世達がいます。彼らは最近祝福を受けました。マグロも彼らがどんな顔をしているのか見たいという好奇心で出て来るでしょう。皆さんはこうした祝福子女達と一緒に魚釣りをする意義が分からないかもしれません。しかし、そのことを理解して欲しいと思います。皆さんは「自分はこれらの祝福子女よりも上手に多くのマグロをとらなければならない」と考えるべきです。一方、祝福の子女達は「天のお父様、あなたは私達を助けなければなりません」と考えるかもしれません。

 彼らは今年、マグロ釣りのエキスパートになろうと決意しています。しかし先生は、皆さんが彼らに負けるのを望んではいません。先生は既に彼らに、船ごとではなく、ひとり五本捕るように目標を与えました。皆さんの目標は何かを、先生は知りたいと思います。皆さんはもう真剣に決意しましたか。まだ決意をしていないとしたら、それは良くありません。大声で話すのではなくて、腹の中にしまって「少なくとも自分は五本以上は釣ってやろう。それは間違いない」と言いなさい。

 皆さん、心を決めましたか。結論として、今年我々は注意深くならなければならないということを言いたいと思います。今年の夏は特に危険です。もし皆さんが、先生が今晩言ったことをすべて守るならば、事故はないはずです。しかし、もし我々が一体化せずに十分に行えないならば、誰かが怪我をするかもしれません。怪我をするのはここにいる者の一人ではなく、それはマグロ釣りの意義を知らずに来る人かもしれません。本当に十分に注意してください。真剣に祈り、そして努力のすべてを傾けてください。


結論

 先生がここにいるかどうかは心配してはいけません。今は危険で困難な時です。世界は非常に真剣な人達がいて、彼らは先生が誰であるかを知っており、先生を狙っています。このために、先生にとって船に乗っているのが一番良いわけではないのです。先生は共産主義者、テロリストが使う戦術を十分に知っています。既にそうしたことを以前に経験しました。だから、先生のスケジュールについては関心を持ってはいけません。実際のところ、このように先生と会うことは、簡単なことではありません。皆さんはそれを当然のことと思っているかもしれませんが、多くの人達が、先生に会いたいと頼んで来ています。大統領候補や元首相だった人達が先生に会わせてくれと頼んで来ていますが、先生は彼らの要求にすべて応えているわけではありません。今は時ではないからです。皆さんは、先生の周りにいる緩衝地帯のようなものと考えなければなりません。

 摂理的な戦争が今行われています。その戦争の指導者は誰ですか。今何が起こっているかを本当の意味で理解しているのは先生だけです。アメリカの誰も考えないかもしれませんが、アメリカは先生を必要としています。この世界を一体化させ、そして新しい世界を始めるためには、先生はここにいなければなりません。誰もどのようになすかを知らずにいます。しかし、先生はこのことを知っています。なぜならば、我々が、歴史のどの時点にいるかを知っているからです。時はそれほど深刻なのです。今晩皆さんに対する先生の希望は、皆さんか先生の精神を相続し、これまで先生がなしたような目標や目的を受け継いでくれることです。それから皆さんは、それを日常の生活に適用しなければなりません。十年、二十年たった後には、皆さんは成功するに違いありません。そうすれば、今から三十年、四十年たって先生が霊界に行ってしまった後に、皆さんは「私は四十年前にモーニング・ガーデンでお父様が私に話してくださったことを覚えている。それゆえに自分は今日このように成功したのだ」と言うことができるでしょう。先生は皆さんの多くの者が、これまで述べたような人間になってくれることを希望し、祈っています。先生の精神を相続して、成功した人間になることを決意している人達は、手を挙げなさい。

 今晩、皆さんは先生の前でそのような決意をしました。だから今年の夏は不平を言ってはいけません。もし皆さんに不平があれば、いつかその不平をすべて持って来て、その不平をすべて先生が取り上げる日を作っても良いでしょう。皆さん、そういう日を作っても良いでしょう。皆さんはそういう日を持ちたいと思いますか。持ちたくありませんね。そう、その方が良いでしょう。そうです。皆さんはそのような日を持ちたくありませんね。本当にそうですね。皆さんの答えは強くはっきりしています。先生は皆さんを信頼します。皆さんを当てにしています。神様の祝福がありますように。

13. 海 の 道 

1986年 8月28日 モーニング・ガーデン

 皆さんは誰ですか。ここで何をしているのですか。皆さんはどこへ行こうとしているのですか。どこへ行くつもりですか。目的、あるいは目的地がはっきりしたものでなければなりません。さもなければ、目的のない行進をしたことになるでしょう。もし皆さんが神様に会って、「神様、あなたはどこへ行こうとされているのですか」と尋ねれば、神様は何と答えると思いますか。神様は御自身がどこへ行こうとされているか知っておられ、また御自身が何を願っておられるかを知っておられます。神様は、はっきりとした願い、目標、目的を持っておられます。

 

 その目標は、小さな村や町や市や国だけのものですか。それとも全宇宙のためのものですか。もちろん、小さなものは大きなものの一部です。しかし、重要なことは、どんなに小さかろうと、大きかろうと、すべて究極の目標や目的につながっているということです。その究極の目標、目的とは何でしょうか。一言で言えば、それは一つの世界――平和な世界、理想の世界、完全なる世界ということです。

 

 それはこの地上での目標のみならず、霊界での目標でもあります。従って(霊界と地上界の)一つになった世界、これが目標なのです。この目標は神様だけで達成できるでしょうか。それとも他に誰かを必要とするでしょうか。皆さんは原理を知っているので、その答えを知っています。原理は、神様だけではその目的を達成できないことを教えています。神様は、人間を必要としておられます。

 

 重要なことはこういうことです。神様は、そのような世界をいかにして創るかを知っておられます。神様はその世界の構造を知っておられます。しかしながら、問題は人間がその神様の計画を理解していないということです。それゆえに、神様は人間を準備するために、前もって神様の計画を発表しなければなりませんでした。適当な時、神様が人間の道を導き、人間に対していかに生きるべきかを教え、無知に陥らないようにするためにメシヤを送られるということです。

 歴史を通して、人間は価値を追究して来ました。しかし、その価値を自分なりの方法で解釈してきたのです。言い換えれば、人間は自分自身の幸福というものを追求してきました。例えば、日本は日本中心の目標を持っています。中共では、マルクス・レーニン主義が自分たちの国にとって良いだろうと考えました。しかし、それが間違いであることを発見しました。このアメリカでは民主主義が自分達の国にとって最善であると考えています。それぞれの国が何らかの目標を打ち立ててきましたが、今日、そうした中でもがいています。

我々が目指している究極の目的

 

 「最も近く、最も価値あるものとは何か」ということを考えてみましょう。人々はこういうものを至る所で見つけようと探していますが、余りにも遠くを見過ぎています。彼らは自分自身を遥かに越えた所を見ているのです。皆さんにとって、とても近くて価値あるものは何でしょうか。皆さんは真の愛と言うでしょう。よろしい。しかし、その愛にどのようにすれば火をつけることができるでしょうか。その愛の本質、起源は何ですか。

 

 真の愛はどのようにして始まるのでしょうか。それは兄弟や友人から始まるのでしょうか。真の愛の起源は神様から来るのです。それゆえに、人類の根本的な関係は神様と一つになるということです。しかし皆さんが人類と言う時、男と女の両方を意味します。最もダイナミックな関係は男女の間で起こります。そのような関係が神様を中心としている時、それは真の愛の三位基台となります。神様と男と女です。これこそが全ての人類の必要を満たす、基本的で最も本質的な関係です。

 

 男と女に対する神の位置は何でしょうか。教師でしょうか。どのような教師でしょうか。どうも教師というのは、真の愛の関係を十分に表現し得るものではありません。教師以上のものでなければなりません。では主人というのはどうでしょうか。主人と僕でしょうか。これもまたぴったりではありません。それは真の愛というものに十分つながりません。そうして真の愛に最もぴったりした概念に到達します。親のみがそのような種類の愛を含むことができるのです。さて、最初の人間であるアダムとエバが親であれば、神様から離れることができるでしょうか。神様とは何でしたか。もし我々がアダムとエバを親と呼ぶことができるならば、神様に対してはどのように呼ぶことが適当でしょうか。

 

 幸いなことに人間は霊というものを持っています。人間はその存在の一部として霊的なものを持っています。人間には二つの面があります。霊と肉体です。このようなわけで我々には肉の親と同時に霊の親というものを持つことができます。神様は人間の魂の中に宿ることができ、我々は神様を我々の霊の親として持つことができます。また肉の親として我々の肉親を持つことができるのです。真の愛を中心として、神様は地上の親と一つになって住みます。このような基準が生まれなければ、霊界と地上界を一つにする道はありません。これがまさに、神様が人類を目覚めさせようとしてこられた中心点であり、焦点なのです。我々がこの目標を知る時、神様と人間の間のこの関係において、我々は何であり、どこへ行くのかということが分かるようになります。我々は霊的にも肉的にも真の愛を具現するものです。我々は神様の似姿とならなければなりません。我々が目指している究極の道は、真の愛の完全な似姿になることです。それゆえに神様は、このような真実の基準、すなわち真実の愛を受肉しようとしている人達と共にあるのです。神様は常に彼らと共にあるでしょう。

 

 皆さんが親にしっかりつながっていて、しかもその親達の中に神様が臨在されている時には、皆さんは真の愛をつかんでいます。では神様の愛はいかにして我々の中に住むのでしょうか。神様は真の愛のみを中心として人類の中に住み給うのです。これこそが人類が歴史を通して追求してきた最高の理想です。では皆さんはどういう人達ですか。ムーニーとは誰ですか。我々はこのような理想を宣伝し、それを成就し、それを現実のものとしようとしている人間です。

 

 もし皆さんが自分自身を切ったとしたら、その中に何があるでしょうか。どんなに多くの場所を切ったとしても、その中にあるものが同じであるということが分かるでしょう。もっと多くのムーニーであり、さらに多くのムーニーであり、さらにムーニーです。皆さんの体はムーニーの塊なのです。真のムーニーはサタンによって消化されることはありません。真のムーニーは、真の愛の精神の人格化されたものであり、真の愛の権化なのです。それゆえに、真のムーニーとは本物の金のようなもので神様の本当の精神を含んでいます。そのような人に対して、サタンは何らの主張もすることができないのです。

 

 皆さんはここに物差しを持っています。皆さんは、ポンドとかインチということで測ります。一インチとか一ポンドというものには、その本来の基準があるのです。その基準は二つの異なったものですか、一つだけですか。アメリカのどの工場や家庭でも、インチやポンドを用いて物を測る道具を持っています。そしてそのインチやポンドがどれだけあるかによって長いとか短いとか、あるいは重いとか軽いとかということになるのです。しかし皆さんがどこへ行こうとも、一インチは常に一インチであり、 一ポンドは常に一ポンドです。統一教会の一番最初の本来のインチは何でしょうか。

 

 皆さんは直ちに「お父様です」と言いましたね。だから先生は、皆さんがそれほど馬鹿でないことを認めることができます。どうなりますか。皆さんは自分がどういう人間であるかということを見て、そして先生の物差しに合わせて測ってみると、自分がどれだけのものであるかということを見いだすのです。そして皆さんはそれを見て「ああ、自分は少し背が低い」とか、「自分は少し軽すぎる」等と言うのです。皆さんはこういった種類の物差し、測る能力を持っていますか。どこにあるか先生に見せなさい。驚くべきことは、皆さん一人一人がこのような物差しを持っているということです。皆さんはこのことを心の中で知っています。皆さんは、内的に自分がどこにいるかを測る能力を持っているのです。

 

 そもそも、皆さんはどうしてここに来たのですか。皆さんがここに来たのは先生のゆえです。先生がいなければ、誰もここには来なかったことでしょう。皆さんは、先生がある種の海洋事業を始めようとしていることを知っています。また、先生が、海に対するあるビジョンを持っていることを知っています。そして、皆さんは「もしお父様がこのことに興味を持っているならば、自分も興味を持たなければならない」と自分に言い聞かせ、それゆえに来たのです。

 

 神学校を卒業した者、手を挙げなさい。皆さんがグロースターに来た時「ああ、自分はそこに行って魚釣りをしなければならない」と考えていましたか。それとも皆さんの思いは燃えるような熱意に満たされ、海に出たいというような欲望で満たされていましたか。どちらですか。もう何日も過ぎました。皆さんは海を経験し、先生の話を聞きました。冷めた心を持ってはいけません。もし皆さんがまだそのような冷めた心を持っているとしたならば、どこか間違っているのです。もう既に皆さんは、何かが皆さんを磁石のように引きつけるような、そういう気持ちを感じているべきです。皆さんは先生が感じるように感じるべきです。多分、皆さんの中には「私はこのことを初めて味わってそれで十分だ。もう十分過ぎる。私はここに戻って来ないつもりだ。」と言う人もいるかもしれません。皆さんの中にはそういう具合に考えている人がいるかもしれません。そのように考える人は手を挙げなさい。誰もいませんか、信じられません。時々、皆さんは先生と共に永遠にいたいと願い、また時には、皆さんはその考えを変えるのです。アダムとエバも神様と共に永遠にいたいと思いましたが、彼らもまた変わっていきました。先生が皆さんを見ていると、皆さんの顔の幾つかは「ああ、明日は風が二十五ノットになって、波が八フィート以上の高さであれば、先生は我々を出かけさせないだろう。だから波が八フィート以上になってくれたらいいな」と言っています。普通の天候であれば、波の高さは二から六フィートとなります。だから皆さんの中には毎晩「明日は天候が悪くなって、ここに留まっていることができたらいいな」と考える人がいるかもしれません。あるいは皆さんの中の他の人は、毎日台風が来てくれることを祈っているかもしれません。そういう種類の人達は時間とエネルギーをただ無駄にしているだけです。そういう人はどこにも到達しない行進をしているだけです。

 

 先生は多くの人々にとって今なお謎であり、神秘です。実際のところ、先生は単純な人間でここへ魚を釣りに来ています。しかしその間も、アメリカの最高の指導者達が先生によって心を動かされ、また世界の指導者達も動かされつつあります。先生は、こういうことを知る時間をいつ持つのでしょうか。皆さんは先生がこういうことを、ただ座って何もしないで頭をうなだれ眠っているだけで、達成していると思いますか。すべてがこのようにして起こるものですか。このアメリカには、二億四千万の人達が住んでいます。しかし、それらの人達はこの国を救うことはできません。もしできるならば、彼らはこの国を救ってしまっていたでしょう。そう思いませんか。しかし、彼らは救うことはできません。ただ一人の人しかこの国を救うことはできません。何故だと思いますか。レバレンド・ムーンのみがこの国を救いつつあるのです。何を持ってでしょうか。

 

 アメリカの人達は誇り高い人々です。彼らは自分の国に誇りを持っています。しかし現在、この国は衰退しつつあります。どうして我々は、このような状能を許すことができるでしょうか。我々はこのようなことを許すことはできません。極めて深刻な状態であり、アメリカ人は皆それを知っています。しかし、誰もそれに対して立ち上がる者がいないのです。たった一人の人間がここに来て「自分がアメリカを救うつもりである」と言いました。何を持ってでしょうか。先生はどのような力を持っているというのでしょうか。アメリカは科学力、経済力、軍事力を持っています。アメリカはいろいろな多くの分野において一番です。それなのになぜ、たった一人の人間がこの国に対して立ち上がり、この国を救うことができると言うのでしょうか。この国を救うことができるのは何でしょうか。それはただ神様の愛です。神様なくして希望はありません。これが問題です。アメリカ人はこのようなことを知りません。彼らは神様の親の愛について知りません。彼らは神様の目的を知りません。それゆえに彼らは、アメリカの目的を知らず、目標に到達することができないのです。

 

 先生は「これが神様であり、これが神様の愛です」と、はっきりと教えるために来ました。先生はこれら二つの点を明確に理解しています。ところがアメリカ人はこれらのことを明確に理解していません。これが問題です。だから先生は皆さんを教育しているのです。神様は愛を中心にして地上に住むことができます。霊界においては神様がおられ、また地上界には真の父母様がいます。我々は真の愛を持って、すべてのことを主管することができるのです。

 

 多くの人達が「ああ、統一教会、それは単なる小さな一つの教会に過ぎない。我々はそれについて考える必要はない」と考え続けるならば、決して真理を見いだすことはないでしょう。我々の教えは、ただ統一教会のためだけのものではありません。皆さんは「真の父母は、私の父母である」ということを知り、そう言うことができなければなりません。我々に敵対するものがいかに強大であろうとも、彼らは決して我々を打ち負かすことはできないでしょう。我々は世界の四方八方から迫害されてきました。しかし、我々は決して打ち負かされませんでした。皆さんはどうですか。この点が分かりますか。皆さんはどこに立っているのですか。今までどこへ行こうとしてきましたか。皆さんは強い立場を取らなければなりません。この世界には強力な国々があります。皆さんはそのことを真剣に考えなければなりません。いかにして、この世界の悪を打ち負かすことができますか。ただそれは、真理によってのみ、愛によってのみです。皆さん、今こそ分かりましたか。皆さんにとって神様とは誰ですか。「私の親です」と言えなければなりません。「神様は真の父母の親ばかりでなく、私の親である」ということを、立ち上がって誇りを持って言うことができなければなりません。そしてこの地上において、真の父母は私の親ですと宣言することができるのです。これをもって我々は前進して行くのです。これが我々の知るべき最も大切なことです。

 

 だから、我々が何に取り組もうと、それがオーシャン・チャーチであれ、海の事業であれ、それを義務感からするのではありません。皆さんがすることは何であれ、皆さんのものであるということを理解しなければなりません。皆さんは自分のしていることを見て、そして誇らしげに「それは私のものだ」と言うことができなければなりません。ワン・ホープ号の船を見てみなさい。誰がその船を造りましたか。先生がそれを率先し、ミスター神山がそれを組識して造ったのです。しかしそれは誰のボートですか。それは皆さんのものなのです。

 

 オーシャン・チャーチがそれらのものを所有していますが、その船の責任を誰か他の者が取ると考えてはいけません。皆さんが船で海に出ていく時には、皆さんの責任であることを知らなければなりません。それからフィッシング・ギア、これは誰が設計しましたか。先生がしたのです。しかし、皆さんがそのフィッシング・ギアを使う時には、それは誰のものですか。それは皆さんのものです。このように、皆さんは愛着と責任を持たなければなりません。

 

 我々が前進する中心は何ですか。真の愛のみです。真の愛を持っていれば、皆さんの業績は永遠に続くでしょう。真の愛を持ってすれば、皆さんが成し遂げたことは永遠に消えることはないでしょう。皆さんの心の内容についてはどうですか。もし皆さんの中で「自分は水準から余りにも遠く離れ過ぎてしまっている」と考える人がいるならば、今こそもう一度考え直すべきです。

 

 皆さんの中のある人が、今年の夏の訓練を終えて学校へ戻れば、「ああ、彼らはそれぞれの場所に戻って行くんだな。自分も行くことができたらいいのにな」と考え始める人もきっといるでしょう。皆さんはたった数日、あるいは数週間、余計に滞在するだけだとしても、皆さんは既にそのように考えているのです。もし皆さんがそのように考えていないとすれば、先生の考えと経験は間違っていることになります。しかし先生は滅多に間違えることはありません。皆さんの残りの人はどうですか。残りの人はまだまぐろを釣っていないから、どこへも行ってはいけない使命を持っています。だから皆さんはまぐろを捕るまでずっと追って行かなければなりません。北極までもまぐろを追って行かなければなりません。

 

 皆さんは「オー・ライ」と言うでしょうが、それは今晩皆さんが先生の話を聞いたからです。しかし皆さんは、先生の話を聞く前から「オー・ライ」と考えるべきでした。また皆さんは「ああ、お父様、あなたは真の父母です。あなたは私を愛していらっしゃるはずです。それなのに、どうしていつも私に不可能な仕事をさせようとされるのですか」と考えるかもしれません。いつもこういうふうに考える人は負けな人です。

基盤を造るための代価

 今晩、朴大佐が言論人のアジア旅行について話した報告について、これまで聞いたことがなかったでしょう。「お父様はこういうことをいつなしたのだろうか。こういったことはどうして起こっているのだろうか」と不思議に思っているかもしれません。皆さんは何らつらい仕事をすることなく、ただ今晩それについて聞くことによって、それらすべてのことを相続しているのです。しかしそれは、容易なことではありません。それはこういうことです。皆さんがハーバード大学から博士号を受け取ったら、その時誰もが皆さんを褒めることでしょう。しかし、皆さんがそれまでにどれだけの苦労と困難を通過したかということについては、誰も理解しないでしょう。二十年もかかったかも知れないし、一年しかかからなかったかもしれません。確かなことは、それをできるだけ早く成した人は誰であれ、それだけ多くの苦労をしたということです。

 

 先生がアメリカに来てからの十四年間に、先生は歴史上かつてなかったことを成し遂げました。アメリカ歴史上、これらのことを想像した人さえいませんでした。しかし皆さんは、その背後にいかに多くの困難や苦痛があったか理解できないでしょう。すべて先生一人で通過してきたことなのです。誰も先生が来ることを歓迎しませんでした。誰もダンベリーに行きたいとは思いませんでした。先生は目標を達成するために一生懸命働き、犠牲を払ったのです。努力の実りだけをただ受けたいと願う人がいるとすれば、それは泥棒の心を持っているようなものです。皆さんは、それに値する代価を支払わずして、貴重な宝物を得ることはできないのです。

 アメリカ人は懐疑的な人達でした。特に若者は、先生がなそうとしている目標や方法に懐疑的でした。彼らは、先生を百パーセント信じて従ってきたのではなく、半信半疑でした。今や、彼らは自分達が間違っていて、先生が正しかったことを悟っています。その瞬間、彼らは先生のなしたことの業績をつかみたいと願いました。それは不公平なことであり、不可能です。

 

 皆さんはそれを受ける準備ができていません。皆さんの器は、先生が与えたいと願う宝物を受けるだけの用意ができていません。だから、受ける宝物は用意されていますが、器がまだ用意されていないのです。だから宝物を後に置いて、受ける器を用意しなければならないのです。その間に、誰か一生懸命働いている他の人がやってきて、その宝物を取ってしまうかもしれません。しかし先生はそうなってほしくないと思います。先生は皆さんにその宝物を受け取ってほしいと思います。だからこそ、先生は皆さんを苦労と困難な道へ送って、皆さんが待っている宝物を受けることができるようになってほしいと願っているのです。

 

 七年前、六十一人のメンバー達がニューヨークに呼ばれてきました。彼らに対して先生は百ドル札を与えて、「皆さんはフィッシュ・ビジネス、シー・フード・ビジネスの開拓者達です。さあ、行って開拓し、繁栄を持って戻ってきなさい」と言いました。今年はその同じグループが戻ってきて、漁業の分野で最も強固な基盤を築いたことは疑いないという報告をしました。そのような基盤が今、国中に広がりつつあり、シー・フードの分野の人達はムーニーがどこにでもいると認めています。そして、その人達は「ムーニーがこれ以上進出してこない唯一の場所は、太平洋の中だけだ。ムーニー達から逃れるためには、太平洋に飛び込むしかない」と思っています。なぜ日本のメンバー達は勝利を収めているのでしょうか。それは彼らが「私はこの事業に責任があります。これは他の誰の事業でもありません。自分の事業です。それは天のお父様の事業です」と考えているからです。そのような考えを持って、誰よりも素早く、一生懸命働いています。

 彼らがこのように前進し、心と魂を完全に一体化させて前進していく時に、神様の恵みが常に彼らと共にあります。その結果、彼らの事業が飛躍的に発展しているということです。それに基づいて、我々はさらに数百名のメンバーをもって同じように道を開拓するつもりです。各自が丁度、種のようなものです。彼らは、出発のために同じ額のお金を与えられるでしょう。そして彼らが最初の開拓者と全く同じ道を歩むならば、間違いなく成功するということを先生は知っています。

 こうした先輩達の方法を相続しなさい。皆さんはそうする能力と潜在的可能性を持っています。皆さんは、彼らの成果の二倍も三倍も成し遂げることができます。

神様の摂理が我々を待っている

 アメリカは可能性を持っています。皆さんはどう思いますか。アメリカ人が魚を好きになる時、彼らが魚を買うために使うお金はもっと増えるはずでしょうか。それとも、もっと多くのお金を麻薬に費やすはずだと思いますか。数年前、アメリカ人は麻薬のために、一年間で四百億ドルのお金を使うという統計を聞きました。その数字は今では二倍になっているに違いありません。誰かが今晩言ってましたが、麻薬のために二千億ドル以上ものお金が費やされたということです。少なくとも魚は、アメリカ人にとって良い栄養のある食料です。だから毎年少なくとも、二千億ドルの三倍の魚が売られるべきです。すなわち、アメリカ人は六千億ドルを魚に費やすべきだということです。皆さんはそうなるべきだとは思いませんか。恐らくアメリカにはお金がたくさんあり過ぎて、それをどうしたら良いのか誰も分かりません。だから、我々が海に出かけて行って、その余ったお金を魚の餌として与えましょう。「本当に多くの魚がこの国を養うために死んだのであり、彼らは蕩減を払ったのです。だからその現金のいくらかをその魚のためにばらまいてやりなさい」と先生が言うかもしれません。

 もし我々がそれらのお金のいくらかを海にまいて、海の波がそのお金を南アメリカまで持って行ったとしたらどうでしょうか。あるいは南アメリカの漁師達が、その運ばれてきた多くのドルに出くわしたならばどうでしょうか。彼らは魚を釣る代わりにドルのお金を取るでしょう。そして最終的には、国際間の負債を支払うでしょう。それは良い考えではありませんか。皆さんはどう思いますか。この魚のビジネスと海の摂理は、ムーニーがなすべきことです。他の誰も我々に代わることはできません。そうするためには覚悟と運動が必要です。あと二十年したらどうなるでしょうか。我々開拓者達は、彼らが既に成し遂げた以上のことを成し遂げるでしょう。皆さんは二十年経ったらどこにいるでしょうか。だからキリギリスのように今日を怠けていて、そして他の者に従属するような者になってはいけません。

 皆さんはこの運動がどこから出発したかを考えなければなりません。四十年前、先生はたった一人でした。友達もなく、家もなく、お金もなく、組織もありませんでした。先生は全く一人でした。兄弟もなく、家族もなく、親もいませんでした。彼らは理解してくれなかったのです。先生の親は、先生のことを心配しました。彼らは「ああ、私達の息子は非常に能力がある男子なのに、彼は奇妙な方向へ行こうとしている」と考えました。だからその当時、先生が持っていた唯一の味方は誰だったでしょうか。時々、先生は「たとえ自分一人となったとしても、決して諦めません」と泣き叫ぶ時がありました。神様が先生の唯一の味方であり、神様だけが先生と共にいてくれました。これが出発でした。

 今日、もし皆さんが神様は自分の唯一の味方であると考えれば、将来について心配する必要はありません。神様は皆さんを守り導いてくれるでしょう。それが鍵です。それが最も大切なことです。皆さんは神様に対して「もし神様が早朝四時に起きるのであれば、私は早朝三時に起きます。一時間あなたを負かします」と言って、神様と競争しても良いでしょう。また皆さんは「神様、もしあなたが汗を流したいのであれば、私は汗だけでなく涙と血を流したいと思います」と言っても良いでしょう。皆さんはグロースターのキャンペーンの話を知っていますね。先生が朝四時に出発して行ってみると、漁師の中にはもっと早く出発し始めた人達がいると聞きました。それで先生はさらにもっと朝早く出かけるようになり、遂に午前一時に出発して、一晩中、海に留まっていたのです。そうすると、他の漁師達はそれ以上競争することができませんでした。このように我々はグロースターで勝利し、彼らの尊敬を勝ち取ったのです。

 親というものは、常により遅くまで、より一生懸命働き、そしてより朝早くから仕事を始めるものです。親の心というものは、親がもっともっと一生懸命に働いて、そして翌日の準備をしている間に子供達には休んでいてほしいと願うものです。親の心というものは、最後の最後まであらゆることに気を配り、あらゆることを見守りたいと願うものなのです。皆さんは朝早く起きていると思ったかもしれませんが、しかし皆さんが起きる前に神様は既に起きておられ、皆さんの前におられたのです。神様がこのように常に一歩先へ行っておられるということを皆さんが悟る時、皆さんは決して疲れることはできないでしょう。諦めることはできません。皆さんは常に「私は神様を慰めてあげたい」という気持ちを持つでしょう。しかし神様は常にそこにいて、皆さんに慰めを与えておられるのです。このようなことを理解すれば、皆さんは神様の心の重荷を軽くするために、あらゆる努力をしたいと思うでしょう。そのような心と気持ちを持って皆さんが前進するならば、皆さんは決して失敗することはないでしょう。

 これは先生が皆さんに対して与えたいと思う証です。先生はこのような証をもって、生涯をかけて生きてきました。そして今なおこの国をつかみ、この国をひっくり返して、神様の下へもたらしたいという目標を持っています。それは夢のようなことです。しかしそれは実現されるでしょう。神学校を卒業した者達に先生がこの夢を与えたならば、その夢を達成するつもりがありますか。皆さんは疲れているかもしれませんが、先生は決して疲れません。皆さんは疲れ、後ろに下がり落後するかもしれません。しかし先生は決してそうなりません。先生は必ず最終的には目標を達成し、そして皆さんより先にいて、皆さんが帰って来るのを待つでしょう。この時、恥じる気持ちを持って先生の所に来てはなりません。恥ずかしい息子、娘であってはなりません。

 「お父様に対しては、決して恥ずかしい息子、娘とはなりません」と約束する人は手を挙げて、「約束します」と繰り返しなさい。これがアメリカの本当の希望であり、世界は我々が考える以上により良い世界となるでしょう。皆さんはどこへ行っても難しい仕事を探さなければなりません。いつも「何であれ、最も困難な仕事を自分はします」と考えなさい。もし皆さんが最も困難な仕事をするならば、既にそこに親がいるのを見いだすでしょう。親はいつももっと困難な仕事をしに行くのです。だからそこで、真に神様を見いだすでしょう。

 台風がやってくるかもしれませんが、しかし皆さんは「いかなる台風も私のワン・ホープ号の進路を妨げるものはないだろう」と言いなさい。そうすれば神様が共におられるでしょう。神様は「私の息子、私の娘よ、お前は本当に私の子供である。良く来た」と言うでしょう。これは先生の日常生活の秘訣なのです。それは先生の日常生活の心情です。今、時計を見てみなさい。時計を見る時、それが既に真夜中であれば、皆さんは「ああ、もう遅い」と思うでしょう。しかし、皆さんの考えはもう既に遅れています。もし神様が、朝三時に仕事を始めようとしておられると皆さんが考えるならば、「ああ、まだ真夜中だ。まだ早すぎる」という具合に言うでしょう。そのように考えるのです。

 皆さんは、神様に抱きかかえられることを楽しみとしていなければなりません。そうするためには、少なくとも朝三時には仕事を始めなければなりません。そのような状態で皆さんは疲れて、ちょっとの間でも車の中で居眠りをするでしょう。その時に神様が皆さんの所にやってきて、啓示を与えるのです。八時間も眠って、目を覚まして幸せな気持ちで「ああ、今日はまたどこかへピクニックに行こうかな」というようなことを言っているのであれば、決して啓示を受けることはありません。決して神様に出会うことはありません。

 皆さんは、サタンが行くことのできない道を選ばなければなりません。そのような道とは最も厳しい道なので、サタンは「ああ、駄目だ。自分はそのような道を行くことができない。お前は私なしに行きなさい」というようなものでなければなりません。皆さんはそのような路程を選ばなければなりません。そこには神様だけが待っておられます。そして、皆さんだけが神様に出会う機会を持つことになるのです。

 皆さんは「自分は一生懸命働いてきた。それで、もうこの仕事には飽き飽きした。それは単調だ。これには何の喜びもない」と考えるかもしれません。皆さんは、一味違った人間にならなければなりません。明日を楽しみにしなければなりません。

 皆さんは、明日、その翌日、あるいはこれから十年、二十年後に、素晴らしく刺激的なことが起こることを期待しなければなりません。常に人生に刺激を感じ、そして決して疲れてはなりません。そういう人がレバレンド・ムーンの望む種類のムーニーです。先生は、このような種類の人を神様の祝福を持って常に祝福するでしょう。

 今日は皆さんが自らを再発見することができる特別の機会です。このようにして今晩先生の話を聞けたということは、歴史的な事であり、光栄な事です。皆さん一人一人、使命に向かって出かけるのです。力を持って、また天に不屈の精神と決意を誓って行きなさい。先生は常に皆さんと共にいるでしょう。オーシャン・チャーチと海洋ビジネスは、神様の摂理です。先生は以前、何度もそのことを宣言しました。今晩再び宣言します。これらは摂理的使命なのです。したがって、この御旨に命懸けで歩むものは誰でも、神様の祝福と守りを受け、栄える者となるでしょう。

 いつの日か、皆さんの誰かは国の指導者や立法者、上院や下院の議員になるでしょう。先生は不思議な人間です。アメリカの人々は、先生がアメリカだけで有名であると思っているかもしれません。しかしアジアに行けば、そこではもっと有名であることを知るでしょう。南アメリカに行っても同じであり、アフリカに行ってもそうです。今晩、先生と共にいるということは貴重な機会です。非常に貴重なことです。先生が皆さんと顔を突き合わせて皆さんに話す理由は、皆さんが少なくとも先生に従い、先生と一つになろうとしているからです。

 もし先生が真の父母という位置を打ち立てることができなかったとしたならば、他の誰が今日の世界に明確なビジョンを与えるでしょうか。他の誰が明確な導きと方向性を与えているでしょうか。先生は、最も厳しい逆境の中で働いてこなければなりませんでした。しかし今や、そのような迫害の時は去りつつあります。世界はまもなく、先生が誰であるかを知るようになるでしょう。我々は、非常にユニークな人間になろうとしています。我々の前途には刺激的な未来が横たわっています。どうかその日を楽しみにして、一生懸命仕事をしてください。神様の祝福がありますように。

14. 既に出版されている御言葉からの抜粋 

1974年~1983年


ベルベェディア修練生に対して
1974年 8月29日


 資格のある指導者になるためには、皆さんは無条件にもって修練が必要であることを知らなければなりません。皆さんはどのように話をし、他人に説得するかについて知らなければなりません。先生は毎日フリー・ボートやロングアイランドに魚釣りに行きます。人々の中には「ああ、レバレンド・ムーンは世界的に有名な説教者だ。それなのになぜ彼は魚釣りなどに興味を持つのだろう。彼はそういうことは忘れるべきだ」と考えています。

過去と未来の世代
1976年 8月 1日


 先生は今日もまたボストンへ向かって出発します。先生には重要な使命があるのです。先生が海へ行くのは楽しむためではなく、統一教会の将来の経済基盤を造るためです。それが先生の目標です。我々が工業や技術における進歩に勝つことができる方法はありません。ただ一つあるとすれば、それは海と海産物という文字通りまだ手が付けられていない分野においてです。最近、国際法が変わってアメリカは海岸線から二百海里の水域に対して管轄権を主張することができるようになりました。そうすることにますます取り組むべき領域があることになりますが、アメリカ人は海に対して関心を払わず、海洋事業に対しても余り投資しません。そのためアメリカを取り巻いている海の宝庫が、文字通り手を付けられずにいるのです。先生は統一教会の将来の経済基盤は、海の領域であることを感じています。以前、先生は三年したら海の宝庫を探究していくことを約束しました。

 先生は、皆さんを訓練しなければなりません。人々は先生を批判して、レバレンド・ムーンは自分は大西洋でヨットに乗って楽しみながら楽をしていると言います。しかしそれほど真実から遠いものはありません。皆さんの中で、両親から多くの財産を相続する人はそれほどいないと思います。だから先生は皆さんに対して責任があるのです。先生は皆さんがどのようにして自分自身の生活をしていくかについて、計画を始めなければなりません。皆さんは祝福を受け、そして祝福の結果として神様は皆さんに子供を授けるでしょう。皆さんは子供達を養って行かなければなりません。皆さんがこの戦いをするためにワシントンに行っている間、先生は十年先を見て、将来の経済基盤を準備するために海に行くのです。海に行くということは、先生がこれまでなした中で最も疲れることです。しかし先生は皆さんの誰よりも、肉体的な困難をもっともっと耐え忍ばなければならないと決意しています。

 今や我々が世界的な組織を開拓して来たために、我々の運動はこの新しい産業において急速に成長することができるのです。この領域においてすらも先生は先駆者として、開拓者としての役割を果たしたいと思っています。


完成と感謝
1976年10月 3日


 皆さんはこの世界を復帰するための経済基盤創造に参加したいと思いますか。先生は今漁場を始めつつあり、その目的を心に抱いて、今年の夏、マグロの輸出を試してみました。一日の昼であれ夜であれ、どのような時間であれ、また天候がどのようであれ、先生は海に出て行きました。もし海が荒れていると、ニューホープ号の船長は、海に出て行くかどうかをよく尋ねたものです。しかし今や、彼は状況がどのようであれ先生が海に出て行くつもりであることを知っています。

 神学校を終えて、修士号を持っているメンバー達も、海で働くことになるかもしれません。我々の船の船長は、博士号を持っている人であるかもしれません。笑ってはいけません。アメリカの漁場に衰退をもたらしたものは、そういった自分を卑下する態度なのです。先生がこの国の漁場を復活しなければ、この国は死んでしまうでしょう。先生は死にかけている海洋事業を復興することにより、アメリカに貢献するつもりです。我々は現在、母船を買う構想を持っており、それはカリブ海で楽しむための巡航とは違います。その目的は海の宝を捕ることです。先生は魚の臭いは好きではありませんが、我々は神様の仕事のために偉大な経済基盤を創造することができます。魚を捕ることが目的ではなく、共産世界を開放することが目標なのです。だから前進しなければなりません。祝福前の女性達が、漁師と祝福されるのを望まないのであれば、今すぐ教会を去るべきです。もし船乗りと結婚することを望まないなら、皆さんは教会以外の誰かと結婚しなければならないでしょう。

 海には、我々の手によって収穫されることを待ち望んでいる広大な宝庫が横たわっています。しかし現位のアメリカの漁場は、若者が海に出て行って一生懸命働くことを好まないので、死にかけています。彼らが三カ月間海に出て行って帰って見ると、妻がいなくなってしまい、お金も無駄になっていることに気が付きます。だから彼らはもう二度と海に出かけて行きたいとは思わないのです。たとえ結婚していないとしても、彼らは海に出て行くことに興味を持ちません。なぜなら海は時により天候が非常に荒れるからです。漁師と結婚する女性の皆さんは、神様と人類のために夫が働いていることを誇りに思わなければなりません。

 先生は海によって、いかにより崇高な者となるかということを経験しました。海においては、神様に対する信仰を必要とします。なぜならば、完全に神様に頼らなければならないからです。それからまた男達が海に出かけて行く時には、自分の家族を決して忘れません。先生自身の経験でも、家にいる時よりも海に出ている時の方がお母様や子供達のことを考えました。それはなぜかというと、海においては次の瞬間に何が起こるか決して分からないからです。海にいる時には、他のどんな場所にいる時以上に、自分の妻や子供達を愛し、祈ります。ニュー・ホープ号がドッグに帰って来て、お母様と子供達が先生を待って手を振ってくれる時、先生は神様に出会ったような気がします。夫が海における激しい仕事から戻って来る時に、その夫を愛することのできる女性達は、神様の目において最も崇高な模範的な妻となるでしょう。


統一教会二十三周年記念日
1977年 5月 1日


 皆さんはこうしたことをただ知るだけでなく、それに対する責任を取らなければなりません。先生以上に皆さんは、この国を神様のもとへ復帰するために出かけて行って、人々を目覚めさせなけばなりません。先生は若者達がこの国に対しての責任を持つ者になるように、若者達を訓練しようと決意しています。例えば、先生は神学生達を訓練しています。彼らは現在新しい魚釣りの網を作っています。先生はまたどういう種類の若者であるかを見るために、ハドソン川の氷つくような水の中で魚釣りをさせたことがあります。彼らはお金を作るために網を作ったり、魚を釣ったりしているのではありません。鉄のような強い意志を作り、何物にも妨げられない決意を持った若き指導者となるためにそうしているのです。

 先生は皆さんに説教するだけではありません。先生がやるとすればどんなことでも誰より以上にすることができます。神学生達は先生がただ理論を持っているだけではなく、経験からしか得ることのできない知識を持っていることを知り、先生を再発見しつつあります。先生は魚釣りの研究をし、魚釣りのためのいくつかの道具を考案しました。例えば時々、釣り針が魚の口に引っ掛かってしまって、その針を取り出すために非常に難航する時があります。そこで先生は、釣り針を押し出して簡単に取り出すことができるような小さな道具を発明しました。

 先生が自分でこの道具を作るために金属を切るのを見たあるメンバーは「お父様、どうしてそんなに苦労されるのですか。道具屋へ行って道具を買ったらいかがですか」と言いました。そこで先生は「アメリカにはそのような道具がない。もし先生がそのような道具を買うことができれば、なぜ先生が自分で作らなければならないか」と答えたのです。先生はベリータウンで皆さんが見たことがないような新しい網を考案しました。それは一方通行の網で、一度魚が網の中に入ればもう出てくることのできない網です。

 昨日、先生はベルベディアの人達と会う約束があったので、新なたインスピレーションが沸き、その網の作り方を神学生達に指示することに追われ、一晩中休まずに働いたので、ベルベディアへ時間までに到着することができませんでした。


神様に属する物と人間に属する物
1977年 5月15日


 先生がしばしば海に出て行くのは、世界の経済が広大な資源に依存しているからです。未来は、世界の海により多くの注意を払っている人のものとなるでしょう。さらに歴史上、多くの人達が戦争や事故で海で死にました。先生はそれらの人達を慰め、その人達のために蕩減を払いたいと思っています。時々、先生は危険な嵐が来るということを聞くと、わざと海に出かけて行ったりします。

 多くの人達は、先生がただ楽しむために海に行くと思っています。しかしそのような天候の中で海に出かけて行くのは決して楽しいものではなく、必死なる戦いなのです。先生はそのような環境の中で死んだ多くの人達を開放するために、そういうことをしなければなりません。一九七五年に、先生は海で死んだ人達のために、お母様と娘の一人と共に海で特別の儀式を持ちました。その時、船の船長ですらどのような儀式が行なわれていたか知りませんでした。


神様に感謝しましょう
1977年 5月29日


 ベリータウンでの魚釣りで何百匹もの鯉を捕りましたが、それを指揮する際に先生は、宇宙の被造物が人間の食料になるために殺されているということについて考えました。ベリータウンでもっとも多くの鯉を収容するために池の底をさらったので、六匹の大きな亀が住み家を失いました。先生は彼らに対して申し訳ないと感じて、彼らをハドソン川に放しました。その時「お前達は、広い世界の中に行ってそこで生きなさい」と心の中で思いました。

 先生は魚釣りに行くと、最初に釣った魚は逃がしてやりました。鯉のような低級な生物であっても愛を理解することができ、誰かが自分の存在する目的を理解してくれる時には、彼らはその人のために死にたいとさえ思うようになるのです。このような意味で、鯉達が彼らを愛してくれる人のために自らを捧げる時、それは犠牲となるのではありません。これが被造物に対する神様の考えです。統一教会のメンバー達によって愛され、その価値を分かってもらうことによって、すべての被造物は感謝し、また自分達が創造された目的のために生き、かつ死ぬことを誇りに思うのです。

 愛は崇高なものです。愛のために生き、愛の中で死ぬことは常に幸福をもたらします。皆さんの死の瞬間が来る時に、皆さんは愛について考えながら微笑むでしょう。そしてその瞬間、皆さんの愛する人によって抱擁されることが喜びとなるでしょう。

 もし誰かが「レバレンド・ムーンがハドソン川でたくさんの鯉を捕えたということを知っている。それらの捕えられた魚達は、死ぬ時にレバレンド・ムーンを呪うに違いない」と言ったとします。皆さんはそれに対してどのように答えますか。先生の説明を聞く前であれば、皆さんはどう答えてよいか混乱したと思います。しかし今や、皆さんは鯉達が神様を中心とする人々の血となり肉となるならば、彼らはその生涯を全うしたことになるということを知っています。鯉達がこれ以上必要とする大義があるでしょうか。このように皆さんがどのような動機を持っているかによって、皆さんの行動には天地の差ができるのです。

 この原理は、鯉と人間の両方に同じように当てはまります。だから、我々が自らに尋ねなければならい究極の質問は「自分は神様の愛のために死ぬ覚悟ができているだろうか」ということです。皆さんの答えはどうですか。もし皆さんの答えが「ハイ」であるならば、皆さんの死は死ではありません。皆さんの肉体の精神は、全人類と全宇宙の精神と肉となるのです。このように皆さんが自分の生活をより高い水準のものを中心とする時、皆さんは永遠い生きるのです。


神様は我々のみを頼りとしておられる
1977年 6月 1日


 昨日、先生はマンハッタン・センターで修士号を持っているメンバーがペンキをはがしているのを見ました。皆さんは、そのような仕事をするのが嫌いですか。あるいは、どんな仕事も感謝の気持ちを持ってしますか。先生は自分のしていることが何であれ、決して恥ずかしく思いません。ベリータウンでは、先生は学生達に魚釣りの網を作る仕事を教えました。教授達でさえも驚きました。その当時、神学者の会議が開かれており、訪問していた学者達たちがベリータウンで先生を見ることができるとは決して予想していませんでした。そこで彼らは、先生が学生達と何をしているのか見ようと近づいて来ました。先生がそのような卑しく下賤のことをしているのを見て、驚くと同時に感動しました。このように皆さんの前にあらゆることをしました。最も卑しい仕事すらしたのですから、皆さんは先生に対して言い訳することはできません。

我々の誇り
1977年 6月 5日


 先生はニュー・ホープ号と呼ばれる船で海に出かけます。人々は先生がただ楽しみのためだけにニュー・ホープに乗ってい行くと思うかもしれません。しかし、毎日先生は多くの材料を集めています。神様は海の下に無限なる資源を隠しておられます。そして海は将来、世界の発展の鍵となるでしょう。

 海の事業を開拓する路程において、我々は時々何らかの犠牲を払わなければならないことを先生はよく知っています。いずれも我々は、何百隻もの漁船を持つことになり、それらの中には海で遭難するものもあるかもしれません。しかし、たとえ夫や兄弟を失ったとしても、それが我々の開拓の熱意を妨げることはないでしょう。なぜならば、その仕事は人類のためであるからです。

 我々は海を支配する者となりたいの思います。海は陸地よりも二倍大きいのです。さらに海の下には広大な資源があります。困難も克服する国が、海を征服するでしょう。我々は陸地を主管することを最初に学びました。それと同じ開拓精神で、我々は海をも征服することができるのです。

 我々の戦いは今陸地で行なわれています。そして我々は迫害の嵐によって試練を受け、鍛えられて勝利者とならなければなりません。そうすれば本当の嵐が来る時でも、我々はそれらを歓迎することができるのです。アメリカにやって来たピルグリム達は開拓者でした。そうでなければ、特に嵐の季節に太西洋を横断するようなことはしなかったでしょう。彼らは不確かな運命が自分達の先に横たわっており、生命の保証もないことを知っていました。彼ら以前にその新世界に到着した人はほとんどいませんでした。しかしそれでも彼らは出かけて行きました。神様に対する希望と信仰によって困難を克服しました。今二十世紀における我々もまた、神様に対する信仰を持って荒海に乗り出す船のように前進しつつあります。いかなる迫害やいかなる風が吹こうとも、我々は神様に対する信仰を持っているのです。

 広大な海洋資源は、統一教会を待っていた神様の祝福であると先生は見ています。先生は神様に対して「二十年くだされば、我々は海を征服し、主管して、あなたに栄光をお返しします」と約束しました。先生は海に出かける度にそのように考えています。後に、フォードやロックフェラー財団も取るに足りないように見える基盤を我々は築くでしょう。そのように確信しなければなりません。

 こういうことはすべてと統一教会における我々の誇りです。漁師の生活は困難であり、汚いものであり、時には荒々しいものであって、しばしば泥棒やうそつきに見られて来ました。ではなぜ我々がそのような生き地獄として知られているような事業の中に乗り出して行かなければならないのでしょうか。地獄の底に降りて行って、改革することにより、そこに天国をもたらすことにより、地上天国の到来を早めることができるのです。


神様の願い
1977年 6月19日


 美の特徴の中には、ブロンドの髪の毛と青い目と白い歯の組み合わせのようなコントラストが含まれます。海では、何マイルも何マイルも青い海でしかなく、しばらくすれば、その青い色は退屈なものとなってしまいます。しかし、もし突然遠くから黒い船が近づいて来るのを見れば、その黒い点が皆さんのすべての注意を引き付けます。そしてその黒い船が白い帆を上げる時、それはますます心を興奮させ、ドラマチックなものに見えてきます。その黒い船が多彩な旗を掲げるならば、それは本当に豪華なものとなります。自分の周りにあるものが、すべて青いために、そのような白い帆を掲げ、多彩な旗を立てた黒い船を見ただけでも満足するようになるのです。それが先生の言うドラマチックというものです。

 先生は、多くの議論を引き起しています。それは、白人文化は広大な海のようなものであって、その中に一つの黄色い点が現われ、それが人々の注目を浴びているからです。アメリカ人の中には、先生を歓迎しない人々がいます。しかし神様はその広大な海を航海していて、人間の現在の文化には退屈しておられるのです。そこに突然、先生が黒い船のように現われました。神様はその視線のすべてを先生に集中させています。先生は白い帆を掲げるだけでなく、いろいろな国々の多彩な旗も掲げています。皆さん、自分を神様の立場において、そのような小さな船が白い帆を掲げ、多彩な旗を振っているのを見下ろしてご覧なさい。それは本当に小さな劇的な光景です。

 皆さんは、そのように多くの注目を引いている船の船員です。白人、黒人、黄色人、赤色人や褐色人が祖国に対して手を振っています。我々の船には、このような大いなる興奮と活動があるのです。


再会の心情
1977年 9月11日


 皆さんは、暗い世界に光を与える灯台である、という信仰と確信を持たなければなりません。灯台はどのような天候の時でも光を放ちます。なぜならば、悪天候の時こそ、船が最も灯台を必要とするからです。厚い霧に包まれている時こそ、ますます光を放たなければなりません。逆境であればあるほど、その光はより違大なものでなければなりません。

 先生は、グロースターで一つの伝説となりました。ここの新聞は、我々の魚釣りについて数回記事を載せ、この町中の話題となっています。ここには毎年各地から何百隻もの船が魚釣りにやって来ます。ニュー・ホープ号が海に出てアンカーを降ろす時、他の多くの船が後を追って来て、近くにアンカーを降ろします。先生の船にマグロが引っ掛かると、他の漁師達は双眼鏡を取り出して、先生がどうしているかを見つめたものです。最初の頃、否定的な人達は、マグロがラインを切って逃げてしまうことを願っていました。しかし、二、三日して、先生がマグロを釣ることに成功した後には、彼らは考え方を変えました。そして先生が何か先生のためになる何か良いものを持っているだろうという噂が広がり始めました。

 先生はいつも一番最初に海に出かけました。プロの漁師達の中には、先生よりも早く行こうとした人達もいます。しかし彼らがどんなに朝早く起きて出てみても、ニュー・ホープ号は既に海に出ていました。漁師達はこのことでは復活しませんがでしたが、彼らが先生と競争しようとした時、彼らは非常に一生懸命働かなければなりませんでしたので、いつもの自分達のように酒を飲んだり怠けたりする時間がありませんでした。夏の終わりまでには、このグロースターという衰退しつつある町中で、この町を救うことができる唯一の人間は、先生であるという噂が広まっていました。先生は毎日、例外なく午前三時に起きました。ニュー・ホープ号は月灯りの中を出て行って、多くの場合、夜、星が輝き、月が出ている中を帰って来ました。皆さんは朝早く起きるのが好きですか。先生の船で働くスタッフ達は、何時に起きるべきかということは決して言われませんでしたが、先生が毎朝三時に起きるので、どんなに眠くとも先生に従いました。

 これが、アメリカにおける過去四年間の先生の伝統でした。先生に従うのは、容易なことではありません。なぜなら、先生ほど一生懸命働ける者はいないからです。先生の船のクルー達は、先生が何をするかということを知っており、午前一時半までに大西洋に出ようと言えば、彼らは不平を言うことなく、その時間までに起きて出かけたものでした。先生はまた一晩中海に出て、そこで働くという伝統さえも打ち立てました。

 今年の夏は、お金を儲けるという点では余り稼ぐことはできませんでした。しかし、伝統という点では、何十億ドルもの価値のあるものを得ることができました。そのような伝統に従うことによって我々の運動におけ漁業の花が咲き、そして将来、アメリカのすべての漁業に対して多くの貢献をなすようになるでしょう。今や、先生が魚釣りの伝統を打ち立てたことによって、誰でも、例え女性達でさえも海に出かけるのを躊躇しないでしょう。もし先生が臆病であれば、誰も真剣に行こうとしないでしょう。しかし、今や人々は先を争って行こうとしています。これまでは先生が、いつ、どこで魚を捕り、またその魚がどれ位の大きさであったかを記録したものがあります。将来、漁師達はその記録に挑戦しようとするでしょう。

 魚釣りは信じられない位つらい仕事があっても、先生は統一教会の後孫達に残す伝統のために、何ら躊躇することなく自分自身を与えたいと思ったのです。先生はこのように過去の七十日間を働いて来ました。


我々の新しく生まれた自己
1977年11月 1日


 二週間前、先生はアメリカの造船の都として有名なアラバマに行って来ました。そこで我々の船を建設することができる造船所を買おうと見て回りました。皆さんは我々の工場が中途半端なものであって欲しいと思いますか、それとも一番であって欲しいと思いますか。それを口で言うことは易しいことですが、実現することは容易ではありません。我々が一番になるためには、誰よりも一生懸命働かなければなりません。それは厳しい仕事になるでしょうが、先生は皆さんを押し出すつもりです。アラバマとの造船所で女性はひとりも働いていませんでした。そこで先生は、これこそが我々が歴史を創ることができる一つの方法だと考えました。先生は、女性達を造船所で働かせようと思います。もし皆さん達が女性が溶接工になれば、皆さんの指や顔はそのあとがつくかもしれません。それでも構いませんか。今、一九七七年十一月一日午前七時四二分、皆さん女性達がアラバマの造船所の溶接工になりたいと誓いました。だから今日、あなた達男達は失業です。もし女性達がそれだけのことをするつもりがあるならば、男達はもっと一生懸命働に夜中まででも働かなければなりません。

 先生は何年も前から、先生が決意して造船と漁業に介入しなければ、この国でこの二つの産業が生き残る希望はないということを知っていました。アラバマで二人のすばらしい人に会いました。それはこれまで生涯をかけて造船のために生きて来た父親と息子です。今はたくさんの人達が海に出かけるので、造船業は一つのブームの中にあると彼らは言いました。そこで先生はこう答えました。「それは本当なのかも知れないが、今後将来、二、三年経ったらどうなるだろうか」すると彼らは思慮深げに応えました。「レバレンド・ムーン、我々はそのことまで考えませんでした。あなたの考えは正しいでしょう。男達は何の強い熱意も持っていないし、またアメリカの女性達は、夫が海から帰って来るまで忍耐強く待つここができません」。

 過去において、しばしば漁師の妻達は夫を裏切りました。そのような傾向をひっくり返すために、我々はどうすべきでしょうか。先生は、皆さんを溶接工と船の船長にするつもりです。しかし、我々の漁師達は妻が逃げ出すことを心配する必要はありません。もしムーニーがそのようにすれば、アメリカの残りの人達は、我々に負けて、すべてを譲り渡すなどということには決して直面しないでしょう。一度彼らが我々と競争しようと決意すれば、海洋事業は復活します。先生はアメリカの若者達が海に出かけたいという動機を持つように、彼らにビジョンと希望を与える決意です。海は広大で未開な領域であり、勇気ある人間によって利用されることを待っています。我々はそれを率先してやりたいと思います。アメリカは、海を征服することによって偉大な国家となるチャンスがあります。しかし、もしアメリカの人達が海を無視し、ただ自己満足した生活を望むのであれば、アメリカには世界を指導する国家となる希望はありません。アメリカはこのことに対して盲目です。

 先生はこの道を先導しており、統一教会はそれに従って来るでしょう。先生は、あたな達美しい女性が船の船長となって海に出て行き、海のことについて非常に良く理解し、男達もその命令に従うことをいとわなくなる姿を見たいと思います。そうすれば、人々はムーニーの力を認識するでしょう。先生はまたあなた達女性を多くの会社の社長とし、そしてハーバード大学やエール大学を卒業して雇われる人達が全員、皆さんの言うことを聞かなければならないようにしたいと思います。皆さんの言うことを聞かなければならないようにしたいと思います。皆さんは体が小さく弱々しく見えますが、しかし、船の上で男達が死を恐れる時には、皆さんのような女性達が指導権を握って命令を与え、そうした状況を乗り越えるでしょう。皆さんはまた、自分の赤ん坊を連れて行くことも考えて良いでしょう。先生はこのような考えで非常に興奮しています。先生は、アラバマでの事業を視察して歩くことを計画していました。お母様はそれを躊躇して「お父様、それは男の人の仕事です。だからあなたは行ってやってください。私は家に残ります」と言いました。しかし先生は、お母様にとにかく一緒に付いて来るべきだと言いました。

 先生はあなた達女性が船の船長となり、皆さんの夫達が一等航海士となる制度を打ち立てるつもりです。だからあなた達男性も、船長が命令を与える時には、例え船長が自分の妻であったとしても、「はい、分かりました」と言わなければなりません。男達はそのことで気持ちが良いですか、悪いですか。もし皆さんが鍛えられた船長であれば、皆さんが男であれ女であれ何の違いもありません。クルーは従わなければなりません。

 我々はこのような事業を始めることによって、我々のためだけに何百万ドルもお金を儲けようとしているのではありません。我々は世界を見ており、この国を見ており、そして本当に世界に変化をもたらすための準備をしているのです。将来我々が何千隻もの船を持ち、先生がアメリカ政府に対して「多くの農民達が何もしないでおり、そして何もしないことで政府から多くの補助金を受け取っています。それは何とばかげた制度でしょうか。アメリカ政府は穀物を育てないことに対して、農民達にお金を払っています。しかし、その間も世界の他の地域では、何百万の人達が飢えています。だから農民達にもっと穀物を作らせなさい。そうすれば、我々が貧しい人達に食料を与えるために、その食料を世界中に運びましょう。我々にはそれをする船があります」と言うことができます。

 漁業には時期があり、一年に十二カ月漁ができるわけではありません。だから漁業シーズンでない時には、世界中に物を運んではどうでしょうか。皆さんは船を穀物で一杯にして、多くの人々が飢えている国へ向かう船の船長になるのです。どう感じますか。先生は、そのような船長として女性の中の最も小さい人を選び、それらの女性に公的な勲章を付けた特別な帽子をかぶらせようと思います。みんな夢を持つべきです。先生は誰よりも大きな夢を持っていますが、皆さんとの違いは、先生の夢は実現するということです。


ワシントン・モニュメント記念日にて
1978年 9月18日


 先生はその当時魚釣りをしていましたが、しかし魚を捕ることだけが目的ではありませんでした。先生の心は完全にワシントン・モニュメントに集中していました。そしてそれ以外のことは何も考えませんでした。

我々の立場
1979年 1月 2日

 我々はただお金を儲けるために、漁業を始めたのではありません。そうではなく、アメリカの経済を再建するために始めたのです。五年間、先生はその伝統を打ち立てるために、そして最善の道を見い出すために毎日働いて来ました。政府の役人の中に、先生がしていることを耳にした人がいます。そして彼らは、先生がアメリカが漁場を放棄することはできないと見通しているということに対し、何と先見の明がある人であろうかと言っています。五十年間、アメリカの漁場は衰退して来ました。しかし、やがてアメリカの漁場が、アメリカを養うことになるでしょう。先生は誰よりも遥かに早く出発しました。過去三年間、我々は何百万ドルものお金を投資して一ペニーも儲けませんでした。皆さんは諦めるべきだと思いますか。


永遠の幸福
1979年 2月25日


 先生は農場に行けば良い農夫となります。水産のビジネスに入れば、先生は漁師の一人となります。先生は生の魚を食べることができ、また魚の内臓を手掴みにして食べることさえできます。先生のできないことは何もありません。もし鉱山に行けば、鉱山を掘ることがで自分の天職であるかのごとく、毎日一生懸命掘るでしょう。先生はスラム街に行って人々に話しかけ、そして彼らの心を勝ち得ることもできます。こういったことをすべてやらずして、自分の目的が何であるか知ることができるでしょうか。

統一教会二十五周年記念
1979年 5月 1日


 統一教会は韓国で創設されましたが、それは地方の目的のために始められたのではありません。世界的な摂理のために宗教的な意味を持って始められたのです。一滴の水が山深くから出発し、山腹を滴り落ちて他の水と合流し小川となり、やがて大河となり、ついには海へと入って行きます。そのようにして世界中を駆け巡るのです。

 文化というものは他の文化と混じり合います。そして、そのような中からすべての人々を向上させるような良いものが出て来るのです。これはまた宗教の発展についても言えることです。最初はわずかな人達が集まるだけです。それは丁度、様々な山から水滴が集まって来るようなものです。それからもっと多くの人達が一緒に集まり、川をなし、海へと流れて行って、常に人間の水準を高めるのです。

 もし先生が今年の夏マグロ釣りに行くとしたら、先生と一緒に行こうと志願するのは誰ですか。女性達はどうですか。先生は船を一隻持っていますが、それに何人乗れるか限界があります。だから先生は皆さんのすべてが乗ることのできる船を、もっともっと多く造ろうと思います。そうそれば我々は、一大艦隊を持つようになるでしょう。女性を船長にするでしょう。そうすれば皆さんの夫達も船長になって欲しいと思いますか。ということは、皆さんが漁師と結婚したいということですか。

 イエスはペテロに漁師となれと言われました。漁師となることは決して悪いことではありません。しばしばアメリカの女性達は、男性達よりも強い者がいます。だから先生は二百海里の制限は、アメリカの女性達のために神様が取っておかれたのだと思います。先生はそのことを信じているだけでなく、そのことを知っておられます。皆さんが船一杯の魚を捕る時に、先生は皆さんを認め、受け入れるでしょう。

 我々が造船業をするための新しい土地と建物を手に入れたことを皆さんは知っていましたか。皆さんは金持ちとなるために何をしますか。この国の漁師達は、最も給料の少ない専門家の部類に入ります。だから我々は彼らのために最も良い学校と、最も生活水準を築いてあげようと思います。今は人々が楽しみのために海岸に行きますが、近い将来いつの日か、彼らは海岸へは仕事をするために来るようになり、その代わりレクレーションのために山に行くようになるでしょう。もしそのようなことが自然に現われないならば、先生がそれを作るつもりです。


我々におかれた信頼
1979年 1月 3日


 最近先生は、何人かの教会の長老達に世界を旅行し、統一教会の活動検討するようにと招待しました。彼らは先生が世界中で様々なことをしていることに驚き「レバレンド・ムーンにできないことは何もない。そして彼がしていないことは何もない」と言いました。先生は今日海へ行くつもりでしたが、天候が悪くて行けませんでした。人々の中には、先生はは安息日には休息すべきであるという人がいるかもしれませんが。神様にとっては安息日もまた働く日なのですから、多くの魚を必要とする人達のために海へ行って捕ることは、神様自身の基準に適うことなのです。我々の概念において、聖日というのはただじっとしている日ではありません。出かけて行って、喧嘩している人々を仲直りをさせることの方が遥かに良いのです。

歴史と記録の作る者
1979年 7月 1日


 皆さんがマラソンで勝つためには何年かかりますか。三年ですか。十年ですか。無敵のレバレンド・ムーンにとっても、この路程を来るのに六十年かかりました。そしてまだその競争を終えてはいません。昨晩の神学校の卒業式の後で、指導者達を全員魚釣りに連れて行きました。嵐の最中でした。そして我々は皆小さな船に閉じ込められていました。彼らは口では言いませんでしが、心の中では恐らく「先生、あなたはどういう人ですか。一日足りとも休むことはできないのですか」と思っていたことでしょう。

 ある人が愛を占領する時に、その人は他のすべての権威と威厳をも占領するものです。記録を作る人こそ、神様と歴史が見ている人です。神様は、皆さんが記録を作るような者となってくれることよ期待しておられます。そして今が、それをなすための千載一退遇の機会なのです。先生は現在、漁業に多くのエネルギーを投資しています。それを成功させたいと決意しています。皆さんが先生の願い受け入れる時、皆さんもその分野のチャンピオンとなるように、仕事に本腰を入れるべきです。先生はすべての神学生と教会の指導者達が、一年半は海での任務を果たすために海に行って欲しいと思います。現在アメリカの漁業を指導し、主張する主人は誰もいません。なぜならば、この分野は神様が天の摂理のためにとっておかれた分野だからです。

 もし先生が十分な魚を供給して、統一教会のメンバー達は六カ月の間、魚以外の何も、パンすらも食べてはいけないと言ったらどうしますか。我々は良い魚はすべて商売に使って、自分達は残り物を食べるつもりです。神様は我々が残り物だけを食べるべきではないと言われるでしょうか。それとも、神様はそのような我々に感動されるでしょうか。我々は誰のために苦労するのですか。神様と人類のためです。こうすることによって、神様を目に見えない網で包んで話いるのです。そして神様を我々の虜としているのです。そうすれば我々がすることはただ網を引っ張ることだけです。そうすれば神様は我々に従って来ざるを得なくなるのです。


摂理の歴史的観点
1979年 9月18日


 皆さんは、力を受けるとゴムボールのように弾むことができる人ですか、それとも砕けてしまうような人ですか。我々はただ弾力性があるだけでなく、それと同時に忍耐強い人を必要としています。アメリカの宗教はハリケーンの中に捕らわれた船のようなものであり、政府もまたなす所がなく、またアンカーすらも持っていません。海が荒れて風が強く、船がコントロールを失って揺れ動く時、どうなりますか。そのような危険な状況の中に我々は生きているのです。

 統一教会の中にいる我々にはアンカーがありますか。神様が我々のアンカーであり、先生はロープです。ということは、皆さんが生き残るためにしなければならないことは、ただロープにしがみついていれば良いということです。皆さんは直接にアンカーにしがみつく必要はありません。アンカーはいつも海中深くにあるからです。だから皆さんがしなければならないことは、ロープを握って、それにしがみついているということです。他の教会は美しい金のロープを与えているかもしれません。しかしそのロープの底にはアンカーがついていないのです。統一教会のロープは質素なものですが、しかし下にはアンカーがあります。自分達の美しいロープを宣伝する人達は我々を批判します。政府すらもそのロープがいかに大きいかを自慢し、また統一教会がいかに魚臭いかということを言っています。しかしながらその違いは、我々にはアンカーがあるが、彼らにはないということです。


MFTに対して
1980年 1月 2日


 アメリカは海に取り囲まれていますが、海を征服したことがありません。先生はアメリカの漁業と港を再生させるために、漁業を率先して始めました。これは我々にとって誇りです。海には莫大な資源が眠っていますが、誰もまだそれを受け取った者はいません。我々はそれを神様から受け継いでいます。我々がしなければならないことは開発することだけです。

全体的な自己再評価
1980年 9月14日


 皆さんは、自分は一生懸命働いていると思っているかもしれません。しかし先生の基準から見れば、皆さんは余りにもリラックスし過ぎています。先生が一日中魚釣りに出かけた時は、一瞬足りとも気を抜いたり、居眠りしたことはありませんでした。いつも先生の心は忙しく働いていました。先生は海の広大な水平線を見る時、平和な新しい世界の夜明けを見、かつ全責任が自分の肩にかかっていることを見るのです。だから一瞬足りとも怠けて過ごすことができるでしょうか。

 先生は誰に対しても、三十六家庭に対しても、その他の誰に対しても負債を負うことはないでしょう。これまでなして来たことに対する貸しを受け取るのです。例えば、漁業の分野においは、先生は過去六年間開拓の道を築いて来ました。皆さんは、第一回の国際マグロ釣り選手において、誰が勝ったか知っていますか。先生の船が最も多くのマグロを釣りました。先生はマグロ釣りにおいてすら二番になることを望みません。あらゆる分野において、あらゆる競争において先生はいつも一番でした。

 毎朝先生は午前二時から三時には海に出て行きます。そして真夜中に戻って来ます。これまでマグロ釣りは楽しむスポーツでしたが、先生がそれを始めるとマグロ釣りは戦いとなりました。普通漁師は、午前九時か十時に出かけて行きます。しかし彼らが先生を打ち負かそうとすれば、もっと朝早く出て行かなければなりません。彼らが朝五時に出て来る時には、既に先生は外に出ているのです。先生がこれを始めた時、マグロの値段は一ポンド十セントでした。しかし今や、二ドル五十セントまで押し上げました。いずれは一ポンド五ドルまで上がるでしょう。このようにして先生はマグロを釣る漁師達に繁栄をもたらすつもりです。なぜならば、マグロ釣りの漁師達は過去において貧しい生活を強いられたからです。過去において何らの理由もなく先生に反対した人達は、今や先生が漁師達を助けており、また地方の経済を復活させているのだということを認めつつあります。ヨーロッパの指導者達が今回来た時、彼らは本当に一生懸命働きました。我々は多くの船を造っています。それは小さな船ばかりでなく、三十ないし四十フィートの長さの船を造っているのです。専門的なマグロ釣りの船は百五十フィートの長さがあり、二十五人の乗組員を運ぶものです。先生は将来そうした船をたくさん造るつもりです。そうすれば、先生は各国の責任者達をそれらの船の船長に指名するか、あるいは単なる漁師となるように指示するつもりです。彼らは右や左を見る時間はなく、ただ真直ぐに行くだけとなるでしょう。


我々の義務と我々の使命
1980年10月 5日


 我々はオーシャン・チャーチを始めました。世界は三分の一が陸地であり、三分の二が海であることは明白な事実です。人は海に棲むあらゆるものを食べることができます。海にある植物を含めて、あらゆるものを食べることができます。皆さんは、陸地息しているあらゆるものを食べることができますか。海には陸にあるものは何でもあり、それ以上のものがあります。何千種もの魚がいます。アメリカ人は陸地で育った動物の肉を好んで食べますが、しかし彼らは海の生物の肉を食べることを知らなかったのです。最近になってアメリカ人は、魚の方が動物の肉より良い蛋白質であることを学びました。そして彼らは、魚を汚染されていない自然食品であると考えまています。今や彼らは長生きできるように、魚を食べることにますます興味を持つようになっています。

 ワイオミングで、ある牧畜業者が先生に、牛は大量に買えば一頭につき二十ドルから七十ドルで買うことができると言いました。ニューヨークでは牛肉は一頭四百ドル以上もします。大きなマグロは一ポンドにつき三ドル五十セントします。そしてマグロは千ポンド以上するものもいます。一年にもし大きなマグロを一本捕れば、それで約四千ドルの収入になります。マグロは産卵期には百五十万個の卵を産みます。しかし牛についてはどうですか。牛は一年に、一頭か、精々で二頭の子供を産むだけです。

 牛を育てて一年中それを育てることの方が得ですか、それとも海に出かけて行ってマグロを一本捕ることの方が得ですか。先生は「牛」という名前よりも「マグロ」と言う名前の方が好きです。もし皆さんが一年にマグロを一本捕れば自分の生活を守ることができます。皆さんは自分に対して、なぜ上役からいつも頭の痛いことばかりをさせられるような平凡な仕事にしがみつかせているのですか。一年間家族を養うのに、たったマグロを二匹捕ることの方が良いではないですかと助言してみたらどうでしょう。皆さんが二匹マグロを捕ることに自信を持てば、生活に必要なお金を作ることには心配がなくなります。

 アメリカの漁港は衰退しています。それはなぜかと言えば、若者達が魚を釣りに行きたがらないからです。そこの町の人々は彼らの町が復活するのを見たいと思っています。彼らは、海にはすばらしい未来があることを知っています。我々の指導者達は、先生が選んだ町へ行って町の指導者達に話をして、そしてなぜ我々がそこに来ており、我々が自分達のお金で何をしようとしているのか、どのような活動をしようとしているのかを話すように指示しました。我々が本当に漁業をもう一度繁栄させようとすることに全力を挙げていることを人々が知れば、我々を応援しようというグループが現われ、そして我々の海へ行くクルー達を訓練するのを手伝おうとするでしょう。

 我々は、海で働くことに興味を持っている若者にはプログラムを提供し、彼らに対して我々がどういうものであるかについて示すつもりです。そしてもし彼らが我々のように神様を崇拝することを好むならば、我々は彼らを志願者として受け入れるでしょう。五人の乗組員が集まればすぐ一隻の船を割り当てます。このようにして、三十箇所にあるセンターで誰がより良い質の人々を連れて来るかを競争するようになるでしょう。

 オーシャン・チャーチは現在の州教会の制度と、どちらが多くの成果をもたらすでしょうか。仕事が拡大するにつれて、それぞれの船がその下に十隻の船を持つようになり、まもなく我々はアメリカ中の海岸自体に三十隻の大きな船と三百隻の小さな船を持つようになるでしょう。

 マッチングを受けていないメンバー達は陸上の教会に属するメンバーと受けたいと思いますか。オーシャン・チャーチのメンバーと受けたいと思いますか。それは皆さん次第です。皆さんがその人と生活しなければならないのであって、先生ではないからです。このオーシャン・チャーチが軌道に乗った時には、人々はこれがその人々の町を復興してくれた記念碑として大事にするでしょう。アメリカは世界の四大漁場の三つを持っています。しかしアメリカはそれを利用していません。なぜならば、このアメリカでは魚に対する実質的な市場がないからです。我々の組織の良い所は、我々自身が自分の船を造り、自分自身で魚を捕り、そして我々の店で魚を売るということです。

 アメリカの漁業は衰退しつつあります。その理由は、第一に海に出て行く生活は陸上の生活よりも厳しいからです。若者達は厳しい生活を望みません。第二の理由は、アメリカでは魚の物流経路が確立されていないということです。卸売り業者達は時には魚一ポンドにつき、たった五セントしか支払いません。これはばかげています。第三番目に、夫達が海に出かけていると、その家庭が崩壊し始めるということです。このような状況において、誰が海に出かけて行こうとするでしょうか。ただ統一教会のメンバーだけです。我々はこういうすべての分野においてのテストに合格します。

 技術が進歩したために、自動操縦で船を操作することが簡単になりました。機械にどちらの方向に行くかを指示すれば、船は自動的にそのコースに従がって行きます。だから今や弱々しい若い女性ですらも、かつてはがさつな船長が座っていた船長の席に座ることができます。たとえ自動操縦によって船が操縦されているので何もすることがなくて居眠りしていたとしても、そのような女性を見て神様は何と心を引き付けられることでしょう。先生もそれが好きです。何とそのような女性は美しいことでしょう。

 皆さん女性達、いつかそのような船長になるつもりがありますか。海には鮫がいることを忘れてはいけません。女性達でさえも行きたいとするならば、どうして男達は後ろに引き下がっていることができますか。皆さんはそのような男達は蹴とばさなければなりません。海に出かけたいと言う人達がいますから、第一の問題は片付きました。第二に、魚を販売することは我々にとって問題ですか。女性達はそれは問題ではないと言うでしょう。ただ第三に皆さん妻達は、夫が長い漁に出ている間に夫から逃げてしまいますか。たとえ夫達が六年間海に出かけて行ったとしても、夫達を捨てることはしませんか。このような海洋事業は、本当に統一教会のメンバーのために予定されています。


皆さんにとって重要なもの
1981年 2月 1日


 統一教会には世界のいろいろな所から来ている五色の皮膚の人達がいます。我々の目標は、この人間を一つの家族に統一することです。統一教会の生活は複雑です。ただ単に日曜日の礼拝だけでなく、船を造ったり魚を捕ったりすることを含めて、あらゆる種類のことがあります。将来はさらにもっと夢のようなこともあるでしょう。

 船を造ることにも同じ原理が適用されています。我々のメンバーは、最も素晴らしい船を、最も安い費用で造っています。彼らがそうすることができる唯一の方法は、犠牲的に自らを捧げることによってです。このような過程を通して最も美しい船が造られており、他の誰もそれと競争できるような船を持っていません。同じような精神で我々は世界を創り、国を創るのです。もし我々ムーニーが最も安い費用で最もすばらしい国を築くならば、共産主義が忍び寄る余地はないでしょう。

 例えば、先生は漁場においてはいかなる競争相手も、先生を打ち負かすことができないような規範で働いています。一度先生が何かを宣言すれば、それは全世界の中をこだまします。人々は耳を傾けざるを得ません。先生は単純な原則に基づいて働いており、先生には計画があります。


善悪二つの世界
1981年 2月15日


 先生の活動はただ単に宗教活動だけではありません。このために人々は、先生が実業家であるとか、学者であるとか、映画製作者であると言うのです。先生は人生のあらゆる側面を、同じ愛の原則でもって取り扱います。魚釣りに行く時ですら、それは自分自身が楽しむためではありません。先生は決して自分の根本的な使命から離れることはありません。だからマグロですら先生の方に引き付けられて来るのです。

 いつも先生は二つの世界に、最も自然に生きています。つまり、高い世界と低い世界の間を行ったり来たりしています。朴先生が昨年の夏、南アメリカに行った時、彼は七カ国の大統領に会い、もてなしを受けました。彼がこのように非常な栄光を与えられたのは、彼が先生の補佐官であったからです。しかし、彼が帰って来てモーニング・ガーデンへ先生に報告に来た時、彼は家の中で先生を見つけることができませんでした。結局先生を見つけることができたのは、裏庭の物置で数人のメンバー達と魚釣りのために道具を直していた時でした。先生の人生においては、高いものと低いものの両極端を抱擁して来ました。神様の御旨は、これら二つの極端を調和することであり、神様の力のみがそれをなすことができます。真のムーニーというのは、愛の生命力を人格としたものです。だから我々は、この二つの世界を一つに結び付けることができるのです。


我々の身元
1981年 4月 1日


 先生は、おそらく今年の夏もグロースターで背広の代わりに漁師の服を着て、魚釣りをしていることでしょう。たとえ皆さんが魚臭い漁師の着物を着ていたとしても、善なる側は同じであり、常に上昇して行きます。皆さんは、今いる所よりも下がることはありません。たとえ我々が乞食の立場に自らがいるのを見出だしても、我々はそれ以上下がることはなく上がって行くでしょう。先生は正しい伝統を残すために、ここに住んでいます。将来、若者達が、先生が刑務所で過ごした経験について学ぶ時、それは彼らの心に火を付けるでしょう。先生は刑務所の生活が将来のための強い伝統を残すことになるであろうことを知っていたので、刑務所の生活を耐え忍ぶことを決して厭いませんでした。

我々の理想的な家庭(第二部)
1983年 6月26日


 皆さんがファンダレージングに出かける時「自分はこんな暑い日にこんな所にこうしているが、お父様はどこかで船に乗っているのだ」と考えるかもしれません。しかし先生が海に出かける時は、一日とか一週間、気晴らしで出かけるのではありません。先生はオーシャン・チャーチを人類のために創設しました。将来のためにその伝統を打ち立てなければなりませんでした。そのようなことをすることができる者は他に誰もいません。

 先生はこれまで、オーシャン・チャーチについて幅広く語りました。だからアメリカのメンバー達の中には「もうオーシャン・チャーチについては何も聞きたくない」と考える人がいるかもしれません。しかし、誰がアメリカの海に対して責任を取ることができますか。どんなに難しかろうとも、先生はその責任を取るつもりです。それが先生の決意です。皆さんは海に行くのがどんなに嫌であろうとも、先生はこの国のために海に行き続けるつもりです。そのような基盤を造った後で、このメッセージがアメリカの若者に理解されることを先生は知っています。皆さん達は「先生の言うことは好きだけれども、先生のしていることは好きではない」と言うかもしれません。先生のしていることを好む人と、好まない人に分けることができます。皆さんアメリカの若い男達はどうですか。皆さんはオーシャン・チャーチを好きですか。皆さんは口でだけ忠実なのですか。

 今年の夏のマグロのシーズンの間、我々は五十万㌦のお金を使うでしょう。毎年我々はマグロ釣りのためにお金を費やして来ました。しかしそれでも、我々はそれをしなければなりません。他の誰もそれをしている者はいません。マグロのシーズンは夏だけです。だから一年のその他の時期は非生産的です。だから先生はその他の魚、例えば、カレイ、平目、鯵などや、その他の魚をそれぞれ季節に従って捕ることによって、マグロ良を補うための全般的な計画を持っています。我々は成功する事業のための基準を打ち立てて、一年中様々な異なった魚を用いるようにしなければなりません。

 皆さんが一度海に出れば、海を愛するようになるでしょう。しかしそうするまでは、海は、見知らぬ存在です。皆さんは先生がマグロ釣りの専門家として生まれたと思いますか。そうではありません。先生はイロハから学ばなければなりませんでした。そして毎日、来る日も来る日も働き続けて伝統を打ち立てました。今や先生は、他のマグロ釣りの漁師達の間で専門家として知られています。先生は計画を立て、そして七年ないし八年のシーズンに忠実に実行し、遂にマグロの釣り方を知るようになりました。そのようなことは単なる趣味としてとか、ただ海を楽しみたいと思っていろような人には到底達成することができません。

 先生は昨日、神学校の七回目の卒業式で話をしました。その後、親や教師達が皆周りにいる時に、先生は魚を釣るための衣服に着替え、再び船に乗りました。ハドソン川は荒れていましたが、それでも先生は出かけました。それを見ていた人達は、先生を風変りだと思ったかもしれません。しかし彼らは我々の目標が何であるかを理解していません。先生の足が、毎日立っていることで腫れ上がっても、その足を叱りつけてそして働き続けるように命令します。このようなことは、楽しいからするのではありません。先生はこの仕事に非常に真剣なのです。

 宗教指導者として、先生はマグロを殺すことを決して楽しみにしていません。マグロが血を出してそして辺りの水を染める時、そのような光景を決して楽しむことはできません。先生は深い祈りの中でそうしたマグロ達に詫びて、そして彼らが分かってくれるように乞求めるのです。先生は彼らに対して「お前達はアメリカの人々のために自らを捧げなければならない。なぜならば、アメリカの人達は神様と天宙にとってもっと重要だからです。先生は全人類のために捧げる供え物として、お前達を必要としています。だからどうかお前達自身を捧げてほしい」と言ってやります。神様と天宙はそのことを知っているので、神様と天宙は我々を助けてくれます。だから我々の海洋事業が栄えつつあるのです。皆さんはこのことをはっきりと理解しなければなりません。

 人類のために海に出て行くことは、正しいことです。こういう観点から見ると、先生の伝統に従いたいと思う正義のアメリカ人は誰ですか。先生はそのようなアメリカ人を十年以上も探して来ました。ことによると、ここで基準を作るために日本から人々を連れて来なければならないでしょう。それからアメリカ人がそれを受け継ぐことができます。しかし、日本人が成功しないなら、韓国人を用いるつもりです。もし彼らが失敗すれば、正しい伝統を打ち立てるために、先生自身の息子、娘達を送るつもりです。そういう理由で今年の夏、祝福の子女達を連れて来ました。このようなことをするのは初めてです。しかし我々は海に対する目標を達成しなければなりません。

 アメリカは海洋資源開発のチャンスを失うでしょう。なぜならば、その方面に対する主導権を取ろうとしないからです。他の多くの国々はアメリカ人から海を奪いつつあります。先生はオーシャン・チャーチの伝統を打ち立てるために、原理に従ってゆきました。そして、先生はアメリカ人にチャンスを与え、海における魚釣りに参加させるように奨励し、それを心待ちにして来ました。しかし、なおも皆さんがそれに応えないなら、他に何ができるでしょう。海を最も愛する人が、海の支配者となるのです。先生は、海を誰よりも多く愛そうとしています。

 皆さんは、こういう先生の考えを退けてはいけません。それは非常に重要なことです。アメリカ南部にある造船会社は、マスター・マリン以外すべて倒産してしまいました。我々の会社もまたしばらくの間欠損を出しましたが、営業を止めませんでした。我々食口が行う事業は、愛に基づいています。もし皆さんの心情を本当に事業に投入するならば、決して失敗しないでしょう。なぜならば、神様と天宙が皆さんを支えてくださるからです。


リーダー会議
1983年 6月27日


 先生の皮膚がどんなに黒くなっているかを見なさい。先生は、気晴らしのバケーションで日に当たって日焼けしたのではありません。先生はオーシャン・チャーチを指導しながら、毎日海で戦い、忍耐してきました。海には主人もなければ管理人もありません。そして海には希望がありませんでした。先生は海を開拓し、海の資源を収穫することができるように若者を海に連れて行きたいと思っています。海はこれまで見捨てられて来ました。中南米でどのようになっているかを見てみなさい。それらの国々は皆孤立し、海が見捨てられつつあります。

 東、西、南のアメリカの海岸を見てみなさい。これらの海岸にある町や港町は、荒廃したゴーストタウンとなっています。そしてそれらの町や港は南米から来る避難民に奪われてしまい、それらの多くが共産主義の浸透ルートになりつつあります。その人達は、海の資源を開発利用しつつあります。マフィアが、アメリカの若者達を退廃させる麻薬を持ち込むために港を使っているように、彼らもそれらの港を足場として使っています。各市民が、アメリカの共産化を防ぐために偉大な十字軍に参加するつもりがない限り、沿岸警備隊や警察のみではどうしようもなくなっています。誰かがこの国を守らなければなりません。それを実際に行っている者は誰もいません。そのために命を賭けている者は誰もいません。先生がそれをしようとしている時、地方の政府は先生を助ける代わりに迫害してきました。マグロ釣りのシーズンは決して楽しみの時ではなく、戦いの時です。先生は巨大なマグロを捕る経験をすれば、それは一生忘れ得ない経験になるということを知っています。誰もがマグロ釣りに行く機会を探しています。そして、先生が彼らをもう一度船に招待してくれることを楽しみにしています。アメリカの若者達を海に注目させるために、いかにすればマグロ釣りがもっと興味深く、またもっと興奮させるものとなるかについて先生は研究しました。先生は、世界のマグロ釣りチャンピオンです。先生は「レバレンド・ムーン」方式を発見しました。人々は先生のやり方を見て、それをまねしようとしています。実際、ある釣り具の店では「ムーニー」式フィッシング・ギアを売っています。先生が使うものは何でも、彼らは買い求めます。皆が先生のする通りにしようとしています。

 普通、金持ちの人々は、マグロ釣りの期間中朝10時に出かけ、午後2時か3時には帰って来ます。先生はそのような伝統を変えました。先生は朝2時に出発して、夜10時に帰って来ました。今やプロビンス・タウンでマグロ釣りをする人は皆、マグロ釣りのシーズンが来れば朝2時に起きなければならないことを知っています。レバレンド・ムーンが、そのようなペースを作る人であることを否定する者は誰もいません。

 皆さんは魚釣りというのは、何時間も時間がかかって何もしないでいるものだと思っています。そうではありません。皆さんは常に気を張っていなければなりません。それはここでは説明できませんが、いろいろな技術を必要とします(皆さんはそれを経験しなければなりません)。それは黒帯の技術です。例えば、魚がやって来る時に、先生は魚を直接見なくても、その魚が餌に食い付こうとしていることが分かります。そうすると、魚との間の駆引きとなります。もしラインを余り荒々しく引っ張れば、その瞬間に魚を逃がしてしまします。だから、ほんの少しだけラインを引っ張ります。すると魚はそれに関心を持ち、寄って来て餌に食い付こうとします。その瞬間に倍の力.2倍の力で引っ張るのです。誰がそのようなことを知っていますか。そのようなタイミングを見つけ出した者がいるでしょうか。先生はこういうすべてのことを研究して来ています。皆さんも一定の訓練を通過しなければなりません。第一、第二、第三レベル、そしてもっと高いレベルがあります。雨が降っていれば、魚釣りを早くやめるべきだと思いますか。お母様はいつも、雨が降っていればもう少し早く帰って来れば良いのに、雨の中に遅くまでいるのは健康に良くない、と考えています。しかし、先生は行かなければなりません。先生はそれを果たさなければなりません。先生は、メンバー達に教えることに陶酔しています。先生はもっと勉強しなければなりません。どうして早く帰って来ることができるでしょうか。世界の将来の経済や、世界の食料問題、人類の死活問題は海によって決定することができるのです。

 将来の水産事業において、レバレンド・ムーンとその決意、世界観と魚釣りの理念が継続するでしょう。先生が信じられない位に日焼けするとうのは恥ずかしいことですか。それとも誇りですか。人類のために、またこの国の未来のために、そのような信じられないようなことをすることによって、先生は様々な異なった種類の魚を捕る方法を開発しようとしています。それぞれの魚が特定の取り扱を必要とし、それを捕るためには特別なこつが必要です。先生は技術を開発すると同時に、それらの技術を教えることができます。皆さんがそのような技術を応用する時に、漁師として独り立ちすることができます。そうすれば、もっと高いレベルの魚釣りに移ることを考えることになるでしょう。

 このアメリカという国は神様が祝福した国です。豊富な物質が恵みとして与えられています。しかし、この恵みは神様に属するものです。我々はそのような財産の管理人です。何がどうであろうと、我々はそれをしなければなりません。組織化しなさい。我々は、神様が与えた祝福をすべて勝ち取るようにしなければなりません。先生はそのための基盤を造りました。先生はアメリカに伝統を打ち立てるつもりです。もし皆さんがそのような伝統に従うことができるならば、皆さんは世界の残りを受け継ぐことができます。それが皆さんのなすべきことなのです。

 今は新しい時代、新しい歴史の一㌻です。皆さんがこの新しい歴史の主人公です。そうなるためには、皆さんは決意しなければなりません。そのような決意なくして、皆さんはその目的に近づくことすらできないでしょう。命を賭けるという決意があればサタンを分別することができます。サタンはもはや皆さんと何の関係も持てなくなるでしょう。自分が生き残ろうとしてはいけません。死の境地へ行きなさいそうすれば神様が皆さんの犠牲を受け取って、それがまさに先生の人生です。先生はこれまで、常に死の覚悟をして来ました。このような伝統は、先生から皆さんへ、皆さんから他の人達へ受け継がれて行くのです。皆さんが生きている限り、息をしている限り、不平を言うことはできません。なぜならば、既にそのような決意をしたからです。皆さんは死の覚悟があります。しかし、まだ死んではいません。「自分はまだ生きています、自分はもっともっと行かなければなりません。もし死んでいないのであれば、自分はもっと行くことができます。神様、ありがとう」と言うことができます。

 先生の足は筋肉によってではなく、いつも何らかの理由で腫れ上がっています。船のデッキに長く立っていることから足を使い過ぎたとしても、先生は「神様、ありがとうございます。まだ自分は死んでいません。まだ自分は息をしています。神様、私はもっと行くことができます」と言うのです。ある晩ちょっとした事故があって、バスルームで転びました。お母様は知りませんが、その時先生は気を失ってしまいました。自分が立ち上がって最初に口から出た言葉は「神様、ありがとうございます」でした。そういう伝統を先生は統一教会の中で築いてきました。どうして我々が不平を言うことができるでしょうか。もし我々がこういう伝統を無視するならば、アメリカは陰気で悲惨な国となるでしょう。皆さんがこの伝統を受け継ぐときに、アメリカは栄光と繁栄の国となるでしょう。皆さんがこの伝統を受け継ぐならば、祝福が永遠に訪れるでしょう。


リーダー会議
1983年 8月26日


 我々の運動には、非常に様々な活動や異なったプロジェクトがありますが、夏になれば、それらの内で最も重要なものはオーシャン・チャーチです。

 皆さんが知っているように、地球の表面の3分の1だけが陸地で3分の2は海です。それゆえに、海を知らずして決して地球全体を主管することはできません。だから皆さん一人一人が、統一教会のあらゆるメンバーが、オーシャン・チャーチの基本的な訓練、ナビゲーション(航海術)や船の修理を含めた訓練を受けることが必要です。

 海は死んでいない、と考えるだけでも信じがたことです。海は生きており、動いています。海それ自体が動いているだけでなく、陸地や太陽や月との関連で動いています。また、海の中に隠されている美や、不思議なことを知ることは、とてもすばらしいことです。神様の創造されたすべての万物の中で、海は他の何物以上に宇宙の動きや天候に対して敏感です。

一度皆さんがそのような海の敏感さを理解し、海と対話し、それに対処するならば、神様の創造された万物の最も複雑な物が分かるようになるでしょう。そうすることによって、すぐに陸地についても理解できるようになります。

 海はただ単に敏感であるばかりでなく、非常に変化が激しいものです。それゆえに、この変化する状況に対処することを知ることは、我々自身と自然を最も良く理解することです。我々が神様を中心とした人格を形成するためには、我々がいかに海に対処し、いかにして海の主体となり、またいかにして神様が与えた被造物を主管するかについて知らなければなりません。

 神様はすべての主管圏を支配しておられます。神様は全被造物の、すべての変化、敏感な動きをも主管されております。これが神様の性質であり、我々はそのような性質に似た者となるように、自らを形成しなければなりません。特にアメリカの若者はそうです。なぜなら、このアメリカという国は三方を広大な海によって囲まれているからです。一般に言ってアメリカ人の興味は、一つの狭い方向に焦点が当てられています。しかし、神様は、そのようなことを望んではおられません。皆さんは、自分自身を四つの方向に対して拡げなければなりません。そういう点において、海は皆さんにそのような訓練の場を提供しています。アメリカの若者達は、海に対してほとんど関心を持っていません。今はそれで良いと思うかもしれませんが、将来のビジョンということになれば、海に対する関心を持たずしては皆さんは指導者となることはできません。

 多くの人々は、今や宇宙時代が到来したと言います。しかし、皆さんは宇宙空間に住むことはできません。しかし、海からは資源を引き出すこともできれば、そこから生計を立てることもできます。こういう理由で、先生はオーシャン・チャーチを創設しました。将来、オーシャン・チャーチの基盤の方が陸上の教会よりももっと大きくなるだろうと、先生は感じています。これまでの所、我々は陸上の教会の時代に生きて来ました。今からはオーシャン・チャーチの時代に生きるようになります。


柔軟性がある者となること

 もう一つ重要なことは、海に対する時には頑固であってはならず、柔軟性がなければならないことです。そうでなければ、海で生き残ることはできません。海に行く人間は柔軟でなければならず、あらゆる状況に対処できる者とならなければなりません。
 例えば陸地では、人々は日中働いて夜は休みます。海ではそういうことはありません。海では昼も夜も働かなければなりません。なぜならば、潮は常に動いており、魚もまたそれに従って動くからです。ある潮と魚が夜やって来る時には、夜働かなければなりません。
 さらにたとえ完全なスケジュールを作っていたとしても、台風が来ればそういうスケジュールは全く諦めなければなりません。自分自身の意志だけで動くことはできません。環境に適応し、どのような状況にもたいしょできるように調和しなければなりません。陸地においては、ほとんどすべての事は、計画し、目標を立てることができますが、海ではそうはいきません。陸上にいると人間は自然と対決し自然を支配しようとします。海はそうすることを簡単に許しません。それゆえ人間は、環境と共に生きること、いかにして柔軟性ある者として生きるかということを学ばなければなりません。海に出かけて行く人間は、自然と対決するかわりに調和するように試みなければなりません。


希望のない人のための訓練

 ある人は、海に行くと舟酔いするから、海はどうしても苦手だと言います。そういう人は先祖が非常に貧しい人だと思います。(笑い)
長い目で見て、彼らの先祖にどこか悪いところがあったということは本当です。例えば胃潰瘍があったとか、あるいは何らかの肉体的問題、あるいは欠陥があったことは否定できません。
 統一教会のメンバーは三つのグループに分類することができます。一つは海のチャンピオン達です。我々がそういう人を好むことは皆さんも知っているでしょう。二番目は、中途半端な人達です。彼らは海の上でそれほど良くもないけど、悪くもないといった人達です。最後に三番目は、希望のない人々です。オーシャン・チャーチの使命は、この希望のないグループの人達を用い、彼らをチャンピオンにすることです。これはどの国についても言えることですが、国が衰退するのはその国に強い人々がいないからではなく、多くの人々が希望を失っているからです。それゆえ国の幸福は、そのような希望のない人を強くすることによって保証され、またそうすることによって国の安全も確保されるのです。希望のない人を希望のある人に変えること、それが統一教会の挑戦であり、特にオーシャン・チャーチの使命なのです。ということは、希望のない人々がまず最初にオーシャン・チャーチ へ行くということを意味します。だから先生はそういう人達にまず最初に取り組まさせなければなりません。


人間の性質をさらけ出す

 先生は、希望のない人達をいかに訓練するかを知っています。彼らを海に連れて行って、三ヶ月間海の中に蹴飛ばすのです。彼らがその海でいき延びれる限りそうするのです。そうすれば、彼らは最初のうちは惨めで、また青りんごのように青白く見えるかもしれません。そして体の中の穴という穴から何かが出て来ます。

 しかし、先生はちゅうちょすることなく「彼らを海に蹴飛ばせ」と言います。そうすると一人ずつ出て行きます。船酔いをした人も病院は必要ありません。陸地にしばらく置いておけば良いのです。そうすればやがて食欲も戻って来るし、回復してきます。これが一番良い方法です。健康が回復すれば、また彼らを蹴飛ばして海においやります。そして、このサイクルを繰り返します。そしてまた海から戻って来て、ほとんど死にそうになって戻って来た彼らを休息させ、そして三度目、再び海に蹴飛ばすのです。これを三回繰り返せば、どんな希望のない人間でもチャンピオンにすることができます。希望のない人間を再び希望ある者とすること、それがオーシャン・チャーチの真のチャレンジであり、それこそこの国にとって良いことです。

 さらにまた、海に対して適応性のある健康な人々はいつでも海に行く用意ができています。タイラーは最近、博士号を取ったばかりです。彼はオーシャン・チャーチに人事されるとは夢にも思っていませんでした。それでも先生は、彼に海に行くようにと蹴飛ばしたのです。彼はきっと、自分は統一神学校で良い教授になれるし、本を書いたり、他の大学に行って教えることもできると考えていたと思います。きっと彼はそういうことを考えていたに違いありません。タイラー・ヘンドリックは本当の紳士タイプのような人間です。非常に丁寧で誠実な人間です。しかし、一度海に行けば、そこにはバスルーム(御手洗い)もありません。たとえニュー・ホープであってもありません。

 今年の夏、先生は女性達と男性達に船を与え、共に働くようにさせました。そして、トイレへ行く時がくるとどうしますか。何とかしなければなりません。何とかしてすっきりしなければなりません。周りにいくら女性達がいようと男性達がいようと違いはありません。そうなると腹が必要となります。自分をすっきりさせるという使命を達成しなければなりません。男達はそのような状況に直面してパニックに陥ることなく、自然にそのことに対処します。彼らはそれに対処する腹を持っていなければなりません。女達が海に行くといつものように、上品で素敵な顔つきをするようなことはありません。女も男のような顔つきになって、何とか海に対処して生き残らなければならないのです。時には、女は自分の尻をさらけ出さなければならないこともあります。しかし、そのことに構っておれません。ただ「私のお尻がちょっとさらけ出されているけれども、男の人達は目を閉じてくれるでしょうから、自分自身を盾で隠さなくてもいいわ」と考えるでしょう。

 女にはそういう腹が必要です。また男達が自分の用をたす時、女達は目をつぶってくれるということを男達は知っています。だから問題はありません。そのようにするのです。もし目を閉じない者がいれば、そういう人はその結果に苦しむことになります。

 海の訓練は生々しい裸の経験です。それゆえに、それを通して基本的な人間の性質が現れるのです。海の訓練は、あらゆるものをさらけ出します。海の上では隠すことはできません。だから皆さんが海に出かけて行く時には、自分自身をさらけ出さなければなりません。それを通して自らについて学ぶことができ、他の人についても学ぶことができ、また他の人といかにして調和するかを学ぶことができるのです。

 別の点は、陸上で生活する時には、記録を破ったり、新しい記録を樹立するといったことは余り考えません。しかし、海に行く人は皆、いつも記録を作ったり記録を破ることを考えます。こういう人々、はいつも目標を目指して進む人達です。

 この世の生活は非常に複雑です。だからそういう世の中で出世したり、出世する場所を見つけることは不可解な状態です。しかし、海に行けばチャンスがあります。誰もが皆、出発点に立っているからです。そこではゼロの時点まで下がって行き、そこから出発し、起き上がって再び勝利するのです。皆さん、男達、女達が海に行くときにはチャンピオンになるように、また新しい記録を樹立するようにしなさい。先生はそういう目標を目指した生活が大好きです。


オーシャン・チャーチのビジョンと摂理
1983年 8月28日


 キリスト教、ユダヤ教、その他すべての偉大な宗教は山と何らかの関係を持っていました。モーセは四十日間祈るために山に行きましたし、イエスも山の上で断食祈檮をしました。また釈迦も山の中で霊的な探求をしなから六年間過ごしました。統一教会もそのようなことを経験しましたが、我々はそこで止まるのではありません。我々はさらに進んで、歴史上初めて「オーシャン・チャーチ」を創設するのです。

なぜお父様はオーシャン・チャーチを創り出したか

 皆さんは地球を見るときに、地球表面の三分の二は水です。だから、海と陸地とどちらの方がより多くの生き物がいると思いますか。水の中です。地球上の人口は約四十億と推定されます。しかし海には何百億、何千億もの生き物がいます。海と陸地のもう一つの違いは、すべての海はつながっていて一つの海から次の海へと行くことができるということです。陸地もまたつながってはいますが、海は、一つの調和がある全体としてお互いに動いています。海は生きており、適宜に動いています。死んでいるのではないのです。この地球を覆う水面が生きているがゆえに、地球が生きているということを理解することができるのです。

 これまで海は輸送のために用いて来ました。しかし、人々は海の中に隠された資源を探すために、海を掘り始めることをしませんでした。最近になってある国々は、二百海里領域を「領海」として主張しています。ますます海の資源を巡る争いが、国々を鋭く分裂させつつあります。もし捕る魚がいなくなったら、二百海里の制限というものは意味を持つのでしょうか。

 人々が海の中の資源を発見し始めるようになると、恐らく彼らは三百マイル、あるいは千マイルも自分の国の領域として主張し始めるでしょう。そうすると「海の真の主人は誰か。誰が本当の主人であるか」という問題が起こるでしょう。

 もし突然、ある巨大な陸地が海の真ん中に島として現れたとします。その陸地を自分のものとして主張できるのは誰でしょうか。火山の爆発は至る所で起こり得ます。自然は自然の法則に従うのです。

 神様が「自分が海を創造したのだ。誰がその主人公となるのか」と言いながら被造物を眺めている時に、神様は何を探しておられるのでしょうか。神様はビジョンと勇気を持った人々を探しておられるのです。実際、神様はそのような海の挑戦するために組織され、それに投入している人々の団体を探しておられるのです。もしそのような海を愛する人々の献身的なグループを見出だすことができれば、神様は彼らに祝福を与えられるでしょう。そのような人々が、最終的に海に対する主管主たる候補者となるのです。彼らは、創造主の心を持って考えているに違いないからです。そのような勇気ある人々が世界中から一つに集まって来て、そして一つの共通の目標に向かって団結するにつれて、一つの理想、ビジョンはすべての国家や人種の障壁を越えるに違いありません。そのような国際的なグループが確立されるならば、いかなる国もそれに挑戦することはできないでしょう。なぜならば、そのようなグループは、世界的な展望を持っているからです。

 オーシャン・チャーチは将来何をするのでしょうか。その目的は何ですか。それはいかに海を愛し、創造主の理想のもとでいかに海を利用し、また創造目的に従ってどのように海を主管するかということを教えることです。

 海と陸地を分ける境界線は海岸です。従って、海岸はその二つの世界の結び目を表します。いずれは海岸線が最も重要となるでしょう。海岸線の財産がすべての内で最も価値のあるものとなるでしょう。


海の美しさ

 海には信じられないほど様々な雰囲気が含まれています。静かな海は、美しい女性のようです。そして浜辺の砂は、まぶしい位の美しさと平和の絹のようです。しかし、それが海が与えてくれるすべてではありません。少し風が吹くと海は踊り始めます。少しだけです。どのようなバレリーナや踊り子といえども、海の踊りとは決して比べようがありません。踊り子は小さな限られた舞台の上で踊るだけですが、海は際限もなく踊るのです。その踊りの舞台には際限がありません。

 海では鳥が飛び回ります。飛んで来てまた飛び去り、止まったり羽ばたいたり、すべてが様々に異なる形をして飛びますが、すべて調和が取れています。かもめがやって来て歌を歌い、美しい調和ある動きをします。時々このような美しい光景が、巨大な鯨が水の中から飛び上がって来る突然の火山の爆発のような動きによって、劇的に変化します。水しぶきが輝き、光を反射します。これも信じられない程の美しさです。それほど多くの変化と様々な動きがあります。

 海が腹を立てる時にはあたかも「誰でも自分の方向に向かって来る者は飲み込んでやるぞ」と言っているかのごとく、威厳と力を示します。海はそこに浮かんでいるすべてのものを飲み込むことができるのです。

 普通の場合、高速の船は静かな海をあたかも絹のハイウエーのように美しく走ります。しかし、一度海が怒り狂って高波のしぶきを上げる時には、そのような船も無力となります。波が高まれば、船は「はい、はい」と答えるしかありません。波が突然下に落ちれば、その船もまたそれに従うのみです。なぜならば、自然は最も強力であり、海は「お前は私の言うことを聞け。ここに私がいる」と言っているからです。このような理由で、海を愛する人は男も女も高慢になったり、傲慢になったりすることができません。彼らはそのような自然の圧倒的な力の前で、いかに謙遜にするかを知らなければならないからです。

 陸地には緑が見えます。時として、そこではチョウチョウや鳥が飛び回っているのが見えます。しかし、すべては静的です。しかしながら海では、魚の変化はあらゆる動きであり、しかも一つの場所から他の場所へと動きます。そして自らの美を示すのです。海と陸地では、どちらがより多くの美や信じられない程の神秘がありますか。(海です)

 皆さんが、自らを神様の立場において「なぜ神様が海を創り給うたのか」と尋ねれば、「それは神様が陸地には二、三日で飽きてしまうが、海は決して退屈しないからです」と答えるでしょう。それゆえに、将来のビジョンに関係する者は誰しも、海に興味を持たなければなりません。このようにしてその人はビジョンのある人となることができます。


偉大な文学

 海ではどのような種類の人々が見出だされるでしょうか。勇気ある男に従う勇気ある男達です。では女達についてはどうでしょうか。
 もし夫が非常にひどい下痢になって寝ているとしたら、夫に対して、どうか家にいて漁に出るのは延期してくださいと頼むでしょうか。それとも、彼女は立ち上がって「よし、では私があなたに代わってその使命を続けます」と言うでしょうか。もしその女性がそのような決意を持っているならば、船の舵輪すらも目を覚まして、今まで多くの男達の荒っぽい手で扱われて来た後なので、そのような柔らかい女性の手が触ってくれることを幸せに感じるでしょう。皆さん、女達がそのような使命を引き受けるときには、海の水ですらも皆さんに対して、荒々しくありたいとは思わないでしょう。彼らはそのような美しい女性に対して良くありたいと思います。また海の跳びはねるしぶきですらも微笑んで「私はあなたのスカートにすがりつきたい」と言うでしょう。

 詩のような光景ではありませんか。このようにして偉大な詩や文学が生まれたのです。先生が海について話し始めると、まだまだ話すべきたくさんの話や伝説、神話があります。時々、先生は鳥に向かって話しかけます。すると鳥達も先生の考えていることに従うかのようにこちらに飛んで来て、止まったりするのです。そして先生が「さあもう行きなさい」と思うと、鳥達は突然飛び立って行くのです。

 文学というものは、そのような自然との交わりを表現しながら書かれるものです。被造物は人間に対して「もしあなたが、私が離れたとしても愛してくれるなら、私はあなたから離れて行きましょう」と言います。人間と被造物はお互いに慕いあっています。それは丁度男性と女性のとの間の愛のように慕い合うのです。

 もしある男性とある女性がエンパイヤ・ステート・ビルの頂上、地上百二階の所でデートをすれば、それは非常にロマンチックです。しかし、なぜそのようなデートがロマンチックだと考えられるのでしょうか。それはそのような高い建物はユニークであり、その二人の男女は地上の最も高い地点の一つで出会っているからです。誰も注目していないとしても、彼らは自分達が世界のトップにいる王様と女王様として出会っているかのように感じるのです。

 ある男女が南極点で出会ったとしましょう。その周りには誰もいません。すべてが氷と雪だけです。ペンギンだけがお互いにキスをしています。そのようなことは想像するだけでもロマンチックな瞬間です。何か信じられない位刺激的な経験をするためには、普通の人達がしないようなこと、ユニークで挑戦的で、特別のことをしなければなりません。そういうことなくして皆さんは、刺激ある陶酔と美を得ることはできません。


アラスカ

 先生は最近、アラスカへ二回行って来ました。アラスカは住んでいる人もほとんどいない神秘的な処女地です。そこは、熊や、野生の動物の土地です。大部分の人達は、アラスカは雪や氷河に覆われ、また海岸線はギザギザとしていて、白鯨やアシカやオットセイのいる所だと考えています。ある日、先生は小さな島へ行き、そこで何匹かのアシカに出会いました。彼らは先生を見るや否や、歓迎の声を上げ「あぁ、あぁ、あぁ、あぁ、あぁ」と叫び始めました。彼らは一斉に声を上げ、その声は非常にユニークな響きでした。しかしそこには二つの区別すべき声がありました。一つは雄の声、もう一つは雌の声でした。それらが一つに調和して、すばらしいコーラスを作っていました。
 そこには鯨やハリバットもいました。ハリバットというのは平目のような平べったい魚で、三百ポンドにもなるのです。おそらく、ハリバットのことを知らない人が多いでしょう。だから神様は「お前達は哀れな者だ。私が生き物を創って、お前達に与えたのだ。お前達はここへやって来ようともしない。お前達は私の創った物を見ようとさえしないし、それを楽しもうとさえしない。お前達は哀れな者達よ」と考えておられることでしょう。
 神様は勇気ある人々に関心があります。神様御自身が冒険好きであり、また神様は我々人間をそのような者として創られたのです。


アメリカの女性

 先生はこういう特別の経験をした後で、アメリカの女性達はどうあるべきかについて考えてみました。アラスカで、先生はある夫婦に出会いました。その男性はそこにずっと住んでいます。そこで先生は、なぜこの夫婦がそこに住んでいるかを知りたいと興味を持ちました。「なぜ、あなたはここに住んでいるのですか」と尋ねました。「なぜなら、我々は自由が好きだからです。完全な自由を愛するからです」と答えました。彼らが説明するには、ニューヨークやその他ではちょっとどこかへ行こうとすると、すぐに誰かにぶつかります。あるいは、いつも誰か他の人の領地に足を踏み込んでしまいます。そうすると彼らは「だめだめ、それに触らないでくれ」と言います。しかし彼らが言うには、アラスカでは何年走り続けたとしても誰にも迷惑がかかりません。だから「全くの自由です」と彼らは言うのです。それはすばらしいことだと思いませんか。アラスカは法律的には、アメリカ合衆国に属していますが、この夫婦のようにそこに住んでいる人達は、文字通り国境がないのです。

 先生がその女性を見ると、彼女は非常に小さくてやせていました。しかしこのアメリカ女性は、腹のある人でした。彼女はビジョンを持っており、また普遍的な心の持ち主でした。彼女は自信と確信を持っています。だから熊狩りに行く時でも、彼女は熊をやっつけることができるのです。それで先生は思いました。「これこそまさに、西部開拓のアメリカ人をして、新しい地平線へと駆り立てた女性の精神だ。これが開拓者魂だ」と思ったのです。

 では彼女はどうしてこのような男性に出会い、結婚するようになったのでしょうか。彼女が打ち明けてくれた所によると、彼女は世界中を旅行して歩いたということです。そして、世界中で様々なタイプの人、文明人であり教育のある人を始めとしていろいろな人に会いました。その後彼女はアラスカに来て、心が素朴で欲のない人達に出会いました。海に出かける人達は漁師でした。また、山に出かける人達は猟師です。しかし、ここには漁師と猟師の両方を合わせた人が生きています。この男性はその心の素朴さと自然で欲のない性格によって、彼女の心を完全に虜にしました。そこで彼女は彼と結婚し、それ以来、その環境の下で生活しています。ここにおいては、彼が何をしようとも裸のまま、つまり心のまま誠実であることができます。だから、彼らが隣人に会う時、あるいは知らない人に会う時でも彼らはすべてのものを愛する以上に愛してきました。

 普通は、ある漁師が自分の良い釣り場を持っていると、それを自分だけのものとして隠したがります。ところがこの人が言うには「ここは漁師の天国だ。あなたはもっと大きなものを釣ることができますよ」と言いました。この人は本当に他の者を助け、他の者に奉仕しようとしていました。先生がそこにいた時も、彼は他の人のために、餌や道具を準備し、そして先生の一行に大きな魚を釣らせようとしました。彼らは先生達が大きな魚を釣ることを望んでいました。

 その日は、たくさんの魚が釣れました。先生はとてもその人に感謝し、その日の終わりに、彼に感謝の印として贈り物を上げようと思いました。ところがその男は「いや、結構です。皆さんを手伝うことが私にとっての光栄であり、特権です。もしそれを私にくださると私の栄光が失われてしまいます」と言いました。先生は後で使いをやって、どうかその贈り物を受け取ってくれるように説得しました。しかしその人は受け取ることを断固として断わりました。しかし遂にその謙遜な人は譲って、自分はレバレンド・ムーンの美しい心を見たから、その贈り物を受け取りますと言いました。そこで先生は「長い間経って、ようやく久しぶりに自分は真のアメリカ人に出会った」と思いました。




 いろいろ検討した結果、鮭こそがムーニーの魚となるべきであり、鮭こそがムーニー・スピリットを象徴するものであると決定しました。雄と雌の鮭は、並んで共に川を上がり産卵の場所まで泳いで来ます。彼らがはるばるそのような旅をする目的は、卵を生むということです。そして、夫婦は卵を産む場所で川底を掘り始めます。産卵の間、雄は雌を守るようにその周りを泳ぎ回ります。やがて彼らの皮膚の色と筋肉が変化し始め、そして卵を産むという使命が完遂された後は、彼らは命を捧げて死んでしまいます。彼らの体はやがて腐敗し、そして卵からかえったその小さな魚のための飼料となるのです。

 これが彼らの運命ですが、卵を産むことによって繁殖することに成功します。それは愛のためなのです。彼らは恐れることなく、共にその運命に向かって進んで行きます。これは本当に見るのは美しいことです。先生はこのような鮭の中に理想的な夫婦のイメージを見ました。すべての人類が鮭のように生きる時、神様の住み給う所が人間と共にあるようになり、神様は人間の中で幸せとなられるでしょう。なぜ神様は鮭を創ったのでしょうか。それは人間を教育し、人間が従うべき模範を見せるためでした。では、結論を言いましょう。オーシャン・チャーチは、神様の理想を教えるために創られました。海の被造物を通し、海に対する真の愛と海に対する真の主管ということを得ることができます。各自は、神様と共に共同の創造主となり、神様の創造という偉大な御業に参画し、そして被造物を友として理解することができるようになります。

Subscribe to Our Newsletter

Thanks for submitting!

Contact Us

Thanks for submitting!

  • Acuamundo Community
  • Ocean Hobby Seminar community

© 2020 by Ocean Hobby Seminar

bottom of page